タグ:マーラー ( 99 ) タグの人気記事   

初オン・ステージ エッティンガー/東京フィル   

2014年8月5日 @ミューザ川崎

モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番
マーラー:交響曲第5番

菊池洋子(ピアノ)
ダン・エッティンガー/東京フィルハーモニー交響楽団


サマーミューザ、わたしの最終回(結局3回だけ)は、東京フィル。新国立劇場のピットに入ってるのはよく聴いていたけど、コンサートで聴くのは初めてです。ピットではいつも素晴らしい演奏をしていたので今日も期待大。まずは公開リハーサルから。始まる前に、トライアングルの人が音色を確かめるように練習してたのが好感度大です。トライアングルってわたしでも叩けそうって思うけど、下手くそというか無頓着に叩いてるトライアングルの音って良く聞こえるだけに下手すれば音楽を壊しかねないんですね。
エッティンガーさんは細かく丁寧なリハーサルをするのだけど、コンサートマスターの人も自分のパートや他の弦の人たちに指示しまくり。ふたりでリハーサルを進めている感じ。そうそう、エッティンガーさんのリハーサルは基本、英語だけどティンパニの人にだけはドイツ語で指示をしていました。ドイツに留学された方なのかな。

リハーサルと本番の間にはしばらく時間があったので、お向かいの東芝未来科学館に行ってきました。液体窒素で冷やした超伝導で浮遊する物体がレールに沿って走るのを見たり、でも一番面白かったのは、昔のからくり人形や時計のコーナー。昔の技術って凄い、美しい。ちょうど良い時間つぶしになりました。ミューザ川崎に来たらまた寄りたい。

と、関係ないことを書いてたら音楽会の時間。前半は、モーツァルトのニ短調の協奏曲K466。すごくいい曲ですよね。ピアノは、モーツァルトを得意としている菊池さん。なんだけれども、わたし、前に彼女のモーツァルト協奏曲を聴いたとき、あまり印象が良くなくてどうかなぁとは思っていたの。で、今日はどうだったかというと、凄いとは思わなかったけど、誠実な演奏で楽しめました。モーツァルトはこう弾いたらみんなが納得するみたいな。なのでわたしも何かに引っかかることなく素直に音楽に浸れました。短調の曲も菊池さんに向いてるみたい。ただ、この曲の持つおどろおどろしいといってもいいくらいのドラマや不安は後ろに下がって、さりげなく仄かに暗い、というのが先鋭的なモーツァルトを好むむきからは物足りなく感じるんじゃないかしら、とも思いました。さりげなさの中に底の見えない井戸のような暗さが仄めかされるともっと良くなるような気がします。闇の中でドキリとする感覚が欲しいもの。

後半のマーラーは、よく頑張りました。エッティンガーさんの演奏は、体感的にはずいぶんと長く(退屈という意味ではなくて単純に時間的にです)感じられて、実際1楽章の葬送行進曲なんかはかなりゆっくりしたテンポだったんですが、速い部分もあったので実際には、少し長いくらい?そう、エッティンガーさんは、ゆったりとした部分の歌わせ方(フレーズの収め方)に強いこだわりがあって、それがとってもステキなんです。第1楽章と第2楽章が、そんなエッティンガーさんの音楽が思い切り示されていてとりわけ良かったです。東京フィルもよく頑張っていた(特にトランペット)。指揮者の思いはきちんと伝わってきました。ですが、弦楽器が管楽器に比べて少し弱く、指揮者の音楽を100%表現し切れていなかったのが少し残念です。新国立劇場のピットでの演奏が、いつも良いだけに意外でした。
エッティンガーさんのマーラーは、彼の要求をそのままきちんとした形で出せる、例えばフィルハーモニアみたいなオーケストラで聴いてみたいです。全然関係ないけど、ふと思い出した。今日と全く同じプログラム、セーゲルスタムさんとフィルハーモニアで聴いたんだった。フィルハーモニアって指揮者の音楽がわりとそのまま音に出るのでいいのですね。エッティンガーさんの裡にある音楽を脳内変換無しで思う存分聞いてみたいです。
[PR]

by zerbinetta | 2014-08-05 19:38 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

初めての一般参賀 インバル/都響 マーラー/クック交響曲第10番   

2014年7月21日 @サントリーホール

マーラー/クック:交響曲第10番

エリアフ・インバル/東京都交響楽団


インバルさんが東京都交響楽団と素晴らしいマーラー交響曲サイクルをしていることは、様々な場所で絶賛されていたので知っていました。最近記念年のあったマーラーの音楽は、またか〜と思うくらい聴いてきたからいいやと思ったのと、のんきなわたしはチケット争奪戦に参加もせずに敗れていたので残念ながらそちらは聴けなかったけど、番外編というか完結編の交響曲第10番は安い席(これ大事)があっさり取れてうきうきわくわく。実はマーラー/クックの交響曲第10番、マーラー関連で一番好きとうっかり言いそうになるくらい好きなんです。でも、チケット争奪戦にはならなかったみたいなので、この曲はマーラー・ファンの人たちから敬遠されてるのかな。もったいない。もちろんマーラーの作品とは言わないけど(クックの名前を省くのはクックに対してもマーラーに対しても失礼(もちろんマゼッティ版ならマーラー/マゼッティ))、マーラーが最後に見ていた世界に触れられる素晴らしい作品だと思います。インバルさんもおっしゃっていたとおり、クックのリアライゼイションは、マーラーが残した音符にできるだけ忠実にあまり付け加えることをせずにしているので、オーケストラが薄いと感じることも多いけど、一番マーラーらしいです。他の人の手が入れば入るほど、それがどれほど注意深くマーラーの音楽に迫ろうとしていてもマーラーから離れていってしまうのは面白いですね。

このイヴェントのために、インバルさん自身が音楽を解説する催しが過日あったんですけど、わたしはそれには参加できず、でも、ツイッターとかで要旨が公開されていたので、それを読んだんですけど、インバルさんの考えとわたしの考えがちょっと違っていて、どんな演奏になるんだろうと、期待と不安。わたしも大好きな曲なので思い入れがありすぎるんですね。

サントリーホール、(というかどこのホールでも)お気に入りのオーケストラの後ろ側の席。指揮者を見ながら一緒に音楽をするような気持ちで聴きます。インバルさんをこうして見るのって初めてかしら。って言うかインバルさん自体、初めて??嫌が上でも緊張が高まったときに始まった、ヴィオラのパート・ソロ。インバルさんは、このマーラーが書いたとてつもなく抽象的で、マーラーが書いた最も謎に満ちた旋律を明確な意思を持って、大きくふたつのフレーズのまとまりとして演奏したんです。うええ、こんなやり方初めて聴く。無意味な音列に聞こえてた音が生きているかのように聞こえてくる。もうこの時点でインバルさんの世界に引き込まれてる。
インバルさんの演奏は実に豊か。一応スコアが埋まっている程には音符はあるけど、まだ完成にはほど遠いすかすかな楽譜(クック版ではマーラーが書いた音符のみの全集版に少し音を加えています)なのに、音楽が完成品として迫ってくる。インバルさんはこの版を早くから採り上げて演奏している指揮者のひとりだけど、(できあがったスコアが先にあって完成された音楽としてこの曲を見れるハーディングさんのような若い世代の指揮者のように)彼にとってこの曲は、決定されていない疑問符のつく音楽ではなく、マーラー/クックの確固たる作品として彼の中で育ってきたんだと思わせる揺るぎのない音楽に仕上がってる。力強く滔々と流れるアダージョ。っていうか、でもこの楽章って「アダージョ」って呼ばれてるけど、むしろ悪魔のアンダンテだよね。ほとんど向こうの世界に行ってしまったような。無機質なのに肉厚で音楽に魂のようなものが乗っていて、悪魔に魂を奪われる前の生きた音楽。三途の川の一歩手前で踏みとどまってる。決して死んだ音楽ではなく。

