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輝く、ブルックナーの原石 ミンコフスキ/都響   

2015年12月15日 @サントリーホール

ルーセル:「バッカスとアリアドネ」第1組曲、第2組曲
ブルックナー:交響曲第0番

マルク・ミンコフスキ/東京都交響楽団


わたしは出遅れちゃって、聴き逃したんですけど、去年評判が良かったミンコフスキさんと都響。今年は定期演奏会に登場。なんとブルックナー。それも0番。初めて聴きます。0番なんてすっとぼけた番号だけど、00番なんていうのもあるんですね。ついにわたしのブルックナー交響曲の旅も今日であとは00番を残すのみ。

前半は、ルーセルのバレエ音楽「バッカスとアリアドネ」の第1、第2組曲。組曲と言ってもこれでバレエの全曲。続けて演奏されました。音楽会では初めて聴くルーセル。「バッカスとアリアドネ」は雰囲気(とてつもなく大ざっぱに言って)、民族性を取り去ったハチャトリアンのような音かな。ちょっとイミフな例えは反省して、乾燥してがさがさした感じの音楽。きっちりとしたドライなアンサンブルをする都響向きと言えば言えるんでしょうけど、逆に都響のドライさゆえに潤い成分が足りなかったようにも思えます。ミンコフスキさんの指揮も即物的で(この曲って新古典主義の仲間に入るのかな?)、音の面白さはとても良く感じるけど、物語的なものはあまり感じませんでした。まあ、元々のバレエもわたし的にはあんまり面白くなさそうなんですが。逆に言えば、バレエ音楽と言うよりもストーリーのない音自身の面白さを感じさせる構造的な音楽であり演奏だったんですね。

後半はブルックナーの0番。0番と言うくらいだから、交響曲第1番より前に書かれた習作(?)かと思いきや、解説によると、第1番よりあと第2番の前に書かれたそう。でもね、なんか第1番より未熟な音楽に感じました。特に第1楽章のとりとめのなさ、スケルツォのトリオのあっけなさ、序奏付き(?)のフィナーレのヘンな感じの構成。でも第2楽章があるだけで存在価値あり。素晴らしい緩徐楽章でした。全体的にはまだブルックナーと言うよりメンデルスゾーン入ってる?って感じで、ワーグナーに汚される前のブルックナー。ブルックナーが確実にロマン派の時代につながっていたと感じさせる音楽です。でも、フレーズを何となく続けちゃうところがワーグナー的なのかしら。そこが弱点。あとのブルックナーだったら、休符でバサリと切断して(いわゆるブルックナー休止)、ブロック構造を作って明確化するんだけど、それがないのでだらりと音楽が流れて迷子になるのよね。第1交響曲はまだブルックナー成分が薄かったのでそれでも上手くいったのかしら(歌謡的だから?)。ブルックナーがブルックナーになろうとする過渡期の作品といっていいのかな。
それでも演奏はとても素晴らしかったです。サントリーホールだったのでいつもの指揮者が見える位置に座ったのだけど、ミンコフスキさん、ほんともう表現したい音楽が見てるだけで伝わってくるんですね。そしてオーケストラに魔法をかける。曲が曲だけに第1楽章は、やっぱりとりとめが無かったんだけど、第2楽章のロマンティックな美しさったら。歌うような演奏で、ロマン派の音楽を強く感じました。冷たいところもあるシャープな都響から柔らかな響きを引き出していたのはさすがミンコフスキさん。この曲を聴くのは(録音も入れても)初めてで、他と比べることは出来ない、自分の中に物差しはないのだけど、指揮者の意図のはっきりした、聴いてスッキリ気持ちの良い演奏だったことは間違いありません。ミンコフスキさんは今日の演奏で、ロマン派の中でのブルックナーの出発点を明快に示してくれたと思います。原石だけど、その中にきらりと輝くものを見せてくれました。だんだん、ブルックナーづいていく後期の交響曲でどんな演奏をするのか、聴きたくなりました。

ミンコフスキさん、良い指揮者だわ〜。都響はミンコフスキさんを離したらダメだよ。
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by zerbinetta | 2015-12-15 00:26 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

