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荒ぶるスミスさんのマーラー5 ヴァルチュハ、フィルハーモニア   

14.10.2012 @royal festival hall

mendelssohn: violin concerto
mahler: symphony no. 5

renaud capuçon (vn)
juraj valčuha / po


マーラーの交響曲第5番、今年フィルハーモニアで聴くのは2回目、全部で聴くのは3回目です。春に聴いたガッティさんとフィルハーモニア、MTTさんとロンドン・シンフォニー、どちらも超名演だったので、もういいやという感じもしたのだけど、今日は期待の若手、ヴァルチュハさん、聴かずにはおれませんよね。

つかみのメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、美形チェリストのお兄さんのヴァイオリニスト、ルノー・カピュソンさんがソロってなんていう紹介の仕方、ルノーさんもイケメンなんですよ、ただわたしの好みが弟ってだけで、と思ったら今日はいつもより格好良かった。♡♡♡
ルノーさんは、わたし的にはマッチョ系ヴァイオリニストだと思うのだけど、その彼のたっぷりと脂の乗った広々とした音は、メンデルスゾーンの協奏曲に合うと思うんです。メンデルスゾーンは繊細な音でなよっと弾かれるより、男っぽく弾かれるのが好き。まあとはいえ、ルノーさんのマッチョは汗たっぷりのマッチョではなくて、爽やかマッチョなんですけどね。音がとってもクリアで、今までどうしてあまりピンと来なかったんでしょうって思うくらい今日はステキでした。ルノーさん見直しちゃった。そしてメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲って名曲ですね〜(いまさら)。いろんな人のヴァイオリンで聴いたけどそれぞれが違ってステキ。今日また新しいステキがわたしのファイルに加わりました。

マーラーの交響曲第5番は、ものすごく熱い演奏でした。音楽の幅が大きく、もの狂うように荒々しくて、嵐のよう。疾風怒濤の音楽。若いです。疾風怒濤スタイルは、交響曲第1番の頃で、不惑を迎えたマーラーのスタイルではないかもしれないけど、後年作曲者自身が認めて改訂した若気の至り的なものは、改訂されない音楽の要旨に残ってると思うし、マーラーが最後に書いたベートーヴェン流の弁証法的スタイルは、がりがりと演奏されても似合うと思いました。ストレイトな若者のアイディア。チェコスロヴァキア出身のヴァルチュハさんは、都会に染まってない逞しい木こりのような音楽で、オーケストラをがしがしと鳴らす思い切りの良さは、快哉を叫びたい感じ。ジェットコースターでぐううんと加速度に身を嬲られるような爽快感。
でもその若者指揮者の中心にいたのは実は名物ティンパニのスミスさん。今日のスミスさんの叩きっぷりといったら!荒ぶる音楽を陰に日向に支えるなんてそんな生やさしいものじゃなく、完全に音楽をリードしていたというか、スミスさんに合わせて音楽を設計していた、なんて言っても過言ではないくらいのぶっ叩きぶり。いいもの聴いたぁ。スミスさんファンのわたしは大喜び。大太鼓もばしっと叩いていましたヨ。

それにしても、こんな原初的で混沌としたワイルドなマーラーもいいですね。最近、楽譜が見えるようとか緻密で現代的なのが流行みたいだけど、血湧き肉躍るを具現するような演奏もいい。興奮して夜も寝られない感じ。熱いよ、わたしの血。
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by zerbinetta | 2012-10-14 22:41 | フィルハーモニア | Comments(0)

BBC交響楽団やっと開幕 パパビー降板 サラステ、BBC交響楽団 狂気のタコ4   

4.10.2012 @barbican hall

michael zev gordon: bohortha (seven pieces for orchestra)
mahler: rückert-lieder
shostakovich: symphony no. 4

alice coote (ms)
jukka-pekka saraste / bbcso


最後に、ってロイヤル・フィルさんごめんなさい、BBCシンフォニーのシーズン開幕です。今シーズンのBBCシンフォニーは、前主席指揮者のビエロフラーヴェクさんの退任、次期主席指揮者のオラモさんの就任が来シーズンからなので主席指揮者なしです。ビエロフラーヴェクさんは確か1回振りに来られるんですけど、残念ながら、わたしは聞き逃すことになりそうです。でも、たこよ〜ん。というわけで、ご存じ(?)タコ好きのわたしはとっても楽しみにしてたのでした。シーズン前にアナウンスされていた指揮者はパパビー(何でもヤルビー、じゃなかった、ネーメ・ヤルヴィさん)でした。降板でがっかり、と言いたいところだけど、ごめんパパビー、パパビーとは少しウマが合わなかったのでラッキーって思っちゃいました。サラステさんかっこいいし。

始まりはゴードンさんの「ボホーサ」。ボホーサはコーンウォールの風光明媚な小さな村。BBCシンフォニーが委嘱した新作。初演。副題が示すように7つの小品からなる静かなオーケストラ曲です。次に演奏される「リュッケルト・リーダー」を意識したのでしょうか、マーラーの音楽をちらりと引用していて、耳に親しげな音楽。心に突き刺さる音楽ではなく、ちょっとモダンな前菜みたいな、ケとハレの場面転換を担当するような、それだけでは物足りないけどあとで来るものを期待させるような音楽でした。

2曲目はアリス・クートさんの歌でマーラーの「リュッケルト・リーダー」。クートさんって結構大柄なんですね。オペラでズボン役で観たので小柄に見えたのだけど、女性としてみると大きいんだな。さて、演奏の方。正直言ってわたしの好みではありませんでした。さばさばとザッハリッヒな感じで、テンポも速めで、この曲にもっと甘やかな夢、愛のようなものを求めているわたしとしては(だって、この曲集ラヴ・レターよね)すうっと恋人に立ち去られたあとの後ろ髪を持ち去られてしまった感じ。この曲、男声に歌われる方が好きかも。

でも、最後のタコ4は、サラステさんのザッハリッヒな表現が生きて、クレイジーでとても良かったです。やっぱりタコには狂気がないと。ぐいぐいとノミで削っていく感じ。もしくは、光りを求めて闇雲にトンネルを掘っていく感じ。求心力があるというのが褒め言葉だと思うのだけど、この演奏にはものすごい遠心力があって、しっかり掴まってないと振り落とされてしまいそう。暴れ馬に乗ってるみたいな(想像です)。丸く収めておこうという気配がなくて、外に向かう表現力が凄いです。サラステさんの汗たっぷりのダイナミックな指揮ぶりも惚れ惚れしちゃいます。やっぱりこの人かっこいいです。BBCシンフォニーの重心重めの演奏もとっても良かった。
でも、この時代のショスタコーヴィチって破天荒でアナーキーだけど、音楽の最後には一抹の希望がちゃんとあるのですね。暗く終わったにしても。今日の演奏にはそれを強く感じました。破壊尽くしたあとに(こそ)希望があるということかしら。ちょうどタコ、転換期の音楽。だって、4番はそれまでの純粋共産主義若者路線を捨てて自我の確立に四苦八苦してる作品ですものね。そして若い魂はどんな状況でも未来を信じたいし信じられるんだと思うんです。未来への希望がなくなっていくのは後年の交響曲第13番くらいからかなぁって。そんな音符の後ろまで感じられた演奏でした(それがわたしの独りよがりでも間違っていてもわたしにとって重要なことではありません)。音楽会はこうでなくっちゃ。
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by zerbinetta | 2012-10-04 10:19 | BBCシンフォニー | Comments(0)

