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さようなら 高関/シティフィル シベリウス、マーラー   

2016年5月14日 @東京オペラシティ

シベリウス:交響曲第7番
マーラー:「大地の歌」

小山由美(メゾ・ソプラノ)、小原啓楼(テノール)
高関健/東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団


確か今日が今シーズンの始まりだと思うんだけど、なぜかお終いのようなプログラム。シベリウスの最後の交響曲とマーラーの「大地の歌」。人生の終焉。プログラムを見たとき、わたしはどうしてシベリウスが先でマーラーが後なのかって思いました。確かに常識的には規模の大きい「大地の歌」が後に来るのでしょうが、「大地の歌」には(物語が)完成されていない感じがするのです(関係ないけど、「大地の歌」の初演の際もこれが音楽会の前半でしたね)。それに対してシベリウスの最後の交響曲は、短いけれども極限までに蒸留され純化された結晶の密度と重さを感じるのです。短さゆえに音楽会の前半に置かれがちのこの曲は音楽会のメインにふさわしいと思います。「大地の歌」との組み合わせででも(だからこそ)「大地の歌」を補完して完成させるのにふさわしい音楽だとわたしは思うんですね。

始まる前に、高関さんが今日のプログラムについて、どうしてシベリウスとマーラーを組み合わせたのかについてお話ていました。1907年にマーラーがヘルシンキで指揮をしたときに、ふたりはホテルで会っていたのだそう。ただ、ふたりの音楽感(交響曲感)は結局相容れなかったみたい。全然違う方向の作風だからね。
シベリウスの最後の交響曲は、交響曲全体を織りなしていた、(レードと)シードの動機に最後収斂される、ということを説明されてたので、「大地の歌」は、最後、離別の動機のミーレが解決されないまま終わる、というのを話されるかと思ったらなかったので、あれ?違うのかな?これが対称になってると思ったんだけど。まあいいや。

シベリウスの交響曲第7番は、大好きな曲。うんと高く評価している高関さんと好感度大のシティ・フィルがどういう風な演奏をするのか、楽しみだったんだけど、正直ちょっと辛かった。始まりから、何か先をせかすような感じがして(始めの音階、ちょっとアチェレランド気味?)、何か落ち着かない。決して速いテンポではないんだけどね。オーケストラの音も荒い感じがして、弦楽器もシベリウスらしい寒色系なのは良いのだけど、ナイフの刃で切られるような痛みでわたしを傷つけます。繰り返し降り注ぐ天啓のようなトロンボーンの光りも解決にならなくて、どうしてこうなっちゃうんだろう?オーケストラに飲まれてしまっていたから?確かに時に美しい瞬間、木管楽器のさざ波とか、あったんだけど何か腑に落ちない感じが残ってしまいました。マーラーの音楽とは相容れなかったシベリウスの音楽。うがち過ぎだけど、マーラーの音楽をとても研究している高関さんには合わなかったのでしょうか。

じゃあ、マーラーは、と言うと。。。ううううむ。シベリウス以上にもやもや感が残りました。高関さんもおっしゃるように、マーラー自身一度も演奏していないこの曲は、いわば未完成で(オーケストラと練習を重ねながら筆を入れるのが常だったので)、その通りに演奏してしまうと、オーケストラが声を圧倒してしまう場面もちらほら。でも、それを警戒するばかり、オーケストラを引っ込めすぎて、全体が壊れた積み木のようにちぐはぐしてしまった感じです。例えば、「美について」の中間の盛り上がるところは野性味がなくてなんか薄ぼんやりとしたトーンになってしまいました。オーケストラが弱音の美しさを持てていれば、全体を損なうことなく歌の後ろに厚いけど静かに付けることができると思うのだけど。。。そして、シベリウスでも感じたのと同じように、何か音楽が先へ先へと進みすぎていると感じました。特に、「秋に寂しき者」でのテンポ設定、歌った小山さんとのテンポなのかも知れないのですが、なにか行進曲のように歌われてしまって、全然雰囲気が。。。残念ながら終始、小山さんの歌に疑問を持ってしまいました。音程も悪かったしマルカートのような発声(発音)の仕方もわたしにはダメでした。正直、「秋に寂しき者」で帰りたくなりました。
美しさが足りないゆえに、魂が浄化しきれない「大地の歌」。(「告別」のオーケストラの間奏の後、少し雰囲気が出たのですが、、、足りません)

高関さんもシティ・フィルもマーラーもシベリウスもみんな大好きでとても期待していたのに。。。「大地の歌」の主人公のように、シティ・フィルから静かにさようならするべきでしょうか。最後、寂黙に至らないまま終わった音楽をあとにして、すうっとまだ誰もいないホールの外に出て帰りました。
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by zerbinetta | 2016-05-14 00:10 | 日本のオーケストラ | Comments(2)

夜と歌おう カンブルラン/読響   

2016年2月12日 @サントリーホール

モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク
マーラー:交響曲第7番

シルヴァン・カンブルラン/読売日本交響楽団


タイトルは、今日の音楽会のチラシのコピーそのまんま。だって、あまりにも秀逸なんだもん。誰、これ考えたの?夜’に’でも夜’を’でもなく夜’と’。夜が擬人化させられて、何だか友達のよう。そんな音楽でしょ。「夜の歌」と呼ばれることもあるマーラーの交響曲第7番って、解釈によっては。すごく大らかで楽しそうでしょ。しかも気の利いたことにカンブルランさんが選んだカップリングは、なんと、モーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジーク!セレナーデ第〇〇番とも言われるんだけど、モーツァルトはそういう呼び方はしなかった(作品を番号順に呼ぶ習慣は彼の時代にはなかった)ので、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が正しい呼び方なんだって。日本語では「小夜曲」?

その、かわいらしい、誰でも知ってる有名な「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」。この曲を大きなオーケストラの定期演奏会で聴くとはまずびっくり。大学入試に「泣いた赤鬼」から出題されるようなアンバランス感。ところが、エッジの効いたカンブルランさんの演奏にまたびっくり。もうこの曲をイージー・リスニングの食堂とかでかかってる音楽だとは言わせませんよ。速めのテンポで、少人数とは言え室内オーケストラくらいの人数の弦楽合奏は少しもたつくところもあったけど、ロマンティックに陥ることのないザッハリヒなモーツァルトは乾いた夜を創出しててステキ。ある意味意表を突かれた。だって、マーラーも敢えて夜の歌と言及してロマンティックに行くのかと思ってたから。でも思い出してみれば、カンブルランさんのブルックナー(交響曲第7番)も「トリスタン」もロマンティック路線とは一線を画していたのでした。で、今気がついたのだけど、ブルックナー、「トリスタン」と今日ので夜3部作?

