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シベリウス ー現代音楽へのもうひとつの源流 サントリーホール国際作曲家委嘱シリーズ   

2014年8月21日 @サントリーホール

クリストフ・ベルトラン:マナ
パスカル・デュサパン:弦楽四重奏曲第6番「ヒンターランド」
シベリウス:交響詩「タピオラ」
パスカル・デュサパン:風に耳をすませば

ナターシャ・ベトリンスキー(メゾソプラノ)
アルディッティ弦楽四重奏団
アレクサンダー・リープライヒ/東京交響楽団


去年も抽選で当たったサントリー芸術財団のサマーフェスティバル。今年も応募したらまた当たりました!そして何と!去年と同じ席!ここはわたしの指定席?来年は3匹目のドジョウが同じ席でわたしを待っていてくれてるのかしら。
今年は、木戸敏郎さんがプロデュースで、テーマ作曲家(監修は細川俊夫さん)はパスカル・デュサパンさん。くじのあった音楽会は、デュサパンさんの管弦楽の回。しくじったのは、シュトックハウゼンの「暦年」、雅楽版と管弦楽版が演奏されたのを聴き逃したこと。シュトックハウゼンってちょっとハードルが高いのね(ピアノ曲Xは好きです)。及び腰になっちゃった。くやしいぃ。

現代音楽の音楽会というと、外国では髪を立てたりまっ赤に染めたお兄さんお姉さんが付きものだけど、日本ではいつもの音楽会とあまり雰囲気変わらないのね。とんがった若者よ、もっとアンテナ敏感にして!ハイソ(ってw)なホールでのクラシック音楽会だってほんの一部の特別なのを除いては誰でも入れるんだから。

プレコンサート・トークがあるのをすっかり忘れていて、途中から慌てて入ったのですが、そこでは細川さんとデュサパンさんの会話が佳境を迎えたところでした。うううう

最初の81年生まれのベルトランの「マナ」という曲は、彼が24歳の時、初めて書いたオーケストラのための作品ということです。マナというのは、空から降ってくる食べ物のことではなく、ガメラに出てくる古代オセアニアの超自然のエネルギー(?)のことです。これがすごく良かった。初めてオーケストラ曲を書いた人の作品とは思えぬ色彩感と、建築物のような構造感。2群に分けられたオーケストラの間を音が駆け巡り、さらに重層する小さな構造の組み細工がステキなの。真の天才だわ。これからの彼の作品、どうなるんでしょう、もっと聴きたいと思ったけど、痛恨、ベルトランは数年前、30歳の誕生日を待たずに亡くなっていたのでした。ショック

2曲目は、デュサパンさんの弦楽四重奏曲第6番。弦楽四重奏曲なのにオーケストラ付き。不思議な組み合わせだけど、弦楽四重奏のための協奏曲?いいえ、弦楽四重奏を伴ったオーケストラ曲?いいえ。オーケストラを伴った弦楽四重奏曲でした。弦楽四重奏とオーケストラは対峙するのではなく、オーケストラは弦楽四重奏を補うように書かれていて、弦楽四重奏にできないことを、痒いところに手が届く孫の手のようにオーケストラが補完します。それ自体の発想はとてもユニークで、音楽は、いわゆるメロディのない調性もない現代音楽なんだけれども、雰囲気は良くて、耳障りではなく、分かったかと聞かれれば1回聴いただけではよく分からなかったんだけど、惹かれる音楽でした。そして音楽の解き明かしに、休憩のあとで邂逅したのでした。アルディッティ弦楽四重奏団の演奏は、流石。彼らを想定して書かれた曲だし、長い間作曲家との共同作業をしてきているので自家薬籠中。全く隙がない、スタイルを確立した演奏は、作曲者も幸せではないかしら。

休憩のあとは、シベリウスの「タピオラ」。シベリウスの最後の大きな作品。ちん入者のようにここに置かれた作品は、単に作曲家が好きだからという理由以上に音楽のつながりを感じたのでした。リープライヒさんと東京交響楽団の演奏は、えええっっ!シベリウスってこんな曲だったっけ?というシベリウスの演奏としては違和感ありありで、むしろトンデモ演奏であったような気がします。シベリウスの持つ叙情性が欠けていて、骨組みだけが残ったみたいな。まるで現代音楽。でも、そのためにかえって、今日演奏された他の曲とのつながりが見えてきて、今まで気がつかなかったシベリウスの前衛性がさらけ出されたと思います。シベリウスのみではXだけど音楽会全体としては○、みたいな。違和感なくピッタリと正しい場所にはまっていた感じ。
シベリウスの音楽の前衛性は、一言で言うと、その特異な構造(形式?)にあるような気がします。短い細胞に細分化されて積み重ねられる音。点描的だけどウェーベルンのとは違って構造そのものが点描。そういう構造の組み細工が、今日演奏された他の曲とよく似ているの。シェーンベルクが調性を無力化したように、ストラヴィンスキーがリズムを解き放ったように、シベリウスは構造(テクスチュア)を分割して現代の音楽への道筋を作ったと言ったら言い過ぎでしょうか。多分そうでしょう。シベリウスの音楽の後世への影響ってあからさまではないし。でも、多層の構造の音楽ってミニマリズムに通じるところもあるし、何よりもベルトランさんやデュサパンさんの音楽とも意識的に共通性があると思うの。

目から鱗のシベリウスの次に最後に演奏されたのは、「風に耳をすませば」。なんか爽やかアニメ系のタイトルみたい。サントリーホールの委嘱作品で今日が初演。来年、初演される予定のオペラ「ペンデジレーア」(オペラの原作のタイトルが「風に耳をすませば」という悲劇)をメゾソプラノとオーケストラのための組曲に再構成したもの。オペラの中の3つの異なる声の役をひとりの声に集約しているので、音程の幅が広く、ちょっと大変そう。
わたし、(口ずさめるような)歌が否定された前衛音楽ではオペラはもう難しいといつも思ってて、変に妥協した作品にはうんざりなんだけど、「風に耳をすませば」を聴いて、オペラもまだ可能性はあるのかもって思えました。基本的にメロディはないんだけど、声の扱いが自然でオペラとして聴いても楽しめそうだと思えたんです。始まりと終わりにある(オペラの中ではライトモチーフのように使われるそうですけど)静かな子守歌のメロディ(唯一聞こえる口ずさめるメロディ)がとっても印象的でモノクロームの映画を観るようで。
演奏も良かったです。東京交響楽団は安定していたし、ペトリンスキーさんは、性格の違う音域の広い大変な歌を大らかに歌ってくれました。最後の歌は母性でしょうか。

毎年面白そうな企画で楽しませてくれる、サントリー芸術財団のサマーフェスティバル、来年はもっとしっかり参加しようと思います。くじも当てて同じ席取るぞーー。
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by zerbinetta | 2014-08-21 02:07 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

これは恋です 瀧村依里+orchestra failte第3回演奏会   

2014年7月27日 @習志野文化会館

ベルリオーズ:「ローマの謝肉祭」序曲
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
シベリウス:交響曲第2番

