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未来への拳をあげろ! ショスティ11 都響   

2015年6月29日 @東京文化会館

ブリテン:ロシアの葬送
タンスマン:フレスコバルディの主題による変奏曲
ショスタコーヴィチ:交響曲第11番「1905年」

オレグ・カエターニ/東京都交響楽団


「沈黙」の衝撃に心が沈んだまま、上野に移動して、都響。ショスティの交響曲第11番。交響曲第11番というと、最近の流行りは、最後の打楽器の音を止めないで沈黙のうちに音楽を終える演奏(無責任に流行りと言ったけど本当に流行っているかどうかは知らず、わたしの知ってるのはペトレンコさんが指揮した演奏なんだけど、その衝撃が大きいからにわかにその流れが来ているような)。実際には、最後余韻を残さずに切るのが楽譜通りだと思うんだけど、フライングブラヴォーやフライング拍手にやたらと厳しい日本の聴衆さんのこと、この曲の最後もしっかり余韻を味わって拍手をすべきとまことしやかに語られそうで怖いの。この曲ってそういう解釈もできるとは思うけど、最後、未来へ向かって民衆が蜂起して拳をあげて「うぉーーっ」とシュプレヒコールをあげて終わる音楽という解釈もありだと思うの。というわけで色々心配しつつ。

始まりは、金管楽器と打楽器のみのブリテン「ロシアの葬送」。あとのショスティ11の第3楽章の主題が繰り返される音楽。ロシアのお葬式の情景を描いた音楽だと思うけど、本当にこれでお葬式をしても大丈夫な偽りのない純度の高い葬送曲。昔、車で房総半島の田舎道を走っていたとき、土地の伝統的なお葬式の行列に出会ったことがあって、その素朴だけど死者を弔う悲しみに満ちた無声映画のような情景に感動したことを思い出しました。都響さんの演奏は、とても柔らかく丁寧な発音で吹いていたけど、わたし的にはもう少し思い切りの良い発音でも良かったんじゃないかな、と思いました。音の頭からシャープに聞こえても、と。

今日、一番心に浸みたのが「フレスコバルディの主題による変奏曲」。お昼の「沈黙」で完膚なきまでに心が沈んでいたし、1曲目もお葬式だったから。弦楽合奏で、バロック音楽の旋律による変奏曲は、しみじみとした旋律と弦楽合奏のささくれのない音色で、わたしは、音楽をなんでも’癒やし’で片付けてしまうのが大嫌いなので、癒やしという言葉を避けまくってるんだけど(多分、’癒やし’という単語を使うのはこのブログで初めてです)、心が透きとおるように柔らかくなりました(あっやっぱり癒やしと言わなかった)。演奏は、良くも悪くも都響さんらしいシャープな演奏で、もう少し柔らかさがあればもっといいのになって感じました。

ショスティの交響曲第11番は、大好きで(高校時代、この曲の第1楽章を下敷きにして小説を書いたことがあります)、そうなるとドキドキで平常心では聴いてられません。カエターニさんの演奏は、速めのテンポで少しドライ。でも、ショスティが音楽で描いた情景(彼の交響曲の中で一番映画的というか具体的な絵が見えてくる音楽です)をしっかりと描いていきます。都響さんも、第1楽章の最弱音の響き(の強さ)にもっと欲しいものがあったけれども(最弱音の美しさが、ヨーロッパのトップ・レヴェルのオーケストラにはあって日本のオーケストラにはまだないものですね)、持ち前のアンサンブルの正確さで応えていました。モノトーンでクリア。第2楽章の大爆発も盛り上がりつつ統制の取れたもので、軍隊の怖さを感じました。第3楽章では、ブリテンの音楽が重なってプログラミングの妙を感じたんですけど、大太鼓が打ち鳴らされるんだけど鐘は鳴らないことに気がつきました(ブリテンでも)。ロシアのお葬式では教会の鐘は鳴らないのでしょうか?鎮魂の鐘とかお葬式には鐘が付きものみたいな感覚があるんですけど。そして、この交響曲で鐘が鳴らされるのは最後の最後。鐘の意味を考えさせられてしまいました。まだ答えはありません。表現として、今日一番ムフフとなったのは、第4楽章を予想に反してゆっくり始めたかと思ったら、すぐに急速なアチェレランドをかけて走り出したとこ。ああ、ここで仕掛けてきたかって。
最後はポジティヴ。もちろん、血の日曜日事件を経て革命は成功したけど、それが本当に良かったのか?って疑問と共に終わるのもありだとは思うけど(ショスティの時代はまさにスターリンの粛正の時代だったし)、民衆の力を信じて未来を掴む(掴み取ろうとする)重い希望を共に抱いて終わるのもありでしょう。もちろん希望と言っても明るい希望ではなくて、苦渋と共にある見えるか見えないかくらいの。怒りと共に未来を見つめて手を握り拳を振り上げる。心の裡に燃え上がってくるものを押さえきれずにうぉーーっと叫んじゃいそうな。
バンと音を切って(打楽器の人、必死で止めてた)終わった演奏はまさにそんなそのまますぐシュプレヒコールになだれ込むような演奏でした。音楽が終わって微妙な間があって、カエターニさんが、あれ?拍手は?演奏上手くいったよね?みたいな感じできょとんとして見えたので、一番乗りで拍手を始めてみました。余韻を残さずにどっと拍手がわき起こった方が良い演奏だったと思います。音楽をしっかり受け止めてちゃんと拍手できる聴き手になりたいです。
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by zerbinetta | 2015-06-29 23:29 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