マーラーは、「夜の歌」のタイトルが交響曲全体のタイトルにふさわしいかどうかは別にして(プログラムには付きで載っていたけど、「夜の歌」と題されたのは第2第4楽章だけだから)、前半からの予想通り、ロマンティックな薫りを適度に排した演奏。でも、とは言え、マーラーの交響曲の中で最もロマンティックな曲(わたし比)なので、からからにドライな演奏ではなく、さりげない潤いもあって、読響の明るめの音色と相まって深刻になりすぎない音楽。夜=死、的な暗闇の音楽ではなく、なんだか夜と友達になれそう。お化けだって汚れのない目で見れば怖くない。そう、夜と歌うの。夜の蠱惑的な世界。ホールの向こうに夜が広がって、オーケストラと一緒に歌いたい気持ち。
でも、わたし、夜とかってあまりに音楽に哲学を求めすぎていない?夜とか昼とか、まるでトリスタンとイゾルデの愛のシーンだけど、意味を考えすぎじゃない?カンブルランさんの演奏は、そうした意味づけから少し距離を置いているようにも思えるの。素直に音楽を歌おうと。
近頃のわたしの捉え方は、それは最初にバレンボイムさんの演奏が教えてくれたんだけど、この曲ってあまり意味がなくてもいいんじゃないかって。交響曲というよりバロック時代の組曲のような内的な関連性のない音楽の集まり、みたいな。マーラーってこの頃、バッハの管弦楽組曲を編曲再構成して自家版のオーケストラ曲を作ってるし、第一、この曲の始まりってまさしくフランス風序曲だもの。それに、フィナーレのティンパニなんてバロックのティンパニの使い方そのもの。この曲のある意味統一感のなさがそんな感じ。でも反面、シンメトリックで論理的な構成(でも、第1楽章とフィナーレの取って付けたような相容れなさ)との矛盾。いろいろ、難しいというか訳の分からないことにもなっているかのような謎のある(というか謎を貼り付けたいのわたしだけーー?)この曲、でもカンブルランさんは見事におおらかに歌ってみせたのでした。だから、始まりから終わりまで、すとんと腑に落ちるように余計なことを考えずに聴き通すことができました。
最後の大団円。驚きのカウベル大増量。チェレスタの人までカウベル持って、全部で7人?いっそのことP席の人にもカウベル持たせて、50人のカウベル隊というのは流石に余計なところでからんからんうるさそうだから、会場係の人に持たせて、ホールの四方からカウベルがって。冗談は止しにして、目の覚めるカウベルというか、いい気になって牛にちょっかいを出してたら牛の大群に追いかけられて間一髪逃げ切るっていうお話になって喜びのうちに交響曲は閉じたのでした。(なので、わたし的には今日の拍手のタイミングの遅さ、フライング拍手やブラヴォーよりも残念でした。逃げ勝ったんだから音が消える前に拍手で良かった。(音楽ファンを敵に回す発言ですが)

ま、冗談はさておき、わたし的には好きなタイプの、すらりと整ったステキな演奏でした。個々の力不足はなきにしもあらずだけど、読響もがんばってくれていましたしね。やっぱり、主席指揮者との演奏は違うな。いつもがんばろうよ、読響。
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by zerbinetta | 2016-02-12 22:55 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

兄ビーはレオナルド! P.ヤルヴィ/N響 ブルックナー5   

2016年2月7日 @NHKホール

マーラー:なき子をしのぶ歌
ブルックナー:交響曲第5番

マティアス・ゲルネ(バリトン)
パーヴォ・ヤルヴィ/NHK交響楽団


主席指揮者兄ビーとN響の定期公演、今回はブルックナー。中でも壮大な交響曲第5番。ブルックナー・トイレも長くなりそう。女子には関係ないから、余裕でチラリと見物しちゃった。

ブルックナーの前には、マーラーの「なき子をしのぶ歌」。マーラーの歌曲の中で最高傑作と勝手に思ってる心に浸みる悲しい歌。歌い手は、ゲルネさん。ゲルネさんって、猫背風に少し前屈みになって歌うのが、マーラーの、特にこの「なき子をしのぶ歌」みたいな屈折した暗さの歌に雰囲気ピッタリですよね。もちろん、深いバリトンの声も凄い素敵だし。
マーラーは歌曲のオーケストレイションを交響曲とは違って薄くしてる(そういう意味で「大地の歌」は交響曲っぽい)んだけど、パーヴォさんの演奏はまさにそんな感じ。もう少し弦に厚みを持たせてロマンティック寄りの演奏もありだとは思うのだけど、パーヴォさんの選択は、歌曲としての側面をより前面に出したものでした。控え目なオーケストラは、歌の背後に回って見通しの良い音楽を付けるんだけど、この選択は残念ながら凶と出てしまいました。NHKホールがこの音楽には大きすぎた。もう少し小さな響きのいいホールでならこの表現は上手く生きたのでしょうけど、ホールが音楽に余ってしまったのがもったいなさすぎ。ゲルネさんの歌は、言葉の語りを大事にするもので、わたしの3階席までちゃんと聞こえてきましたが、でも、やっぱり、この語るような歌は、親密なホールでよりふさわしく聞こえたと思います。残念だわ。

