謎はなかった インバル/都響 ショスティ15   

2016年3月29日 @東京文化会館

モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番
ショスタコーヴィチ:交響曲第15番

クンウー・パイク(ピアノ)
エリアフ・インバル/東京都交響楽団


都響と深いつながりのあるインバルさんとの音楽会。来月のサントリーホールでの「カディッシュ」は聴きに行けないので、こちら。ショスティとアヒルの群れにぽつんと白鳥の雛が混じっちゃったようにモーツァルト。インバルさんとモーツァルトがどうしても結びつかないんだけど、ピアニストの希望?
絶対似合わない~~って思ったけど、ふたを開けたらほんとにそうでした。ピアノのパイクさんは、少しロマンティック路線のピアノ。オールドスタイル。対するインバルさんは、ロマンティックとは距離を置いているけど、ピリオド・スタイルではない、これまた別の往年のスタイル。正直ふたりの音楽がかみ合ってるのかかみ合ってないのかよく分かりませんでした。よく分からないまま進められるモーツァルトの名曲。まあ、協奏曲ですから、インバルさんはパイクさんに合わせて付けていたと思うんだけど、このスタイルの演奏にちょっと戸惑ったまま終わってしまいました。わたしの度量の狭さゆえだけど、悔しい。無地になってまず音楽を受け入れる訓練をしなければ。。。
パイクさんのアンコールは、ブゾーニの「悲歌集」から「トゥーランドットの居間」という曲だそう。初めて聴く曲だけど、モーツァルトよりこちらの方がパイクさんのピアノの雰囲気に合ってたかな。音に落ち着きがあって速い部分でもメカニカルにガチャガチャとしない感じがいいの。グリーンスリーヴスが聞こえてくるとやっぱりしっとりしちゃうから。

ショスティは謎が多い。最後に書かれた(死の床で書かれたわけではない)交響曲第15番はとりわけ謎だらけの作品だと思います。「ウィリアム・テル」や「神々の黄昏」からの露骨な引用ゆえにその意味がかえって分からなくなってるというか、本当に謎かけなのかすら謎。メタ謎かけ。それを考えながら頭で聴くのがショスティの魅力のひとつだと思うんだけど、さて、インバルさんの演奏は、即物的ゆえに謎がなかったかのように消えているの。音楽を、書かれた音符に即して、音だけを取り出してわたしたちに聴かせてくれる。クリアに理知的に。音そのものには確かに意味はないし、意味を考えるのはかえって音楽を聴くことを邪魔するのかも知れないけど、でも、わたしにはそれが物足りなく思えました。永遠に答えが得られないのなら(多分交響曲第15番の謎はそういうものなのです)、答えを見つけるより、問いかけはいらない、という割り切り方にね。ひとつのアプローチの仕方としてとても正しいんだと思うんですけど。。。
ドライな都響の音もインバルさんの解釈に縁取りを与えていたと思います。なので、両者の方向が一致していて、この音楽にはまる人には、もう素晴らしい演奏なのでしょう。ただ、チェロのソロや金管楽器にもう少し奮起を求めたいところはありました。
インバルさんと都響の長き良きコラボレイションは、今の都響をインバルさんの楽器にしているので、これからもインバルさんとの共演が楽しみです。でも、同時に、大野さんが音楽監督になられて1年。大野さんの下、これからどう変わっていくのかを聴き続けるのも楽しみです。




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# by zerbinetta | 2016-03-29 11:24 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

カオスのエロス 大友/群響 トゥランガリーラ   

2016年3月20日 @すみだトリフォニー

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
メシアン:トゥランガリーラ交響曲

児玉桃(ピアノ)、原田節(オンド・マルトノ)
大友直人/群馬交響楽団


群馬交響楽団、しばしば練馬交響楽団と間違えるんだけど、前に一度聴いたし(しっかりした地方オーケストラの印象。地方のレヴェルもすごく上がっていますね)、わたしには縁のない土地だし(わたしは地元優先主義)、今年はいいか~と思って、チケット割引のお知らせを放っておいてたのだけど、トゥランガリーラをやると聞いて俄然興奮。悔しいかな割引のお知らせは捨てちゃったので、定価でチケットを買って聴いてきました。群馬交響楽団、年に2回東京公演を行ってるみたいですね。

