LSDでトビッパ ソヒエフ/N響 幻想交響曲   

2016年1月15日 @NHKホール

ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための2重協奏曲
ベルリオーズ:幻想交響曲

フィルクハルト・シュトイデ(ヴァイオリン)
ペーテル・ソモダリ(チェロ)
トゥーガン・ソヒエフ/NHK交響楽団


ソヒエフさんは、若手(というかそろそろみんな40代)の指揮者の中で最も好きな人のひとり。そのソヒエフさんが、今勢いの出てきたN響に客演して、はちゃめちゃな幻想交響曲を振るとなれば聴きに行かないわけにはいけません。今日もNHKホールの天井桟敷の人となったのでした。それにしても今日は少しすいていたな~。こんな良い音楽会なのにもったいない。曲目はオーソドックスだから、ソヒエフさんがまだあまり知られていないってことかな。

前半は、ウィーン・フィルのトップ奏者をソリストに呼んでブラームスの2重協奏曲。このおふたりとソヒエフさんは、すでにウィーンでもこの曲を演っているのですね。
さて音楽は、プログラム冊子に書いてあったクララ・シューマンの言葉「これらの楽器は華やかではないからです」通り、なんかとても地味。地味が身上のブラームスでもヴァイオリン協奏曲なんかは派手ではないけど、ここまで地味じゃないから、チェロが足を引っ張ってる?と言う軽口は置いといて、普段オーケストラで弾いてる人がソリストなので、オーケストラの中で弾いているように、オーケストラに溶け込んで演奏していたからじゃないかしら。でもね、クララの言う「この協奏曲に未来はない」は見事に外れました。だって、ブラームスの最後のオーケストラ作品となったこの曲には、ブラームスの円熟がいっぱい詰まってるんですもの。まだ枯れてはいないし、ふたりの気のあったソリストを呼ばなければいけないから演奏機会は減るけど、良い曲だもの。
今日の演奏は、さっき書いたとおり、協奏曲というよりオーケストラ曲として演奏された感じ。でも、オーケストラをリードするソリストの音楽は、ウィーンで過ごした晩年のブラームスの柔らかな香りがしてとても良かったです。ヴァイオリンとチェロが対立せず、同じ音色のパレットを使って秋の豊穣の絵を描いていたのもステキでした。

後半の幻想交響曲は、意外や意外、ひっちゃかめっちゃかな末端肥大症気味の表現主義的な演奏ではなくて、ある意味古典的なフォルムを大事にした演奏。この音楽が、マーラーではなくてベートーヴェンの死後3年という時代に書かれた音楽であることを随所で感じさせてくれるものでした。音楽が整っていて美しい。これにはびっくり。でも、それでいて、特にダイナミクス(音量の振れ幅)でベルリオーズの極端もしっかりと魅せてくれる、ソヒエフさん凄い。ピッコロもちゃんと凶暴だったし、いろんなヴィブラートの付け方への細やかな目配り、フレージング、どこをとってもソヒエフさんの音楽。するすると進む快速テンポで始まって、それを基調に、でも、第1楽章の最後や、第3楽章ではテンポを落としたり、ツボがたくさん。第2楽章は、わたし的に大好きなコルネットのオブリガードは無かったので、勝手に脳内で足して聴いてたのはナイショだけど、華やかでフォーマルな感じの舞踏会が広がって、最後は流行の音を残すことなく閉じていたのは、まだこの曲が正統的な音楽の一枝として演奏されていた時代への好ましい回帰。第3楽章に音楽の内面的な中心を置いた設計も良かったな。それに、やっぱり、ティンパニに4人、人がいるのを見るだけでもワクワクする。さらに後には大太鼓ふたり!そのティンパニの雷鳴は、遠くで不安を煽る轟きで、最後のふたつの楽章で駆け抜けるように音楽が爆発。ここでソヒエフさんは、古典の枠を解放してお祭り騒ぎのカタルシス。ギロチンが落とされる瞬間の断末魔の叫びは、長く引き延ばされてクレッシェンドして。魔女たちの宴はおどろおどろしさ控え目で、小クラリネットの魔物に変容した恋人の踊りは、むしろ明るく健康的。楽しそう。音がヴィヴィッドで、尖った音色の燦めきは、阿片で見たの幻覚と言うより、アッパー系の覚醒剤かサイケデリック系の薬物で決めちゃった感じの幻想でした。
N響は、ソヒエフさんの棒に応えて、日本を代表するオーケストラの矜持を示すように素晴らしい演奏をしてくれたのだけど、でも、わたしの際限ない欲望は、もっと上手いオーケストラだったならなぁ、と感じられてしまったのも事実。ソヒエフさんの音楽以上のものをオーケストラが自発的に生み出して欲しかった。ソヒエフさんの音楽家魂に火をつける好敵手な関係が指揮者とオーケストラの間に欲しいなって思ったのでした。
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# by zerbinetta | 2016-01-15 22:49 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

