<   2015年 10月 ( 10 )   > この月の画像一覧   

わたしも体液になりたい 作曲家の個展2015 原田敬子   

2015年10月27日 @サントリーホール

原田敬子:響きあう隔たり III、第3の聴こえない耳 III
     ピアノ協奏曲、変風

廻由美子(ピアノ)
稲垣聡(プリペアド・ピアノ)、シュテファン・フッソング(アコーディオン)
加藤訓子(打楽器)、曽根朗(音響)
中川賢一/アンサンブル・モデルン、桐朋学園オーケストラ


御招待に応募してみたら当たった(!)ので聴いてきました。サントリーホールの作曲家の個展、今年は原田敬子さん。
原田さんは、初めて聴くお名前。全く予備知識が無いので、せめてどんな人か調べるためにウィキってみたら、なんかとっても凄い人で、でも作品(作風)の特徴については書いてあることがちっとも想像できない体たらく。
音楽会に先だって、音楽評論家の高橋健太郎さんを聞き手に、原田さんとピアノの廻さんを交えてプレコンサート・トーク。これがね~~~。ぐだぐだだったのぉ~~。高橋さんが全く仕事で来てなくて、お終いも原田さんに促されて終わりにするという、まず司会者としてダメ。聞き手としても上手くお話を引き出すふうでもなく。ちゃんと仕事しろよー。

さて、原田さんの創作のアイディアは『演奏家の、演奏に際する内的状態を創造する』(以下、二重カギ括弧はプログラムに書かれていた原田さんの言葉)が根底にあるそうです。『音楽を聴くと体液が変化する』というキルヒャーの言葉(1650)。聴衆側の変化が「体液」だそうですが、わたしは果たして体液になれるんでしょうか。
「響きあう隔たり III」(2000-01)では、それは「『自らの音を聴き、他を聴き、そしてその隔たりを感じ取りながら全体を聴く・・・』ことになり、「第3の聴こえない耳 III」(2003)ではさらに、『響きを連結する際に必要な音楽的エネルギーを、物理的には音が発音されない”間”の領域にまで』広げられていきます。10年を隔てた新作、今日が初演のピアノ協奏曲(2013-15)では『強烈な個の自律的な出会いとしてのオーケストラ曲』、そしてさらに「変風」(2015)で『強烈な個性の集合体が、他律的に各々の場所で存在する音楽』と変化していく。その兆しとこれからのキーワードが変風。

分かりましたか?わたしは、プログラムの説明を読んでもやっぱり分かりませんでした。ただ非常に観念的に、頭の中で論理的に組み立てられている音楽だとは分かります。ただそれを耳で聴いて体得できるか?そこが、わたし自身の問題、体液の欠けなんです。聴いたときに少しもやもやした気持ちも残りました。それはきっと、プログラムにも書いてあった彼女の音楽的主張がよく聴き取れなかったから。現代の音楽がまだ、聞き分けられないの。

でもね、頭では理解できなくても素晴らしい音楽!もっと聴きたいしもっと聴かれても良い音楽と感じました。原田さんの音楽は、楽器の音を壊すような極端な特殊奏法を使っていなくて、普通にオーケストラを聴いてきた耳にも素直に入ってくる音で構成されています。多分楽譜を見ると、そして演奏する奏者にとってはものすごく神経を使う難しさがあると思うんだけど、聞こえてくる音は涼やかで、耳を澄ましたくなるけど、緊張を強いるような音楽ではありませんでした(もっと鋭く聴かなきゃいけないのかもしれないけど)。

1曲目の「響きあう隔たり III」ー年譜によると彼女の2作目のオーケストラ作品ーが、外見的には一番複雑で、3人の独奏者(プリペアド・ピアノ、アコーディオン、打楽器)にエレクトロニクス、客席に数人のヴァイオリンを配しています。ただわたしの席からは、客席のバンダを見下ろす格好になっていたので効果はよく分かりませんでした。
外見とは反対に作品が下るにつれて、シンプルだけど、音の関わりは複雑になっていたように思えます。2曲目の「第3の聴こえない耳 III」は、もしかしたら音を伴う「4分33秒」のようなコンセプトの音楽なのかも知れませんね。ただ、実際、わたしは音を聴くしかないので(ステージを見つめているにせよ)、少し頭でっかちかもって思いました。

休憩のあとのピアノ協奏曲(初演)は、音楽としては凄く良かったけど、ブラームスの以上にピアノが目立たなくて、きっとものすごく大変なこと弾いてるのに、え?これ協奏曲?みたいになって残念(採り上げるピアニストがいないと演奏機会が減るから)。内部奏法も多いし、繊細な音をピアノに求められているんだけど、もっとガシッとピアノが前に出てくれば、ピアノとオーケストラの対比や対話、対決が生まれて良かったのにと素人のわたしは思いました。でも、原田さんの興味はそういうところではなく、もっと内面的な音が出る前のエネルギーのやりとりなのかも知れませんね。
最後の「変風」(初演)では、部分部分を細部から組み立てて全体を作る、少し即興的な(楽譜にはきっちり書き込まれているのかも知れませんけど)揺らぎのある音楽でした。
それにしても原田さんの明確な論理性とその論理を離れて音自身が自由になる自律性のせめぎ合い、というか偶然性までが説明可能なフラクタルな方向に進んで行くのかしら。わたし、この曲好きでした。

うーーむ。それにしてもトホホな感想。原田さんが引用していた、安富歩さんの言葉「3歳の女の子の鼻歌が、そのまま複雑化していった音楽」って本質を突いた素晴らしすぎる言葉だな。わたしも音楽を聴いて、一言で的確に中心を射貫く感覚と言葉を身につけたい。センシティヴな体液として。

中川さんの指揮するオーケストラは桐朋学園の学生さんのオーケストラに、アンサンブルモデルンのメンバー7人が入って核を作ります。とても献身的にプロではないけれどもしっかりと仕事をした演奏は素晴らしかったです。作曲家もこういう演奏をしてもらえると、しかも東京のクラシック音楽の中心のひとつのプレステジアスなホールで。
今日はわたしにとってもステキな出逢いでした。
[PR]

by zerbinetta | 2015-10-27 21:37 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