この音楽ってなんだろう。わたしは、全てに別れを告げた第9から続いて、一歩踏み出した音楽だと思っていたの。第9から始めて新しい世界に踏み出す、という。だって、第9番のフィナーレと第10番のはじめの楽章の類似性が第10の「アダージョ」を第9交響曲のポスト・スクリプトのように思わせるんですもの。実際、マーラーの書いた第10番「アダージョ」の演奏には、そんな演奏が多いしね。でも、5楽章の交響曲の第1楽章として組み込まれた場合、同じ音楽が違った意味を持ってくると思うんです。第9交響曲の終わりのアダージョを受けての新しい始まり。そう思っていました。
でも今日の演奏は違ったんです。それはわたしには、より踏み込んだ、第9交響曲と切り離された全く新しい音楽に聞こえました。例えば、第5交響曲で新しい時代を告げたように。もしくは第8のあとに「大地の歌」を書いたように。前の作品との間に深い溝が横たわっています。
ただ、残念な、とても残念なことに、わたしははっきりとそれを言うことができません。なぜなら、第9番の演奏を聴いていないから。インバルさんの第9の演奏が、お別れの音楽ではないかもしれないからです。前の音楽会を聴けなかったことがこんなに悔しかったことありません。マーラーって1曲1曲がもちろん独立した作品であると同時に全ての作品が大河ドラマ的な流れ、関係性を持ってると思うんですね。今回のインバルさんのシリーズのように交響曲を順番に全曲演奏するとき、指揮者がマーラーの音楽の全体像をどう捉えているのか(もちろん個別に扱うのもあり)にとても興味があります。ということを今回痛く思い知りました。マーラーの音楽はたくさん聴いてきたのに、ひとりの指揮者で連続して全部聴くという体験がまだないのが残念です。

第1楽章で聴かれた特徴は、もちろん、その後の楽章でも健在です。オーケストレイションが薄いところも、不足を全く感じさせず、むしろ、室内楽的な響き、1本の孤独な旋律が、それが必然として確定されていたように、調和の取れた静物画のように、というよりシンプルなクレーの天使シリーズの線描のように、最後に作者がついた到達点のように聞こえます。インバルさんの音楽への信頼、そして楽譜を音にする芸術家の信念が、楽譜を超えた演奏を生み出したように思えます。決して大袈裟なこと、見得を切らずに、淡々と楽譜を音にしていく職人技だけで、音楽の内面を掘り下げ、固唾を吞んでひとつの音も聞き漏らしてはいけない特別な音楽を目の前に生み出していきます。これを聴いて、マーラー/クックの音楽はまがい物だと言える人は、とても大切なものを捨てているかもしれない。この音楽会を聴けた人は、なんて幸せなんでしょう。

インバルさんのマーラー/クック交響曲第10番は、希望の音楽。もちろん、単純にハッピーな音楽ではありません。むしろ苦渋に満ちてる。でも、未来を信じることができれば、そしてそれを見つめていれば、どこかにどんな小さくても希望は見つかる。それが慰めとなって心を温める。マーラーは多分、大きな絶望の中にも最後に希望を見ていたのではないかと思わせる。それは、単純にアルマとの関係ではなくて、わたしは、むしろ音楽そのものではないかと思うんですね。シェーンベルクの音楽が理解できなかった、時代の最先端を走っていたのにいつの間にか若い世代に追い越されて、新しい音楽を生み出すことができないと感じた絶望。音楽の未来への不安。そして新しい宗教観。でも、不協和音の積み重ねや調を超えようとする意思、不規則で複雑なリズム、そして多分、最低限の簡素な音、最後まで音楽の先頭で藻掻き続けていた証がここにはある。最後のうねるような弦楽器の叫びは、悲痛だけど、それでも希望が見える。虹が架かって終わる。契約の虹が。

あまりに余計なことを書きすぎました。わたしにとってマーラーの音楽は、感覚的に心地良いというより頭を刺激する音楽です。良い演奏であればあるほどいろんなことを考えてしまいます。マーラー/クックの交響曲第10番を聴くのは3回目です。前に聴いたハーディングさんとロンドン・シンフォニーの演奏も類い稀な名演でした。でも、今回のインバルさんと都響の演奏もそれに勝るとも劣らない演奏だったと思います。わたしにとっては、ずっと心に残る演奏でした。わたしの方もこの曲をもっと良く受け止める準備ができていたのが自然に感じられたのもとても嬉しかった。少しは成長してたんですね。

インバルさんと都響のマーラー・サイクルのまさに集大成だったのでしょう。都響はインバルさんの棒に的確に反応して(多分、インバルさんは今日(2日目)の演奏でも音楽を生きて生み出すように即興的な部分もあったんだと思います)積極的で誠実な音楽作りをしていました。インバルさんと都響は相思相愛のとても良い関係のように見えました。都響ってほんとに良いオーケストラですね。都響を持ってることに東京の人は、ウィーンがウィーン・フィルを持ってるように、ニューヨークがニューヨーク・フィルを持ってるように、誇っていいと思います。
オーケストラの人たちが退出したあとも鳴り止まない拍手。インバルさんのソロ・カーテンコールがあって、初めて見る一般参賀。わたしも音楽に打ちのめされて呆然と拍手を送っていました。しみじみと泣きながら。ありがとう。インバルさんと都響の皆さん。


(PS:2回目の葬送の謎に思いを馳せます。4楽章と5楽章をつなぐ葬送の太鼓。マーラーはここで幽体離脱したかのように葬儀を遠くから眺めている。今までそんな客観的な死はなかったと思うのに。そして、最後は復活でも天国でもない、現実の世界に戻ってきているかのよう)
[PR]

by zerbinetta | 2014-07-21 01:44 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

雄大な噴水 シンフォニア・ズブロッカ第10回演奏会   

2014年5月25日 @サントリーホール

バーンスタイン:「キャンディード」序曲
レスピーギ:「ローマの噴水」
マーラー:交響曲第5番

金山隆夫/シンフォニア・ズブロッカ


2週連続してサントリーホールです。来週もサントリーホールに行くから、にわかにサントリーホールづいてます。どうしちゃったんでしょう。(実は来週も行く)なぜか招待券をもらったので聴きに来ました。

始まりは「キャンディード」序曲。金山さんはUSで修行してるし、スラトキンさんのアシスタントもしていらしたから、アメリカ音楽はきっと得意よね、と思ったんですが、オーケストラにはちょっと難しかったかな。独特の(クラシックではない)リズム感や細かい音符でつないでいくところなんかに多少の不安を感じてしまいました。短い分かりやすい曲だけど、こういうのはきっちりと練習していかないとボロが出ちゃうなって感じです。プロでもそうだもの。

「ローマの噴水」は、初めて聴くんじゃないかしら。うっかり「ローマの泉」と思っていたんだけど、演奏を聴いて「ローマのアルプス(ローマに山なんてないよ)」ってタイトルを付けても良いような雄大な音楽。この曲ってこんなに大きな音楽でしたっけ?派手やかな「祭り」と盛り上がる「松」の中にあって、この曲って緩徐楽章のように穏やかで静かなイメジがあったので、こんなに盛り上がるところもあったんだと、目から鱗でした。演奏もとても良くて、繊細さと雄大さを兼ね備えたステキなものでした。先に結論を書くと、今日の音楽会の中で、この曲の演奏が1番良かったです。

