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餅屋さんにな〜れ ズーカーマン、ロイヤル・フィル ショスタコーヴィチ交響曲第10番   

23.05.2012 @royal festival hall

mozart: the marriage of figaro, overture; violin concerto no. 5
shostakovich: symphony no. 10

pinchas zukerman (vn) / rpo


カレンダーを観てたら1日音楽会のない日が空いてたんですよ。ふむふむ、と思って調べたら、音楽会があるではないですか。最近好印象のロイヤル・フィルハーモニックの。しかもタコ10。指揮はヴァイオリニストのズーカーマンさんなのが不安だけど(だからチケット買ってなかった)、タコだし聴こうかと思って行ってきました。ばか。

わたしは、ときどき書いてるように、餅は餅屋の人なのでヴァイオリニストのズーカーマンさんの指揮はあまり興味ないのだけど、前に1回聴いたとき以外と好印象だったので、まっいいか、と思ったんです。そして始まった、「フィガロの結婚」序曲。これがまあ、めちゃくちゃ良かった。スザンナのように可愛らしくて溌剌として機転が利いて。音楽会の始まりをワクワクさせるような演奏。まさかここで掴まれるとは。やるじゃん、ズーカーマンさん、ロイヤル・フィル。

2曲目は、ズーカーマンの弾き振りで、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」。ズーカーマンさんって美音系の一昔前のスタイルのヴァイオリニスト。ジュリアード系と括れちゃうくらい特徴あるよね(もちろん個々の奏者にはそれぞれ個性があるけど、何となく同じ向きを向いてる)。そんな彼のヴァイオリンだから、今は珍しいロマンティック・モーツァルト。わたしにはちょっとべたべたしてたかな。そして1番の問題は、ズーカーマンさんのテクニックの衰え。もちろん、大きな瑕はないのだけれども、今の若い人は、テクニックがあるのが当たり前だから、そういうのに比べるとちょっとテクニックが危ういし、前はもっと上手かったと思うのね。指揮者と2足わらじのせいかしらと何となく思ってみたり。

ロイヤル・フィルの音楽会、何故かお客さんの質が低い。後ろに座ってた人、演奏中もぺちゃくちゃしゃべってたので、思わず休憩後席を移りました。

最後のタコの交響曲第10番。オーケストラはとても良く鳴ってたし、音的には文句はないのだけど、そして音浴びは楽しかったんだけど、音楽が終わったとたん、ぽっかりと音楽がわたしの中から消えました。何だろう、このキッパリ感。確かに立派な音になってるのに(オーケストラはとてもステキに演奏してくれました)、何も心の中に残らない不思議。ズーカーマンさんは何を言いたかったのだろうって思いました。確かに最近の傾向は、ショスタコーヴィチから、政治とか社会とかもろもろの垢を取り除いて純粋に音楽を演奏するというものだけど、それにしても何もない音楽って。ズーカーマンさんは何を表現したかったんだろう?最後までわたしには分かりませんでした。2足のわらじはどちらにも中途半端になってしまうような気がします。どちらかを捨てる覚悟が必要なんじゃないか、と他人事ながら僭越に思いました。餅屋さんにな〜れ。
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by zerbinetta | 2012-05-23 08:28 | ロイヤル・フィルハーモニック | Comments(0)

仲間ってステキ ニコラ・ベネデッティと仲間たち3 ランチタイム・コンサート   

15.03.2012 @jerwood hall, lso st kuke's

shostakovich/atovmyan: five pieces for two violin and piano
mahler: piano quartet movement
shostakovich: piano quintet

nicola benedetti, alexander sitkovetsky (vn),
maxim rysanov (va), leonard elschenbroich (vc),
alexei grynyuk (pf)


アリーナと共に大好きなヴァイオリニスト、ニキと仲間たちのBBCラジオ3・ランチタイム音楽会が、LSOセント・リュークで4回にわたってあるのでそのうちの2回を聴きに行くことにしました。ほんとは4回とも聴きたかったんだけど、さすがに仕事そんなにさぼれないし。。。今日はその3回目にして、わたしにとって1回目の音楽会。ニキと仲間たちがショスタコーヴィチとマーラーの音楽を弾きます。タコと聞いたら聴かずにはおれません。

始まりは、タコ、アトフミヤン編曲の2つのヴァイオリンとピアノのための5つの小品。まとまった曲を編曲したのではなく、同じような感じの曲を5つまとめたものみたいです。ガボットとかワルツとかポルカとか軽妙で健やかな小品が5つ。気の置けない音楽です。ピアノは、ニキとよく組んでるアレクセイさん。ヴァイオリンはシトコヴェトスキーさんがファースト、ニキが下でした。それにしても、ニキ、楽しそうに下付けてるなぁ。1曲目のプレリュードが終わりそうな頃から、でも、ここでひとつ問題が! 音出しをしているチェロの音が会場にまで響いてきて。がんがん弾いてる様子。LSOセント・リュークって音楽会用に楽屋とかちゃんとしてないから、オーケストラのときは外で待っていました、控え室で音出ししてると聞こえてきちゃうんですね。ニキがちょっと困った風で、結局譜めくりの人(会場の係の人?)が走って行って止めました。笑いつつ、音楽を再開。もしかしたらここで切れちゃうかな、と思ったんですが、大丈夫。それにこれはタコが余興にさらりと書いたような音楽だから、肩の力が抜けていてステキ。

2曲目は、音出しのチェロ、ニキのボーイ・フレンドのレオナルドさんも加わって、マーラーのピアノ4重奏。若書きの未完成の断片だしさらっと聴こうかなと思ったら、なんととんでもない目に。夕暮れ時の街の奥から重くどろりと夜の暗闇が湧いてくる感じのピアノに乗って弦楽器が豊かな情感で歌い始めると、黒い手に包まれて異世界に引き込まれていく。重くてゆっくりと幻想を見るような音楽。マーラーのこの曲ってこんなに濃厚だったっけ?なんだか暗いボヘミアの森に囲まれた小さな異世界の村に彷徨い込んだ感じ。そこには人ではないものが住んでる。昨日ドヴォルジャークの音楽を聴いたせいか、この音楽がマーラーの出自のボヘミアに直接根を張っているように聞こえる。それにしてもなんて豊かな音楽なんだろう。泣きそうになって、呆然として、涙が出た。深い井戸に落ちたかのよう。マーラーのこの音楽でこんなに衝撃を覚えるとは思わなかった。このマーラーは、わたしのマーラー体験の中でも最も心に突き刺さったもののひとつになりました。お昼の音楽会で、まさか、こんなことになるとは。。。

このグループ、誰かがリードをとっているというわけではありません。自然に音楽を合わせるという感じです。正直、初めて見たとき、どちらかというとあまり風采の上がらない人たちで(ニキがいわゆる美人音楽家のカテゴリーにされてる人なのでイケメンをよりどりみどりなのに、なんて俗なこと考えた)、ニキは面食いじゃないのかなぁ、なんて思ってたのに、音楽を聴いたらニキがこの人たちと音楽をしている理由がよく分かった。本当の意味で音楽でつながっている。
(ところで、ニキは美人ヴァイオリニストとしてプロモートされている気配もあるけど、本人はそんなことどうでもいいと思っているに違いない。むしろ、彼女の真摯な音楽に対する姿勢を演奏を聴くごとに感じるし、彼女、とっても真面目で浮いたところがない感じ。容姿ばかりが注目されてしまうのは、彼女も本望じゃないような気がするしもったいないよ)

さて、最後はタコのピアノ5重奏。タコ好きと言いふらしてる癖に初めて聴きます。マーラーでどっぷり来たので、この曲もステキなものになる(今日ここに来る前は、ニキとタコって合うのかななんて思っていたクセに)に違いないと思った通りに、ステキなことになりました。なにしろみんなが自主的に音楽をしながらひとつに合わせているので、聴いていて気持ちが良いし、音楽のスタイルをとてもよく勉強しているという感じがしました。ソヴィエト系のピアニスト、アレクセイさんの薫陶かなぁ。この人、一見ヲタク系のとっちゃん坊やにも見えるんだけど(あっ失礼!)、この人にピアノ、なにげに凄いです。音楽は、第5楽章まであって、ゆっくりとした第4楽章が交響曲第15番の最終楽章っぽくて透明に消えていくのかなと思ったら、賑やかな楽章が始まってびっくり。晩年のタコだったらあそこで閉じると思うのだけど、まだ、元気な壮年だからかな、明るい音楽を付け足した感じ。でも、たっぷりと充実した音楽を聴いてすっかり満腹のお昼。いいですよ。ニッキと友達。わたしも混ぜて欲しいくらい。口三味線じゃダメかしら?