「牧神の午後への前奏曲」は、柔らかな白昼夢の中にいるような演奏。刺々しいドビュッシーの批評集を読むと、彼の新しい音楽がそんな音楽を指向していないことは明らかだと思うのだけど、時代は変わって、時を経て多様な聴き方ができるようになった古典。大友さんの、分かりやすい、クラシック音楽に馴染みがない人の耳にもすうっと入ってくる音楽は、クラシック音楽の裾野を広げるのに、とっても価値のあることだと思います。オーケストラも曇りのない明るい音でゆらゆらと白昼夢。

メシアンの大作「トゥランガリーラ」は、オーケストラがここまでやれるぞ、とアピールするような選曲かも。で、実際なかなかやるなって思ったんですけど。演奏するには確かに複雑で、難しい曲ではあると思うんだけど、Jポップだってポリリズムやら、複雑な踊りやら、やたらと難しくなってる昨今、「トゥランガリーラ」もビートに乗って演奏できるんですね。結構ポップなノリのリズム感で、すいすいと危なげない。それに、何だか、もはや現代音楽には聴かせない、みたいな感じで、おおお、「トゥランガリーラ」ってこんなにも分かりやすい、きれいな音楽かって思えました。ここにも大友さんらしさが出ていたんじゃないかしら。幅広くいろんな音楽を分け隔てなく演奏している大友さんならではのポップな音の饗宴を楽しむ「トゥランガリーラ」になっていました。今の人には絶対、ベートーヴェンやブラームスより近づきやすいし、感覚的にストンと腑に落ちるんじゃないかしら。一方で、音が混じってヴィヴィッドな色合いよりも中間色的なふんわり感が(それこそが大友さんの特徴なのかな)出てしまったのが、尖った音楽好きのわたしにはちょっと物足りませんでした。
原田さんのオンド・マルトノ音は、わたしの席からはあまり聞こえなかったです(指向性のあるスピーカーを通しちゃうのでどうしても席によって聞こえ方が違っちゃう)。もしかすると、大友さんの意図がオンド・マルトノもオーケストラの楽器の一部として全体の音色を作る方にあったのかもしれませんが。
超素晴らしかったのは、ピアノの桃さん。がんがんと確信を持って弾く引きっぷりが良かったし、「愛と眠りの園」の機械仕掛けの鳥の囀りを微妙にルバート(アドリブ)かけて弾いていたのが、わたし的には完全にツボ。桃さんメシアン弾きですよね。もっと聴きたい。

あと全然関係ないけど、時事的に、大太鼓のマレットのフェルトがふんわりとゆるんでて風になびくトランプさんのカツラ(?)のようで、ずっと可笑しかったです。

愛をしっかり充填してきたんだけど、メシアンのエロス、どんな愛だったんだろう。「トゥランガリーラ」を聴きながらことに及んだらどんなすんごいxxxドラッグ系?アクロバティック?野獣?性の喜びの解き放たれたカオス。


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# by zerbinetta | 2016-03-20 09:39 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

出逢いそして別れ ツァグロゼク/読響   

2016年3月17日 @サントリーホール

ベンジャミン:「ダンス・フィギュアズ」
コダーイ:組曲「ハーリ・ヤーノシュ」
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」

ローター・ツァグロゼク/読売日本交響楽団


あとで気がついたら、今日がわたしの読響さんのシーズン最後の音楽会になってしまいました。来シーズンはサブスクライブしないので、読響さんとはお別れです(お客さんとしていくつかの公演はシングル・チケットで聴きに行きますよ)。指揮者のツァグロゼクさんは、全然知らない人。なので、ヘンに期待もせず、平常心で聴きに行きました。

始まりはイギリスの存命の作曲家、ジョージ・ベンジャミンさんの「ダンス・フィギュアズ」(2004)。で、今日の収穫その1は、ベンジャミンさんを知ったこと。
と、初めて聴く人のように書いてしまいましたが、あとで調べたら、わたし、この人のオペラ聴いているんですね。すっかり忘れてました(というか誰が書いていたか意識してなかった)。バレエのための音楽ということで、どんな踊りになるのか妄想しながら聴いたら楽しかった。とは言え、どんな踊りになるかあまり想像できなかったんですけど。わたしは物語バレエの人なので、まず物語を想像するんだけど、ちょっとそれが難しかったな。初めて聴く曲だし。でも、これ、とってもステキな音楽でした。響きがとってもきれいなんですよ。その響きを作るための楽器の選択がとっても色彩的でいいの。