憧れ、悪魔の甘美な誘い ボーダー/読響   

2016年1月14日 @サントリーホール

シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」
リスト:ピアノ協奏曲第2番
ツェムリンスキー:交響詩「人魚姫」

フランチェスコ・ピエモンテージ(ピアノ)
ミヒャエル・ボーダー/読売日本交響楽団


面白いプログラム。関連性がないように見えて、同じような空気の、同じように幻想曲風またはロンド風の緩いソナタ形式の音楽。もしくは、3つの交響詩が並んでます。見事。(リストのピアノ協奏曲は正確には交響詩ではないんだけど、ユロフスキさんの言葉を使えば、ピアノとオーケストラのために書かれた初めての交響詩だそう。わたしも今日は、協奏曲というより交響詩として聴けました。そう言えばユロフスキさんもリストのこの協奏曲とツェムリンスキーを組み合わせたプログラムを指揮していました。「人魚姫」ではなくて叙情交響曲でしたけど)

「ドン・ファン」。勢いよく飛び出した音楽は、フレッシュで爽快。ボーダーさんオーケストラを鳴らすのが上手い。開放的な音はわたしの好み。ただ、なんか落ち着かないというか焦燥感があって、テンポの速さというより、多分、フレーズの終わりとかの音を溜めずにどんどん先に進んでいくからだと思うんだけど、もう少しどっしり構えてよ、と感じました。ゆっくりと叙情的な部分ももう少し色気があったならと。ボーダーさんってオペラ指揮者なんですね。劇場で力を発揮する実務型のマイスターなのかな。良い音を引き出すのは上手な一方、問題をテキパキと捌いて夢を見るタイプの人ではないのかも。

でも、リストの協奏曲では、初めて聴くピエモンテージさんの夢見るようなピアノがとっても良くて、弱音での柔らかなタッチにもう本当にうっとり。強音も十分音が響いていました。もちろん、リストならもっと外連味を発揮して大時代的な演奏を、と感じる人もいると思うけど、わたしはこの曲をソロをひけらかす協奏曲というより、幻想曲か交響詩のように聴いたので、不満はありませんでした。大時代的なところはオーケストラがばんばん補完してくれていたしね。突然の休符で音楽が堰き止められる外連はオーケストラに委ねられていましたから。
でも、交響詩としたらタイトルはなに?何を音楽で描いていたの?わたしは、夢とか憧れだと思うんです。今日の音楽会のテーマ。決して手の届かないもの。それを「ファウスト」のように悪魔が蠱惑的にそそのかして手に入れさせてくれる。でも、何と引き替えに?。。。。
交響詩の創始者、リストの交響詩ってタイトルが文学的というか漠然としていますよね、「前奏曲」とか。だから、この曲もそんなタイトルの漠然とした、タイトル無しでも成り立つ交響詩としてもいいんだと思うんです。わたし、リストの音楽の(特に管弦楽の)大仰な感じが苦手でずっと敬遠してきたんだけど、ディモーニッシュな霧がわたしの中に浸潤してきたよう。禁断の林檎の甘さを知ってしまったのかも知れない。最後には無調にまで行き着いてしまったリストの深い世界に溺れるかも知れない。あなたには聞こえないの?わたしを取り巻いて鳴り渡るこの調べを。この鳴り渡る響きの中に、溺れ、沈み、我を忘れ、この上なき喜び。
ピエモンテージさんは、アンコールに同じリストの巡礼の年、第1年「スイス」から「ヴァレンシュタットの湖で」。ストイックな美しさがピアノから引き出されて、これもステキな演奏でした。ピエモンテージさん、もっと聴きたい人かも。ところで、休憩時間にロビーにアンコール曲名が貼り出されたんだけど、それを見たクラヲタさんたちが係員に詰め寄っていました。優しく指摘していました。巡礼の年、第1年から「スイス」じゃないって。帰るときには正しく直っていました。

