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創立60周年 ただ今絶好調 新交響楽団第232回演奏会   

2016年1月24日 @東京芸術劇場

芥川也寸志:交響曲第1番
エルガー:交響曲第2番

湯浅卓雄/新交響楽団


新交響楽団、絶好調でした。
新交響楽団の創立60周年演奏会その1です(今年がその年なので、今年の音楽会の分、その4まであります)。曲目は、新交響楽団の創立に深く関わっている芥川の交響曲となぜかエルガーの交響曲第2番(第1番に比べて滅多に演奏されない曲ですけど(ロンドンの4年間で1回も聴かず)、なぜか日本のアマチュア・オーケストラで2回目です。第1番は1回なので日本では2番の方が人気?)。プログラム冊子には、新交響楽団の創立時の歴史を振り返る興味深い座談会が掲載されていました。今から思うと隔世の感ですね。労音とか。

今の新交響楽団に芥川を直接知っている人がどのくらいいらっしゃるのか分かりませんが、オーケストラのDNAとしてこの交響曲(約20年ぶり、4度目の演奏だそう)の演奏には特別な思いを感じるのかも知れません。
1954年(29歳)作の交響曲第1番は、3楽章はちょっぴりショスティ、4楽章はばっちりプロコフィエフ風のとても分かりやすい音楽。彼らの影響を強く受けていると言っても充実した力作。似てると言っても安易な真似ではなく、音楽が作曲家の血になってる。そしてその血は、オーケストラにも流れている。もちろん、オーケストラの皆さんはどんな曲にも真剣に取り組むと思うんだけど、芥川の曲は、チェコ・フィルが「我が祖国」を演奏するのと同じようなルーツを新交響楽団の演奏に感じさせるんです。染みついているもの。財産ですよね。湯浅さんも戦後日本のオーケストラ作品をたくさん演奏している方で、迷いのない指揮。オーケストラと作品との親和性や熱のこもった演奏と相まってこの曲の魅力を存分に引き出してくれました。若書きの作品って筆の走りが大切で、熱く演奏されてこそ、な感じがします(マーラーの最初の交響曲とか)。とても良い意味で新交響楽団のアマチュアリズムが生きていました。わたし、新交響楽団って下手したらプロ並みの演奏をするオーケストラだと思ってるんだけど(昔の地方オーケストラのレヴェルくらい)、温度の高い迸る音がアマチュアならではの音のように思えて、それが今日は聴かれて(このオーケストラを初めて聴いたとき、芥川の別の曲もあったんですけど少しおとなしく感じました)嬉しかった。このオーケストラ、今、絶好調というか旬な感じがしました。

エルガーの交響曲第2番は、わたしにはうねうねと何かつかみ所のない音楽。なので、シンフォニックな音を楽しむという聴き方なんですけど、オーケストラが十分上手くて音がちゃんと開放的に解き放たれているのですかっとしました。ひとりひとりが情熱を持って音楽を弾いてるので、ほんと、下手なプロのオーケストラを聴くよりずっと好き。残念ながらプロのオーケストラってときどき弾いてる音楽を分かってない人がいるのよね。プロを聴くからこそ耳がとんがって厳しい聴き方になるからかも知れないけど。

60周年の記念年で、特別な思いのある新交響楽団、次も楽しみです。こういうのほど聴いた方がいいと思うのよ。


新交響楽団の次の音楽会は、創立60周年シリーズ2、第233回演奏会が4月10日、東京芸術劇場にて、飯守泰次郎さんの指揮でマーラーの「復活」他です。
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by zerbinetta | 2016-01-24 23:41 | アマチュア | Comments(0)

楽しすぎて泣いちゃう オペラ・フレスカ カッチーニ「エウリディーチェ」   

2016年1月23日 @川口リリアホール

カッチーニ:エウリディーチェ

高山潤子(エウリディーチェ)、黒田大介(オルフェオ)
末吉朋子(シルヴィア、プロゼルピナ)、澤村翔子(ダフネ、冥界の女神)
染谷熱子(クローリ、ヴェーネレ)、上杉清仁(アルチェトロ、ラダマント)
中嶋克彦(アミンタ、カロンテ)、和田ひでき(ティルシ、プルトーネ)
彌勤忠史(悲劇/アモーレ)

家田淳(演出)
濱田芳通/アントネッロ、angelico


ものすご~~く楽しみにしていた、オペラ「エウリディーチェ」(1602年)。だって、歴史上多分、3番目か4番目に書かれたオペラ。現存するオペラの中では、ペーリの同名のオペラ(1600年)(この曲の作曲にはカッチーニも関わっています)に次いで2番目に古いオペラ。そしてペーリを差し置いて世界で初めて楽譜が出版されたオペラ(これには、いろいろどろどろとしたお話があるのですが)。それの本邦初演です。まずめったに演奏されることのないオペラをこの耳で聴いてこの目で観ることができるとは。なんたる幸福。しかも、演奏は、古楽を古楽とは思わせない常に最新鋭の感覚で音にする音楽集団アントネッロ。しかも、かぶりつき。あああ身悶えるぅ。わたしと同じ思いの人は多く、チケットはソールド・アウト。実際の会場も空席はほとんど見当たりませんでした。