最後はマーラーの大曲(マーラーにしては標準?)、交響曲第5番。始まりのトランペット、こっちも緊張して聴いちゃうのだけど(本人も指揮者も会場も絶対緊張する。っていうかここを緊張感なく始めたらその演奏はダメだろう)、トランペットのソロは、音色にも気をつけてとても上手く吹いてたと思う。始め良し。
金山さんのマーラーは、バスの音を短く切るのが特徴。そしてなるべくインテンポ。そのせいで、引き摺るところがなくほんとに行進曲風になってささっと歩いて行く。葬送行進曲としては粘らない軽い感じがして、パロディのよう。金山さん、このバスの音の切り方は、楽器が変わっても徹底的にやっているので、わたしの好みとは違うけど、これは彼のやりたい音楽なんでしょうね。スラトキンさんからの影響??なんて考えたら、スラトキンさんとナショナル・シンフォニーでマーラーの5番だって嬉々としてチケットを掴んだら、1週間前の日付が印刷されてあって涙目になったことを思い出してしまいました。余計な思い出。
金山さんの演奏で強い個性を感じたのは、この部分だけでした。あとは上手に演奏されているとは思うけど、普通な感じ。やっぱりマーラーって難曲なんですね。アマチュアの演奏でも、今日の演奏のようにきちんと弾けていれば、音楽を楽しむことができるのだけど、それ以上に深いところを表現するというまでにはまだ距離がある。金山さんとズブロッカの人たちは、細かいところでは、例えば楽器の受け渡しのときの音量とか、全体のパワーとか、技量が付いていかないところがあるものの、マーラーを演奏する意欲は感じたし、そこまではちゃんとできていたと思うんです(4楽章のアダージエットはとてもきれいだった)。それは胸を張ってもいい。ただそこから先、マーラーの音楽で何を表現するのかというところには至っていないと不満を言うのは、あまりに過大な期待でしょうか。プロのオーケストラでもそんな演奏を聴くことがあるし。。。

年に1回ずつ、10年間も続けてきたオーケストラはこれからどういう風に成熟していくのでしょうか。名前になったズブロッカの国、ポーランドの作曲家の作品も聴いてみたい気もするのだけど、シマノフスキとかやってくれないかしらね〜。


♪♪
シンフォニア・ズブロッカの次の音楽会は、第11回演奏会が来年の4月26日、すみだトリフォニーホールです。
[PR]

by zerbinetta | 2014-05-25 00:23 | アマチュア | Comments(0)

「復活」ってこういう曲ですよね 水星交響楽団第50回記念定期演奏会   

2014年5月5日 @すみだトリフォニー

シュトラウス:祝典序曲
マーラー:交響曲第2番「復活」

山田英津子(ソプラノ)、小川明子(アルト)
齊藤栄一/ソニー・フィルハーモニック合唱団、水星交響楽団


昨日に引き続き、今日もトリフォニー。大オーケストラに合唱付き。わたし派手好きかも。マーラーの交響曲第2番は、ポジティヴな音楽的メッセージが強いせいか、大編成の割によく演奏される曲。オーケストラの50回目の定期演奏会の記念を祝うのにもふさわしい音楽。水星交響楽団(一橋大学のオーケストラのOB、OGが中心になって作られたオーケストラ)は、30年の歴史の中で、この曲をすでに2回採り上げているのですね(大編成の作品を意欲的に採り上げるオーケストラのようです)。

その前に、シュトラウスの「祝典序曲」。わたし、ずっと勘違いしてたんだけど、紀元2600年のではないのですね。「祝典序曲」がふたつもあるとは知らなかった。この曲はとにかく派手。絢爛。これでもかというくらいにバター・クリーム(生クリームではない)を塗ったこてこてのケーキみたい。それを大人数のオーケストラでべたべたに演るんですからたまったもんじゃありません。最後はステージの後ろのオルガン席に金管楽器まで登場して、まあもうげっぷげっぷ。この曲はそんな曲なのか(多分そう)、演奏が厚塗りなのか(その傾向はあり)、正直わたしはもういいや。

後半のマーラー。これは、50回記念にふさわしい演奏。最初の低弦の速い音符の揃いからびっくりしたけど、ものすごくよく練習してきたというのが手に取るように分かる演奏です。弾き込まれていたし、3回目とあって何回か弾いたことのある人もいるのでしょう、気合いの入り方も違いました。ヴァイオリンなんか後ろの人まできちんと弾いていて、というか後ろの方にも上手い人座っていた?こういうのって絶対演奏していても気持ちいいでしょう。もちろん聴いてるわたしも気持ちよく聴くことができました。ソニー・フィルハーモニックの合唱もとても上手くて、最後の最後まで(オルガンの入るところまで)立たせなかったのは、そこまでしなくてもとは思ったけど、声量も十分で聴き応えがありました。
独唱の小川さんも山田さんも十分以上。山田さんって、あの元祖ヤマカズさんの娘さんなんですね。マーラー指揮者としても一時代を築いた(千人の交響曲の日本初演は彼がしているのですね)お父様の血をどういう風に引いているのかは歌を聴いただけでは分かりませんが、プログラムにはお父様の思い出について興味深いインタヴュウが載っていました。
指揮の齊藤さんの音楽は、基本的にはさくさくと進む系(テンポが速いというわけではありません)。見得を切るときは切るんですけど、最後の方はもう少し粘っこくしてもいいかなとは思いました。あれよあれよといううちに音楽が進んでしまって(しつこいようですけどテンポが速いということではありません)、あっ?あそこはどうだったっけ?もう過ぎちゃった?と思うところが何カ所かありました。ぼんやり聞いているわたしが悪いと言えばそうなんですが。あっそうだ、最後の鐘の音が軽くてちょっと安っぽかったのが玉に瑕かな。ずっしりした音の鐘が良かった。
それにしても、指揮者、オーケストラ、独唱、合唱の粒の揃ってまとまりのある充実した演奏でした。ひとりひとりが懸命に音楽を作っていました。演奏後のステージの人たちの充実した表情をわたしも同じ気持ちで見ていました。「復活」ってこういう音楽ですよね。


♪♪
水星交響楽団の次の音楽会は、創立30周年記念特別演奏会が8月16日、たましんRISURUホールです。曲目は、マーラー:交響曲第9番、伊福部昭:オーケストラとマリンバのための「ラウダ・コンチェルタータ」です。
[PR]

by zerbinetta | 2014-05-05 15:24 | アマチュア | Comments(0)

思い上がりは若者の特権! ユーゲント・フィルハーモニカー第8回定期演奏会   

2014年3月21日 @すみだトリフォニーホール

マーラー:交響曲第9番

三河正典/ユーゲント・フィルハーモニカー


いろいろ考えすぎるのがわたしの悪い癖。マーラーの最後の交響曲を若者のオーケストラがやると聴いて考えてしまいました。この曲って若いときに理解していいのかしらって。でも、前にドゥダメルさんが振った、わたし(たち)の概念を根底からひっくり返すような、明るい伸びやかな演奏を聴いて、背伸びをしないこういう解釈もあるんだなぁと感心したのを思い出したり、マーラーがこの曲を生涯の中で最も充実した状況で書いたこと、マーラーの時代、「死」というのがロマンティックな意味で希望への扉だった、シュトラウスは、死に至る自分の生涯をもって新しい世界に歩みを進めたり、マーラー自身は巨人のヒーローを殺して次に進んだり、20世紀の扉を葬送行進曲で開けたり、だとすればこの交響曲第9番、多分次の第10番も、次の時代に進む音楽かも知れない、と思うんですね。だったら、若い交響曲第9番の演奏があってもいい。そう言えば、ユース・オーケストラの演奏で交響曲第10番(5楽章版)の印象的な演奏も聴いたことあったし。