ニキと友達。肩を組んだ下から首をにょっと出してるのがアレクセイさん
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by zerbinetta | 2012-03-15 03:18 | 室内楽・リサイタル | Comments(0)

タコ、ハイドンの精神で ゲルギエフ、ロンドン交響楽団   

21.02.2012 @barbican hall

tchaikovsky: fantasy overture, romeo and juliet
prokofiev: piano concerto no. 3
shostakovich: symphony no. 5

denis matsuev (pf)
valery gerviev / lso


ショスタコーヴィチ、通称タコ、は、実はとってもユーモアのある愉快な人だったんではないかと思います。気むずかしくてひねくれ者かも知れないけど、外の社会と無理矢理折り合いを付けなければならなかったけど、ぼそりとおかしなことを言う、根は明るくて快活な人だったのではないかと。ユーモア溢れる愉しい音楽を書きまくったのはハイドンです。タコもハイドンのような音楽を書いたんではないでしょうか。そんなタコを聴きました。

今日は久しぶりのゲルギーのロンドン・シンフォニー。ゲルギーがタコですから来ちゃいますよ。去年の交響曲第10番も素晴らしかったし。で、始まりはチャイコフスキーの幻想序曲「ロミオとジュリエット」。前にゲルギーの演奏を聴いたことがあるのだけど、結構乾いた演奏でロマンティックじゃなかったの。そんな印象があったから今日はどうかなぁ〜と。で、やっぱりストレイトにロマンティックじゃなかった。かといって乾いてるかというとそうではなく、行間を読むというか、情景を丹念に描き出して内面を見せるみたいな。物語を直接語るのではなく、まわりの景色を語って物語を想像させるような余白のある演奏。特に際だったのが、最初の叙情的なシーンで、もの凄く音量を落として、でも、ふくよかにさわさわととてつもなく丁寧に夜の風に静かに揺れる木々や草花を描いたの。それによって、ロミオとジュリエットの愛の営みが頭の中にふわぁっと湧き上がってきて(きゃーーえっちーー)。ゲルギーの丁寧な音楽作りに感動してしまった。後に引くというかずうっと思い出される演奏。これはステキでした!わたし、恋人にするならこの演奏が好きな人を恋人にしたい。そう思いました。

2曲目はマツエフ(マツーエフ? ロシア語は長音を区別しないと思うのでどちらでもいいんですが、アクセントはどこにあるのかな?)さんのピアノでプロコフィエフの協奏曲第3番。個人的にはまだプロコ祭りが続いてます。マツエフさんは、昔からがたいの大きな人でしたけど、なんか立派な青年になりましたね〜。貫禄つきすぎ(太ってるというわけではないですよ)。しかも彼は弾きまくり系。プロコフィエフの協奏曲は彼にぴったり。ゲルギーのオーケストラもがしがしと工場の機械の爆音のようにぶつけてくるけど、マツエフさんもがしがしとピアノを叩く。巨体からしなやかに繰り出される音は、決して濁らないし割れない。上手いのでたま〜に弾き飛ばしちゃったりしたこともあったけど、音楽が成熟しつつある実感。特に第2楽章の繊細な表現が印象的でした。この人はこれから、音楽の深さを身につけてくれば、ポテンシャルの高い人なので大化けするのではないかしら。アンコールはリャードフの「音楽玉手箱」。わたしこの曲初めて聴いたし、曲名分からなかったんだけど、今は便利ですね〜、ネットで分かっちゃいました。これがまあステキで。まるでオルゴールみたくて、右手と左手の音色をはっきりと変えてガラス細工のように繊細で、うわ〜、マツエフさん、こんな風に弾けちゃうのね、がしがしと弾くばかりではないのね、と改めて驚愕。

そしていよいよタコ。ゲルギーがどのように演奏するのか楽しみでした。
すぱっと切れ味のいい包丁で大根を切るように、重いけどざっくりと始まりました。ゲルギーの音楽作りは、とにかく繊細に美しく。かといってちゃんと爆発するところでは爆発するんですけど、我を忘れることなくしっかりと美しい楽音の範囲で。それにしても、ピアニッシモのもの凄く丁寧で美しいこと。ゲルギーって、ネットで検索すると爆裂系とかって言われるけど(わたしは今まで何度も聞いてきてあまりそう思ったことはないのですが)、ここのところ繊細なピアニッシモにこだわっているような気がします。去年、フランスものを多く採り上げたからかしら?その成果が今日の音楽会には如実に出ていたと思います。高い音の弦楽器のピアニッシモも、ヴィブラート控えめなのに、決して音が細く枯れることなく、冷たいけれども芯に優しい柔らかさをしっかり残したのは、さすがロンドン・シンフォニーの実力。今日の弦楽器のアンサンブル、和音の美しさは最高でした。シモヴィックさんがしばらくぶりにリーダーに戻ってきて芯がピンと通った感じ(副リーダーのラウリさんもいいのですが)。それにコントラバスにはイブラギモヴさんがいらっしゃるし(アリーナのお父様)。ゲルギーのタコは、細かくさりげなくテンポを変えてオーケストラとの間に緊張を保ちつつ、決して異形の表現はしないまさに王道のど真ん中を行く演奏。切断面がきらきらと輝くほど切れ味抜群。第1楽章の前半で、チェロの刻みの伴奏が入るところで少し豊かに弾かせるあたりがもう、心憎いばかりにステキで、ここで涙腺崩壊。涙目で聴くタコ。
そして、第2楽章。答えはここにありました。速めのテンポで、軽やかに進む音楽。なんと素直で明るい。タコというと、皮肉屋とかアイロニーとか屈折した精神とか、特にスケルツォの諧謔性にそういうものを認めると評されることが多いと思うのですが、そんなのは皆無。まるでハイドンのように愉しい音楽。シモヴィックさんのソロ、それに続くフルートのソロも皮肉のかけらもない、ストレイトにかわいらしい演奏。こんなに愉しく、かわいらしくショスタコーヴィチの交響曲第5番が演奏されたことってあったでしょうか。でも、かわいらしいシーンって交響曲第4番にも第9番にも第13番にさえ出てきますよね。最後、思いっきりテンポを落として、ユーモアを締めくくります(オチって言うの?)。
第3楽章ではぐいっとテンポを遅くしてゆったりと歌います。この楽章を、この楽天的な解釈の中でどういう風に演奏するのか興味があったんですね。さらさらと何ごともなかったかのように通り過ぎるとか。でも、ゲルギーはゆっくり。ともすれば哀しみに満ちた祈りの音楽になるところを柔らかな音色で、感謝に満たされた祈りの音楽になりました。窓の外の美しい冬の夜の景色を暖かい部屋から眺めるよう。
そして喜びに溢れる第4楽章。これはやっぱり勝利の音楽なんだ。だってそうでしょう。政治によってねじ曲げられた勝利とか、偽りの勝利とか言っても、わたしたちが知ってる現実は、間違いなく音楽の勝利だもの。スターリンは死んだ、でもショスタコーヴィチの音楽はずうっと生き残っている。これを勝利といわずしてなんと言うの。タコは、自分の音楽の勝利を確信してたんじゃないか。少なくとも、わたしたちは楽譜をひねくれた目で見なくてもいいし、素直に音楽が語ることに耳を傾ければいい。というか、ショスタコーヴィチは音楽を書いたんだ。決して変な自叙伝を音譜に乗せたんではないんですね。もう本当に素直に朗らかに楽しめたタコ5でした。それにしても、本気出したときのゲルギーとロンドン・シンフォニーって凄いな。
あとでBBCラジオ3(この音楽会は中継されました)のインタヴュウの中でゲルギーは、わたしが感じたことを語っていました。歴史云々ではなくて音楽を素晴らしい音楽を演奏するんだって。まさにそんな演奏だったんですね。
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by zerbinetta | 2012-02-21 09:48 | ロンドン交響楽団 | Comments(2)