神は為し給わず オペラ「沈黙」   

2015年6月29日 @新国立劇場

松村禎三:沈黙

宮田慶子(演出)

小餅谷哲男(ロドリゴ)、黒田博(フェレイラ)
成田博之(ヴァリニャーノ)、星野淳(キチジロー)
吉田浩之(モチキ)、高橋薫子(オハル)、その他
新国立劇場合唱団

下野竜也/東京フィルハーモニー交響楽団


Z券当たって良かったーーって浮かれて、「沈黙」を観に行ったんですけど、作品の強さに圧倒されて、普通にチケットを買っても観るべき作品だったと反省。もしZ券が外れてたと思うと怖ろしい。わたしは無二の機会を逃してしまうところでした。これは、日本のオペラ愛好家なら好き嫌いを問わず、1度は観ておくべき作品でしょう。わたしには幸運の神がいました。ロドリゴに神はいなかったけど。

音楽は、とても普通に良く書けていると思うんだけど、やっぱり問題は、日本語の特性が西欧の伝統的なリズムに合わないことではないかしら。松村が書いたのは、20世紀前半の様式を発展させた感じの音楽なので、歌は、西欧の音楽に日本語をのせたみたいな感じ。そうすると、必ず母音で終わる日本語とは矛盾しちゃうんですね。あと音節(モーラ?)の等価性とか。20世紀後半の書法とか、謡みたいな日本の伝統音楽の様式を採り入れればもっと自然なものが書けたのに、と偉そうに思ったり。これどうしても気になっちゃうんです、わたし。一方管弦楽や合唱は力強くて、劇的な雰囲気を隈取っていて、オペラを観る充実感があります。

演奏は、とっても素晴らしかったです。下野さんと東京フィルのピットはめちゃくちゃ力入って劇場全体を音で包み込みました。大活躍する合唱(キリシタンの農民たち)もいつものことながら新国立劇場の合唱団が素晴らしかったです。歌手陣もひとりひとり皆が良かったです。何か、日本のオペラの問題作の真価を問うみたいな情熱に溢れた演奏で、文句の付けようもないのです。
新国立劇場の演劇部門の監督でもある宮田さんの演出は、劇場的なこの作品、オペラと言うより演劇を観たような印象、を音楽の邪魔をすることなく表現していて、細かな所作や、光りの使い方にも目が配られていました。

でも、わたしを震撼させたのは、もう今まで書いたことはどうだっていい、この作品の持つテーマです。それが直接突き刺さってきた。
わたしは、一時期クリスチャンだったので(今はいかなる神さまも信じていないけど、洗礼は一生消えない(?)から今でも公にはクリスチャン?よく分からないけど)、遠藤周作の原作は読んでいたはずです。なので、お話はだいたい知っていたはずなのです。ところが、その結論が、全然違う。それで完全に戸惑ってしまいました。ただ、そういう風にはどこにも記されていないみたいなので、わたしの(オペラを観て)感じたことが全然間違い、トンチンカンな可能性もあるのですが。

わたしは、このオペラを観て、救いは感じられなかったんです。神の存在も。そればかりか、神の不在がテーマなんじゃないかとさえ思っています。オリジナルの小説は、最後、神の言葉に促されてロドリゴが踏み絵を踏んで救われたはずです。オペラの台本では多分これは変えていない。でもわたしには、強烈に神の不在のメッセージとして伝わってきました。神は何も答えてくれない。口を閉ざしている。
神にはもう人を救う力がないんです。
ロドリゴは、最後、踏み絵を踏むか、迷います。踏み絵を踏めば拷問に掛けられている村人たちを救うことができる。そして自分も救われる。でも、クリスチャンとして死を前にした人の中には、神を信じて神の国に行く希望を持っている人もいる、すでに信仰のために殺されてしまった人がいる。その人たちのために、自分だけイェスを踏んで神を捨ててもいいのか。究極の選択ですね。どちらに転んでも、人は救われないし救えない。神ですら、どちらかを選択することによって、誰かを裏切ってしまう。光りがあるせいで影ができる。だから、神は黙っていることしかできない。神はもう在ることができない。

もしかしてわたしは、最後重要なテキストを見落としちゃったのかな?
それとも、オペラとして物語をはしょってしまったせいで、奉行やフェレイラが単純にダークサイドに落ちてしまった?
作曲者はここまで神を否定したかった?

わたしも、究極の選択には答えられないまま、呆然と神のいない世界、救いのない世界にはじき出されてしまったのです。

神の(不)在のものすごい深いテーマを持った考えさせられる問題作。ぜひ、日本のオペラとして海外でも上演して欲しい。これだけのテーマをもったオペラってそうそうないもの。
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by zerbinetta | 2015-06-29 01:35 | オペラ | Comments(0)

ちょっとホールが不向きかな ヴィヴァルディ「四季」 BCJ   

2015年6月28日 @フェスティヴァルホール(グリーンホール)

ヴィヴァルディ:「四季」より「春」
ヘンデル:オルガン協奏曲 HWV292
マルチェッロ:オーボエ協奏曲ニ短調
ヴィヴァルディ:「四季」より「夏」
バッハ:2つのヴァイオリンのための協奏曲 BWV1043
ヴィヴァルディ:「四季」より「秋」
ヴィヴァルディ:「四季」より「冬」
ヴィヴァルディ:4つのヴァイオリンのための協奏曲 ロ短調