最後は、3楽章からなる交響曲のような(実際、作曲家には4楽章を足して交響曲にする計画があったようです)大きな交響詩「人魚姫」。ツェムリンスキーが聴けるの珍しい~って思ってみたら、よく考えるとわたし、ツェムリンスキー意外とたくさん聴いていたのでした。「人魚姫」も初めてかと思ったら2回目。
ボーダーさんと読響の演奏は、始まりが、もう信じられない位に絶品。弦楽器の暗く思い海。フルートやハープの泡。海の底から光りを求めて浮き上がっていくような。憧れ。まさに、物語の始まりであり物語の全てを語っているよう。でももう少しで手の届きそうだった憧れも、バスクラリネットが旋律を歌い出した瞬間、手からこぼれ落ちてしまう。この音じゃない。この音色じゃない。読響ってものすごく良くできるオーケストラだと思うけど、ときどき不用意な音が混じってしまうのがとっても残念。期待に応えてくれるだけに求めるものが大きくなって、だから、少しの疵が全体を大きく損なってしまうのね。もちろん、この滅多に聴かれない曲でこれだけの音楽(実際に全体的な演奏のイメジは大変良かったのです)を聴けたら満足には違いないんだけど。。。惜しいんだよね。もっと出来るのに。
ボーダーさんは、この曲でも的確に音を捌いて、曖昧なところのない堅実な音楽。それ故、夢や憧れみたいな蜃気楼のような儚さには遠いんだけど。音楽が終わって、余韻をあまりとらずにあっさりと手を下ろしたのもそんなマイスターのプラクティカルな音楽作りの表れじゃないかな。ものすごく良い音楽を聴いたと思う反面、もう少し夢を見ていたかったというもやっとした心残りもありました。
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# by zerbinetta | 2016-01-14 19:34 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

妖精さん ファウスト、小泉/都響   

2016年1月12日 @東京文化会館

メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
シュトラウス:家庭交響曲

イザベル・ファウスト(ヴァイオリン)
小泉和裕/東京都交響楽団


都響さんは第800回目の記念すべき定期公演。今年、都響デビュウ40周年で終身名誉指揮者の小泉さんと。お得意の「家庭交響曲」。小泉さん、この曲を都響で採り上げるの今回で4回目であるんだそうですよ。それに最近もどこかでこの曲を振ってる(振る)ハズ。ほんとにお好きなんですね。

でもその前に、ファウストさんと協奏曲。ブラームスの協奏曲だと思っていたら会場でプログラムを開いてメンデルスゾーンと知ってとぽん。でも、メンデルスゾーンも好きだからいいんです。ブラームスより早く帰れるしw
ファウストさんは、言わずもがな、現代最高のヴァイオリニストのひとり。新日フィルとのブラームスでも独り素晴らしい音楽を奏でていらっしゃいました。ただ、わたし的には少しだけウマが合わないんですけど。。。
彼女のメンデルスゾーン、迸るばかりに歌い出すかと思ったら、平穏と静かに(音量が小さかったというわけではなくて表現がです)始まってびっくり。この曲、カピュソンさんやテツラフさん、アリーナの漢っぽい体育会系の演奏を聴き慣れて好みなので、ちょっぴり拍子抜け。今日は迸らないのか~って、思っていたんだけど、テンポを落として叙情的に歌うところは、すうっと音楽の重力に引き込まれる感じで、ステキすぎ。文化系の、でもキリッとしてゲーテなんかを読んでいる感じの思索的で内側の豊かな音楽。それに、ヴァイオリンの音が楽器から聞こえない!ずうっとファウストさんを見つめながら聴いていたんですけど、音はヴァイオリンから聞こえてこないの。ホールを完全に鳴らし切ってる。ファウストさんの音楽っていつも柔らかいのに凜としてるなぁ。生成りのような、衣装は、そう、雰囲気といい色使いといいピレシュさんと通じるものがある。ファウストさんも将来ピレシュさんのような妖精になるのかしら。いえ、きっとなる。今日だって、3楽章の細かく動き回る走狗は、妖精の羽音みたいだったもの。いつか本物の妖精になって自然で飾り気のない、それでいて生きていることの深さを感じさせるような音楽を奏でる人になるんだろうな。小泉さんと都響の伴奏も良かったです。ファウストさんの音楽を汲み取って、味のある伴奏を付けていました。管楽器に少し不用意な音もあったけど、バスのニュアンスなんて思わずいいなって思えたし。欲を言えば、ファウストさんと対等に丁々発止のやりとりをして欲しかったですけど、小泉さんはそういう音楽を嫌ったのかな?
アンコールには、自身の声で紹介して、ハンガリーの作曲家クルタークの「ドロローソ」。タイトルの通り、短い静かな鎮魂歌。音の少ない研ぎ澄まされた音楽を鋭い感覚のヴァイオリンでさっきとは異質の世界に連れ込まれた演奏は、ファウストさんの面目躍如ね。