昔の音楽を演奏するとき問題になるのは、リアリゼイション。古典派以降の楽譜と違って(古典派の頃でも全部が書かれているとは言えないけど)、楽譜には全部は書かれておらず、演奏できるように譜面を整えなければなりませんから。そこがバロック音楽の楽しみのひとつなんですよね。濱田さんのリアリゼイションは演奏と同じようにとても自由(好き勝手という意味ではありません)。オペラ以外からも同じ作曲家の別の曲、さらには同時代の他の作曲家の曲も適宜混ぜ込んでいます。楽器も楽譜に書かれていない(書かれた楽譜は通奏低音だけだそうです)、コルネット(金管楽器のマウスピースで縦笛を吹くような楽器)、トロンボーネ、フラウト、打楽器などを加えて、音楽的な効果を上げています(音楽について濱田さん自身の手で書かれた詳細がプログラムに載っていてとても分かりやすかったです)。
えええっ?当時の音楽を聴かせてくれるんじゃないの?って批判は無しね。だって作曲された当時って、演奏される機会によって作品には手を加えられるのが普通なんですもの。楽譜通りに演奏されるなんてもっとずうっとあとの習慣なんですよ。そして、一番大事なことは、濱田さんのリアリゼイションによってこの作品が生き生きと生まれ変わったこと(音楽の演奏はそのときそのときが新しい誕生だけれども)。モノディを徹底させてるカッチーニの音楽だけでは、単調だったこの作品がとても面白く聴けた功績は大きいです。
それはまた、演出の家田さんにも言えます。冥界の王プルートをコジモ・デ・メディチ(フィレンツェの芸術のパトロン。メディチ家の祖)に仕立てたり、名もない牧人たちに名を与えて物語に加えたり、アイディア満載。濱田さんと家田さんの共同作業は同じ思いを共有していて音楽と物語のステキな一致を得て素晴らしかったです。またこのおふたりの共同作業が見たいな。強く希望。

歌手陣は、主役のオルフェオを歌った黒田さんが張りのある声と豊かな表情で良かったですが、友達のアルチェトロの上杉さんも掛け合いで黒田さんを引き立ててとても良かったのです。冥界の王の和田さんも貫禄のある低音だったし、あまり出番はないのだけど、おきゃんな感じのエウリディーチェを作った高山さんもなんか振り切れた感じで面白かったです。そして、大好きな彌勤さんはやっぱりステキでした。悲劇とアモーレ(愛)を一人二役で歌うのも、スパイスが利いていてニヤリとします。でも、彌勤さんとならば愛の悲劇もいいなぁ。って言うかハッピーエンドなんですけどね。その他の歌手たちもひとりひとりに名前を与えた演出と相まって、それぞれの物語があってとても充実していました。アンサンブルがステキです。

アントネッロにゲストのangelico(トロンボーネ・アンサンブル)を加えたオーケストラは、直前に中心人物のひとり、アルパ・ドッピアの西山まりえさんがご病気のため降板となってしまったけど、アントネッロの持ち味であるビート感のある生き生きとした音楽は、古楽を聴いていると言うよりもう現代のノリ。特に打楽器のビート感と時折アグレッシヴな突っ込みを魅せる通奏低音が。バロックって昔の音楽ではなく、古典派とかロマン派よりもひとまわりまわって現代に近いんじゃないかって思っちゃいます。バロック・ロックみたいなオールスタンディングで縦ノリピョンピョンのライヴやらないかな。それと、指揮の濱田さんがときどき吹き振りするコルネットの素晴らしいこと。わたし、アントネッロ、全面支持だわ。

こうして最初期のオペラを聴いて分かったのは、逆説的だけど、この5年後に書かれ現在もよく上演されている最古のオペラ、モンテヴェルディの「オルフェオ」(「エウリディーチェ」と同じ題材)がいかに突出している傑作であるかってこと。モノディにこだわらない音楽の素材の豊かさ、歴史上初めて(?)のオーケストレイション。大好きなので褒めちゃうんですが。
でもね、滅多に演奏されることのない歴史的なオペラを楽しんで聴けたのにはうれしすぎて泣いちゃいました。こうなったら現存する最初のオペラ、ペーリの「エウリディーチェ」も聴いてみたい。一昨年のモンテヴェルディ3オペラの上演から始まったアントネッロのオペラ・フレスカ・シリーズ。次は何になるのでしょう。もう今から首を長くしてワクワク。バロックって面白いオペラ目白押しですからね。
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by zerbinetta | 2016-01-23 23:17 | オペラ | Comments(0)