ということは裏切られました。ユーゲント・フィルハーモニカー自身は若めのオーケストラでした。ただ、年齢制限があるわけではなく、学生、社会人のオーケストラで平均年齢は20代前半くらいでしょうか。でも、音楽は、三河さんのだから、容赦なくいわゆる一般的な解釈。死の香りのする音楽を指向するものだったと思います。

オーケストラは上手いです。個々の技量がというよりアンサンブルがとても上手。きちんと練習を重ねているのが聞き取れる感じでした。それにみんなが積極的に弾いているのがいいです。メンバー表を見ると(大編成の曲ですから)エキストラの人も入っているようですけど、ひとつになって音楽を作っている感はしっかりありました。

第1楽章は、難しい音楽です。多分、曲の完成度が低いので作曲者の考えを補填して音を作っていかないと音楽がつながらないと思うんですけど、今日それを強く感じたので、そういう部分は経験の浅いアマチュアの弱点が出てしまったかなと思いました(しょうがないんですけど)。指揮者も音楽を進める方に力点を置いて、弱音を犠牲にしたり、3連符の音をひとつひとつ振って3連符の持つ割り切れない不安定感を表現できなかったり、そういうところが少しあって気になりました。内声の和音のバランスの悪いところがあったり、マーラーの書いた楽譜を一所懸命忠実に表現しようとするのはいいのだけど、クレッシェンドやデクレッシェンド、アクセントの付け方とかが、荒くなったり表面的に聞こえてしまったとこもあります。やっぱり、この楽章は鬼門なんですね。入り込めないときは、なかなか入り込めない。アバドさんとベルリン・フィルがカーネギー・ホールで演ったときの演奏もそうでした。指揮者が巫者になっていないといけないんですね。それほどの精神性を要求される音楽だと思うんです。
第1楽章は別れの音楽です。もの狂おしいくらい愛しているものとの。自分の生であったり、19世紀の豊穣な音楽だったり。それはマーラー自身の個人的な体験に強く繋がっているし、それを自分のものとして表現するのは、まだ経験の浅い若い人には難しいかなって思うんです。自分の裡にある同じようなもの、例えば最愛だった恋人との別れでもいい、何か基になる気持ちを思い描ければ、そしてそこから生まれたものを共有できれば良かったのかも知れません。想像力の前に楽譜の記号に目が行っちゃった。

音楽が流れる、第2楽章と第3楽章は、すごくいい演奏でした。熱意を持った演奏は、共感が持てるし、指揮者の棒に必死に食らいついていく様子は清々しかったです。みんなしっかり指揮者を見てた。三河さんの音楽は、奇をてらうことのない、オーソドックスな解釈の演奏だったけど、それでも若いアマチュアの演奏家がついていくのは大変。三河さん、かなり鍛えましたね。

第3楽章が終わったあと、華々しくフォルテッシモでジャンって終わる曲なのに、音楽がすぐには終わらないで、儀式のような静寂がホールに降りました。静寂を作りだしたお客さんも素晴らしい。ここで世界が変わった。そのままつなぐかなと思ったら、そのあと少し間をとって始まった最終楽章。弓を端から端まで使って質感のある分厚い弦楽合奏にびっくりしました。力のこもった音楽。アダージョの主部が始まったところで、指揮者の三河さんが、左手で天上を指さすようにして、音を上に放つ、昇天させることを示したの。三河さんが巫者になった瞬間です。オーケストラ全員がひとつになって音楽を奏でてる。根拠のない自信は若者の特権。自分の力に思い上がった若者たちが奇跡を起こす。今日の演奏の全てがここに昇華した感じです。大河のようにゆっくり流れる音楽。最後、消え入っていくところで、三河さんがもう一度天を指して、死者の魂を伴って天に消えていく煙のように音楽が閉じる。こんな難しい弱音は、アマチュアでは無理って思っていたけど、きちんと演奏されて舌を巻きました。
でも、(えっ?!でも?)、泣かなかった。オーケストラのみんなにも泣けーーって念を送ったのだけど、誰も泣きませんでした。みんな、やりきったスポーツ選手のような充実した面持ち。これこそが、若さの特権かも知れませんね。
普通は、この曲のあとアンコールなんてしないのだけど、(アンコールは用意されていませんでしたが)、3楽章の最後の部分をもう1度弾いて、この演奏は開放感に溢れていて荒かった、オマケ。アンコールが違和感なく音楽会の最後にはまったことも今日の演奏を象徴しているのでしょう。やっぱり、死にいく音楽ではなくて、充実して未来へ繋がる音楽。ほんとに良い演奏でした。最終楽章は、わたしが聴いたこの曲の演奏のうちで最も印象に残るひとつになるでしょう。

(蛇足:最後、携帯電話の呪いがあるかもとドキドキしていましたが、近所のおじさんのいびきが聞こえただけで大事には至りませんでしたw)
[PR]

by zerbinetta | 2014-03-21 23:46 | アマチュア | Comments(2)

マーラーの青春は熱くなきゃ 葛飾フィルハーモニー第46回定期演奏会   

2013年12月1日 @かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホール

モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番 K466
マーラー:交響曲第1番

菱沼恵美子(ピアノ)
田中祐子/葛飾フィルハーモニー管弦楽団


恥ずかしながら罪を最初に告白させて下さい。実は今日の音楽会、全く期待していませんでした。地域つながりのアマチュア・オーケストラは、仲間で音楽を演奏することが主眼で(でもそれはそれでとってもステキなことだと思うんですよ)、つながりのないところにわざわざ聴きに行くことないと思っていたんです。今日、聴きに来たのは、指揮者の人に興味があったから。三ツ橋敬子さんに続いて、2009年のブザンソン国際指揮者コンクールで入賞した女性(ちなみにその年の優勝者は山田和樹さん。田中さんは山田さんとタメです)(過去には松尾葉子さんが同コンクールで優勝しています)。気になりました。
オーケストラは、年齢層高め。わたしもう、ヘンケンのかたまりで、アマチュアで年齢が高いとお仕事とか忙しくなって若いときと同じように練習時間が取りづらくなって、レヴェルを維持するのは難しいな〜、このオーケストラは大丈夫かなぁ〜って思ってしまったんです。

でも、モーツァルトの協奏曲が始まったとたん、ヘンケンは払拭されました。わたしが馬鹿でした。
まずオーケストラはわたしが思っていたレヴェルを超えて上手かったです。特に弦楽器がいい音を出していました。モーツァルトってシンプルすぎて誤魔化しがきかないというか、譜面通りに弾いても音楽にならないと思うんですね。それは、マーラーとかショスタコーヴィチとか難しいけど、譜面通りに弾けば一応なんとかなるという音楽ではないと思うんです。でも、葛飾フィルは(わたしの好みではないけれども)ちゃんとモーツァルトの音楽を弾いていました!
わたしの好きなモーツァルトは、市民権を得て学術的世界から芸術を表現するようになった古楽の演奏か、現代オーケストラでやるなら豊かで柔らかな響きででもその中に悲しみの芯があるような(今日のような短調の音楽は特に)演奏なんです。後者では、ピレシュさんがハイティンクさんとロンドン・シンフォニーのバックで弾いた演奏が心の中に残っています。葛飾フィルの演奏は、そこまで豊かな響きがなかったです。思うんだけど、特に弦楽器のヴィブラートが弱点のアマチュア・オーケストラは(一般論です)、古典作品の場合、古楽器的なアプローチをする方が、彼らの持っている音色に合ってるんじゃないでしょうか。そういうやり方をする指揮者がいてもいいと思うんです。
田中さんと葛飾フィルの伴奏はとても誠実で真面目でした。それがちょっと裏目に出ちゃったのは、第2楽章の伴奏の刻みが、しっかり縦ノリのリズムを踏む音になってしまって、そこは少し曖昧にしないと音楽の雰囲気を壊しちゃうよってとこです。でも、そういう音楽の話ができるところがうれしい。だって、(譜面ではなく)音楽を演奏してるんだもん。
ピアノの菱沼さんの音は、わたしのモーツァルトには重すぎました。モーツァルトと言うよりロマン派の音楽を聴いている感じ。重いと言っても、心の闇に沈み込むような深さがあればいいのだけど、べったりとした平面的な音になっていたように思えます。和音が濁って聞こえてきたところがあるのもマイナス点。あと左手の音がちょっと雑に感じられるところがいくつかあったように聞こえました。
それでも、このモーツァルト、好感が持てて涙が出そうでした。