瀧村依里(ヴァイオリン)
村本寛太郎/orchestra failte


恋って天啓のように突然やってきます。そして好きになるのはみんなが認めるイケメンくんとは限らず、何と言うこともない人になぜか恋することもあります。自分でも分からない不思議な感覚。それが恋。な〜〜んて恋愛が苦手種目のわたしがとくとく言うことじゃありませんね〜〜。
音楽家さんとの出逢いも同じようなことがありますね。わたし一押しのプチ追っかけをしてるアリーナのときもそうでしたし、今日、ヴァイオリンを聴きに来た瀧村依里さんもそうなんです。大雪の降った日、上野でこれもアマチュア・オーケストラとベートーヴェンの協奏曲を弾いたのを聴いて淡い恋に落ちました。依里さんは、ウィーンから帰ってきて去年の暮れから、読売日本交響楽団の第2ヴァイオリン、トップの契約団員として活躍されている若手ヴァイオリニストさんです。日本音楽コンクールで優勝したり華々しい履歴を持った方ですが、ソリストとして活躍されるより、オーケストラや室内楽奏者としての活動に重きを置いてらっしゃるみたいですね。

orchestra failte(オーケストラ・フォルチェ)は、結成2年目の若いオーケストラです。団員さんも若い方が多いです。村本寛太郎さんが常任指揮者で年に1度ずつ、アンサンブルとオーケストラの演奏会をしているようです。オーケストラの演奏会、今日のが第3回です。習志野文化会館に来るときはとても暑いというイメジがありますが、今日も熱烈暑かった。
音楽会が始まる前、ロビー・コンサートがありました。珍しい、ファゴットのソロと2重奏、トロンボーンのアンサンブル。ロビー・コンサートは、おちゃらけというかむにゅむにゅ。ファゴットの曲は、ファゴットらしくてとぼけて面白かったです。ファゴットだけの曲を書く作曲家いたんですね。

始まりは「ローマの謝肉祭」、昨日も聴いた。さすがにプロのオーケストラとはひとりひとりの技量が全く違うので比べようもないのだけど、丁寧な音作りは好感度高いです。つかみOK。

お待ちかねの依里さんがソロを弾くメンデルスゾーンの協奏曲は、期待通りの演奏。依里さんの音楽って、控え目で、尖った主張は聞かれないのだけど(もしかするとそこが物足りないと思う人はいるかと思う)、とても丁寧で、寛いだ感じの空気感が音楽を微笑みを持って聴かせてくれるんです。美しいメロディに溢れてるメンデルスゾーンの協奏曲はそんな依里さんの美質に合っていて、ふわりと青空に浮かぶような感覚もあって良かったです。とても上手い人だと思うんだけど、決してひけらかさないんでね。メンデルスゾーンの協奏曲として、誰が聴いてもああこれだと思わせる模範的な、それでいて正しいのではなく、ステキな演奏でした。依里さんへのひと耳惚れは正解だったみたい。恋の確信。オーケストラの仕事が多くて、リサイタルや室内楽がどのくらいできるのか分からないけど、なるべく(プチですから)追っかけていきたいとほんわかと思いました。モーツァルトの協奏曲とか聴きたいな。
アンコールにはオーケストラ伴奏を付けてエルガーの「愛の挨拶」。これ、ほんとはピアノの伴奏で軽やかな音楽だと思うのだけど、オーケストラのもったりとした伴奏に依里さん自身のちょっと重たい演奏が、朝の行ってらっしゃいの軽いキスが、本格的な大人のキスのようになっちゃって、これはちょっとわたし的にはどうかと思いました。kiss & rideはワシントンDCの地下鉄の駅に書いてあって、みんなチュッとして出かけていくんだなと微笑ましく思っていたんだけど、ロンドンではkiss & ride禁止の無粋な看板があったりして、ディープなキスが渋滞を引き起こすからなんだろうけど、ってそんな「愛の挨拶」を思い出してしまいました。
休憩後のシベリウスにも依里さん、着替えて、第2ヴァイオリンの片隅で弾いてらっしゃってたのが好感度大大。この前もそうだったけど、オーケストラで弾くのが本当に好きなんでしょうね。今日のオーケストラは、依里さんと同世代の人が多そうなので和気藹々な感じも良かったです。

最後のシベリウスの交響曲第2番は、難解というか一筋縄ではいかないシベリウスの交響曲の中では、一番普通っぽい曲。シベリウスって日本では人気だけど、分かってるってかかると実は分かってなくて足を掬われちゃう怖さがあると思うんですね。今日の演奏は、技術的な限界はあるけど、とてもよく練習してしっかり準備された満足できる演奏だったと思います。このオーケストラならでは、というのはこれから見つけていく課題だと思うけど、この若いオーケストラのこれからの成長が楽しみに思える一里塚になったように思えます。指揮の村本さんは、彼の個性を発揮するには少し物足りなかったけど、オーケストラを上手にコントロールしてオーケストラから積極性のある音を引き出していたのはステキでした。常任指揮者ということなので、これから関係が深くなってオーケストラと共にやりたい音楽をより高い次元で作れるようになるのを期待して聴いていきたいと思っています。

アンコールは、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」。弦が少し弱いのでどうかなと思って聴き始めましたが、清冷な響きでちょっとじんときちゃいました。とっても良かった。


♪♪
orchestra failteの次の公演は、第4回定期演奏会が来年1月25日、新宿文化センターです。ブラームスプログラム。
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by zerbinetta | 2014-07-27 00:56 | アマチュア | Comments(0)

ううむ、何と言っていいのやら 南紫音、大友直人、群馬交響楽団   

2014年3月23日 @すみだトリフォニーホール

ベルリオーズ:序曲「海賊」
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲
ホルスト:組曲「惑星」

南紫音(ヴァイオリン)
大友直人/群馬交響楽団


今日のわたしはとてもネガティヴです。でもそれは、オーケストラに原因があるのではありません。オーケストラはとても良く弾いていましたから。もちろん、東京のオーケストラに比べてまだまだ下手かも知れません。でも、硬質でキラキラと明るい音色はとってもステキだったし、地方のオーケストラもずいぶんと力を付けているなという印象です。

実は、群馬がどの辺にあるのかよく知りません。東北?栃木や宇都宮や群馬ってなんか距離感や方向感がつかめないでいます。草津温泉は群馬?(長野だっけ?)草津温泉には行ったことあるのですよ。今日、群馬交響楽団の音楽会に、地元東京のオーケストラを差し置いて(いつもいってるようにわたしは地元主義です)行くのはどうかとも思ったんですけど、安かったから。地方のオーケストラの様子も知りたいしね。って、ここのところ、京都や札幌からもオーケストラが来ていたのですね。あとで気づいた。

始まりはベルリオーズの序曲「海賊」。ベルリオーズのオペラ、わたし、「トロイ人」(長い)と「ベンヴェヌート・チェッリーニ」(好き)しか観たことないけど、「海賊」はと思ったらこれって演奏会用序曲なんですね。なぁんだ。はじめに書いたようにオーケストラの硬質で明るい音色が好ましかったんですけど、何か早口でしゃべっているというかせかせかした感じがしてしまいました。