新・春の祭典ってどんな? 小林/日フィル   

2016年1月22日 @サントリーホール

リムスキー・コルサコフ:交響組曲「シェヘラザード」
ストラヴィンスキー:春の祭典

小林研一郎/日本フィルハーモニー交響楽団


今日は日フィルの定期。誰がなにやるのかなぁ~わくわく~、と思いつつ、誘惑に負けてチラシを見たら、コバケンさんで春の祭典とか。。。ううう~む。いや、コバケンさんがどうのとか言うわけではないんですけどね。コバケンさんが「春の祭典」って似合わない~、振れるんだろか、と勝手に失礼な妄想。ごめんなさい。

サントリーホールのポスターを見てえっ!あれっ?新春の祭典って、なんだ?春の祭典の新しい版?コバケンさんが振るからなんかとんでもない新規感?と、3歩歩いて気がついた。’新春’の祭典じゃ。。。そっかーまだお正月でいいんだ~。お雑煮食べよっ。

メイン曲がふたつ、「シェヘラザード」と「春の祭典」がプログラムに並んでるので、どっちが先かなぁと思いつつ、順当に「春の祭典」があと。エネルギーいるものね、この曲。
「シェヘラザード」は、最初のヴァイオリン・ソロから響く響く。なんかホールの音響を味方に付けまくった感じで(わたしがオーケストラの後ろ側に座っていたせいで、客席の後ろから跳ね返ってくる音がよく聞こえたからかしら)、特に高音が糸を引くように伸びて聞こえたのにびっくり。ヴァイオリンの人の音もふくよか。コバケンさんの作る音楽は、相変わらず独創的というか、コバケン節って言うの?リムスキー・コルサコフの「シェエラザード」を聴いてる感じじゃなくて、コバケンさんの音楽を聴いている感じ。第1楽章は大凪。静かな海をトランクイロ(平穏(?))に滑る船。がなんか現実味がなくて黄泉に下っていくの。静物画の世界。正直戸惑いました。
第2楽章は、一転少し速めのテンポ。管楽器のソロが多くて、聴かせどころを、コバケンさんは各奏者にまかせてる振りをしてしっかりと手綱を締めている感じ。コバケンさんってものすごく怖い、厳しい人だと思いました。コバケンさんは、信頼できる人だと、自由な、自発的な演奏を求めるんだけど、そうでない人には辛辣。そしてそれは、(プロのレヴェルでは)技術的なことと言うよりも、音楽の心の表現を大事にしているような気がしました。ときどき左手を心臓に当てる仕草をしているのは、そんな心の表現を求めているからじゃないかしら。コバケンさんと仲の深い日フィルは、コバケンさんをよく分かっているようだし、コバケンさんもこのオーケストラを信頼しているのが窺えます。コバケンさんが他のオーケストラを振ったのをまだ聴いたことがないから無責任かも知れないけど、コバケンさんってどこよりも日フィルと相性が良いのではないかしら。少なくとも比較じゃなくて日フィルとの相性は抜群と思えました。あっそうそう、響き線を緩めた感じの小太鼓の音色が好みではなかったけどユニークでした(第4楽章も)。
第3楽章はまたゆっくり目のテンポで、やっぱり、いつもの「シュヘラザード」とは違う感じなんだけど、濃厚なロマンティックな歌で、この演奏の白眉でした。そして、気がついたのだけど、この楽章だけ、シェヘラザードの語りではないのですね。王とシュヘラザードの寝間のシーン。だって語り始めるヴァイオリンのソロはないし、シュヘラザードのソロはオーケストラの中に溶け込んでるもの。
賑やかな、第4楽章は、勢いで行っちゃえ、みたいな感じで、タンバリンなんかはリズムが混沌としてたけど、雰囲気があるからいいやというか、雰囲気重要みたいな表現。そんな中、全体的にティンパニが薄めというかおとなしかったのが残念。最後の弱音のコラールは、もう少し音が澄んですうっと抜けたら良かったなと感じたけど、そこがまだ日フィルの限界なのかも知れませんね。でも、第3楽章を頂点にコバケンさんの「シェヘラザード」は楽しめました。