第1楽章の呪詛からの解放! シャイー、ゲヴァントハウス・オーケストラ マーラー6   

2.9.2012 @royal albert hall

messiaen: et exspecto resurrectionem mortuorum
mahler: symphony no. 6

riccardo chailly / leipzig gewanthaus orchestra


シャイーさんとゲヴァントハウス・オーケストラの第2夜は、メシアンとマーラー。マーラーの交響曲第6番は大きな作品だから、それ1曲だけで良さそうだけど、その前に、管楽器と打楽器で、メシアンの「われ死者の復活を待ち望む」です。メシアン・フェチの癖して、フランス語のタイトルが覚えられなくて、聴いたことある曲かしらと思ったのだけど、編成を見て思い出した。去年、ラトルさんとロンドン・シンフォニーで聴いたことのある曲でした。大きな銅鑼がトレードマーク。昨日も目立っていた、フルートの美人さんが、管楽セクションのリーダーなんですね。音合わせを指示してました。
実は、わたし、メシアン好きの癖に、ああ、この曲余計だわ、なんて不遜なこと思ってました。だって、この曲とマーラーの大曲じゃ金管楽器死んじゃうもん。メシアンで力が尽きて、マーラーではへろへろになっちゃうんじゃないかって心配になったのでした。実はそれには前例があって、アバドさんとベルリン・フィルの音楽会で、マーラーの交響曲第9番の前に、ノーノのプロメテウスを演ったとき、ノーノで(精神的に)疲れ切って、マーラーの前半はちょっと普通の演奏になってしまったのを目の当たりに聴いてしまったんです。今回は精神的ではなく肉体的な心配ですけど。
ラトルさんの演奏がまだ記憶の隅に残ってたので、聞き比べたんだけど、かなり違ってました。シャイーさんの演奏は、曲と曲の間に少し長い間を取った、それだけが理由ではないと思うのだけど、余白の大きな演奏。音が減衰していくのを待ってから次の音を出しているからかなぁ。音の後ろに大きな空間が広がっている感じ。そして、その大きな存在にどうしても心が吸いこまれる。でも、それが宗教的とかではなくて、むしろ、実体として在る空間的な広がりをオーケストラの後ろに感じるんです。何だか不思議な体験。オーケストラの音色が渋めに揃っていて、モノトーンに聞こえるんだけど、でもよく聴くと、音の混ざり具合、グラディエイションが多彩で、しっとりとカラフル。

マーラーの交響曲第6番は、予想外に速めのテンポで始まりました。シャイーさんの振る同曲は、ロイヤル・コンセルトヘボウとの録音をずっと前に聴いたことがあって、それとはまるっきり違う音楽です。今回のは全体的にかなり速め。CDの演奏では、第1楽章なんてかなり遅い部類だったと記憶してるんですけど、今日はびっくりするくらい速め、というか凄い推進力。時間を計ると多分、標準的な速さかもしれないけど、予想外でした。ガシガシしているけど、決して重くならずに、重心は高く前に前に進んでいく感じ。でも、こせこせしているわけではなく、納得のテンポ。異様さはないけど、力のこもった素晴らしい演奏。オーケストラもとっても上手く、何より、音色がステキ。つるつるとしてないところが、この音楽に合ってる。シャイーさんの目も、細かなところまで行き届いていて、どの音をとってもきっちりと大きな音楽の中に収まってるし、集中度の高さは素晴らしい。あんなにダイナミックにぐいぐいと指揮されたら、そりゃあオーケストラはついていくしかないよ。いや憑いているかな。
第2楽章は、アンダンテ。さらさらと静かに流れる、淀みのない音楽。つるりとした人工的なところがなくて、とっても素朴で、でもそんなところが飾らない自然みたいでステキ。ホルンやオーボエの音色もわたしの好みにピタリなのも佳。シャイーさんの音楽は全体に、余分な感情や慟哭は控え目で、透き通った秋空みたいな爽やかな空気に満たされてるんだけど、それが狂わんばかりの闘争や悲劇をこの曲に求める人には物足りないと思わせるところかもしれない。でもわたしは、哀しみを浄化していくようなこのマーラーの交響曲第6番が好き。「悲劇的」なんて勝手なタイトルがついたりしていることがあるけど、泣き叫ぶことばかりが悲劇の表現じゃないし。

びっくりして膝を打ったのが第3楽章のスケルツォ。うわ!速い!!第1楽章とこのスケルツォの近親性がよく言われるけど(実際マーラーもそれを心配してたしね)、テンポを極端に変えることによって、第1楽章とは全く別の音楽になってる。この楽章が初めて第1楽章の呪縛から解かれた瞬間。ステキすぎる!あとでラジオでシャイーさんのインタヴュウを聞いたら、まさしくこの点について語ってた。第3楽章に置かれて、アンダンテを挟んだことで、独立した楽章になったスケルツォ。この解釈は慧眼だわ。もうこれを聴いただけで、わたしはスキップして踊り出したいほど。音楽の見方が変わった瞬間。
フィナーレもすらすらとテンポ良く勢いを持って進んでいく。本当に美しい音楽。悲しさっていろいろあると思う。わたしがこの曲と本当の意味で出逢ったのは、高校生の最後の頃。病気をして、死生を彷徨ったわけではないけど、長くは生きられないのかもしれないとぼんやりと絶望してた(死に対して現実感がありませんでした)ときに、この曲を病院のベッドで何回も聴いたのです。涙が溢れて。でも、不思議に絶望ではありませんでした。この曲は、闘いの末、最後は暗く終わるけど、わたしはそこに絶望を感じません。もちろん、心がぽっと明るくなるわけではないけれども、希望の小さなかけらがあるように思えるんです。シャイーさんの演奏は、それを強く感じさせました。この曲って、楽譜どおり丁寧に弾くと、心の中にある濁った哀しみを浄化して透明な涙に流してくれるような気がします。それはわたしだけの特別な感覚かもしれないけど、でも、シャイーさんのマーラーは哀しみの中にも凛とすっきりと明るいものがあるように思えます。

シャイーさんの音楽の充実ぶりは尋常ではありませんでした。20年の時を経て全く姿が変わったように深化した音楽。一見ガシガシと前のめりになるような勢いのある音楽だけど、それでいて、細かいところまでとても丁寧。オーケストラの音色のパレットを混ぜてカラフルな色彩を作るマジックは健在で、特に木管楽器の音色の混ぜ方がステキでした。見た目的にもワクワクするようなハンマーも、ずどんとお腹に来るような音で、やっぱりあれは視覚の効果と相まって思いっきり音楽を演出しますね。シャイーさんとゲヴァントハウスのマーラー、ぜひもっと聴きたいです。

目を見張るハンマー
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充実したシャイーさんの笑顔
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by zerbinetta | 2012-09-02 01:27 | 海外オーケストラ | Comments(2)