2曲目にシベリウスのヴァイオリン協奏曲。ソリストは若い(25歳くらい?)の南さん。初めて聴く人ですが、CDとかも出してるみたいで、期待の若手さん?楽しみにしてました。
でも、彼女のシベリウスはわたしには相容れなかった。とってもねっとりしていて、全ての音をつなげて弾く感じで、ヘンなポルタメントがかかったり、高い晴天の空に舞い上がる感じではなく地べたを這い回る感じに聞こえました。かといって、自己陶酔型の過剰にこぶしをきかせたような嫌らしい演奏でもなく、ただ、シベリウスと相容れないだけ。いえ、もしかするとわたしのシベリウスと。でも、前にニッキ(ベネデッティさん)の自由奔放で全くシベリウス感のないシベリウスを聴いたときは、これもありって思った。わたしの受け皿が小さくなってるとは、思わない(と信じたい)のだけど、今日のはダメでした。もしかすると席が一番上の後ろの方だったからダメだったのかも知れない。音はちゃんと来ていたんだけど、近くで表情を観ながら聴くのが好きだから。彼女のヴァイオリンは、違う曲で聴きたいな。例えば、ブルックとかメンデルスゾーンとかが合うような気がする。まだ若い、これからの人なので、しっかりと音楽を作っていって欲しいです。良い音楽家になることを期待してるし、また聴いていきたいです。

最後の「惑星」は、迫力はありました。でも、なんかノレないんですね。例えば、「火星」は刻みとコラール風の主題のテンポ感が違っている風に聞こえたり、メロディのまとめ方が雑で旋律と次の旋律の間がなんとなくゆるくなってしまったり、オーケストラがせっかくいいもの持っているのに、音楽作りがゆるいんです。もっときっちり音楽を作らないと、ただスペクタクルに音にしました、だけで終わっちゃう。指揮者の問題が大きいけど、オーケストラの側も自発的に音楽を作れる力が必要かなと思いました。大友さんは今シーズンから群響の音楽監督になられているんですね。大友さんがしっかり腰を据えて群響を鍛えて良い音楽関係を築いていって欲しいです(大友さんでいいんですよね?)。地方出身者のわたしとしては、東京のオーケストラに負けないオーケストラになって欲しいです。
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by zerbinetta | 2014-03-23 00:17 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

音楽を続ける意思? 新日本交響楽団 第91回定期演奏会   

2013年10月27日 @すみだトリフォニーホール

ワーグナー:リエンツィ序曲
シベリウス:交響曲第6番
ドヴォルジャーク:交響曲第9番「新世界より」

新田ユリ/新日本交響楽団


台風一過の青空。気持ちよ〜い秋空。こんな透明な空気はシベリウスによく合いそう。というわけで、シベリウスの日本での第一人者のひとり、新田さんが大好きなシベリウスの交響曲第6番を振るというので聴きに行ってきました。オーケストラはアマチュアの新日本交響楽団。最近は東東京のホールを中心に音楽会を開いている、もうすぐ結成50年の老舗アマチュア・オーケストラ。期待できそう。

演奏が始まる前に、プログラム冊子を見ると、指揮者の新田さんによる、シベリウスの交響曲第6番の解説。第6番と第7番につながる旋法と調性について、先のインキネンさんと日フィルの第6番と第7番を続けて演奏したことに稿を起こして(彼女はインキネンさんとプレトークを行った。そしてこのやり方に疑問を持っているとのこと)、充実した内容、というかもっと読みたい。字数制限があって(?)言いたいことが言い切れていない(第7番については今日は関係ないので、短くしか語られていない)ので、シベリウスをテーマにした講演みたいのしてくれないかしら。ぜひいろんなお話を聞いてみたい。

リエンツィ序曲は、トランペットのソロで始まったときから、おや?初めて聴く曲だわ、変ねぇと思ったら、曲が進むにつれて、聞いたことのある音楽が聞こえてきて、単に始まりの部分を忘れていただけなのでした。わたし的にはこの曲は、ローエングリンとマイスタージンガーの合わせ技的な感じがするんですけど、新田さんは、じっくりとねちっこく(テンポも遅めなのかなぁ)、後期のワーグナーのスタイルで演奏したのでした。恋愛禁制の序曲やホ長調の交響曲のようなヴェルディのオペラ的な影は聴かれませんでした。休符の部分の音楽にちょっと不満を感じましたが(音が切れたとたんに音楽も切れてしまうような感じ)、丁寧な音楽作りには好感が持てました。つかみOK。

リエンツィ序曲に続いてシベリウスが演奏されるのだけど、弦楽器の人が全員舞台袖に引っ込んだのにちょっとびっくり。曲ごとにいったんみんな舞台を降りるのかなって思ったけど(どこかのオーケストラがそうだった)、そうではなくて、ハープを指揮者の前に持ってくるためでした。ハープがなにげに活躍する曲だけど、こんな配置は初めて。新田さんのこだわりかしら。
シベリウスの交響曲第6番はアマチュア・オーケストラには難易度の高い作品だと思う。始まりの弱音での弦楽合奏の透明感は、かなり上手に弾かないと出せないと思うんですね。それに、後期のシベリウスらしい、細かい音符とフレーズをアラベスクのように重ねて作る音楽は、アンサンブルがよっぽど上手くないとばらばらに崩れちゃうと思うんです。とは言え、先日、都民交響楽団のステキな演奏を聴いてるので、アマチュアだからと言って無理だとは言えないな、と思っていました。
今日の新日本交響楽団は、とっても健闘していたんだけど、始まりの和音の音の取り方が、わたしにはしっくりこなくて、どこがいけないのか分からないんだけど、ちょっと居心地の悪さを感じてしまいました。普段聴いているCDとかと違う曲な感じに聞こえてしまいました。そんな感じでドキドキしながら聴いていたら、中間の弦楽器が細かい音符で囁き合うのが続くところで、弦楽器の人たちが訳分からなくなってしまって、多分、木管楽器も落ちてしまったと思うんだけど、止まってしまいました。ドキリとしたけど、さすが新田さん、何でもないようにさっと指示を出して、ちょっと先の部分から仕切り直し。新田さんは各パートの入りを全部明確に指示しながらの指揮。演奏を最後まで進めるやり方。もちろん、練習のときに新田さんの音楽は伝えてあるのだろうけど、残念ながら音楽をするというところまではいきませんでした。それでも、どうしてか、心に来るものはありました。音楽を続ける意思というもの?よく分からないけど、ちょっとじーんときました。

このオーケストラって、新田さんの指揮だったからかも知れないけど、指揮者が思ってるのと一瞬遅れて音が出てくるように感じました。ちょっと消極的というか自信がないわけじゃないと思うんだけど、闇の中に音を発して引っ張っていく人がいないように感じたんです。もっと攻めていった方がきっと良くなるよ。

最後の「新世界より」は、安心して聴けました。第2楽章のイングリッシュ・ホルンもとても上手くて、シベリウスよりも弾きやすいせいかな、のびのびと演奏していたように思います。新田さんも、部分部分のテンポとか短い音符の切り方に彼女の音楽を聴かせてくれて、良かったと思いました。今日のMVPは、ティンパニかな〜。男の人も女の人もとってもしっかり叩いていました。

