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仲間ってステキ ニコラ・ベネデッティと仲間たち3 ランチタイム・コンサート   

15.03.2012 @jerwood hall, lso st kuke's

shostakovich/atovmyan: five pieces for two violin and piano
mahler: piano quartet movement
shostakovich: piano quintet

nicola benedetti, alexander sitkovetsky (vn),
maxim rysanov (va), leonard elschenbroich (vc),
alexei grynyuk (pf)


アリーナと共に大好きなヴァイオリニスト、ニキと仲間たちのBBCラジオ3・ランチタイム音楽会が、LSOセント・リュークで4回にわたってあるのでそのうちの2回を聴きに行くことにしました。ほんとは4回とも聴きたかったんだけど、さすがに仕事そんなにさぼれないし。。。今日はその3回目にして、わたしにとって1回目の音楽会。ニキと仲間たちがショスタコーヴィチとマーラーの音楽を弾きます。タコと聞いたら聴かずにはおれません。

始まりは、タコ、アトフミヤン編曲の2つのヴァイオリンとピアノのための5つの小品。まとまった曲を編曲したのではなく、同じような感じの曲を5つまとめたものみたいです。ガボットとかワルツとかポルカとか軽妙で健やかな小品が5つ。気の置けない音楽です。ピアノは、ニキとよく組んでるアレクセイさん。ヴァイオリンはシトコヴェトスキーさんがファースト、ニキが下でした。それにしても、ニキ、楽しそうに下付けてるなぁ。1曲目のプレリュードが終わりそうな頃から、でも、ここでひとつ問題が! 音出しをしているチェロの音が会場にまで響いてきて。がんがん弾いてる様子。LSOセント・リュークって音楽会用に楽屋とかちゃんとしてないから、オーケストラのときは外で待っていました、控え室で音出ししてると聞こえてきちゃうんですね。ニキがちょっと困った風で、結局譜めくりの人(会場の係の人?)が走って行って止めました。笑いつつ、音楽を再開。もしかしたらここで切れちゃうかな、と思ったんですが、大丈夫。それにこれはタコが余興にさらりと書いたような音楽だから、肩の力が抜けていてステキ。

2曲目は、音出しのチェロ、ニキのボーイ・フレンドのレオナルドさんも加わって、マーラーのピアノ4重奏。若書きの未完成の断片だしさらっと聴こうかなと思ったら、なんととんでもない目に。夕暮れ時の街の奥から重くどろりと夜の暗闇が湧いてくる感じのピアノに乗って弦楽器が豊かな情感で歌い始めると、黒い手に包まれて異世界に引き込まれていく。重くてゆっくりと幻想を見るような音楽。マーラーのこの曲ってこんなに濃厚だったっけ?なんだか暗いボヘミアの森に囲まれた小さな異世界の村に彷徨い込んだ感じ。そこには人ではないものが住んでる。昨日ドヴォルジャークの音楽を聴いたせいか、この音楽がマーラーの出自のボヘミアに直接根を張っているように聞こえる。それにしてもなんて豊かな音楽なんだろう。泣きそうになって、呆然として、涙が出た。深い井戸に落ちたかのよう。マーラーのこの音楽でこんなに衝撃を覚えるとは思わなかった。このマーラーは、わたしのマーラー体験の中でも最も心に突き刺さったもののひとつになりました。お昼の音楽会で、まさか、こんなことになるとは。。。

このグループ、誰かがリードをとっているというわけではありません。自然に音楽を合わせるという感じです。正直、初めて見たとき、どちらかというとあまり風采の上がらない人たちで(ニキがいわゆる美人音楽家のカテゴリーにされてる人なのでイケメンをよりどりみどりなのに、なんて俗なこと考えた)、ニキは面食いじゃないのかなぁ、なんて思ってたのに、音楽を聴いたらニキがこの人たちと音楽をしている理由がよく分かった。本当の意味で音楽でつながっている。
(ところで、ニキは美人ヴァイオリニストとしてプロモートされている気配もあるけど、本人はそんなことどうでもいいと思っているに違いない。むしろ、彼女の真摯な音楽に対する姿勢を演奏を聴くごとに感じるし、彼女、とっても真面目で浮いたところがない感じ。容姿ばかりが注目されてしまうのは、彼女も本望じゃないような気がするしもったいないよ)

さて、最後はタコのピアノ5重奏。タコ好きと言いふらしてる癖に初めて聴きます。マーラーでどっぷり来たので、この曲もステキなものになる(今日ここに来る前は、ニキとタコって合うのかななんて思っていたクセに)に違いないと思った通りに、ステキなことになりました。なにしろみんなが自主的に音楽をしながらひとつに合わせているので、聴いていて気持ちが良いし、音楽のスタイルをとてもよく勉強しているという感じがしました。ソヴィエト系のピアニスト、アレクセイさんの薫陶かなぁ。この人、一見ヲタク系のとっちゃん坊やにも見えるんだけど(あっ失礼!)、この人にピアノ、なにげに凄いです。音楽は、第5楽章まであって、ゆっくりとした第4楽章が交響曲第15番の最終楽章っぽくて透明に消えていくのかなと思ったら、賑やかな楽章が始まってびっくり。晩年のタコだったらあそこで閉じると思うのだけど、まだ、元気な壮年だからかな、明るい音楽を付け足した感じ。でも、たっぷりと充実した音楽を聴いてすっかり満腹のお昼。いいですよ。ニッキと友達。わたしも混ぜて欲しいくらい。口三味線じゃダメかしら?

ニキと友達。肩を組んだ下から首をにょっと出してるのがアレクセイさん
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by zerbinetta | 2012-03-15 03:18 | 室内楽・リサイタル | Comments(0)

天才には天才。そしてカウベル・オーディション リシエツキ、ビエロフラーヴェク モーツァルト、マーラー   

09.03.2012 @barbican hall

mozart: piano concerto no. 20
mahler: symphony no. 7

jan lisiecki (pf)
jiří bělohlávek / bbcso


ビエロフラーヴェクさんがBBCシンフォニーと毎年ひとつずつ採り上げてきたマーラーの交響曲、第5番、第6番に次いで今日が第7番です。毎回とっても素晴らしい演奏を繰り広げてきたので(特に第6番は良かった)、期待もしていたのですが、あっけらかんとした都会的なスマートなセンスと色合いをこの曲に求めるわたしはちょっぴり不安もあったの。ビエロフラーヴェクさんのごつごつとした感じの手作りの音楽がわたしの好みに合うかなぁって。