若松夏美、白井圭、高田あずみ、寺神戸亮(ヴァイオリン)
鈴木優人(オルガン)、三宮正満(オーボエ)
鈴木雅明/バッハ・コレギウム・ジャパン


ヴィヴァルディの「四季」。曲名は知らなくても誰でも1度や2度は聴いたことのある名曲ですね。中二病的マニア的には通俗名曲、はっ、って敬遠されちゃうこともあるけど(わたしも罹ったことあるし)、やっぱり確固とした名曲。ヴィヴァルディの和声のインヴェンションなら他にもって最後の抵抗虚しく、やっぱり名曲には違いないと思います。名曲っていまだに新鮮な驚きに満ちた演奏が出てくるから。

今日のBCJの演奏もそのひとつに加わりました。
その名の通り、バッハ中心のレパートリーを持つBCJ。ヴィヴァルディを演奏するのは珍しいことなので、大好きな調布音楽祭で演奏すると聴いて、いても立ってもいられなくなり、チケット発売日の朝一番に電話してワクワクしながらチケット取りました。

今日のBCJの演奏は、「四季」の4曲(もちろん、春夏秋冬)を4人の違う独奏者で演奏したこと。そして、各曲の間に他の音楽を挟んで構成していることです(同じようなことは、前にクレーメルさんがピアソラの「ブエノスアイレスの四季」と代わりばんこにやってました)。4人の独奏者の違った個性が楽しめる演奏になったんだけど、共通するのはみんな崩し字、草書体の演奏だったこと。ゆえに個性が際だったんですね。装飾音符とか、表現のニュアンスとか結構突っ込んできて、でもバックも普段一緒に演奏しているメンバーなので余裕で受け止めてきて楽しい四季。ただ、グリーンホールの音響がデッドで、古楽器のソロにはかなり不利でした(2階の後ろの方の席で聴いていたせいもあるのですが)。もっと音が間接音を伴って飛んでくると違ったものになったでしょう。どちらかと言うとくすのきホール向きだと思うのだけど、音響のことよく分からないのですが、反響板を工夫するなりしてどうにかできないのでしょうか。せっかくの演奏が上手く聴けないのはもったいなくて。

間に挟まれた、他の作曲家のオルガンやオーボエのための協奏曲もとてもステキで、バロック音楽の世界の広さを感じさせました。ホームタウンという気安さも(皆が住んでいるのではないでしょうけど、音楽祭の雰囲気がアットホームなので)演奏を積極的にしているのでしょうね。最後の4つのヴァイオリンのための協奏曲は、今日の4人のヴァイオリン独唱者が、掛け合いが自由なジャズセッションのような感じがして面白く聴けました。もともとバロック音楽って、演奏者が聴衆に向かって演奏するというよりも、演奏者たちが音楽を楽しんでいるのを周りの人も一緒になって聴くみたいなところがあるんじゃないかと思います。そういう意味でも、この音楽祭は大事にしたいです。

お終い、カーテンコールの時、エグゼクティヴ・プロデューサーの優人さんが音楽祭のTシャツに着替えていたのはちょっと笑えました。そして来年も絶対来ようと思ったのでした。
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by zerbinetta | 2015-06-28 23:25 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

すごく好き 遠藤真理&三浦友理枝デュオリサイタル   

2015年6月28日 @ヒルズ500 くすのきホール

シューマン:アダージョとアレグロ
ショパン:チェロ・ソナタ
ラフマニノフ:ヴォカリーズ
ラフマニノフ:チェロ・ソナタ

遠藤真理(チェロ)、三浦友理枝(ピアノ)


調布市が隣に引っ越してきたらいいのに、と強く思う(自分が引っ越すのはめんどくさいから)、調布音楽祭。去年初めて行って(音楽祭は一昨年から始まった)、その手作り感にものすごく居心地の良さ、ほほえましさを感じて、嬉しい気持ちにさせられたんだけど、今年もまた、同じ気持ちです。4日間の間に、大人から子供まで楽しめるプログラムやふらっと立ち寄れる音楽カフェなど盛りだくさん(しかもそれが地域の市民音楽家や音楽大学の学生さんにステージを提供して音楽家として支援してる)。今年は、海外からロシア・ナショナル管弦楽団さんまで呼んで盛り上げたんだけど、わたし的にはこれは余計かな。音楽祭としてはすでにBCJという世界でもトップ・レヴェルのコンテンツを持っているのだし、今回はお休みだった合唱の音楽会にも期待したいし、メインはBCJ中心に特化した方がいいと思うの(去年のブランデンブルク、今年の四季という普段のBCJでは聴かれないプログラムもステキですしね。来年はテレマンとか?)。バロック音楽ではお客さんを集めるのは難しいのかもしれないけど、地元密着型の小さな音楽祭という利点を生かして、ユニークネスをここに持ってくるのがいいんだ〜って素人の勝手な意見だけど思うんです。

わたし的に残念なのが、調布は遠く、小旅行気分。ほんとはもっとゆったり地元民になったように音楽祭を楽しみたいのだけど(来年こそは!)、最終日の2つの公演のハシゴという駆け足の音楽祭参加です。最初に書いたように調布市には是非隣に引っ越してきて欲しーーい。

遠藤真理さんと三浦友理枝さんのデュオ、聴きたかったんです。仲良しそうだし、友理枝さんのピアノなにげに好きだし、真理さんを聴くときは友理枝さんと一緒がお得かなと。しかも大好きな曲がてんこ盛りだし。真理さんはパンフレットの写真だと、かわいらしいちっちゃなほんわかしたこけしみたいな感じ(と勝手に脳内イメジ)なんだけど、わりと大柄な(すごく大きいというわけではないけど)方でした。ほんわかな感じがなくてしっかり大人。お腹がふっくらしていたのはおめでた?(あとでそれが本当であると知りました。元気な赤ちゃんが生まれてくるのを願ってます) そして音楽も大らかでかっこいい。友理枝さんの音楽も見かけによらず結構漢な感じだからふたりが仲がいいのも分かる〜。(MCでもほんわかした仲の良さが感じられました)