後半は「春の祭典」。これがまたコバケンワンダーランド。「春の祭典」ってよく言われるように、リズムに革命を起こした現代音楽の古典(もちろん、曲自身はもはや現代音楽ではないのですが)。リズムが音楽の重要な要素として和声や旋律と対等の扱いがされた最初の目の覚めるような歴史的な作品です。だからこそリズムの扱いが重要なのだけど、コバケンさんのはそれに真っ向から対立するもの。リズムの鋭さがことごとく無視されていて、もちろん、現代のオーケストラはこの曲を合わせる技術は十分で、ずれたり破綻することはないのだけど、リズムの輪郭が滲んで音の塊になってるの。最初のファゴットのソロから時空の歪みのような伸縮があって、異様なものを予感させたんだけど、まさにその通り、完全にコバケン節(と言うのかな?)になっちゃった。前に聴いた、フルシャさんと都響のキレキレの演奏とは対極的。その結果、プリミティヴな大地の祭り、になったかというとそうでもなく、なんか得体の知れないどろどろとしたものに。大地がぐにゃりと歪んでいた。力業のオーケストラは、歪んだ鏡となって音楽の姿を見せてくれるのです。暗譜で振ってるコバケンさんはそれを意識的にやってる。むむう。あっ、「シェヘラザード」の時と違ってティンパニが思いっきり叩いていたのは良かったです。が、小クラリネットはかなり危うい感じなのが残念。
面白い演奏でした。と言うか、変わった演奏で、変態好きのわたしとしては、良い悪いじゃなくて面白かったと言うしかないのだけど、果たして、これで良いのかという疑問はつきます。コバケンさんは独自の音楽を作っていたけど、日本のオーケストラならその通りに演奏するけれども、超一流の指揮者とたくさん共演して、ひとりひとりが一家言あるような演奏家ばかりが座ってる超一流のオーケストラを前にして、コバケンさんが、オーケストラを納得させることが出来るかどうか、答えのない疑問を持ちました。演奏家を納得させられるかどうか(しかも相手は、例えば「春の祭典」をいろんな指揮者で演奏している強者たち)が、独りよがりの音楽か普遍的な価値を持つものなのか、の分水嶺となると思うんですね。わたし自身は、面白いものが聴けたと喜んでいるものの音楽には納得していないという頭でっかちな自己矛盾を抱えて、音楽の世界から日常へのグラディエイションを会場をあとにするお客さんの流れに揺られながら漂うのでした。
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by zerbinetta | 2016-01-22 22:27 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

看板(?)に偽りあり? 古典四重奏団 ハイドン作品74   

2016年1月16日 @松明堂音楽ホール

ハイドン:弦楽四重奏曲作品74の1~3

古典四重奏団


ハーディングさんと新日フィルの「戦争レクイエム」もものすご~く聴きたかったんだけど、1000円のお値打ち音楽会だったので初めての所沢までの遠征でした。自分の中の四重奏濃度を少し上げたいってのもあったしね。もっと山の中かと思ったら(失礼)町が拓けていてびっくり。というか、所沢がどこにあるかもよく知らなかったのでした(東京で奥多摩のそばかと思っていた)。
松明堂音楽ホールというステキな名前のホールは、急な階段を降りていく地下にあるライヴハウスのようなホール。個人経営なのかしら。4人掛けの椅子で数えたら84人の小さな空間。こういうところ、なんか秘密基地みたくて好き。近所のおじいさんおばあさんが集うような雰囲気も良い。

古典四重奏団は、古参(結成30年目)の、日本では珍しい、常設の弦楽四重奏団。このハイドンの(四重奏全曲演奏)シリーズに加えて、ショスタコーヴィチやベートーヴェンのシリーズ、レクチャー・コンサートなど多くの音楽会を持ってるの。エクセルシオールと共に図らずも年末年始で、2つの日本を代表する弦楽四重奏団を聴いたことになりました。

プログラムやウィキに書かれていた紹介によると、古典四重奏団は、個々人はピリオド楽器も弾くけど、ここでは現代楽器を弾くということ。全ての曲を暗譜で、音合わせをあまりしないらしい。ところが。今日は、譜面台たててたし、調弦も楽章ごとにやるくらい頻繁(普通より多いよね)。ありゃ~、看板に偽りありだわ。全然気にしないけど。

弦楽四重奏苦手のわたしでも、ハイドンのは好きなんですよ。と言いつつ、作品74って初めて聴く~。充実した最後期の作品76、77の四重奏曲の1歩手前ですね。実際の音楽もまさにそんな感じ。の1から始まっての3までの間にも進化のあとが見られて、1はまだ第1ヴァイオリンが音楽を作っているのに対して、3になると各パートが対等に近くなって音楽の深度が広くなってるの。どの曲もしっかりとした作りの中にハイドンのユーモアがちゃんとあってステキ。

古典四重奏団の演奏は、さすがというか、時の熟成を感じさせる赤ワインみたい。弦楽四重奏って名手が集まってもやっぱり熟成度が出ちゃう音楽なのよね。その重みはわたしでも感じることが出来たくらいだから、音楽の生命線なんだろうな。古典の名を冠してたり、各人はピリオド楽器の経験もあるのだけれども、ピリオド演奏とも現代のスマートな演奏とも一線を画す、どちらかと言うと古き良き時代の伝統を根に持っている演奏と感じました。重厚で(ホールが小さいので音が充満していたせいかも知れません)、日頃無口で険しい顔のおじさまが、ボソッと冗談を言う風なところがあって、わたしの好みは、ハイドンのウィットはもちょっと軽く〜とは思いました。でも、安心してどっしりと腰を落ち着けて聴ける音楽でした。

ショスタコーヴィチのシリーズは、空席が目立つのでぜひ聴きに来て下さいとのこと(こちらはこのホールの他に確かオペラシティでも同じプログラムをやっているはず)。わたしは、次のハイドンにもまた来たいな。
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by zerbinetta | 2016-01-16 00:42 | 室内楽・リサイタル | Comments(0)