タカシのような演奏??なにそれ? サロネン、フィルハーモニア「復活」   

28.06.2012 @royal festival hall

joseph phibbs: rivers to the sea
mahler: symphony no. 2

kate royal (sp), monica groop (ms)
esa-pekka salonen / philharmonia chorus, po

この音楽会を聴いたあと、ツイッターに「タカシのような演奏」って謎のツイートを思わずしたんですけど、いよいよ謎解き。
今日の音楽会はとっても楽しみにしていたんです。だって、サロネンさんが「復活」。サロネンさんって確かマーラーの交響曲第3番を代理で振って鮮烈デビュウ。でも、なんか、「巨人」とか「復活」(敢えて通称名で呼んでみました)よりも後期の交響曲の方が似合うような気がして、ベタな「復活」をどう演奏するか、という興味がありました。それと、2010/11年のマーラー記念年のシーズンで唯一聴いてないのが何故かこの「復活」だったんです。だから遅ればせながら聴けて嬉しい(あっロンドンでは、その前の年までに「復活」は2回聴いてます)。

音楽会は、交響曲第2番、1曲だけではなくて、その前に、フィブスさんの「川から海へ」という作品が演奏されました。同じ曲目でイギリスをツアーで回っているので、今日が初演ではないけれども、初演は数日前なのでほぼ初演。もちろんロンドンでは初演です。この曲、何だかとっても不思議な曲で、聴きやすいとってもきれいな音楽なんだけど、頭の中から跡形もなくすうっと抜けて、全く覚えていないのです。BBCラジオ3のオンデマンド放送でも何回か聴いたけどやっぱりすうっと頭の中を抜けていって、何だか幽霊みたい。音楽会で演ったことすら覚えていないような感じは、気配消しすぎ。聴いてるときは、いいなぁとも思うのに、跡形もなく消え去るなんて初めての体験です。

満を持して、マーラーの交響曲第2番。サロネンのことだから絶対スタイリッシュな演奏ってワクワクしていたら思った通りのスタイリッシュさ。颯爽とした弦楽器のトレモロで始まって、たたみかけるような、でも決して粗暴になりすぎないチェロとコントラバスの速い動き。重くならずにさくさくと進む、かっこいいと形容するのがふさわしいような葬送行進曲。力任せに感情を爆発させないんだけれども、音楽には過不足なく気持ちが込められていて、つーんと心に突き刺さる音たち。低音控え目で重くならないと思っていたらここぞというときにコントラバスを効かせてかっこよさ抜群。細かいところまでサロネンさんのこだわりが聞こえる演奏。第2主題では思いっきりテンポを落として、音楽の雄大度200%アップ。
実は最近、「復活」のCDを買おうと企んでいたのです。一昨年聴いて感激したユロフスキさんとロンドン・フィルのライヴ。と思ってたら最近、テンシュテットとロンドン・フィルのライヴのCDも出てそれがものすごく評判がいいので迷い始めたんです。そして、今日のサロネンさんのも録音されているのでCDになる可能性があるのだけど、この演奏もCDで聴いたらいいなって思えるのです。ユロフスキさんの演奏みたく、勢いに任せた部分がないので、CDで何回も聴くのにはとてもステキな演奏になってると思うんです。でも。

そう、でも。ちょっと整いすぎてると感じてしまったんですね。マーラーがまだ30代の駆け出しの頃の作品は、破天荒な綻びも作品の中にあってそれが魅力にもなってると思うんです。サロネンさんの演奏は、そんなほころびが見事に修繕されてしまっている。それは音楽的にはより良くなってはいるのだけど、無軌道な熱い思いが背後に押しやられてしまう物足りなさも感じるのです。第1楽章の静かな部分なんてあまりにも静寂で何かを諦観したようで、この雰囲気は、なんだろうともやもやしながら聴いていて、ふ!っと交響曲第9番を思い出して、あの最終楽章と精神的な雰囲気が似てるなって気づいたのです。でも、それはちょっとわたし的にはちがうかな、と。ライヴで聴くなら、熱い感情の奔流があってもいい。

タカシのような演奏。なにそれ?ですよね。タカシって誰?あの酔っぱらいのタカシくん?いつも宿題忘れてたタカシ?それとも幼なじみのかっこいいタカシにいちゃん?いえいえ、タカシといったら安藤崇です。あはは。なおさら分からない。池袋を憧れの街にしたIWGPのタカシです(あっ石田衣良さんの小説)。めちゃクールでかっこよくて、心が熱くなるほど反対に、氷のように冷たくなる男。サロネンさんの演奏は、熱い感情がこもっていながら、音は正反対に冷たくクールになるんです。あまりにも完璧で隙のない(ミスがないという意味ではないですよ)演奏です。でも、わたしはタカシよりマコトの方が好き。頭がいいのに熱くなると前後の見境が付かなくなって突っ走っちゃうタイプ。それがまさに、ユロフスキさんの演奏でした。でも、どちらも本当に凄い演奏で、多分、ユロフスキさんが聴きたい日もあればサロネンさんを聴きたくなる日もある。音楽ってそういうものですよね。ベストCDとか言うけど、ベストがひとつしかないなんて、それはちょっと変だしもったいない。

第1楽章が終わったあとは、楽譜どおり、長い間。サロネンさんは指揮台の脇の椅子に座って休憩。その間に合唱と独唱が粛々と入ってきました(独唱者が入ってきたとき少し拍手が起こったけど)。
第2楽章はすうっとほっとするような風のような、サロネンさんらしい爽やかな演奏。サロネンさん、実はこういう音楽が一番向いているような気がします。とても丁寧で、さらりとした歌があって、あまり歌いすぎずかといって愛想がなくならない絶妙なバランス。野暮ったさのない、実に洗練された夏の別荘地の高原のような憂いのない音楽。天上の世界でしょうか。
第3楽章も同じ路線。皮肉やカリカスチュアよりも素直な愉しみが表に出ている感じ。魚に説教する聖アントニウスのお話も粋な笑い話のようにからりと明るい。さらさらと澄んだ水が流れるように細かな音が流れていく。トランペットのソロもきれいで光が満ちるよう。

グループさんの静かな歌い出しで始まった第4楽章。深々としたアルトの声で、うん、なかなか曲に合ってるって思ったんですが、ときどき音の移り変わりに溜めがなくて階段を早足で下りるように聞こえたのでそれがちょっとだけ残念かな。サロネンさんはもう少しゆっくりと演奏したいように思えたので。
唐突にというより、ほんの少し間を置いて始まった第5楽章。もう壮大な音のドラマが始まります。ステージ裏のホルンも4人。プリンシパルのブラックさんも裏に回って贅沢な布陣。音外しちゃいましたけど。でも、ステージ裏のホルンの音はとっても良かったです。サロネンさんは、緩急自在、丁寧にオーケストラを煽って黙示録の世界を現前に出現させます。暴れるところは暴れるのですが、それはもうクールにかっこよく暴れるのですね。音楽の勢いに任せるというところはなく、隅々まで見事にコントロールされているのは第1楽章と同じ。そして静寂の表出の素晴らしさ。霧が晴れたような天上の世界が広がって静かに合唱が入ってくるところは、正直、どんな演奏を聴いても感動してしまうんだけど、サロネンさんの演奏はその中でも出色のものでした。フィルハーモニア・コーラスの合唱もとっても上手くて、特にバスが豊かに声が出ていて良かったです。もうここからは、引いては押す波のように、感動がうねりまくりながら、最後の坂を登っていくのだけど、その焦らすような盛り上げ方が、とってもツボ。ロイヤルさんのソプラノも堂々として良かったし(もっと線の細い人かと思ってた)、本当は、オルガンがもっと大音量で鳴り響いて欲しかったけど、最後メーターが振り切れるように終わった音楽は、やっぱりスタイリッシュでかっこいい。