答えの前にまずモーツァルト。人気曲(いったい何回聴いた?)、ニ短調のです。ピアノは、ヤン・リシエツキさん。名前も初めて知る方です。出てきたら、若いっ!! すらりと背が高くて、細身の黒のネクタイ(銀色の細い線入り)のルックスが高校生みたい。年齢的には高校生なんですけど。もうすぐ17歳!わたしは学級委員長タイプ(但し、もろ優等生タイプではなくちょっと悪もあるリーダー・タイプ)と思いましたが、小田島久恵さんは子鬼と称していて、ああぴったりだ〜と思いました。
黒雲が湧き上がってくるような不安な気分を音に含みながらオーケストラが弾き始めると、いきなりモーツァルトの短調の世界。モーツァルトは彼の時代に即して短調の音楽をあまり書かなかったけど、いつもこの音楽の冒頭にはドキリとさせられる。ビエロフラーヴェクさんとBBCシンフォニーもとても良い雰囲気出してたしね。
そしてピアノ。びっくり。何も足さず何も引かずシンプルきわまりないモーツァルト。この歳の若者なら自分が自分がと何かをしたくなるような気もするのだけれども、そんなことには一切荷担せず、純粋にモーツァルトと天才同士の会話をしているみたい。だから一見、なんでもない演奏にも聞こえるんだけど、知らず知らずのうちに聞き入ってしまう演奏。わたし味音痴でおいしいものとか分からないのだけど、本当においしいものは、例えば日本に帰ったとき食べるお米のように、おいしいと分からないうちにたくさん食べてしまう、そんなところがあるのだけど、そんな感じの音楽。上善如水というお酒ありますよね。それと同じ(かな)。
音楽は、高校生っぽいところの全くない、なんだか達観したような成熟した大人でしたが、アンコールにモーツァルトをもう1曲と大声で言った声は、まさしく高校生のまだ大人になりきっていない声。おねーさんときめきましたよ。細かいことだけど、カーテン・コールのとき、彼ひとりで2回出てきて最後にビエロフラーヴェクさんと一緒に出てきたからアンコールはなしかなと思ったら、いきなりアンコールを弾きますと言い出して、ビエロフラーヴェクさんも一瞬きょとん。セカンド・ヴァイオリンの空いてる席に座って、オーケストラの人とにこやかに言葉を交わしてる感じは、ほんとにこの人とオーケストラの間が上手く行ってるんだなって感じさせるものでした。
アンコールはトルコ行進曲。超絶の方ではなくてオリジナルのです。こちらは、まだちょっと青いかなって思いました。でも、ステキな若い男、じゃなかったピアニストを発見して嬉しいわたしでした。かぶりつきで見たかったわん。

休憩のあとはマーラーの交響曲第7番。もの凄くマイナーな曲なのに、マーラー・イヤーとも重なって、ロンドンでこの曲を聴くのは、4回目です。人生では6回目。
はじめに書いたように、ビエロフラーヴェクさんの演奏は、ごつごつとした手作り感のある重めの音楽でした。あっこれは、巨大な鉄のかたまりを動かすような、重さとエネルギーのある音楽だった交響曲第5番の演奏のときに感じたものだ、と思い出しました。これは確かにわたしがこの音楽に求めるものではないのですが、真摯な音楽作りに感心したし、納得して、こういうのもステキって思えました。オーケストラは若干ミスが目立ったものの(やっぱりかなり難しそう。しかもその難しさが第6番みたいに素直じゃなくてひねくれてるっぽい)、オーケストラは良く鳴っていたし、聴くじゃまにはなりませんでした。
第1楽章は特に重々しく、主部のホルンの主題なんかは、ゆっくりで、重いゴムを引き切って前に進むような粘度の高さがありました。暗い夜の情感。死に神と隣り合ってる世界。マーラーのチェコでの幼少時代の幻影を引きずっているようです。ビエロフラーヴェクさんもチェコの人、この曲が初演されたのもプラハ、何か共通の根っこというか共感があるのでしょうか。ビエロフラーヴェクさんの演奏は、マーラーの音楽をとても良く知っている人の演奏、という安心感があります。新しい感覚のマーラーではないですが、地道にたたき上げた人のカペル・マイスター的な音楽のように感じます。今どきはかえって珍しい感じで、でも好きです。

第2楽章は元気な行進。タイトルは「夜の歌」だけど、音楽は実際そういう感じではないよね。ということを潔くはっきり聴かせてくれた感じ。音楽の本質をタイトルに惑わされずに捉えてると思いました。ときどき長くて退屈しちゃう演奏もあるけど、これはちっともそうではなかったのも吉。やっぱり良い演奏はぐいぐいとわたしを引き込んでいきます。第3楽章の不気味な感じも第4楽章のマンドリンとギターが良く聞こえた(マイク通してないのに)セレナーデも、奇をてらった感じじゃなくてとっても普通(でも、この曲だと何が普通なのか分からなくなりますね)な感じなのに、音楽に聴き惚れてしまうんですもの。この曲が好きだというのもあるけど、ビエロフラーヴェクさんとBBCシンフォニーの演奏の質の高さゆえでしょうね。

第5楽章は第4楽章に続けてではなくて、咳をする間をあけて始まりました。ティンパニのどんちゃん騒ぎと高らかな金管楽器のファンファーレ。この楽章、脈絡のない、とっても弱いフィナーレという評価もあるけど、今日の演奏はそういうことをちっとも感じさせません。むしろ音楽の圧倒的な大きさがそれを凌駕しているように思えるし、歓喜が自然に爆発しています。多分この音楽に例えば暗から明へみたいなストーリーなんていらない。5つの性格の異なる音楽という古典的な交響曲なのではないかしら。ハイドンやモーツァルト交響曲にストーリーを付けて演奏することがナンセンスなように、マーラーのこの曲だってそういうあり方もありに違いない。そして最後は、喜んで華やかに終わろうよ。

終わったあとのオーケストラとビエロフラーヴェクさんの満足そうな表情が印象的でした。

そうそう、マーラーの交響曲(第6番と第7番)といったらカウ・ベル。珍しい楽器なので理想の演奏家を探すのも大変みたい。ジンマンさんとトーンハレのカウベル奏者探しのドキュメンタリーです。ドイツ語分からなくてもおもしろいよ。
http://www.youtube.com/watch?v=y8RdzgB2Mug&feature=youtu.be
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by zerbinetta | 2012-03-09 07:43 | BBCシンフォニー | Comments(0)

一大興行ですよね マゼール、フィルハーモニアのマーラー「千人の交響曲」   

09.10.2011 @royal festival hall

mahler: symphony no. 8

sally matthews (sp), ailish tynan (sp), sarah tynan (sp),
sarah connolly (ms), anne-marie owens (ms),
stefan vinke (tn), mark stone (br), stephen gadd (br),
philharmonia voices, bbcsc, philharmonia chorus,
the choirs of eton college
lorin maazel / po


マーラーがニックネームを付けるのを嫌がってたとしても、マーラー好きさんが訳知り顔で「千人の交響曲」という表題は本人が付けたものではないといって眉をひそめたとしても、興行主が付けた「千人の交響曲」はキャッチーな表題だし、この曲の大成功に一役も二役も買ってると思う。それに、マーラーがどう思おうとこの曲は記念碑的な興行にふさわしい内容と形式を持ってると思うんですよね。今ではいろんな指揮者がマーラーの交響曲全集を録音しているから、この曲の演奏機会はあるとはいえ、そう易々とプログラムに載る音楽ではないと思うし、勢いがないとやっぱり音楽会にかけるのは難しいと思うんです(今回はマーラー記念年の一環としてマゼールさんとフィルハーモニアの交響曲全集の録音シリーズ)。第一、8人の歌手を一堂に集めてさらに、ふたつの合唱団(実際にはもっとたくさんの合唱団をふたつに振り分けていますが)、少年合唱までステージにのせちゃうのは、優秀な人を集めるのも大変だし、リハーサルも大変。コスト・パフォーマンスも悪いでしょう。だからこそ、凄腕興行主が「千人の交響曲」の宣伝の元に初演を一大文化イヴェントとして成功させた功績は、称えられることはあっても非難されることはないし、それよりもなによりも、マーラーのこの音楽がそういうイヴェントにぴったりの内容を持ってる。膨大な人数の音が出す最後の圧倒的な高揚感。音楽の枠組みを超えてしまったはちゃめちゃさは、ベートーヴェンの交響曲第9番の精神性と同じものを感じるんです。聴きに行くわたしも、大きなイヴェントに参加するみたいにわくわく。チケットを買った1年くらい前から楽しみにしていました。マゼールさんとフィルハーモニアのマーラー・サイクルの最後を飾るイヴェントです。