新交響楽団の次の音楽会は、イギリスものです。どんな音楽が聴けるのか楽しみにしましょう。
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by zerbinetta | 2013-10-27 23:45 | アマチュア | Comments(0)

プロコフィエフってもっと快活でユーモアのある人だと思うよ 都民交響楽団第116回定期演奏会   

2013年9月28日 @東京文化会館大ホール

シベリウス:交響曲第6番
プロコフィエフ:交響曲第5番

冨平恭平/都民交響楽団


連戦です。中野から上野に行く間、電車にゆられてアマチュア・オーケストラをどんなふうに聴くか、楽しむかつらつら考えていました。一流のプロの演奏を聴くのと同じなのか、聴く方として同じように音楽を楽しめるのか、なんてことをとりとめもなく。答えがでるでもなく、いつかこのお話はしてみたいと、未来に向かって賽を投げて。

都民交響楽団は幻のアマチュア・オーケストラとも言われているそうです。なぜって定期演奏会が全部往復はがきで申し込みの招待制だかららしいんです。招待制っていうのはいいんだけど、往復はがきとは。。。それを当日、会場でチケットと引き替えなきゃいけなくて、長蛇の列。2000人ばかりの人にふたりの人で対応するのだから。これもうちょっとなんとかできないのかなぁ。来た人に良い席から確実に配分できるのは良いことだけど(無料の指定券を送る方式だと来ない人もいるだろうから)、それでもちょっとアナクロ感はぬぐえないよね。並ぶの嫌いだし。

そんな負の感情のまま音楽会へ。ところが。音合わせの音を聴いて、しゃきん。いい音じゃない。期待してもいいかな。でも、プロコフィエフはともかく、シベリウスの交響曲第6番は、始まりの透明な弦楽アンサンブルが命になるので、アマチュアには難しいかなって思ったんです。でも、このオーケストラの透明感はどうでしょう。プロ並みと言ったら言い過ぎだけど、ものすごく高いレヴェルで音楽してる。っていうか、技術的なことにあまり惑わされずに音楽に集中できる。すっきりした演奏もわたしの好み。前に聴いたサラステさんの演奏のような解釈。第1楽章の真ん中あたりの木管楽器の速いパッセージのバランスとか、第1楽章の最後で大胆にテンポを落とすとか、平穏さを保ちながら進む最終楽章とか。弦楽器があまりヴィブラートをかけないのもステキ(これは、アマチュアのオーケストラの弦楽器の特徴かな?)。演奏の姿勢に、ではなく純粋に音楽に感動しました。

プロコフィエフの交響曲第5番は、ねっとりと糸を引く重さ。なんだかとても気分が重くなるような暗い音楽。テンポは基本的にインテンポで、焦らされるほどにゆっくり目。確かにプロコフィエフのこの曲にそんな面もあると思うんですよ。でも、同時にプロコフィエフの音楽って突き抜けるユーモアもあると思うんです。そのユーモアの部分がほとんど感じられませんでした(特に第3楽章と第4楽章のヴォーカロイドの歌が似合う速い楽章で)。最後もっとはちゃめちゃに速くなってくれーーーって思いながら聴いていたけど、息が苦しくなるまで潜って、死にそうになって最後、水面に出てぷはーと息した感じ。我慢に我慢を重ねて我慢し尽くした。そこまで徹底的に重苦しい曲なのかな、とプロコフィエフ好きのわたしは思うのです。そう言えば、前に聴いた金山さんの演奏も同じような感じだったな。経験が少ないのに強引だけど、日本の人はプロコフィエフの音楽をこういうふうにみてるのかしら。もっとたくさん聴いてみたくなりました。

オーケストラは穴がなくてとても上手い。コンサートマスターの人のソロはなかったけど、この人めちゃ上手そう。ずっとにこやかに弾いていて。あとで調べたら、ヴァイオリンの先生で、練習用のCDまで出している方なんですね。どうりで。このオーケストラは、練習が厳しくて(毎回出席することを義務づけてる)、団員になっても4年に1回、試験があるそうです。めちゃ音楽に真面目。こういうオーケストラを聴くのはいいな。(ただ、全てのアマチュア・オーケストラがみんな、こんなふうに厳しくなるべき、とは思いません。趣味で音楽をやるのにはそれぞれいろんな制約があるでしょうから)

アンコールには、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」。弦楽器とティンパニの音楽。この曲もとても美しく演奏されました。シベリウスステキ。管楽器はお休みだったので、きっとあると思っていたとおりアンコールはもう1曲。今度は、プロコフィエフの「3つのオレンジへの恋」から行進曲。この軽快な行進曲もなんだか随分重く演奏されちゃいました。ユーモア満載のオペラなんだけどな。冨平さん、シベリウスはとってもステキに演奏するのに、プロコフィエフはわたしの好みからするとちょっと重すぎ。この人は透明度の高い音楽の方が得意なのかも。

このオーケストラ、一発で好きになってしまいました。はがきを出しても当たるかどうか分からないけど、せっせと聴きに行こうと思います。チケットが必ずもらえる賛助会員になればいいのかな。
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by zerbinetta | 2013-09-28 23:59 | アマチュア | Comments(0)

一流のソリストとの共演はアマオケにとって宝 藤田有希、石毛保彦/オーケストラルゼル   

2013年7月15日 @杉並公会堂

ボロディン:「イーゴリ公」序曲
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲
ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」

藤田有希(ヴァイオリン)
石毛保彦/オーケストラ・ルゼル


生まれて初めての杉並公会堂です。わたしのイメジでは老舗のホール。何しろカタカナのこじゃれた名前じゃなくて公会堂だもの。昭和の香りがするよね。と思ってきてみたら、ガラス窓を大きく採り入れた明るくて新しいきれいなホールでした。最近立て直したのね、ホワイエが狭いのが玉に瑕。

オーケストラ・ルゼルは東京電機大学のオーケストラの卒業生を中心にして作られたオーケストラだそうです。20代中心かしら。コンサートマスターの人がちょっとナルシスト入ってるぅ、なんて可笑しかったりして。

「イーゴリ公」の序曲はほんとはボロディンの作ではないんですね。そんなこともこの間のロシア専門オケの音楽会で知って、ふむふむ、普通はこだわらないんだな、とかちょっぴり知ったかぶりしてみたり。なかなか勢いのある演奏でした。指揮者の石毛さんは、お医者さんを止めて(多分)、指揮者の道に入られた方なんですね。歳は取っている(いやそれほどでもない?)けど指揮者としてはまだ若手(?)。流れるような指揮でかっこいい。指揮者に憧れて指揮者になったというのがよく分かる感じです。きっと指揮者を目指す前はお仕事の休みに家でCDを聴きながら菜箸でたくさん指揮してきたのでしょう(と、失礼ながら勝手な妄想)。でも、そんな流麗な指揮ぶりだから、歌わせるのがとっても上手い。よく歌う「イーゴリ公」でした。