LSDでトビッパ ソヒエフ/N響 幻想交響曲   

2016年1月15日 @NHKホール

ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための2重協奏曲
ベルリオーズ:幻想交響曲

フィルクハルト・シュトイデ(ヴァイオリン)
ペーテル・ソモダリ(チェロ)
トゥーガン・ソヒエフ/NHK交響楽団


ソヒエフさんは、若手(というかそろそろみんな40代)の指揮者の中で最も好きな人のひとり。そのソヒエフさんが、今勢いの出てきたN響に客演して、はちゃめちゃな幻想交響曲を振るとなれば聴きに行かないわけにはいけません。今日もNHKホールの天井桟敷の人となったのでした。それにしても今日は少しすいていたな~。こんな良い音楽会なのにもったいない。曲目はオーソドックスだから、ソヒエフさんがまだあまり知られていないってことかな。

前半は、ウィーン・フィルのトップ奏者をソリストに呼んでブラームスの2重協奏曲。このおふたりとソヒエフさんは、すでにウィーンでもこの曲を演っているのですね。
さて音楽は、プログラム冊子に書いてあったクララ・シューマンの言葉「これらの楽器は華やかではないからです」通り、なんかとても地味。地味が身上のブラームスでもヴァイオリン協奏曲なんかは派手ではないけど、ここまで地味じゃないから、チェロが足を引っ張ってる?と言う軽口は置いといて、普段オーケストラで弾いてる人がソリストなので、オーケストラの中で弾いているように、オーケストラに溶け込んで演奏していたからじゃないかしら。でもね、クララの言う「この協奏曲に未来はない」は見事に外れました。だって、ブラームスの最後のオーケストラ作品となったこの曲には、ブラームスの円熟がいっぱい詰まってるんですもの。まだ枯れてはいないし、ふたりの気のあったソリストを呼ばなければいけないから演奏機会は減るけど、良い曲だもの。
今日の演奏は、さっき書いたとおり、協奏曲というよりオーケストラ曲として演奏された感じ。でも、オーケストラをリードするソリストの音楽は、ウィーンで過ごした晩年のブラームスの柔らかな香りがしてとても良かったです。ヴァイオリンとチェロが対立せず、同じ音色のパレットを使って秋の豊穣の絵を描いていたのもステキでした。

後半の幻想交響曲は、意外や意外、ひっちゃかめっちゃかな末端肥大症気味の表現主義的な演奏ではなくて、ある意味古典的なフォルムを大事にした演奏。この音楽が、マーラーではなくてベートーヴェンの死後3年という時代に書かれた音楽であることを随所で感じさせてくれるものでした。音楽が整っていて美しい。これにはびっくり。でも、それでいて、特にダイナミクス(音量の振れ幅)でベルリオーズの極端もしっかりと魅せてくれる、ソヒエフさん凄い。ピッコロもちゃんと凶暴だったし、いろんなヴィブラートの付け方への細やかな目配り、フレージング、どこをとってもソヒエフさんの音楽。するすると進む快速テンポで始まって、それを基調に、でも、第1楽章の最後や、第3楽章ではテンポを落としたり、ツボがたくさん。第2楽章は、わたし的に大好きなコルネットのオブリガードは無かったので、勝手に脳内で足して聴いてたのはナイショだけど、華やかでフォーマルな感じの舞踏会が広がって、最後は流行の音を残すことなく閉じていたのは、まだこの曲が正統的な音楽の一枝として演奏されていた時代への好ましい回帰。第3楽章に音楽の内面的な中心を置いた設計も良かったな。それに、やっぱり、ティンパニに4人、人がいるのを見るだけでもワクワクする。さらに後には大太鼓ふたり!そのティンパニの雷鳴は、遠くで不安を煽る轟きで、最後のふたつの楽章で駆け抜けるように音楽が爆発。ここでソヒエフさんは、古典の枠を解放してお祭り騒ぎのカタルシス。ギロチンが落とされる瞬間の断末魔の叫びは、長く引き延ばされてクレッシェンドして。魔女たちの宴はおどろおどろしさ控え目で、小クラリネットの魔物に変容した恋人の踊りは、むしろ明るく健康的。楽しそう。音がヴィヴィッドで、尖った音色の燦めきは、阿片で見たの幻覚と言うより、アッパー系の覚醒剤かサイケデリック系の薬物で決めちゃった感じの幻想でした。
N響は、ソヒエフさんの棒に応えて、日本を代表するオーケストラの矜持を示すように素晴らしい演奏をしてくれたのだけど、でも、わたしの際限ない欲望は、もっと上手いオーケストラだったならなぁ、と感じられてしまったのも事実。ソヒエフさんの音楽以上のものをオーケストラが自発的に生み出して欲しかった。ソヒエフさんの音楽家魂に火をつける好敵手な関係が指揮者とオーケストラの間に欲しいなって思ったのでした。
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by zerbinetta | 2016-01-15 22:49 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

憧れ、悪魔の甘美な誘い ボーダー/読響   

2016年1月14日 @サントリーホール

シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」
リスト:ピアノ協奏曲第2番
ツェムリンスキー:交響詩「人魚姫」