ロイヤル・フェスティバル・ホールは、客席数が3000くらいの音楽ホールです。その大きさを考えれば、1000人も演奏者が必要とは思えず、実際400人程度の人数でした。オーケストラ自体も交響曲第6番を演奏するのより小さいくらい。今のオーケストラはマーラーの時代に比べて音量も圧倒的に大きくなっているでしょうから、このホールでマーラーが指定した人数のオーケストラに演奏させちゃうと、ホールの音が飽和状態になってかえって何が何だか分からなくなりそうです。でも、その分、緻密な音楽が聴けるものと楽しみにしていました。もっとイヴェント的な要素の強い演奏は去年のプロムスの初日に聴いたしね。

マゼールさんの演奏、予想してたとおり、ゆっくりと巨象の歩み。相変わらず細部にこだわるマゼールさん。ブロックごとに緩急は付けるのだけど、やっぱりオーケストラがついて行ってない部分もちらほら。マゼールさんは指揮棒の先でちゃちゃっと音楽を動かそうとするのだけど、指揮の上手い人だからそれができる人なんだけど、でもなんだか小手先で音楽を作っているみたいで、ちょっと残念。はまったとき(例えば交響曲第5番の回や第9番の回)はとってもいいのだけど、上手くいかないと音楽が上滑りしているようで、あざとく聞こえてしまう。第1部はマゼールさんに振り回された感じでなんだかよく分からないまま終わってしまいました。この音楽、じっくり腰を据えて大局的に勢いで演奏した方が上手くいくんじゃないかしらと思いました。合唱(第1かな?)と少年合唱はとても良かったです。歌手は男声陣にもっと奮起を望みたいところ。ちょっとドキドキしながら聴いてました。女声でおや!と思う人がいましたが、セイラ・コノリーさんでした。この人ほんとに安定してて、いつ聴いても安心して聴けます。

第2部は始めの部分の合唱が、言葉のアクセントの強調や、絶妙な強弱で、神秘的な雰囲気を作ってとってもステキでした。でも、惜しむらくは、やっぱり男声の独唱。少し不安定で、大好きな法悦の神父とか、もちょっと陶酔的に美しく歌って欲しかったな。女声陣の方は、第2部はずっと良くなってきて、コノリーさんだけでなく、それぞれの歌が良く聞こえました。マゼールさんの微に入り細を穿った細かな音楽作りは第2部ではとても上手くいっていました。じれったいばかりにじぃ〜っくりと音楽を作っていって、普段でさえゆっくりなのが、もう丁寧すぎるくらい丁寧にゆっくり。いろんな音が聞こえてきてなんと情報量の多いことでしょう。たった1回では聞き取れないくらい。あとになればなるほど音楽が美しく響いてきて。魂が救われて天に、光の中に上っていく様が見えるようです。静かに美しく響く音楽にうっとりしてると、突然バキバキッという音が。なんと、コントラバス奏者がひとり倒れてしまいました。ちょうどコントラバスが休みの部分で、他の奏者に抱えられるようにして(意識はあるみたいでしたから大事にはならなかったでしょう)、舞台袖に引っ込んでいく間、音楽は止まるかと思いましたが、マゼールさんは一瞬目はやったものの気にせず、オーケストラも歌もそれ以上動揺なく音楽は進んでいきました。コントラバスは結局ふたりが欠けて6人になったけれども音楽を傷つけることなく、最後まで美しい天上の音楽が演奏されていったんです。そして最後の感動的な盛り上がり。じっくりとじっくりと大切に音を心の隅々まで浸み込ませていくかのように時間をかけて奏でられます。もう、この楽章の後半の美しさと最後の豊かな音量といったら。マゼールさんのマーラー・サイクルを締めくくる本当に素晴らしい演奏になりました。演奏時間も100分を優に超え、この演奏がいかに特別なものかが分かるでしょう。

マゼールさんのサイクルは結局、2、4、6番をのぞいて聴きに行きました(何故か奇数番ばかり)。ひとりの音楽家で聴き通すことによって見えてくるものもあったかと思います。なんと言っても、好みは別にして確固たるマーラー像を持っている優れた音楽家の演奏は心に残るものでありました。指揮台のそばに用意されたお水の入ったコップも見納めなのが少し寂しい気持ちがします。
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by zerbinetta | 2011-10-09 05:26 | フィルハーモニア | Comments(0)

例えばE=mc2の美しさに感動するように マゼール、フィルハーモニア マーラー交響曲第9番   

01.10.2011 @royal festival hall

mahler: symphony no. 9

lorin maazel / po


聴きに行く予定ではなかったのでチケットは買ってなかったんです。マゼールさんのマーラー・サイクル、興味はあるけど、交響曲第9番は一昨年、同じオーケストラで聴いていたので。そのときの感想は、これがマゼールさんのやりたかった完成型なんだ、と。マゼールさんのマーラーが完璧に表現された感じ。なので多分今回も同じように思うでしょう。だったら、わざわざ聴きに行かなくてもいいかな、と。でも、なんだかせっかくの機会を逃すのも惜しい。やっぱり、マゼールさんの第9番は、彼の完成された高みにあるんですもの。というわけで、安い席があったら聴こうと思って、そういえば、ダブル・ブッキングのチケットがあるからそれをリファウンドして買っちゃおうって。そんなわけで、聴いてきました。今回は珍しく、バルコニーの一番前の席(すみません。ここ高いんですけどあいてたので)。オーケストラが見渡せたし、音が良く聞こえました。

音楽は2年の時を経て、啓示を受けたように変わるわけもなく、演奏の有り様は前に聴いたときと同じです。最初と最後の楽章はとってもゆっくり。中間のふたつの楽章は普通のテンポ(第3楽章はやや遅めかな)。でも、マゼールさんのアプローチはこの曲にとっても合ってると思うんです。「大地の歌」のときはちょっと失敗かなとも思ったんだけど、第9は完璧と言っていいくらいしっくりと来る。多分、曲の構造が違うから。「大地の歌」はわりとホモフォニックに書かれてると思うのだけど、第9番はとってもポリフォニック。音楽が組み木細工のように精巧に入れ子になっていて、部分部分に分解しても壊れることなくしっかりつながっていると思うの。前の部分の音が終わる前に次の部分の音が入ってきたり、同じ旋律の音の長さを変えて一緒に演奏したり。そういうところがマゼールさんの音楽からしっかりと明瞭に聞こえてきて、こんな音があったのかと感心するばかり。もうそれはとっても面白かった。楽器ごとのバランスの取り方もマゼールさんの意志が強く反映していてとってもユニーク。第1楽章のお終いの方のホルンとフルートの掛け合いは、ホルンがものすごく控えめに吹かされてかわいそうだったけどね。
第2楽章もますます面白くって、マーラーが仕掛けた巧妙な対位法の旋律がひとつひとつきれいに聞こえてきて、これをここまでちゃんと分離させて聞こえさせるなんてマゼールさん凄いって素直に感心。一時も耳を離せないのよ。わくわくしすぎて。それは第3楽章も同じで、見事に併走する旋律線を描き分けていく。音楽から細工模様の線がとってもきれいに透けて見えて、もうそれだけで美しい。
そして最後の楽章もじっくりと丁寧に音楽を奏でていく。最後は宇宙が透明なエーテルで満たされていることを確信する。音楽というエーテル。

