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異次元から来たモーツァルト イブラギモヴァ、ピツァラ、東響 モーツァルト、ヴァイオリン協奏曲   

2015年9月27日 @ミューザ川崎

メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番
ベートーヴェン:交響曲第7番

アリーナ・イブラギモヴァ(ヴァイオリン)
パトリチア・ピツァラ/東京交響楽団


アリーナがモーツァルトの協奏曲を弾くというのでチケットを取った東響の名曲コンサート。最近聴きたい度が高まってる東響さんも聴けて一石二鳥。風邪をおしてミューザへゴー。

今日の指揮者は、4年くらい前にデビュウしたばかりのポーランド人のピツァラさん。もちろん日本で振るのも初めて。東響さんよくこんな人探してきたな。大抜擢だよね。さて、どんな音楽をする人でしょう。

始まりの「フィンガルの洞窟」は、海が凪いだり、波が立ったり絵画的な演奏。ただ、音と音の間に見えない隙間があるせいか、少し孤独感を感じもしました。楽しい航海と言うよりちょっと傷心旅行。景色は染みわたるようにきれいなんですけどね。ピツァラさんは、オーケストラにクレッシェンドとかデクレッシェンドとか細かく指示したりしてるんだけど、オーケストラはあまりよく反応していない感じでした。オーケストラの側でも音楽を創ってしまっていたのかな。

そしてアリーナのモーツァルト。今回わたしはステージの後ろ側で聴いていたので、ちょっと独奏ヴァイオリンにはキツイかもしれません。ステージの後ろの席、協奏曲のソリストを聴くのはミューザは少し弱い感じですね。サントリーはわりと音が来るのですが。
アリーナのモーツァルト、どんな風に来るのか、ドキドキだったんです。彼女、ピリオドとモダーンを垣根を作らないで自由自在に行き来するし、でも、同時進行のソナタの相手はモダン・ピアノのセドリックだし、いやでも、何か仕掛けてきそうだ、なんて。ただモーツァルトの音楽はイノセントに音楽の結晶を聴かせてくれる方がいいというか、わたし好きなので、策士策に溺れるみたいなことになったら嫌だなとも。いや〜でも来ましたよ。正直わたし、よく分かりませんでした。モーツァルトが異次元から来たかと思っちゃった。わたし的には、なんだこのヴァイオリニスト、サイテー、と感じた人がいたかもと想像するくらいにびっくり。でも拍手も多かったからこの演奏、すぅっと聴けた人もたくさんいるのかな。わたし、構えすぎていたかな。それにしても、アリーナの表現は多彩。そして、バッハの無伴奏で聴かせてくれたように語り系。それも囁いたり、対話したり、お話ししたりクルクルといろいろな声で。モーツァルトとおしゃべりした気分。白眉は第2楽章の静かな歌うような語り口だったけど、第3楽章の場面ごとに手練手管を尽くして驚きのある音楽を弾きだしていたのには、もうやられたって感じ。むぎゅー。モーツァルトの音楽って今聴いてもこんなにドキドキすると言うか、コンテンポラリーに感じたよ。
若い指揮者とオーケストラは、一所懸命アリーナをフォローしていたけど、自由に弾きまくるアリーナに対して、引き出しが足りてなかったかな。デビュウしたての指揮者にはちょっと荷が重すぎたかしら。アーノンクールさんみたいな人が振ると輪を掛けて仕掛けてきそうだから面白い演奏が聴けたかもと思ってしまいました。
そういえば、アリーナはここに来る前に、ハイティンクさんとロンドン・シンフォニーで同曲を演奏しているはずだけど、どうだったんでしょう。ハイティンクさんってモダン・オーケストラの極致を行くようなクリーミーで柔らかな古典を演奏する人だから、アリーナと火花を散らしたか、高い次元で調和するひとつの音楽にしたのか、気になる〜。
アリーナのアンコールは、バッハの無伴奏ソナタのガヴォット。重音による2つの旋律線の独立した表現の冴えに舌を巻きました。
近々東京で行われる、アリーナとセドリックのモーツァルト、ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会、ちょっと楽しみになってきました。

最後はベートーヴェンの交響曲第7番。ピツァラさんの思いっきり腕の振りどころ。ピツァラさんの音楽は、とても形のよいフレッシュな果物のよう。ゾクゾクって来ることはないけれども、オーケストラをバランスよく美しく鳴らしていく感じ。ただ、ピツァラさんはもう少し、過激な表現がしたかったのかもしれない。オーケストラが少し抑えていたように思えた部分がときどきあったから。そして、まだ完全にオーケストラを掌握して振り切っていないと感じられたところも。特に盛り上がるコーダの部分など、オーケストラの箍を外して駆け抜けていくところ、オーケストラを引っ張っていけず、オーケストラのあとから振っている感じに見えたのがちょっと残念。ただ、まだデビュウしたての若者。とてもステキな原石に見えたので、これからの活躍を期待して見つめることにしましょう。東響さん、定期的に呼んでくれないかな。
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by zerbinetta | 2015-09-27 15:00 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

さらなる深みへ アリーナ・イブラギモヴァ バッハ無伴奏   

2014年12月21日 @王子ホール

バッハ:無伴奏ヴァイオリン ソナタ1番、パルティータ1番、ソナタ2番
バッハ:無伴奏ヴァイオリン パルティータ2番、ソナタ3番、パルティータ3番

アリーナ・イブラギモヴァ(ヴァイオリン)


今年のわたしの音楽会のクライマックスと言っていいでしょう。クリスマスに聴く、アリーナのバッハ無伴奏。最高にステキなクリスマスプレゼントになりました♥全6曲を3曲ずつ、2回の音楽会を1日のうちにやります。ものすごい体力、集中力。聴いてる方も大変ですから。思い起こせば、リゲティの協奏曲を聴いて、ファンになるぅ〜、追っかける〜と決めてから初めての音楽会。ロンドンの歴史的な病院と小さな教会でやった音楽会が、今日と同じ、バッハの無伴奏を2回の音楽会で1日でやるというもの(今日と違うのは1回目と2回目の会場を近所の2カ所に分けたこと)。すぐ前に、CDに記録された演奏と同じ、風が囁くようなステキな演奏でした。そして、それから、何回かバッハの無伴奏のいくつかを聴いてきたんですけど、CDのとはまるで違う演奏へと音楽はどんどん深化してきたのでした。そして今日、数年ぶりに彼女のバッハ無伴奏を全曲聴くことができる幸せ。前回聴いた前半3曲からどれほど深化しているのか、6曲をどう弾くのかものすごく楽しみにしていました。そして、予想以上、期待以上の凄いものを聴いて心が震えています。

音楽会は、ソナタとパルティータをかわりばんこに番号順に。なので、最初の音楽会は、地味な3曲、後半では、パルティータ2番のシャコンヌやソナタ3番のフーガと大物揃い。そして軽めのパルティータ3番で音楽会が閉じられます。なんかバランス悪い感じもするんだけど、これで最初から最後まで聴かせてしまう彼女の凄さ。一応2つの音楽会なんだけど、多くの方が一連の音楽会として両方聴きに来られていたようです。