「ハーリ・ヤーノシュ」は、今日の最後の「英雄」とナポレオンつながり。ほら吹きヤーノシュがナポレオンを打ち負かした話が、第4曲なんですね。この曲は、前にも聴いたことあるのだけど、ツィンバロムをちゃんと見たのは初めて(前に聴いたときはかぶりつきだったので楽器がよく見えなかった。今は亡きマズアさんがしきだいから落っこちたのを鮮明に覚えてる)。打楽器だとは知りませんでした(正確には打弦楽器と言うんだそうです。ピアノの弦のようなものをばちで叩くの。
ツァグロゼクさんの演奏は、即物的。物語性や絵画性を強調することはあまりしないで、音をあるがままに音にした感じ。ドライでわたしは好きな演奏でした。ただオーケストラにはもちょっとがんばって欲しかったな。特に金管楽器。弱音と強音での音の力に差がありすぎて、弱音では音に芯がないというか、ただ小さい音で吹いたという感じで響きが薄かったです。あと、トップ奏者はまだしも、セカンド、サードの人たちが少し力不足でした。

ベートーヴェンの「英雄」は、「ハーリ・ヤーノシュ」の演奏から予想されたように、やっぱりさくさくとドライなある意味ピリオド・スタイルに近い演奏でした。ティンパニも固いマレット使っていたし、鋭く付けたアクセントとか、もったりしないテンポとか、甘いケーキ系ではなくておせんべい系な感じ。この間の、広上さんのベートーヴェンが時代遅れ(そういうロマンティックな表現も音楽に説得力があればいいのですけど、昔聴いた巨匠の演奏をなぞってみました的な演奏ではダメです)だったので、今日のツァグロゼクさんの演奏で溜飲を下げました。第2楽章のお終いでティンパニのマレットを柔らかなものに代えていたのも心憎いです。あっでも、ホルンにはもっとがんばって欲しかった。

ツァグロゼクさん、好みのタイプのイケメンおじいちゃんだったわ。音楽が老いぼれてなく尖っていたのもステキ。
読響さんとはこれでお別れ(定期会員として)だけど、上手いっぽいのに物足りなさを感じることが多かったのは、多分、トップ奏者と後ろの方の人たちの音楽の力に差があるからだと思います。読響がもう一段のレヴェルアップを図るには、後ろの人がその他大勢ではなくひとりひとりがオーケストラの音楽に前の人と同じように参画するようにならなければいけませんね。全員がひとつの音楽を奏でられるように。良いオーケストラなのでそうなって欲しいです。
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# by zerbinetta | 2016-03-17 00:07 | 日本のオーケストラ | Comments(3)

周回遅れのベートーヴェン 広上/日フィル   

2016年3月4日 @サントリーホール

シューベルト:交響曲第7番
尾高惇忠:ピアノ協奏曲
ベートーヴェン:交響曲第5番

野田清隆(ピアノ)
広上淳一/日本フィルハーモニー交響楽団


初めて聴く広上さんと日フィルの名曲系プログラムに挟まれてぽつんと本日初演のピアノ協奏曲。プレコンサート・トークで広上さんは、定期演奏会でクラシックの定番に新しい(現代)音楽を挟むというのは珍しい、とおっしゃっていたけどええぇそうなの?当の日フィルも新作を定期演奏会でいつものレパートリーの中に入れて初演してるし、珍しいことではないのではないかしら。

シューベルトの「未完成」とベートーヴェンの「運命」の間に挟まれたのは、尾高惇忠さんのピアノ協奏曲。惇忠さんは指揮者の忠明さんの兄。お父さんの尚忠さんは指揮者、作曲家だったから父の仕事を兄弟で分け合った感じ(?)。で、広上さんは、惇忠さんの教え子。
そのピアノ協奏曲は、和風の入ったちょっとメシアンっぽい、一見複雑そうで、実は至極単純な細胞の積み重ねでできている感じ。変拍子のような第3楽章もなれてくると頭でリズムが取れるようになったのでやっぱり単純な繰り返しなんでしょう。尾高さんは、プログラムノートの中で、斬新な音楽の語法に囚われないで真に新しい現代音楽を模索していると書いていましたが、わたしには、この音楽が、今の人の心を突き刺す音楽のようには聞こえませんでした。でも、もしかすると今の人は、心に突き刺さるような音楽を求めていないのかも知れませんね。ちょっと背伸びをすれば分かりやすい、耳に入りやすい音楽で、クラシック音楽の文脈からは、普通の音楽会でラフマニノフの協奏曲の代わりに入ってもいい感じの曲だと思いました。
野田さんのピアノは、難しさを感じさせずにこの曲を弾きこなしていたし、今日初めて演奏される音楽を癖なく紹介している感じは好感持てました。広上さんは、なんかものすごく気合いが入っていて、シャドウボクシングのようにしゅっしゅと発しながら複雑なリズムを右に左に捌くようにオーケストラをドライヴしていてアスリートみたいでした。