無意味な闘い ショスタコーヴィチ交響曲第8番 ソヒエフ、フィルハーモニア   

09.02.2012 @royal festival hall

brahms: piano concerto no. 2
shostakovich: symphony no. 8

arcadi volodos (pf)
tugan sokhiev / po


なんだかわたし置屋のやり手婆みたいだな。でも、どういう訳かこのブログ、美人音楽家で検索してくる人が何故かいつも一定割合でいらっしゃるし、ロンドンの音楽ブログ仲間にも美人音楽家好きが多いんです。もちろんわたしもそうなんだけど。。。(イケメンくんのことを書くのはなんだか生すぎてこっぱずかしい)
で、今日の美人さんは、フィルハーモニアのチェロに乗っかっていた、シモンセンさんとマクモナーグルさん。シモンセンさんはフィルハーモニアのメンバー、マクモナーグルさんは、いわゆるトラです。シモンセンさんはソロでも活躍していて、ウォーミングアップしているときの音が聞こえてきたんですが、上手かったです。黒めがねのマクモナーグルさんは、現代音楽のアンサンブルでも活躍中みたいです。

シモンセンさんとマクモナーグルさん
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あっ、そんなことはよかったんです。それよりも音楽♪ わたしの偏愛している若手指揮者のひとり、ソヒエフさんがタコ8を振るというのでそれはもう楽しみにしてたんです。裏ではロイヤル・バレエが「大地の歌」をやってるのに、マラとタコを天秤にかけたらやっぱりタコの方が重かった。「大地の歌」は2回観たし、続けて観るような作品じゃないし。で、確かピアノ協奏曲が前プロであったな、モーツァルトかなと思ったら、なんとブラームスの第2番。重い。重すぎるプログラム。ブラームスの協奏曲はメインになるくらいの大曲。あああ、今日は10時過ぎそう。
ピアノのヴォロドスさんって、あとで調べたら、前にユジャがアンコールで弾いてくれた「トルコ行進曲」の変態超絶技巧版を作った人なんですね。そんなこととはつゆ知らず、あごのないおじさんだな(実はわたしより若かったり、それもあとで知った)、ぬいぐるみの熊系かな、上手なのかななんて失礼なことを思っていたら(今日は大変疲れていて、タコ8目当てですから、ブラームスでは居眠りしちゃうなって思ってました。ってか積極的に居眠りしちゃおうかなって)、そして、最初、わたしの座った席が悪いのか、ピアノの打鍵の音と、あとから来るピアノ線の響きが分離して聞こえて来ちゃって、これはダメかなって思っていたら、だんだん耳が慣れたせいか、ピアノの弾き方を変えたのか、全然気にならなくなって、そしたら、もう正統派盤石なピアノにうっとり。むちゃ上手いのですよ。そしてどっしりと構えた音楽。ソヒエフさんとフィルハーモニアもとっても良くって(去年はポゴレリッチさんの勝手し放題に為す術もなかったですからね)、全く予期せぬ名演。ぼんやり寝ちゃおうと意気込んでたのに、しっかりとぼんやり聞き惚れてしまいました。上手を越えて音楽だけに浸りきれる演奏でした。そういえば、フィルハーニアの美人音楽家追っかけのMiklosさんご推薦のホルンのケイティさん。柔らかなとろける音でとってもステキ。第3ホルンから去年主席になった人ですけど、まだ20代前半。フィルハーモニアで一番若い人で、なんと初めての女性金管楽器メンバーだそうです。フィルハーニアは将来を嘱望されるすごい人を採ったものです。美人はおいといて(とてもきれいな人です)、彼女のホルンの音からは耳が離せませんね。

ヴォロドスさんは、アンコールを弾いてくれました。バッハかな、バッハのトランスクリプションかな、と思ったんですが、シューベルトのD600の「メヌエット」でした。これがもの凄く繊細でステキだったんです。短く切りそろえられたバスの上に、響きを残しながら音が重なっていく高音のメロディ。凛として高貴。静かな哀しみと幸せ。音の全てがじわりと心にしみ込みました。静けさが音をいとおしく包みこむようです。

休憩時間に窓の外を見たら、雪! あらやだ、帰りの電車を心配しつつも、雨交じりの湿って雪とはいえ、街灯に流れる白い光りは幻想的。まさにわたしのタコ8のイメジと一致してとたんに気分が盛り上がる。

タコ8は、これはとってもいけないことだと思いつつも、まだ、去年のズウェーデンさんとロンドン・フィルの圧倒的な演奏の記憶が鮮明に残っていて、どうしても、それと比較してしまいがちな自分から免れる自信がないのです。
ねっとりと始まりました。遅めのテンポ。擦れるような枯れるような生気のないヴァイオリンの高音。と書くとなんだか酷い演奏のようになっちゃうのですが、そうではなく、そういうものを目指した演奏。虚無的というか、諦めというか。感情の入り込む余地のない冷たく降りしきる雪。そうだ、この音楽って涙が涸れたあとの音楽だ。
それにしてもまだ30代の若いソヒエフさんがこんな音楽を作ってくるとは。それに、フィルハーモニアが上手い。このオーケストラ、今まで無色透明、味がないとかいろいろ言ってたけど、本気出すとめちゃ上手い。それに、透明な暗闇がまさに作り出されているのみならず、余裕を持った柔らかさを上手く併せ持っていて、ああやっぱりさっきの雪景色のよう。雪はいつまでも降り積もって世界を変えていくのです。楽器の音色のブレンドのしかたもとっても上手く、第1楽章の真ん中のホルンの高い音の3連符ってチェロが重なって柔らかく響くことに初めて気がつきました(今までホルンのパート・ソロだと思ってたの)。
第2楽章は一転して速い音楽。第2楽章も第3楽章も楽器を思いっきり鳴らすけれども、決して荒れず、美しい音楽性を保ったまま、でもしっかり暴力的。このさじ加減の巧みさ、やはりソヒエフさんただ者ではありません。初めて聴いたときから妙にわたしと波長が合うんです。今日のタコも記憶の中にある雪の日の想い出を思い出させてくれて、ふうっと涙腺が。
フィルハーモニア、みんな上手いけど、楽器の音色もいい。第3楽章のトランペットの行進は重い音色でステキだし、トロンボーンの荒れぶりも益荒男ぶり。ティンパニは残念ながらスミスさんではなかったんですけど、でも今日のゲスト・プリンシパルの方もとっても上手。さらには第4楽章の綿のようなホルンのソロの点描。打楽器、特に大太鼓のクレッシェンドの迫力といったら。ジャンプするように身体全体を使ってばんばんと重い音で打ち込んできました。
もう何もない荒れる大地に取り残されてしまった心。謎めく春がやってきても、心は温まらない。ばかりか有無を言わさぬ凶暴なオーケストラの強奏が、大地を、心をえぐるように再現して、もはや行き場を失い心は空っぽ。再び巡り来る春の気配も完全に否定されてしまって、虚無のまま音楽が終わってしまう。最後は希望が芽生える音楽だと思っていたのに。なんの希望もない。勝ってもそこには何もない、虚しいばかりの闘い。音が消えたあとの長い間の沈黙は、心の虚しさを計るもの差しみたい。