イギリス田園風景 尾高/日フィル   

2015年12月12日 @サントリーホール

フィンジ:クラリネットと弦楽のための協奏曲
ヴォーン・ウィリアムズ:バス・テューバと管弦楽のための協奏曲
シューベルト:交響曲第8番

伊藤寛隆(クラリネット)
柳生和大(テューバ)
尾高忠明/日本フィルハーモニー交響楽団


金曜日の公演を土曜日に振り替えての日フィル。土曜日のお客さんは(マナーが)良くないと言われていたので戦々恐々としていたのだけど、今日はそんな感じでもなかったです。わたしが鈍感で気にしないだけかも知れないのだけど。
前半は、尾高さんお得意のイギリスもの(尾高さんはウェールズの劇場で活躍しておられた)。後半にシューベルトのハ長調の大交響曲。それにしても、前半の2曲、初めて聴く曲。ロンドンでも聴いたことなかった(1曲目は作曲家の名前さえも初耳)。

フィンジのクラリネット協奏曲は、戦後書かれた音楽だけど、イギリスの田園風景を彷彿させるような、さりげなくロマンティックで分かりやすい曲。柔らかな光りの彩度を落とした風景画のような世界。クラリネットが優しいメロディを奏でていくところに、弦楽合奏が空気のように世界を満たしていく。懐かしいような田舎の風景の映像の裏に流れていくような音楽。読響の主席の伊藤さんのクラリネットもオーケストラもその風景に溶け込んでいて、でもただそれだけ、なんだよね~。そつなくきれいなんだけど存在感の薄い人みたいな。

RVW(ヴォーン・ウィリアムズをイニシャルをとってこう略すんです)のテューバ協奏曲は、テューバ吹きには有名な曲(と言うのはテューバ吹きの友達に聞いて知っていました)。テューバの協奏曲なんて珍しいですしね。テューバの良さ、低音の重さに加えて軽やかさもあるんですね、を生かし切ったマニアックではあるけど名曲だと思いました。自在に吹く読響の柳生さんもここぞとばかり楽しそうで。チューバの音楽を存分に楽しませてくれました。不満があるとしたら、曲が15分ばかしで短かったこと。あっという間に終わってしまいました。
それにしても、この2曲で日フィルのソリストの魅力の一端が分かったし、尾高さんとイギリス音楽の相性の良さが確認されたのでした。

休憩のあとは打って変わってシューベルト。始まりのホルンのユニゾンは、魅力的な音で魅力的なテンポだったんだけど、流れるような流線型の音楽が、シューベルト特有の翳の部分を隠してしまった感じがしてちょっと物足りなかったです。同じ田園風景も感じさせる音楽だけど、イギリスの音楽とシューベルトの音楽の風景って違うと思うんですよ。陽光の気持ちの良いお散歩なのに、歩くことに夢中になってしまって、足元の小さな花や虫の死骸、木の陰に潜む鳥を見逃してしまって、豊かな語彙が感じられませんでした。ちょっと雑だったし、オーケストラの音にももう少し潤いが欲しかったです。日フィルってどちらかと言うとドライな音のするオーケストラだと思うけど、せっかく積極的な奏者が集まっているんだから、丸味のある音も身につければもっと良くなるのに惜しいなぁ。
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by zerbinetta | 2015-12-12 12:28 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

いびつな真珠の極み レ・ポレアード+SPAC 「妖精の女王」   

2015年12月11日 @北とぴあ

パーセル:「妖精の女王」

エマ・カークビー、広瀬奈緒(ソプラノ)、波多野睦美、中嶋俊晴(アルト)
ケヴィン・スケルトン(テナー)、大山大輔(バリトン)
寺神戸亮/レ・ポレアード
宮城聰(演出)/SPAC


去年聴きに行って楽しかった北とぴあ音楽祭。もちろん今年もデス。バロック音楽に重心を置いて、今年は、パーセルのオペラ「妖精の女王」。古楽界の永遠のアイドル、エマ・カークビーさんが歌うのが目玉です。そして、こんなステキな音楽会が格安で聴けるのです。万難排します(日フィルの定期を振り替え)。