フランチェスコ・ピエモンテージ(ピアノ)
ミヒャエル・ボーダー/読売日本交響楽団


面白いプログラム。関連性がないように見えて、同じような空気の、同じように幻想曲風またはロンド風の緩いソナタ形式の音楽。もしくは、3つの交響詩が並んでます。見事。(リストのピアノ協奏曲は正確には交響詩ではないんだけど、ユロフスキさんの言葉を使えば、ピアノとオーケストラのために書かれた初めての交響詩だそう。わたしも今日は、協奏曲というより交響詩として聴けました。そう言えばユロフスキさんもリストのこの協奏曲とツェムリンスキーを組み合わせたプログラムを指揮していました。「人魚姫」ではなくて叙情交響曲でしたけど)

「ドン・ファン」。勢いよく飛び出した音楽は、フレッシュで爽快。ボーダーさんオーケストラを鳴らすのが上手い。開放的な音はわたしの好み。ただ、なんか落ち着かないというか焦燥感があって、テンポの速さというより、多分、フレーズの終わりとかの音を溜めずにどんどん先に進んでいくからだと思うんだけど、もう少しどっしり構えてよ、と感じました。ゆっくりと叙情的な部分ももう少し色気があったならと。ボーダーさんってオペラ指揮者なんですね。劇場で力を発揮する実務型のマイスターなのかな。良い音を引き出すのは上手な一方、問題をテキパキと捌いて夢を見るタイプの人ではないのかも。

でも、リストの協奏曲では、初めて聴くピエモンテージさんの夢見るようなピアノがとっても良くて、弱音での柔らかなタッチにもう本当にうっとり。強音も十分音が響いていました。もちろん、リストならもっと外連味を発揮して大時代的な演奏を、と感じる人もいると思うけど、わたしはこの曲をソロをひけらかす協奏曲というより、幻想曲か交響詩のように聴いたので、不満はありませんでした。大時代的なところはオーケストラがばんばん補完してくれていたしね。突然の休符で音楽が堰き止められる外連はオーケストラに委ねられていましたから。
でも、交響詩としたらタイトルはなに?何を音楽で描いていたの?わたしは、夢とか憧れだと思うんです。今日の音楽会のテーマ。決して手の届かないもの。それを「ファウスト」のように悪魔が蠱惑的にそそのかして手に入れさせてくれる。でも、何と引き替えに?。。。。
交響詩の創始者、リストの交響詩ってタイトルが文学的というか漠然としていますよね、「前奏曲」とか。だから、この曲もそんなタイトルの漠然とした、タイトル無しでも成り立つ交響詩としてもいいんだと思うんです。わたし、リストの音楽の(特に管弦楽の)大仰な感じが苦手でずっと敬遠してきたんだけど、ディモーニッシュな霧がわたしの中に浸潤してきたよう。禁断の林檎の甘さを知ってしまったのかも知れない。最後には無調にまで行き着いてしまったリストの深い世界に溺れるかも知れない。あなたには聞こえないの?わたしを取り巻いて鳴り渡るこの調べを。この鳴り渡る響きの中に、溺れ、沈み、我を忘れ、この上なき喜び。
ピエモンテージさんは、アンコールに同じリストの巡礼の年、第1年「スイス」から「ヴァレンシュタットの湖で」。ストイックな美しさがピアノから引き出されて、これもステキな演奏でした。ピエモンテージさん、もっと聴きたい人かも。ところで、休憩時間にロビーにアンコール曲名が貼り出されたんだけど、それを見たクラヲタさんたちが係員に詰め寄っていました。優しく指摘していました。巡礼の年、第1年から「スイス」じゃないって。帰るときには正しく直っていました。

最後は、3楽章からなる交響曲のような(実際、作曲家には4楽章を足して交響曲にする計画があったようです)大きな交響詩「人魚姫」。ツェムリンスキーが聴けるの珍しい~って思ってみたら、よく考えるとわたし、ツェムリンスキー意外とたくさん聴いていたのでした。「人魚姫」も初めてかと思ったら2回目。
ボーダーさんと読響の演奏は、始まりが、もう信じられない位に絶品。弦楽器の暗く思い海。フルートやハープの泡。海の底から光りを求めて浮き上がっていくような。憧れ。まさに、物語の始まりであり物語の全てを語っているよう。でももう少しで手の届きそうだった憧れも、バスクラリネットが旋律を歌い出した瞬間、手からこぼれ落ちてしまう。この音じゃない。この音色じゃない。読響ってものすごく良くできるオーケストラだと思うけど、ときどき不用意な音が混じってしまうのがとっても残念。期待に応えてくれるだけに求めるものが大きくなって、だから、少しの疵が全体を大きく損なってしまうのね。もちろん、この滅多に聴かれない曲でこれだけの音楽(実際に全体的な演奏のイメジは大変良かったのです)を聴けたら満足には違いないんだけど。。。惜しいんだよね。もっと出来るのに。
ボーダーさんは、この曲でも的確に音を捌いて、曖昧なところのない堅実な音楽。それ故、夢や憧れみたいな蜃気楼のような儚さには遠いんだけど。音楽が終わって、余韻をあまりとらずにあっさりと手を下ろしたのもそんなマイスターのプラクティカルな音楽作りの表れじゃないかな。ものすごく良い音楽を聴いたと思う反面、もう少し夢を見ていたかったというもやっとした心残りもありました。
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by zerbinetta | 2016-01-14 19:34 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