なんかすごい音楽聴いちゃったなぁ。交響曲第7番のあとで、これかぁ。ショスタコーヴィチにとってはほんと、全否定されるべき無意味な戦争だったんだな。世界大戦も彼個人のスターリンとの闘いも。

ソヒエフさんとじゃまっけな指揮台のバー
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by zerbinetta | 2012-02-09 21:07 | フィルハーモニア | Comments(2)

LSOのパワーに脱帽 ゲルギエフ、ロンドン交響楽団 ショスタコーヴィチ交響曲第10番   

27.11.2011 @barbican hall

gubaidulina: in tempus praesens
shostakovich: symphony no. 10

anne-sophie mutter (vn)
valery gergiev / lso


またまたロンドン・シンフォニーです。だってタコですよ。タコ10。たまりませんもの。そして今日は、またグバイドゥーリナなんですけど、ヴァイオリン協奏曲、ムターさんが弾きます。ムターさん大好きなんですよね。ヒラリーやアリーナのプチ追っかけをやる前は、ムターさんが好きでした(CDたくさん持ってます)。彼女もヴェテランというか、第一人者になりましたね。
そのグバイドゥーリナのヴァイオリン協奏曲「今この時に」は、ムターさんのために書かれた作品。4年前にラトルさんとベルリン・フィル、そしてもちろんムターさんのヴァイオリンで初演されています。オーケストラが出てきて、あれ?今日はリーダーの人お休み?って訝しく思ったら、この曲オーケストラはヴァイオリンを使っていないんですね。かといって小さな編成のオーケストラかというとそうではなくって、管楽器も打楽器もいっぱい。むしろ大きなオーケストラ。
ムターさんは真っ青な細身のドレスで、むっちゃスタイルいい!そしてかっこいい、というかもうすでにオーラが出てる。さて、音楽なんだけど、わたし、情けないことに音楽の内容は全然覚えていないんです。覚えているのは、それがすごくいい曲で、前回のバヤンのための協奏曲より好きだし、将来、ヴァイオリン協奏曲のレパートリーのひとつになるんじゃないかと思ったこと、オーケストラもヴァイオリン・ソロもがんがんに弾いて、パワフルで音浴びのようだったこと、そして何より、ムターさんのヴァイオリンに圧倒されてしまったことです。もうなんというか凄いというしか言いようがないの。わたしは若手の人を応援するのが好きで、ヒラリーだったりアリーナだったり大好きでプチ追っかけてるんだけど、ムターさんは格が違うと思った。もちろんヒラリーもアリーナも、超絶に凄いんだけど、ムターさんの年季の入った凄さは若い人には絶対できないもの。しかも、ムターさんのために書かれて、ムターさんにぴったりの音楽だから、もうなんというか筆舌に尽くせない。でも、ヒラリーもアリーナもあと20年したらあんな凄さが身についてくるんだろうな。それは楽しみ♡

ショスタコーヴィチの交響曲第10番は、超かっこよかったーー。今日はオーケストラが完璧でびしばし決まる。速めのテンポでがんがん攻めてくるから、もうこっちは必死に音楽の圧力に吹き飛ばされないように食らいついていくだけ。ゲルギーのタコは意外にもソ連とか、哲学とか、そういうこびり付いたものがなくて、音楽だけで攻めてくる。タコの音楽を楽譜通り完璧に演奏したらこんなにも凄いものができた、みたいなひとつの究極の形を作っていたと思う。最初から最後までぴーんと張り詰めてゆるいところがなくって音楽の力を裸で感じました。超絶に上手いオーケストラだからこそなせるわざかも。これがたった1回の音楽会で失われていくなんてもったいない。でも、だからこそライヴの音楽なんだけどね。聴き終わったあとは1万メートルを全力疾走したような爽快感と疲労感。

そういえば、ロンドン・シンフォニーって今、オーボエが主席の人ひとりしかいないんです。だから彼がお休みの日は、オーボエのパートのオーケストラのメンバーが一人もいないという事態が発生します。この間も今日のそうで、音楽会の前半は、元主席のアビュールさん、後半は、我らがシスモンディさんが主席の椅子に座っていました。わたしは、彼女のオーボエが大好きで、何回も客演しているうちにロンドン・シンフォニーのスタイルにもなじんできたような気がするし、ぜひ、主席で来て欲しいなぁ。シスモンディさん、舞台を下りるときタコのメロディを口ずさんでいましたよ。彼女もタコ好き?
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by zerbinetta | 2011-11-27 10:15 | ロンドン交響楽団 | Comments(2)

極限の孤独 ズウェーデン、ロンドン・フィル ショスタコーヴィチ交響曲第8番   

26.10.2011 @royal festival hall

chopin: piano concerto no. 2
shostakovich: symphony no. 8

rafaeł blechacz (pf)
jaap van zweden / lpo


タコタコタコ。しかもタコ8。嬉しくて舞い上がっちゃって、いつもより早めに出かけたのに、何故かぼんやり、途中のレスター・スクエアで降りてしまって、あれわたし、オペラ・ハウスに行くってか? と大ぼけ。結局いつもの時間に、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールに着いたのでした。
そういえば、今日はもうひとつ、ショパンをピレシュさんが弾くんだってわくわくしていたら、こちらはピレシュさんが直前にキャンセル、代わりにブレハッチさんが弾くことになりました。ブレハッチさん(というか、名前読めなかった)、お年を召した方だと思っていたら、ステージに出てきたらなんと!お若いじゃない! しまった、カメラ持ってこなかった! なんてこと考えながら、あとで調べたらブレハッチさんって、2005年のショパン・コンクールでぶっちぎりで優勝しているんですね。若くて礼儀正しそうで、清潔で、なんだか新入社員っぽい(わたし、会社勤めしたことないけど)。結構小柄で、華奢で、ハンサムっぽい♥ さてそんな彼のピアノ、多分とっても難しいと思うショパンの曲をさらりと弾いて、難しいように聞こえない。そしてとってもきれいな音色。彼のピアノは一言で言うと、普通。それはもうもの凄い高みで普通なんです。何も足さないし何も引かない音楽。あるがままに完成されてる。何かを主張したり表現しようというエゴは感じられないし、ことさら個性を強調することもない。どこかで目立ってやろうとも思わない。ある意味なにもしない。お刺身。でも、お魚はきちんと適切に締められて、手入れの行き届いた包丁ですうっとちょうどいい厚さに切られてる。そんな見えないところできちんと仕事のされてる音楽。彼はこうして音楽会で弾くときも、おばあちゃんの家のピアノで弾くときも、全く同じ音楽を弾くんだろうな。まだ20代半ばでこんなに完成度の高い音楽をするなんて。とんでもない恐るべき若者です。この人の音楽、集中的に聴きたいと思いました。