まず、驚いたのは、アリーナ上手くなってる!!もともと上手い人に失礼な言い方だけど、わたしは、最初にアリーナを聴いたとき、凄い音楽の人だとは思ったけど、名手だとは思わなかったんです。上手い人なら、例えばヒラリーの完璧さの方がずっと上(もちろんヒラリーは上手いだけの人ではありません)だと思っていました。初めてバッハの無伴奏を聴いたときも、ソナタ第2番のアンダンテの下の刻みのリズムがときどき乱れて弾きづらそうでしたし。でも、今日は真っ先に、無伴奏ソナタ2番のアンダンテ!と叫びました。なんという進化。初めて聴いたときから彼女がどんどん素晴らしくなってきたのは聴いてきましたが、ここまで技術的に進化してきたなんて。音楽が深くなる過程は、何人か聴いてきたけど(もちろんアリーナも)、目に見えて(耳に聞こえて)上手くなる、それも凄く、のを聴いたのは初めて。驚愕。どんなときも余裕があって、それに、彼女の代名詞とわたしが勝手に思っていた、弓の毛切れが今日は1回もなかったのもびっくり。毛切れが演奏に影響することはないと思うのだけど、余計な力が入らなくなったから、なんて素人の想像ですけど。

技術的な冴えはもちろん音楽に生きてきます。今日聴いてもうひとつびっくりしたのは、バスの扱い。通奏低音的なリズムの刻み方、バスのような音色の作り方が、素晴らしすぎて、1艇のヴァイオリンで通奏低音と旋律を同時に弾き分ける神業。こんなの聴くの初めて。多分、共演していたアカデミー・オヴ・エンシェント・ミュージックとの共同作業の成果でしょう(このコンビで来年か再来年来日にしますね)。そうとしか思えない、バロックの通奏低音ヴァイオリン。これがあったので、舞曲を集めたパルティータのゆっくりとした曲やもちろんソナタ第2番のアンダンテの演奏が、生き生きとしてきて、地味な曲なのに体がリズムに反応するようなステキな音楽になっていました。凄い。
それに、もう入り組んだ対位法的な複数の旋律それぞれを独立して自由に振る舞う生き物のように弾くんです。なんかひとりではなく何人かで合奏してるみたいに。聴いててそれぞれの声部がちゃんとそれぞれ歌われてるのが分かるんです。もちろん1艇のヴァイオリンでいつもいっぺんにたくさんの音を弾くことはできないから、ある旋律線は、きっかけだけで実際の音は途切れ途切れになってたりするんだけど、それがちゃんとつながってひとつの歌になって聞こえるんですね。アリーナはそれを実に自然にさりげなくやってのけるんです。わざとらしさや苦し紛れのところがちっともなくて、余裕があって丁寧で繊細。4声のフーガの実にステキだったこと。

そしてもうひとつ大きな変化は、音楽が大きくなってCDの頃のwhisper(囁き)からvoice(声)になっていたこと。この変化は、彼女の無伴奏を何回か聴いてきて予想はしてたんだけど(最後に聴いた2年前にその変化にびっくりしたから)、全6曲を通して聴くとその凄さがさらに分かるの。もちろん、囁くような演奏の方が好みという人もいるでしょう。でも、シャコンヌやソナタ第3番の大きなフーガの演奏を聴いていると、アリーナの深化がバッハの音楽への探求と共にあって、バッハの音楽の深みへわたしたちを巻き込んでくれることに嬉しい涙が出るんです。もちろん声高に叫ぶわけではない。でも以前よりよりバッハの言葉が聞こえるんです。静かな声で語りかけてくるみたい。バッハにとって音楽は言葉。ロゴスです。神と共にある言葉。そしてアリーナは、言葉を伝える巫女でしょうか。ひとりステージに立つアリーナの元に音楽の神さまが舞い降りてきたみたい。そこには、アリーナもヴァイオリンも、ない。音楽だけが在る。

この素晴らしい演奏。バッハの模範的な演奏。とは言わない。今の最高の演奏だけれども、それは終わった瞬間から過去のもの。もっと高く、もっと深いバッハが彼女には見えてくるはず。彼女自身、これを模範だと思っていないに違いない。だからこそ、わたしは追いかけても彼女のバッハを聴き続けなければいけないんです。CDの演奏なんてどんなに良くてもその通過点の記録に過ぎないんですから。でも、芸術家が身を削って生み出していく音楽ってそういうものでしょ。

それにしても、アリーナ、たくさん来日してくれますね。アリーナ、日本が好きなのかしら。それに日本のマネジメント会社さんの努力にも心からの感謝しなければいけないでしょう。
次の来日は、モーツァルトの協奏曲(名古屋は確かベルクの?)とティベルギアンさんとのモーツァルトのソナタ全曲シリーズですね。もう楽しみでたまらない。
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by zerbinetta | 2014-12-21 01:20 | 室内楽・リサイタル | Comments(2)

再びの出逢い アリーナ・イブラギモヴァ イザイ、無伴奏ソナタ   

2014年4月30日 @トッパンホール

イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第1−6番

アリーナ・イブラギモヴァ(ヴァイオリン)


ふふふふ。プチ追っかけをしている大好きなヴァイオリニスト、アリーナ(イブラギモヴァさん)、日本に来てからあまり聴く機会がないので悲しいんだけど、去年の9月以来のリサイタルがやって来ました。今回は単独で、イザイの無伴奏ソナタ全曲!びっくりマークで喜びつつ、実はイザイのソナタあまりよく知らないのでした(CDは持ってる)。予習しようかとも思ったけど、せっかくだから初演的な気分を味わおうとそのまま聴きに行きました。どんな音楽なんだろう?ワクワク。

ソナタは途中休憩を挟んで3曲ずつ順番どおりに演奏されました。まず、久しぶりに聴くアリーナの潤いのあるふくよかな音色にうっとり。バッハの無伴奏で聴かせてくれた、囁くような静かな音色ではなく、歌うような音色。でも、ルクーで聴かせてくれた、大きく表情たっぷりに歌うのとは違う、なんて言うか、じんわりと音の中から歌が浮き上がってくる感じ。ルクーと同じくらいの時代を生きた(ルクーの方が10歳以上年下だけどずいぶんと先に亡くなってる)、マーラー世代のロマン派的な作品だけど、無伴奏ソナタは1920年代の作品だし、ヴァイオリン1挺のための曲だから、ロマン派的な空気を残しつつ、時代は新古典主義、歌に頼らない古典のフォルムを持った演奏を選択したのでしょう。この感じどこかで聴いたことがある。懐かしさがこみ上げてくる。そう、わたしとアリーナが初めて出逢ったリゲティの協奏曲で、混沌の中から浮かび上がってくる歌を感じたあのときのじわりと心にしみ込んできた感動。時を経てまた出逢ったんだ。ヴァイオリンの音色もたっぷりと豊かなのに滋味溢れていて、ベートーヴェンやロマン派の作品を聴いたときよりもシンプルな感じがしたのだけど、あとでプログラムを見たらヴァイオリン変えたんだ。でも、本質は、楽器じゃなくてきっと彼女の音楽へのアプローチの違いが音に出たのでしょう。
わたしは、どうしてアリーナにこんなにも惹かれてしまうのでしょう。ステキなヴァイオリニストがたくさん、同年代だってたくさんいるのに。その答えがはっきり頭に浮かびました。わたしは、彼女の音楽に惹かれてる。とても素直で自然なのに些細なところまで考え抜かれている音楽。いいえ違う。ものすごく隅々まで深く考え抜かれているのに、さりげなく素直で自然体の音楽。彼女が本質的に持っているその音楽に共感するのです。