わたしの名演ノート P.ヤルヴィ/N響   

2015年10月24日 @NHKホール

トゥール:アディトゥス
ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番
バルトーク:管弦楽のための協奏曲

みどり(ヴァイオリン)
パーヴォ・ヤルヴィ/NHK交響楽団

ミドリさんって海外(USとかヨーロッパ)では、midoriの表記なんですけど、日本では名字が付いて五嶋みどりになるんですね。不思議〜〜。
ということで(?)、またパーヴォさん(もう兄ビーとは言えないな)とN響。+みどりさん。以前のN響をよく知っているわけではないけど、パーヴォさんが来られてN響がずいぶん変わっていく(良い方に!)感じを、周りからもわたし自身もひしひしと感じていて、外すことができない注目の音楽会(そう言う割にサントリーの方には不参加なんですが)。

始まりのトゥールさんは、パーヴォさんと同郷のエストニアの作曲家。プログレッシヴ・ロックから音楽活動を始めたそう。ううむ。カラフルで聴きやすい音楽だと思ったけど、1回聴いただけでは、何も残らなかった、かな。リンドベルイさんとかサロネンさんとか、北欧系の作曲家に流行りなのかしら、こういう感じの音楽。その中で、際立つというか頭が抜けるのは大変みたいかも。よく分かってないのに言うのも何ですけど。。。

みどりさんをソリストに迎えたショスティのヴァイオリン協奏曲、予想通りのピンと張り詰めたエッジの効いた演奏でした。わたし、実は、みどりさんが苦手なんですね。ものすごくいいのに、良すぎて、苦しいんです。集中しすぎて息ができなくて窒息してしまう感じ。神経が研ぎ澄まされすぎて鋭利な刃で、いい加減なわたしが切り刻まれてしまう。ショスティの協奏曲だと、中間のパッサカリアはそれが凄くいいんだけど、第1楽章の愚痴には真面目すぎるし、最後はもっとはっちゃけて音量とグラマラスさが欲しかったです。みどりさんは鬼神のようにのめり込んで弾いてたけど、少し潤いがあればって思いました。彼女の特徴のホールを鳴らす弱音(最弱音なのにホールから響いてくる!それもNHKホール!)は健在で、もうこれには参りましたと言う以外に言葉がない。苦手だけれどもやっぱり凄いヴァイオリニストだわ。パーヴォさんとN響は、みどりさんに添って音楽を付けて、みどりさんにのせられた感じもしてとても良かったです。活躍するティンパニも素晴らしかったです。この曲は、カヴァコスさんとかサラ・チャンさんとかいろんな人で聴いてきたけど、みどりさんのもわたしの名演ノートにしっかり記録されたのでした。

バルトークの管弦楽のための協奏曲も輪をかけて素晴らしかったです。各楽器がソロも合奏も含めてしっかりとコントロールされつつ、自発性を伴った音楽で、今のN響の好調ぶりを遺憾なくアピール。インターナショナルで(N響は日本ドメスティックなオーケストラなのに)、バルトーク訛り(ついでに日本訛りも)は聴かれないけど、バルトークの書いたスコアをパーヴォさんのレシピで丁寧に音にしたら、自然に作曲家の心情までもが音楽に立ち現れた名演。後ろに回ったときの弦楽器の絶妙なニュアンス。聴いたことのないそして記憶に刻まれるオケコンでした。この曲のひとつの理想的な演奏ではなかったかしら。哀しみでもない、スポーティなヴィルトゥオーゾでもない、ものすごくスッキリとした感動。あらゆるものが悲しみさえも昇華され純化されて心臓を包みました。





[PR]

by zerbinetta | 2015-10-24 20:54 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

絶望、諦観、自棄 ラザレフ/日フィル ショスティ9   

2015年10月23日 @サントリーホール

ストラヴィンスキー:バレエ音楽「妖精の口づけ」
チャイコフスキー/タネーエフ:二重唱「ロメオとジュリエット」
ショスタコーヴィチ:交響曲第9番

黒澤麻美(ソプラノ)、大槻孝志(テノール)、原彩子(ソプラノ)
アレクサンドル・ラザレフ/日本フィルハーモニー交響楽団


今シーズンから、定期会員になってみた日フィル。主席指揮者のラザレフさんがショスティの交響曲のサイクルをやっていることは風の噂に聞いていて、うううーくやしいって思いをしていたんだけど、今日やっとその4回目から参加。ショスティの交響曲としては軽い、虚を突いた第9番。ベートーヴェン以降、呪いがかかったというか特別の番号感のある9番。しかも終戦後最初の交響曲。当時のソビエト共産党の期待を見事に外したショスティの皮肉なセンス、なんて勝手なこと言ってるけど、実際のところショスティの心境はどうだったのでしょう?この曲でまた致命的な批判を浴びてしまうのだし。でも、軽妙な交響曲だと思っていた時代も今日で終わり。とんでもない演奏が聴けたのでした。

初ラザレフさんとの出逢いはあまり良くなかったかな。せかせかしてあまり落ちつきない感じで(指揮も音楽も)。ストラヴィンスキーの「妖精の口づけ」は、カラフルなはずのストラヴィンスキーのオーケストレイションが、モノトーンに聞こえて、タイトルからすると甘いロマンティックなバレエのように思えるんだけど(物語を知らないので間違ってたらごめんなさい)、オーケストラの音色の特徴もあってちょっと殺伐とした感じがありました。

