きれいすぎるって青春じゃないよ   

beethoven: violin concerto
mahler: symphony no.1
janine jansen (vn), charles dutoit / philharmonia o @royal festival hall


マーラーの交響曲第1番はわたしが中学高校生時代にとてもたくさん聴いた、青春の思い出がいっぱい詰まった曲です。音楽と思い出を安易に結びつけるのは良くないとは思うんだけど、マーラーの音楽自身もまさしく彼の疾風怒濤の青春時代を謳ってるんじゃないかしら。作曲されたのは20代後半なので青春という言葉が違っていたら若者時代。根拠のない自信でむやみに尖っていて内にも外にも不満を抱えて、些細なことも重大に感じて、いつもやたらめったら走っていた。現実より夢がむやみに大きく、そして恋もまだ甘く酸っぱくて。そんな時代がわたしもあった。そしてそれはマーラーのこの交響曲にぴたりとリンクしる。そんな時代が過ぎてしまったわたしにとって、この曲は美しい過去を思い出す起爆装置でもあり、まだ熱く燃えるものを心の中に秘めていることを確認できる大切な音楽なのです。この曲は聴くたびにそんな化学変化を心に引き起こすのでどんな演奏でも泣いてしまう。そして今日も泣いた。確かにそうなんだけど、でも満たされない気持ちも残ったのは事実です。第1楽章はとってもきれいにのどかな春の気分を表出してステキ〜って思ったんだけど、夢のようにきれいすぎて何だかほんとに夢を見ているよう。心穏やかに感情の起伏もなく過去を懐かしんでる。青春のとげとげしさも抱えていた不満も負のエネルギーもみんな平坦化してもはや揺れるものがない感じ。それは疾風怒濤の第4楽章でも同じで、夢見るような第2主題のとろけるような美しさは特出ものだけれども、全体が形が整いすぎてて、燃えるものが心にわき上がってこないの。もっともっとはちゃめちゃに演奏して欲しい。CDの録音じゃないんだから。老齢の大家の音楽ではない、もっとアグレッシヴで触れれば火傷するくらい熱くて尖ってる音楽をマーラーは書こうとしたんだから。
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# by zerbinetta | 2008-11-25 19:53 | フィルハーモニア | Comments(0)

ゲルギーカロリー控えめ?   

prokofiev romeo and juliet
valery gergiev / lso @barbican hall


ロンドンシンフォニーのロミオとジュリエット、今度は舞台なしの音楽だけ。なのに全曲通し。これは珍しいでしょ。指揮はゲルギー。常任指揮者なんですね。ゲルギーといえば、指揮棒なしで手がぶるぶる、エクトプラズム出しまくりのすごい指揮をする人で期待大。そしてその期待は序曲が始まったとき満たされたのです。旋律の歌わせ方のニュアンス、これはもうゲルギーの独壇場。と思ったんだけどね〜、なんだか今日の演奏からは彼のオーラがあまり感じられませんでした。カロリー控えめというかそつなくまとめるというか、今や確固たる地位を築いて世界中から引っ張りだこ(というか前から演奏過多気味だったんだけど)になって安定期に入って力をセーブしだしたとか。終演後もそんなに汗をかいていなかったし。わたしの聴きたい音楽ではなくなってた。一定の水準に達していたし(これはこれで難しいことだけど)、音楽は音楽でやっぱり泣いたりしたんだけど。ゲルギーには丸くなって欲しくない。またエクトプラズム出しまくりの人に戻って欲しいな。
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# by zerbinetta | 2008-11-21 19:59 | ロンドン交響楽団 | Comments(0)

重い構造物を動かす巨大エネルギー   

bruckner symphony no.5
jiri belohlavek / bbcso @barbican hall


それがブルックナーの交響曲第5番に対するわたしの印象です。なぜかブルックナーをよく聴きます。ブルックナーがとりわけ好きというわけではないのにね。そして一部のブルックナー信奉者は苦手です。ブルックナーは女には分からない、とか真顔で言うんですよ〜〜。というわけで相変わらず道に迷いながら(もう3回目なのに)バービカンセンターにBBC交響楽団のブルックナーを聴きに行ってきました。初めて聴くBBC交響楽団です。ロンドンには4つのメジャーなオーケストラがあるけれど、わたしの聴くその3つ目。バービカンホールはLSOとBBCSOが本拠を置いているホールで、2000人弱収容の意外と小さな(横に広くて、ステージと一番後ろの席との距離が短い感じです)ホールです。ビエロフラーヴェク(そう読むそうですよ)さんの演奏はとても堂々として、音楽の固まりを大きく捉えて音のエネルギーを最大限に解放するような演奏でした。ごりごりと巨大な構造物を無理矢理動かそうとして動いては止まる第1楽章。第3楽章のエネルギーをそのままに、構造物が動き出す最終楽章。フーガの勢い、決して速いテンポで煽っているのではなく、音のエネルギーを一つずつ堆積して熱を増していく感じ。最後の怒濤のエネルギーの放出は聴くもののカタルシスを満たしてくれます。曲の完成度が全く違うので不公平感漂いまくりだけど、この間のドホナーニさんのブルックナーよりこちらの方がはるかに良いできでした。すっきりした〜〜。
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# by zerbinetta | 2008-11-12 02:01 | BBCシンフォニー | Comments(0)