まず始まりの第1番。第2楽章のフーガは、バッハの影響を受けたメンデルスゾーンの弦楽四重奏曲のフーガみたいで流れるようなメロディアスなのだけど、アリーナの演奏はそのメロディが途切れずに複数のメロディ・ラインがまるで別々の人が弾いてるようにクリア。本当に1挺のヴァイオリンなの?実は多重録音じゃないかと疑っちゃうくらい。アリーナのスル・ポンティチェロ(っていうの初めて知った)のトレモロの宇宙の遙かから聞こえてくるような(宇宙人の囁き?)音の神秘性に、暗やみの中の無重力感を感じて、音色の幅広さに驚き。
第2番はいきなりバッハでびっくりするけど、そのあとの無窮動の展開から「怒りの日」の旋律が浮かび上がってくるところもたくさんの音符の中から大事なメロディを拾ってつなげて、それはメロディがふたつになっても同じで、横に流れを強く意識させる歌がステキ。重音を弾くと縦の線が意識されちゃいがちだけど、アリーナの重音はそれぞれの音がそれぞれの次の音にちゃんと別々につながっていくの。片方に休符があったらそこは1本の旋律の中の休符にちゃんと聞こえる。
休憩の前の第3番は、単一楽章のロマンティックな音楽。自由に書かれている感じなので、のびのびした感じがとってもステキなんだけど、アリーナの演奏は、自由に歌わせているけれどもしっかりとひとつの大きな形を作っていて、くねくねと彷徨ってるようで終わってみたら、ひとつの形を見せてくれるのがさすが。自由を謳歌しつつ実は手のひらの上で踊らされていた孫悟空のよう。という例えはヘンだけど、音楽を客観的に全体を見通す目がアリーナにはいつも付いてるのを終わってみたら気づかされる。聴いてる最中は、ものすごく没頭するしエキサイティングだけれども、終わってしばらくするとストンと音楽が見えてきて反すうしながら納得させられる感じ。

休憩のあとの第4番はまたバッハの雰囲気に戻って対位法と無窮道のオンパレードだけど、アリーナの演奏は彼女がバッハで聴かせてくれたのとは一線を画してる。艶やかな響きの音で、流れる歌を口ずさんでる。イザイの音楽自体がバッハを仰ぎ見つつもロマン派時代の音楽なのでこれでいいんだと思う。第1番や第2番では、(バッハを意識した)意欲に満ちているところが少し堅苦しくも感じられたけど、ここに来て少しリラックスしてきたみたい。前半の演奏を終えたアリーナも少し余裕のあるところがうかがわれて(それが緩さのように捉えられるところのあるのだけど)、わたしはこれくらいが好きかな。
ところでイザイってどこの人?ベルギーの人だけど、第5番にはヤナーチェクやバルトーク、みたいな東欧の草原の匂いを感じるの。ピチカートが民族楽器のような響きを醸し出してるし。フォークダンスのような終曲も楽しい。この曲を含めてどの曲もそうだけど、ものすごいテクニックを要求される音楽なのに、アリーナからはそのテクニックの難しさをちっとも感じられず、何事もないように弾かれちゃうので、演奏に驚かされることは少ないのが損かも知れないけど、音楽への集中は息を飲むばかり。でも、楽しい。
また単一楽章の第6番はロマンティック。最後の最もリラックスした感じで、お終いの方でハバネラふうの音楽も出すなど、作曲者も遊び心に溢れてる。涼しい顔をして難曲を弾いてしまうのが究極の演奏(おいしいお酒が水のように感じるかのように(らしいね))なのかも知れないけど、アリーナのはそれ。
それにしても、イザイの6曲をまとめて弾くのは体力的にも精神的にも大変だと思うのだけど、やれちゃうんですね。すごすぎ。

今日のイザイの演奏が、イザイの直系の弟子でアリーナの先生でもあったメニューインの薫陶を強く反映させたものかはわたしには分かりません。でも、アリーナの演奏からはアリーナの音楽を強く感じました。メニューインの教えから本質的で大事なところを抜き取って、アリーナは彼女のイザイを作っていったように思えます。彼女らしい、彼女にしかできない音楽を聴いたように思うからです。

今回、アリーナのイザイの無伴奏を聴いて、彼女の音楽の幅広い豊かさに心奪われてしまいました。わたしは、出逢って恋して以来、根っからのアリーナ信者なんだけど、だから、わたしの耳はあばたもえくぼで随分上げ底で聴いてるのかも知れないけど、それを差し引いてもやっぱり類い稀な音楽家だと思うのです。若さゆえの不足がないとは言わないけれども、この人の成長と成熟を同じ時代に聴けることはどんなにかステキなことでしょう。次の日本での公演は、バッハの無伴奏の全曲!になる予定です。多分、とんでもない深化した音楽を聴かせてくれるでしょう。6年前のCDの演奏は、えええーっ全然違うって思うくらい。2年前に聴いた演奏は、本当にそうだったもの。
バッハ、また聴けたらいいな。そして、イザイもCD出ないかしら。今日の喜びを音で思い出したいっ。そしてついでにバルトークとかベリオとか無伴奏曲集も出して欲しいっ。
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by zerbinetta | 2014-04-30 01:18 | 室内楽・リサイタル | Comments(0)

かっけぇぇーー イブラギモヴァ、ティベルギアン ベートーヴェン、Vnソナタ全曲演奏会 第3日   

2013年9月20日 @王子ホール

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第6、3、9番

アリーナ・イブラギモヴァ(ヴァイオリン)
セドリック・ティベルギアン(ピアノ)


クライマックスの「クロイツェル」を含む最終日。わたし的には、最初の日がクライマックスで、「クロイツェル」は凄い曲だけど、まだまだ、という気があったんだけど、一気にひっくり返ってしまいました。「クロイツェル」がーーー。

音楽会は、第6番から。この曲も第1楽章のかわいらしい旋律が大好きなんですよ〜っていつも大好きって言ってるような気がしますが、でもだって、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ、どの曲も大好きなんだもの。もうたっぷり音楽に浸っていたかったのに、集中力を欠くちょっとした事件があって、大丈夫かしらと思ったけど、音楽の求心力が強くてしっかり音楽につながっていられた。普通ならちょっと動揺してしまうのに。アリーナとセドリックとベートーヴェンの作る磁場には余計な雑音は入り込めないのね。続くしっとりとした2楽章もいいですし、明るくかわいい3楽章もステキ。この曲もピアノとヴァイオリンのバランスが絶妙で、優しい音楽。セドリックのクリスタル・クリアーな音色もこの曲に合ってるしね。強引な自己主張が見られないアリーナとセドリックの演奏だからこそ、かえってベートーヴェンの音楽の素直な明瞭さが生きるのかな。彼らの演奏の偶数系が特に好き。

第3番は、おや、モーツァルトっぽいと始まりつつ、あらぬ方に行ってしまう一筋縄ではいかない感じ。第2番と共にわたし的にはベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの中で一番マイナーな曲だけど、アリーナとセドリックの演奏は楽しく聴けてしまう。突然移り変わる表情が見事に表現されていて、それは音だけじゃなくて、弾いてる姿にも表れていて、音楽って耳で聴くだけはなくて、目で観ても楽しまなくちゃって思う。(極論かも知れないけど)耳の聞こえない人でも音楽会って楽しめると思うし、ライヴでの圧倒的な情報量の多さは、家でCDとかでしか音楽を聴かないなんてもったいなすぎというか、音楽の多くの部分を知らないまま終わっちゃってると思うんですよね。