そして休憩のあとはいよいよタコ8。タコファンにはたまらない第8番。弦楽四重奏曲の第8番もいいですよね。
指揮者のズウェーデンさんは、去年の直前インフルエンザ降板事件があったので、聴くのは今日が初めてです。ショパンのときも感じたのですが、彼の指揮は音楽をぐいぐい引っ張っていくタイプ。ショパンの協奏曲でも音楽をリードするのはズウェーデンさんでした。もちろんショパンの曲はピアノが弾いてる間、オーケストラはなすすべもなく音を伸ばしてるだけとかなんだけど。
そしてタコは、最初っからめちゃくちゃ意志の強い音楽。大きな筆で畳十畳分の和紙に闇と力強く書くように深い闇を眼前に創出。コントラバスの重い粘りけがタコ心を刺激する。それにしてもこの音楽、もの凄く暗く、孤独。今日改めて気がついたんだけど、ショスタコーヴィチは、この曲を徹底的に、単旋律にして、ひとりの奏者、愚直なまでのユニゾンに託して、魂の孤独、寂寞を表出しているように思います。裸で長いソロを吹く奏者たちは、だれも助けてくれず、独り、寒々しい孤独。やっと旋律が絡み合うところは、安らぎではなく不安を表すよう。なんて厳しい音楽をショスタコーヴィチは書いたのでしょう。そして、ズウェーデンさんは克明にそれをなぞります。速めのテンポでざくざくと切り込んでいきます。安らぎ、休息を求めても音楽はとりつく島もなく進んでいき、聴いてるわたしも孤独。凶暴な第1楽章。ピッコロも小クラリネットも耳をつんざくような叫び。ホルンの叫びのあとの行進曲は、速いテンポのゆえ、早回しにされカリカスチュアライズされた戦争。膝を打ち、これは戦争の音楽なんだ。戦争に対する個の孤独、無力感。でも、戦争ってなに?
これでもか、っていうくらいの速さで始まった第3楽章。リズムが切れまくっていて、トロンボーンもティンパニも完璧について行く。もの凄くすごい。怖い。反対に無表情の第4楽章のパッサカリア、点描的に音が対比されるソロも悲しみというより、悲しすぎて涙も涸れて、抜け殻のよう。そんなところにも平然と春が来る。ってなんだか大地の歌みたいね。雪どけて芽吹く緑。でも、これは希望? 繰り返される不幸の始まり? 謎を孕んだまま音楽は終わったけど。。。結局わたしは独りでそこにぽつんと残された。
でも、わたしにとって戦争ってなんだろう? 直接戦争に関係したことのないわたしには(戦争をしている国に住んでいたことはあるけど)、この音楽は、過去のもの、それとも物語? 多分違う。この音楽は特定の戦争の交響曲ではないと思う。もっと普遍的なものを持っているに違いない。なぜならわたしはとっても心を揺り動かされたもの。それも悲しい物語を聞いたからではなく、孤独な叫びが今のわたしの心に直接反響して。世界から孤立して立ち現れる、孤独感、不安。そして無力の人に否応なく襲いかかる世界。そんな今の現実をもこの音楽は表現しているんではないかしら。だからこそ、直にわたしを震わしめたんではないでしょうか。圧倒的な力の前にどうすることもできない自分。そして答えは与えられない。

オーケストラはいつも以上の力を出し切った演奏でした。ソロの人たちそれぞれが本当に上手い。もう圧倒されて呆然としてしまった音楽会でした。残念ながらマイクは立っていなかったので、録音も放送もないでしょう。まれに聞く名演だったのにもったいなさすぎ、残念。
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by zerbinetta | 2011-10-26 08:47 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(0)

久しぶりに上手いオーケストラを聴いた気がした   

17.08.2011 @royal albert hall

shostakovich: the age of gold
shostakovich: violin concerto no. 1
stravinsky: petrushka
tchaikovsky: francesca da rimini

lisa batiashvili (vn)
esa-pekka salonen / po


タコ好きです。わたしの元祖ヴァイオリン4人娘のひとり、リサ(・バティアシュヴィリさん)がヴァイオリン協奏曲を弾くとあればそりゃあ聴きに行くでしょう。といいつつ、チケット取れなかったんです、最初。ロンドンではそれほど人気がないと思われるフィルハーモニアなのに(わたしの感じでは、音楽会がコンスタントにいっぱい(ソールド・アウトではない)になるのは、一にロンドン・フィル、二にロンドン・シンフォニーです)、ほとんど売り切れ?と不思議に思いつつ、何とかゲットしました。

始まりは、タコの「黄金時代」の組曲。元々フットボールを主題にしたバレエの音楽だそうです。若い頃の作品で、ジャジーでとっても楽しい音楽。そして管楽器のソロが大活躍。でも、バレエは失敗だったんだって。こんなステキな音楽なのに。いや〜出だしからびっくりしてしまいましたよ。フィルハーモニアってこんなに上手かったかなって。久しぶりに上手いオーケストラを聴いたような気がしました。この間の、ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニックもとってもステキだったけど、あちらは地元のステキなオーケストラという感じで、フィルハーモニアの方はカラーがないけど、国際的というか、超トップレヴェルのオーケストラという感じ。ソロが上手い上手い。サロネンさんもびしっと決めてましたね。

2曲目にいよいよタコ、ヴァイオリン協奏曲第1番。これが全く素晴らしく良かった。最初っから最後まで引き込まれっぱなし。リサは、終始美音で丁寧に丁寧に歌って音楽を紡いでいきます。じんわりと歌が静かにわき出てきて、わたしの心を少しずつ湿らせていく。リサのヴァイオリンは、ねっとりとしたふくよかで暗い低音から静かに始まって、冷たく澄んだ高音、ヴィブラート控えめの美音は凛としていて、強い意志の力を感じさせる。第1楽章はショスタコーヴィチの月の世界。世界は人の内側に浸みていく。静かに静かに音楽はそよぐ。そんなリサのヴァイオリンをオーケストラも見事にサポート。ソリストとオーケストラの相互作用。協奏曲はこうでなきゃ。
速い楽章はアグレッシヴに疾走。実はわたし、リサって4人娘(元祖)の中では、テクニック的には1歩後ろかなって思っていたけど、全然そんなことない、正確なテクニック。全くごまかしなしで全ての音が豊かに鳴ってる。リサの演奏には濁りがなく透明で暗闇にきらきら。月明かりの中の泉。タコの音楽に見え隠れする皮肉が薄まるので、これは賛否あるかな。わたしは好き。
でもやっぱりリサさんの最高の美質は、ゆっくりした楽章にあると思うんです。ティンパニ(もちろんスミスさん)の凶暴な打ち込みから始まるパッサカリア(ちなみに今日のスミスさんは、舞台の1番上で、ちゃんとオーケストラの中で叩いていました。今日はオーケストラが絶好調だったのでスミスさんがひとり気を吐いて楔を打ち込む必要はなかったんでしょう)。ここでリサさんは息の長い歌を紡いでいきます。それが少しずつ高揚していく様がとっても素晴らしかった。この哀しい、でも美しい音楽が心に満ちてきます。リサさんの強い想い、強い音、にわたしの全てが共鳴します。リサの音楽からはいつも風景が見えます。それは、具体的な風景とは言えないけど、心の中に大切にあった風景。大事にしまっておかれた想いが涙と共に静かにあふれてきます。会場の空気もぴーんとリサのヴァイオリンに焦まっていく。
心も体も完全にリサの音に縛られたような長大なカデンツァのあとの温度がぐんぐん冷えていくような不思議な興奮を湛えたブルレスケ。なんだかリサはこの長大な協奏曲を一筆書きで弾ききった感じです。
正直、リサがここまでの成長を遂げているとは思いもよりませんでした。ロンドンで聴くのは、何回かのキャンセルがあったので、シベリウスの協奏曲に次いで2回目だけど、音楽の深化にびっくりしました。そして、応援しているわたしはめっちゃ嬉しかった。
アンコールにはなんと、オーケストラ伴奏付きで、タコの7つの子供の小品「人形の踊り」から叙情的なワルツ。この選曲も粋。協奏曲で張り詰めた気持ちを優しくほぐしてくれました。大好き、リサ。
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休憩のあとはペトルーシュカ。これもソロの上手さを生かした音楽。サロネンさんは手綱を締めつつも、ソロには自由に思い切りよく吹かせている。このさじ加減が絶妙。あっトライアングルは凶暴すぎでしたけど。そして、とにかくいろんな音が聞こえてくる。ストラヴィンスキーが書いた複雑で(複雑さ、新奇性は春の祭典以上でしょう)カラフルな音楽を見事に音にしている感じ。細かいフレージングにもしっかり目が行き届いていて、とってもわくわくするペトルーシュカでした。