後半は、家庭交響曲。わたし、人の家を覗き見する趣味はないので、この曲苦手。小泉さんの演奏は、オーケストラを良く鳴らすものの、なにか自由さのゆえに、小泉さんの音楽がピンぼけして、ただでさえ締まりのない曲(だからあまり演奏されないのかな。いえ、ウィキによると難しいから演奏されにくいそう)なのに、何をしたいのかよく分からない結果に終わってしまっていました。何だろう、最後のとってつけたような盛り上がりは。なんかしつこいよね。ショスティ風に(妻に)強制された歓喜?壮大なカリカチュア?小泉さんも自分の家庭を見せるの嫌なのかな。でも、指揮者には自分を出してオーケストラをもっとリードして欲しかった。そうそう、この曲、ソプラノ、アルト、バリトン、バスの4本のサクソフォーンが使われてるんだけど(超珍しい)、奏者が楽器の大きさに見事に比例して背が高くなっていたのには、ちょっと笑っちゃった。そこ、突っ込むところじゃないけどさ。(家庭交響曲の主題が、「サロメ」のヘロデとヘロディアスのモチーフに転用されたら痛快な風刺だなと思いながら聴いてしまってた恥ずかしい自分)
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# by zerbinetta | 2016-01-12 12:13 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

カラフルな音のパレット 山田/N響   

2016年1月10日 @HNKホール

ビゼー:小組曲「こどもの遊び」
ドビュッシー/カプレ:バレエ音楽「おもちゃ箱」
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシカ」

松嶋菜々子(語り)
山田和樹/NHK交響楽団


大変遅ればせながらあけましておめでとうございます。わたしの2016年の音楽会もやっと開けました。
ななこさんを観に行ってきました。というのはまっ赤な嘘で、もちろんヤマカズさん目当てです。ななこさんは、、、名前は聞いたことあるけどぐぐって調べました。チケット取ったときには、ななこさんのお名前もなかったですしね。

プログラムは、お人形つながり。ビゼーのかわいらしい小組曲にドビュッシーのこどものためのバレエ、それにおどろおどろしい物語の「ペトルーシカ」。どれもお人形が出てきます。

ビゼーの曲は、「アルルの女」や「カルメン」に比べたら有名ではないのだけど、聞いたことのあるようなメロディが出てきて懐かしい感じ。最初の(兵隊さんの)トランペットは、マーラーの「角笛」歌曲に、伴奏のトリルの使い方までもそっくりで、ふふふ。もちろんマーラーがあとですよ~。真似したわけじゃないでしょうが。ヤマカズさんはN響から柔らかい音を丁寧に紡ぎ出していくのだけれども、わたしには少し抑えすぎた感じがしました。もう少し大らかな感じでも良かったかな、と。最後の2曲(そのひとつ目に耳にしたことのあるようなメロディが出てきます)に音楽の重心を置くような設計。弦楽合奏の優しい感じの音楽は作曲家が子供たちを見つめる視線でしょうか。ゆったりと少し厚みを持って物語るように歌わせる音楽、とそれに続く賑やかなフィナーレ。終わりよければ全て良し、ですね。