後半はブルックナーの大曲。大聖堂の偉容を仰ぎ見るような音楽だと思ってたんだけど、パーヴォさんのは違った。大聖堂は大聖堂なんだけど、その緻密に描かれた設計図を見るよう。本物の大聖堂は、想像の先にあって、でもその大聖堂の秘密や全てが明らかになるの。もちろん、設計図は本物の大聖堂ではない。でも、あらゆるものにそれぞれマニアがいるように、設計図マニアというのもいるでしょう。わたしは、とても面白く聴けました。でもね、これが完成形だとは、パーヴォさんも思ってないんじゃないかしら。
パーヴォさんがやってるのは、レオナルド・ダ・ヴィンチがやったようなことなんじゃないかと思う。人の絵を真実に、正確に描くために、彼は、解剖学から学んだ。人体を解剖して、筋肉の付き方や中の構造を調べて、人物の絵に還元しようとした。それと同じように、パーヴォさんは楽譜に書き取られた音楽を解剖して詳細に解き明かすことから始めているような気がしたの。その結果、ブルックナーの音楽の繊細な構造に光りが当たって、それらが設計図を見るように聞こえてきたんだと思う。本当はそこから大伽藍を作ってこそ、本物にしかない聖堂の空気やステンドグラスの織りなす光やクリプトの冷たさに身体中が震えるんじゃないかと思うのだけど、パーヴォさんのブルックナーはまだ、完成を見ていないのか、オーケストラの力がそこまでだったのか(N響はとても良い演奏をしていたのです。ピチカートがうんと素敵でしたし。でも、まだ少し足りない)、それは分からないけど、レオナルドで例えるとたくさんの正確な素描を観た感じです。それは、確かにわたしにとってとても面白かっただけに、最終的な形をいつか観てみたい、聴いてみたいと強く思ったのでした。パーヴォさんのブルックナーは多分、絵はがきのように見えている美しさや荘厳さだけを切り取った風景のような凡愚な演奏ではなく、足元から聖堂のいしずえのアウラが伝わってくるような音楽になるとなるでしょう。いつかそんな演奏をパーヴォさんから聴きたい。

あ、覚え書き程度に。今日の演奏で、はっと思ったのは、第2楽章と第3楽章をアタッカでつなげていたこと。パーヴォさんはご存知かどうか分かりませんが、川崎高伸さんの説(Bruckner Journal 13(1), 2009)に、ブルックナーの交響曲第5番の構造に意識的な対称性が見られるというのがあって、それによると第2楽章(アダージョ)と第3楽章(スケルツォ)も対になっているはず、実際にふたつの楽章の始まりの低弦のピチカートの音型が同じ、だから、このふたつは同じテンポで演奏すべし(ブルックナーは第2楽章を4拍子ではなくアラ・ブレーヴェで書いているのでそれが正しい)ということなんだけど、わたしは、同じ音型が出てくるからといって同じテンポとはちょっと強引だわと思うのだけど、もしかして、今日のパーヴォさんのは、テンポは普通のアダージョと速いスケルツォだけど、2つの楽章をつなげて関連性を付けることによって、最初の楽章とフィナーレの対称性を際立たせたのかな、とも思いました。穿った見方だとは思うんですけど。ただ、2つの楽章の尋常ではない連結には何か深い意味を感じるのです。それがどういうものかまだ分かりませんが。答えを見つけるためにもいつかまた聴きたいです。
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by zerbinetta | 2016-02-07 11:28 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

いよいよパーヴォ時代へ ヤルヴィ/N響 「復活」   

2015年10月4日 @NHKホール

マーラー:交響曲第2番「復活」

エリン;ウォール(ソプラノ)、リリ・パーシキヴィ(アルト)
東京音楽大学(合唱)
パーヴォ・ヤルヴィ/NHK交響楽団


兄ビーことパーヴォ・ヤルヴィさんのN響主席指揮者の就任記念公演。マーラーの「復活」の2日目に行ってきました。定期演奏会とは言え、就任記念の特別な音楽会、初日の方が特別感が大きいのかも知れないけど、昨日のアリーナは外せなかったし、2日目の方がアンサンブルもこなれてきていいかなとも思ったり。同じ音楽会が2回とか3回ある場合、何日目に行くのが一般的にいいんでしょうか?

ビューローは「葬礼」(後の交響曲の第1楽章)を聴いて「これが音楽だとしたら、私は音楽が全くわからない」なんて言ったそうだけど、今日わたしは、第5楽章を聴いてこれが音楽かって思った。パーヴォさんの演奏はマーラーの音楽の(構成上の)弱点をそのままにして音楽の外にある強い精神で突き進んだ感じ。音楽の枠に収まらない表現意欲が音楽の世界からはみ出していて。楽譜に書かれてものから音だけを抽出して純粋に表現して素晴らしい音楽に還元する演奏もあるでしょう。が、パーヴォさんは、決して極端なことをしているわけではないのだけど(音のはみ出た面白さだったら去年のシーズンの第1番の方が上でした)、精神世界の(文学的な)表現意欲は、今回が上。それが良いか悪いかは別だし、マーラー自身の音楽がそれについて行ってないがゆえに、音楽が破れかけているということもあったのだと思うんですけど。と、矛盾するんですけど、パーヴォさんの演奏は、決して恣意的な解釈を施した演奏ではなくて、マーラーの楽譜を丁寧に音にしたもの。その結果、マーラーが楽譜に書き記すときにあった心の裡までそのまま音楽にしてしまったということ。特に最終楽章での中二病的な表層は、マーラーの責任。
パーヴォさんは、少し距離を置いて音楽を冷静に美しく鳴らしてる。そのバランス感覚が絶妙。今日の演奏は、一見中庸でありながら(特に美しく演奏された中間楽章は)全然中庸ではない。ものすごく丁寧に作り込まれた音楽。ただそれ故に、もっと熱い音楽をと思う人もいたでしょう。人数をかけた合唱が少し弱かったのがちょっと残念で、最後はわたし自身も、もう少し熱くなりたかった。音楽を超えた力に圧倒されたかった。でも、類い稀な演奏であることもまた事実。パーヴォさんって、音楽の作り方の理にかなった面白さだけではなく、オーケストラの力を引き出すの上手い。響きが濁らずにとてもきれいだし、N響がずいぶん上手くなってると感じるもの。こんなに金管楽器が上手かったっけとびっくりした。パーヴォさんの時代にN響がますます磨きをかけられて良く変わることが期待できそう。わたし的には、主席指揮者じゃなくて音楽監督になって欲しかったけど(N響の事情かパーヴォさん側の事情がそうさせたのかも知れませんが)、パーヴォさんには後々まで語り継がれるN響の一時代を築いて欲しい。蜜月が長く続きますように。


それにしてもパーヴォさんとN響の「復活」。世界的に見ても一流レヴェルの素晴らしい演奏をしたのに、わたしは自慢したいのに、外の国の人は誰も知らない。N響を世界のトップ・レヴェルのオーケストラにしたいのなら、もっとたくさんの人、外国の人にも聴いてもらわなくちゃ。日本国内で放送するばかりではなく、ネット・ラジオやできればオンデマンドで世界中で聴けるようにしたらいいのに(日本のネット・ラジオはNHKも含めて海外で聴けないものが多いんです。反対に外国の音楽会は、ばんばん日本からでもネット・ラジオで聴けるよね)。NHKならそのノウハウも持ってるはずでしょ。やってよ。
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by zerbinetta | 2015-10-04 22:21 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