ハッピーエンドのロミオとジュリエット   

prokofiev romeo and juliet
mark morris dance group,
stefan asbury / lso @barbican theatre


わたしはプロコフィエフのバレエ、ロミオとジュリエットが大好きなんです。観ると必ず泣くので涙のカタルシス。だいたいもう最初の序曲が始まったとたんからうるうるなんですよ。早すぎっ?そのバレエをアメリカのダンスグループが演るというので、しかも驚くべき最後というので飛びつきました。と、飛びついた割には当日遅刻でバルコニーのシーンが終わるまで観れませんでした。ロンドン名物の地下鉄の工事中に当たってしまったの。ぐすん。ホールの外でシーンを想像しながら聴いてましたよ。
やっとこ観れたのは一夜が終わって(あのシーンも泣けるシーンだったんだけどな〜)、町に集うロミオたちのところに乳母がジュリエットの手紙を持ってくるところから(あれ?教会のシーンからだったっけ?)。振り付けはバレエとダンスのバレエよりの中間みたいな感じ。本格のバレエとはちょっと違うし、純然のダンスでもない。でもストーリーのしっかりしたドラマなのでこんな風になるのは必然なのかもね。ところで音楽の方はいつものプロコフィエフの音楽に聞き慣れない(でもプロコフィエフの)曲が足してある。ヘンなのって思ったのは、ジュリエットが親の意志でパリス伯爵との結婚式を挙げる朝、ジュリエットが寝ている中、普通のでは小娘たちの踊りがあるんだけど、今回のはそれに加えて各国のいろんな踊り。寝てるそばでわいわいがやがや。きっとホントはジュリエットの部屋ではないところでのお披露目なんだと思うけど、乳母と少女のひとりがジュリエットのベッドに座ってこれを見ていたのでなんだか違和感。舞台の都合かもしれないんだけどね。そしてもっとびっくりはロミオの見てる前でジュリエットが目覚めたこと。もうそうなったらロミオは死ぬ理由なんてないから最後は結ばれて、なぜか両家もあっさり和解、ハッピーエンド。最後はロミオとジュリエットの踊りです。うわ〜〜なに〜〜〜って思ったけど、実はこれがプロコフィエフのオリジナル版だったのね。現在よく演奏されてるのは、作曲者自身が改訂した改訂版。どう考えてもこちらの方がいいけどね。やっぱり悲劇じゃなきゃ。但し、いつも気になってたことなんだけど、現行版(改訂版)の最後がなんだか悲劇に聞こえない。なんだかほんのりとした幸せ感に包まれているのはなぜ?って腑に落ちなかったことがここではっきりしました。この最後、オリジナル版(ハッピーエンド)と同じ音楽なんです。ハッピーエンドで終わる音楽を悲劇の最後にも使ったプロコフィエフはちょっと手抜きって思ったりしました。
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# by zerbinetta | 2008-11-08 19:57 | バレエ | Comments(0)

内田さんがメシアン!   

mitsuko uchida (pf), soovin kim (vn), martin frost (cl),
Christian poltera (vc), llyr williams (pf) @qeen elizabeth hall


を弾くというのでびっくりして聴いてきました。わたしの中では内田さんというとモーツァルト弾き、シューベルト弾きというイメジがあるのです。でも最近、シェーンベルグなんかも弾いてらっしゃるのですね。内田さんが参加したのは音楽会の後半、メシアンの世の終わりのための四重奏です。どんな音楽になるんでしょう。わたしは、内田さんというとしみじみとした深い優しい響きのイメジが強いので(なにしろシューベルトばかり聴いているので)、メシアンの硬質な音を求める音楽に合うのかなと心配してました。確かに予想は当たりました。内田さんのピアノは深い柔らかめの音色。でも、そこから新しいメシアンの音楽の魅力が見えてきます。和音の固まりが音楽全体を包み込むように響きます。楽器どおしの音が融け合ってオルガンのレジスターを変えるような効果が聞こえます。これは新しい驚きです。クラリネットの人の巧かったこと。無音からフォルティッシモまでのシームレスな音量の変化は凄かったです。終末の時(聖書的な意味なので祝福に満ちた平安の時)への希望。戦争捕虜として囚われの身となっている者の圧倒的なレジスタンスでしょうか。世の終わりという題名の響きや(時の終わりと訳した方がより原意に近いと思うんですが)、戦時中の強制収容所で書かれたという歴史的な経緯から、恐怖や暗い絶望に満ちた音楽と捉えられがちなような気がするけれど、音楽には希望が満ちているとわたしは思います。内田さんたちの演奏も音楽をする喜びに溢れていたようにわたしは感じました。
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# by zerbinetta | 2008-11-06 19:25 | 室内楽・リサイタル | Comments(0)