ドビュッシーの「おもちゃ箱」は子供のためのバレエ曲。物語に確固としたストーリーがあるわけではなく(一応、恋物語にはなっていますが)、いろんなお人形が出てきて踊る感じなのかしら(バレエは観たことないけど)。そのト書き部分(?)を菜々子さんが短い言葉で語ります。菜々子さんの語りが上手なのかは、この短い言葉では分からなかったけど、正直、いらなかったかな。主に人形の登場を知らせるだけで、物語る部分は少なく、シーンを思い浮かべるにはちょっと足りない感じ(わたしの創造力が少ない)。音楽だけでは、ドビュッシー好きにはいいのかな、ドビュッシーの繊細さが災いしてちょっと退屈な部分もあるのでしょうか。バレエとして観るのが一番いいのかしら。それとも抜粋して組曲。ヤマカズさんの抑えたアプローチは、NHKホールの大きすぎる大きさではキツイ感じ。オーケストラの鳴らし方(特に弱音で柔らかい音)にもう少しピントが合えばなって思いました。曲のせいもあるけど、前半は少し欲求不満が残りました。あっ、菜々子さんはすらりと背が高く綺麗な方。白黒のドレスもスタイリッシュでさすが女優さん。歩く姿に威厳があって、立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花、ってこういう風なんだ、と納得。遠くから見ていたのでよくは見えなかったんですけど。

後半の「ペトルーシカ」(NHKではこういう表記なんですね。ペトルーシュカではなく)は、そんな前半のもやもやを引き摺って聴き始めたせいか、やっぱり抑え気味なのか、縦の線の揃いが悪いなぁ(遠くで聴いていたので音がずれてきたのかも知れないけど)、なんて感じていたんですけど、あれ、フルートのフレージングステキ!とか、おもちゃ箱をひっくり返したようにきらきらのカオスで、今まであまり気づかなかったいろんな音が聞こえてきて、ごった返した市場の賑わいが目の前に広がって行く。ヤマカズさんの目の行き届いたフレージングやどぎついアクセント、イントネイションがどのパート、ソロからも聞こえて新鮮な、そしてグロテスクでもある「ペトルーシカ」を聴かせてくれます。それにしても、ヤマカズさんの持っている音のパレットがカラフルなこと。ヤマカズさんは「ペトルーシカ」(が似合う)!。と聴いたことがなかったのに聴いたことがあるように錯覚してて確信していたとおり。各楽器がキラキラと自分の音で輝いてる。人形の首が取れたタンバリンの音と言ったら。あら、首が落ちたと我に返っちゃいました。
ほんと、ヤマカズさんの色彩は天然の天才。これはもう神さまから与えられた才能。もちろん、天才でちやほやされるのはここまでで、これからは天才の閃きに加えて、説明できる論理性が大事になってくるとは思うのだけど、わたしのヤマカズさんなら絶対大丈夫。もう、ずっとあなたに付いて行きます(ってどこに?)。モンテカルロのオーケストラの監督として存分に腕を振るって、近い将来、モントリオールとかフランス国立とか、ステップアップして欲しいな。
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# by zerbinetta | 2016-01-10 12:22 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

輝く、ブルックナーの原石 ミンコフスキ/都響   

2015年12月15日 @サントリーホール

ルーセル:「バッカスとアリアドネ」第1組曲、第2組曲
ブルックナー:交響曲第0番

マルク・ミンコフスキ/東京都交響楽団


わたしは出遅れちゃって、聴き逃したんですけど、去年評判が良かったミンコフスキさんと都響。今年は定期演奏会に登場。なんとブルックナー。それも0番。初めて聴きます。0番なんてすっとぼけた番号だけど、00番なんていうのもあるんですね。ついにわたしのブルックナー交響曲の旅も今日であとは00番を残すのみ。

前半は、ルーセルのバレエ音楽「バッカスとアリアドネ」の第1、第2組曲。組曲と言ってもこれでバレエの全曲。続けて演奏されました。音楽会では初めて聴くルーセル。「バッカスとアリアドネ」は雰囲気(とてつもなく大ざっぱに言って)、民族性を取り去ったハチャトリアンのような音かな。ちょっとイミフな例えは反省して、乾燥してがさがさした感じの音楽。きっちりとしたドライなアンサンブルをする都響向きと言えば言えるんでしょうけど、逆に都響のドライさゆえに潤い成分が足りなかったようにも思えます。ミンコフスキさんの指揮も即物的で(この曲って新古典主義の仲間に入るのかな?)、音の面白さはとても良く感じるけど、物語的なものはあまり感じませんでした。まあ、元々のバレエもわたし的にはあんまり面白くなさそうなんですが。逆に言えば、バレエ音楽と言うよりもストーリーのない音自身の面白さを感じさせる構造的な音楽であり演奏だったんですね。