最近好調 新交響楽団第230回演奏会   

2015年7月26日 @東京芸術劇場

ラヴェル:古風なメヌエット
ラヴェル:「ダフニスとクロエ」第2組曲
マーラー:交響曲第4番

コロンえりか(ソプラノ)
矢崎彦太郎/新交響楽団


アマチュア・オーケストラの雄、新交響楽団さんの音楽会。先日OB交響楽団の音楽会で聴いたマーラーの交響曲第4番がかぶってます。聴き比べーー。

プログラムの前半は、ラヴェル。「古風なメヌエット」は、題名通り、古典的な色合いのメヌエットをラヴェルのカラフルな色彩で飾った佳曲。繰り返しスタンプのように押されるティンパニを含んだ終止音型が好き。この曲を聴き始めたとたん、やっぱりこのオーケストラ上手いと思いました。ちょっと最近好調な感じ。

2曲目の夜明けはゆっくりときめ細やかな響きで音楽が始まりました。ここの音色の色彩がステンドガラスを通した光のようにキラキラと交差する音楽。そりゃあ、上手いプロのオーケストラと比べちゃうと個々の音色の際立ちに不足を感じるかも知れないけど、でもこれは素晴らしい。矢崎さんは、鳥のさえずりや朝のざわめきの背後に持続して流れる明確な音を作っていてそれがもうほんとにステキで、こんな演奏はプロでもなかなか聴けるものではないよ。底に静かに間断なく満ちている音は、なにか根源的な羊水の意識のようなものを感じさせます。最後もしっかり盛り上がってカタルシス。

マーラーの交響曲第4番は、先日もアマチュア・オーケストラで聴いたばかり。易しい曲のように見えて、精巧な仕掛けがこれでもかと思うほど仕込まれていて、わたし的に満足する演奏に出逢うのは難しい感じだけど、今日の新交響楽団さんもとても良い演奏をしてくれたと思います。もちろん、ソロも多いし、それは流石にプロのオーケストラには及ばないんだけど、音楽のまとまり方がとても良くて、安心して聴いていられるのがいいの。矢崎さんの演奏には洒脱な明るさがあって、しゃんしゃんと楽しげなこの曲の雰囲気も良く出ていました。不純物のない透きとおった感じは、マーラーの交響曲の全体からは、少しはみ出してるかもだけど、そういうアプローチも逆にこの曲の魅力を引き出しますね。途中大太鼓の強打で楽器がひっくり返りそうに見えてドキリとしたところもふふふポイント。もったいないことと言えば、コロンえりかさんの歌がちょっと弱かったかな。もう少し主張があって目立っても良かったかも。いたずら者の子供のように。
アンコールをしないのも音楽の余韻が残って嬉しかったです。
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by zerbinetta | 2015-07-26 13:15 | アマチュア | Comments(0)

オペラチック! OB交響楽団第187回定期演奏会   

2015年7月4日 @ティアラこうとう

ワーグナー:「パルシファル」から前奏曲、聖金曜日のための音楽
マーラー:交響曲第4番

松尾香世子(ソプラノ)
松岡究/OB交響楽団


OB交響楽団は、創業1937年の東京の社会人アマチュア・オーケストラの一番の老舗。創業元徳元年のくるみ餅屋さんとか、老舗が大好きなわたしにとってそれだけで好きになっちゃうオーケストラなのです。内々のことは分からないし興味もないのだけど、多くのアマチュア・オーケストラが生まれたり消えたりしていく中で、長く続けてきたことにはご苦労もたくさんあったし今も色々あるのだろうけど、こうしてまた音楽会ができるのってほんとに素晴らしいですね。平均年齢高めのオーケストラからは、酸いも甘いもかみ分けた大人の余裕と雰囲気が。ギラギラ尖って輝いているのも好きだけど、こういうしみじみとしたいぶし銀的な色合いもステキ。

音楽は、ワーグナーの「パルジファル」から有名な前奏曲と聖金曜日のための音楽。ゆっくり目のテンポで雰囲気を出しながらなかなか聴かせてくれる演奏でした。音の粘りとか響きの豊かさとか、アマチュアゆえの不足もあるんだけど、トロンボーンなんかは良い音出してたり、松岡さんとオーケストラの求めている音楽の響きが頭の中で聞こえてくるようで良かったです。脳内変換で理想の音を勝手に想像して聴いているんじゃなくて、音は不足してるけど、どんな音楽を求めているのかが明快に伝わってくるので音が自然に聞こえるんです。そういう意味ではとても良い演奏。

後半のマーラーの交響曲第4番は、わたしに変なこだわりがあるのでなかなか上手に聴けない曲。この曲の話題が出るときはいつも言ってるんだけど、この曲って、表面上は軽くて楽しげな音楽なんだけど、マーラーの交響曲の中で、一番実験的で新規性に富んでると思うんですね。ちゃんと演奏するのもとても難しいんじゃないかってね(特に出し入れの激しい対位法的なところ)。でね、OB交響楽団の演奏は、もちろん演奏技術的にはプロには遠く及ばないけど、いろんなパートがちゃんと絡んで聞こえてきて、いいなって思ったんです。松岡さんの指揮も音楽の流れをとても上手くまとめていて、でも適当なところでこぢんまりとまとめてるふうではなくて、音楽の輪郭をオーケストラの能力の先にはっきりと示しつつ、聴かせてくれたのがいいなって思ったんです。
そして、第3楽章の最後の部分、弦楽器が(譜面が)チョウチョのようなアルペジオを奏でる中ティンパニが大きく叩かれるところ、わたし的には天国の扉が開くイメジなんだけど、今日のはまさにそうでした。ステージドアが開いてお人形のようなソプラノさんが現れました。オペラチック。松尾さんの歌もかわいらしく演劇的で、表情豊かな仕草が(少し一本調子なところはあったけど)視覚的にも魅力的で、ああ、こういう解釈もいいなって思いました。ありそうでなかった感じ。

アンコールには、シュトラウスの4つの最後の歌から「夕映え」。シュトラウスに関しては、歌もオーケストラももっと艶やかなグラマラスな音を出して欲しいなと感じました。
そして最後は、「ローエングリン」第3幕への前奏曲で華々しく音楽会はお開きになったのでした。


♪♪
OB交響楽団の次の演奏会は、第188回定期演奏会が10月12日、杉並公会堂です。シベリウスのヴァイオリン協奏曲をOB交響楽団のコンサートマスターの方が弾きます。
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by zerbinetta | 2015-07-04 23:22 | アマチュア | Comments(0)