そのおふたりの感じは、始めのシューマンから聞こえました。チェロの歌いすぎずに歌う、ピアノの前に出すぎず付ける感じが良くてバランスの良いデュオだなと感じました。真理さんのチェロは、とても豊かな音。もう少しほっそりとした音の人なのかなと勝手に考えていたわたしを心地良く裏切ります。もっとたくさん聴いてみたいと思わせる魅力のあるチェロでした。

ショパンのチェロソナタは、ほんとに大大大好きな曲。特にスケルツォのトリオのとろけるような甘美な旋律が大好きなんだけど、あっさりと終わってしまってちょっと残念。あまり甘くならない演奏なせいもあるし、ショパンが一瞬しか旋律を書かなかったことも恨む〜。ここだけは夢を見させてくれたらと思いつつ、叙情に流れない締まった演奏は、硬派なおふたりの面目躍如。

後半はラフマニノフ。ほの暗く郷愁的なヴォカリーズから始まってチェロ・ソナタ。ヴォカリーズには諦めを含んだ甘えるような哀しみではなくて、憧れを見つめる強い眼差しがありました。そのチェロに控え目にでも絶妙なバランスで寄り添うピアノ。今日の音楽会は、チェロが主役とも見えるけど、稀代のピアニストでもあった作曲家が書いただけにピアノもかなりの難しさ。それに吞まれることなくチェロに寄り添いつつ、出るところは華麗なピアニズムで弾ける友理枝さんのピアノも出色でした(特にチェロ・ソナタで)。
ソナタは、これもわたし大大大好きなんだけど、この曲スケールが大きくてめちゃかっこいいと思うんですね。演奏も広々としたスケールの大きさをとても良く表現していたんだけど、うわわって驚いたのはフィナーレ。一番の聴かせどころっていうか(わたし的には)、雄大でかっこいい叙情的な旋律が現れるところ(第2主題)。真理さんのチェロが、ふっと力を抜いたんです。イケイケの男性的なかっこよさではなくて、意表を突いたしみじみとした歌。テンポまで少し落として。えええっっ、って思ったんだけど、これもあり!というかこんな歌い方があったんですね。もうびっくりして感動。

もうお腹いっぱいだったので、アンコールはなくても良かったんだけど、ショパン「ノクターン」第2番のチェロ、ピアノ・ヴァージョン。まぁこれは、、、旋律をチェロにやっちゃったのでピアノは伴奏しているだけ。と、サンサーンスの有名な「白鳥」。しみじみ系2曲で音楽会で火照った心を冷ましたのでした。
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by zerbinetta | 2015-06-28 00:03 | 室内楽・リサイタル | Comments(0)

言葉の限界を超えなくちゃ 高関健/東京シティ・フィル ティアラこうとう定期   

2015年6月20日 @ティアラこうとう

シューマン:交響曲第1番「春」
リムスキー・コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」

高関健/東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団


東京シティ・フィルのティアラこうとうでの定期会員になったのでした。今日がその1回目(ティアラこうとうは年4回の定期演奏会があります)。東京シティ・フィルは、宮本さんの時代に何回かオペラ・シティに聴きに行って(宮本さんの指揮はそのうち1回だけだったと思いますが)、すごく上手いとは言えないけどとても熱い演奏をするステキなオーケストラだと感じていました。わたしの好きなタイプ。今シーズンから高関さんが常任指揮者(多分責任指揮者)になってどういう風に変わるか、発展していくか楽しみなんです。前任者の宮本さんが熱い音楽を標榜していたのに対して、高関さんは楽譜を徹底的に読み込む少々マニアックなところがあるのでずいぶん対照的だし、でもきっとシティ・フィルさんには良い方に作用すると思うんですね。でも、音楽に対するあの熱さはずっと持っていて欲しいですけど。

音楽会の始まる前の雰囲気がうんと良くて会員になって良かった〜と。ステージの裏で音出ししてるのを静かに聴きながら待つ雰囲気、音楽会の雰囲気を壊す余計なアナウンスメントも無し、登場する団員を拍手で迎える客席。帰国してからので一番好きかも。(でも、後半携帯電話が2回鳴った)

シューマンの「春」は音が濁ったところがあったせいか少し重く感じました。高関さんの音楽作りをオーケストラがまだ消化し切れていないのか説明的な音に聞こえるところもありました。高関さんは、音楽を徹底的に研究して、オーケストラにもそれをしっかり伝えているんだろうと思います。ただ、言葉で説明するあまり、というか、指揮者とオーケストラが同じ言葉で分かってしまうせいで、音楽が、その言葉の範囲を超えていないように感じました。言葉を超えて、音楽でしか表現できない部分がちょっと足りてないな、と。そのことを考えると、将来は日本で弾くことになるだろう若い音楽家もどんどん外国で勉強して欲しいなと思いました。クラシック音楽の本場が西欧だからという意味ではなく、もっと大事なのは、文化の違う、母語でない言葉の不自由さの中でコミュニケイションの力を鍛えて欲しいから。音楽が言葉の範囲で留まらないように。