わたしはマーラーの音楽は頭で聴いてしまうタイプの人だけど、マゼールさんの音楽はわたしの脳細胞を心地良く刺激しまくり。何回も聴いたはずの曲なのにまるで初めて聞こえてくるような音がたくさん。情報量が多すぎて全部は聴ききれない。それでも不思議なことに、マゼールさんの音楽はとてつもなく面白いけど、心の奥から涙の泉が湧き上がってくる音楽ではないのです。感動しないとかではないんです。感動のあり方が違うの。音楽そのものの姿に感動するんです。多分、数学者が見事に単純化された数式を見て感動するように。結晶化学者が、幾何学的に積み重なった結晶を見て心を震わせるように。生物学者が卵から孵ったばかりのひよこが立ち上がるのを見て感動するのとは違う感動なのです。でも、その感動に優劣はないし、違った感動のしかたができることに幸福を感じざるを得ません。マゼールさんが今日の演奏で成し遂げたことは、とてつもなく素晴らしいものでした。涙が出るのとは別の次元の深い感動がありました。知恵熱が出そうなほどに。
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by zerbinetta | 2011-10-01 04:13 | フィルハーモニア | Comments(0)

問君何所之  マゼール、フィルハーモニア「大地の歌」   

29.09.2011 @royal festival hall

mahler: adagio, symphony no. 10, das lied von der erde

alice coote (ms), stefan vinke (tn)
lorin maazel / po


マゼールさんとフィルハーモニアのマーラー交響曲全曲サイクル。夏休みを挟んで、いよいよこの秋は、最後の3つの交響曲です。今日は未完に終わった交響曲第10番の第1楽章、アダージョと「大地の歌」です。マゼールさん、第10番はマーラーの書いたアダージョしか演奏してくれないんですね。わたしは、補完された全曲版が好きだし、マゼールさんならきっと面白い演奏をしてくれるに違いないと思っていたので残念です。

アダージョ、わたし的にはこれ、アンダンテだと思うのだけど(確かにコラールっぽい第1主題はアダージョだけど、序奏や無機質な第2主題とかはアンダンテだし、楽章全体を支配している気分はアンダンテだと思う。マーラーが楽譜の表紙にアダージョと書いてたとしても)、マゼールさんはもろにアダージョで演奏しました。もう最初からアダージョ。アンダンテと書いてある、ヴィオラのパートソロからアダージョ。マゼールさん、そこアンダンテって書いてあるよって教えてあげたいくらいにアダージョ。跳躍が多くて調性の曖昧な、トリルや前打音がたくさんちりばめられてる20世紀に足を踏み込んだような乾いた無機質な第2主題の部分も、テンポの対比を抑えてアダージョ気味。何か不思議な粘りを感じました。わたしにはいまいち、マゼールさんがどんなものを表出したいのかよく分かりませんでした。多分、わたしだけではなくオーケストラもよく分かっていなかったんじゃないかと。フィルハーモニアには珍しく弾くのかなり苦しんでた。何とかマゼールさんの棒について行ってたけど、つなぎ目が崩壊寸前で何とか踏みとどまってる。真ん中あたりのヴィオラのパートソロなんて見事にずれちゃって2声になっちゃってるし(わざとじゃないよね)。マゼールさん、19世紀の崩壊の瞬間を描こうとしたのかな。なんて勘ぐっちゃう。

それ以上によく分からなかったのが「大地の歌」。いえ、立派な演奏でしたのよ。最後の美しさはもうこの世のものとは思えないほどだし、これを聴いたらもう全てを許しちゃうと思ったもの。あの瞬間のために全てはあったと。
もちろんそんな訳はないんだけど。ずうっと収まりの悪いまんま聴いていました。実はマゼールさんってこの曲苦手なんじゃないだろうか。マーラーの交響曲全集を前に録音したとき、入れてなかったこともあるようだし。何かこう、音楽を分解していって、部分部分のディーテイルを描き出すんだけど、それを元通り組み立て直すのに失敗してるというか。マゼールさん、指揮棒の先で何でもできちゃうので、(マゼールさんはそんなこと思ってもないんでしょうけど)小手先で音楽を作れちゃって、心の奥にぴんと来るものがないのよね。
歌も、ヴィンケさんの歌はよく分からなかった。ヘルデン・テナーなことは分かったんだけど、合っているのかいないのか。自暴自棄よれよれの酒の歌だからこれでいいのかも知れないんだけどね。
最後の楽章がとてもゆっくりで、全体としても80分近くかかっていたと思います。ゆっくりと細部にこだわって描くやり方は、最後の楽章には良かったし、始まりにも書いたように最後の部分は本当に美しかったの。でも、その美しさはをどういう気持ちで聴いたらいいのだろう?マゼールさん教えてよ。
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by zerbinetta | 2011-09-29 09:29 | フィルハーモニア | Comments(0)

ロンドン・フィルのトランペットの鉄の規律?   

28.05.2011 @royal festival hall

haydn: symphony no. 88
mahler: songs from des knaben wunderhorn
brahms: symphony no.4

hanno müller-brachmann (br)
vladimir jurowski / lpo


音楽会が始まる前、ロンドン・フィルハーモニックでは、トランペットのパートでちょっと面白い(?)儀式が行われます。トランペットの主席は、ポール・ベニストンさんというにこやかでフレンドリーそうなおじさん。そんな、ベニストンさんが作る鉄の規律。って大袈裟な。ロンドン・フィルハーモニックの人は、音楽会が始まる少し前に三々五々、ステージに出てきます。トランペットも。でも、トランペット・パートの中でベニストンさんは必ず最後に、満面の笑みでにこやかにコントラバスの人やトロンボーンの人に声をかけたりしながらステージに現れます。そして、下っ端トランペット部員は、それを立って待っているのです。そして、必ず、ベニストンさんと握手して挨拶して、それがひとりひとり終わったところで、ベニストンさんが着席するのを合図に全員で着席するのです。こんなことをやっているのはトランペットだけ。最近は、先に出てきた部員が座って待ってて、ベニストンさんが来たら立って挨拶することもあるのだけど、主席を必ず立って迎えることには変わりがありません。いつも見ていてふふふと笑ってしまいます。ぜひ機会があったら、ロンドン・フィルのトランペット、観察してみてくださいね。ちなみに休憩後のときはこんなことはしません(もうすでに挨拶してるから?)。