80%の音楽 テミルカーノフ/読響 マーラー3   

2015年6月5日 @サントリーホール

マーラー:交響曲第3番

小山由美(メゾソプラノ)
ユーリ・テミルカーノフ/新国立劇場合唱団、NHK東京児童合唱団、読売日本交響楽団


テミルカーノフさん、今まで何回か聴いたことあるのに、実は、ロシアもの以外を聴くのは初めて。当たり前だけど、ロシアもの専門の指揮者というわけじゃないからいろんな曲を振ってるのに違いないけど、珍しい機会(メリーランドに住んでたとき、ボルチモアのオーケストラの指揮者だったのに聴いてなくて悔しいい)。今日はマーラー。テミルカーノフさんがどんなマーラーを聴かせてくれるのか興味津々で聴いてきました。オーケストラは最近、苦手意識が高まってる読響さんだけど。

今日は交響曲第3番、1曲だけ。最初の深々したホルンのユニゾンの響きが会場を満たしたとき、今日はステキな音楽会になると予感しました。んだけど。。。第1楽章の暗い部分は何だか葬送行進曲のように音楽が進んで何だか暗〜〜い。低弦の速いパッセージの弾かせ方(頭の音を溜める)とか木管楽器やホルンのオクターヴ上がるメロディ(意識的な間をとる)とか、わたしのマイクロ・フェチ・ポイントのトランペットの吹奏にさりげなくオーボエが重なるところの音色とか、テミルカーノフさん、細部にこだわってかなり仕掛けてるところもあるんだけど、どうして?というかどんな音楽を創りたいのかちょっとよく分からなかったんです。でも、それはわたしがだけじゃなく、オーケストラもどうしたらいいのか動揺している感じ。第1楽章は、客席はとても良い緊張を保って聴いているんだけど、オーケストラは、指揮者がどうしたいのか分からなくて右往左往。コンサートマスターの日下さんも恋人同士のようにホルンと美しく絡むところなんかはちょっとツンとしてたり、何だか動揺しているみたいで、オーケストラと指揮者の間で迷っている感じ。打楽器からは楽器を落としたのか雑音まで。そんな中、がんばっていたのは第2ヴァイオリンかな。第2ヴァイオリンが目立つってあまりないんですけど、縁の下の力持ちで、しっかり音楽を支えていたと思います。とても良かった。

多分。多分ですよ。テミルカーノフさんって本番では、練習と違うことをやってるのか、オーケストラに敢えて指示を与えないで野に放つとか。心当たりがあるんです。前に聴いた、サンクトペテルブルク・フィルとの演奏では、オーケストラの弾きたいテンポと指揮者の求めるテンポの食い違いが音楽に緊張感を生み出していたし、フィルハーモニアとの演奏では、指揮者に必死に付いていくオーケストラが多少乱れたものの、指揮者の求めるものを先読みしてすごくいい音楽を奏でていました。読響にはそこまでの力はなかった。これもわたしの想像だけど、テミルカーノフさん、本番では練習したことの予定調和を乱して、常に新しく生まれてくる音楽の創造を求めているんじゃないのかな。オーケストラを放任することで、自発的な演奏を促してるんじゃないのかな。指揮者の音楽をきちんと演奏することが上手いオーケストラも、どうぞ、自由に、とハシゴを外されることによって混乱して、指揮者が振っているところまでは音楽にできるけど、振らない部分は音にできなくて、テミルカーノフさんがオーケストラの自発に委ねた20%を引いた80%の音楽にしかならなかったんじゃないかしら。お互いがぶつかり合って止揚して指揮者もオーケストラも思い描いていた以上のものになるはずがならなかったのが今日の演奏ではないでしょうか。マーラーのあまり演奏されない曲にオーケストラが慣れていないこともそれを助長して。オーケストラには厳しいことを書いたけど、テミルカーノフさんも彼のマーラーがどんな音楽なのかよく分かりませんでした。1番でも2番でも5番でももしくは9番でもない、第3番を敢えて採り上げるんでしょうから何かあるんだと思うんですが、それがよく分からなかったです。何でマーラー?何で3番?

第2楽章からは、オーケストラが持ち直したのか、テミルカーノフさんが指揮を変えたのか、落ち着いてきたと思います。わたし的には今日は第2楽章が良かったです。3楽章のポストホルンは、むーん、珍しい楽器ですからねぇ。ちょっと弱かったかな(音量じゃなくて)。メゾソプラノを歌った、小山さんは、声質が軽いので、酔歌を歌うのには物足りなく感じました。面白かったのは、第5楽章の児童合唱。とてもかわいらしくて、日本人の声だわ〜って思いました。まだ訓練で作られていない(発展中の)生の声って、身体の構造が違うのか、欧米の子供たちと随分違うんですね。どちらがいい悪いじゃないんですけど、へぇぇと感心。わたしは好き。
最終楽章は、普通にしても感動しちゃう音楽だから、やっぱり感動したんだけど、ある意味、テミルカーノフのアクもオーケストラのアクもなくした、素直なピュアな演奏でした。変態好きのわたし的にはそういうのには物足りなさを感じるのがいつもなんだけど、今日はむしろ丁寧に弾き込まれていて、いいなって思えました。マーラーの音楽の力に助けられた感じです。

初めてのテミルカーノフさんの非ロシアものだったけど、結局よく分かりませんでした。当たり前だけど、これだけで分かるはずもないんですよね。やっぱりロシアものを聴いてみたいと思いつつ、いろいろ聴いて彼の音楽のこと知りたいです。客演のときは、ロシアものを求められると思うけど、少しずつでも違うのやってくれたらなと思います。
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by zerbinetta | 2015-06-05 01:31 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

全てを音楽に 大野和士/都響 音楽監督就任記念公演   

2015年4月8日 @東京文化会館

マーラー:交響曲第7番

大野和士/東京都交響楽団


いよいよ、新監督、大野さんと都響さんの新シーズン開幕!と言っても、サントリーホールの方の定期はすでに先週開幕(シュニトケの合奏協奏曲第4番/交響曲第5番とベートーヴェンの交響曲第5番)で一足遅れだけれども、本拠地、文化会館でのシーズン・オープナー。そう言えば、日本はオーケストラの定期公演4月始まりなのね?(確か秋始まりのところもあったような気がするけど)