盛り上がってお客さんは熱くなってたけど、でもわたしにはやっぱり冷たさも同時に感じてしまったのです。だからこそタカシのようがピタリと言葉に浮かんだんです。30代のマーラーはもっと不器用な無骨な音楽を書いたんだという思いがどうしても頭に残ってしまって。それを象徴していたのが、最後の方でオーケストラと合唱が一緒になって大音量で盛り上がるところ、独唱は音楽から降りてしまってお休みしてたことです。この部分、マーラーは独唱者にも合唱と同じパートを歌わせるように楽譜に書いています。確かに、合唱と同じことを歌うので独唱は聞こえなくなるのだけど。。。でも、マーラーの意図は、全員が高らかに復活を歌うことではなかったかと思うんです。前の部分では、独唱が合唱から立ち現れたり、合唱に吸いこまれていくような書き方をしているので、マーラーは最後独唱は個別に聞こえないことは分かっていたはずです。でも、それでも独唱にも歌わせている。というところに、音楽を越えた意味があるのではないかと思うのです。サロネンさんの演奏は、音楽的には全く傷を付けたものではありません(聞こえませんから)。でも、それが、クールすぎる物足りなさを象徴していたように思えるのです。それでも、音だけ聴いたら間違いなく第1級の名演でした。
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by zerbinetta | 2012-06-28 23:57 | フィルハーモニア | Comments(0)

異次元の歌 MTT、ロンドン交響楽団 マーラー交響曲第5番   

03.06.2012 @barbican hall

mozart: violin concerto no. 5
mahler: symphony no. 5

gil shaham (vn)
michel tilson thomas / lso


MTTとロンドン・シンフォニーによるマーラーのシリーズ、第3回にして最終回は交響曲第5番です。前2回が良かったので自然と期待が膨らみます。今日は、シャハムさんのソロでモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番と。

シャハムさんって良い感じにおじさんになりましたね。前に聴いたのは(この間のをのぞいて)、10年くらい前で、まだ若くてかっこよかったんだけど、今はにこやかおじさん。でもそれが人柄が滲み出てるみたいでいいんです。ステージの上でとても楽しそう!
モーツァルトの協奏曲はこの間ズーカーマンさんのソロで聴いたばかり。聞き比べになりました。
MTTとシャハムさんのモーツァルトは爽やかロマン。ちょっぴり甘いけど、まだ開いていない、うぶさを秘めたプラトニックな恋のよう。というより、まだ手をつないだばかりの人と、草原にピクニックに来たような爽やかさ。爽快に風が吹く。青空が高い。おじさんふたりが若者のモーツァルト。っていうかこのおふたり若いよね。老獪な感じがなくって音楽がストレイト。柔らかな現代楽器の音楽だけど、べたべたとならずに寒天のようにさくっと切れる。かといって下手な古楽器演奏のように音が真っ直ぐになりすぎないのがいいの。この頃はふたりでおしゃべりするだけでも楽しいのよね。手をつないで駈けるのも。ふたりは見つめ合い、そして音楽は謎かけの微笑みを残してすうっと消える。そのあと何があったか、なんて言うのも野暮。

休憩のあとは、マーラーの交響曲第5番。この曲もつい先日、ガッティさんとフィルハーモニアで素晴らしい演奏を聴いたばかりなのでした。そして今日またここに素晴らしい演奏が。
MTTは交響曲第4番や第1番で聴かせてくれたとおり、マーラーの音楽を自家薬籠中にしりつくしていてもう盤石な音楽作り。今日は、旋律の歌い方というか音楽の伸び縮みが前にも増して自由で、よく聴くとかなりデフォルメされているんだけど、それが実に自然でちっともわざとらしくなく、さりげないふうを装ってるのでもうそこからしてMTTマジックにはめられる。同じことをマゼールさんがやると変態なのに、MTTがやると仕掛けてるようには聞こえない。そんな、MTTの音楽をロンドン・シンフォニーが最高の精度でフォロー。上手いのなんのって。特にトランペットのコッブさんのソロは完璧。ああどうして、MTTはサンフランシスコではなくロンドンで録音してくれなかっただろうって言うのは、サンフランシスコには失礼?
MTTの良さは、俗なところが取り繕うことなくしっかり俗っぽいのに、それがまた歌心に溢れていてとってもきれいなところ。マーラーの音楽は、特にこの交響曲第5番は高尚な部分と俗っぽい部分がごちゃ混ぜにしてるっぽい感があって、深い悲しみに包まれてると思ったら、突然メランコリックに大泣きしてみたり、起伏が激しくて急にどこに連れて行かれるか分からないんです。交響曲第1番の第3楽章の気分を拡大した感じ。その対比の扱いがMTTはとっても上手くて、音楽の美しさという大きな器の中に入れ込むのだけど、ちゃんと器からはみ出ている部分を作るし、まああほんとにもうわたしのツボ。

第1楽章は、悲しみに包まれてるけど、美しく柔らかく音楽が流れていく。ゆっくり目のテンポで旋律の扱いはものすごく丁寧。そしてそれに絡んでくる対旋律も見事に浮き上がらせて、複雑な音楽なのに聴いた感じは透明で淀まない。短いフレーズの中での緩急の差が大きめにとられていて、時間の感覚が曖昧になってくる。歩みのある葬送行進曲というより、気持ちの揺れる心象的な葬送曲。そして常に柔らかな慰めがあるので深刻になりすぎないの。
続く第2楽章は、第1楽章を発展させてさらに複雑にした音楽だけど、やっぱりここでもMTTの音楽は明確で濁らない。表現の幅は大きくて、かなり大胆に演奏しているのに、聞こえてくる音はスマートで、良い意味で中庸に聞こえちゃうのがMTTの凄いところ。真ん中でチェロのパートソロで出てくる独白は、思いっきり音を抑えて、ドキリとするような表現。

スケルツォは、MTT節全開だったな。ホルンのソロのティモシー・ジョーンズさんは、深い音で朗々と。この間のフィルハーモニアのケイティさんが柔らかで女性的な音だとすると、ジョーンズさんは、ワイルドで男性的。どちらも上手いんだけど、この曲にはジョーンズさんの音の方が合うかな。そしてこの楽章の、フォーク・ダンスのような俗っぽい踊りの音楽はまるでMTTを待っていたような、彼によって音楽の底にあったものが目を覚ましたかのよう。音楽が品位を失う一歩手前で表現を止めて、感情に直接訴えてくる流行歌のような音楽でも見事に芸術的。ピチカートでワルツが奏でられるところのリズムの自由さは凄かったな。あんなところでも完璧に合わせられるオーケストラも凄いけど。

アダージエットは、うっとりとするような世界。この間のガッティさんの演奏が風がさあっと吹き抜けるような演奏だったのに対して、MTTはもったりしないけど遅めのテンポで夢の世界を作ってく。なんて美しい、満たされた世界。時が止まったよう。それはホルンの合図に朝が来ても同じでした。目が覚めても時間の感覚がない。今どこにいるのか、今どの辺の時間にいるのか、分からなくなっていつまでも音楽が続いていく錯覚に襲われました。そしてそれは希望。この音楽がいつまでも鳴り続けていればいいのに。終わってしまうなんて嫌。それがどんなに勝利のファンファーレでも現実世界に戻るより音楽の中に住んでいたいと思ったのでした。最高の音楽。MTTのマーラーはどれも良かったけど、そして交響曲第5番は、ガッティさんやマゼールさん、ネゼ=セガンさんの素晴らしい演奏を聴いてきたけど、今日のマーラーはわたしのマーラー体験の中でも最も完璧だったもののひとつになったのでした。