それにしても、今回のベートーヴェン、ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会で感じたのは、前に聴いたときとアリーナとセドリックの演奏が予想通り豊かに深化してると思ったのと同時に、わたしの裡でこれらの音楽に対する理解が深まっていて、より面白く聴けたこと。彼らの演奏をウィグモア・ホールで聴いたときは、わたしはまだ、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタをほとんど知らなかったと思うんです。CDは持っていたので聴いたことはあっても、聞き込むってことはしていなかったし。わたしがこれらの音楽をたくさん聴いたのは、アリーナとセドリックのウィグモア・ホールでライヴ録音されたCDで。なのでわたしにとってここが原点なのね。だから、アリーナとセドリックの演奏には特別な思い入れがあるし、わたしにとって聴き慣れた標準的な演奏。だけど、より深化した彼らと、少しだけ音楽に親しくなったわたしの化学反応は、予想以上に幸せな果実。本当にベートーヴェンの音楽が好きになったし、これから、彼らの音楽を聴き続ける楽しみを再確認できたのが嬉しい。ほんと大好きなおふたり。

お終いは「クロイツェル」。これは特別。こんな曲を弾くときアリーナは、女神というか神の乗り移った巫女のよう。最初の独奏部分から、CDになってる3年前のウィグモア・ホールでの演奏と比べてリッチ。バッハの無伴奏でも音楽のスケールが大きくなってるのでさもありなんで完爾。そして駆け抜けていく音楽の疾走感と集中力は唖然、というか腰が抜けてあわあわと聴いてしまう感じ。正直、鬼気に迫る感じは、髪が肩まであって髪の毛が弓に絡まないのかって緊張して聴いていた、弓の毛を何回も切った、ウィグモア・ホールでの方が凄かったけど、彼方からニヤリと振り向いた余裕の感じられた今日の方が、聴き手のわたしの変化もあって、ぞくぞくした。がしがしと弾ききってふうっと空中に放り出されるように優しい音楽が鳴る対比も1ミリのずれもなくて、濁らない白黒のコントラスト。かっこよすぎ、というか、口をあんぐり開けてかっけぇぇーー。第2楽章は、今までの曲の緩徐楽章で聴かせてくれた、ロマンティック寄りな演奏ではなくて、即物的な感じ。高音で透き通って空を舞う音色に合わせて、そこから音楽を作っていった感じ。グラマーな艶のある音楽ではなくて、不純物を含まないきらきらと反射する渓流のような音楽。最後のプレストは、楽しく弾けるような音楽だけど、アリーナとセドリックの演奏は、(クロイツェルの全体がそうだけど)コントラストの強いモノクロームの音楽。一流の写真家のモノクロームの写真が、カラーのより遥かに情報量が多くて、目に見えない裏に潜むものまで表現するように、彼らも音楽の奥にあるものまで表現しているよう。彼らの演奏した音楽を受け止めるのには、わたしがまだまだ成長しないとダメだな。口を開けて腰を抜かしてたらダメなんだ。もっとちゃんと向かい合わなきゃ。相手は天才ベートーヴェン、天才音楽家たちだもの。

アンコールの「春」の緩徐楽章には、完全に1本取られてしまいました。前の日と同じようにシューベルトが来ると思ったのに。そして、昨日の演奏にもまして優しくロマンティックに語られた音楽は、心の高揚を鎮めて、甘いデザートを食べたような心持ちにさせてくれました。なんとステキな音楽会の幕引き。3日にわたる音楽会の最高のエンディングです。アリーナとセドリック、本当にありがとう。そしてまた、ステキな音楽を聴かせて下さい。その日を心から楽しみにしています。
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by zerbinetta | 2013-09-20 00:30 | 室内楽・リサイタル | Comments(0)

シューベルトの風 イブラギモヴァ、ティベルギアン ベートーヴェン、Vnソナタ全曲演奏会 第2日   

2013年9月19日 @王子ホール

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5、2、10番

アリーナ・イブラギモヴァ(ヴァイオリン)
セドリック・ティベルギアン(ピアノ)


アリーナとセドリックのベートーヴェン、ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会の2日目。今日は「春」のある日。「春」って「田園」交響曲みたい。嵐の来ない「田園」。(第1楽章に嵐成分ちょっぴり入ってるけど)って今日急に思い至った。情景は違うけど気持ち的には似てるの。スケルツォも入って組み立て方も似てるしね。
そんな「春」すうっと澄やかな演奏。もう少し、デモーニッシュに仕掛けてくるかと思ったけど、のどに透き通る微炭酸の発泡水のような心地。とは言え、細部まで丁寧によく仕込み抜かれた演奏。おいしい水、おいしいお米みたいに気づかずにいっぱい食べちゃうけど、それはおいしいからとさりげない極上にあとで気づいて嬉しくなっちゃうような。アリーナの伴奏にまわったところが実にバランスがとれててステキなの。それにしてもこのおふたり、絶妙のバランス。ふたりだけなのに、全然音色も音量も違う楽器なのにオーケストラのアンサンブルのように音楽を奏でる。最高のオーケストラは室内楽のように演奏するって言うけど、最高の室内楽はオーケストラのように音色を混ぜるんじゃないかな。そしてやっぱり、緩徐楽章がうんと丁寧に歌われていてステキ。ロマンティック寄りだけどロマンティックになりすぎない、心から歌ってるのに歌いすぎない絶妙な感覚。古典からロマンへ渡る橋の途中の視界のきいた眺め。それでこそ、ベートーヴェンにしか見られなかった景色。時代にまたがるベートーヴェンにしか書けなかった音楽。アリーナとセドリックの演奏からは、何ものでもない、どんな色眼鏡も通さない、ベートーヴェンその人の音楽が聞こえるんだ。

第2番はそのおふたりのアンサンブルがとても行き届いた演奏。この曲、とても大胆で実験的で、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタの中で、一番よく分からない感の残る音楽。ショパンのピアノ・ソナタ第2番のお終いみたいに。シンコペイションも多いし合わせるの大変そう。いきなりスケルツォのような音楽で始まるし、ヴァイオリンの扱いも独特。でも、しっとりと哀愁に満ちた緩徐楽章や楽しいフィナーレもあって魅力的。アリーナとセドリックの気心の知れた、でもお互いにドキリと刺激し合うアンサンブルの演奏は、勝ちが分かってるスポーツの試合を途中の展開にドキドキしながら安心して観ているような心安けき緊張感。こういう曲は親密なアンサンブルの演奏で聴きたいよね。