そして最後はチャイコフスキーの「フランチェスカ・ダ・リミニ」。あまり聴かない曲ですよね。わたしも初めてです。なのであまり面白くない曲かなぁって思ってました。最初のうちは、勢いはあるけど荒っぽくてやっぱりちょっとつまらないかなぁなんて思ってたんです。でも、聴いてるうちにぐいぐいと体の芯に来て。何しろサロネンさんとフィルハーモニアの演奏が、血管が沸騰するほど熱い。サロネンさんがばりばりロマン派のこういう曲を採り上げるのは、ちょっとびっくりしたのだけど、いやはや名演だったと思います。曲の内容よりもいい演奏。いや〜凄かったです。サロネンさんって実はとっても熱い人なんだ、と今日気がつきました。
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スミスさんと銅像
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全然関係ないけど、ハープのウェッブさんの名物お髭、さらにふさふさ
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by zerbinetta | 2011-08-17 01:47 | フィルハーモニア | Comments(0)

自信を持って。上手いんだから。ね、札響さん。   

5月23日 @ロイヤル・フェスティヴァル・ホール

武満徹: ハウ・スロー・ザ・ウィンド
ブルッフ: ヴァイオリン協奏曲
ショスタコーヴィチ: 交響曲第5番

諏訪内晶子(ヴァイオリン)
尾高忠明/札幌交響楽団


ふふふ、会場で買ったプログラムも日本語併記だったので日本語で書いてみました。

最近ちょっと心配していることがあったんです。ロンドンには5つのメジャー・オーケストラがあってどこもとっても上手いし、それに世界中から上手な音楽家が頻繁にやって来るし、このブログを読んでる方なら分かると思うけど、音楽会(だけは)安いのでむちゃくちゃたくさん音楽会を聴いてるんです。なので耳が贅沢に肥えちゃって、下手な音楽は聴けなくなっちゃうんじゃないかって。いつも超おいしいものばかり贅沢に食べてたら舌が肥えちゃって(多分体も)、カップ・ラーメンとか受け付けなくなるみたいな。でも、音楽って、確かに上手い演奏にこしたことないけど、技術的な上手下手では割り切れないことが多くあって、上手ければいいというものでもないというのも事実。ロンドン・フィルハーモニックはロンドン・シンフォニーより下手だけど、心に残る演奏をたくさん聴かせてくれるし、わたしはロンドン・フィルの方が好きだったりしますし。
わたしは日本のオーケストラを最近ほとんど聴いたことがなくて、10年以上前にUSでNHK交響楽団を聴いた他は、そういえば3年くらい前に今日の札響を札幌で聴いたのが最後でした。なので、日本のオーケストラが今どのくらいのレヴェルにあるのかよく知らなかったんだけど、札響、予想外に上手くてまずびっくりしました。確かにロンドン・シンフォニーやロンドン・フィルより上手とは言えないけど(音量とか音色とかそういう個々の技術の問題。アンサンブルはとても良く揃っていました)、全く問題なく聴けました。良かった。わたしの耳ぶくぶくに醜く肥えてなくて。

そう、札響はとても良く弾けてました。みんながひとつにまとまってひとつの音楽を作っているのは確かにステキ。でも。。。と思うこともあるのです。それは、よく見ていると、みんなが揃って同じように、同じような恰好で弾いてる。なんか軍隊の行進のように揃っていてちょっと怖くさえありました。そして、無表情。朝の満員電車に乗って会社に向かってる人のような顔。もっと楽しそうな顔して弾いてよって思う。もうひとつ、ステージに出てきたとき、誰も音を出さないんです。音合わせまでの間、無音の間。なんだかわたし、間が持たなくなって気まずく感じました。そして音合わせはみんなちゃんと音合わせてる。こっちのオーケストラみたいに音合わせというより勝手に音だし感がないの。
そしてそこから聞こえてくる音楽は、とっても上手なんだけど、うんとたくさん練習して完璧です、聴いてください的な、いつどこで演奏しても同じように弾けちゃう音楽。わたしには物足りない。わたしが聴きたいのは、いつも同じようにこれがわたしたちの成果、的なコンクールみたいな演奏ではないんです。もっとスリリングで1回切りの一期一会の音楽。もっと積極的にひとりひとりが、ちょっとぐらいばらばらでもいい、仕掛けてくる、ドキドキするような感動。それがまだ、札響は足りないと思ったんです。

それが最も悪い形で出てしまったのが、諏訪内さんをソリストに迎えたブルッフの協奏曲の第1楽章。オーケストラが表に来るところは、上手に弾くんだけど、ヴァイオリンの伴奏にまわるところになるととたんに遠慮しちゃって音楽にならないの。低弦のピチカートの刻みのリズム、止まるかと思った。いつもは日本人の悪いとこだわって自分にも言い聞かせるように思っていた、諏訪内さんの自己主張のなさという弱点が、今日は諏訪内さんの演奏からは消えていて、その代わり、札響に行ってしまったのですね。諏訪内さんはかえってオーケストラに仕掛けたりなんかしてたんですけど、オーケストラはそれには応えられず。。。諏訪内さんのソロだけが印象に残ってしまいました。今まで聴いた彼女の演奏の中で、彼女の演奏は今日が一番良かったです。札響、上手いんだから自信を持ってがんばれ〜って心のうちで応援しちゃいました。

最初の武満徹の音楽はとてもきれいな、日本人好みのする旋律のある音楽でした。札響も弦の音色はちょっと硬かったけど、鈴のような澄んだ音色で弾いていました。ただ、わたしにはこの曲は途中で退屈してしまいました。なんかつなぎの部分が毎回仕切り直しみたいで、これはきっと指揮者の責任ですが、もしかすると、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールがいつも演奏しているホールより響かないので上手く音がつながらなかったのかも知れません。もっと良く響くホールで聴いたら違った印象になるのかな。武満は、日本では悪口が言えないほどに崇め奉られている感じがするけど、わたしは彼の音楽にはとても良い作品もあるけど同時に(特に後期になるほど)凡作もたくさんあると思っています。この曲はきれいだけれども退屈な音楽でした、わたしには。でも、隣のイギリス人の婦人はとても気に入ったようです。フルートがひとり(ふたり)気を吐いてたなぁ。