後半はブルックナーの0番。0番と言うくらいだから、交響曲第1番より前に書かれた習作(?)かと思いきや、解説によると、第1番よりあと第2番の前に書かれたそう。でもね、なんか第1番より未熟な音楽に感じました。特に第1楽章のとりとめのなさ、スケルツォのトリオのあっけなさ、序奏付き(?)のフィナーレのヘンな感じの構成。でも第2楽章があるだけで存在価値あり。素晴らしい緩徐楽章でした。全体的にはまだブルックナーと言うよりメンデルスゾーン入ってる?って感じで、ワーグナーに汚される前のブルックナー。ブルックナーが確実にロマン派の時代につながっていたと感じさせる音楽です。でも、フレーズを何となく続けちゃうところがワーグナー的なのかしら。そこが弱点。あとのブルックナーだったら、休符でバサリと切断して(いわゆるブルックナー休止)、ブロック構造を作って明確化するんだけど、それがないのでだらりと音楽が流れて迷子になるのよね。第1交響曲はまだブルックナー成分が薄かったのでそれでも上手くいったのかしら(歌謡的だから?)。ブルックナーがブルックナーになろうとする過渡期の作品といっていいのかな。
それでも演奏はとても素晴らしかったです。サントリーホールだったのでいつもの指揮者が見える位置に座ったのだけど、ミンコフスキさん、ほんともう表現したい音楽が見てるだけで伝わってくるんですね。そしてオーケストラに魔法をかける。曲が曲だけに第1楽章は、やっぱりとりとめが無かったんだけど、第2楽章のロマンティックな美しさったら。歌うような演奏で、ロマン派の音楽を強く感じました。冷たいところもあるシャープな都響から柔らかな響きを引き出していたのはさすがミンコフスキさん。この曲を聴くのは(録音も入れても)初めてで、他と比べることは出来ない、自分の中に物差しはないのだけど、指揮者の意図のはっきりした、聴いてスッキリ気持ちの良い演奏だったことは間違いありません。ミンコフスキさんは今日の演奏で、ロマン派の中でのブルックナーの出発点を明快に示してくれたと思います。原石だけど、その中にきらりと輝くものを見せてくれました。だんだん、ブルックナーづいていく後期の交響曲でどんな演奏をするのか、聴きたくなりました。

ミンコフスキさん、良い指揮者だわ〜。都響はミンコフスキさんを離したらダメだよ。
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# by zerbinetta | 2015-12-15 00:26 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

イギリス田園風景 尾高/日フィル   

2015年12月12日 @サントリーホール

フィンジ:クラリネットと弦楽のための協奏曲
ヴォーン・ウィリアムズ:バス・テューバと管弦楽のための協奏曲
シューベルト:交響曲第8番

伊藤寛隆(クラリネット)
柳生和大(テューバ)
尾高忠明/日本フィルハーモニー交響楽団


金曜日の公演を土曜日に振り替えての日フィル。土曜日のお客さんは(マナーが)良くないと言われていたので戦々恐々としていたのだけど、今日はそんな感じでもなかったです。わたしが鈍感で気にしないだけかも知れないのだけど。
前半は、尾高さんお得意のイギリスもの(尾高さんはウェールズの劇場で活躍しておられた)。後半にシューベルトのハ長調の大交響曲。それにしても、前半の2曲、初めて聴く曲。ロンドンでも聴いたことなかった(1曲目は作曲家の名前さえも初耳)。

フィンジのクラリネット協奏曲は、戦後書かれた音楽だけど、イギリスの田園風景を彷彿させるような、さりげなくロマンティックで分かりやすい曲。柔らかな光りの彩度を落とした風景画のような世界。クラリネットが優しいメロディを奏でていくところに、弦楽合奏が空気のように世界を満たしていく。懐かしいような田舎の風景の映像の裏に流れていくような音楽。読響の主席の伊藤さんのクラリネットもオーケストラもその風景に溶け込んでいて、でもただそれだけ、なんだよね~。そつなくきれいなんだけど存在感の薄い人みたいな。