第10番は、他のソナタたちが若い頃に書かれているのにぽつんと離れて、いわゆる晩年スタイルになろうとしている時期に書かれた曲。と、なんだかつまらない解説めいた書き方をしたんだけど、それが受け売りでも知識でもなく、音楽となって聞こえてきたの。形式的なものをわざと壊して、気ままな散歩のような、ベートーヴェン自身が築いてきて完璧に仕上げたものを壊して、新しい世界に入り込んでいく音楽。そしてそこに確かにシューベルトの風を感じる。シューベルトってベートーヴェンより随分後って感じがするけど、シューベルトが亡くなったのってベートーヴェンが亡くなって1年半後。だからシューベルトの生きた時代ってベートーヴェンの晩年にほぼ重なって、ふたりはウィーンの同じ空気を吸っていた。ベートーヴェンはシューベルトを知っていたのか知らなかったのか分からないけど、この第10番の演奏からは確かにシューベルトのエコーが聞こえたの。
突然行き先を失って逍遙する音楽は、アリーナとセドリックのおふたりにかかると、新しい景色の発見にはっとするステキな音楽。街角に立って景色を見回すと、見たことのない風景に誘われるかのように目当てのない道を選んでしまう。でも、その寄り道こそが楽しいんですよね。このおふたりの演奏は、今この瞬間に生まれる新しい景色を初めて見るように驚きつつ即興的に楽しんでるように聞こえる。もう何度も演奏して、隅々まで音楽を知っているのに、音楽がいつも新しく湧き上がってきて、今この瞬間をおふたりが、そしてわたしたちが愉しんでる。こんな演奏そうそう聴けるものじゃないと思う。でも、この人たちいつもそんな音楽をするのね。ライヴの人。だからきっと好きなんだ。

「春」の緩徐楽章もそうだったけど、今日の演奏、あっ昨日もだ、ゆっくりした楽章が、とても豊かに歌っていて(でも歌いすぎない)とてもロマンティック寄り。アリーナだったら、ヒストリカルな楽器でピリオド・スタイルの演奏を選択することもできたと思うけど(彼女のカルテットではこの時代の音楽をピリオド・スタイルでもっぱら演奏してるしね。その場合セドリックはフォルテ・ピアノを弾くかどうか分からないけど)、この楽器で弾いている必然性がよく分かりました。現代楽器の良さを武器にして、でも決してロマン派以降の弾き方ではない、素顔のベートーヴェンの音楽を弾いてるのね。そして、ヴァイオリン・ソナタを書いたそれぞれの時代のベートーヴェンの音楽を弾き分けてるのね。全10曲のソナタを作曲順に弾いていく、聴かせていくというのもありだけど、こうして違う時代の作品を混ぜることによって、作品の特徴がよく分かって面白かった。それをさりげなく弾き分けるアリーナ凄い凄い。

今日のアンコールもシューベルトのソナチネ(昨日は3番からで今日は1番から)。ほら、シューベルトとベートーヴェンつながってる。
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by zerbinetta | 2013-09-19 22:58 | 室内楽・リサイタル | Comments(2)

歓喜の再会 イブラギモヴァ、ティベルギアン ベートーヴェン、Vnソナタ全曲演奏会 第1日   

2013年9月18日 @王子ホール

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第1、4、8、7番

アリーナ・イブラギモヴァ(ヴァイオリン)
セドリック・ティベルギアン(ピアノ)


アリーナのプチ追っかけのわたし、もう小っちゃな胸がはち切れそうになるほど期待していた音楽会です。アリーナとセドリックのベートーヴェン、ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会。ウィグモア・ホールの再来です。そして今日は中でも一番楽しみにしていた、名のないソナタ、第1番、4番、8番、7番。有名なのが入っていないけど、大好きな曲の組み合わせ。しかも、CDにもなっているウィグモア・ホールでの音楽会、この回だけは聴けなかったんです。完全なソールド・アウト。フレンズの時点で売り切れていてわたしには手も足も出ず。リターン・チケットも全く出ませんでした(あとの2回もソールド・アウトだったんですけど、リターンが出て聴けました)。そんな貴重な音楽会、日本ではわりとすんなりチケットが手に入った様子。今日のは間際まで残席があったのですが、今日の時点で売り切れ(他2回はすでに売り切れ)。日本でのアリーナ人気も盛り上がってきたようで嬉しいやらチケットが取りづらくなりそうで困ったやら。

とか言いつつ、今回はセドリックを聴こうと思ってきたんです。CDを聴くうちに、アリーナとセドリックのライヴを聴くうちに、ややっセドリックただ者ではない!ってなってきて。イケメンだし。
結論から書くとその通り。今日のセドリック、凄かった。完全に音楽をリードしているというか、全休符ではっとするような間を取ったり、アグレッシヴにアリーナを追い立てたり、ライヴならではのやりたい放題。アリーナも相手知ったるセドリック、余裕綽々で受けて立って完璧に合わせてくる。このおふたり、今日は仕掛けに仕掛けてお客さんを驚かせてやろうって話し合ってたかのような熱演。それでいて決して音楽が崩れない、どころか嵐のベートーヴェン、なのに客観的でもあり、まあもう楽しかった。風邪を引いて薬のせいか、上のまぶたと下のまぶたがくっつきそうだったのに、演奏を聴き始めると興奮して音楽に没入。

今日のアリーナとセドリックの演奏は、速めのテンポで一気に一筆で音楽を描き上げるような感じ。しかも細い筆ではなく太い筆で。アリーナの音は、前にも増して、艶や豊かさを増していて、表現の幅が広くなってる。透き通った弱音も、ヴィブラートの自在さも健在。息継ぎをしないような長いフレージングは、ひとつ間違えるとフレーズの切れ目が曖昧になって音楽が訳分からなくなっちゃうけど、そこは見事にコントロールして、思い切ったアクセントと相まって、切羽詰まった渇望感をよく出してる。反面歌うところは、ステキに歌ってロマンティック度が2割増し。ベートーヴェンの音楽から迸る嵐のような激情を素直に包み隠さず聴かせてくれるの。やっぱり、ウィグモア・ホール(CD)のときから深化してる。
とはいえ、CDで聴かせてくれたある種の完成度の高さからは、後退している。今日の彼らには、何か新しいものを見つけるための葛藤を感じたの。1回完成させたものを壊して、もっと深くに潜る、新しい発展途上。いつの日か、彼らの納得のいくベートーヴェンができあがったら、とてつもない新しい世界の予感。その芽が今出てきたところ。そしてそれが放たれたとたん、古くなって新しい峰を登り始めるんだわ。倦くことのない探究心。

第1番は、わたしの大好きな曲。若々しくてかわいらしくて。第1楽章は弾き始めで、ちょっぴり慎重なところがあったけど、第2楽章の静かなところとアグレッシヴに来るところの対比ったら。セドリックがかなり仕掛けてきてアリーナを刺激する。今日のセドリックはとても積極的。荒ぶれた音楽でも、決して音を壊したりしないぎりぎりなところで、客観的にコントロールされているのがさすが。アリーナも激しいところでは激しく、静かな部分では、空に漂ってるベートーヴェンの魂から音をすうっと引き出すように紡いでいく。音楽の生まれる瞬間のふわりとした生毛。美しくて激しい音楽に涙が出そうになる。青春の疾風怒濤。切れば血が飛び散る音楽。

第4番の冒頭でアリーナの弓があさっての方に滑っちゃったのにはドキリ。アリーナも一瞬苦笑い。短調のこの音楽も青春の嵐。今日の主題は、嵐の青春かしら。快速テンポで激しい音楽が続きます。彼らの発展途上が若いベートーヴェンの発展途上と重なって、そして、わたしの親譲りの無鉄砲でむやみに未熟な青春に重なって、音楽がわたしとシンクロナイズする。嵐のあとの澄み切った空気や甘くて少し酸っぱい恋や、チョコレイトのようなほろ苦い友情、健やかな歌。アリーナの音楽ってどうしてこんなに居心地が良いのでしょう。そう思うのわたしだけ?そんなことないですね。一緒に聴いていたお客さんもアリーナとセドリックの音楽に心を動かされている、そんな空気を感じました。でもどうして?好きという以外にまだ言葉を見つけられていません。