シベリウスのヴァイオリン協奏曲、アマチュア・オーケストラで聴くのは実は2回目。前は、ロンドンの高校生(プロを目指したり目指さなかったり)がセーゲルスタムさんの下、フィンランド(US生まれ)の若手ヴァイオリン奏者エリナ・ヴァハラさんの演奏でした。そのときの演奏はとても良かったけど、今日はどうでしょう。なんてもったいつけないで言うと、凄く良かった。ソロを弾いた有希さんの音楽に聴き惚れていました。
有希さんは現在、フィンランドのシベリウス音楽院に留学中のヴァイオリニストなんですね。一時帰国中。明るいピンクの(うろ覚え)裾の大きく広がった(Aライン?)のドレスで(最近ヴァイオリニストではあまり見ないからびっくりした!)、かわいらしい感じの方。24歳くらいなんですね。オーケストラのメンバーと約同年代。
さわさわと静かにオーケストラが始まると、アマチュアの弱さ、弱音は力がなくて掠れてしまうのだけど、すうっとソロが入ってくると、とたんにオーケストラが締まったの。ソリストが音でオーケストラをリードしていく。というかオーケストラがソリストの音に感化されてる。プロのオーケストラでもこういうの聴いてきたし、ヒラリー(・ハーンさん)なんて、コンサートマスターよりもコンサートマスターらしい感じだけど、素直なアマチュア・オーケストラにはより効果的。考えてみれば、指揮者はどんなにひっくり返っても欲しい音は出せないけど(余計な音を出してうるさい指揮者はいるけど)、ソリストは自分の欲しい音を自分で示すことができるもんね。しかもヴァイオリンはピアノと違ってオーケストラの中の中心の楽器だし。完全に有希さんの音楽。わたしは有希さんの音だけを耳で追っていればいい。
有希さんのシベリウスは、清楚で澄み切っていて、わたしたちが考えるシベリウスそのもの。彼女が今住んでいる、シベリウスの国の景色を見せてくれるよう。シベリウスの音楽って懐が深くて、例えば、ニッキー(ベネデッティさん)のようなふくよかで自由な音楽も印象的だったし、リサ(バティアシュビリさん)の見せてくれた風景もステキだった。彼女たちに比べれば、有希さんの演奏はものすごく自然。この間、千々岩さんが聴かせてくれた、考えられ、練られた音楽でもなく、すっと素直。意地悪で言えば個性があまりない、のだけれども、そうではなくて、シベリウスが呼吸していたのと同じ空気を感じる音楽なんです。それは、同じ空気を吸っている有希さんだからこその音楽。頭の中で考えて真似できることではないのだと思う。有希さんは、果敢に、楽譜に書いてある音符を全部丁寧に弾こうとしてたし、ほとんどミスもなく弾ききっていました。わたしは、彼女のヴァイオリン好きだなぁ。もし将来日本に帰ってくる選択肢を取るなら、伝統的にシベリウスのオーケストラの日フィルなんかのコンサートマスターになって欲しいです。
石毛さんもオーケストラもただ手をこまねいていたわけではありませんよ。来るところはがーっときたし、来すぎちゃったところは石毛さんがしっかりコントロールして抑えてました。ほんとに素晴らしいシベリウスでした♡

休憩のあとは「田園」。最近、ベートーヴェンの交響曲の中で偏愛してます。コンサートマスターは、ナル君から変わって女の人。でも、このベートーヴェンらしからぬ繊細でかわいらしい音楽は、アマチュア・オーケストラにはちょっと荷が重かったかな。弱音で美しい豊かな音を弾かなければならないのに、それが難しいんだもの。小さな音を強い豊かな響きで弾くのってなんて難しいんだろう。アマチュア・オーケストラではそれが、プロのオーケストラのようにはできないし、ベルリン・フィルが聴かせてくれるピアニッシモの美しさは残念ながらまだ、日本のオーケストラには弾けない。そんな感じで、昔のSPレコードの乾いた音のような(そこのあなた。わたしの歳を想像したね。もちろん、生でSPレコードを聴いたことはないのよ。ラジオとか復刻のCDとかですよ)、オーケストラの音では、「田園」の魅力は半減。石毛さんの速めのテンポの相まって、「田舎に着いた楽しい気分」はそこに義両親が待ってるような胃の中に何かを入れられた感じ(義両親と上手く行かない人多いんでしょう?わたしは、義両親さん大好きですよ)。小川も流れがちょっと枯れかけてるみたいな。大きな音になると良くなるんですけどね。

アンコールは、シベリウスの多分「アンダンテ・フェスティーヴォ」(ティンパニ入り)。ソリッドな弦楽合奏は、とても良かったし、このオーケストラはこういう力の強い音楽の方が向いていそう。
今日はシベリウスを楽しんだ、という記憶を大切なフォルダーにしまっておこう。
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by zerbinetta | 2013-07-15 00:10 | アマチュア | Comments(0)

シベリウス愛好国   

わたしはシベリウス大好きです♡あるときは、ヴァイオリンのための小品やピアノ伴奏の歌曲をコンプリートしようと集め始めたくらい(すぐ挫折したけど)。でも、今でもずっと、交響曲の第6番は大大大好きです。7番も。
でも、シベリウスが愛好されてる国って(ヴァイオリニストの大きなレパートリーになってる協奏曲を除く)、実は本国(と多分スカンジナビア半島の国々)以外には、イギリスと日本くらいじゃないかと思うのです。そんなに演奏されない。シベリウス好きとしたらシベリウス愛好国にばかり住めたのはラッキーでしたね。特にイギリスはシベリウス人気が半端でなく、わたしがロンドンに住んだたったの4年の間に、交響曲の全曲演奏サイクルが2回、その他にもよく演奏されてましたから、あの聴く機会のあまりない名曲、交響曲第6番♡を5回くらい聴きました(演奏されればいそいそ聴きに行くせいもあるのかも知れませんが)。7年間のUSでシベリウスの交響曲を聴いたのは、たった3回、「クレルヴォ」と第1番、7番。全てヨーロッパからのオーケストラ、そのうち2つは北欧。

ヨーロッパでも大陸の方では、あまり演奏されないようです。ベルリン・フィルなんかは、一時期イギリスでも活躍していたカラヤンは演奏してたし(カラヤン、イギリス時代にイギリスでの音楽を勉強したのではないでしょうか。ホルストの「惑星」を広めたのも彼ですよね)、イギリス出身のラトルさんも振ってます(USで聴いたシベリウスのひとつがラトルさんとベルリン・フィル)。イギリスでも、イギリス人や北欧系以外の指揮者がシベリウス(また言いますがヴァイオリン協奏曲以外)を採り上げることはめったにありません。アバドさんやムーティーさんがシベリウスを演奏したという話は聞かないし、アメリカ人指揮者は、演る人と演らない人に分かれそうです。

シベリウス好き、北欧もの好きが多くいる日本から見ると信じられないくらいですが、シベリウスのような確固とした評価のあるように思える作曲家でも、まだ、ローカル色が濃いのですね。それにしても、シベリウス好きが多い外国、日本人とイギリス人って似てるのかしら?同じ島国?律儀で真面目なところ?(イギリス人が?って思うかも知れないけど、わたしの見た感じ他の国々の人に比べるとかなりそうね)