ピアノ協奏曲を挟んで前半の「未完成」は、初めて聴く広上さんの指揮だったんですけど、わりとオーケストラを自由に歌わせるような演奏だったんだけど、オーケストラはなんかおとなしく、あまり積極性が感じられなかったのが残念です。ベートーヴェンにも言えるんですけど、ダイナミックレンジが狭く、正直退屈でした。弱音の純度がもっと上がらなければ、こういう曲は難しいかも。

「運命」は、残念ながら完全に時代遅れ。敢えてそういう音楽をしたいという、必然性や覇気も感じられず、昔レコードを聴いて育ってきた往年の巨匠の演奏の表面をなぞってるだけのように思えました。ベートーヴェンって常に新しくされ、それぞれがもう本当にエキサイティングで新しい発見に満ちている音楽だと思うのだけど、ロンドンではいつも最新鋭のベートーヴェンを聴けたのだけど、それは贅沢で、日本では難しいのでしょうか。広上さんの指揮は見ていて楽しいのに、楽天的な性格なのか、音楽が深い淵をぞくりと見(魅)せることはありませんでした。演奏慣れしている名曲系は演奏者にとってむしろ怖いかも知れませんね。



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# by zerbinetta | 2016-03-04 00:04 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

石毛さん絶対床上手 オーケストラHAL 第11回定期演奏会   

2016年2月28日 @ティアラこうとう

チャイコフスキー:「白鳥の湖」抜粋、交響曲第6番「悲愴」

不思議な名前のオーケストラ、HALの音楽会。HALは英単語の頭文字なんだけど、わたしの英語的にはちょっとくらりとする感じなのね。それは置いといて、HALには前に聴いたときから好印象を持ったのでした。石毛さん好きだし。今日はチャイコフスキー。

「白鳥の湖」は、組曲ではなくて、バレエの全曲から物語を追うように選曲。第2幕のバレエ的にはクライマックスのグラン・アダージョがなかったり(ヴァイオリンのソロで聴かせるのが難しそう)、第3幕の各国の踊りがスペインだけだったり(組曲版はハンガリーの踊りが演奏されるんでしたっけ?)、ちょっともったいない感じもしたけど、バレエを知ってる人なら物語を思い浮かべながら聴けるのでとても良い選曲。「悲愴」はもちろん超有名だし、屈指の名曲。

HALは、上手いけれどもむちゃくちゃ上手いとまでは言えないオーケストラ。弱音の精度や響きの豊かさに不足を感じることはあるけど、指揮者の石毛さん(音楽監督とも主席指揮者とも書いてないけど、第1回定期演奏会からずっと振ってらっしゃる実質的な主席指揮者(?))のリードの下にとっても良い音楽をするんです。弾いてる人みんなが指揮者を見てるし、体を揺らしながらアンサンブルを楽しんでる。石毛さんもオーケストラの良いところを引き出すのが上手い感じで、流すところはさっと流して(といっても前に聴いた和田さんほどではなかったけど)、作り込むところは丁寧に作り込んでる感じ。この緩急の付け方がとっても上手くて、手練手管で弾いてる人たちをほんとにうっとり気持ち良くさせてくれそう。ツボが分かってる。石毛さん絶対床上手だわ。音楽としては奇を衒ったディモーニッシュなところはなく、深みに向かうところはあまりないのだけど、でも、音楽を楽しく気持ち良く演奏させてくれるの、それが聞き手にも移って気持ち良く聴けるのってステキなこと。こう言ったら石毛さんには失礼かもしれないけれども、医者を辞めて指揮者になった石毛さんって最良のアマチュアだと思う。義務でない自発的な音楽を奏でるという意味で、アマチュアって音楽家にとって決して悪い意味ばかりではないと思うから。
なんか、涙を溜めながら弾いてる人もいたし、演奏が終わったあと涙ぐむ人もいて、今日の音楽会が演奏者にとっても心に残るものだったんだな、って、わたしもこういうアマチュアらしい音楽会も大好きだなって思ったのでした。

アンコールには、チャイコフスキーの組曲第4番「モーツァルティアーナ」から「祈り」が奏されて、音楽会は心に暖かい光りを灯してくれたように終わりました。
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# by zerbinetta | 2016-02-28 23:50 | アマチュア | Comments(0)