「ロメオとジュリエット」はチャイコフスキーが未完で残した2重唱曲をタネーエフが完成させたもの。有名な幻想序曲の叙情的な部分に歌を付けた感じの曲だけれども、わたし、こんな曲があったなんて初めて知りました。2重唱なのに歌手は3人。ソプラノの黒澤さんがジュリエット、テナーの大槻さんがロメオ、もうひとりのソプラノの原さんがロザラインで見事な三角関係、なハズ無く、原さんはほんのちょい役、逢い引きするふたりに朝を告げる乳母役で、出番も一瞬。トリスタンとイゾルデみたいな逢い引きシーン、プロコフィエフのバレエだったら3幕のベッドルームのシーンかな。
ほの暗いロマンティックな音楽は夜の香りがして、オペラのワンシーンのよう。実際チャイコフスキーはオペラを目論んでいたこともあるのですね。歌のおふたりの親密さとか、もう少し肉感的なエロスの香りがあっても良かったとは思いましたが(意外とさっぱりしてた)、珍しい曲を聴けて良かった♡思いがけず知らない曲に出逢うのも定期演奏会の醍醐味ですしね。

そして、ショスティ9。これが。。。
軽妙?洒脱?小さな音楽?とんでもない。ラザレフさんの音楽は、重く、嘲笑と諦めに満ちている大交響曲。胃に鉛を飲みこんだようなずっしりと淀んだ悲しみ。そして自棄。そう言えば、青春の快活な交響曲第1番を第15番の次の曲のように壮大に演奏したスクロヴァチェフスキさんのことを思い出しちゃいました。
第1楽章からある種の恐怖。はしゃぎ方に目が据わってるというか、昔チェコの小さな町で、大勢の(多分)学生が昼間っから酔っぱらって歌って行進してるのを聞いて覚えた恐怖。言葉の通じない異国の町で独りで。そんな孤独な不安がはしゃいでる音楽の向こうから聞こえてきます。尋常な音楽ではない、今日の演奏。ラザレフさんはこの音楽をどういう思いで指揮してるんだろう?ショスティの音楽って一見とは違って、皮肉や暗喩、作曲家のねじ曲げられた思いが絡まった音楽だから、一筋縄ではいかないけど、この曲を淵の底で演奏するなんて。皮肉も暗喩も真実(マジ)になって攻めてくる。深く暗くどろどろした音楽。諧謔は何処?
木管楽器のソロが、3楽章のおどけたクラリネットでさえ、孤独。そして、それは、第4楽章でついに極限へ。怪獣が現れるようなトロンボーンとシンバルの合図で立ち現れるファゴットのソロ。ついにラザレフさんが壊れてしまう。絶望。諦観。自棄。そうとしか思えない表情。指揮棒がリズムを刻まない。背筋が凍る。
そのまま引き摺るようにファゴットが粘るように駆けだして音楽が喧噪しても気持ちは重いまま。もうこうなったら、やけのやんぱち。やけっぱちのどんちゃん騒ぎ。肯定でも否定でもない。救いのない、、、いいえ、刹那で永遠の救いを音楽の喧噪に。。。それは幻影。それともリアル?
すぐには拍手は出来なかった。これが本当の第九?多分、異形のものすごく異端な音楽。でもこれもひとつの真実。だからこそ音楽って怖ろしい。こんな音楽を作り上げてしまうラザレフさん。それに応えた日フィル。我に返って熱い拍手を。

それにしてもラザレフさん。カーテンコールのときステージ上を縦横無尽に(どなたかロボット掃除機のルンバのようにっておっしゃってらしたけど言い得て妙!)歩き回って演奏者を湛えていました。ステージドアの向こうの行き止まりで戻ってきたのもルンバっぽい。そして、演奏する側としてではなく聴く側としても音楽(ご自分の演奏)を楽しんでいる様子が拍手にも表れていて、ステキでした。

日フィルって今、都下で一番面白い演奏をしそうなオーケストラだな。多分オーケストラの技量が指揮者の要求に応えることでいっぱいいっぱいで素直に指揮者の音楽を表現するからだよね。それに個々の奏者の積極性がステキ。
[PR]

by zerbinetta | 2015-10-23 21:11 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

弥七、走らず 西谷/ブロッサムフィル   

2015年10月18日 @ティアラこうとう

ベートーヴェン:交響曲第5番
チャイコフスキー:交響曲第5番

西谷亮/ブロッサムフィルハーモニックオーケストラ


また、知らないオーケストラ。ブロッサムフィル。オーケストラ連盟には入ってないけどプロのオーケストラです。東京にはいろんなオーケストラがありますね。指揮者の西谷さんの下に集まった、主にフリーの音楽家によるオーケストラ。地域(江東区)に根ざした活動をしていて、トップ・レヴェルのオーケストラではなく、いろんな人に聴いてもらおうということを前面に出している団体です。西谷さん、どこかで聴いたことのあるお名前だと思っていましたが、東京ハートフェルトフィルハーモニック(アマチュア)の創設者だったのですね。彼の指揮では聴きませんでしたが、オーケストラ・プロフィールに載っていたのを覚えていました。それで納得。THPOも「音楽音楽による地域社会活性化、低年齢層への音楽文化定着、音楽に触れる機会を持つことが困難な方々への積極的アクセス等を団の活動方針」にすることを謳ってますから、同様のことをプロのオーケストラでやるべく2008年に作られたのですね。あなたの隣のオーケストラ。

敷居低くいろんな人に聴いてもらう活動をしている(今日の音楽会も家族連れが多かったように思います)からと言って、レヴェルを下げた演奏ではないし、分かりやすさを前面に出しているわけではありません。本物を聴いてもらうことで音楽ファンを広げるという当たり前の方針です。今日だってベートーヴェンとチャイコフスキーの交響曲(どちらも第5番。テーマは「運命」)の重厚なプログラム。でも、始まる前にロビー・コンサートがあったり(それを聴いていた西谷さんの笑顔、ステキでした)、指揮者による解説があったり、俳句の募集があったり、プログラムの解説も通り一辺倒のものではなくて、クラシック音楽に興味はあるんだけどまだあまり慣れ親しんでいない人にも分かりやすく書かれていたり、随所に工夫が。良いですよね。