休憩の後のショスタコーヴィチの交響曲第5番は、もちろん、タコ好きのわたしは大好きな音楽です。協奏曲の伴奏ではない、オーケストラの音楽を札響がどんな演奏をするかとっても楽しみでした。そして、とてもステキな演奏でした。札響の音はわたしのショスタコーヴィチの音でした。雪の夜の音。わたしが中学生の頃初めて聴いたときから、イメジの中にある、あの夜の雪の光景の音がしました。懐かしい。わたしは似非道産子(東京生まれ)なので、北海道の雪の光景は、そしてその音のない音は身にしみているのです。そんな音を共有できることが嬉しかったです。尾高のタコは、一本気。基本的にインテンポでがしがしと進みます。札響も尾高さんもこの曲を演奏し慣れているのでしょうか堂々と自信に満ちた演奏でした。第2楽章のトリオを珍しく遅めのテンポに設定して、古典的な感じ(ハイドンふう?)な感じを出していたところが可愛らしく面白かったです。タコのこの曲は前半の2つの楽章が良かったな。第3楽章はもうちょっとゆっくりとふっくら演奏して欲しかったし(ちょっと音が痩せてた)、第4楽章はテンポを揺さぶってドラマを作って欲しかったです。インテンポで進んでいったので結果が見えていたというか、答えが途中で分かっちゃったのが残念でした。でも力の入った良い演奏だったんですよ。お客さんはスタンディング・オヴェイション。会場は暖かな拍手に包まれました。

そしてカーテン・コールのとき、尾高さんのスピーチ(英語)があって、アンコールにエルガーのエニグマ変奏曲からニムロット。これはずるいよぉ。飛行機の中で観たのだめの映画もそうだけど、この曲涙腺を直接刺激しちゃう。最初の弦楽器の部分はまさしく祈り。震災の犠牲者への追悼とと復興への気持ちがまさに出ていました。とてもとても良い演奏。ただ後半の盛り上がるところはもう少し粘って感動的に演って欲しかったな。

最初の方にも書きましたが、自分自身のことを含めて日本人であることを強く感じました。わたしたちには何がかけているのかも。今日の音楽会を聴いて強く感じたのは、音楽を作るプロセスにおいて、みんなが最初っからすりあわせて齟齬のないように同じ方向を向いてること。人に意見を合わせるのが大人なんだよね。わたしたち、議論するのが苦手で、議論をすると議論のための議論になってしまってけんか腰、みんなでより良いものを作るという意識にかけていると思うんです。人と違っていることより人と合わせることが大事。ほんとは音楽を作るってそういうことじゃないんだと思うんです。始めにもっとみんながぶつかり合わないといけないんじゃないかって思うんです。人に迷惑をかけることはちっとも悪いことじゃなくって、迷惑をかけるところから始めなきゃって思うんです。わたし自身もね。

でも、やっぱり札響は大好きなオーケストラです。わたしの故郷のオーケストラですし、わたしが初めて聴いたオーケストラ(多分)なんです。短い間だけど、定期会員になっていたこともあるし。大好きで応援しているオーケストラなので、少し筆が走ってしまったかも知れません。好きな人には意地悪してしまうような(小学生か、わたし)。ロンドンでの音楽会は、贔屓目なしに、大成功だったと言えます。ロンドンにはこんなに日本人いるのかと思うほど日本人が多かったですが、イギリス人の音楽好きの方もたくさん来ていて、みんな喜んで聴いていました。会場はとても良い雰囲気でした。札響の歴史に新しい自慢が付け加えられた夜でした。
札響の皆さん、どうもありがとう。
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by zerbinetta | 2011-05-23 09:01 | 海外オーケストラ | Comments(6)

かわいいのに〜〜   

12.05.2011 @barbican hall

shostakovich: concerto for trumpet, piano & strings, piano concerto no. 2
tchaikovsky: symphony no. 3 'polish'

yefim bromfman (pf)
valery gergiev / lso


タコのピアノ協奏曲って、とっても個人的でくつろいだ音楽だと思います。外に向かって大きな声で叫ぶというより、小さな声で自分や友達に語る感じ。タコの素直な心の裡がちらりと音楽にも表れているような気がします。それは息子さんのために書かれた可愛らしい第2番だけではなくて、トランペットのソロと弦楽合奏の伴奏の第1番もそう。もちろんどちらもタコ特有のシニカルな面もちゃんとあるんだけどね。そんな協奏曲、一晩でふたつも聴けちゃうお得な音楽会です。しかもメインは別。ゲルギーとロンドン・シンフォニー、ピアニストはブロンフマンさんです。
でもね〜、ブロンフマンさんとゲルギー、かな〜りアクが強そうな巨体の男ふたり。かわいい系の曲が〜〜。
第1番の方は、オーケストラも薄くて、こちらの方がシニカルな感じも強いのでとても良い演奏になりました。トランペットを吹いたロンドン・シンフォニーの主席のコッブさんもめちゃ上手いし。トランペットは指揮者の横に立たせて、完全なソリスト扱いでした。トランペット協奏曲ではないのでお休みも多いのだけど、ソロの部分は音を伸ばすだけのところでもとっても重要で絶対なくてはならないし、しっかりと音楽に溶け込んでいるのですね。ブロンフマンさんも巨体からの余裕のある音で、タコの諧謔性をよく出していたと思います。とてもとてもステキでした。
それに対して第2番の方は、わたし、この曲めっちゃかわいいと思うんだけど、大きな男ふたりが、って大きさじゃないですね、演奏スタイル、このおふたり、この曲をとても立派に演奏しちゃったんです。ベートーヴェンのサイズのオーケストラに結構華々しく鳴るところも多いから、そういう演奏もありだと思うんですけど、わたし的にはもうちょっと軽やかに儚げなのが好みなんです。ときにいつも涙しちゃう第2楽章は、本棚、お人形、窓から見える月、みたいなフェミニンな感じで。わたしの一番は今のところ、10年ほど前に、ヘレン・ホワンさんが、マズアさんとニューヨークで弾いたもの。心にしみ通るような優しく可愛らしい音楽でした。今日は大きな音楽を眺めて心の外で敬服するような感じだったんです。圧倒はされたけど、わたしのではないなって。
ブロンフマンさん、2曲も弾いたから十分かなって思ったら、アンコールも弾いてくれました。多分ピアノのショウピースとして書かれたヴィルトゥオーゾふうの曲。一流のピアニストだから当たり前なんですけど、よく指が回る〜。

休憩の後はチャイコフスキーの交響曲第3番。ゲルギーとロンドン・シンフォニーのチャイコフスキー交響曲全曲演奏シリーズです。少なくとも前期の3曲は録音されてCD化されるみたい。気合い入ってます。そういえば、ロンドン・シンフォニーの第1リーダーのニコリッチさん、見るの初めてかしら。多分しばらくサヴァティカルかなにかでお休みしていたのかな。
チャイコフスキー・シリーズは交響曲を第1番から順番に演奏しているので今回は3回目(それぞれ2回ずつの音楽会があります)ですが、ゲルギーのアプローチは、抒情的に演奏されるときによくある緩さというかおもむきに流されるいい加減さを排して、音楽を構造的に作っていこうとするもの。前2作ではそのアプローチが少し裏目に出て、ちょっと音楽が面白くなかったんだけど(やっぱりチャイコフスキーにはとろけるようなセンチメンタリズムも必要)、今日の第3番では成功していたように思えます。
第3番ってとってもバレエ的。第1楽章なんてそのまま白鳥の湖の開始に当てはめてもいいくらい。暗く黙示的に始まって(ティンパニとコントラバスの静かな打ち込みがとっても効いてる)、幕が開くと同時にお城のお庭の華やかな音楽。お終いの楽章も白鳥の湖の第2幕の大広間の華やかな音楽そのもの。この交響曲でバレエ踊れそう。それがドライにはきはきした感じでとてもいいのね。中間の3つの楽章というかその最初の2つも適度にメランコリックで、でも過ぎずにちょうど良い感じ。バレエ組曲みたいで、わりとゆるい構成だと思うこの音楽にしっかりたがを締めて、ひとつの交響曲としてまとめたゲルギーの手腕はなかなかです。もちろん、ロンドン・シンフォニーもいつものように柔らかい音でクオリティーの高い演奏を聴かせてくれました。来シーズンの後期3曲もとっても楽しみになってきました。
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by zerbinetta | 2011-05-12 23:39 | ロンドン交響楽団 | Comments(2)