自然と人間 ヤンセン、P.ヤルヴィ/N響   

2016年2月13日 @NHKホール

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
ニールセン:交響曲第5番

ジャニーヌ・ヤンセン(ヴァイオリン)
パーヴォ・ヤルヴィ/NHK交響楽団


兄ビーとN響、前回のブルックナーに引き続いて、今度はブラームスとニールセン。ニールセンの交響曲がもう楽しみ。あの小太鼓をどう処理するのか興味が尽きません。そして、前半にはヤンセンさんの独奏でブラームスの協奏曲。ずいぶん前に、ヤンセンさんが弾くこの曲を聴いたことがあるんだけど、わたしとはどうもそりが合わなかったみたいで。。。でも、そのあと聴いた、シマノフスキの協奏曲はもう、これ以上のものは考えられないと思ったほど素晴らしかったので、今日のブラームスは、日本語でリベンジって言うの?、そんな仕切り直しみたいな気持ちで聴きました。

でも、そんな思いは霧と消えて、ヤンセンさんのブラームスとても良かったんです。前に感じた違和感はなんだったんでしょう。ヤンセンさんの演奏は力みがなくとっても自然。さりげない歌があって、でも、細かいところまでしっかりと目が行き届いていてステキなの。キラキラしない伸びのある音色もとってもきれい。すうっと爽やかに広がるブラームスの青空。ブラームスって暗いとか渋いって言われるけど、透きとおった声で歌われる演奏もいいよね。パーヴォさんとN響は、ヤンセンさんに合わせてパーヴォさんカラー控え目のストイックな、でも時折ドキリとするようなアクセントで伴奏していました。でも、ごめんなさい。わたしの耳はヤンセンさんに釘付けであまりオーケストラを聴いてなかったかも。
ヤンセンさんのアンコールのバッハの無伴奏も同じ路線。爽やかに話すように歌う、清涼飲料水のような喉ごし、耳ごし。もっと聴いてみたいな。

後半のニールセンの交響曲。わたし的には、重箱の隅というか真ん中をつつくように小太鼓の狂気に注目しちゃいます。この小太鼓聴きたさにこの曲聴くし、この小太鼓で演奏の価値が決まっちゃうくらい。で、今日の演奏。すっごーく良かった。パーヴォさんの自信がみなぎっていたし、外から介入してくる余計な音楽(例の小太鼓!)のぐちゃぐちゃ度もかくありなん(もうひとりのパーヴォさんがじゃまをしているみたい)。それに、クラリネットの人が、あの弱音が、素晴らしすぎ。N響にこんなに吹ける人いたのかとびっくり(ちょっと失礼)。
第4交響曲と共に戦争の蔭のある音楽。対立と和解を暗示するような小太鼓とオーケストラ。オーケストラの感動的な歌に引き込まれるように小太鼓のトレモロが走るところがめちゃ好きなんですけど、激しい対立も和解を生み出す希望があるんですね。小さな芽が育っていって全てを包み込み和解する懐の深い自然。破壊を繰り返す人間もいつか自然のように和解を生み出す存在になれるのでしょうか。パーヴォさんの答えは多分イェス。音楽の力を信じ切った演奏からは、破壊から立ち上がる希望を強く感じました。きちんと破壊や狂気が示されてこその確信に満ちた希望。N響もパーヴォさんの棒に応えてほんとに良い演奏でした。すでに、今年のベスト音楽会候補です。
パーヴォさんとの蜜月の間に、ぜひ、ニールセンの音楽をたくさん採り上げて欲しい。ニールセンの名演をたくさん聴かせて欲しい。マーラーいいから、ニールセンやってーーー。
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# by zerbinetta | 2016-02-13 21:55 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

夜と歌おう カンブルラン/読響   

2016年2月12日 @サントリーホール

モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク
マーラー:交響曲第7番

シルヴァン・カンブルラン/読売日本交響楽団


タイトルは、今日の音楽会のチラシのコピーそのまんま。だって、あまりにも秀逸なんだもん。誰、これ考えたの?夜’に’でも夜’を’でもなく夜’と’。夜が擬人化させられて、何だか友達のよう。そんな音楽でしょ。「夜の歌」と呼ばれることもあるマーラーの交響曲第7番って、解釈によっては。すごく大らかで楽しそうでしょ。しかも気の利いたことにカンブルランさんが選んだカップリングは、なんと、モーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジーク!セレナーデ第〇〇番とも言われるんだけど、モーツァルトはそういう呼び方はしなかった(作品を番号順に呼ぶ習慣は彼の時代にはなかった)ので、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が正しい呼び方なんだって。日本語では「小夜曲」?