ベートーヴェンは、多分、わざとではなくて計らずして指揮者の西谷さんの性格が出たんだと思うんだけど、喉ごしの良い、分かりやすい演奏。ベートーヴェンのこの交響曲が書かれたのはちょうど、東海道中膝栗毛が書かれていた頃。当時大人気を博したこの本も今のわたしたちには読むのが難しいように、昔の言葉で書かれたベートーヴェンの音楽は、分かった気になっていても本当は作曲家の書いた奥の奥まで分かって聴いているのかどうかは、疑わしい。と、わたしは感じることがあるんだけれども、西谷さんの演奏は、現代語訳のベートーヴェンと言ったらいいのかしら、するりと入ってくる感じ。それが本当に良いのか悪いのかは問題ではなくて、みんなが楽しめる音楽を演奏してくれる意義は大きいんだと思います。

後半のチャイコフスキーは、時代が下って明治の「舞姫」の頃(交響曲が2年先行)なので、(今の倫理観からみる主人公がクズ男だということは置いといて)言葉も近いし感覚的に分かりやすいんですね。そういう肩肘が張らない分、演奏する方も聴く方も余裕が出来て、とても良い演奏になっていたと思います。音楽の流れに自然で、恣意的なところはほとんど無くて、西谷さんの音楽に合ってるんだろうなって思いました。ところでわたし的には、チャイコフスキーの交響曲第5番というと第4楽章の風車の弥七のテーマなんだけど、今日の演奏は、あまり弥七感がなかったな。って、はい、どうでも良いことですね。

アンコールは、弦楽合奏版のアンダンテ・カンタービレ。交響曲で熱くなった気持ちを柔らかく冷まして、午後のお茶会みたいなアットホームな雰囲気の音楽会は終わったのでした。近所にこういうのあるとステキよね〜。シティ・フィルのレジデンシーもあるし、シティ・バレエやお昼のワンコイン・コンサートとかティアラこうとうってがんばってるな。
[PR]

by zerbinetta | 2015-10-18 23:38 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

やっと聴けた 三ツ橋敬子/シティフィル   

2015年10月17日 @ティアラこうとう

プッチーニ:弦楽四重奏曲「菊」(弦楽合奏版)
ヴェルディ/ヘルマン:弦楽四重奏曲(弦楽合奏版)
プッチーニ:グローリア・ミサ

与儀巧(テノール)、与那城敬(バリトン)
三ツ橋敬子/東京シティ・フィル・コーア、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団


c0055376_959303.jpg

もう9年くらい前かな。わたしがフランスにいたとき、近所のブザンソンで音楽祭をやっていたので観に行った、指揮者コンクール。小澤征爾さんで有名な(でもその後も何人か日本人の優勝者が出ています。この次の回ではヤマカズさんも!)ブザンソンの指揮者コンクール。受付でもうチケットはありません、入れませんと無下にことわられつつも、会場係の人(掃除の人?)にこっちこっちと言われてただで入れてもらった(フランス・クオリティ)のが、セミファイナル。その中に今日の三ツ橋さんが残っていたのです。コンクールってリハーサルを静かに聴いて点数を付けると思いきや、審査員の人たちが、あーしろこうしろと指揮者をいじるいじる。恐〜い。残念ながら、三ツ橋さんはファイナルの3人には残れなかったんだけど、いつか聴いてみたいと思っていました。しばらくイタリアで活動していて最近は日本のオーケストラも振っているのかな。何回かチャンスを逃して今日やっと聴けました。

三ツ橋さんのプログラムは、挑戦的。オペラ作曲家のほぼ知られていない、オーケストラ作品(とは言え2曲は弦楽四重奏曲を弦楽合奏に編曲したもの)。グローリアは、有名なプーランクのだと勘違いしていて、演奏が始まったら全然知らないプッチーニのだったのでびっくり。そんなびっくりプログラムだったけど、会場はいつものようにわりと埋まっていました。シティフィルのティアラこうとう、定期会員が多いのかな。良いですね。

稀代のイタリア・オペラ作家、ヴェルディとプッチーニの弦楽四重奏の元曲はなぜかCDを持っているので知っていました。歌の人らしく、地味だけど(楽曲の編成がそうだからかな)、メロディアスでオペラの間奏曲を聴いている感じ。弦楽四重奏だと線が細くてシャープな感じになるところが、厚みを持った弦楽合奏なのでファジーなところが出てきてよりロマンティックに聞こえます。シティ・フィルの温かみを持った演奏もステキですね。三ツ橋さんも流れに逆らわずさらさらと歌わせるような指揮で、オーケストラを大きくリードしていきます。そんな感じがイタリアン?

プッチーニの「グローリア」は、わたしが勘違いしちゃってたプーランクのとは違って(当たり前!)、オペラの人の本領発揮。恋歌かと思うほど、甘いメロディ満載。まだ、オペラ作家になる前の若い時分の作曲だけど、後の彼の成功を予感させる力作。プーランクの名曲があるとはいえ、全然演奏されないのはもったいないなぁ。クラヲタさん的には隠れた名曲になるんだけど、その中でも小さなニッチェですしねぇ。(隠れた名曲ファンって北欧とかロシアものマニアさんが多いイメジだよね)。でも、聴けて良かった。
シティ・フィル・コーアさんの合唱がなかなか良くて、歌う音楽の本領発揮。反面、男声のソロの役割はあまり大きくないのだけど、ふたりの歌手には、アリアを歌うようにもう少しかっこつけて歌って欲しかったかな。宗教曲の抑制が気持ちの中にあったのかもしれないけど、むしろ素直な歌の音楽だもん。教会の中で恋しちゃうとかもオペラの世界じゃ日常茶飯事だものね。
三ツ橋さんは、大きな身振りでオーケストラをリードしていたけれども、まだ、彼女の棒を完全にオーケストラに伝え切れていないというもどかしさも感じました。もう少し強引にオーケストラを引っ張っていければもっと彼女の音楽を前面に出せるのにと思います。指揮者としてはまだ若造。どこか、小さなオーケストラででも責任指揮者になってオーケストラと一緒に成長していって欲しいな。でも、日本でそういうことは出来ないのよね。イタリアでも他のヨーロッパの国でも、小さな地方のオーケストラからこつこつと始められれば最高なのに。と、いつものように日本人の指揮者のキャリア・パスについて嘆くのでした。次に聴くときは、きっとひとまわりもふたまわりも大きく深くなった音楽を聴かせて下さいね。日本で泥に埋まってしまいませんように。
[PR]

by zerbinetta | 2015-10-17 09:58 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