MTTさんありがとう。充実した表情ですね
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by zerbinetta | 2012-06-03 17:02 | ロンドン交響楽団 | Comments(0)

我が青春の讃歌 MTT、ロンドン交響楽団 マーラー交響曲第1番   

31.05.2012 @barbican hall

berg: chamber concerto
mahler: symphony no. 1

yefim bronfman (pf)
gil shaham (vn)
michel tilson thomas / lso


MTTとロンドン・シンフォニーのマーラー、今日は交響曲第1番です。そしてその前に、ベルクの室内協奏曲。今日はなんだかずいぶん空いていたです。3階席がらがら。
音合わせが終わって、MTTが出てくるのに、あれれ?ソリストは?って思ったら、MTTが曲目解説。オーケストラ、この曲は独奏者ふたりに管楽器だけの13人のオーケストラです、にポイントとなるメロディを吹かせながら、分かりやすく説明してくれます。耳になじみのない曲なので、これはいいな。USでは、簡単な解説付きの音楽会、結構あったのにそういえばロンドンでは珍しいな。でーーも、そのせいで解説中に遅れてきた人を入れてたから、わたしの隣に駆け込みで間に合った人が、はーはー息を切らしながら。音楽が始まってもしばらく、はーはーしてたのでなんだか集中できませんでした。席いっぱい空いてるんだからわざわざ隣に座るなよーーって悪態つくところでした。
というわけで、最初はぜーぜーはーはーに、気をとられていて、MTTが示してくれた音律を耳で追うのにあっぷあっぷしてたんだけど、そのせいで(結局わたしのせいなんだけど)音楽を楽しむことをすっかり忘れていました。ちょっとお勉強的に聴いてしまった室内協奏曲。ブロンフマンさんとシャハムさんのソロは見事で、ロンドン・シンフォニーの管楽器も相変わらず上手いったらありゃしないので、ステキな演奏だったんだけど、乗れないまま終わってしまいました。ううむ、わたしの負け。

気を取り直して、マーラーの交響曲第1番。大好きな大好きなわたしの青春の音楽です。クラシック音楽が好きになったきっかけはこの曲ではないけれども、音楽にどっぷり浸かっていく、言い換えればクラヲタになったきっかけは、ラジオで聴いたこの曲のせいです。それはもう強烈に覚えています。
MTTの指揮でこの曲を聴くのは初めてだけど、もうなんというか、素晴らしすぎ。旋律の歌わせ方は丁寧で上手いし、細かな隅々まで目が行き届いていて、どんな些細なところも手抜かりなし。MTTは完全にこの音楽を自分の中に取り込んでいますね。ロンドン・シンフォニーもそれぞれの奏者が、音楽を完璧に理解していて、自発的に演奏してるので、伴奏の和音とか、アクセントの揃え方とか、もう自然に音楽に生まれ変わるのね。そんな優秀なオーケストラを自在にドライヴして、MTTはさっと魔法をかけて音楽にさらなる活力とと命を与える。理想的な指揮者とオーケストラの共演。一見、整いすぎててかえって物足りないと感じる演奏だけど、よく聴くとMTTも結構突っ込んだ表現をしていて、さりげなくデフォルメしてるんです。
第1楽章が終わったところで、客席で携帯電話が鳴って指揮者もオーケストラも笑っていたけど、余裕というか、その和やかな雰囲気で始まった第2楽章が、生命力に満ちあふれていて、思わず泣いてしまった。まさに順風満帆。わたしにも、むやみやたらと(根拠のない)自信があって、肩で風を切って歩いていたときがあったなって。若気の至り。マーラーの音楽にもそんな気風があるよね。希望と挫折。そしてより大きな希望と未来への確信。後年マーラーが最も憧れていた音楽が現在進行形であるんだもん。

第3楽章のコントラバスは、ひとりのソロ(ただ単にソロと書くとひとりのソロなのかパート・ソロなのか分かりませんものね。だから意見が割れるんですが)。わたしは、どっちでもいいです。ゲルギーとロンドン・シンフォニーのときみたいにパート・ソロなのにひとりで弾いてるように聞こえるのもびっくりするくらい素晴らしいし。MTTはおちゃらけた合いの手や葬送の音楽にそぐわないふざけたフォーク・ソング調の旋律をしっかり強調して、特に後者は速めのテンポで、音楽の後ろにあるカリカチュアライズされた風景を描き出していました。動物たちの行進。とてもいい感じ。「カロ風の葬送行進曲」と題されていたけれども、マーラーがインスパイアされた絵自体はカロのものではなくてシュヴィントという人の「狩人の葬送」(この絵)なんですね。
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カロ風というのはむしろマーラーが影響されてたETAホフマンの「カロ風幻想曲」という文学作品からとったみたいですね(この本の序文は「巨人」を書いたジャン・パウルが付けているそう)。とあまり関係のないことを書きましたが、カロのエッチング、ナンシーのロレーヌ美術館で観たことがあります。漫画のように滑稽で哀しくて、独特の雰囲気があって、ああ、マーラーの精神的な雰囲気を共有してるって思いました。真面目になればなるほど滑稽さが同居してしまうマーラーの音楽。おこがましいけど、自分に似ていて共感してしまうのです。

そしてフィナーレ。振幅の激しい音楽だけど、特に叙情的なところが、柔らかで美しく、歌わせ方がとってもステキ。そして、中間の華々しいファンファーレのあと、突然転調がされる場面で、ドキリとするほど長い間合いをとって、わたしはメロメロ。こういう瞬間恋に落ちるのよね。最後のホルンの起立は、マーラーが指定した箇所ではなく、その数小節後だったけど、MTTはマーラーの書いたスコアを尊重しつつも、自分の耳目でマーラーのスコアを読んで、同化してそして異化して、自信を持って演奏しているのが分かる。そして彼のマーラーを見つめる目は温かく柔らかい。MTTのマーラーはわたしには掛け替えのないマーラーです。
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by zerbinetta | 2012-05-31 23:30 | ロンドン交響楽団 | Comments(2)

お葬式にはこの音楽を MTT、ロンドン交響楽団 マーラー交響曲第4番   

27.05.2012 @barbican hall

beethoven: piano concerto no. 3
mahler: symphony no. 4

llýr williams (pf)
elizabeth watts (sp)
michel tilson thomas / lso


マイケル・ティルソン・トーマスさん(MTT)はロンドン・シンフォニーの主席客演指揮者のひとり(もうひとりはハーディングさん)。毎年数公演振りに来るのですが、今シーズンは何故か多くて、冬にフランスものを2回振って、今回3回にわたってマーラーの交響曲を演奏します。今日はその1。交響曲第4番。マーラーの交響曲の中では一番編成が小さくて、明るい軽い音楽だけど、わたし的には最も演奏の難しい(なかなか良い演奏に出会えない)音楽のように聞こえます。親しみやすい、古典的(ハイドン的)に見せかけて、とてもたくさんの仕掛けをマーラーが施してると思うから。MTTの演奏は、サンフランシスコ・シンフォニーとのCDを持っていて、好きな演奏のひとつなんだけれども、さて、ロンドン・シンフォニーとの今日はどうでしょう?