北とぴあは王子。去年来てるから余裕よねと、自信を持って駅を降りたら見たこともないところ。駅間違えた?いえいえ、出口が違っていたのですね。きょろきょろして信号につっかえつっかえなんとか会場に着いて、開演前のロビー・コンサートに滑り込み。上野学園大学古楽アンサンブル(プロではなくサークル活動みたいなのかしら?)による、「もうひとつの妖精の女王」ーヴァージナルの響きと共にーと題された演奏会。バッハの親戚のヨハン・ベルンハルト・バッハの「妖精の女王」のテーマによるシャコンヌ(オルガン独奏)やヴィオラ・ダ・ガンバやリコーダー、ヴァージナルのソロのための作品。全員の合奏でパーセルの(ブリテンの「青少年のための管弦楽入門」の元になった曲を含む)「アブデラザール」が演奏されました。近くで見るヴァージナルの装飾もきれいで(フェルメールにヴァージナルが出てくる絵が何点かありますね)、昔の楽器って美術工芸品としてもステキで、総合芸術的ですね。今度は、野暮なロビーじゃなくてお屋敷の間で聴きたいですね。雰囲気も楽しみながら。

36歳で若くして亡くなったイギリス・バロックを代表する(というかイギリスを代表する)大作曲家ヘンリ・パーセルのオペラ「妖精の女王」。シェークスピアの「夏の夜の夢」を元にしたオペラなんですね。わたしの知識はたったここまで。あと、古楽界の妖精、カークビーさんを初めて聴く楽しみ。ロンドンでは彼女を聴く機会に恵まれなかったんですよね。小さなところで歌っていたようでアンテナに引っかからなかったの。

音合わせが終わって、指揮の寺神戸さんがまさに、指揮棒をおろさんとした瞬間、会場のどこかから大声が。えー誰だよーサイアクーと思ったら、お芝居が始まったのでした。演出に一杯食わされた。一本取られてしまいましたよ。そうなんです。あとで知ったんだけど、パーセルの「妖精の女王」はオペラと言うより劇付随音楽に近い形。セミオペラと言うんだそう。音楽とは別に劇が上演されるんです。完全に歌と音楽が支配するオペラの脇に、こんな、劇と音楽の融合があったんですね。その後も「アルルの女」とか「ペールギュント」とか劇付随音楽は書かれているけど、廃れてしまった感じがあります。音楽と劇を同時に上演することに難しさがあるのでしょうが(例えば、音楽向きの会場と劇向きの会場は違うとか)、今日、「妖精の女王」を観てとっても面白くて、わたしは、むしろこの形式に今のオペラを活性化するヒントがあるような気がしました。そんな難しいことは言わなくても、だってほんと面白かったんだもん。もっとこういうの観たいって素直に思った。「アルルの女」とか「ペールギュント」とかどこかでやらないかしら。バレエ版でもいいのだけど。

宮城さん演出のSPACの劇については、わたし、演劇はあまり観てこなかったので、良い悪いは分からないのだけど、ヒトコト、面白かったぁ〜〜。劇だからこそ、シェイクスピアの戯曲にかなり忠実で(錯綜している作品なのでオペラ(ブリテン)やバレエ(メンデルスゾーン/アシュトン)のは物語をかなり刈り込んでます)、言葉の速さや役者のスポーティーな動き(テナーの人も側転とかしてた!)が全体の運動を作っていて、基本的に妖精界を彩る音楽のゆったりとした空気(音楽のテンポの速い遅いではなくて、歌になった言葉の長さという意味で)とステキな対照をなしていて秀逸。妖精界(に迷い込んだ人間も含めて)を舞台に立てられた梯子や棒の上で地に足を付けずに表現するアイディアも素晴らしいの。

それに加えて、これでもかというくらい、小ネタやら音楽の飾りでもうお腹いっぱい楽しかった〜〜。バロック音楽って、バックグラウンドミュージック的なヴィヴァルディの「四季」の演奏(ちゃんとした演奏なら凄く刺激的なのに!)やアルビノーニの「アダージョ」やらパッペンベルの「カノン」やらのイージーリスニング的なものが染みついちゃって、バロック=いびつな真珠というのが、いまいちピンとこなかったんだけど、今日のオペラを観て、バロックってまさにいびつ、とんでもないくらいいびつでごつごつして、刺激的で、古典派やロマン派の音楽よりはるかに現代的というか同時代的に聞こえました。何でもあり感が凄いんです。