サントリーホール宇宙船になる 下野/読響「ハーモニレーレ   

2015年10月13日 @サントリーホール

ベートーヴェン:「コリオラン」序曲
ヒンデミット:「白鳥を焼く男」
アダムズ:「ハーモニレーレ」

鈴木康浩(ヴィオラ)
下野竜也/読売日本交響楽団

なんかちょっとぼんやりしててね〜。開演直前にホールにふらふらと向かっていたら、当日学生券の方に誘導されてしまった。大人なのに。く や し い

気を取り直して。いつかプロのオーケストラで聴いてみたいと思っていた、下野さん。読響さんで実現です。
まずは、「コリオラン」。厚い弦楽器の音は読響さんらしい充実。ただ、弱音で柔らかな旋律を弾くところで、音量と共に力も抜けてしまったのが残念でした。緊張感を抜いて音をふわりとさせて慰めを意図した演奏だと思うのだけど、力の抜けてしまった音は、膝かっくんされたときみたいに地面に落ちちゃったのよね。弱音でも強い音が出せるようになればもっともっと表現の幅も広がるしいいんだけどなぁ。

初めて聴く、「白鳥を焼く男」は、ヒンデミット特有の無機質感があるかと思えばそうではなく、民謡から採った題材で作曲されてて、とても聴きやすい曲でした。「白鳥を焼く男」から「パルジファル」を連想したんだけど、ちっともそうではなくて、タイトルの元になった最終楽章は、楽しげな俗謡。「子供の魔法の角笛」のようなシニカルな童謡の世界観なのかな。ヴィオラは、読響ソロヴィオラの鈴木さん。ソロとオーケストラとの掛け合いも気が置けない感じでとても楽しい。ステキな曲だし、ステキな演奏でした。良い曲に良い演奏で出逢う、幸せなときですね。

最後は「白鳥」つながり(?)(作品についてアダムズさんは「パルジファル」に言及しています)で「ハーモニレーレ(和声学)」。この曲が日本で演奏されるのは30年ぶり、まだ2回目だそうですけど、でも、アダムズさんは、存命の作曲家なのに、人気があって音楽会でもよく演奏される現代作曲家ですね。大オーケストラを使ったミニマリズムの作曲家と紹介されることもあるけど、確か本人もおっしゃっているとおり、わたし的にもミニマリズムには分類したくない作風だと思います。
「ハーモニレーレ」は、あれ?アダムズさんってこんな感じだっけ?と感じるところもあって、わたしの知ってるアダムズさんとは少し違うと思ったら、初期の頃の作品なんですね。わたしが聴いてきたアダムズさんは、新しめのものが多かったみたい。でも、大オーケストラで奏でられる色彩的で音がレーザー光線みたいに放射される音楽は、巨大宇宙船がカラフルな光を放ちながら宇宙を巡航するようなSFチックな感じ。リズムのずれと重なりに、オーケストラの音色の重なりや配合のずれが加わって、巨大な銀河の渦を現せる様はアダムズさんの面目躍如。読響さんもこういう曲得意よね(とは言え、中の人は数えるのに必死だったかも)という感じで、読響さんのカラフルな音色にピッタリ。サントリーホールがついに地上を離れ、東京の、地球の夜景を外に見ながら宇宙空間に旅立って行く。わたしたちは音の光りを浴びながら宇宙を遊泳して気持ちがいい。途中で、マーラーの交響曲第10番の象徴的なトランペットの叫びが聞こえたとき、びっくりしたけど、あとで読んだプログラムによるとマーラーの書かれなかった交響曲へのオマージュでもあるのですね(アルフォンタスの方はよく分かりませんでした)。

下野さんは、どの曲も的確な指揮でやっぱりステキでした。これからどんどん活躍していくんでしょうね。って、最初にプロのオーケストラでいつか聴いてみたいって思っていた下野さん、と書いて、最後に今思い出しました。この間都響さんと聴いたのでした。うーうーうー、わたしの記憶力の悪さに。。。あああ、情けない。でも下野さんは良い指揮者ですよん。




[PR]

by zerbinetta | 2015-10-13 14:29 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

声と歌の呪術と愉悦 太田真紀 シェルシ「山羊座の歌」   

2015年10月12日 @スーパー・デラックス 六本木

シェルシ:「山羊座の歌」

太田真紀(ソプラノ)
溝入敬三(コントラバス)、大石将紀(サックス)
稲野珠緒、神田佳子(打楽器)、有馬純寿(エレクトロニクス)

いつか聴いてみたいと思っていた、現代音楽歌いの太田真紀さん。いつか聴いてみたいと思っていたシェルシ。その彼の歌曲の代表作、「山羊座の歌」をシェルシの研究もしている新しい世代のスペシャリストで聴けるなんて。何てステキな機会でしょう。もうワクワクして、チケットも発売日に朝一番で買いました!(チケット争奪戦があったわけでもないのに。しかも自由席だし)