RVW(ヴォーン・ウィリアムズをイニシャルをとってこう略すんです)のテューバ協奏曲は、テューバ吹きには有名な曲(と言うのはテューバ吹きの友達に聞いて知っていました)。テューバの協奏曲なんて珍しいですしね。テューバの良さ、低音の重さに加えて軽やかさもあるんですね、を生かし切ったマニアックではあるけど名曲だと思いました。自在に吹く読響の柳生さんもここぞとばかり楽しそうで。チューバの音楽を存分に楽しませてくれました。不満があるとしたら、曲が15分ばかしで短かったこと。あっという間に終わってしまいました。
それにしても、この2曲で日フィルのソリストの魅力の一端が分かったし、尾高さんとイギリス音楽の相性の良さが確認されたのでした。

休憩のあとは打って変わってシューベルト。始まりのホルンのユニゾンは、魅力的な音で魅力的なテンポだったんだけど、流れるような流線型の音楽が、シューベルト特有の翳の部分を隠してしまった感じがしてちょっと物足りなかったです。同じ田園風景も感じさせる音楽だけど、イギリスの音楽とシューベルトの音楽の風景って違うと思うんですよ。陽光の気持ちの良いお散歩なのに、歩くことに夢中になってしまって、足元の小さな花や虫の死骸、木の陰に潜む鳥を見逃してしまって、豊かな語彙が感じられませんでした。ちょっと雑だったし、オーケストラの音にももう少し潤いが欲しかったです。日フィルってどちらかと言うとドライな音のするオーケストラだと思うけど、せっかく積極的な奏者が集まっているんだから、丸味のある音も身につければもっと良くなるのに惜しいなぁ。
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# by zerbinetta | 2015-12-12 12:28 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

いびつな真珠の極み レ・ポレアード+SPAC 「妖精の女王」   

2015年12月11日 @北とぴあ

パーセル:「妖精の女王」

エマ・カークビー、広瀬奈緒(ソプラノ)、波多野睦美、中嶋俊晴(アルト)
ケヴィン・スケルトン(テナー)、大山大輔(バリトン)
寺神戸亮/レ・ポレアード
宮城聰(演出)/SPAC


去年聴きに行って楽しかった北とぴあ音楽祭。もちろん今年もデス。バロック音楽に重心を置いて、今年は、パーセルのオペラ「妖精の女王」。古楽界の永遠のアイドル、エマ・カークビーさんが歌うのが目玉です。そして、こんなステキな音楽会が格安で聴けるのです。万難排します(日フィルの定期を振り替え)。

北とぴあは王子。去年来てるから余裕よねと、自信を持って駅を降りたら見たこともないところ。駅間違えた?いえいえ、出口が違っていたのですね。きょろきょろして信号につっかえつっかえなんとか会場に着いて、開演前のロビー・コンサートに滑り込み。上野学園大学古楽アンサンブル(プロではなくサークル活動みたいなのかしら?)による、「もうひとつの妖精の女王」ーヴァージナルの響きと共にーと題された演奏会。バッハの親戚のヨハン・ベルンハルト・バッハの「妖精の女王」のテーマによるシャコンヌ(オルガン独奏)やヴィオラ・ダ・ガンバやリコーダー、ヴァージナルのソロのための作品。全員の合奏でパーセルの(ブリテンの「青少年のための管弦楽入門」の元になった曲を含む)「アブデラザール」が演奏されました。近くで見るヴァージナルの装飾もきれいで(フェルメールにヴァージナルが出てくる絵が何点かありますね)、昔の楽器って美術工芸品としてもステキで、総合芸術的ですね。今度は、野暮なロビーじゃなくてお屋敷の間で聴きたいですね。雰囲気も楽しみながら。

36歳で若くして亡くなったイギリス・バロックを代表する(というかイギリスを代表する)大作曲家ヘンリ・パーセルのオペラ「妖精の女王」。シェークスピアの「夏の夜の夢」を元にしたオペラなんですね。わたしの知識はたったここまで。あと、古楽界の妖精、カークビーさんを初めて聴く楽しみ。ロンドンでは彼女を聴く機会に恵まれなかったんですよね。小さなところで歌っていたようでアンテナに引っかからなかったの。