このシリーズでは、マーラーの交響曲の前に、協奏曲があって、ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、室内協奏曲(ピアノとヴァイオリンが独奏)が演奏されるのだけど、そのソリストには、ピアニストのブロンフマンさん、ヴァイオリニストのギル・シャハムさんがクレジットされていました。でも、今日はブロンフマンさんが病気で急遽、代役にウィリアムズさんが登場です。メイルによると、ブロンフマンさん、次の音楽会では多分大丈夫だろうということ。大事に至らなくて良かった。

ウェールズ出身のウィリアムズさんの音楽は、めちゃロマンティック。ブロンフマンさんが、がっしりと構築されたドライで強固なベートーヴェンの演奏を予想させたのに対して(わたしの勝手なイメジです)、ロマン派の音楽を聴くように大らかに歌う。ちょっとびっくりしちゃいました。MTT自身のベートーヴェンも確か、ここまでロマンティックな演奏じゃなかったと思うので、これはピアニストの音楽でしょうね、きっと。でも、オーケストラもしっかりとそれに応えて、仄暗くもクリーミーで柔らかな演奏でした。ベートーヴェンのピアノ協奏曲には、例えば第5番の第2楽章のように、とってもロマンティックな音楽があるのも事実だけど、わたし好みの演奏かな、と思うと、そうではありませんでした。でも、ここまで外連味なく演ってくれると納得です。

休憩のあとは、マーラー。マーラー聴き始めの頃は、マーラーっぽくないって偉そうなこと言って、あまり好きな曲ではなかったんだけど、今はとっても好き。わたしの好きな演奏は、仕掛けを面白く効かせてくれる演奏。この曲の第1楽章と第2楽章に、マーラーはバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタのフーガで見せてくれたような対位法の仕掛けを存分に埋め込んでいると思うのだけど、何となく聴いただけでは分からないその妙を上手に聴かせてくれる演奏が好きなんです。MTTの演奏は、細かなところを強調するより、丁寧に全体の絵を描くような演奏。ありゃ、わたしの好みとはちょっと違うな〜、と思いつつ、予想外の木管楽器の強調とか、トランペットのコッブさんのヴィブラートめちゃくちゃきれいだわ、なんて思いつつ、聴いて、でも、MTTの語り口が分かり始めてくると、これはなかなかステキって思えて、第1楽章の最後の方からは、とっても楽しめたんです。
第2楽章のスケルツォでは、調弦を高くしたヴァイオリンのソロが活躍で、そういえばリーダーのシモヴィックさん、ロンドン・シンフォニーのテストを受けていたときは、やっぱりMTTの指揮だったのよねって思い出して、あのときは、ずいぶん体を揺すって、指揮者よりも目立っていたわ〜、でも今ではピッタリとロンドン・シンフォニーのリーダーにはまって、良い人選んだんだわって思ってなんだか嬉しくなっちゃった。

そして今日の圧巻は、究極の美しさで奏でられた第3楽章。音楽はゆっくりと息が長く弾かれるのだけど、オーケストラは全く息切れせずに十分な呼吸で弾いていく.上手い。上手すぎ。MTTのマーラーは、彼のオーケストラ、サンフランシスコとの演奏がとっても高い評価を受けてるけど、ロンドン・シンフォニーとの方が親和性が高いのではないかって思いました(交響曲第3番ではサンフランシスコとのCDよりもその前に録音されたロンドンとのCDの方がわたしは好きです)。この音楽はなんという幸福感。天国の扉が開く前のお墓の中の音楽なのに。天国へ至る道の安らかな眠り。決めた!!わたしのお葬式で音楽が流れるとしたら絶対、この曲を流して欲しい。幸せに包まれて死のときを過ごしたいし、来訪者にも満ち足りた死を感じて欲しいから。安易に葬送の音楽を流されるのは嫌。

マリナーさんのうっとりするような弱音のクラリネットで始まったフィナーレ。というか、プロローグの天国の音楽。ワッツさんのソプラノはときおり音量がもう少し欲しいかな(2階で聴いていました)と思ったけれども、清んだ中性的な声でこの音楽の雰囲気にピッタリ。MTTは緩急を付けてくるくると変わる景色を上手く描き出していました。

MTTのマーラーの演奏はロンドン・シンフォニーの柔らかな美しさを最大限に引き出したうっとりととろけるような最高級のマーラー。美しい一幅の宗教画のような世界。まろやかな幸福感に満ちあふれていて、マーラーの描き出した音世界を見事に音にしている。魂が救済される死がこんなに美しく満ち足りたものだなんて。
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by zerbinetta | 2012-05-27 07:50 | ロンドン交響楽団 | Comments(4)

カフェで油を売ってるおっさん ガッティ、フィルハーモニア マーラー5   

17.05.2012 @royal festival hall

wagner: parsifal, prelude and good friday music
mahler: symphony no. 5

danielle gatti / po


ダニエレ・ガッティさんを聴くのは久しぶり。何年か前、ロイヤル・フィルハーモニックを退任するお別れ音楽会でマーラーの交響曲第9番の神がかった演奏を聴いたことがあります。今日はそのロイヤル・フィルではなくフィルハーモニアと。さてどうでしょう?

ガッティさんって確か、売り出しの頃はイケメン指揮者の部類で売り出していたように思うけど、今ではすっかり貫禄ついて、イタリアのカフェで朝からコーヒー飲んでくだ巻いてるおっさん風。そんなおっさんでも音楽は超一流。ということ再確認したというか、圧倒されました。
もうこういう人って、いるだけで空気が変わっちゃうんですね。パルジファルの前奏曲と聖金曜日の音楽。どこが凄いのか言葉に出来ないんだけれども、知らず知らずのうちに(まさに言葉もなく)音楽に引き込まれてしまうのです。実は、わたし、あとでブログに書かなくちゃと、言葉を探しながら斜に構えたりして聴いてるんですけど、そんなへなちょこな批判精神など瞬時に粉砕してしまう本物の音楽。言葉を失ったわたしは、ガッティさんって唸る唸る、オーケストラの楽器よりうるさいくらいとか、カフェのカウンターにいるおっさんとか、全然音楽に関係ない周辺で言葉を拾う。なんたるへたれ。
でも、何かを拒絶するような神聖な空間が広がったんですよ。ワグナーのパルジファルはそんな音楽だし。パルジファルは、ワグナーによる言葉がないと、ある意味宗教を越えた神聖な音楽なんですね。変な宗教観を取り払って音楽のみにしてしまうととってもステキ。フィルハーモニアには最近本気出してきた感があって、この1年くらいオーケストラが脱皮していくような勢いがあるんですけど、今日もガッティさんに応えて素晴らしい音で弾いていました。

心が清らかになった気分で休憩を終えて、マーラーの交響曲第5番。同じフィルハーモニアでは、昨年マゼールさんの指揮で聴いています。それはもう変態的な演奏で大好きだったんですけど。ガッティさんのこの曲は、確かCDで発売されたとき(多分ガッティさん最初のマーラーの録音だったと思います)、とっても評判が良かったのを覚えていて、期待しました。そしてそれはもう期待以上の音楽が。