葛飾フィルハーモニーって、葛飾区のアマチュア・オーケストラだけど、区からの支援を受けていて、練習場所、音楽会の会場がしっかりと確保されている恵まれた団体なんですね。トレーナーも10人くらいいて、それも他のアマチュア・オーケストラよりも恵まれてる様子。だからこそ、安心して音楽に打ち込めるし、区がそのような文化事業を支援するのって良いことだと思う。地域とホールとオーケストラの結びつき。プロのオーケストラにも欲しいところです(これについてはあるよとの反論を受けそうですが、いつか思うところを書いてみたいです)。

休憩のあとは、マーラーの交響曲第1番。この曲、中学時代にたくさん聴いて、わたしの青春とマーラーの青春が重なってめちゃ思い入れのある曲なんだけど、なかなか良い演奏に出逢えていないんです。どうも最近の指揮者って老いも若きもかっこつけちゃってと言うか、なんか、きちんとスマートな演奏が多い気がするの。はちゃめちゃな感じがもっと欲しいなって、ライヴは。
音楽は、シーンとした緊迫感から始まりました。弦楽器のこの雰囲気、ドキリとしてとてもいい。全体を通して、木管楽器と弦楽器のバランスが悪いところがいくつか聴かれたけど、そんな玉の疵以上に凍ったような朝の雰囲気がステキ。ゆっくり目のテンポで入るファンファーレ(トランペットは舞台袖で吹いてました)やホルンの牧歌がのどかなお日さまを呼び覚まして、水緩む春。丁寧な雰囲気作りに好感度大。たっぷりとアゴーギグを付けて旋律を歌わせながら音楽を進めていくの。日が陰るような冷たさの再来も三寒四温の季節の営みの前ではなすすべもなく、最後は春が完全に支配するんだけど、ここはちょっとおとなしかったかな。
第2楽章が一番ユニークで面白かったんだけど、最初のチェロとコントラバスの前奏、かなりゆっくり目のテンポで元気のいい長い音符をテヌート気味に音を伸ばして弾かせて、ああ、ここはマーラーはティンパニを削って正解だったな、っていうことをはまるように実感できて目から鱗(音が急速に減衰するティンパニが入っていればこんな表現はできないから)。旋律の始まりに向かって加速するんだけど、思い切った加速でなく、終始遅めのテンポ。でもそれが素朴でのどかな田舎の気分満載で良かったん。トリオも随分遅いテンポで、春のぽかぽかの中お昼寝しそう。
第3楽章は、ここに来てわりと普通。最初のコントラバスのソロは、半分の4人のパート・ソロ。新しい版に準拠ね。でも、これをアマチュアで揃えるのは至難の業。パート全員の音がひとつになって音楽を奏でれれば奇跡的な音になるんだけどね。オーケストラの力を考えるとここはひとりのソロでも良かったかも。中間部の切なげなオーボエは、オーボエくん、ここにかけていたなって思わせるようなステキなソロ。
第4楽章は、わたし的にはもっと大嵐のように荒れて欲しかったけど、でも必死に棒に食らいついていくさまは、つい手に力を入れて応援したくなっちゃう。そして、叙情的な旋律が歌われるところが、今日のクライマックス。白眉。田中さんは、ここを大きく歌わせて盛り上げていたし、彼女の持ち味の歌がとっても生きていました。田中さんポルタメントをとても効果的にかけるんですね(ここだけではなく曲全体で)。反面、あとでこの旋律が切れ切れに再現されるところは、あっさり目のインテンポ気味で、わたしのこの曲のピンポイント・ラヴのオーボエのソロがちょっとつっけんどんで先を急ぐようで、ここだけはもっとたっぷりと歌わせて欲しかったです。このあたり、粘って盛り上げてもいいんじゃないかな。ここから一気に最後まで(ヴィオラがぴたりと入ってきてしてやったり)、勢いを付けたテンポ感で押していくのが、小細工なしのストレイトな感じで、テンポをいじくって推進力を失う過ちが避けられて良かったです。ふたりのティンパニの交互のトレモロの推進力も素晴らしかった。ホルンが全てを圧倒して立つところは、ほんとに全てを凌駕する音量が欲しかったけど(トランペットが1本加わってました)、そこまで求めるのはさすがに酷かな。プロのオーケストラでも(音楽的なバランスを考えてというのもあるでしょうが)聴けないことなので。

それにしても、田中さんのこの曲に対する思い入れ、自信の凄さ。上体を大きく使った指揮でオーケストラをぐいぐいコントロールする手腕は並外れたもの。左手の使い方がもう少し上手くなればとは思ったけど、素晴らしい才能の指揮者を発見できて嬉しい。そしてそれに応えるオーケストラも。最後、指揮者とオーケストラの充実した表情はわたしにもずんと心に来た。もしかしてわたしも同じような表情をしてたかも知れないね。熱い、思いを込めまくった素晴らしいマーラー。
そして、アンコールに「花の章」。音楽会が始まる前、ステージ裏でトランペットの人が、「花の章」のソロを吹いて練習してたのはこのことだったのね(5楽章版やるのかなと思ってプログラム確認しちゃったよ)。未完成の音楽なので、演奏で補わなきゃいけないことがたくさんあって難しいと思うんだけど、そこはまあそこそこ、だったけど、この音楽会のまとめ方は本当に粋でした。一本とられた感じ。

さて、このオーケストラ、次回の音楽会は、今日の田中さんと去年の東京国際コンクールで1位、2位なしの入選を分かち合った石﨑真弥奈さんが振るんですね。これも今から楽しみ。
[PR]

by zerbinetta | 2013-12-01 02:27 | アマチュア | Comments(0)

蛹のからを打ち破れ! ハーディング/新日フィル マーラー交響曲第7番   

2013年11月9日 @すみだトリフォニーオール

マーラー:交響曲第7番

ダニエル・ハーディング/新日本フィルハーモニー管弦楽団


ツイッターで昨日のハーディングさんと新日フィルのマーラー交響曲第7番の演奏が盛り上がっていたので、いても立ってもいられなくなって、チケット衝動買い。聴きに行ってきました。なんか、マーラー7祭りなんですね。同時にインバルさんと都響が同じ曲をやってるなんて。こんなにマイナーな曲なのに。ロンドンでやったら、ハーディングさんとロンドン・シンフォニーでもがらがらでしょう(6番をやったときがそうでした)。