「シェエラザード」は、絢爛な絵巻物を見るような演奏で素晴らしかったです。そう、実際の船に乗るような感じじゃなくて、絵巻物を見る感じなんです。たぶん、波の伴奏が、動く水ではなくて、もっと大らかに固定された絵のように感じられたからじゃないかと思うんだけど、これはこれでありだなぁ。高関さんの音楽は、旋律線がとてもレガートに弾かれていて、それも絵のようだと思った理由かも知れません。第2楽章最後の方のハープの強奏とか、第3楽章の音の紡ぎ出し方もおおおっと引き込まれるようでステキ。各ソロも大健闘してたし(ヴァイオリンはおじさんだけどちゃんと姫)、曲の最後とか弱音がもっと良くなればずっと良くなるだろうと、未来に期待。
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by zerbinetta | 2015-06-20 01:04 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

プログラム冊子への心遣い シャネル・ピグマリオン・室内楽シリーズ   

2015年6月9日 @シャネル・ネクサス・ホール

ドビュッシー:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ
コダーイ:ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲
マニャール:プロムナード Op.7から
メンデルスゾーン:ピアノ四重奏曲第2番

長尾春花、ポール・ホワン(ヴァイオリン)
シモン・アダ=レス、永野光太郎(ピアノ)
辻本玲(チェロ)、大山平一郎(ヴィオラ)


シャネルのピグマリオン・シリーズ。わたしにはとくとご縁のないシャネルだけど(ブランドとかに興味があったお年頃には日本人だから日本人のデザイナーズブランドって思ってました)、美しさ(というより女性の魅力的な自立かな)を求める企業が、ピグマリオン(才能を信じて支援し開花させる人)であった創業者ココ・シャネルの精神を受け継いで、若く才能のある音楽家たちを支援するプログラムを主催しているのはステキすぎ。それに流石、一流どころのホスピタリティ。わたしみたいな場違いな人がいても気後れすることもないし、プログラム冊子(1ピリオドに行われるいくつかの公演がまとまって載っているので結構厚い。紙質も立派だしね)の今日のペイジにはしおりが挟んであったり。今日は、過去のピグマリオン・デイズ・アーティストや海外からの若手を招いての室内楽の音楽会。いろんな組み合わせが楽しめます。

始まりは、春花さんのヴァイオリンとアダ=レスさんのピアノでドビュッシーのソナタ。春花さん、昨日はベートーヴェンだったし、ベートーヴェンにはソナタ全曲サイクルに集中的に取組中だし、ブラームスのソナタもあるし、毛色が全然変わって大変だなぁなんて思ったとおり、ドビュッシーはちょっと消化不良のように聞こえました。このレパートリーは、春花さんにとって新しいものかしら、何か勉強のために大山さんが敢えて示唆したのかしら、なんても思いました。学生の今はたくさん勉強してレパートリーを広げる時期。かんばれーと応援すると同時に、慣れてくればきっと良いものになるんだろうなって期待もしています。

コダーイはヴァイオリンとチェロの二重奏。台湾系アメリカ人のホワンさんと辻本さん。このおふたり上手い。というか男同士の友情みたいな打てば響くような音楽のパスワークがとても良くて楽しそう。

マニャールを弾いたピアノのアダ=レスさんは、フランス人なんだけど、日本語が上手くてびっくり。というか突然日本語できて虚を突かれちゃった。マニャールのこのピアノ曲は知らなかったそうだけど、大山さんのたっての願いで採り上げたとのこと。マニャールという作曲家、わたしはヴァイオリン・ソナタと交響曲を知っているだけなので、珍しい音楽が聴けて嬉しい。曲は、シンプルで短くてそぞろ歩くようなプロムナードという名前にピタリな感じ。ただ、この曲だけでピアニストの力を知ることはできませんでした。初めて聴く曲だし、技術的にも音楽的にも難しい曲ではなかったから。でも、アダ=レスさんは日本語上手だったので好感。もしかしてアニメ好きで日本語勉強したのかな。フランス人ならあり得る。

最後は、オーガナイザーの大山さんが加わって、ホワンさん、辻本さん、ピアノの永野さんでメンデルスゾーンのピアノ四重奏。メンデルスゾーンってこういう曲だとなにげに技巧的な曲書くよね。今日の日のために集まって練習した即席のクァルテットだけど、みんなアンサンブルに慣れている感じだし、特にホワンさんが室内楽を弾き慣れている感じでリードしていました。今日の大絶賛は、そのホワンさん。素晴らしい音色だし音楽性も豊か。ソリストと言うよりトップレヴェルのクァルテットで活躍して欲しい逸材だわ。近所の人だったら絶対応援するのに〜。
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by zerbinetta | 2015-06-09 01:02 | 室内楽・リサイタル | Comments(0)

爽やかな春 長尾春花 ベートーヴェン・Vnソナタ・シリーズ第2回   

2015年6月7日 @東京藝術大学第6ホール

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第4、5番

長尾春花(ヴァイオリン)
鳥羽亜矢子(ピアノ)


応援しているヴァイオリニスト、長尾春花さんの学内リサイタル・シリーズ。ベートーヴェンのソナタ、全曲演奏会の2回目。今日は4番と5番の2曲。5番は有名な「春」ですね。

第4番は、短調の曲。じりじりとした焦燥感のある第1楽章の積極的な表現、少しやんちゃさが前に出た演奏で、リピートのあとの変化とか、とても細やかな配慮で弾かれていました。ピアノが主体で、それにすうっとかわいく絡んでいく第2楽章は、後半の「春」でもそうだったんだけど、ピアノの裏に回ったときのバランスがとても良くて、ピアノの鳥羽さんとの高い親和性がなかなか。生徒と先生のデュオではなくて、ふたりの対等の音楽家に成長できているのが良い感じ。ベートーヴェンの音楽の方も、ここへ来て、ピアノ主体からピアノとヴァイオリンが対等に会話する音楽になりつつあるのもヴァイオリン・ソナタのステキ度を上げているんですね。