こうして考えると、交響曲の分野で、多くの国で受容されてる作曲家の作品って、元々交響曲が育った独墺(と元々数は少ないけどフランス)以外の作曲家ではほんと少ないですね。シベリウスは入れていいと思うけど、イギリスのエルガーは微妙だし、アメリカの作曲家は全滅。ロシアは以外と頑張ってチャイコフスキーやスクリャービン、ラフマニノフ、タコ。ううん、日本のが外で受け入れられるのはかなり難しそうだな。チャンスがあるとしたらイギリスか。世界制覇を企むためには、まず、イギリスのオーケストラの首席指揮者を日本人がひとつ取ることね。話はそれから。
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by zerbinetta | 2013-06-20 23:21 | 随想 | Comments(3)

帰るべきところから聞こえてくる聖歌 インキネン、日フィル シベリウス3、6、7   

2013年4月26日 @サントリーホール

シベリウス:交響曲第3番、6番、7番

ピエタリ・インキネン/日本フィルハーモニー管弦楽団


日本ってイギリスと並んで、本国以外ではシベリウスがとても愛されている国。だから、シベリウスの作品がたくさん演奏されるんですね。ロンドンではわたしがいた4年間の間に,交響曲の全曲サイクルが2回、それに他にも単発で演奏されてます。一番演奏機会の少ない交響曲第4番でも2回聴きました。こんなことはUSではなかったし(7年間で交響曲が多分3回だけ。クレルヴォと第1番と7番。しかも全部外国のオーケストラ)、ヨーロッパ大陸でもないでしょう。シベリウス好きには日本やイギリス、もちろんきっとフィンランドも、はたまりませんね。わたしもシベリウス好きなので、若いフィンランドの指揮者、インキネンさんが日フィルを振る,シベリウス・サイクルは楽しみにしてました。といいつつ、聴きに行ったのは大好きな3曲をまとめてやる今日の音楽会だけなんですが。それにしてもわたしの好きな曲を3曲集めてというのはなんて嬉しい!プログラムなんでしょう。教会交響曲3曲ですね♡

サントリーホールはとっても久しぶり。外国に出る前だから、もう15年以上も昔、何回か聴きに来たことがあります。すっかりどんなところか忘れてた。サントリーホールってちょっと使い手が悪そう。だって、開演の30分くらい前までホールには入れないんですもの。というのはまあ普通なんだけど、ホールの外は外。アークヒルズのコンプレックスではあるけれども、ホールと同じ建物続きで,お茶したり休憩できるロビーが欲しいよね。せめてホールのエリアとして屋根付きの雨風をしのげるところが欲しいです。中の客席はこぢんまりとしていて、ステージが意外と広いと思いました。居心地はいいです。

日フィルは初めて。どんな演奏になるんでしょう。開演前のステージでは、数人の人が音出ししていました。そのままオーケストラは三々五々ステージに集うのかなと思ったら,いったん全員引っ込んでからわらわらと出てきました。こういうスタイル日本では多い?

インキネンさん、イケメンじゃん♡33歳くらい。
交響曲第3番は、でも、しかし、始まりの速い刻みの音がぴったり合わなくて、あれよあれよといううちに焦点が合わないまま進んでいきました。ゆっくり目のテンポでの演奏ではあるんですけど、この曲、軽快なリズムの音楽であるから、リズムが合わないとのれないです。わざとそうしてるのかしら。でも、それは音楽の中にあるものとは違う。あとで気づくんだけど,インキネンさんって横の線で歌うのはとってもいいんだけど、縦の線を刻むのは苦手な感じ。オーケストラがそこを汲み取ってしっかり合わせられればいいんでしょうけど、日フィルにはそこまでの力がないのかな。ずうっとちぐはぐなまま。それに、奏者ひとりひとりがこの曲を知らないで弾いてる感じでした。ばらばらでまとまりがないもの。特に内声の人やホルンとか和音を作る人はよく分からないで弾いて(吹いて)いるみたい。そして残念なことは、ティンパニのリズム感のなさ。ティンパニがぐいっとオーケストラを引っ張らなきゃいけないのに、オーケストラのあとから付いていくという感じ。マレットの選択にももう少し工夫が欲しいです。ホールは良い音のホールだと思うのだけど、ホールの音を生かす工夫をオーケストラがしていないのもがっかりでした。教会のコラールみたいに音が響くように作られてる曲だと思うのだけど、ホールの残響を利用した音のまとめ方ができていない感じでした。第2楽章はわたしにとって,絶対泣く音楽なんだけど、ちょっと遠くに置き去られたみたいにぼーっと立っているしかありませんでした。

と、前半は、珍しく強い言葉で不満を書いてしまいました。
そんなもやもや感の中後半。

第6交響曲は,一番大好きな曲。インキネンさんのテンポはここでもゆっくり目で,あっ!カラヤンのみたい(真ん中のクライマックスでの木管楽器の速い音符の吹かせ方も)って思って嬉しくなっちゃった。カラヤンの演奏が好きなの。インキネンさんの横の線を大切にした音楽の作り方はここではとっても上手くいっててオーケストラも見違えるようになって、これはとってもステキなシベリウスでした(第3楽章はリズムが停滞してたけどね)。インキネンさんの演奏は、シベリウスの中に熱くのめり込むものではなく、少し距離を置いて突き放している感じ。なので、より客観的な音楽になっていたと思います。外国のオーケストラでの演奏なのでそういう方向が生きているんじゃないかしら。暖かな人肌のぬくもりをもった音楽。とても大きな音楽作りだけど,雄大にはならずに自分にとって居心地の良い空間のサイズ。北欧の森も湖も空もイメジできなかったけど、それは当たり前。行ったことのない空気を吸ったことのないわたしにとってそれは作り物のイメジだもの。むしろ、シベリウスの音楽からわたしの裡にある自然の景色を、それは北海道の山だったり、クロアチアの湖だったり、オーストリアの丘に立つ小さな教会だったり、今日見た青い空だったり、岩手の峠の上で見た銀河だったり、本物の風景を音の中に感じさせてくれました。

内省的なエピローグで音楽を閉じると、すぐ続けて、第7交響曲の緩やかな音階。ゆっくりだけど後打ちのコントラバスを粘ることなく弾かせて、すうっと上がっていく。第6交響曲の後にすぐ続けて第7を演奏するということはアナウンスされていたので知っていたけど、こんなに違和感なくぴったりとつながるとは思っていませんでした。ひとつの独立した、それも最高に深く密度の濃い音楽なのに、境目が溶けてひとつの作品になる。こういうスタイルは初めて(第6番と7番が続けて演奏されたことはあったけど,その間に指揮者はいったん引っ込んだ)。でも、これは間違いなく成功していたな。音楽は内面でつながっていたし、そのつながりの中で演奏されることによって,ふたつの曲の新しい一面を見ることができたように思えます。
それにしても,あの、トロンボーンの聖歌が出てくるところは,何度聴いても感動する。理想の故郷に帰ってきた思い。奇跡のような音楽。あまりに壮大だけど,それは大きく広がるのではなくて,中へ中へと深く入っていく。わたしの中の小宇宙。シベリウスは最後何を見てしまったんだろう。もうこれ以上音楽が書けなくなるほどに。