ハーディングさんは、今まで聴いた感じだと、わたし的にはマーラーよりもブルックナーの人です。だからチケット取ってなかったんだけど(しかも高いし)、クック版の第10番はうんと良かったので10番寄りの7番はもしかして気が合うのかも知れないと思ったのも聴きに行く気になった理由です。ハーディングさんはロンドン・シンフォニーの首席客演指揮者だけど、今はロンドンで振るより日本で聴くチャンスの方が大きいんですね。

それにしても東京ってクラシック音楽の受容(需要の方がいい?)が凄いんですね。マーラーの7番でホールがいっぱいになってしまうなんて。こんなの世界中で東京だけじゃないですか。

ハーディングさんと新日フィルのマーラーの交響曲第7番は、確信を持って突き進んでいく演奏。始まりの序奏の部分から速めのテンポではっきりとしたアクセントで進んでいく。実は正直に言うと、第1楽章の途中まで、期待していたのと違ってちょっとがっかりしてたの。意外にオーケストラがダメで、弦楽器、特にヴァイオリンにパワーがないし、缶詰の金属味のような音がして、音色の美しさに欠けているなって思ったの。それに金管楽器が荒いし、ちょっと溜めるべきところをつるりとブドウが口から落ちてしまったように滑っちゃうところがあって、どこまでがハーディングさんの音楽なのかって分からないところがあって、もっと上手なオーケストラで思う存分振ったらハーディングさんの音楽は変わってくるのかなって考えてしまいました。オーケストラは誠実に音楽を演奏していましたよ。もちろん。ただ物足りないんです。もう少し自発的な積極性があればって思いましたもの。でも、聴いていくうちにハーディングさんの手の内が見えてきて2楽章は断然面白く聴けるようになってきました。

もう一度第1楽章に戻ってみると、序奏からそのままの勢いで主部に飛び込んでいく感じや、速めに突き進む第1主題に音楽の勢いを感じました。テンポを落としたのは第2主題の盛り上がるところで、でも、あまりロマンティックではない、むしろ、20世紀の感情よりも理論を優先させたような無機質の音楽を感じました。ハーディングさんはこの音楽を20世紀への序奏だとしっかり捉えているようです。わたしはこの曲はとても色彩豊かで艶やかだと思うんですけど、ハーディングさんはモノトーンで(オーケストラがそうだったからかな?)、ざくざくと切り分けるようなザッハリヒな感じがして、例えば、ベルクの3つの断片に近い感じに聞こえてきました。そしてときどき、アンサンブルが乱れそうになってドキリとするんですけど、多分、これわざとやってる。予定調和的ではない、何が起こるか分からない、綱渡りのような音楽をやろうとしている。
第2楽章は、不思議なアクセントを鋭く強調したりして抽象的な雰囲気を作りながら、第1楽章の勢いのままに行進曲を進めていく。夏の夜の涼やかな風も吹かず、全体的な雰囲気は奇妙で暗い兵士の行進。チェロの歌にほっとするときもあるのだけど全体的には、緊張をはらんだ展開。ハーディングさんはオーケストラにもっと壊れる寸前の音楽を要求しているように思えた。優等生にならないでここがもっと自在に突っ張った音楽をすることを。そう思えてくると俄然、音楽が面白く聞こえてくる。
20世紀初頭のマーラーたちの音楽って、19世紀のしがらみから解放され、調やリズムや音色が個々自立独立し始める胎動を持っていると思うんです。もちろん21世紀の今は、100年前とは違うけれど、ハーディングさんは、お行儀の良いオーケストラから、もっと個の粒立ちのはっきりした音楽を生み出そうと、マーラーの時代とパラレルなことをやろうとしていると確信しました。ハーディングさん本気(マジ)。このオーケストラを変えようとしてる。
第3楽章は、もっとキュリアスな表現が欲しかったけど、これはまだ無い物ねだりかなぁ。でも、オーケストラのハーディングさんの棒に付いていこうとする誠実さや意気込みは感じられたもの。全曲を通してそうだったけど、ティンパニが輪郭のはっきりした音で叩いていて良かったです。ハーディングさんはこの楽章をシンメカルな構成の曲の中心に据えてはいない感じ。次の第4楽章のセレナーデも、なんと!第1楽章から続く同じ空気感で作っていくのでびっくり。一気呵成の直線的な演奏。これは、音色の処理とかだいぶ違うけど、CDで聴いたアバドさんとベルリン・フィルの演奏に近いのかな。ギターとマンドリンの人はこの楽章が始まるときに出てきたんだけど(そうするのは珍しい)、マイクなしでわたしの聴いてた3階席まで音が届いてた。ホールが弱音まできっちり伝えるのね。
第5楽章も賑やかだけど、底抜けに明るくなることなく、やっぱり第1楽章から続く雰囲気で、ひとつの曲の中に閉じ込める。これが、ハーディングさんの解釈なのか、ほんとはもっと多彩な音色で各楽章の色を別々に際立たせたかったのか分からないけど(オーケストラは音色を弾き分けるところまでは成熟してませんでした)、でも、全曲の統一感は大事にしていたんだと思う。そしてそれをぶれずにもの凄く確信を持って成し遂げたので納得のいく演奏。
それと矛盾するようだけど、同時に、個々の表現は崩壊寸前までばらばらの方向に向かわせたかったんだと思う。キュビズムの絵のようにひとつの対象をいろんな方向から見つめてそれを同時にキャンバスに描いちゃうみたいな。描かれた絵は異形のデフォルメされたものだけど、筆のタッチがひとつなのできちんとひとりの人物像に見える感じ。

マーラーが新しい音楽を生み出そうと藻掻いたように、ハーディングさんもマーラーから、そして新日フィルの殻を破ろうと藻掻いてる。マーラーのはちゃめちゃな音楽はお行儀よく演ってもちっとも面白くないというか、音楽の本質を表現できないと思うんです。残念ながらそこが日本のオーケストラの弱いところ。演奏者自身からリスクを犯して大胆に仕掛けてこないし、出る杭になって打たれないようにみんなに合わせちゃう。ハーディングさんはそれではダメ、出る杭になって殻を破らないとと、オーケストラを叱咤激励して変えようとしている。ミュージック・パートナーがどんな職責を持っているのか知らないけど、ハーディングさんには、単にいくつかの音楽会を振りに来るのではなくて、オーケストラとの関わりを深く持ってオーケストラを育てていく意気込みが感じられてとても嬉しかった。ちっちゃな巨人ハーディングさん(若手指揮者の中ではネゼ=セガンさんとともにちびっ子です)。惚れ直してしまったじゃない。

もうひとつ、書いておきたいのは、プログラムの曲目解説が、特に前段の部分が、良かったです。プログラムの曲目解説って、ありきたりの作曲経緯や音楽の構成とかそういうものからそろそろ解放されてもいいと最近よく思っているんですね。どこの曲目解説にも同じようなものが書かれちゃうし、なんならウィキペディア見れば書いてあるし、もっと読ませる文章がいいと思うんです。主観的でいいから、今日なぜこの曲をとか、聴き所、聴き方の例とか、思い入れタップリの文章の方が面白いでしょ。それじゃ初心者に優しくないと言われるかも知れないけど、百科事典的に作曲の経緯とか知ってても音楽が親しくなるようには思えないしね。

こんな、何かが生まれつつある音楽会を聴くのはいいなぁ。来春のブラームスも聴きに来ちゃおうかしら。
[PR]

by zerbinetta | 2013-11-09 01:18 | 日本のオーケストラ | Comments(2)