「春」は、(多分)春花さん自身の解説に書かれていたとおり、「多くの奏者によって演奏される機会の多いこの作品は、色々なテンポで演奏されがちだが、ベートーヴェンの書いた拍子や表示から改めて解釈し、より納得のできるテンポ」、爽やかなテンポ感がステキでした。とても楽しい春。音楽に翳りが差す部分も、雲が流れるようにさあっと晴れて、ほんとに気持ちいい。何かを足すのではなくて、音楽を素直に表現したらこうなったというとても自然な長尾さんの解釈に、いろんな演奏を聴いたあとでも共感できる吸引力を感じました。晴れやかな気持ちが胸に残って音楽会をあとにできるのってほんとに幸せ。

前回の若書きの3曲に比べて音楽が充実してきて、それが表現のしやすさにもつながってくるのだろうけど、春花さんと鳥羽さんのベートーヴェン・ソナタの旅、次回は、また地味だけど、実はとてもかわいらしくて大好きな曲たちなのでとても楽しみ。
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by zerbinetta | 2015-06-07 01:29 | 室内楽・リサイタル | Comments(0)

理想に向かってワクワクしよう フィルハーモニア・エテルナ夏季演奏会2015   

2015年6月6日 @ティアラこうとう

ベートーヴェン:交響曲第7番
シベリウス:交響詩「エン・サガ」、交響詩「レンミンカイネンの帰郷」

飯田隆/フィルハーモニア・エテルナ


わたしの好きなタイプ、コンセプトのはっきりしているアマチュア・オーケストラです。20年目のオーケストラ。聴くのは初めて。オーケストラの名前は永遠の音楽家たちという意味だそう。「アマチュア最高の音楽を創造することを通じて、聴衆と団員双方に最高のステージ提供することを目標とし(オーケストラのウェブサイトから)」ているとのこと。そのために、いろいろ意識的にプログラムを組んでいるみたいです。どんな音楽が聴けるのか楽しみでしょう。今日の指揮者は、飯田さん。エテルナには創立のときから関わってきたとのこと(トレーナー?)ですが、このオーケストラを指揮するのは今日が初めてだそうです。

始まりからずどーーんとベートーヴェンの交響曲第7番。オーケストラの基礎体力を付けるのにふさわしい曲ですね。お手並み拝見。いや拝聴。
最初のトゥッティがばっと出て、音楽が始まってすぐ、ちょっとした違和感。指揮者のテンポとオーケストラのテンポにほんのちょっぴりのずれが感じられたんです。もしかして、練習でやって来たときと違うテンポで始まっちゃった?そんな感じの。もちろんそれはすぐに修正されたんだけど、飯田さん少し緊張していたのでしょうか。この曲を聴くとオーケストラの力が手に取るように分かっちゃいますね。上手いんだけどまだまだ伸びる。せっかく高い理想を掲げているので、トップレヴェルのアマチュア・オーケストラとして君臨する日を期待してます。

後半はシベリウス。今年生誕150年でしたっけ?交響詩がふたつ。レンミンカイネンは組曲全部やればいいのにと思ったり。シベリウスの音楽は、日本人に合うのか、とてもよく演奏されるし(シベリウスの音楽がこんなに演奏されるのは、多分、本国の他ではイギリスと日本くらいじゃないでしょうか)、演奏する方も感性が合うので演奏しやすい、いいえ技術的に難しいところもあるから、と言うより雰囲気を作りやすいんじゃないでしょうか。アマチュア・オーケストラのヴィブラート控え目の弦楽器は、透明な響きになるので自然とシベリウスな感じになるし。というわけで、雰囲気のあるとてもステキな演奏でした。金管楽器、特にトロンボーンも良かったし。

これで終わるはずないよね。アンコールにはきっとあの曲だわ、と思っていたら、大当たり、アンコールには「フィンランディア」が演奏されました。中間部はわりとあっさり系でした。でも、今日はシベリウスだったわ〜〜。


♪♪
フィルハーモニア・エテルナの次の演奏会は、創立20周年記念演奏会が11月7日、ミューザ川崎です。なんとヴァイオリン独奏にレーピンさん!レーピンさんでショスティ1番です。
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by zerbinetta | 2015-06-06 00:56 | アマチュア | Comments(0)

80%の音楽 テミルカーノフ/読響 マーラー3   

2015年6月5日 @サントリーホール

マーラー:交響曲第3番

小山由美(メゾソプラノ)
ユーリ・テミルカーノフ/新国立劇場合唱団、NHK東京児童合唱団、読売日本交響楽団


テミルカーノフさん、今まで何回か聴いたことあるのに、実は、ロシアもの以外を聴くのは初めて。当たり前だけど、ロシアもの専門の指揮者というわけじゃないからいろんな曲を振ってるのに違いないけど、珍しい機会(メリーランドに住んでたとき、ボルチモアのオーケストラの指揮者だったのに聴いてなくて悔しいい)。今日はマーラー。テミルカーノフさんがどんなマーラーを聴かせてくれるのか興味津々で聴いてきました。オーケストラは最近、苦手意識が高まってる読響さんだけど。