第8番もわたしの大好きな曲。ベートーヴェンのかわいらしい系の音楽が好きなの。アリーナの演奏もかわいらしい系に向いてるような気がしてたし。セドリックの左手のバスが、心臓の、歩く足の、くるくると考えを巡らせる頭の、体のリズムとちょうど合って心地よい。特にアンダンテのリズムがわたしの体と心と歩調を合わせていて気持ちよく刻まれるの。裏拍の大きなアクセントが、こんなにも楽しく心を弾くなんて。やっぱり好きだ〜〜。これで、ダンサブルなフィナーレがもっと弾けて足踏みばたばた踊りまくれば完璧。いつの日かの次へのお楽しみ。

アリーナがぜひベートーヴェンのソナタで聞いて欲しいと言っていた第7番。短調の緊迫感のある第1楽章。でも、ベートーヴェンの短調って不思議と悲しみ成分低めなんですね。なんかもっとポジティヴなエネルギーに満ちてる。泣きながら前に向かって走ってる感じ。それが証拠にすぐに一転明るく無邪気な旋律が出てくるもの。雨の空と虹の対比。でもやっぱり、この曲の演奏も緩徐楽章が絶品。前に増して豊かに艶を帯びた音色で静かに歌うのがとろけるようにステキで、迸る感情のというより(理知的な)言葉の嵐のような音楽と見事に対比されて音楽に健全な中心点を作ってるような気がします。どの曲も音楽の作り方に説得力がある、というか、音楽の中にあるものを上手に引き出して、ただうっとりと体中で音楽を聴いていれば幸せって感じられる演奏でした。たくさんの発見や心を掴まれるドキリがあったけど、それでいて音楽にトゲがなく素直ですーっと入ってくるところが、ほんと極上のブルゴーニュの白ワインを飲むみたいで、ほんのり体が上気してステキな夜でした。
アンコールはかわいらしいシューベルトのソナチネ。

明日も楽しみです。
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by zerbinetta | 2013-09-18 00:13 | 室内楽・リサイタル | Comments(2)

アリーナとセドリックの来日公演を勝手に応援する   

いよいよ今週末、来週と名古屋と東京でアリーナ・イブラギモヴァさんとセドリック・ティベルギアンさんのリサイタル、3夜にわたるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会がありますね。日本でアリーナのマネージメントをしているユークラシックさんや王子ホールのサイトに彼女のインタヴュウやエッセイが掲載されていました。キーーッ、何でアリーナのことたくさん聴いてるわたしにエッセイ書かせないのーー、なんてじたばたする。はずもなく素人のわたしも勝手にアリーナとセドリックの日本公演を応援することにしました。思い入れだけは人一倍あるから、わたしもちょっと参加してもいいかなって。主観タップリでお目汚しですけど。

アリーナとセドリックのデュオの特徴は、お互いが独立した音楽家で対等であるということ。わたしは、アリーナを協奏曲で初めて聴いたとき以来のアリーナのプチ追っかけでいるのだけど、最初の頃はアリーナのソロやキアロスキュロ・カルテットでしか聴く機会がなくて、アリーナとセドリックのデュオを初めて聴いたときもアリーナの音に耳を集中させていました。でも、よく聴いていくと、セドリックのピアノがアリーナの演奏を引き立てるという以上に、アリーナに仕掛けたり、仕掛けられたり丁々発止の音楽的な対話をしているのに気がついたんです。1+1が3にも4にもなるような、化学反応というより核反応。聞き耳を立てて聴くと、セドリックが痒いところに手が届く演奏をするだけではなくドキリとするような音を弾く瞬間にぞくぞくするの。ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタは、だからアリーナを聴くんじゃなくてアリーナとセドリックのスリリングな音楽を聴くんです。そしてその空気感はライヴでしか伝わらないことも多いと思うの。わたしも日本での演奏曲目であるベートーヴェンのヴァイオリンソナタのCDを持っているけど、そのうちの2つは、あの会場で聴いていたという幸運に恵まれています。会場が熱くなるようなエクサイティングな音楽。でも、CDで聴くと同じ音なのに何かが物足りないんです。そこに記録されている演奏はとても素晴らしいし、CDは愛聴版なんだけど、会場での音楽は遥かに凄かった。そんな機会を日本でも持てるなんてなんて幸せなんでしょう。

アリーナとセドリックは若い!だからちょっと目を離したすきに、ぐうんと進化します。アリーナとセドリックでラヴェルやルクーのソナタを3回聴いたけど、毎回少しずつ変わってきて、日々変わっていく音楽を感じることができました。バッハの無伴奏の大きな深化は驚異的です。最後に聴いた去年の演奏はCDで聴かれるのとは全然違う畏敬の念すら感じさせる、宇宙の真ん中にいるような音楽でした。そのとき「CDのとは全く違うさらに素晴らしい演奏でした」と感想を述べると、「そうでしょ」と、してやったりの表情を浮かべていたアリーナが印象的です。

アリーナとセドリックは、同じ頃、BBCのニュウ・ジェネレイション・アーティスト・スキームをもらっていて、そこからデュオが始まってる。2005年。だからおふたりは若くてももう長く組んでいる成熟したパートナー。最強のパートナーと言って良いでしょう。こんなに長くパートナーを組んでるのはムターさんとオーキスさんくらい?おふたりの音楽の相性がいいんでしょうね。

アリーナもセドリックもライヴの人。CDには収まりきれない音楽と即興性がある。ヴァイオリンを弾くアリーナの集中力にはすごいものがあります。弓の毛を何本も切りながら髪を振り乱してがしがし弾いたり(わたし的にはナンバーワン弓の毛切りすと)、すうっと伸び上がるように柔らかな高音を弾いたり、最近は低音もものすごくグラマラスになってきました。セドリックも意味ありげに誘うような音を入れたり、アリーナ以上にエキサイティングに盛り上がったり、さりげなく柔らかな和音を弾いたり。音楽は音だけで楽しめるものではないんです。耳と目と体全部で体験する芸術だということをおふたりは否応なく教えてくれるでしょう。

ロンドンのウィグモア・ホールでもチケットを取るのが困難な音楽会です(そのこと自体がとても珍しいのです)。
だから、ベートーヴェンのソナタは彼らのCDを持ってるし、と欠席を決め込んでいたらもったいなさ過ぎ。CDで知ってる人も、まだ知らない人もぜひ、聞き逃してはいけない音楽会です。ちょっとでも興味を持ったらぜひ。きっと、CDに満足している人ももう一度録音して〜〜と叫びたくなるような演奏が聴けるはずです。東京の方は、最後の日はもうチケットが残っていないみたいだけど、「春」も「クロイツェル」もない1日目の音楽会が一見地味なプログラムだけど、彼らの良さが一番出るプログラムだと思いますよ。
(ちなみに女子的にはセドリックはイケメンさんですよ♡ウフ。そしてアリーナはとってもかわいらしい人です)
何年か前に、「今度はぜひおふたりで日本に来て下さい」ってお願いしてみたことがついに実現です。ワクワクしています。
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by zerbinetta | 2013-09-09 13:57 | 随想 | Comments(2)

ラ・トゥールの陰翳とカルテット   

ラ・トゥールという画家の絵が大好きです。田舎暮らしの子供の頃、うちにあった百科事典の美術の巻。その中にあった小さな小さな絵に魅せられたんです。頭蓋骨に手を置き蝋燭の小さな明かりの下、瞑想に耽るマグダラのマリアの絵。ひっそりと本の中に佇む1枚。いつかこの絵を観たいと、憧れが裡につのるばかり。浮気もたくさんしました。小学校か中学校の美術の教科書に出てた,マグリットやキリコ、乙女心を掴んだローランサン。USに住処を移してから知り合った,フェルメールやオキーフ。グレコの紫やゴッホの淡い青緑(ゴッホというと鮮烈な黄色って言われそうだけど,わたしにとってはひまわりやラ・ムスメの背景や自画像の後ろのうねうねの色のイメジが強いんです)、ミロの真っ赤。浮気しすぎ?