と余計なことを書きつつ、ハイドン。交響曲第88番は、どなたかが、それぞれの楽章が独立した個性を放っていて、ハイドンの交響曲の中でも一番の傑作のひとつとおっしゃっていましたが、わたしも好き。ユロフスキさんはいつもハイドンをステキに演奏してくれるので楽しみでした。ティンパニは昔の小さなタイプ、トランペットはピストンのないナチュラル・トランペットを吹いていましたが、ホルンは普通のフレンチホルンです。
ところがこれ、今日は不思議なハイドンでした。いつもみたいな快活さがないの。ユロフスキさんはにやりとニヒルな笑みを浮かべて振っていましたが。テンポがゆっくり目で、コントラバスがオクターヴ下を弾いているのではないかと思えるほど重く、速めのテンポで古典作品を振るいつものユロフスキさんらしくないの。かといってそれがつまらない演奏なのではなく、何か部品を精緻に磨いてそこここに置いてるみたいな、実を言うと先日のパッチワークのようなマゼールさんのマーラーの演奏を思い出しました。機械仕掛けの時計の歯車のようなハイドン。新しい発見がたくさんあって面白かったけど、この演奏が良い演奏なのか悪い演奏なのか、わたしには戸惑いが残りました。

マーラー記念年シリーズの曲目は少年の不思議な角笛から7曲。全てバリトンの独唱です。「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」「高い知性への賛歌」「ラインの伝説」「不幸な時のなぐさめ」「この世の営み」「少年鼓手」「死んだ鼓手」が選ばれました。実は、ごめんなさい。わたしダメでした。歌手の背中が見える席で聴いていたのでちゃんとしたことは書けないけれども、ミューラー=ブラッハマンさんの歌はわたし好みではありませんでした。声が、思いっきりバス寄りのバリトンで、ここで思いっきり戸惑ってしまったのがいけなかった。そして彼がスロウ・スターターというか声が暖まるまで時間がかかったようだったこと。第一印象が悪かったんです。なんか歌えてないところを身振りや語りでごまかしているような気がして。上手だったのは高い知性のロバの声。とても失礼なことを感じながら聴いてしまいました。反面オーケストラは上手く(弦楽器は少人数(第1ヴァイオリン12人)の演奏でした)、ユロフスキさんの指揮でマーラーの中期の交響曲を聴いてみたいと思いました(来年はマーラーは採り上げないのね)。でも、会場からは大きな拍手を貰っていたので、違和感を感じていたのはわたしだけだったのかも知れません。わたしの席ではあのバスの声をちゃんと聴くのは難しいですし。でも、ミューラー=ブラッハマンさん、ハンサムだったので、今度はかぶり付きの席でちゃんと聴いてみたい。

休憩の後はブラームスの交響曲第4番。確か、ユロフスキさんとロンドン・フィルはブラームスの交響曲第1番と2番をCD出だしているので、この曲も秋に採り上げた第3番と一緒にCDで出るのでしょうか。
いきなり、ヴァイオリンのアウフタクトの音をしっかり溜めて思わせぶりに粘るというロマンティックな解釈。ゆったり目のテンポで、いつも快速テンポのユロフスキさんなのでびっくりしました。そんなブラームスの演奏は、なんだかとても美しくて哀しい。雨の日の朝。雨粒が空気に浮かんだ汚れを落として、森を透明にするような音楽。想い人のいる故郷を離れて、遠くに離れていく悲しみ、秘かに想っていた人が親友と恋仲になってしまう、そんな手の届かない幸福、憧れを想う悲しみに満ちた音楽でした。
とても集中力のある演奏。弦楽器の美しさは格別でしたが、特に第2楽章中間部のチェロの歌がステキでした。フルートもがんばっていましたね。オーケストラは今日一番の大編成で(打楽器をのぞく)、コントラバスはステージの後ろの左右に4人ずつ振り分けて並ばせていたのがちょっと珍しかったけど、音の厚みが増したように聞こえました。
曲の良さもあって、心の洗われるような演奏でした。
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by zerbinetta | 2011-05-28 08:39 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(0)

これを怪演と言わずして何を怪演と言うのでしょう   

26.05.2011 @royal festival hall

mahler: symphony no. 7

lorin maazel / po


マゼールさんとフィルハーモニアのマーラー交響曲シリーズ、何はなくともチケットを取らなきゃと思ったのは今日の交響曲第7番です。だってだって、スミスさんのティンパニ、大活躍、絶対すごいことになるんだから。マーラーのこの曲を聴くのは、ロンドンに来てから今日が3回目! しかも1回目は同じフィルハーモニアで(サロネンさんの指揮)、ティンパニのスミスさんに注目することを決定づけた音楽会だったんですね。今日もわくわく。

厳選してとおっしゃりながら、マゼールさんのマーラー・シリーズを皆勤賞で聴いてらっしゃるMiklosさんによると、マゼールさんが暗譜で振ってるときの演奏が調子良いらしい。で、今日みると譜面台無し。暗譜だ、やりぃ。ところが、マゼールさんが出てこられると、? なにやらヴァイオリンの後ろの方の人が舞台袖に引っ込んで、あれれ?弦が切れたのかなとか思って見てたら、会場係の人が出てきて譜面台を準備。譜面台を出し忘れるという不手際。まあ、そんなことでは動じない百戦錬磨のマゼールさんではあるんだけどね。ちょっと変わった譜面台事件でした。

さて、マゼールさんのマーラー交響曲第7番は。これがもう見事な怪演でしたのですよ。この間の交響曲第5番も凄かったけど、今日の第7番もそれに輪をかけて凄い。そして、その怪演ぶりがこの曲の新しい魅力を引き出すんですね。だって、マーラーの音楽も実はとっても変態的。かなりとんでもないことになってるので、とんでもない演奏が似合うのです。

まず第1楽章。ゆっくりめで始まった序奏。ちょっぴりミスっちゃったけど、テノール・チューバいい音で吹いていました。上手い! 序奏の真ん中の部分はさらにテンポを落として、このやり方は、どなたかの演奏をCDかなにかで聴いたことがあるので、それ自体には驚きはないんだけど(普通は同じテンポか少しテンポを上げる演奏が多いの)、実際に聴いてみると面白い。それにマゼールさん、弱音を強調したりするので、音楽が止まりそうな感じになってドキリ。これは主部に入って相変わらずスロウ・テンポでも同じ。普通のテンポで弾きたいオーケストラとあくまでゆっくり弾かせたいマゼールさんとの間でときどきせめぎ合いがあったりしてこれがまた面白いのね(最後の楽章が特に)。今日のマゼールさんの演奏は、第2楽章と少しだけゆっくり目の第4楽章以外はかなりゆっくりとしたテンポで、この曲1曲だけなのに音楽会が終わったのは9時を10分ほどまわってました。最初の譜面台事件があったにせよ、この曲を90分近く(もしかすると超えてた?)かけて演奏したことになります。たいていの演奏が70分台で終わるところを見ると、ずいぶんとゆっくりした演奏であると言えますよね。
そのゆっくりとしたテンポ、特に弱音を強調した絶妙な強弱の揺れ、で演奏されると、第1楽章は崩壊すれすれの音楽。短い部分部分がパッチワークのように組み合わさってできているような音楽では、マゼールさんのやり方では、部分部分を繋ぐ膠の部分がとろけてしまって、部分がばらばらになってしまいそうなんです。そこを絶妙なさじ加減でくっつけて崩壊しそうでばらけない危険な感じのスリリングな音楽になっていました。そして、独立的に演奏されるその部分部分をとっても丁寧に微に入り細を穿ち演奏して聴いたことのない世界を創出したのが今日のマゼールさんです。中間のハープが活躍して唯一ねっとりと美しい部分はとろけるように糸を引いて、芳醇で頽廃的な美しさ。ここも一歩間違えれば腐ってしまいそうな成熟度でした。トロンボーンのソロもとても印象的で、この音楽が交響曲第3番の第1楽章から直接つながった音楽であることを、明確に耳に実感させるものでした。ここまではっきりとそれを感じたのは、今回の演奏が初めてです。