でも実は、わたしは根っからの現代音楽聴きではない。シェルシについてもウィキペディアで読んだような知識しかなく(去年日本でも賑わった、ゴーストライター音楽家の本家というか大家)、会場で解説を書いたプログラムなりパンフレットも配られなかったので(これが今日唯一の不満。せめて、大ざっぱに(というか多分歌詞にあまり意味がないので、本当に大ざっぱに)何を歌っているのかヒントになるような解説があればもう少し音楽に近づけたかな。反対に無垢な状態で音楽に出逢えたのは良かったんですけど、あとで音楽のことを知ったり考えたりするのに、何か手がかりが欲しかったのも事実。太田さんのエッセイみたいなものがあったら最高だったんですけど、それは勝手に望みすぎかな。音楽家は音楽が勝負だし、この音楽会のインプレッション(ごめんなさい。どうしてもピッタリの日本語の単語が思い浮かばなかったので。敢えて言えば刻み込まれた感動かな)は、決して揺るぎないものなんですが。

会場は、100人くらいが入るライヴ・ハウス。久しぶりのライヴ・ハウス(むかーーしヘンなバンドとか変なバンドとか聴きに行ったの)。狭い階段を地下に降りていって暗い空間に入るのもクラシックの音楽会にはない雰囲気でステキ。熱心なファン(なのかな?)で満杯。嫌が上でも気持ちが盛り上がります。

「山羊座の歌」は、全曲(と言っても未完)20曲で1時間ほど。そのほとんどがソプラノの無伴奏の独唱で、何曲かに歌手自身が叩く楽器やリコーダー、コントラバス、サックス(2枚舌のリードを付けて吹いてませんでした?)、ふたりの打楽器、ライヴ・エレクトロニクスがそれぞれ入ります。とてもシンプルに削り取られた音楽。
ただ、わたし、現代音楽が分かる人ではないし、現代音楽クラスタに入る聴き手(現代音楽関係の音楽会に行くといつも同じような顔を目にしますよね)でもないし、それに、実は歌が苦手。音楽界、最後まで楽しめるか期待する反面凄く心配もしてたんだけど、ぜんぜーん、もう素晴らしくて音楽の世界に浸ってしまいました。

始まりは客席袖から、胸に鉦みたいのを下げた歌い手が歌いながら(発声しながら)静かにステージに歩いてきます。何か儀式的な雰囲気もあり、ああそうか、巫女さん。アマゾンのジャングルで訪ねたシャーマンを思い出しちゃった。この音楽ってシャーマンな感じなのかな。3つの曲が組になって構成されていくのかな、なんて一所懸命耳を澄ましながら聴いていたんですけど、予想は崩れて、複雑な展開に。だんだん巫女濃度が下がっていって、かわいらしい音楽もあったり。シェルシの音楽ってステキ。原初の音というか、羊水で鳴っている音が感じられたのもステキ(リゲティの「ロンターノ」にも同じように感じるものがあるのだけど、リゲティの方は民族の根的な集合体なんだけど、シェルシは個人の記憶的)。世界が自在に広がってくる。霊が宿る世界なのかな。歌詞にあまり意味はない(でも多分ときどき聴き取れる単語に点描的に意味が描写されるんだろうな)とは思うのだけど、フランス語のグテ(goût(er))みたいに聞こえる言葉があってなんか大事な意味なのかなと思ったり。でも、よく分からないので雰囲気だけでも楽しんで、でも、それもステキなんですね。シェルシの声の扱いは、もちろんベルカントとか古典的な声ではないのだけど、とても素晴らしい。現代の音楽は、なぞれる旋律を拒否したところにあって歌とは相容れないのだけど、でも、シェルシはこの問題をすっと飛び越えて、声を楽器としてではなく声、歌としてちゃんと扱ってるのがいいのね。

演奏については初めて聴く曲なので、感想でしかないのだけど、太田さん、これはきっと、歌ってて楽しいというか気持ちがいいだろうなって思いました(いろんなテクニックを駆使する曲なのでものすごく難しそうだけど)。だって、歌と共に世界が広がって行くんだもの。そしてその中心に歌が君臨してるの。それと多分きっと、太田さんの「山羊座の歌」は、重々しくないんだと思う。なにかすっと抜けた感じで、魂が純化されたというか、カラフルで透明。おどろおどろしさがなくて、奇異でなく、ものすごく自然に音楽が体に入ってくるの。決して聴きやすい音楽ではないのだけど、親しい感じで。

自分でもびっくりするくらい心に響いた音楽会でした。新しい世界が目の前に広がった、そんな感じがします。広大な音楽の世界。それと、恐山にイタコ見に行きたくなりましたw





[PR]

by zerbinetta | 2015-10-12 22:40 | 室内楽・リサイタル | Comments(0)

もう孤独ではない 新交響楽団@第23回柳原音楽祭   

2015年10月11日 @千寿桜堤中学校体育館

ニコライ:歌劇「ウィンザーの女房たち」序曲
ベートーヴェン:交響曲第1番
シュミット:交響曲第4番

寺岡清高/新交響楽団

えっ?こんなのがあったの?という大変ローカルな音楽祭。東京でもない、足立区でもない、柳原ですよ。柳原商店街。商店街の人がみんなでクラシック音楽を聴こうと企画した下町感。祭といっても規模の大きなものではなく、オーケストラのコンサートが1回。中学校の体育館でパイプ椅子を並べて。音大の学生さんやアマチュアのオーケストラを呼んで。会場のボランティアに学校の吹奏楽部の人が手伝って。地元の皆さんと。これがもう20年以上続いてる。これは手放しに素晴らしい。

今年は、新交響楽団。次の日、定期演奏会もあって(わたしは都合でそれを聞けないのでこちらに来たの)、定期演奏会と同じ曲目。プロのオーケストラでも滅多に聴けない(わたしは去年初めて都響さんの演奏で聴けました)、シュミットの最後の交響曲がメイン・プログラム。商店街の音楽祭としてはぶっ飛びすぎたプログラムじゃないですか。もう少し名曲系、「新世界から」とか「運命」とかみんなの知ってる音楽の方が。。。いいえ。この音楽祭、侮るなかれ意外にマジなんです。呼ばれるアマチュア・オーケストラもレヴェルの高そうなところばかりだし、指揮者だって高関さん(8回も来てる。確か地元の方?)とか下野さん、ヤマカズさんは東京藝大ヤマカズ管弦楽団と参加したり。曲も、「新世界から」(これが一番多いのかな)とか「運命」とか「悲愴」とかもあるけど、「春の祭典」とかシベリウスやマーラーの交響曲とか名曲コンサートでは、なかなか聴けない曲もやられてる。近所のおじいさんおばあさんたち大丈夫かしら、なんてこちらが心配するくらい。