日フィルの木管楽器は、あまり弱音を聞かせてくれなかったけどとてもきれいでした。シベリウスのこの3つの交響曲には,木管楽器が大事だもの。最後のふたつの交響曲の説得力は、この木管楽器の賜物。オーケストラ全体としては、音のしまい方やホールの響かせ方(特に今日の3つの交響曲は教会的な音の響きがあるのでそれがとっても重要)、ピアニッシモの響きに欠けはあったけど、それよりも後半のふたつは音楽の素晴らしさが雑念なく浮き上がってくる素晴らしい演奏でした。これからもインキネンさんとステキな音楽を作っていって欲しいです。インキネンさん、首席客演じゃなくて首席指揮者か音楽監督として迎えてインキネンさん色にしちゃえばいいのに。
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by zerbinetta | 2013-04-26 14:36 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

熱血完全燃焼 千々岩英一、宮本文昭、東京シティフィル シベリウス、ショスタコーヴィチ   

2013年3月16日 @東京オペラシティ コンサートホール

シベリウス:ヴァイオリン協奏曲
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番

千々岩英一(ヴァイオリン)
宮本文昭/東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団


この間、聴きに行って好感触だったシティ・フィル。今年度のテーマが完全燃焼だそうで音楽監督は宮本文昭さん。わたしにとって宮本さんは違いの分かる男の人でも、指揮者でもなく、オーボエストなんですが、いつの間にかに指揮者になられたのですね。基本的にわたしは、餅は餅屋な人なので、オーボエでの演奏活動は止めたとはいえ、指揮者としては未知数の宮本さんはちょっと怖いもの聴きたさ。でも、当日券だったら1000円という魅力に抗えず、タコだし〜(嘘です。タコがあるの会場に来てから知りました)、でも、もっと大きな理由は、ツイッターでフォローしているパリ管弦楽団の副コンサートマスターの千々岩さんがシベリウスの協奏曲を弾くからなんです。ちょっぴりお知り合いになった人の音楽会、ドキドキしながら聴いてみたいじゃないですか。

でもね、同時に、こんなブログを書いてる身としては、SNS上とはいえ知り合いのことをちゃんと批評して書けるのかという心配もいっぱい。書かなきゃいいんだけど、一応聴きに行った音楽会は良くても悪くても全部書いてるし〜、おべっか使うと言葉に力なくなっちゃうし。はい。アホですね、わたし。聴く前から心配してるなんて。

そうアホな心配は音楽が始まるとすぐ、晴れ渡るように霧散しました。千々岩さんの音とってもきれい。一流のオーケストラってソリスト並みのコンサート・マスターを持ってること知ってるけど(ニューヨーク・フィルのもそうだし、突然キャンセルしたソリストの替わりにシベリウスを弾いたロンドン・シンフォニーのシモヴィックさんも凄かった)、パリ管の千々岩さんも確実にそのひとり、ということが分かりました。はっきりとした遅めのテンポで丁寧に弾いていきます。ひとつの音もないがしろにしない。つーんと冷たい音色ではなくて、室温でいただく、きりっとしたおいしい純米酒のような音色。または、室温で飲むペリエのような爽やかさ。オーケストラのバックも雄大に音楽をつけていきます(第1楽章はヴァイオリンに覆い被さって凌駕する部分があっても良かったと思いましたが)。ソロとオーケストラのバランスのとれた演奏です。
第2楽章に入ってあれれ。さっきまで好調だったオーケストラがどうしちゃったのって感じ。叙情的な楽章は,もうちょっと粘ってもとも思いましたが、歌いすぎない、でも陰のような情念をたたえてる音楽は、暗くて重みのある音楽。後半はオーケストラも持ち直して、ヴァイオリンとオーケストラが反対向きに音楽を壊すさまがスリリングでした。反対のベクトルで引き合ってる。
今日の演奏で一番性格がはっきりしていたのが第3楽章です。千々岩さんは、しっかりとアクセントを強調して、土の香りの強くするのほんずな踊りの音楽を弾いていきます。春の祭典のような、あそこまで吹っ切れて土俗的な踊りを踊るのが新鮮でした。主張がはっきりとして,千々岩さんはこれがやりたかったんだなって思いました。交響曲第2番の叙情性から第4番の闇に落ち込むところの暗いシベリウス。キーワードは大地とか土かな。
千々岩さんのアンコールは、細川俊夫さんの無伴奏ヴァイオリンのためのエレジー。これが、シベリウスのポスト・スクリプトのように聞こえてとっても良かったの。これを聴けただけでも今日の音楽会に来た価値ある。空気が一点に吸い込まれる,心臓をきゅうっと掴まれるような時でした。ブラヴォー。

タコの交響曲第5番は、初っぱなからど真ん中。力強く気合いの入った音で気持ちいい。鋭い刀で切ったような冷たさはないけど、がつんとくる感じは捨てがたい。オーケストラのテーマの完全燃焼という言葉に納得。宮本さんの音楽は、奇をてらわず、堂々としていて,熱い。大ぶりな身振りと,大音量の唸りで(これはもちょっと控えた方が良いかと)、オーケストラをぐいぐい引っ張っていきます。まるで、高校生と熱血教師。わたしが高校生だったら,こう演奏したいなって演奏。青春青春。だからストレイトで、ショスタコーヴィチがちりばめたたくさんの斜に構えた皮肉や諧謔は薄まってる,というか聞こえない。だから第2楽章は、まともすぎてかえってつまらなくなっちゃったけど、全体的にはぐっとくる演奏。わたしだって熱い青春時代はあったのだ。というか、今でもまだ熱いんじゃないかと思わせてくれるような音楽でした。最初っからゆっくり目のテンポ設定だったのだけど、第4楽章が特にゆっくりで,いつアチェレランドするのかってドキドキワクワクしながら待ってたら、(ちょっぴり速くはなったけど)最後までじっくり。焦らされ焦らされ心を押し上げてくるのだけど、それは、お終いの方のホルンと弦楽合奏の静かな部分が終わって、小太鼓に乗って木管楽器が主題を再現させるところで頂点に。と思ったら、最後の最後、やってくれました。象の歩み。こんなテンポで!なんだか不思議な感じ。勝利でもない、悲劇でもない、物語性も感じない。だからいい。
実は、宮本さんが何を考えてこういう演奏にしたのかは,つかみ損ねてるのだけど、自分が若返ったような気がして、超アンチ・エイジングな演奏、アンチ・エイジング美容液ぱしゃぱしゃするより、わたしにはこっちの方がよっぽどいいなぁ。

シティ・フィル、弱音をもうちょっとってところもあったけど、宮本さんとどんな音楽を作っていくのか,もっと聴いてみたくなりました。
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by zerbinetta | 2013-03-16 22:04 | 日本のオーケストラ | Comments(2)