マーラー 2部からなる交響詩 1889@ブダペスト   

マーラーをちょっぴりかじったクラヲタさんなら、交響曲第1番に「巨人」というニックネームが付いてること「いや、それは間違い。交響詩から交響曲にしたときに「巨人」というタイトルは省いた(事実ではない模様)」と言って文句を言ったり、うんちくを披露したりするかもしれませんね。そう、現在、普通に演奏されている交響曲第1番は、4楽章でタイトルはありません(ただ、「巨人」のタイトルは広く受け入れられてるし、ちなみに国際マーラー協会のウェブ・サイトにも交響曲第1番(ニ長調)「巨人」とあります)。これは、1896年ベルリンで初演されて、そのあともマーラーがオーケストレイションに手を入れた版(最初の出版は1899年)ということになります。
そこに「花の章」という小さな独立した楽譜があるのでこんがらがっちゃうんです。「花の章」は、2部5楽章形式の最初の交響詩(1889年、ブダペスト)とその改訂版の「巨人」、交響曲形式による音詩(1893年、ハンブルク)の第2楽章で、後に4楽章形式の交響曲になるときに取り去られました。各段階でオーケストレイションはだいぶ変わってるので、だから、最終的な4楽章の交響曲に、うっちゃっておかれた「花の章」を挿入して演奏するのは、古くなったキッチンをリフォームしてオール電化にしたのに捨てておいたガスコンロを電磁調理器の上に置いちゃうくらいの違和感なのね。「花の章」の楽譜が見つかって出版された頃は、そういう録音もあったけど(そういえばつい最近のユロフスキさんとロンドン・フィルのも。あのときのがっかり感ときたら)、今はちゃんとハンブルク稿の「巨人」のCDが出てる(細かいことを言えば、この版でマーラーは2回演奏しているので厳密にハンブルクで演奏した楽譜に基づいているのか2回目のワイマールでの演奏(このときのタイトルは交響曲「巨人」)に際して行われたと思われる改訂も入ってるのか、マニアックなことを言い出したら切りがないんだけど)。そうそう、交響曲第1番の解説によく書かれている、各楽章の表題、例えば「座礁、カロ風の葬送行進曲」とかは、この版で採られたもので、前身の交響詩にも、あとの交響曲にもないものなんですね。

で、その前の交響曲第1番の完全オリジナル稿である1889年(明治22年だって)のブダペスト稿は楽譜が見つからず、ハンブルク稿の下書きにちろっと残ってるペイジを見て想像するしかなかったんです。この前までは。でも最近楽譜が見つかったんですよ。カナダのアルノルト・ロゼ・コレクションで(ロゼはマーラーの甥)。90年代に見つかったそれは、但し、第1楽章と第3楽章(スケルツォ)とフィナーレ。第2楽章(のちの「花の章」)と第4楽章(葬送行進曲)はなかったんですね。でも、発見された草稿を元に演奏可能な楽譜を起こして、既存の(ハンブルク稿)の「花の章」と第4楽章を組み合わせて、ブダペストで演奏されたのと可能な限り近い形で演奏されたのでした。
この版の制作に関わったのは、NEC(ニュウ・イングランド・コンセルヴァトワール)の音楽学者カタリナ・マルコヴィックさん、NECの作曲科の学生クリスト・コンダッキさんと指揮者のヒュー・ウルフさん。2011年の夏のことです。そしてその年の9月に、ウルフさんの指揮、NECフィルハーモニアの演奏でアメリカ初演、放送初演が行われたんです。アメリカ初演ということで、その前にどこかで世界初演が行われているはずなんですが、いろいろ調べてみたけどそれがいつどこなのかは分かりませんでした。
マーラーの記念年に行われたこの初演。なぜかそんなに話題にならなくて。。。そう言えば、80年代に日本で行われた、「大地の歌」のピアノ版の初演もあまり話題にならなかったような。ともあれ、なんでこんなに興味のあるイヴェントが秘やかに行われちゃったのか、もったいなすぎ。マーラー好きを自任する人は、特にうんちく好きの人は、ぜひぜひ聴かれるといいと思うんですよ。幸い、ネットの中に音源が残ってるんですもの。特に第5楽章(フィナーレ)は、今まで聴いたことのない音楽でびっくりですよ。最初の主部に入る前のトランペットによる主題の断片提示に被さるホルンのロングトーンのかっこいいこと♡それにびっくりするような始まりの再帰。トランペットの偏愛ぶり。あああ、もう止しましょう。ぜひ、ご自分の耳で驚いて下さいね。

演奏はもちろん、ウルフさん指揮のNECフィルハーモニア。オーケストラは学生オケだと思うんだけど、とてもいい演奏なんですよ。これ、商用CDにはならないのかしらねぇ。もったいない。
ではどうぞ。

この版に関するウルフさんのインタヴュウ(英語)
2011年9月26日の音楽会(ドンファンと2部からなる交響詩)の音源
同じ音楽会の映像(マーラーのみ)、前半後半
[PR]

by zerbinetta | 2013-10-26 23:39 | 随想 | Comments(0)

アマチュアのマーラーの最高峰のひとつ(?) TAMA21交響楽団創立20周年記念公演   

2013年10月14日 @府中の森芸術劇場・どりーむホール

マーラー:交響曲第3番

菅原章代(メゾソプラノ)
和の会女声合唱団、ゆりがおか児童合唱団
現田茂夫/TAMA21交響楽団


参りました。すごく良かった。アマチュア・オーケストラのなし得る最高のマーラーの演奏のひとつじゃないかしら。

わたしは2ちゃんねらーじゃないのだけど、検索でときどき引っかかったときに2ちゃんねるのスレッドは読むことがあります。そこにTAMA21交響楽団のことが書いてあって、好悪取り揃えていろんな意見が、まああまり内容ないんだけど、2ちゃんねるの常で、悪口が多いかな。そこからのわたしのイメジは、腕利きのアマチュアを釣り上げて集めて短い練習時間で音楽会をするプライドの高いオーケストラ。音楽大学出の若い人が多いんだろうなって勝手に想像してみました。
でも、百聞は一見にしかず。
全然違うじゃない。
まずメンバーが若くない。といったら語弊があるのだけど、40代50代の人もたくさんいそうだし、若い人ばかりのオーケストラではなく、いろんな世代にまたがってる。このオーケストラ、前身は多摩が東京に編入されて100年の記念のために1回限りの特別オーケストラとして作られたんだけど、それがずっと続いて20年。今日は20周年の記念公演。オーケストラの成人式ですね。長く続けてこられたことは、アンサンブルにもしっかり表れて、非常に成熟したアンサンブル。これは一朝一夕ではできないよ。2ちゃんねるから膨らんでいたわたしの想像はすっかり覆ってしまったのでした。

どのパートも穴なく良かったんだけど、特に特に素晴らしかったのが、第1楽章のトロンボーンのソロ!それに第3楽章のステージ裏でのポスト・ホルン(多分コルネットで代用?トランペットの人が吹いていました)。アマチュア・レヴェルを遥かに超える上手さ。1楽章のチェロとコントラバスの速い音符もきっちり揃っていてびっくりした。