音合わせが終わって、指揮の寺神戸さんがまさに、指揮棒をおろさんとした瞬間、会場のどこかから大声が。えー誰だよーサイアクーと思ったら、お芝居が始まったのでした。演出に一杯食わされた。一本取られてしまいましたよ。そうなんです。あとで知ったんだけど、パーセルの「妖精の女王」はオペラと言うより劇付随音楽に近い形。セミオペラと言うんだそう。音楽とは別に劇が上演されるんです。完全に歌と音楽が支配するオペラの脇に、こんな、劇と音楽の融合があったんですね。その後も「アルルの女」とか「ペールギュント」とか劇付随音楽は書かれているけど、廃れてしまった感じがあります。音楽と劇を同時に上演することに難しさがあるのでしょうが(例えば、音楽向きの会場と劇向きの会場は違うとか)、今日、「妖精の女王」を観てとっても面白くて、わたしは、むしろこの形式に今のオペラを活性化するヒントがあるような気がしました。そんな難しいことは言わなくても、だってほんと面白かったんだもん。もっとこういうの観たいって素直に思った。「アルルの女」とか「ペールギュント」とかどこかでやらないかしら。バレエ版でもいいのだけど。

宮城さん演出のSPACの劇については、わたし、演劇はあまり観てこなかったので、良い悪いは分からないのだけど、ヒトコト、面白かったぁ〜〜。劇だからこそ、シェイクスピアの戯曲にかなり忠実で(錯綜している作品なのでオペラ(ブリテン)やバレエ(メンデルスゾーン/アシュトン)のは物語をかなり刈り込んでます)、言葉の速さや役者のスポーティーな動き(テナーの人も側転とかしてた!)が全体の運動を作っていて、基本的に妖精界を彩る音楽のゆったりとした空気(音楽のテンポの速い遅いではなくて、歌になった言葉の長さという意味で)とステキな対照をなしていて秀逸。妖精界(に迷い込んだ人間も含めて)を舞台に立てられた梯子や棒の上で地に足を付けずに表現するアイディアも素晴らしいの。

それに加えて、これでもかというくらい、小ネタやら音楽の飾りでもうお腹いっぱい楽しかった〜〜。バロック音楽って、バックグラウンドミュージック的なヴィヴァルディの「四季」の演奏(ちゃんとした演奏なら凄く刺激的なのに!)やアルビノーニの「アダージョ」やらパッペンベルの「カノン」やらのイージーリスニング的なものが染みついちゃって、バロック=いびつな真珠というのが、いまいちピンとこなかったんだけど、今日のオペラを観て、バロックってまさにいびつ、とんでもないくらいいびつでごつごつして、刺激的で、古典派やロマン派の音楽よりはるかに現代的というか同時代的に聞こえました。何でもあり感が凄いんです。

初めて聴くカークビーさんは、声が小さくて(と言っても全然聞こえないって言うわけではありませんが)、こんなもんかな、って最初思っていたんです。他の歌手の人たちもみんな良くて、カンパニーとしてまとまりがあるから、演技的にも直前に合流したと思われる、それにお客さん扱いのところも見られた、カークビーさんが浮き気味で。でも、それを逆手に取った演出(出演者と記念撮影したりサインを求められたり)も上手い。そして、「嘆きの歌」。結婚式のあとに挿入される悲しみの歌。。。それがバロック。カークビーさんのこの歌は、今日の公演のある意味音楽的頂点だったかも知れません。歌うというより、言葉を語る。その強さ、悲しさ。音楽を伴って言葉がこんなに強く鋭く突き刺さってくるとは。メロディを従えたシュプレッヒゲザング!
そしてまさかの、カークビーさんの和装!!やるなぁ。こんなものまで見せられるとは。カークビーさんも楽しそうにしてらしたし、良いもの観た。

寺神戸さんとレ・ポレアードのオーケストラもとっても垢抜けていて、去年よりもひとまわりもふたまわりも大きくなっていた感じ(多分、劇がオーケストラを刺激したのでしょう)。パーセルの書いた音楽も刺激的で、派手なティンパニの乱れ打ち(?)にはニンマリ。やっぱりバロックって凄いよぉ。ルールがまだ緩やかだった分、もう何でもありだもの。

ほんと、今日は、演劇と歌とオーケストラが、バラバラにそれぞれ突き抜けた、いびつな巨人を見たような素晴らしい体験でした。バラバラでまとまるって凄いよね。
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# by zerbinetta | 2015-12-11 23:44 | オペラ | Comments(0)