今日は、プレコンサート・トーク(ってちゃんと正しく言おうよ。プレトークじゃ意味が通らない)がありました。大野さんが熱くマーラーの交響曲第7番について語っていたのですが(大野さんが熱い人だとここで知りました)、ううむ、物知りのマーラー好きの人が聞いたら噴飯もののめちゃくちゃなこと言ってたな。という揚げ足取りはさておいて、ずいぶん明確に絵画的(物語的?)なイメジを語るんだな〜。初めて聴く人には分かりやすいと思うけどそんな演奏になったら嫌だなぁと思ったら、そんな演奏になったんですけどちっとも嫌じゃなかった。というかむしろ凄く面白かった。そのお話はまたあとで。大野さんはこの曲を全部夜の音楽とおっしゃっていましたが(一般的な時流では夜の音楽と言及のあるのは第2、第4楽章だけで「夜の歌」というタイトルは最近付けなくなってるんですが)、フィナーレが真昼の音楽でなくて夜の音楽とおっしゃっていたのがびっくりで、どんな演奏になるんだろうと、心配しつつワクワクでした。

大野さんと都響の演奏は、第1楽章から全曲に渡って速めのテンポを基本にして、かなり意識的にぐいぐいと推し進めていく感じです。叙情っぽいところはテンポを落として歌わせるし、さくさく進んでいくようでちゃっかりテンポを動かしてるんだけど、結構ドライヴして作ってくるので推進力が勝るんです。ただ、第1楽章はぎこちないところがあって、歌う部分で歌い切れていない感じがしました(そういう表現をしたかったのかなとも思ったんですが、そのあとの楽章ではそうではなかったのでまだ固かったのでしょう)。そして何だかうるさい。オーケストラの音が耳をつんざくように鋭くて荒いの。打楽器は過剰なまでに耳に付くし(決して鳴らしすぎてるというわけではなくて音の質が棘のよう)、都響ってこんなオーケストラだっけ?それとも都響の実力ってこんなもの?とも思ったけど、多分、大野さんがわざとそうした音楽にしてると思う。それは、マーラーのうるさい音楽と指揮姿をカリカチュライズしたマンガのイメジ通り、マーラーの生きた当時、彼の音楽を聴いた人には、こういう風に聞こえていたんだろうなって思えたから。本質的にはピリオド・アプローチなのかもしれませんね。
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大野さんって根っからのロマン主義の人じゃないよね。トークの時もおっしゃってたけど、夜が怖いと思ってるもの(子供の頃夜が怖かった)。ロマン主義って「トリスタン」の昼の世界の否定と夜の世界での陶酔に象徴されるように、夜(死、愛)への憧れだと思うから。夜を怖いものと見なしてしまえばロマン主義は理解できない。そう、大野さんは、この音楽をロマンティック=19世紀に爛熟した音楽としてではなく、彼の本能的に20世紀のヒンデミットのように演奏したんです。マーラーっていろんな解釈ができて、いろんな演奏があって面白いんだけど、大野さんのマーラーは、非ロマン主義に徹底していて良いと思う人もいるだろうし、一切受け付けられないと思う人もいるって感じ。評価が割れるのは避けられない。

第2楽章に入るとさらに夜の恐怖が深まって(実際にこの曲の中でこの楽章が一番夜)、大野さんは恐怖のあまり、大声で歌って恐怖を誤魔化してるみたい。とにかく音で満たして暗闇を走って帰ってくる子供。音楽も次から次へと音がやって来て息つく間もなく進んでいく。ちょっと息苦しかった。
そう言えば、夜の音楽の中鳴るカウベル。でも、牛って夜寝てるよね。じゃあカウベルを鳴らしてるのは?魑魅魍魎?と想像したら大野さんの音楽が少し分かった気がした。やっぱり怖いんだ。
でも、それにしても大野さん、マーラーの書いた全ての音を、至る所で別々に発展していく対旋律をちゃんと聞こえるように演奏する手腕は凄い。それに珍しい音を奇妙に強調させたりして(木管楽器のベルアップも徹底して)、今まで聴いたことのなかった変な音も聞こえたり面白いの。今日はテレビ収録もあったからあとでいろいろ確かめてみたいです。

魑魅魍魎が現れちゃう第3楽章も積極的に表現主義的。魑魅魍魎、悪魔の音楽だから、音楽的を超えて極端に言えば耳障りな音となるのも厭わない。ヴィオラのアクティヴでスピーディーな突っ込みもスリリングでした。つるつるした飛び石を跳ねて川を渡るような不安定な音楽が楽しかったの。悪魔踊ってる。楽しげに。

一転して、明るいセレナーデ。突然の闖入。宴たけなわの輪を外れて、木の陰で愛を囁き合う悪魔の恋人。ってかなりこじつけだろうけど、夜の文脈で言えばしょうがないかな。普通の恋人が悪魔の宴に闖入したら食べられちゃうじゃない。ただのバカップル?ということはさておいて、なぜか音楽は、ピタリとそこにはまってる。そして、わたし的にはこの楽章が今日の演奏の中で一番好きでした。チェロに出てくるふくよかな叙情的な部分のコントロールがしっかりされていて、ちょっとだけテンポを落とした表現が上手くはまってたの。

このまま行くかなと思ったら、予想に反して間を開けて始まったフィナーレ。もうこれは超ごった煮。闇鍋ですかーー?ありとあらゆるものが音楽の中に放り込まれては、加速されて放射される回転するエネルギー。大野さんが夜だとおっしゃってた意味分かった。まさにワルプルギスの夜のらんちき騒ぎ。「幻想交響曲」の最後の楽章。面白かったーー。最後、打楽器3人がやおら立ち上がってカウベル打ち鳴らしたとき、牛の大群が襲ってくるかと思ったよ。
大野さんの就任記念公演のテーマはごちゃ混ぜ。シュニトケの曲もそうだけど、全てのものを巻き込んで音楽にする力、意思を感じることができた。そしてそれはベートーヴェンの交響曲の勝利につながる音楽の神に与えられた特別の力。大野さんは巫覡になろうとしているのかもしれない。(サントリーの方は聴いてないけどきっとね)

全体を通して、暗いところからだんだん明るくなるように1本の筋が通っていたのもステキ(前にバレンボイムさんのユニークな演奏を聴いたときにも同じこと感じた)。全ての楽章が一連のつながりを持っていたし、フィナーレも浮き上がらずにちゃんと音楽の中のあるべき場所にあった。音楽としては強引なところもあったけど、それを辣腕でまとめ上げた大野さんも凄い。いいもの聴いた感じ。と同時に好みかと問われたら、わたしはもっと艶っぽいのが好きと答えるけど。