クラシック音楽を聴き慣れていない人が相手なので、楽器紹介があったり指揮者のお話があったり。それにしても楽器紹介でのホルン、定番の「ティル」かなと思ったらその通りというか、ホルンのソロのところじゃなくて、最初の弦楽器のパートを吹いたのは、クラヲタさんならニヤリとするマニアックなジョーク。

今日の音楽会で、一番、ううんと唸らせられたのは、最初の「ウィンザーの女房たち」。プロフィールによると寺岡さんはウィーン在住だそうで、今日のプログラムはウィーンの作曲家(ベートーヴェンは違うけどウィーンには長く住んでた)の曲たち。中でも「ウィンザー」は、ウィーンのお話ではないけれどもウィーン風の音楽。で、これが良かったのは、とても心地良い訛りがあったから。わたしには、それがウィーン訛りなのか、寺岡さんの訛りなのかは、分からないけど、でも、きっとウィーン人はこうするんだろうなぁっては想像しました。それだけ音楽にはまってたから。訛りというのはフレーズの歌わせ方とか伴奏の弾かせ方のことなんだけど、そういう表現を自分のものとして持ってる寺岡さんはいい!って思ったし、それを表現できちゃう新交響楽団ってやっぱ凄いなって思いました。

ベートーヴェンの交響曲は、「ウィンザー」ほどではないけれどもやっぱり訛りがところどころに聴かれて、とても楽しい。寺岡さんは初めて聴く指揮者だけど、どこで活躍しているのかしら?もっと聴いてみたいぞ。

シュミットの前に、寺岡さんから曲の説明があったんだけど、最初、トランペットがたったひとりのソロで音楽を奏で始めて、死地に旅立つ、だったかな、それとも彼岸の世界からお迎えに来るのだったかしら、現世と彼岸の曖昧な境の孤独な世界をイメジする。そして最後にもう一度そのトランペットが還ってくるのだけどそのときは、他の楽器も伴って、孤独ではなく(向こうの世界から)家族が迎えにきた感じ、とおっしゃって(わたしは、ふっと、ギエムさん(マッツ・エク)の「バイ」の最後を思い出しました)、それがとてもストンと理解できたんです。そして、最近、日本のオーケストラを外国の評論家に聴いてもらって日本のオーケストラの問題について話し合ったパネル・ディスカッションで、都響さんのシュミットのこの交響曲の演奏を聴いたある評論家が、オーケストラの問題として、最後オーケストラがソロのトランペットに寄り添えなくて、トランペットを孤独に突き放してしまっていたのが(オーケストラとして)残念と指摘していたのを思い出して、ああ!このことかと思い当たったのでした。とても大事な音楽の帰結だったのに、ですね。
今日の寺岡さんと新交響楽団の演奏は、うねうねとモノトーンで仄暗いこの曲の素晴らしい演奏でした。難しい(わりに演奏効果が上がらないらしい)オーケストラ泣かせの曲だそうだけど、アマチュアでもここまでできるんだというひとつの究極みたいな。それにしてもチェロのソロ、激うまでした。シュミットって、マーラーの指揮してたウィーンの宮廷歌劇場でチェロ弾いてたんですよね(マーラーとは仲が悪かったみたいですが)。このミルクキャラメルのような魅力的なソロは、チェロ弾きだったシュミット自身のラメントだったのかも知れませんね。

最後アンコールに、会場の手拍子と共に「ラデツキー行進曲」。こうしてステキな音楽祭は、楽しく締められたのでした。この商店街の音楽祭が、これからも長きにわたって続きますように。





[PR]

by zerbinetta | 2015-10-11 14:26 | アマチュア | Comments(0)

途中で全員入れ替わった アジア・オーケストラ・ウィーク 児玉/大阪交響楽団   

2015年10月7日 @オペラシティ タケミツメモリアルホール

リスト:交響詩「オルフェオ」
ワーグナー:序曲「ファウスト」
ブルックナー:交響曲第9番

児玉宏/大阪交響楽団


アジア・オーケストラ・ウィーク。アジアの普段滅多に聴けないオーケストラが聴けるとあって楽しみにしていたくせにすっかり忘れてしまって、直前にチケット・プレゼントがあって応募したら当たったので聴きに来ました。今年は、大阪交響楽団(ごめんなさい、中国と韓国のオーケストラ。児玉さんをぜひ聴いてみたかったの)。久しぶりのタケミツメモリアル。

大阪のオーケストラ事情を全く知らないので(東京もようよう飲み込めてきたくらいです)、大阪交響楽団がどんなオーケストラか知らないのですけど、堺のオーケストラのようですね。堺というと秀吉の前の戦国時代日本の経済・文化の最先端都市ですね。大好きなくるみ餅がある町。

プログラムは、リスト、ワーグナー、ブルックナーと後期ロマン派爛熟の音楽。ただ、前半の2つは、あまり演奏されない作品。リストの「オルフェオ」は、ハープが指揮台の前。ハープ活躍の曲ではあるんだけど、せっかくハープを目立つところに持ってきたのに、もっとオーケストラを圧倒するくらいに(バランスを崩してでも)弾かせて欲しかったかな。その方が、演奏効果上がると思うんですね。リストの過剰。
ワーグナーの初期の作品(歌劇のじゃなくて演奏会用序曲)もなんかちょっと魅力がないというか、前半の2曲が、あまり演奏されないというのは言わずもがななのかと妙に納得する反面、期待してた(絶賛される方が多かったので)児玉さんってこんなものなのかという疑問も生じて。オーケストラも正直ぱっとしなくて大丈夫なのかと。曲のせいかとも思ったけど、曲の弱点を超えて素晴らしい演奏をする音楽家さんだっているし、大阪交響楽団の活動のひとつのキモってあまり演奏されない音楽も積極的に採り上げるってことらしいから、こういう曲の演奏になれていないわけではなさそうだし。もやもやしながら前半が終わりました。でも、ここでちゃぶ台がえして帰らなくて良かった。