初めて聴くカークビーさんは、声が小さくて(と言っても全然聞こえないって言うわけではありませんが)、こんなもんかな、って最初思っていたんです。他の歌手の人たちもみんな良くて、カンパニーとしてまとまりがあるから、演技的にも直前に合流したと思われる、それにお客さん扱いのところも見られた、カークビーさんが浮き気味で。でも、それを逆手に取った演出(出演者と記念撮影したりサインを求められたり)も上手い。そして、「嘆きの歌」。結婚式のあとに挿入される悲しみの歌。。。それがバロック。カークビーさんのこの歌は、今日の公演のある意味音楽的頂点だったかも知れません。歌うというより、言葉を語る。その強さ、悲しさ。音楽を伴って言葉がこんなに強く鋭く突き刺さってくるとは。メロディを従えたシュプレッヒゲザング!
そしてまさかの、カークビーさんの和装!!やるなぁ。こんなものまで見せられるとは。カークビーさんも楽しそうにしてらしたし、良いもの観た。

寺神戸さんとレ・ポレアードのオーケストラもとっても垢抜けていて、去年よりもひとまわりもふたまわりも大きくなっていた感じ(多分、劇がオーケストラを刺激したのでしょう)。パーセルの書いた音楽も刺激的で、派手なティンパニの乱れ打ち(?)にはニンマリ。やっぱりバロックって凄いよぉ。ルールがまだ緩やかだった分、もう何でもありだもの。

ほんと、今日は、演劇と歌とオーケストラが、バラバラにそれぞれ突き抜けた、いびつな巨人を見たような素晴らしい体験でした。バラバラでまとまるって凄いよね。
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by zerbinetta | 2015-12-11 23:44 | オペラ | Comments(0)

はみでろっ!! ザンデルリンク/都響   

2015年12月10日 @東京文化会館

ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第1番
チャイコフスキー:交響曲第1番「冬の日の幻想」

アレクセイ・スタドレル(チェロ)
ミヒャエル・ザンデルリンク/東京都交響楽団

日本人がいいお酒を造るとき、吟醸とか大吟醸とかお米を徹底的に精米して半分以上も米粒を削って捨てちゃうよね。それで雑味がなくなった純粋な味で、上善水のごとし、とか言っちゃって、上等なお酒は水のようだと。ということ外国人に説明したら、えっ?っと目を丸くして、何で水なの?おいしくないじゃん、と言われて、良いものは水のように純粋とかなんとか説明したけど、きっと分かってもらえてない。一方、フランスのワインは、最高級のものでもわざと、ブドウの種や茎を入れて雑味を出したり、本質的に違うのよね。音楽だってそう。日本のオーケストラって、雑味を削って水のような味わいを求めているような気がする。都響もそう。削りに削って純粋で切れ味の鋭いシャープな音を求めているように思うの。それが良い悪いかは別にして。

今日の音楽会でもそういうのを強く感じました。
ショスティのチェロ協奏曲は確か、献呈されたチェリストの誕生記念に書かれたのにめっちゃ暗い曲になっちゃったのよね、しかも誕生日に間に合わなかったし、と思って聴き始めたら、明るい音楽でびっくり。違う曲でした。チェロじゃなくてヴァイオリンだしーー。いつものわたしの勘違い。
今日のおふたり、ザンデルリンクさんとチェロのスタドレルさん、イケメン。眼福。って言っても遠目だし、目が悪いのでよく見えないんだけど。若いスタドレルさんのチェロは、今も上手いけど将来への伸びも感じさせる音。曲が明るいのでリラックスして弾いてた感じです。もともと腕利きのチェリストだったザンデルリンクさんの伴奏もチェロをサポートするようにとても上手く付けていて、ソロとオーケストラが一体となった音楽を作っていました。凄くまとまりのある演奏でした。音楽的主役はむしろザンデルリンクさんだったのかな。
スタドレルさんが弾いたアンコールは、バッハの無伴奏組曲第2番(短調のやつ)からサラバンド。あれ?こんな曲だったっけって思ったのは、旋律の作り方がわたしの思ってたのと違ったからかしら?ちょっと不思議な感じでした。