妖精さん ファウスト、小泉/都響   

2016年1月12日 @東京文化会館

メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
シュトラウス:家庭交響曲

イザベル・ファウスト(ヴァイオリン)
小泉和裕/東京都交響楽団


都響さんは第800回目の記念すべき定期公演。今年、都響デビュウ40周年で終身名誉指揮者の小泉さんと。お得意の「家庭交響曲」。小泉さん、この曲を都響で採り上げるの今回で4回目であるんだそうですよ。それに最近もどこかでこの曲を振ってる(振る)ハズ。ほんとにお好きなんですね。

でもその前に、ファウストさんと協奏曲。ブラームスの協奏曲だと思っていたら会場でプログラムを開いてメンデルスゾーンと知ってとぽん。でも、メンデルスゾーンも好きだからいいんです。ブラームスより早く帰れるしw
ファウストさんは、言わずもがな、現代最高のヴァイオリニストのひとり。新日フィルとのブラームスでも独り素晴らしい音楽を奏でていらっしゃいました。ただ、わたし的には少しだけウマが合わないんですけど。。。
彼女のメンデルスゾーン、迸るばかりに歌い出すかと思ったら、平穏と静かに(音量が小さかったというわけではなくて表現がです)始まってびっくり。この曲、カピュソンさんやテツラフさん、アリーナの漢っぽい体育会系の演奏を聴き慣れて好みなので、ちょっぴり拍子抜け。今日は迸らないのか~って、思っていたんだけど、テンポを落として叙情的に歌うところは、すうっと音楽の重力に引き込まれる感じで、ステキすぎ。文化系の、でもキリッとしてゲーテなんかを読んでいる感じの思索的で内側の豊かな音楽。それに、ヴァイオリンの音が楽器から聞こえない!ずうっとファウストさんを見つめながら聴いていたんですけど、音はヴァイオリンから聞こえてこないの。ホールを完全に鳴らし切ってる。ファウストさんの音楽っていつも柔らかいのに凜としてるなぁ。生成りのような、衣装は、そう、雰囲気といい色使いといいピレシュさんと通じるものがある。ファウストさんも将来ピレシュさんのような妖精になるのかしら。いえ、きっとなる。今日だって、3楽章の細かく動き回る走狗は、妖精の羽音みたいだったもの。いつか本物の妖精になって自然で飾り気のない、それでいて生きていることの深さを感じさせるような音楽を奏でる人になるんだろうな。小泉さんと都響の伴奏も良かったです。ファウストさんの音楽を汲み取って、味のある伴奏を付けていました。管楽器に少し不用意な音もあったけど、バスのニュアンスなんて思わずいいなって思えたし。欲を言えば、ファウストさんと対等に丁々発止のやりとりをして欲しかったですけど、小泉さんはそういう音楽を嫌ったのかな?
アンコールには、自身の声で紹介して、ハンガリーの作曲家クルタークの「ドロローソ」。タイトルの通り、短い静かな鎮魂歌。音の少ない研ぎ澄まされた音楽を鋭い感覚のヴァイオリンでさっきとは異質の世界に連れ込まれた演奏は、ファウストさんの面目躍如ね。

後半は、家庭交響曲。わたし、人の家を覗き見する趣味はないので、この曲苦手。小泉さんの演奏は、オーケストラを良く鳴らすものの、なにか自由さのゆえに、小泉さんの音楽がピンぼけして、ただでさえ締まりのない曲(だからあまり演奏されないのかな。いえ、ウィキによると難しいから演奏されにくいそう)なのに、何をしたいのかよく分からない結果に終わってしまっていました。何だろう、最後のとってつけたような盛り上がりは。なんかしつこいよね。ショスティ風に(妻に)強制された歓喜?壮大なカリカチュア?小泉さんも自分の家庭を見せるの嫌なのかな。でも、指揮者には自分を出してオーケストラをもっとリードして欲しかった。そうそう、この曲、ソプラノ、アルト、バリトン、バスの4本のサクソフォーンが使われてるんだけど(超珍しい)、奏者が楽器の大きさに見事に比例して背が高くなっていたのには、ちょっと笑っちゃった。そこ、突っ込むところじゃないけどさ。(家庭交響曲の主題が、「サロメ」のヘロデとヘロディアスのモチーフに転用されたら痛快な風刺だなと思いながら聴いてしまってた恥ずかしい自分)
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by zerbinetta | 2016-01-12 12:13 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