その、かわいらしい、誰でも知ってる有名な「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」。この曲を大きなオーケストラの定期演奏会で聴くとはまずびっくり。大学入試に「泣いた赤鬼」から出題されるようなアンバランス感。ところが、エッジの効いたカンブルランさんの演奏にまたびっくり。もうこの曲をイージー・リスニングの食堂とかでかかってる音楽だとは言わせませんよ。速めのテンポで、少人数とは言え室内オーケストラくらいの人数の弦楽合奏は少しもたつくところもあったけど、ロマンティックに陥ることのないザッハリヒなモーツァルトは乾いた夜を創出しててステキ。ある意味意表を突かれた。だって、マーラーも敢えて夜の歌と言及してロマンティックに行くのかと思ってたから。でも思い出してみれば、カンブルランさんのブルックナー(交響曲第7番)も「トリスタン」もロマンティック路線とは一線を画していたのでした。で、今気がついたのだけど、ブルックナー、「トリスタン」と今日ので夜3部作?

マーラーは、「夜の歌」のタイトルが交響曲全体のタイトルにふさわしいかどうかは別にして(プログラムには付きで載っていたけど、「夜の歌」と題されたのは第2第4楽章だけだから)、前半からの予想通り、ロマンティックな薫りを適度に排した演奏。でも、とは言え、マーラーの交響曲の中で最もロマンティックな曲(わたし比)なので、からからにドライな演奏ではなく、さりげない潤いもあって、読響の明るめの音色と相まって深刻になりすぎない音楽。夜=死、的な暗闇の音楽ではなく、なんだか夜と友達になれそう。お化けだって汚れのない目で見れば怖くない。そう、夜と歌うの。夜の蠱惑的な世界。ホールの向こうに夜が広がって、オーケストラと一緒に歌いたい気持ち。
でも、わたし、夜とかってあまりに音楽に哲学を求めすぎていない?夜とか昼とか、まるでトリスタンとイゾルデの愛のシーンだけど、意味を考えすぎじゃない?カンブルランさんの演奏は、そうした意味づけから少し距離を置いているようにも思えるの。素直に音楽を歌おうと。
近頃のわたしの捉え方は、それは最初にバレンボイムさんの演奏が教えてくれたんだけど、この曲ってあまり意味がなくてもいいんじゃないかって。交響曲というよりバロック時代の組曲のような内的な関連性のない音楽の集まり、みたいな。マーラーってこの頃、バッハの管弦楽組曲を編曲再構成して自家版のオーケストラ曲を作ってるし、第一、この曲の始まりってまさしくフランス風序曲だもの。それに、フィナーレのティンパニなんてバロックのティンパニの使い方そのもの。この曲のある意味統一感のなさがそんな感じ。でも反面、シンメトリックで論理的な構成(でも、第1楽章とフィナーレの取って付けたような相容れなさ)との矛盾。いろいろ、難しいというか訳の分からないことにもなっているかのような謎のある(というか謎を貼り付けたいのわたしだけーー?)この曲、でもカンブルランさんは見事におおらかに歌ってみせたのでした。だから、始まりから終わりまで、すとんと腑に落ちるように余計なことを考えずに聴き通すことができました。
最後の大団円。驚きのカウベル大増量。チェレスタの人までカウベル持って、全部で7人?いっそのことP席の人にもカウベル持たせて、50人のカウベル隊というのは流石に余計なところでからんからんうるさそうだから、会場係の人に持たせて、ホールの四方からカウベルがって。冗談は止しにして、目の覚めるカウベルというか、いい気になって牛にちょっかいを出してたら牛の大群に追いかけられて間一髪逃げ切るっていうお話になって喜びのうちに交響曲は閉じたのでした。(なので、わたし的には今日の拍手のタイミングの遅さ、フライング拍手やブラヴォーよりも残念でした。逃げ勝ったんだから音が消える前に拍手で良かった。(音楽ファンを敵に回す発言ですが)

ま、冗談はさておき、わたし的には好きなタイプの、すらりと整ったステキな演奏でした。個々の力不足はなきにしもあらずだけど、読響もがんばってくれていましたしね。やっぱり、主席指揮者との演奏は違うな。いつもがんばろうよ、読響。
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# by zerbinetta | 2016-02-12 22:55 | 日本のオーケストラ | Comments(0)