今日は交響曲第3番、1曲だけ。最初の深々したホルンのユニゾンの響きが会場を満たしたとき、今日はステキな音楽会になると予感しました。んだけど。。。第1楽章の暗い部分は何だか葬送行進曲のように音楽が進んで何だか暗〜〜い。低弦の速いパッセージの弾かせ方(頭の音を溜める)とか木管楽器やホルンのオクターヴ上がるメロディ(意識的な間をとる)とか、わたしのマイクロ・フェチ・ポイントのトランペットの吹奏にさりげなくオーボエが重なるところの音色とか、テミルカーノフさん、細部にこだわってかなり仕掛けてるところもあるんだけど、どうして?というかどんな音楽を創りたいのかちょっとよく分からなかったんです。でも、それはわたしがだけじゃなく、オーケストラもどうしたらいいのか動揺している感じ。第1楽章は、客席はとても良い緊張を保って聴いているんだけど、オーケストラは、指揮者がどうしたいのか分からなくて右往左往。コンサートマスターの日下さんも恋人同士のようにホルンと美しく絡むところなんかはちょっとツンとしてたり、何だか動揺しているみたいで、オーケストラと指揮者の間で迷っている感じ。打楽器からは楽器を落としたのか雑音まで。そんな中、がんばっていたのは第2ヴァイオリンかな。第2ヴァイオリンが目立つってあまりないんですけど、縁の下の力持ちで、しっかり音楽を支えていたと思います。とても良かった。

多分。多分ですよ。テミルカーノフさんって本番では、練習と違うことをやってるのか、オーケストラに敢えて指示を与えないで野に放つとか。心当たりがあるんです。前に聴いた、サンクトペテルブルク・フィルとの演奏では、オーケストラの弾きたいテンポと指揮者の求めるテンポの食い違いが音楽に緊張感を生み出していたし、フィルハーモニアとの演奏では、指揮者に必死に付いていくオーケストラが多少乱れたものの、指揮者の求めるものを先読みしてすごくいい音楽を奏でていました。読響にはそこまでの力はなかった。これもわたしの想像だけど、テミルカーノフさん、本番では練習したことの予定調和を乱して、常に新しく生まれてくる音楽の創造を求めているんじゃないのかな。オーケストラを放任することで、自発的な演奏を促してるんじゃないのかな。指揮者の音楽をきちんと演奏することが上手いオーケストラも、どうぞ、自由に、とハシゴを外されることによって混乱して、指揮者が振っているところまでは音楽にできるけど、振らない部分は音にできなくて、テミルカーノフさんがオーケストラの自発に委ねた20%を引いた80%の音楽にしかならなかったんじゃないかしら。お互いがぶつかり合って止揚して指揮者もオーケストラも思い描いていた以上のものになるはずがならなかったのが今日の演奏ではないでしょうか。マーラーのあまり演奏されない曲にオーケストラが慣れていないこともそれを助長して。オーケストラには厳しいことを書いたけど、テミルカーノフさんも彼のマーラーがどんな音楽なのかよく分かりませんでした。1番でも2番でも5番でももしくは9番でもない、第3番を敢えて採り上げるんでしょうから何かあるんだと思うんですが、それがよく分からなかったです。何でマーラー?何で3番?

第2楽章からは、オーケストラが持ち直したのか、テミルカーノフさんが指揮を変えたのか、落ち着いてきたと思います。わたし的には今日は第2楽章が良かったです。3楽章のポストホルンは、むーん、珍しい楽器ですからねぇ。ちょっと弱かったかな(音量じゃなくて)。メゾソプラノを歌った、小山さんは、声質が軽いので、酔歌を歌うのには物足りなく感じました。面白かったのは、第5楽章の児童合唱。とてもかわいらしくて、日本人の声だわ〜って思いました。まだ訓練で作られていない(発展中の)生の声って、身体の構造が違うのか、欧米の子供たちと随分違うんですね。どちらがいい悪いじゃないんですけど、へぇぇと感心。わたしは好き。
最終楽章は、普通にしても感動しちゃう音楽だから、やっぱり感動したんだけど、ある意味、テミルカーノフのアクもオーケストラのアクもなくした、素直なピュアな演奏でした。変態好きのわたし的にはそういうのには物足りなさを感じるのがいつもなんだけど、今日はむしろ丁寧に弾き込まれていて、いいなって思えました。マーラーの音楽の力に助けられた感じです。

初めてのテミルカーノフさんの非ロシアものだったけど、結局よく分かりませんでした。当たり前だけど、これだけで分かるはずもないんですよね。やっぱりロシアものを聴いてみたいと思いつつ、いろいろ聴いて彼の音楽のこと知りたいです。客演のときは、ロシアものを求められると思うけど、少しずつでも違うのやってくれたらなと思います。
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by zerbinetta | 2015-06-05 01:31 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

ばらの騎士の夢、未来への離別 新国立オペラ「ばらの騎士」   

2015年6月4日 @新国立劇場

シュトラウス:ばらの騎士

ジョナサン・ミラー(演出)

アンネ・シュヴァーネヴィルムス(元帥夫人)、ユルゲン・リン(オックス男爵)
ステファニー・アタナソフ(オクタヴィアン)、クレメンス・ウンターライナー(ファーニナル)
アンケ・ブリーゲル(ゾフィー)、大野光彦(ヴァルツァッキ)
水口聡(テノール歌手)、その他
新国立劇場合唱団、TOKYO FM少年合唱団
シュテファン・ショルテス/東京フィルハーモニー交響楽団


シュトラウスの音楽って、だめになる寸前のじゅくじゅくに熟れた果物のよう。もしくは、腐る寸前のお肉。でもその一瞬が一番おいしいことをわたしは知っている。そしてそれは、存在するのに儚い夢。いいえ、存在と不存在のとろけたはざま。「ばらの騎士」は夢の音楽。大好きなオペラです。