メトロポリタン美術館は、ワシントンDCからのこのこメトのオペラを観に行ったついでに何回も行きました。そこには,ラ・トゥールがある!確かにあった。蝋燭の火に瞑想するマグダラのマリア。でも、何か違うの。本で見ていたのとは印象が違う。本で見たのはずうっと前だから?記憶違い?

ワシントンDCのナショナル・ギャラリーは大好きな場所。迷路のようなたくさんの部屋を迷いながらの何回目かの逍遙のとき、ふらりと迷い込んだ部屋でへなへなと座り込んでしまった。目の前には、恋い焦がれていたマグダラのマリアがひっそりと座って。燭台下暗し。こんなに近くにあったなんて。わたしたちはついに出逢ってしまった。それ以来、この部屋は、ナショナル・ギャラリーの中で、フェルメールの天秤の女の人の飾ってある小さな部屋とともにわたしの一番の場所。何回、ここに来たことか。ぼんやりと閉館の時間まで座って。(マグダラのマリアの瞑想を描いた絵をラ・トゥールが何点か書いているのを知ったのはそのときです)

メトのマリア
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ナショナル・ギャラリーのマリア
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フェルメールも光りをうんとステキに描いた人だけど、窓の外から光が差し込んできて絵を照らすフェルメールの明るさに対して、小さな蝋燭の光りが絵の内部に消えていくラ・トゥールの光りもステキ。
こんな光りの効果、陰翳法をキアロスクーロ(イタリア語で明ー暗という意味だそうです)ということを最近知りました。もちろんフェルメールやラ・トゥールの専売特許ではなく,広く絵画芸術に使われている方法。
陰翳。谷崎潤一郎が,日本の文化の特異な美質と書いた陰翳。皮肉なことに,今ではどこここも一様に明るい日本にはなくなってしまって,むしろ欧州の家や町に残ってる。

光や影の効果を音楽に取り入れるように、「わたしたちがカルテットにこの名前を付けたのは,第一にこの言葉が好きだから。わたしたちは音楽だけでなくいろんな芸術が好き。わたしたちのレパートリーであるボッケリーニからシューベルトまでの古典のレパートリーはたくさんのハーモニーのコントラストがあって・・・」、とキアロスクーロ(これまでカルテットの名前としてぐぐったとき多く出てきたチアロスキュロと表記していましたが、美術用語としてはキアロスクーロが一般的なようなのでこれからはこう表記します)の名前を冠(いただ)いたカルテットがあります。わたしが愛して止まない,アリーナが第1ヴァイオリンをつとめるカルテット。ロイヤル・アカデミー・オヴ・ミュージックに在籍していた弦楽奏者4人で2005年に結成された(女性4人、2010年頃に第2ヴァイオリンが男性のパブロさんに替わってます)、ピリオド・スタイル(チェロはピンを立てずに膝に抱えて弾きます。他の奏者は立って演奏)のカルテットです。2枚目のCDを先日発売しました。とても楽しみにして予約して買ったんです。このCDには、ベートーヴェンの作品95「セリオーソ」、モーツァルトのk546「アダージョとフーガ」、k428のカルテットが収められてます。

早速聴いてみてびっくり。なんて大胆に削ぎ落とされた音。でも、決してやせた演奏ではなくて、アグレッシヴに光りが明滅する彩度を落としたモノクロームの演奏。色彩のない白黒の写真が、無限大に変化するコントラストで、カラーの写真よりもはるかに多くの情報を含むように、音楽の強さに圧倒される。いわゆるピリオド・スタイルの演奏で、ヴィブラートを排したストレートな音が張り詰めた響きで、ここまで音の輪郭をはっきりさせると、昔の音楽と言うより,はっきりと現代的な響き。一糸纏わぬ裸のベートーヴェンが音楽と格闘している。目のやり場に困ってドキドキしてしまう。裸のベートーヴェンが現代に甦った。ベートーヴェンのシリアスな格闘は、今のわたしたちの格闘とぴたりと共鳴する。ベートーヴェンと一緒に新しい音楽を掴み取ろうと藻掻いてる。
キアロスクーロというカルテットの名前が,まさにそのまま立ち現れる演奏。美術用語のはずのキアロスクーロが、光りが絵の中に固定されてしまう絵画よりも、光と影のコントラストがきらきらと変化する音楽でより豊かに表現されているような感覚さえしてくる。ヴァイオリンに光りが当たったりシルエットになったり。光と影は楽器の間を激しく揺れる。

ベートーヴェンに対して,モーツァルトはもう少し柔らかくなった感じ。モーツァルトには格闘はないから。でもやっぱりそこに新しい響きのモーツァルトがある。1枚目のCDのシューベルトの「ロザムンデ」が、ロマンティック・ピリオドに入り始めた時期の音楽なので、一番優しい。だから、この曲が一番聞きやすいかな。

キアロスクーロ・カルテットはアリーナのカルテットってよく言われるけど、実際音楽を支えてるのは,チェロのクレアさんだと思う。その安定した音の上に、アリーナやパブロさん、エミールさんのが飛び回る。アリーナが引っ張るというより、ひとりひとりが仕掛けたり仕掛けられたりして音楽を作ってる感じ。ひとりひとりが別々の国に住んで、それぞれ自分たちの活動をしながら、でも、きちんと時間をかけてカルテットを組むという新しいスタイルのカルテット。これからの活躍も楽しみです。ハイドン(メンバー・チェンジ前に録音されていたはずだけど没になったのかな)やメンデルスゾーンを聴かせて欲しいし、できたら、ピリオド・スタイルの演奏のために作曲された新作も採り上げて欲しい(委嘱して)。そして、いつか日本にも来てくれないかな。

この文章、大好きなラ・トゥールの絵のキアロスクーロから書き始めたけど、カルテットは、ラ・トゥールの柔らかな光の効果というより、むしろカラヴァッジョのクリアなコントラストのキアロスクーロだったわ。無計画に書き始めるのは駄目、という反面見本ね。めんどくさいから書き換えないけどさ。そして、CDのジャケットや彼らのセンスの良いウェブ・サイトが、キアロスクーロです。サイトの中にはとてもステキな演奏を収めた動画もあるのでぜひ見てみて下さいね。
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by zerbinetta | 2013-05-21 23:04 | 録音 | Comments(6)

ロンドンで出逢った大切な人 アリーナ・イブラギモヴァ   

先日、サー・コリンさんの追悼記事を書いて思いました。感謝は、ちゃんと生前に伝えなきゃいけないって。
そういうわけで、ロンドンで出逢ったとても大切な人たちについて書いていきたいと思います。思い出話で申し訳ないのだけど、皆さん、まだまだこれから活躍される方たちなので、もし、興味を持ってくれる方がいれば、それは未来に繋がることだと思うんですね。わたしも、ここでありがとうを言って、さらに好きになる宣言をします。