異形の音楽   

20.04.2011 @royal festival hall

bach/mahler: orchestra suite
shostakovich: violin concerto no. 2
webern: five movements for string orchestra
beethoven/mahler: string quartet in f minor

janine jansen (vn)
vladimir jurowski / lpo


わ〜〜お久しぶりのユロフスキさんでした。ロンドン・フィルハーモニックのマーラー記念年の音楽会シリーズ。今日は編曲もの。バッハの管弦楽組曲とベートーヴェンのヘ長調の弦楽四重奏曲、弦楽オーケストラ・ヴァージョン。どちらも初めて聴きます。記念年なので交響曲は、もういいよと言うくらい聴いてるんだけど、こういう珍しい曲が聴けるのは嬉しい。変わった物好きのわたしですからね。

さてその前に、今日は音楽会での順番はとりあえず脇に避けて、2曲目、休憩前に演奏されたタコ(ショスタコーヴィチ)の第2ヴァイオリン協奏曲から。ソリストはこの間、ロンドン・シンフォニーとのブラームスの協奏曲を聴いたジャニーヌ・ヤンセンさん。ブラームスのときはわたし的にはちょっと疑問符が付いたんですけど、今日はどうでしょう。なんてもったい付けずにさっさと書くと、めちゃくちゃ良かった! この暗い曲は、やっぱり先日、カヴァコスさんのソロで、ゲルギーとロンドン・シンフォニーのバックで聴いてるんだけど、あのときも深く感動したんだけど、今日も感動してしまったんです。カヴァコスさんの演奏を超える演奏は、もう聴けないかもなんて思っていたのに、それとは別のアプローチですっかり感動してしまった。だから音楽って面白い。
ヤンセンさんの演奏は、粘りけがあって糸を引くというか、蜂蜜のような密度の濃い粘り。情念のようなものすら感じさせました。音もとっても豊かで幅のある音。譜面は見ながらでしたが、タコの音楽を完全に自分のものとして消化していて、一点の隙もないというか、聴いてるわたしも最初から最後まで音楽から耳を離さずにはいられませんでした。暗い鬱々とした音楽という印象があったんですけど、今日は鬱々とした感じではなくて、暗さが純化されて透明な、光りがあれば彼方まで見渡せそうな、固い結晶のようなものを心に感じました。
さて、ここまで書いて気がついたんですけど、この間カヴァコスさんで聴いたのは第1番でした。あれれ。第2番はもちょっと前にやっぱりゲルギーとロンドン・シンフォニーの伴奏でハチャトリアンさんのソロでしたね。恥ずかしいので消して書き直せばいいのですが、恥を忍んでいい加減さ加減を晒します。でも、前は確かに鬱々とした印象だったんですけど、今日は暗いけれども屈折して出口のないものではありませんでした。ヤンセンさんの演奏の大らかさが、そして太い筆で一筆で書ききるような大きな音楽が、タコの魅力を引き出していました。
ユロフスキさんとオーケストラもとっても良かった。ユロフスキさんってゲルギーよりタコに対する適性みたいものがあるように思えます。ゲルギーのタコもとても良いのですが、わたしにはユロフスキさんの語り口の方が好みです。

休憩の後の始まりは、弦楽器だけで、ウェーベルンの弦楽オーケストラのための5つの断章。もともと弦楽四重奏曲だったのを作曲者が後年弦楽オーケストラに編曲したんですね。5曲でたったの11分。ウェーベルンらしいミニマムな音楽です。初めて聴きましたが、とっても密度の濃い(といっても音は少ないです)充実した音楽。演奏も充実。ロンドン・フィルの弦楽セクションって定評ありますからね〜。すっきりとした音色でステキです。
ユロフスキさん、カーテンコールに出てきたと思ったら、そのまま指揮台に上がって、ベートーヴェン。わたしは元の弦楽四重奏曲を聴いたことがないのだけど、聴いた感じでは、ほとんど曲をいじってなくて、弦楽四重奏曲の楽譜をそのままオーケストラの弦楽器のパートに割り振って、ところどころチェロを補強するコントラバスを加えたという感じでした。全くベートーヴェン。弦楽四重奏曲の方を知らないせいか全く違和感ありませんでした。ただあまりにそのままなので面白味に欠けたかな。大人数になってスケールが大きくなったとも言えるのかも知れないけど、ベートーヴェンの音楽って四重奏でも十分スケール感大きいですからね。編曲する意義があまり見つけられませんでした。演奏は、これも良かったです。ベートーヴェン初心者のわたしが言うのもなんだけど、やっぱりベートーヴェンって凄いですね。音楽が作り込まれてるし、最後突拍子もないところに飛んですとんと終わってちょっと虚に包まれてしまいました。さすがベートーヴェンです。

それとは対照的に、始まりのバッハはもうバッハの素材を使ったマーラー、というかロマン派の時代の音楽でした。ユロフスキさんが出てきて、にこにことオーケストラを見回してから始まった音楽。バッハのものとは違うアーティキュレイション、オルガンまで使って(わたしオルガンのそばに座ってたのでオルガンの音にオーケストラが消されてしまいました)、もったりと大時代的。マーラーにとってバッハからモーツァルト、ベートーヴェンに至る100年は時間が止まってたような、というより1個2個たくさんの、昔でひとからげにできる時間なんですね。あっこれはマーラーが悪いんじゃなくて、マーラーの時代はまさに歴史は進化すると信じられていた時代だし、今みたいに過去を過去の目線で研究するという時代ではなかったんですから。マーラーの時代の人だったらこれがバッハの音楽として楽しめたかも知れないけど、バッハを割と良く知っているわたしたちには甘〜いショートケーキをホールで食べさせられてるような感じで、ちょっと胃がもたれます。ただ、基本的にはバッハのオーケストレイションを意外に尊重している感じであまり余計な楽器は加えていません。
ユロフスキさんの演奏はバッハの、ではなくマーラーの音楽として割り切って演奏していた感じです。もちろんマーラーのスコアからバッハの音を出そうとするくらいならはじめからバッハのスコアで演奏すればよいことなので、それではわざわざこれを演奏する意味はなくなってしまいますから。イージー・リスニングふうのバッハ、それはそれでたまにはいいかな。そうそう、最初の序曲で、主部に入ってフルートが活躍するところ、ユロフスキさんは導入部と同じようなテンポで大変ゆっくりと演奏したんですけど、これはマーラーの指示でしょうか。楽譜がないのでよく分かりません。このテンポ感がショートケーキに追加で生クリームをのせたみたいでもたれました。でも、初めて聴いて面白かったです。今となってはあまり演奏されない理由もよく分かりました。

そうそう、全然関係ないけど、今日は第2ヴァイオリンのゲスト・プリンシパルに来られていた方がかっこよかったです。カメラ持っていかなかったことを後悔しています、いつも来てくれればいいのに。eugene tichindeleanuさんという方です。
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by zerbinetta | 2011-04-20 09:19 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(2)