大野さんと都響の新時代、楽しみです。吉と出るか凶と出るか。大野さんでは、ベートーヴェンやブラームス、ちっともロマンティックじゃないシューマンも聴きたいなぁ。ショスティとかヒンデミットとかストラヴィンスキー。これは当たり前すぎて面白くない?
ただ、大野さんの登場が、今期、サントリーと文化会館での18回の定期公演のうちたった3回のみというのは残念、と言うか酷い。1年目のスケジュールの関係でそうなったのかもしれないけど、来シーズンからはもっとちゃんと関係を持って欲しい。せめてシーズンの1/3くらい振らないと。こういうことって日本の音楽業界の人は批判しないのかしらね〜。
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by zerbinetta | 2015-04-08 15:16 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

新しい時代の到来の予感 パーヴォ/N響 マーラー1   

2015年2月7日 @NHKホール

エルガー:チェロ協奏曲
マーラー:交響曲第1番

アリサ・ワイラースタイン(チェロ)
パーヴォ・ヤルヴィ/NHK交響楽団


兄ビーことパーヴォ・ヤルヴィさんが、来シーズンからN響の音楽監督になられるという発表には驚かされたけど、今日は一足早く、その兄ビーがN響に客演。プレお披露目コンサート?期待期待。
でも、実は、わたし、兄ビーとはあまり馬が合わなくて、、ついでに今日のソリストのワイラースタインさんとも馬が合わなくて、、、しかもN響はあまり好きじゃなくて、、、、さらに渋谷は電車を降りたとたんにうんざりで。つらい。。。と、へなへなと出かけてきたんだけど、帰りは渋谷の坂をスキップで下りたい心境。いやぁ楽しかった。面白さ抜群。超充実の音楽会でした。結論を先に言うと、熱く感動した演奏ではありません。感動はしたんだけど、もっと知的な興奮で、例えて言えば、深遠な問題が E=mc^2 のようなシンプルきわまりない数式で解決する美しさに感動したみたいな。それをマーラーの最初の交響曲で聴けるなんて。そしてN響の変貌ぶりに大拍手。

プログラムの前半は、ワイラースタインさんのソロでエルガーのチェロ協奏曲。ワイラースタインさんは最近、人気急上昇の若手チェリスト。とても魅力的な音の持ち主です。わたしもそれはすごく同感なんだけど、どうしても音楽がすれ違っちゃうんです。エルガーもちょっと素直な感じですうっと抜けてる、広々とした感じが、何だかイギリスの冬のどんより感と合わなくて(あっ。イギリスでもお天気の日はうんと気持ちがいいんですよ。たまにしかないから尚更)。わたしの好みは、もっとスモーキーで口に残る渋さのある演奏。それが彼女には足りないというか、彼女の良さは別のところにあるというか。ほんと音はきれいで、最弱音でも大きなNHKホールを響かせちゃう(最弱音のまま痩せずに最上階の席に届く)音のコントロールはすごいと思うもの。
アンコールには、バッハ無伴奏チェロ組曲第3番から「サラバンド」。ハミングするような静かなバッハでした。彼女はバッハをどう弾くのかしら?全曲を通して聴いてみたいです。

後半は、マーラーの交響曲第1番。プログラムには、前島さんがこの曲の成立史を書かれていて、最終的な交響曲第1番には「巨人」というタイトルは付いていないと書かれているのに、曲目には敢えて「巨人」と付いていたのが反目してるようでちょっと可笑しかった。わたし的には、最近たまに演奏されるようになった交響曲の前身の5楽章版の「巨人」と区別する意味で、交響曲は単に第1番と呼んでるけど、まあ細かいことを言わなければどっちでもいい。「巨人」といって元になった小説を読んだことのある人はいないだろうし、まさか「進撃の巨人」や野球のチームを思い浮かべる人もいるまい(ちょっとかっこつけてまい)。抽象的すぎてもはや単なる記号のようなものだろうし、ニックネームがある方が親しみやすく覚えやすいという人もいるだろうからそんなに目くじら立てなくてもって感じ。それに、第3楽章についてた表題、「カロ風の行進曲」は、(カロではなくて)シュヴィントの絵を思い浮かべるととても感じがつかめるし。と、長々と書いてしまった。あっちなみに、わたしは、「巨人」のタイトルの付く前の一番最初のヴァージョンが大好きです♥

兄ビーとN響のマーラー、始まりの静かなラの音から張り詰めた引き込まれるような空気を醸し出していました。ゆっくりとしたテンポで楽器の音色やバランスに細心の注意が払われていて、春の始まりの夜明け前というより、革命前夜の緊張感。お散歩するような旋律が出てきてほっとするのもつかの間、なかなか気持ちが晴れない音楽。リピートで2回目を1回目とは違う表情を付けたり、ほんと細かいところにまで目を配ってるのだけど、決してわたしたちを寛がせない音楽。まるで世界を歪んだ鏡で見ているように、いろんな音がデフォルメされたり隠れているものが見えてきたり、歪んでいるけどひとつひとつは異様にクリア。
兄ビーはわざと焦らして、エネルギーを解放させない。一直線に盛り上がるんじゃないかと思うと引っ込めちゃったり、音楽を止めたり、手練手管で焦らしまくるから、わたしの中に行き場のない快感がどろんと淀んできて、もうこのまま春は来ないんじゃないかと思ったとたん最後の最後に音を解放して終わるという、見事な作戦。わたし的には、第1楽章はもっと素直に春、でいいんじゃないかって思うのだけど。。。

第2楽章は、最初ゆっくり初めてアチェレランド。このやり方は前に聴いたことあるんだけど、今日、兄ビーので謎が解けた。トリオを挟んで2回目はアチェレランド無しだから、このアチェレランドの部分(4小節?)は、序奏なのね。この楽章も、木管楽器が色彩的で(今日の木管楽器、ときにオーボエはブラヴォ)素敵。ホルンのゲシュトップでのベルアップもトップの人、あり得ないベルアップして、視覚的にも楽しいの。1楽章を聴いた後なので、わりと普通かなと思ったら、ホルンの消えていく独り言のような合図の後のトリオは、とてもゆっくりと春の日の中であくびをするように、の〜〜〜んびりとした音楽。兄ビーさんのフレーズの最後をすううっと抜いて音楽を止めて、またやり直すのは一瞬危険だけどはっとさせられる。