一人目は、もちろんアリーナ♡
わたしとアリーナの出逢いは2009年の早春。BBCシンフォニーとのリゲティの協奏曲。ヴァイオリニストには何の注意も払わずに出かけていって、あまりのステキさに雷に打たれたんです。リゲティの音楽の素晴らしさを何のバイアスもなく素直に表現してしまう演奏に。そしてすぐ,ファンになる宣言。わたしのプチ追っかけが始まります。
彼女、ロンドンに住んでいたり(今はロンドンとベルリンを行ったり来たり)、BBCのニュウ・ジェネレイション・アーチスト・スキームに選ばれていたりで、ロンドンは遠くに行かないプチ追っかけにとって代え難いところ。地の利を生かして、バッハの無伴奏や、ベートーヴェンのソナタ、ルクーとラヴェル、メンデルスゾーンの協奏曲(オケ違い)などCDにもなってるものをはじめ、シューベルトのトリオやバルトークの無伴奏などCDにはなってないものまで、全部で20回も音楽会を聴きに行けました。今のところアリーナを最もたくさん聴いてる日本人のひとりじゃないかってひっそり自慢に思ってます(そんなこと自慢しても何にもならないのにファン心理)。CDもアリーナがオブリガードで出てるのを除いて(というところが中途半端で軟弱もの)全部買ってしまったし。そしてどの音楽会もCDもわたしにとってステキなもの。

アリーナはもちろん上手いのですが、もっと上手い人は、たくさんいるでしょう(わたしが最初にプチ追っかけになったヒラリーとか)。でも、アリーナくらいテクニックを感じさせず、音楽だけに集中させてくれる若い音楽家は少ないです(やっぱりヒラリーとか)。
アリーナは,嵐のような突風を巻き起こして否応なく,彼女の音楽に引き込む人ではないのです。重力がそこだけ強くなってそこに自然に引き留められる感じです。ダーク・マターいっぱい。そしてわたしの身体の奥のものが彼女の音楽に直接つながって反応するんです。言葉で説明できない深いところから立ち現れる共感覚。大好きという相性。
バッハを初めて聴いたとき、静かに語る居心地の良い距離感にうっとりしたのだけど、アリーナの音楽はそれだけではなく、あるときは朗々と歌ったり,アグレッシヴにがしがし弾いたり、イゾルデの昇天のごとく音楽の大きな波に気持ちよく溺れられる。現代楽器もバロック楽器も両方弾きこなせる柔軟性。でも、学究的に型にはまった弾き方ではなくて、その音楽に一番良いと思われるものを摘み取って音楽を作ってる。天性の感覚を持って,実に自然に。彼女の最も大きな美質は、その自然さでしょう。彼女も、音楽も決して誇大に見せることなく、本来あるべき適切な大きさで表現しているところに、智と情のバランスのとれた頭の良さを感じます。
録音もヴァイオリニストがよく採り上げるスタンダードな協奏曲はあまり出さずに(今のところメンデルスゾーンだけ。音楽会ではチャイコフスキーとかタコとかも演奏してますが)、室内楽中心。ソリスト寄せ集めじゃない常設のカルテットを持っていますしね。ついつい大ホールでオーケストラと派手にってなっちゃうけど、アリーナは大きなホールで演奏できる音量を持てる人だけど、自分の特質(好きなのかな)をよく知ってるようで嬉しくなっちゃうところ。

アリーナはライヴ。どの演奏でも,リスクを恐れずにぎりぎりのところを攻めてきます。なのに、破綻することなく弾ききってしまうのが凄い。とってもドキドキワクワクする音楽。それに、若さゆえの発展途上、毎回変化していくんです。聞き逃しちゃったらもったいない。CDで聴ける演奏も、新しいライヴを聴いたら全く違うものになっていたり。4年前のバッハの無伴奏のCDもとおっても良かったんだけど、去年に聴いたときはもう全く別物に深化してるし、ルクーのソナタはCDよりも音楽会で聴いたほとばしる演奏の方が断然好き。いつ聴くか,今でしょう。

とっても嬉しいことに,今年、アリーナは,名古屋と東京でリサイタルをやります♡盟友、最強のパートナー、ピアノのセドリックとです!セドリック、かっこいいんですよ。じゃなかった音楽もステキなんです。セドリックだってアリーナの付録じゃないんですよ〜。ひとりで聴いてもステキだし、アリーナとのデュオは,アリーナをしっかり支えながら対等に刺激しあって音楽にドラマが生まれるんです。このおふたりで、ベートーヴェンのソナタ、全曲サイクル。CDになってる、2年前のウィグモア・ホールのライヴを録ったときの演奏よりも確実に素晴らしい音楽が聴けることでしょう。もし聴くチャンスがあるならば絶対聴かなきゃ損ですよ〜〜。

わたしも、遠く離れちゃったけど,これからもずうっとアリーナのファンでいてプチ追っかけを続けていきたい。10年後20年後、もっともっと深化していくアリーナを聴きながら、わたしの裡の音楽も少しずつ変わっていったらいいな。そしてできれば節目ごとのバッハを聴かせて欲しい。多分、アリーナを映す鏡はバッハだから。そしてそして、夢だけど、最高の作曲家が、アリーナのためにバッハの無伴奏を元にした音楽(編曲ではなくて)をアリーナとともに作り上げてくれたらな、って思います。
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アリーナ大好き♡
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by zerbinetta | 2013-04-22 00:23 | 随想 | Comments(8)

チアロスキュロ・カルテットの映像   

UKアマゾンから未だに来る宣伝メイル。すぐ捨てちゃうのが常だけど、今回のお知らせは、大好きなキアロスクーロ・カルテットの新譜。イギリスではもう発売してるんだけど、調べたら,日本は5月上旬の発売。欲しいなぁ〜って思ってたら、うっかりタワー・レコードで割引してたからポチッとしてしまったよ。散財。でも来るのが待ち遠し〜。

キアロスクーロ・カルテット好きなんですよ〜。実は、わたし弦楽四重奏が苦手で、ハイドンとかメンデルスゾーン、シマノフスキくらいしか聴けなくて、モーツァルトは 他の曲(弦楽5重奏だって!)は大好きなのに四重奏曲は苦手なの。ところが、キアロスクーロ・カルテットのモーツァルトは、わたしにもステキだな〜と思えてときどきCDを取り出しては聴くほどの愛聴版。理由はよく分からないんだけど。
この2005年結成の若いカルテット(第2ヴァイオリンが1回メンバー・チェンジしてます)、それぞれがソロやオーケストラや室内楽奏者として活躍してて、しかもそれぞれ別の国に住んでる。専門のカルテットではないし、まだまだ発展途上だと思うのだけど(正直カルテットとして聴いた場合、ハーゲン・カルテットなんかと比べると完成度はまだ赤子のよう)、どういうわけか、気が合うのよね。大大大好きなアリーナが弾いてるというからではないでしょうけど。ピリオド・スタイルのカルテット。ぜひ、古典のレパートリーをばしばし録音して欲しいな。そしていつかぜひ,日本で聴けますように♪待ってマース。

キアロスクーロ・カルテットの演奏、ここで観られます。ぜひ。アリーナかわいいよ♥
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by zerbinetta | 2013-04-14 20:02 | 録音 | Comments(2)