第2楽章はわりと普通のテンポに近かったかな。この楽章が顕著なんですが、マゼールさん、ソロの弾かせ方がとっても上手くて、それぞれの奏者にかなり極端なニュアンスを要求していて、まさにマゼール節なんですが、オーケストラの奏者はマゼールさんに言われてそのように演奏しているのではなく、それぞれが自発的に演奏しているふうなんですね。マゼールさんの手腕を褒めるべきか、オーケストラの人たちの上手さを褒めるべきか。まさかオーケストラの皆さんが変態になってしまったわけではなく。。。あっ変態といえばスミスさん(失礼)。第1楽章では少し控え目(とはいえ普通のティンパニ奏者に比べたら3割り増し)だったんだけど、この楽章では面目躍如。ずどんと楔を打ってきましたね。この楽章の木管楽器が細かい音を吹くところでは、やっぱり交響曲第3番の今度は第3楽章に直接つながって来てるのがはっきり分かって(どちらも森の音楽)ますます面白くなってきました。ほんと、マゼールさんのマーラー、面白いんですよ。いろんな音が聞こえていろんなことに気づかされるし、ふふっと笑ったり、おおやるぅってびっくりしたり、楽しくて楽しくて。次はどんな仕掛けが飛び出すんだろうってわくわくする、なんだかお化け屋敷のような楽しさ(ごめん!わたしお化け屋敷怖くないんです。ただおどかされるとびっくりしいなので必要以上にはけ敷く反応しちゃいます)。マーラーの交響曲第7番はホント楽しい音楽です。

続くスケルツォはまたまたスロウ・テンポで、部分部分、今度はさらに点描的で、音と音に分けていきます。この描き方が凄く面白い。っていうか、マゼールさんも凄いけど、こんな音楽を書いたマーラーも凄い。ここでもスミスさん大活躍。最後の一打はシャープに思いっきり叩いていました。今日の演奏では1、3、5の奇数楽章がほんと面白かったです。夜の音楽とは全然性格が違って書かれてるのが、もしかして、大地の歌の構成につながるのかな。

第4楽章ではちょっと問題発生。この楽章にはギターとマンドリンがちょい役で加わるのだけど(とはいえ重要音色を加える役)、これらの楽器のバランスが難しいんですね。音が小さいのでまともに弾いてたらオーケストラの影になって聞こえない。まあかすかに聞こえてればいいのかも知れないんですが。マゼールさんはマイクを通して若干音を増幅させていました。なのであざといくらいよく聞こえるし、ギターの音色がなんかずっしり重い。恋人がセレナーデを歌い、夜のとばりに囁き合ってるというより、痴情のもつれを必死に言い繕って説得してる感じ。でも、もうすでにわたしは、マゼールさんの術中にはまってるので、マゼールさんなら何をやっても許すという体制にあるのでした。いいんです、マゼールさんなら。

第4楽章ではティンパニは入らないので、わたしのときめきは飢餓状態になってる分いよいよ高まります。だってフィナーレはいきなりティンパニのソロの乱打。最高に楽しい瞬間にドキドキ。ゆっくり目のテンポで重いティンパニ。いいのよいいのよ。スミスさん炸裂。オーケストラを聴きに行ってずっとティンパニに耳を傾けてるというのもアレなんですが、それだけの価値あるんです。わざわざ耳を傾ける価値のある、3つ星ティンパニに決定です。
この楽章はテンポが目まぐるしく動くこともあって、普通のテンポで弾きたいオーケストラとゆっくり演奏するマゼールさんとの間でせめぎ合いがあって、途中から演奏に入ってくる奏者たちが飛び出したテンポぎりぎりで入ってきたりして一歩間違えればアンサンブルが乱れるぎりぎりの展開。でもその予定調和じゃないところが面白くて、多分マゼールさんわざとやってる。心憎いばかりの上手さですね。最後は、管楽器の音をかなり伸ばして、ずばっと全奏。最後まで笑かしてくれました。ブラヴォー、マゼールさん。

やっぱりいつもと同じ結論だけど、マゼールさんのマーラー面白い! ともすればつまらない音楽のこの曲(わたしは大変好きですが)をこんなに面白く聴かせてくれるなんて。全く隙がなくて完璧で最後まで一気に聴かせてくれるんですね(演奏時間は長いけど)。この曲の弱点といわれる、フィナーレがぽつんと浮き上がってしまうこともなくて、どういう訳か音楽に1本筋が通ってて統一が図られてる。マゼールさんに応えるフィルハーモニアも凄いし、マゼールさん以上に変態のスミスさんも凄い。大満足の音楽会でした。

ってふふふ、わたし音楽を聴きに行ってるんですよ。決してフィオナちゃんを観に行ってるわけではありません。あっへへ、今日は私服フィオナちゃんを見てしまいました。ステージに座ってるときはちょっぴりぽっちゃり系かなって思っていたけど、細身のジーンズ姿の彼女はすらっとしてスタイルいい〜。やっぱりフィオナちゃんです。
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by zerbinetta | 2011-05-26 07:52 | フィルハーモニア | Comments(6)

マゼールさん、あなたの変態にわたしついて行きます   

08.05.2011 @royal festival hall

mahler: symphony no. 3

sarah connolly (ms)
lorin maazel / philharmonia voices, tiffin boy's choir, po


と勢いよく言ったものの、はじめに断っておきます。わたし変態ではありません。じゃなかった、マゼールさんのマーラーの交響曲第3番とわたし、ウマが合いません。実は、今日の音楽会のチケット、取っていませんでした。理由は、7年くらい前にニューヨークで、マゼールさんのこの曲を聴いて(CDになっているのです)、つまらないと思ったからです。長い第1楽章で飽きちゃって。でも、やっぱりマゼールさんの変態ぶりは聴いておこう、この先、滅多に聴けるかどうか分からないし、フィオナちゃんもいるし(やっぱそこか)。