我らが音楽   

vaughan williams: fantasia on a theme by thomas tallis, symphony no.9,
three shakespeare songs, symphonies no.6 & 5
richard hickox / po, philharmonia voices @royal festival hall


ヴォーン・ウィリアムスは我らが音楽の巨匠。日本では、そしてわたしのとってもちっとも馴染みがなくって、今日は初めて聴く曲ばかりだったんだけど、やっぱりちゃんと地元の音楽は聴かなくっちゃね。その土地の音楽ってその土地でしか味わえない何かが染みついていて、それを肌に感じられるというのはステキなことだから。もちろん、今や音楽はもっと普遍的で、日本でもベートーヴェンの音楽は理解できるのだけれども、でも、その土地でしか感じられないものって確実にあると思うんだよ。そんな特殊性は音楽の価値を下げるものでもなく、音楽の偏狭主義を是認するものでもなく、自然に染みついているものだと思うんです。例えば、フランスのワインはフランスの空気の中で飲むのが一番おいしいし、日本のお鮨は日本のお寿司屋さんで食べるのが一番おいしいというみたいに。だから、わたしは地元の作曲家の音楽はなるべく聴いてみようと思ってる。イギリスの音楽があまり馴染みがないとしても。とは言え、イギリスに暮らし始めてからまだ2週間にも満たないのでこの国の空気感は、まだわたしの中に入ってきてないんだけどね。ただ隣に座ったおじさまがこの曲歌ったことあると懐かしそうにおっしゃっていたので、ああここにも音楽が生きて流れてるんだなぁっていうのは感じました。会場の雰囲気もあたたかかったしね。ウィリアムスの交響曲はマーラーやブルックナーのような長大なものではないんだけど、3曲も演ったので、休憩2回を含めてずいぶん充実した音楽会でした。この人の作品は穏やかで美しい音楽です。まさにイギリス紳士のって言ったらあまりにステレオタイプでしょうか。ただ、悲しいことに指揮者のヒコックスさん、程なくして亡くなられました。まだ、鬼籍に入るお年ではないのに。ヒコックスさんのウィリアムスの音楽会は、先にも予定されていたのに。とっても残念です。ご冥福をお祈りします。
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# by zerbinetta | 2008-11-02 19:22 | フィルハーモニア | Comments(0)

孤独、ブルックナーって自然が嫌い?   

mozart symphonia concertante, k364
bruckner symphony no.4
benjamin schmid (vn), rachel roberts (va),
christoph von dohnanyi / philharmonia o @royal festival hall


初めて聴くフィルハーモニア・オーケストラ。指揮者は前に弦の切れた若いソリストを上手にサポートして好印象のドホナーニさん。そして1回聴いてみたかったブルックナーのロマンティック。実はこの日記は1ヶ月以上おいて書いてるので(ブログを書こうと思い立ったのが最近なので)、強く印象に残ったところだけを書きますね。本当ならば大好きなモーツァルトにも一言触れるべきなんでしょうが。
ブルックナーの交響曲、弦のトレモロの上に裸のホルンで始まります。このトレモロ、ピアニッシモだし何となく淡い雰囲気って思いこみがあったのですが(もしかして大好きな7番の印象が強くて?)、結構力強いんですね。コントラバスが入ってるから。で、ホルンのソロが聞こえたとたん戸惑うわたし。孤独?こんなに孤独だったっけ?この曲。確かにホルンが一人で単純な旋律を吹いていきます。でも、夜明けの太陽が森に射していくような光の暖かみがあったような気がするけど。音楽が進んでも孤独感が消えることがありませんでした。ソロの多用がそう感じさせるのかな。この曲ってこんな曲?こんなイメジでCDを聴いたことがありません。わたしに見えてくるのは孤独感と、ブルックナーが苦心したであろう曲の構成感、各楽章の関連性をとっても意識して作られてるのを聞き取ることができました、そして、自然と神(教会)との融合の失敗。ブルックナーは本質的に自然が嫌いだったのでは。そうでなければ(自然からの)こんな孤独な疎外感を感じさせるはずがありませんもの。ドホナーニさんはとても繊細に丁寧に音楽を作ってました。ブルックナーはこの曲ではまだ自分を表現する技術を持たなかったのか、ずいぶんと考えることとなりました。
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# by zerbinetta | 2008-10-30 05:12 | フィルハーモニア | Comments(0)