サンタクロースがヒッグス粒子に乗ってやって来た セーゲルスタム、読響   

2013年1月26日 @東京芸術劇場コンサートホール

シュトラウス:交響詩「死と変容」
セーゲルスタム:交響曲第252番「ヒッグス粒子に乗って惑星ケプラー22bへ」
シベリウス:交響曲第2番

レイフ・セーゲルスタム/読売日本交響楽団


ヒッグス粒子に乗って惑星ケプラー22bへ向かっていたサンタクロースが道を間違えて、季節外れの日本にやって来たようです。ので聴いてきました。だってセーゲルスタムさん大好きだし、サンタさんだからプレゼントくれるかなって。読響の評判もいいので聴いてみたかったんです。読響、聴くのは初めて♪
東京芸術劇場は遙か昔に来たような気がします(記憶力に難ありなのでがあやふや)。IWPにもよく出てくる名所(?)ですしね。前は長いエスカレーターがあったと思うんだけど、記憶違いかな。それにしても日本のホールってビルの上の方にあるのが多い気がするんだけど、気のせいかしら。

セーゲルスタムさんと読響の音楽会は2つのプログラムがあったのだけど、人気のありそうなマーラーの交響曲第5番をメインにした方ではなくこちらをチョイス。セーゲルスタムさんのマーラーはフィルハーモニアで聴いたことがあるので、どんな音楽になるのか予想はついていたし、それはとってもユニークでステキな演奏だったのだけど、自作の交響曲第252番の方により強い引力を感じてしまったんです。話の種に聴いておかなきゃって。

最初は、シュトラウスの「死と変容」。どんな音楽になるのでしょう?わくわく。サンタさんが巨体を揺るがして登場。静かに音楽が始まります。ん?あれ?れれれ?戸惑い。なんだか音楽がばらばら。どうしたことか。でも、この方向は。はたと思い出した。以前にマーラーの交響曲第5番の演奏でもやっていたこと(1週間前の読響との演奏でもそうだったのかは分かりませんが)。そのときの日記を引用してみるね。
***
セーゲルスタムさんの音楽は、マーラーの音楽をひとつひとつの部品にまで分解してその部品ひとつひとつを丁寧に磨き上げている。だから、それぞれの部品がとってもきれいによく見えるし、マーラーが書いた複雑な音符が全てしっかりと聞こえてくる。でもそういう演奏なら最近多いし、こんなに不思議な気持ちになることはないと思う。何かが違う。そう、組み立て方が違うんだ。っていうか組み立てていないっ。セーゲルスタムさんは部品をそのまま部品の状態で置き放したまま組み立てるのを止めたよう。
***
そのときと同じようなことをこの音楽でもやってる。でも決定的な違いはそのあと。
***
セーゲルスタムさんはどのように秩序づけてるんだろう? その答えは聴き進むうちに見えてきたような気がします。セーゲルスタムさんは音楽の中に秩序を求めないで、音たちの外に世界を作り出してるの。音たちがあちらこちらから飛び込んでくる世界にわたしたちは入り込んだよう。音どおしを関連づけて音楽を創ることを止めて、音を入れる大きな入れ物を創った。そしてそれは閉じずに開いている。世界なのだから。・・・ここにある音たちはわたしたちと一緒に世界に存在している。音は外にある。
***
この、音を入れる世界を作ることが読響にはできていなかったように思えるの。だから磨き抜かれた部品がそこここにあるだけで、ひとつの世界にならなかったんだと思うんです。わたしは、上手いオーケストラって、演奏者ひとりひとりがとても良く音楽を知っているオーケストラだと思います。読響はまだそのレヴェルには達してないんだな。指揮者に応えて弾くことはできていても、音の背後にあるものを表現することがまだできていないように感じました。ずいぶんと変わったシュトラウスへのアプローチなので、それを消化することができなかったんだと思います。セーゲルスタムさんの「死と変容」はウィーン世紀末の爛熟した時代の交響詩と言うより、北欧伝説の交響詩のようでした。セーゲルスタムさんのやりたいことははっきりしていたのに、読響がそこまでついて行けていないように思えたのがちょっと残念でした(オーケストラの音色は透明でがんばっていたのだけど)。
セーゲルスタムさんがロンドン・シンフォニーを振って「死と変容」を演ったときの感想はこちら。http://zerbinetta.exblog.jp/11065146/

さて、いよいよ、交響曲第252番。セーゲルスタムさんの作品を聴くのは2回目。前は交響曲第189番でした。それにしても、なんというか、交響曲を300曲近く書くなんて。。。(現在261曲。順調にいけばあと5年で300曲)。本人はひとつひとつ覚えているのかな。わたしは、第235番と237番の違い分かるのだろうか?
セーゲルスタムさんはシベリウスの交響曲第7番をとても高く評価しているので、彼の交響曲は初期の数曲を除いて全て単一楽章。第63番以降はほとんどの曲で演奏時間が24分となってます(その前のもほぼ20分台)。もうひとつの特徴は、多くの曲で偶然性、自主性を採り入れているので指揮者なし。今日の「ヒッグス粒子・・・」も指揮者なしです。音楽をリードするパートがその都度、合図します。セーゲルスタムさんは隅で楽しそうにピアノを弾いていました。
音楽は予想に反して、ということは実はなく、前に聴いたときそのままのセーゲルスタムさんの音楽。響きが透明できらきらしてる。ハンマーを派手に打ち鳴らしたり(マーラーのもそうだけど、ハンマーって来るぞ来るぞって見てるだけでワクワクするね)、マッシヴな音の大音響でも音が濁ることなく透き通って見えるのでとっても聴きやすいの。ヒッグス粒子云々については、何のことかちんぷんかんぷんだったけどね。宇宙をちっちゃな粒子に乗ってサーフィンしてるイメジで聴いたらいいのかな。でも、彼の曲多すぎてどれが代表作なんだろう。もし、彼の交響曲全集が将来出るとしたらCD100枚組とかになるのでしょう。でも、そんなの聴くの大変だから、傑作を1枚か2枚くらいにまとめて欲しいな。なんて言ったら、ひとつひとつ大切に作曲しているセーゲルスタムさんには失礼ね。ごめんなさい。

最後は、お国もの、シベリウスの交響曲第2番。シベリウスこそ、特に後期は、音楽が音の小さな細胞からできています。だから、セーゲルスタムさんがシュトラウスでやった細かな部品を磨きに磨くアプローチが生きるかな、でも組み立てはどうするのかな、と思って聴き始めたら、そんなアプローチを捨てて、しっかりと音楽をまとめてきました。速くはないけれど、すうっと動くようなテンポで、音と音の間にしっかりと糊がつまってる。しかも暖色系の音色。おおお、シュトラウスとは正反対のアプローチ。これをシベリウスでやるとは。奇をてらわず王道を行くようなシベリウスなので安心して聴いていられます。オーケストラも普段の通り安心して弾いてる感じ。わたし的には、背伸びしても地平が見えないほどの雄大な演奏を期待していたのだけど、しっかりとまとめてきたこの演奏も地に足のついたステキな演奏だったと思います。
季節外れのサンタクロース。しっかり大きなプレゼントをいただきました。
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by zerbinetta | 2013-01-26 21:13 | 日本のオーケストラ | Comments(0)