ガッティさんの演奏は、あたかも初めてその曲を演奏するように、瞬間瞬間音楽が生み出されるように演奏されていく。多分リハーサルで練習したのとは少しずつ変えているのでしょう。ときに激しく唸り声を上げて、ときに左手で大きく表情を付けて、体全体、というよりも目に見えるようなオーラを発散させてオーケストラを鼓舞したり、抑えたり、生まれ出てくる音楽を一粒残らず音へと解き放っていきます。予定調和的ではなく、憑き物が憑いたようなわき出してくる霊感。でも決して、変にルバートかけてるとか、アザとらしいアゴーギグとかディナーミクの変化を付けるとか、そんなことは一切していなくて、流れる川のようにとても自然。そこには、マーラーの音楽だけあって有無を言わさず引き込まれてしまう。何とかして具体的な言葉にしたいけれども言葉にならない。音楽を説明するのに音楽以外で出来るはずがない、と居直ってしまう。言葉にしようとすればするほど音楽から離れていく。前に聴いた交響曲第9番のときも、神が降りてきたと感じたけど、今日も音楽の神様がガッティさんに舞い降りてきた。凄い。音楽の司祭。

ガッティさんの表現自体はほとんど奇をてらわず、自然体。でも、1音1音の表現の深みが底なしで、円熟という言葉がそのまま目に浮かびました。変わっていたのは、第3楽章の最後をうわっと叫びそうになるくらいの速いテンポで駆け抜けたこと、アダージエットがまさにアダージエット(アダージョでない!)で風が通り抜けるように爽やかに演奏されたことかな。この速めのテンポのアダージエットがほんとにステキでした。旋律がフィナーレに再現されるのでとっても理にかなっていると思いました。オーケストラも快調。特にホルンのトップのケイティさん(ブログ友達のMiklosさんご執心)の柔らかな音と言ったら。まさに今日は彼女の独擅場。素晴らしかったです。

この曲の最高の演奏を聴いたような気がします。ガッティさん素晴らしすぎ。

といいつつ、やっぱりカフェでくだ巻いてるおっさん
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ケイティさんと後ろで酔っぱらって拍手してるおっさん(ご存じティンパニのスミスさん!)
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by zerbinetta | 2012-05-17 23:53 | フィルハーモニア | Comments(0)

ずうっと愛を語っていよう ストーティン、ビシュコフ、ロンドン交響楽団 マーラー交響曲第3番   

01.04.2012 @barbican hall

mahler: symphony no. 3

christianne stotijn (ms)
semyon bychkov / lsc, tiffin boys' choir, lso


マーラーの交響曲第3番は昔うんと好きでした。今は、他の曲が大好きになったり、長大な第1楽章にちょっぴり退屈を覚えたりもするのだけど、でもやっぱり大好きで、特にフィナーレはわたしにとって掛け替えのない音楽です。実演、録音を通して一番大好きな演奏のひとつは、ティルソン=トーマスさんとロンドン・シンフォニーの演奏で、今日、同じロンドン・シンフォニーで聴けるのが嬉しくってにこにこ。それだったら、一番いい席取ったら良かったのにとも反省。

今日の指揮者は、ティルソン=トーマスさんではなく、ビシュコフさん。どんな演奏になるのでしょう。楽しみ。
女声合唱も少年合唱も最初っからステージに出てました。ってこれが普通かな。マーラーは確かこの曲を書いている頃、第1楽章と第2楽章の間に10分程度の間を入れるようにと言っていたはずなので(楽譜には書いてないんですね〜。復活ではお休みを入れるように書いてあるけど)、この間で合唱を入れてもいいかな。反対に、独唱は出ていなかったので(これも普通)、どこで入ってくるのか、わくわく。第1楽章のあとでは出てこなかったので、あとで歌手が入ってくるとき、拍手がわき起こらないかとちょっぴり不安。

期待の演奏、始まりこそほんのちょっぴりほころびがあってあれっ?って思ったのだけど、それも一瞬。素晴らしい演奏。まず、オーケストラがやっぱり上手い。こういう音楽は、輝かしい音色で聴きたいし、演奏者の余裕があってこそ、自在に深い表現ができると思うから。第6交響曲では、反対に奏者の限界のところでひーひー言わすのが良くって、最近のオーケストラの技術の進歩でさらって演奏されちゃうと(そんな風に演奏できるオーケストラはまだ少ないけど)、なんだかかえってマーラーの求めていたものじゃないように聞こえるサディスティックさ。そういうのがないので、美音がものを言うのです。それにアンサンブルが完璧で、低弦の駆け上がる速い音符もトランペットのファンファーレも完璧に合ってる。凄いです。ビシュコフさんは、音色にもかなりこだわってるみたいで、楽器が重なったり重ならなかったりするところを繊細に描き分けて(ちょっとやり過ぎってとこもあったけど)、実に細かく目の行き届いた演奏です。長い第1楽章は、最後まで飽きずに聴き通せました。ただひとつ残念だったのは、ちょっとおとなしめ。木管楽器のベル・アップは、ほとんど行わずに、普通に吹いてました。視覚的効果というけれども、実際客席で聴いていると、ベル・アップした木管楽器から直接耳に届く音って、音色も変わるんです。なので、とっても大事って思うのだけど。それから、4本のピッコロでユニゾンするところ、音楽のさやの中に収まって、それは音楽的に美しいのだけれども、わたし的にはさやから飛び出てはちゃめちゃに吹いて欲しかったな。だってピッコロって最凶暴な楽器なんですもの。

第2楽章は、洗練された美。都会のインターナショナルなオーケストラならこうなるよねって感じ。実はわたし、2年前の夏に聴いたスコットランドのオーケストラによるこの曲の鄙びた感じが忘れられないのだけど、なんかわたしの好み変わってきてる?あんまり磨き抜いちゃうと、この楽章と次の楽章の自然の素朴さが生きないと思うんですね。風が透き通りすぎて、草の匂いや、時には鼻をつまむような牧場の匂いを感じないんです。もちろんこれは贅沢すぎる希望なんだけど。
第3楽章もだからあっさりきれい。中間部の舞台裏のポスト・ホルンはフリューゲル・ホルンで代用していました。

ここで、独唱のストーティンさんが入ってきて、でも心配したような拍手喝采はなく、控え目な拍手。ストーティンさんは、初めて聴いた、ハイティンクさんとロンドン・シンフォニーとの「大地の歌」がもうむちゃくちゃ良かったので、期待していたのですが、声が軽めの人なので、この曲の深い夜の底から響いてくるような音楽にはちょっと弱かった気がしました。オーボエは、ゲスト・プリンシパルの人ですが、グリッサンドの音が完璧につながっていたのは上手かったです。
そして鐘が鳴る第4楽章。朝がぱっと破けるかなと思ったら、意表を突かれて、小さな音で始まってびっくり。おろっとしてしまったけど、これが妙に上手くはまってしまったんです。へ〜こんな表現もあるのかって。予想外のどっきり大好き。