後半のブルックナーは多分、児玉さんの勝負曲。ブルックナーの交響曲を採り上げてきて、とうとう、最後の第9番でその集大成を迎えるという。前半の演奏から凄く心配したんだけど、えええっ、人が変わったの?指揮者をはじめオーケストラの全員が入れ替わってしまったような音。姿形は同じだから魂が入れ替わった?いえ、前半は魂が抜けてた腑抜け?
もうこれが素晴らしかった。悠々としていて何かを仕掛けてくるわけではないんだけど、ブルックナーの音楽だけが聞こえてくるの。演奏効果を敢えて狙ったところがないのにじっくりと聴き入ってしまう集中力が凄い。表情の付け方で、はっと思ったのは、第1楽章の終わりの方の弦楽合奏で静かに奏でられる3連符。なんか、静寂の世界に魂がすうっと引き込まれてしまう感じ。他の部分でも3連符の扱いになんかこだわりがあるなって思いました。これなら、みんなが絶賛するのに納得。もちろんわたしも絶賛。最後の間際のホルンの音(とちってしまった最後の弱音の伸ばしではなくて、その前のフォルテのニュアンス)にちょっと隙があったのが玉に瑕。ミスではないだけに残念。これがなければ超名演だったんだけどな。でも凄いもの聴いた。わたしのブルックナー超名演リストに入れるかどうか悩むぅ。
[PR]

by zerbinetta | 2015-10-07 13:21 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

いよいよパーヴォ時代へ ヤルヴィ/N響 「復活」   

2015年10月4日 @NHKホール

マーラー:交響曲第2番「復活」

エリン;ウォール(ソプラノ)、リリ・パーシキヴィ(アルト)
東京音楽大学(合唱)
パーヴォ・ヤルヴィ/NHK交響楽団


兄ビーことパーヴォ・ヤルヴィさんのN響主席指揮者の就任記念公演。マーラーの「復活」の2日目に行ってきました。定期演奏会とは言え、就任記念の特別な音楽会、初日の方が特別感が大きいのかも知れないけど、昨日のアリーナは外せなかったし、2日目の方がアンサンブルもこなれてきていいかなとも思ったり。同じ音楽会が2回とか3回ある場合、何日目に行くのが一般的にいいんでしょうか?

ビューローは「葬礼」(後の交響曲の第1楽章)を聴いて「これが音楽だとしたら、私は音楽が全くわからない」なんて言ったそうだけど、今日わたしは、第5楽章を聴いてこれが音楽かって思った。パーヴォさんの演奏はマーラーの音楽の(構成上の)弱点をそのままにして音楽の外にある強い精神で突き進んだ感じ。音楽の枠に収まらない表現意欲が音楽の世界からはみ出していて。楽譜に書かれてものから音だけを抽出して純粋に表現して素晴らしい音楽に還元する演奏もあるでしょう。が、パーヴォさんは、決して極端なことをしているわけではないのだけど(音のはみ出た面白さだったら去年のシーズンの第1番の方が上でした)、精神世界の(文学的な)表現意欲は、今回が上。それが良いか悪いかは別だし、マーラー自身の音楽がそれについて行ってないがゆえに、音楽が破れかけているということもあったのだと思うんですけど。と、矛盾するんですけど、パーヴォさんの演奏は、決して恣意的な解釈を施した演奏ではなくて、マーラーの楽譜を丁寧に音にしたもの。その結果、マーラーが楽譜に書き記すときにあった心の裡までそのまま音楽にしてしまったということ。特に最終楽章での中二病的な表層は、マーラーの責任。
パーヴォさんは、少し距離を置いて音楽を冷静に美しく鳴らしてる。そのバランス感覚が絶妙。今日の演奏は、一見中庸でありながら(特に美しく演奏された中間楽章は)全然中庸ではない。ものすごく丁寧に作り込まれた音楽。ただそれ故に、もっと熱い音楽をと思う人もいたでしょう。人数をかけた合唱が少し弱かったのがちょっと残念で、最後はわたし自身も、もう少し熱くなりたかった。音楽を超えた力に圧倒されたかった。でも、類い稀な演奏であることもまた事実。パーヴォさんって、音楽の作り方の理にかなった面白さだけではなく、オーケストラの力を引き出すの上手い。響きが濁らずにとてもきれいだし、N響がずいぶん上手くなってると感じるもの。こんなに金管楽器が上手かったっけとびっくりした。パーヴォさんの時代にN響がますます磨きをかけられて良く変わることが期待できそう。わたし的には、主席指揮者じゃなくて音楽監督になって欲しかったけど(N響の事情かパーヴォさん側の事情がそうさせたのかも知れませんが)、パーヴォさんには後々まで語り継がれるN響の一時代を築いて欲しい。蜜月が長く続きますように。


それにしてもパーヴォさんとN響の「復活」。世界的に見ても一流レヴェルの素晴らしい演奏をしたのに、わたしは自慢したいのに、外の国の人は誰も知らない。N響を世界のトップ・レヴェルのオーケストラにしたいのなら、もっとたくさんの人、外国の人にも聴いてもらわなくちゃ。日本国内で放送するばかりではなく、ネット・ラジオやできればオンデマンドで世界中で聴けるようにしたらいいのに(日本のネット・ラジオはNHKも含めて海外で聴けないものが多いんです。反対に外国の音楽会は、ばんばん日本からでもネット・ラジオで聴けるよね)。NHKならそのノウハウも持ってるはずでしょ。やってよ。
[PR]

by zerbinetta | 2015-10-04 22:21 | 日本のオーケストラ | Comments(0)