「冬の日の幻想」は、都響の研ぎ澄まされた音ゆえに幻想的ではなくてリアリスティック。カミソリの刃のように鋭い雪が降ってきます(北国では本当に冷たさが刃物のように痛い雪が降ることあるんですよ)。この冷たさは、あっそうだ、ムラヴィンスキーのレニングラード・フィルに似ているような気がする。切れ切れの鋭いアンサンブル、銀色の怜悧な音色。レニングラード・フィルは、ミスしたらシベリア送りという噂がまことしやかに囁かれていたけど(ほんとかなぁ)、都響の場合は自然にそうなっているところがなんか凄い。ある意味とても日本人的なオーケストラという感じもしますね。わたし的にはこの曲にはもっと柔らかな明るい雪が似合うと思うのですが。それに都響さんにはもっとやんちゃやって欲しいし。枠からはみ出して。
だから、ザンデルリンクさんと都響って根っこの部分で相性がいいというか同じ方向を向いているような感じがしました。都響の音も特に木管楽器にいつになく潤いがあって、これから一緒に仕事をしていけばとても良いマリアージュになるんだなと思う、と同時に、都響には変化が必要と思うので違う指揮者の方がいいんだろうな、とか思ったりして。でも、ときどき客演して欲しいなと思うザンデルリンクさんでした。





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by zerbinetta | 2015-12-10 22:38 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

笑いながら泣く 音楽大学オーケストラフェスティバル 4日目   

2015年12月6日 @ミューザ川崎

ファンファーレ
紺野鷹生(国立音楽大学):fanfare

シベリウス:交響曲第2番

田中良和/東邦音楽大学管弦楽団

ファンファーレ
福角祐里子(東邦音楽大学):le ciel limpide

ムソルグスキー/ラヴェル:組曲「展覧会の絵」

現田茂夫/東京音楽大学シンフォニーオーケストラ

ファンファーレ
熊谷陽太(東京音楽大学):to the bright

ラフマニノフ:交響曲第2番

尾高忠明/国立音楽大学オーケストラ

音大オーケストラバトル、とうとう最終日。今日は3つ。しかも普通の音楽会では、メイン・プログラムになる曲が3曲。長丁場デス。シベリウスと「展覧会の絵」は、すでに2校が演奏していて、今年はちょっぴり対決色(?)。で、まずは恒例のファンファーレ対決(いえ、対決してませんって)。今日の3つのファンファーレは、それぞれみんなコンパクトでシンプルでファンファーレらしい感じ。
紺野さんのタイトル自体がfanfareというシンプルな作品は、ファンファーレっぽい部分と真ん中の叙情的な部分が対比されるんだけど、そのつなぎがもう少しスムーズにいったら(演奏のせいもあるかも)もっと良かったのになって思いました。
福角さんのle ciel limpide(澄んだ空)は、澄んだ青と暖かい淡い黄色をイメジした対比の音楽。わたしは色をイメジするには至らなかったけど、求めていることは分かりました。金管楽器だけど(ユーフォニアムを含んでる)音色のパレットがもっと広がるといいな。
熊谷さんのto the brightは、トランペットとトロンボーンとパーカッションの編成で、シンプルに音が動いていく様が面白かったです。

さて、演奏が始まる前に、音大バトル(だからバトルじゃないって)のもうひとつの楽しみは、プログラム・ノートの曲目解説。各音楽大学の先生(学生さんが書いてるところがひとつ)が書いているんだけど、これがもう少し面白くなればなって。せっかくだから、先生じゃなくて学生さんが、思い入れのあるユニークな文章を書いたら良いのにって思います。そろそろ通り一遍の楽曲解説から足を洗っても良いんじゃないかな。ここにもバトルを期待したいところ。デスよね?

東邦音大は、田中さんの指揮でシベリウスの交響曲第2番。田中さんが出てこられて、あら、この人調子悪いのかしらって思ってしまいました。わたし的には、あまりのれないシベリウス。楽譜をべったりと音にしているような気がして、特に第2楽章は、田中さんののっぺりとした音楽作りが退屈すぎて眠気を誘いました。でも、学生さんたちは、懸命に音楽に没入していて、のびのびとした音はとっても気持ちいい。新茶のような演奏。多幸感のシベリウスですね。