カラフルな音のパレット 山田/N響   

2016年1月10日 @HNKホール

ビゼー:小組曲「こどもの遊び」
ドビュッシー/カプレ:バレエ音楽「おもちゃ箱」
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシカ」

松嶋菜々子(語り)
山田和樹/NHK交響楽団


大変遅ればせながらあけましておめでとうございます。わたしの2016年の音楽会もやっと開けました。
ななこさんを観に行ってきました。というのはまっ赤な嘘で、もちろんヤマカズさん目当てです。ななこさんは、、、名前は聞いたことあるけどぐぐって調べました。チケット取ったときには、ななこさんのお名前もなかったですしね。

プログラムは、お人形つながり。ビゼーのかわいらしい小組曲にドビュッシーのこどものためのバレエ、それにおどろおどろしい物語の「ペトルーシカ」。どれもお人形が出てきます。

ビゼーの曲は、「アルルの女」や「カルメン」に比べたら有名ではないのだけど、聞いたことのあるようなメロディが出てきて懐かしい感じ。最初の(兵隊さんの)トランペットは、マーラーの「角笛」歌曲に、伴奏のトリルの使い方までもそっくりで、ふふふ。もちろんマーラーがあとですよ~。真似したわけじゃないでしょうが。ヤマカズさんはN響から柔らかい音を丁寧に紡ぎ出していくのだけれども、わたしには少し抑えすぎた感じがしました。もう少し大らかな感じでも良かったかな、と。最後の2曲(そのひとつ目に耳にしたことのあるようなメロディが出てきます)に音楽の重心を置くような設計。弦楽合奏の優しい感じの音楽は作曲家が子供たちを見つめる視線でしょうか。ゆったりと少し厚みを持って物語るように歌わせる音楽、とそれに続く賑やかなフィナーレ。終わりよければ全て良し、ですね。

ドビュッシーの「おもちゃ箱」は子供のためのバレエ曲。物語に確固としたストーリーがあるわけではなく(一応、恋物語にはなっていますが)、いろんなお人形が出てきて踊る感じなのかしら(バレエは観たことないけど)。そのト書き部分(?)を菜々子さんが短い言葉で語ります。菜々子さんの語りが上手なのかは、この短い言葉では分からなかったけど、正直、いらなかったかな。主に人形の登場を知らせるだけで、物語る部分は少なく、シーンを思い浮かべるにはちょっと足りない感じ(わたしの創造力が少ない)。音楽だけでは、ドビュッシー好きにはいいのかな、ドビュッシーの繊細さが災いしてちょっと退屈な部分もあるのでしょうか。バレエとして観るのが一番いいのかしら。それとも抜粋して組曲。ヤマカズさんの抑えたアプローチは、NHKホールの大きすぎる大きさではキツイ感じ。オーケストラの鳴らし方(特に弱音で柔らかい音)にもう少しピントが合えばなって思いました。曲のせいもあるけど、前半は少し欲求不満が残りました。あっ、菜々子さんはすらりと背が高く綺麗な方。白黒のドレスもスタイリッシュでさすが女優さん。歩く姿に威厳があって、立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花、ってこういう風なんだ、と納得。遠くから見ていたのでよくは見えなかったんですけど。

後半の「ペトルーシカ」(NHKではこういう表記なんですね。ペトルーシュカではなく)は、そんな前半のもやもやを引き摺って聴き始めたせいか、やっぱり抑え気味なのか、縦の線の揃いが悪いなぁ(遠くで聴いていたので音がずれてきたのかも知れないけど)、なんて感じていたんですけど、あれ、フルートのフレージングステキ!とか、おもちゃ箱をひっくり返したようにきらきらのカオスで、今まであまり気づかなかったいろんな音が聞こえてきて、ごった返した市場の賑わいが目の前に広がって行く。ヤマカズさんの目の行き届いたフレージングやどぎついアクセント、イントネイションがどのパート、ソロからも聞こえて新鮮な、そしてグロテスクでもある「ペトルーシカ」を聴かせてくれます。それにしても、ヤマカズさんの持っている音のパレットがカラフルなこと。ヤマカズさんは「ペトルーシカ」(が似合う)!。と聴いたことがなかったのに聴いたことがあるように錯覚してて確信していたとおり。各楽器がキラキラと自分の音で輝いてる。人形の首が取れたタンバリンの音と言ったら。あら、首が落ちたと我に返っちゃいました。
ほんと、ヤマカズさんの色彩は天然の天才。これはもう神さまから与えられた才能。もちろん、天才でちやほやされるのはここまでで、これからは天才の閃きに加えて、説明できる論理性が大事になってくるとは思うのだけど、わたしのヤマカズさんなら絶対大丈夫。もう、ずっとあなたに付いて行きます(ってどこに?)。モンテカルロのオーケストラの監督として存分に腕を振るって、近い将来、モントリオールとかフランス国立とか、ステップアップして欲しいな。
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by zerbinetta | 2016-01-10 12:22 | 日本のオーケストラ | Comments(0)