現田さんのマーラーは、緩急を付けたりするものの、流れを重視した演奏。アマチュアのオーケストラからこれだけの音楽を引き出す手腕はなかなか。無理をさせることなく安定感のある音楽作り。正直、この長い曲、途中で飽きちゃうかなって心配してたけど(長いなぁって思った演奏あります)、最後まで集中して聴けて嬉しい。
第1楽章はそれぞれの場面ごとにほぼインテンポで、盛り上がる1歩手前でときどきさらりとテンポを落とすのだけど、大仰になりすぎないところが、気持ちの流れを先へ先へと進めていくのが、若々しくて気持ちよいのです。峻険な山を目に浮かべることはできなかったけど、とても気持ちのいいピクニック。ザルツカンマーグートでマーラーが見ていた山って、インスブルックやスイスのアルプスのような烈しく険しい山じゃなくて、丸みを帯びた柔らかい山だよね。
第2楽章の雰囲気もそんな、牧歌的な自然の感じ。府中までとことこやってきたわたしの気分にぴったり。第3楽章も、暗い森のちょっと妖しいものが潜む感じじゃなくて、開けて明るい。おにぎり持って(おかずはウィンナと卵焼き!)、遠足にきた感じの音楽。とっても軽やか。そう言えば、むか〜し野原に寝っ転がってウォークマンでこの曲を聴いたことが思い出されました。さすがに金管楽器は、ちょっとお疲れ気味でした。
第4楽章は、ちょっとつるりと行き過ぎたかなぁ。さすがにこの薄いテクスチュアの音楽を上手いとは言えアマチュアで聴かせるのは難しいかなぁ。でも、全体の音楽の中にはちゃんとまるくはまっていましたよ。
第5楽章の合唱は女声も子供も良かったです。子供の声が、プロ(セミプロ?)の少年合唱団の声のようにこなれてなくて、子供らしいナイーヴな声だったのがかえってステキでした。合唱と歌のソロは、第4楽章が始まる前に入れたんですけど、これは、第1楽章のあとに入れて欲しかったです。マーラーは第1楽章のあとに長い休みを置くことを念頭に置いていたし、第2楽章から最後まではある意味ひとつながりの音楽だから。第1楽章のあとなら拍手が入ってもいいと思うんですよ。それから、合唱を座らせるのは第6楽章が始まって盛り上がったところで、が良かったな。解釈の違いかも知れないけど、第5楽章の終わりと第6楽章の始まりはひとつながりだと思うから。
大好きな第6楽章は、わたし的にはもっと感情の引っかかりが欲しかったです。速めのテンポで、すらりと。たいていの演奏でがくんとテンポを落とすチェロの旋律が出てくるところもそのままインテンポで、そのかわり(?)音楽が盛り上がる手前の区切りでテンポを落として、溜めをとるんだけど、もう少しうねうねと音楽を歌わせる方がわたしの好みかな。わたしにとって泣く音楽なんだけど、今日は最後まで清々しい思いで聴いていました。それにしても、金管楽器も息を吹き返して、最後まで途切れることなく吹ききった、奏しきったのはお見事。最後のダブル・ティンパニがずれていたのはお愛嬌。とてつもなく充実した良い演奏でした。

多摩はちょっと遠いけど、また聴きに来たいな。次は30周年に向かって、ますます充実した音楽ができますように。良いオーケストラへのさらなる成長を期待してます。
[PR]

by zerbinetta | 2013-10-14 23:52 | アマチュア | Comments(0)

おお!意外と顔覚えてるぅ アウローラ管弦楽団「大地の歌」特別演奏会   

2013年9月22日 @ミューザ川崎

タネーエフ:歌劇「オレスティア」序曲
マーラー:大地の歌

小林由佳(メゾソプラノ)、志摩大喜(テナー)
長田雅人/アウローラ管弦楽団


ロシア専門オーケストラのなぜかマーラー。宗旨変えしたの?って訝しんだら、プログラムによると、団員さんが何人か不惑の年を迎えるので記念音楽会をやろうというノリで、定期公演でない特別演奏会だからロシア以外でもあり、ということだったらしい。まぁ、本人さんたちがいいのならいいんだけど、女神様がコンサートマスターではないのは(前回のビルによると女神様を中心に集まってるオーケストラとのことだったので)、忸怩たる思いでいる人もいるのかなぁと勝手ドラマを妄想したりして。でも、何となく見覚えのある人が第2ヴァイオリンの2列目に座っていて、今日の女神様は下々に降りてきたのね、なぁんて思ったというか、自分でも顔を覚えているのにびっくり。親の顔ですら間違ってしまうわたしですから。
まあでも、「大地の歌」の解説にタコの交響曲第14番との関連が書いてあったりして、ロシア・オケの意地がぽろりと。ただね〜〜、「少ない練習回数、なかなか参加者が集まらなかった」等を理由にして聴き苦しい点を言い訳するのは、このオーケストラのことが聴く前から嫌いになるほど、言ってはいけない魔法の呪文。バルス。
公にステージで演奏する以上、プロもアマチュアもなく、ほんとはもっとできたんだ、なんて言い訳することもなく、音楽をしなきゃいけない。それが、音楽に対する最善の奉仕でしょう。それができないのなら演奏なんて止めちゃえ。

かなりがっかり来た。好きだったのに。
そんな気持ちで聴き始めた、タネーエフの曲。タネーエフの名前も初めて聞きました。作曲家として有名、というより先生として、スクリャービンやラフマニノフ、プロコフィエフなどを育てた人なんですね。凄い。自身はチャイコフスキーに作曲を習って、彼のピアノ協奏曲のロシア初演でピアノを弾いているんですね。作風は、だから、ロシア的というより、チャイコフスキーのように西欧的な感じ、と思いました。ただ、ちょっと演奏が、この曲の良さを引き出すところまではいっていませんでした。それほど、凄い曲ではないので、そんな中から良さを見つけて引き出すのは難しいことだけど、前にこのオーケストラを聴いたときに印象的だった「好きこそ」の覇気があまり感じられませんでした。ぼんやりした感じ。初めて聴く曲だけど、プログラムの解説がとても分かりやすいガイドになっていて、嵐の果てに最後、突如美しい旋律が現れる、平安のうちに曲を閉じるんですけど、ティンパニのばちを前半と後半で変えれば良かったのにって思いました。嵐が晴れたのに、ドンヨリとした音色のままだったので。

「大地の歌」って難しいですよね。どうなることかと思いました。というか、歌が。。。テナーはオーケストラに完全に消されてしまってました。オーケストレイションの薄いところでも、なのでちょっと致命的。正面で聴いていたので場所が悪かったということではありません。もちょっとがんばって欲しかった。メゾソプラノは、この曲には声が軽くて明るいなと思いましたが、健闘。こちらは楽しめました。
オーケストラは、第1楽章はちょっとと思った箇所もあったけど、プログラムに言い訳書いてた割には健闘。皆さん、結構マーラーの音楽の弾き方を分かってらっしゃる。背景の作り方とか和音のバランスとか、分かってないととんでもないものになるもの。管楽器は、かなり健闘していて、フルートのソロやバスクラリネット、セカンド・ホルンの人が上手かったです。あとチェロのトップ。ただ、弦楽器の音程の悪さはもうちょっとなんとかして欲しかった。ファジーな音程やばらばらなリズムがデフォルトで出せるアマチュア・オーケストラのために誰か、現代作曲家が曲書いてくれればいいのに、なんて失礼なことを考えながら聴いていました。第6楽章に至っては、ひとりひとりもうかなり音程がずれてきていたので、一度、音合わせをすれば良かったのにと思いました。
長田さんの演奏は、さくさくと速めのインテンポで、オーケストラが綻ばないように引っ張っていたと思います。これが彼の本来の音楽かどうかは分からないけど、成功していたのではないかしら。カチカチと無情に進む時計のように、でも思ってもみなかった意味で無常感を感じました。う〜ん、やっぱり「大地の歌」は難しいです。

今回、オーケストラの言い訳姿勢にはがっかりしたけど、上から目線で言うと、もう一度チャンスをあげましょう。次の音楽会でヘマをやったらもう愛想を尽かします。上手いとか下手とかそういうのじゃないんですよ。愛です愛。
[PR]

by zerbinetta | 2013-09-22 00:19 | アマチュア | Comments(4)