東京音大の「展覧会の絵」は、現田さんの指揮。最近どこかでちょこちょこお名前を見かける人(ニューシティ管だったかな)、だけど聴くのは初めて。左耳にピアスしててびっくり。ピアスしてる男の指揮者見るの初めてかも(そもそも指揮者ってあんまり光り物身につけないでしょ)。現田さんは、暗譜。絵のようにというか、交響詩のようにひとつひとつの音楽を描き分けるのがとても上手いの。全体よりもひとつひとつの個性を大事にして、ああこの曲はひとつながりに演奏されるけど組曲だったんだと思い起こさせてくれる演奏。秋山さんの老練な音楽に対して、まだストレイトな感じだけど、伸びやかで良かったです。オーケストラもおおおっと思うほど上手くて、各ソロもばっちり。指揮者も若いし、若い学生らしい演奏でした。友達の追悼展覧会を観たと言うより、ステキな絵の展覧会を観て活力が沸いてきた感じ。

最後は、尾高さんと国立音大。学生さんの中に頭関係が年長っぽい人が混じっていたのは先生かな(若〇〇な人もいるから判断できないけど)。それにしても、3校がメインプログラムを演奏する長い音楽会のトリによりによってラフマニノフの交響曲とは。いや、メランコリックな美しい旋律の超ロマンティックな名曲だとは思うのよ。ただ、わたしには退屈で。。。長いし。。。寝ちゃうかなと思ったら、それがとんでもない。刮目して聴いてしまいました。素晴らしい演奏。流石大トリ。流石尾高さん(暗譜!)。何が素晴らしいって音楽。演奏がって言うことを全く感じさせない音楽そのもの。どの瞬間を切り取っても音楽しかない。こうなると、学生が演奏しているとか誰が演奏しているかなんて関係ないんです。音楽に身を委ねるだけ。尾高さんの演奏は、少し速めのテンポで(特に第3楽章)、過度な甘さを排したさらさらと流れるような見通しの良い演奏。でも、暗いうねりや叙情性も十分で、カオールのような純化されたロマンティシズムを感じさせるの。うねうねする4つの音だけで組み立てられた長大な交響曲を、4つの音を自在に組み合わせて再現していく尾高さんの手腕に脱帽。それを音にする学生たちに脱帽。
最後、ステージに残った学生さんが笑いながら泣いているのを見て、音楽の幸せを思い出して、わたしまで泣いちゃった。

今年も9校の音楽大学の演奏を全部聴いたんだけど、ちょっと残酷に思えたのは、演奏の印象は指揮者によると言うこと。指揮者の実力が如実に演奏に出ていました。それだけ高いレヴェルで学生さんたちが音楽していたということの表れなんですけど。でも、声を大にしていいたい。アマチュアだから、まだ学生だから、なんて敬遠している人がいたらもったいない。ぜひ、自分の耳で聴いて感じてみて欲しい。まだ、原石ではあるけれども、燦めく宝石の光りが見つけられるんだから。





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by zerbinetta | 2015-12-06 12:34 | アマチュア | Comments(0)

円熟から、人生最後への旅 ヴァンスカ/読響 シベリウス最後の3つの交響曲   

2015年12月4日 @サントリーホール

シベリウス:交響曲第5番、6番、7番

オスモ・ヴァンスカ/読売日本交響楽団

ヴァンスカさんのシベリウスを聴きにサントリーに来ました。というのは嘘で、うっかり今日は、上野の都響だと思って上野に行く気満々だったのに、確認したら読響でびっくり。危うく上野に行ってしまうところでした。
気を取り直して。ヴァンスカさんのシベリウスを聴くのは、久しぶり。数年前シベリウス・イヤー(は今年)でもないのにロンドン・フィルとシベリウス・サイクルをやって7曲の交響曲の素晴らしい演奏を聴いたのでした。シベリウス・サイクルは他にも聴いたことがあるのだけど、全交響曲をひとりの指揮者で聴いたのは、ヴァンスカさんだけです。読響とは、3回の音楽会で、交響曲は第1番と2番、それと最後の3つの交響曲等を採り上げます。でも、わたしが聴くのは、最終回の今日だけ、大好きな3つの交響曲の回です。

先に結論を書きましょう。人生を長く生きてきて本当に良かったと思った音楽会でした。シベリウスの最後の3つの交響曲の旅が、人生の後半に入ったわたし自身の時の旅に重なって。これは若い人には分からないだろうな。若い人にはこの音楽会はちゃんとは聴けないだろうなって。全若者を敵に回すような発言だけど、もちろん若い人には若い人の聴き方があるし、わたしも若かったら違うふうに考えただろうし、年寄りといってもまだ人生の後半に入ったばかりの甘ちゃんが何を言うと全老人から反感を買うに違いないのだけど、でもこれしかない適切な時にこの音楽を聴いたと感じた多幸感といったら。(多分それぞれの世代の人がそれぞれ違う風に同じように感じているのに違いないけど)そんな音楽会でした。