新国立劇場の「ばらの騎士」。観るのを諦めていたんだけど、Z券の抽選に当たって!行ってきました(申し込んだ日を勘違いしてて焦ったけど)。オペラは、ステージに近い良い席で観たいと思わないので、一番上の階がZ券で安く出るのが嬉しい。オペラ・ハウスって上の方の席の方がバランス良く音が上がってくるので音楽は聴きやすいと思うんですよ。

最近、あまりオペラを観ていないので、というか、なんか永遠のオペラ初心者だな、上手にオペラ観られるか分からない(オペラって音楽と劇で情報量がむちゃくちゃ多くて、知れば知るほど楽しめるんです)、というか始めからそれは諦めて、椅子に座って素直に楽しもうと思いました。ミラーさんの演出は、テキストの物語に沿ったオーソドックスなものであるけれども、スタイリッシュな今の感覚にも通じていて、変にこねくり回して考えることなくシュトラウスとホフマンスタールの描き出した夢の世界に浸れたのがステキ。
ところが、最後、小姓がハンカチを拾わなかったんです。というか、ゾフィーがハンカチを落とさなかったんです。このハンカチの意味ってすご〜く大切だと思うんだけど。。。その代わり、小姓は部屋にあったお菓子をつまみ食い。不倫の愛なんて、お菓子のつまみ食いみたいものですよってことなのかな。こともなげにそれが繰り返されていく。今は新しい愛の喜びの中にいるオクタヴィアンとゾフィーの未来にも。そしてお話は繰り返される?それとも単なるわたしの見落としかなぁ。こういうときってもう一度繰り返し観られないのが悔しいい。

歌手の皆さんは、とても良く歌っていました。高水準。主要な役を外国人歌手で固めていましたが、脇の日本人歌手も決して引けをとらなかったです。オックス男爵のリンさんは、嫌〜な男の男爵に仕上げてきて、嫌いだけどステキ。オックス男爵が中途半端だとつまらないものね。大好きなテノール歌手は水口さんだったけど、わたしとしてはこの役に超スーパースターを配して欲しいといういつもの願望。だって、好きすぎるし、全くの端役の歌手に一番の歌手を使っちゃうなんてパロディが聴いてていいなじゃい。パヴァロッティさんとか、今だったらカウフマンさんとか。現実には彼らは歌わないでしょうが。という勝手な思いをハタキで叩いて、水口さんは好演でした。

ショルテスさんの音楽は、ミラーさんのスタイリッシュな演出に合わせているのか、日本のオーケストラのゆえか、甘さ控えめ。舞台に合っていたと言えばそうなんですが、訛りもなくて、わたしには少し物足りなかったです。甘いものはちゃんと甘くして欲しいの。わたしたちの口に合わなくても。甘さ控えめ好きな日本人からすると、フランスのお菓子はうんと甘いけど、でもそれこそがあのお菓子の魅力だから。儚い永遠の夢は、本当に甘いんだもの。甘いものはちゃんと甘くなくちゃ。

「ばらの騎士」は、定番だけど、最後の3重唱のところでどうしても泣いてしまう。あの諦めと希望といろんな感情が交じり合ってひとつの音楽となった最高に美しい瞬間。でも、今日は、その前、元帥夫人が「全ては終わった」と歌ったところで涙腺崩壊。涙がさらさらと流れていきます。でも、あの3重唱まで来ると静かに涙が醒めてきて。あれれ、どうして?
何だかわたしの魂が音楽から幽体離脱してふわふわと音楽を眺めている感じ。冷静に。外から。この部分、ゾフィーとオクタヴィアンと元帥夫人がそれぞれの想いを同時に歌うんだけど、それぞれの歌が混じり合わずに聞こえてしまったんです。お互い別々のことを想いながら、言葉と音楽が溶けてひとつになるハズなのに、イチゴとクリームとスポンジがそれぞれ主張し合ってまとまらないショートケーキのように。多分、わざとそうしているのではないと思うんですよね。音楽が清流のように流れちゃって濁らない、という言い方は変なんだけど、濁れる田沼に豊潤な生があるのに。

シュトラウスって、このオペラで、未来に手を振って別れを告げてるみたい。一連の交響詩やそのあとの「サロメ」や「エレクトラ」で時代の最先端を走っていたのに、ここにきて理想の夢がある過去に憧れる。決して手の届かないものに。同時代のライヴァルであり友人のマーラーは、最後の作品で過去に別れを告げて未来へ向かった。でも、その未来を見ないうちに亡くなった。きっとマーラーにとってはそれが幸いだったような気がする。音楽は(マーラー自身も分からないと告白したような道に進んでいたし)、時代も大戦の時代、さらにヒトラーの時代に進む中にマーラーが生きていたらと思うと、その悲劇に恐怖する。長く生き延びたシュトラウスは、対照的に暗い時代に温かく甘い世界を夢見ることができた。それって退行?シュトラウスは時代に遅れた作曲家だったのかしら?いいえ。永遠の美しい夢に儚く憧れるのは、憧れることができるのは、かの時代の先端を生きているゆえではないでしょうか。決して戻ることのできない、本当は存在さえしない、胎内のゆりかごの甘美な夢を見ることができるのは、一粒のチョコレイトに幸福を感じることができるわたしたちの時代の真実ではないかしら。誰も聞いたことのない美しい夢を刹那に見せてくれる音楽を書き続けたシュトラウスを時代遅れの作曲家と言えるでしょうか。
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by zerbinetta | 2015-06-04 11:22 | オペラ | Comments(3)