で、予想は当たったんです。最初のホルンのユニゾンはとても期待の持てるものでした。今日のホルンのユニゾンと金管楽器はとってもいい音出してました。最初の切り立つような峻な山肌感の暗く澄み切った音楽もとってもステキだったんです。もちろん、マゼールさんはアクセントを強調したり、フレーズを伸縮させたり、極端過ぎはしないけど、いろいろやってそれは面白かったんです。一転して夏の日が昇る野原も、時間を伸び縮みさせてマゼールさん流の世界を創っていきます。ところが、行進曲にはいると頑ななまでにゆっくり目のインテンポを貫くんですね。この部分って音楽的には退屈な部分だと思うんですね、特にこういうやられ方をすると。木管楽器とか結構はちゃめちゃなことをやってるので、それを強調してテンポを揺らせばもっと面白くなると思うんですけど、マゼールさんって普段はテンポとか揺らすくせに、どうしてここだけインテンポを守るんでしょう。行進曲だから? ニューヨークでわたしが退屈した理由が今日分かりました。なんか、わたしの思ってることの反対のことばかりやってるので、わたしとウマが合わないんですね。それでも、退屈感はもう経験済みだったので、今日はいろんな音に耳を済まそうと思って聴いていたから楽しめました。リーダーのヴァイオリンソロが、わたしの音程感とずれていたのは気のせい?
第2楽章はあっさり少しだけ速めのテンポで始まったと思ったら、またテンポ感を失って、でも、爽やかな風が吹いているようでステキ。実はこの曲の中でこの楽章がずうっと一番好きだったんですね。あまり仕掛けてこない、マゼールさんにしては普通の演奏かな。
第3楽章はとってもまとも。とはいえ、マゼールさんソロの部分も一所懸命振っていて、ちょっとリハーサル足りないのかしらと思いました。とっても上手いのだけど、全体的にこの間の第5番ほど音楽がこなれていないような感じもしましたし。今回は(多分フィルハーモニアとのマーラー・チクルスは)レコーディングもされてCD化されるんでしょうが、ひとつの曲に対して1回しか本番がないというのは(地方での公演もあるので少しの例外はあるけれども)きついのではないかと思いました(ニューヨークでのライヴ録音はニューヨーク・フィルの音楽会が4回ずつあるので4回の本番があることになります)。中間部のポストホルンのソロは、本物のポストホルンを吹いていました(この楽章が終わって奏者がポストホルンを持ってステージに帰ってきたので分かりました)。とぼけた感じの独特な音色だけれども、吹くの難しそうですね。そもそも楽器じゃなくて郵便屋さんのラッパだったわけだし。そういえばベルリン・フィルのときはトランペットで代用してましたね。音楽的な完璧さをとるか鄙びた音色をとるかは、難しい選択だなぁ。

歌の入る、第4楽章は遅くならないテンポで。歌い手は、病気降板のストーティンさんから先日聴いたばかりのコノリーさんへ。コノリーさんの歌はいつもながら安定していて安心して音楽に浸ることができます。弦楽器の音の揺らし方が面白いと思いました。
今日一番、面白かったのが第5楽章。まず鐘の音。普通、音程の整ったチューブラ・ベルを使うと思うんですけど、マゼールさんの選んだのは音程の曖昧なベル。頭に聞こえたときはどうして?って思ったけど、教会の鐘みたいで面白い。楽器のチューブラ・ベルだと、音程は正しいけど、楽器なんですね。ここは、教会の鐘としての音色を取ったということでしょうか。ポストホルンの選択といい、マゼールさんの音色へのこだわり筋が通ってますね。それから、例えばチェロに出てくる旋律に普通ではないアーティキュレイションを付けていたのも面白かったです。なんだかぱっと明るい音楽ではなくて、どういう訳か枯れた感じ。
最終楽章は聴くだけで感動してしまう音楽だけど、さすがにマゼールさんはあんまり奇をてらわずに、でもフレージングとかはとっても丁寧に演奏してくれました。特に弱音はきれいで、1回目の爆発と2回目の爆発の間の静かな弦楽合奏の部分は、本当に美しく、彼岸の音楽でした。やっぱり、マゼールさんの今回のシリーズのマーラーは、マゼールさんの到達点を示していると思います。マゼールさんももう80歳を超えて、これから先、マーラーの曲を全曲振るということは難しくなってきます。集大成として演奏に望んでいることは想像に難くありません。そんな気迫が演奏にも感じられるし、音楽そのものが、好き嫌いは別にして、ひとりの芸術家の究極の到達点を聴くことができる僥倖に幸せを感じます。

マゼールさんの音楽は、この間の第5番でみせた変態的なものではありません(他の人から比べればそれでも変態的なのかも知れないけど)。多分110分くらいのとってもゆったりとした演奏で、やっぱりマゼールさんの世界観が詰まっていました。ただそれが人工的に感じたのも事実。とても美しいものを聴いたのですが、それは自然のものではなくてあくまでも人工物。西洋音楽(芸術)はあくまでも人工物の美だと思うのですが、マーラーのこの曲は自然の美しさをそのまま音楽に写したという局面もあると思うのですね。そこが、マゼールさんとわたしのずれだと思うんです。わたしはこの曲を野原の風の中で聴くのが好きで、中学生の頃、カセットプレイヤーを持って野原に寝ころびながら聴いていたのです。自然の音として音楽が聞こえる。求めている世界が違うんですね。

フィオナちゃんと後ろの人(名前分かりません)
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by zerbinetta | 2011-05-08 09:42 | フィルハーモニア | Comments(5)

僕のフィオナちゃんと変態満喫   

05.05.2011 @royal festival hall

mahler: six songs from des knaben wunderhorn, symphony no. 5

sarah connolly (ms), matthias goerne (br)
lorin maazel / po


いきなりぼくっ娘になっちゃってるけど、フィオナちゃんなんです。わたし的にはフィルハーモニアはティンパニのスミスさんとフィオナちゃんを見に行くための音楽会なんですけど(きっぱり)、わたしがずうっと目を付けてきたおふたりに魔の手が。ブログ仲間のMiklosさんがあろう事か俺のフィオナちゃんだって。ううん、フィオナちゃんはわたしのものよ。などとどうでもいいことから始めてみましたが、マゼールさんとフィルハーモニアのマーラー・サイクル、ロンドンの公演は、気がつくとストイックにマーラーの作品のみを演奏するんですね。地方での公演はその限りではないけど、意外と芯が通ってることを発見してちょびっと好感度アップ。そして今日は交響曲第5番(アダージエットで有名)と少年の魔法の角笛から歌曲を6曲。いつも奇抜な衣装で度肝を抜くセイラ・コノリーさん、今日はシックなブラウン系の無地のドレスでまともでした。