ヴァンスカさんのシベリウスは、むしろ熱い。シベリウスの音楽は、怜悧で透明な純化した魂を持った音楽だとよく言われるし、冬をイメジする人が多いように思うんだけど(わたし自身は、ヴァイオリン協奏曲は例外で、交響曲は(北国の)夏のイメジです)、ヴァンスカさんのは少し違うと感じるんです。情熱的で熱い血が通っていて、透きとおっているというより命の濁りがある。生きているって濁を飲み込むことですよね。霞を喰って生きていく仙人ではないのだから。そして今日のヴァンスカさんのシベリウスはそんな生から魂を解放して純化していく旅。

第5交響曲は、人生の頂にあるような、熱と円熟の渦のようなパワー。でも、ヴァンスカさんの演奏は、完全にポジティヴと言うのではなくて晦渋を含んでいるのがユニークだと思うんだ。粘りに粘って解放されるエネルギーの大きさ。決してシベリウス的とは言えない(暖色系の)読響を一音一音煽り勇気づけて音楽を作り上げていく、まさに今そこに産みの苦しみがあるみたいに。ヴァンスカさん鬼神のよう。ただ少し残念なのは、読響がヴァンスカさんの表現(この交響曲では、テンポや強弱の揺れ、表現の幅が大きくて付いて行くのが大変だったかも。でもはっとする弱音の美しさはステキでした。ヴァンスカさんの弱音へのこだわり響きの作り方は素晴らしい)を完全に自分のものとして音にできていないところもあって、例えば、溜に溜めたエネルギーの解放が為し切れていないようにも感じました。ゲスト・コンサートマスターの荻原尚子さん(ケルンWDR交響楽団のコンサートマスター)も読響を引っ張って、ヴァンスカさんの音楽作りに果敢に挑んでいたけど、その先にあるヴァンスカさんが求めていた音楽の深淵には届かなかったみたいな。素晴らしい音楽(シベリウスのだけではなくてヴァンスカさんの)に素晴らしい演奏であった実でももっと出来るハズと欠けがあったのが心残りでした。

休憩のあとは、第6番と第7番が演奏されました(曲の間に指揮者の退場あり)。第6番は、もう大大大好きでずうっとわたしの裡でシベリウスの一番を占めていたものです(今は第7番が同じようにわたしの中に凝っている)。魂が洗われるように透明な響きが大好き。始まりの泉の湧くような清廉な美しさと言ったら。以前聴いたヴァンスカさんの演奏は、でも、むしろ熱が放射されていて、特に第4楽章の情熱は、わたしのシベリウスからは少し離れているとも思ったのですが、今日の演奏は、そういう熱を残しつつも玉が磨かれたように円熟した音楽。ロンドンのオーケストラよりティンパニが控え目だったのも深さを増した感じにさせたのかな。わたしにとって些細な疵(例えば第1楽章で弦楽器が細かい音を奏で合うところ、合わせるのが難しいせいか少し合わせにいってしまったとか)はあったものの、ぐっと心を掴まれる名演。

そして最後の第7番。ヴァンスカさんと読響との音楽の旅の時の旅の終わり。それにふさわしいというか、それしかないだろうというおおきく満ち足りた名演。身体の中が濁りのない水で満たされていってチェレンコフ光のような温度のない光りに包まれていく。最期の時への変容。ありがとうヴァンスカさん。ありがとう読響さん。
最後の音、魂を体の束縛を解いて自由に空に放つように、音を蒼空(そら)に放つところ、サントリーホールの音響を持ってしてもまだ完全には放ちきれなかったように感じたけれども、でも、これでいいんだ。だって、ヴァンスカさんもわたしも(そしてシベリウスだって)まだ、旅の途中なんだもの。今、解き放されてしまったら。。。でも、いつか最後の時が来たら、冷たいひとつの幸せの滴を頬に感じながら、この音を思い浮かべたい。音と共に宙に消えていきたい。






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by zerbinetta | 2015-12-05 13:02 | 日本のオーケストラ | Comments(0)