第3楽章の始まりのコントラバスはソロで。今日の白眉は、闖入者。動物たちの葬送の歩みに闖入してくる陽気な楽隊。その大太鼓の音色にものすごくこだわりがあって雰囲気に合っていて最高。こんなの初めて聴いた!それにしても、突然の闖入者のコントラスト、これがもう唐突で、でもマーラーが描いた世界ってこういうのよね。以前にオランダの街を夕暮れ時に歩いていて、路地を折れたら急に手回しオルガンが目の前に聞こえてきた驚き。もしくは、下北沢の商店街を歩いていたら突然賑やかなちんどん屋さんと邂逅した、時を遡った郷愁。菩提樹の下、雪のように舞う花びらの中で夢を見ていた。

突然のシンバルの強打、この音色が今日の2番目のびっくり。それにしても、兄ビーの打楽器への音色のこだわりハンパない。何と言う色彩的な打楽器群。今日はほんと、打楽器と木管楽器が素晴らしかった。相変わらずの音楽を止めるかのようなフレージングが炸裂して、巨木が倒れるようなつなぎの部分とか、叙情的な第2主題で効果を発揮。面白いったらありゃしない。もう脳細胞をつつきまくられて知恵熱が出るような興奮。最後は、トロンボーンやトランペットの助けを借りずに、譜面通り立たせたホルンでしっかり盛り上がって(と言ってもわたしの理想は、バンダのホルン10本くらいを客席から演奏させて大盛り上がりなんだけど)フィニッシュ。納得の演奏。ではあるんだけど、熱く感動したかというとそうではなくて、面白くって知的興奮の方がはるかに大きな演奏でした。情より知が勝る演奏。もっとストレイトに青い若さで情に訴える部分があればすごい名演になったんだけどな。兄ビーさんはそんな青臭さを出すにはもう老獪すぎる?この曲大好きなのに、心の底からのめり込んで感動したという演奏にはまだ出会えずにいるのよね。多分、わたしの脳内理想音楽がヘンテコな方にいってるからだと思うのだけど。とは言え、記憶に残る間違いなく素晴らしい演奏でした。客席も熱を持って盛り上がり。

それにしても今日のN響、いつもの上手いけどもやもやを感じさせるN響じゃなくて嬉しいびっくり。来シーズンからの兄ビーとN響の結婚、素晴らしいものになるんじゃないかと予感。N響、変われるんじゃないだろうか。全ては、N響が変化することを躊躇わない一歩を踏み出せるかどうか、お客さんが新しい音楽の地平を受け入れられるかどうかにかかっているのですけど。わたしは、楽しみにします。兄ビー、思いきりやってくれーー。
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by zerbinetta | 2015-02-07 23:11 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

痒いところに手が〜〜 オーケストラ・エレティール第50回定期演奏会   

2014年10月11日 @すみだトリフォニー

ワーグナー:「ニュルンベルクのマイスタージンガー」より
マーラー:交響曲第2番「復活」

田中三佐代(ソプラノ)、大林智子(アルト)
新田ユリ/オーケストラ・エレティール、武蔵野合唱団(合唱指揮、長田雅人)


あれ?アジアオーケストラウィークの名古屋フィルの番じゃなかったの?飛ばしたの?と思われた方、すごい。実は、聴きに行く予定だった名古屋フィル、これを楽しみにしてたのに、涙、具合が悪くて聴きに行けませんでした。というわけで、1回飛ばしで、今日はトリフォニーにアマチュア・オーケストラを聴きに来ました。エレティールってところ。エレだから電気のことかと思ったら違ってフランス語で「彼女と彼」との意味だそうです。じゃあ電気関係ないんだって思ったら、電気通信管弦楽団の卒業生が母体になってるんじゃないですか。電気大あり。電気苦手(子供の頃コンセントに針金を突っ込んで感電した)。

音楽会は、「マイスタージンガー」から。前奏曲とばかり思ってたら合唱の人たちがステージに乗ってびっくり。第1幕への前奏曲とそれに続く第1幕第1場の音楽から、第3幕第5場から徒弟たちの踊りと終曲が演奏されたのでした。前奏曲はそれだけでかっこいい曲だと思うけど、オペラの中に組み込まれるように演奏される方が正しい姿が見えてくるような気がします〜。最後、ジャンって終わらずに聖歌隊の合唱に続く方がいいもの。そしてピーピングするストーカー気味の若者。なんていうか痛い物語。というのはどうでも良くて、今日のプログラムは、手際よく「マイスタージンガー」をまとめて30分弱の交響曲風に。演奏は、軽めで重みがないのがぽくない感じだったけど、オーケストラのせいなのか、重厚さを敢えて嫌ったのか(「マイスタージンガー」はコメディなので)は分かりません。お終いは、回帰される始まりに輪をかけて華々しく終わるともっとスッキリしたかな。

休憩のあとはマーラーの「復活」。この間アマチュア・オーケストラによる素晴らしい演奏を聴いているので今回も期待が高まります。熱を帯びて演奏しちゃう(聴いちゃう)音楽ですものね。
オーケストラはとても良く弾いていたと思うんですよ。合わすところはしっかり合わせてアンサンブルは整っていたし、音楽をきちんと作っていたのは好感度高いもの。でも、なんかこうもどかしいというか、痒いところのあと少しのところで手が届かないというか。指揮者のせいであると思うんですけど、思い切りが少し足りないの。ティンパニなんかも必要最小限の音で叩いてるし、ちゃんと聞こえてはいるんですけど、そこはバランスを無視してもがつんと行くところでしょう、という箇所がいくつかありました(あれ?わたしの好みかな)。
歌手はアルトを歌った大林さんが、息が続かない感じで(実際は大丈夫なんでしょうけど歌い方でそう聞こえた)、溜を作らずに前へ前へとせわしない感じの歌い方だったのが残念です。合唱はよく歌っていたけれども、神秘の合唱の入りが反対に現実の世界に引き戻された感じがしてそこがちょっと残念でした。
全体的に良くまとまっていたけれども、この音楽はまとまりを打ち破る力が求められる音楽だと思うので、そこまで行き切れていなかったのがちょっと残念でした。痒いところにもう少し手届くんだけどなぁ。もうひと伸ばし。

あと、鉄板にかぶせてあった布(共振(反響?)防止)がちょっとお洒落でした。
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by zerbinetta | 2014-10-11 21:40 | アマチュア | Comments(0)