そしていよいよ最終楽章。ゆったりと一緒に呼吸する音楽。ああ、この美しさはなんだろう。暖かな愛?幸せな時間。時間よとまれ。この中に永遠にいたい。このいとおしい音の中でいつまでも愛を語り合いたい。i love you と言わなくても確信しあえる愛。音楽も言葉も何もかもが全て愛でできているの。でも、あのピッコロが聞こえるとなんと悲しいのでしょう。音楽の終わりが始まる合図。ああもう終わってしまう。最後は蕩々と盛り上がって、力強く音楽が、文字通り、歩む。最後の最後の方でトランペットがひとり降りるところを間違えちゃってドキリとしたけど、そんなのは些細な瑕。帰って集中力が増しました。それにしても、なんてステキなフィナーレ。これがあるからこの曲がずうっと大好きであり続けるのよね。

ビシュコフさんの音楽の上手さはつなぎの部分。音楽の部分部分をつなぐ部分が実に上手くて、それは第1楽章からずうっと感じていたのだけど、最終楽章での真ん中で盛り上がったところから、弦楽器群が音を伸ばしてデミュニエンドして糸を引くように次につなぐ部分は感動的にステキでした。わたしのマーラー体験がまたひとつ豊かになりました。
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by zerbinetta | 2012-04-01 05:44 | ロンドン交響楽団 | Comments(0)

指揮者変更でがっかり、そして混乱 ロンドン・フィル マーラー、交響曲第9番   

28.03.2012 @royal festival hall

mozart: violin concerto no. 3
mahler: symphony no. 9

lisa batiashvili (vn)
matthew coorey / lpo


ネゼ=セガンさんは、一目惚れ以来ずうっと大好きな指揮者です。ロンドン・フィルとのマーラーの交響曲第9番、今シーズンのプログラムが発表になった1年も前から一番楽しみにしていた音楽会のひとつなんです。なのでむっちゃわくわくしながら会場に着いたら、ホールの入り口で紙を手渡されて、ええええっっっっっ!指揮者変更!聞いてないよぉ。ネゼ=セガンさん、お腹くるインフルエンザのため降板。ぐぅぅ下痢止め飲んで来てよぉ。楽章ごとにトイレ行っていいからさぁ。なんて言ったところで、インフルエンザは伝染病だからなぁ。仕方ないねぇ。そういえば去年も、ズウェーデンさんがインフルエンザで突然降板。そのときもマーラーでしたね(第6番)。呪われてる、マーラーwロンドン・フィル。あああ、でもがっくり。。。今日は隣町で、アリーナがサンサーンスの協奏曲を弾くことになっていて、泣く泣くそちらを諦めてネゼ=セガンさんにしたのに。feliz2さんによると、アリーナのサンサーンス、予想どおりとっても良かったそうなので、ほんと悔しい。予想できたらそっちに行ったのに。むむむ、これでキャンセル3連チャンだわ。

気を取り直して。ってどうやって気を取り直したらいいのぉ。プログラムの前半は、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番。これは指揮者なしで、ソリストのリサ(・バティアシュヴィリさん)が弾き振りすることになりました。オーケストラの人数は、少なく第1ヴァイオリンが6人。今日は前半、ゲスト・リーダーにゲオルギエワさんが座りました。この人がゲストに来られるのは、わたしが知ってるだけで2回目。ブルガリア出身のきれいな人で、現在シュトゥットガルト放送交響楽団で弾いてるそうです。我らがショーマンさんは降り番かなと思ったら次席で弾いてらっしゃいました。
華やかなドレスで登場のリサ。ヴァイオリンを弾かない間は、ちょっとぎこちない感じもするけど、右手でちゃんと指揮していました。確か彼女は弾き振りでCD出していましたよね。でも、オーケストラは自発的にアンサンブルをしていたので、彼女がしたのはキューを出すくらい。もちろん、彼女がソロを弾くので、やりたい音楽はリハーサルの段階できちんと伝えているでしょうが。なので指揮者がいなくてもちっとも問題なく、でも、ネゼ=セガンさんがどんなモーツァルトを演るか興味はあったんですけど(ソリストと指揮者のせめぎ合いとか聴くの好きだし)。
リサのモーツァルトは、ドレスに負けず劣らず、ふくよかで柔らかい感じ。決して厚い音を出しているわけではないのですけれども、大らかで力強くて、それでいて優しく清楚。リサもなんだか最近とっても音楽が深くなっているように思えて嬉しいです。彼女の演奏を聴いていると、耳で聞いているというよりなんだか、景色の中に迷い込んだ気になるんですね。彼女の音楽からはいつも風景が見えてる。それがなんだか心地良いのです。

休憩後はいよいよ、マーラー。さて、指揮者は、慌ててもらった紙きれを読むと、30代半ばのまだ、メジャーなキャリアを歩み始めていない人。オーストラリア生まれ、イギリス・ベースで活動しているそうで、しばらく前までロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニックで副指揮者を務めていたそうです。今は自分のオーケストラ持ってらっしゃるのかしら?書いていないので分かりませんでした。
さあ、そんな若者のクーレイさん、実直そうな青年です。大丈夫かなぁ、いきなりこんな大曲。しかも人生の最後にふさわしいような音楽。ドキドキあわあわしながら聞き始めると、意外といいのですよ。ちゃんと音楽になってる。もしかして、この人、凄い?と考えつつも、これだけで判断していいものかどうか。まず、オーケストラが、非常事態に自発的に音楽をしている。去年の交響曲第6番での突然の指揮者変更のときもそうだったけど、オーケストラがいつも以上に集中して、自ら音楽を奏でているのを感じるのです。それから、多分、ネゼ=セガンさんの降板は急遽決まったので、リハーサルはすでにかなり進めていたんではないかって思えるのです。音の表現の端々にネゼ=セガンさんの音が聞こえるようで。かなりゆっくり目のテンポで演奏されていたけれども、これもネゼ=セガンさんのテンポを踏襲したのではないかと思ったのです。これくらいの若い、まだ経験の浅い指揮者が、リハーサルをほとんどしないで自分の音楽を押しつければ崩壊することは天才でもなければ間違いない。もちろん、部分部分には、彼の音楽の表現を付けようとしているところも感じられたけれども、それは音楽全体ではなくて、ごく一部。実務的な利をとった演奏なのではないかと思ったのです。クーレイさんは、あるとき突然現れる天才、ではなかったと思います。それは、この曲で音楽会を支配する司祭になれなかったことが証明しています。明らかによい演奏だったんだけど、神が降りてきたようにオーケストラと会場の聞き手を音楽の秘蹟に導くまでには至らなかった。楽章の間にぽつりぽつりと拍手が起こって、それをコントロールすることができなかったから。音楽の緊張の持続が、音のないところで途切れてしまうんですね。ただ、クーレイさんは誠実な実務者として十分な実力を持った指揮者であることも間違いありません。短期間のうちに、破綻なくこの曲をまとめ上げ演奏してしまうのですもの。これだけど、なんの予備知識もなく純粋に聴けば、かなり立派な演奏の部類にはいると思います。特にフィナーレは、蕩々と流れて美しい名演でした。

正直に告白すると、それで、わたし、よく分からなくなってしまいました。クーレイさんの音楽をどう聴いたら良いのか。わたしの音楽を聴く耳の未熟さがもろに出てしまいました。むしろ、素直に演奏を聴ければ良かったのに。余計なことがくるくるくる。
クーレイさんには、代役ではなくて正式な音楽会で聴いてみたいです。そこで、初めて、彼の音楽を評価しましょう。彼はきっとステキな音楽を奏でてくれると信じています。
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by zerbinetta | 2012-03-28 08:29 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(0)