角笛歌曲は、「トランペットの美しく鳴り響くところ」「ラインの伝説」「この世の生活」「原光」「死んだ鼓手」「少年鼓手」です。マゼールさんが指揮棒を構えた瞬間からそこはマゼールさんの世界。空気を瞬時に変えられるマゼールさんはやっぱり凄い。で、面白かったというかびっくりしたのが、前半の3曲をコノリーさんが、後半3つをゲルネさんが歌ったんです。よくあるのは、男声と女声が交互にうったったりすると思うんだけど、そうではなかったんですね。だから、原光でいきなりゲルネさんが歌い出したのにはびっくり。だって、この曲、交響曲第2番の第4楽章にもなっているけど、女声でしか聴いたことなかったから。
音楽は、オーケストラが伴奏になるところは抑えるものの、全体的には完全にマゼールさんの音楽。マゼールさんの雰囲気作りが上手くて、なんだか暗い世界に引き込まれました。最期の少年鼓手はもうそのまま、交響曲第5番と同じ世界ですね。交響曲第5番はいわゆる角笛交響曲ではないけれども、死んだ鼓手と少年鼓手と第5交響曲の作曲時期は重なってるし、音楽も旋律が引用されているのです、ということに気がついてはっとしました。軍用太鼓(中太鼓)をマレット付きのバチで叩かせていて、独特のずどんとした音色を作っていたのが印象的でした。
歌手はおふたりとも言うことなしでした。コノリーさん服装の趣味は悪いけど(今回は別です)、彼女の歌でがっかりさせられたことがありません。常に最高の状態で歌えるプロ中のプロですね。ゲルネさんの方は、体を揺すったり身振りを交えながら、歌っていました。この人の音楽への没入度はとっても深くて、世界を自分の中に体現して歌ってる感じです。声も暗い音楽に合っていました。
ただひとつ残念なのは、角笛からの抜粋だったことです。できたら、このふたりの歌手で全曲を聴きたかった。マゼールさんのマーラー・サイクルはCD化されるみたいですが、歌曲は外されるのでしょうか。だとしたらとても残念ですし、だから角笛も抜粋になったとしたら二重に残念です。

交響曲は、もうマゼール節満開。お腹いっぱいになるくらい徹底的にやってくれましたね〜。緩急を極端に付けたり(全体的にはかなり遅い演奏でした)、強弱を極端に付けたり。マーラーの音楽と言うよりはっきりマゼールさんの音楽なんですけど、わたしにはそれがちっとも嫌ではなかったです。全く楽譜通りではないんだけど、それがいいんです。最近の演奏スタイルの傾向は、楽譜に忠実、作曲者の意思は絶対、が金科玉条のように言われてるけど、だったら演奏家って何? 作曲者の召使い? ですよね。わたしは演奏家も作曲家も音楽においては対等だと思うんです。だいたいマーラーの時代だってそうでしょう。マーラーは積極的に過去の音楽に朱を入れたし(編曲したのもあれば、当時一般的だったテンポやアーティキュレイションを変えていたフシがある)、自作にも演奏ごとに朱を入れてたのは有名(ウォーク・イン・プログレスなのかもしれないし、演奏家の立場で演奏者(会)に合わせての変更だったのかも知れない)。マーラーが今に生きていたら、きっと、演奏家の立場で、楽譜とは違った演奏したと思うんです。だから、わたしは、楽譜の指示とは違う演奏解釈があってもいいと思うんです。それが理にかなっていて納得できるものであるならば。マゼールさんの演奏はまさにそう。一点の曇りもなく説得力があります。
最初のふたつの楽章は、鬱々ととっても重い。足を引き摺るような行進と暗い激しいけど鬱屈した音楽。意外なことに対旋律を弱音に抑えることで、歌謡的な旋律線を浮き立たせていた感じです。第1楽章の最初のトリオに入ったところ、突然音が弱くなってどこにいるのか分からなくなってドキリとしました。金管楽器はかなり鳴らしていたのですが、曲の前半はちょっと荒く感じました。後半になると荒さが取れてきたんですけど。それにしても、オーケストラはマゼールさんの独特の歌い回しによくついて行ってましたね。そして相変わらず、スミスさんのティンパニが音楽に楔を打つようにしっかりとアクセントを付けて演奏をリードしていました。マゼールさんの意志をオーケストラに伝えたのは、弓と身体でリズムをとっていたリーダーのヴィゾンテイさんと、このスミスさんでしょう。
スケルツォは、一転明るい雰囲気、と思ったら、これもずっしりとお腹にたまる音楽。なにかこう、マゼールさんの音楽、普通の1秒ごとにカチカチという時間が流れていなくて、相対性理論で予測されるように、時間が延びたり縮んだり。よく知ってるはずの曲なのに、どこにいるのか分からなくなるというか、そんなことはどうでもよくなって、時間も空間もふにゃふにゃと柔らかで、有名なダリのとろけた時計の絵の中の世界。コーダにはいるところで大太鼓のソロがリズムを刻むところ、あれ?こんなリズムだっけと驚いていると、ヴァイオリンが入ってきて、あっこんなに遅いテンポで弾いているのか、とリアライズ。すぐに現実に戻って、テンポは戻ったんですけどね。ほんと油断してると何されるか分からない。

あっそうそう、指揮台のそばの椅子にお水が用意してあったんですけど、何かなと思ったら、マゼールさん用のお水だったんですね。スケルツォの前と、あとでちょっと間を開けるときに、飲んでいました。グラスのお水、ほとんど飲んじゃった。ってずいぶんお水飲むんだなぁと変なところに感心(わたしは水をほとんど飲みません)。

アダージエットは、わりとさっくりかと思ったらさにあらず、途中から、やっぱり時間の感覚がなくなってしまいました。もう速いのか遅いのかも分からない。でも、ものすごく静寂で美しい、でも甘さを寄せ付けない、どちらかというと人肌の感情のないミスター・スポックみたいな、とわたしなに書いてるんでしょう、なんだかマゼールさんに当てられて自分でもよく分からなくなっていますが、こうなんだか、美の世界にいるみたいなんです。美の世界って、全てが数学的に整っていて人間の感情なんてお構いなしに自律してる世界でしょ。ってピタゴラスな感じだけど、そんな世界がマゼールさんにはあった。
最後のロンドももうどこに連れて行かれるのか、多分大団円が待ってるとわたしの記憶は告げているんだけど、もうどうでもよくなって、宇宙の穴にぽっかり放り出されて、ああ好きに、好きなところに連れてってって感じ。これだけ、マゼールさんの変態ぶりに付き合ってきたら、でも、わたしのなかのマゾキズティックな資質が頭をもたげてきて、なんだかわたしの文章も変態的。いいんですよ。もういいように弄ばれたから。最後は開放感からか大拍手になったのでした。かなり特異な演奏。わたしは、ほんと変態的と思っていたのですが、スタンディング・オヴェイションをしていたお客さんは、音楽に感銘を受けていたのかしら。わたしは、もう心から面白かったけど、そしてサディスティックにいたぶられて疲れたけど、わたしの聴き方が変態的だったのかな。
ずうっと、わたしのフィオナちゃんばかり見てたけど、健気に弾く姿に萌え〜〜。あっやっぱり変態だわ。

わたしのフィオナちゃん、第2ヴァイオリンのトップ下です。後ろのフルートの女の人はゲスト・プリンシパル。ロイヤル・フィルのプリンシパルさんです。
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マゼールさんとフィオナちゃん(半分)
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by zerbinetta | 2011-05-05 09:09 | フィルハーモニア | Comments(4)

年下の男の子   

24.04.2011 @royal festival hall

judith weir: we are shadows
mahler/cooke: symphony no. 10

vasily petrenko / national youth orchestra of great britain


しつこくマーラー記念年。10代の若者のオーケストラが、マーラー/クックの交響曲第10番を演るというので聴いてきました。ってか、指揮者のペトレンコさんが大好きなのでチケット取りました。
若い人たちってときにびっくりするくらいステキなことするのです。この間はロンドンの(多分)高校生のオーケストラだったけど、今回はイギリス全土から集まる10代の若者のオーケストラ。アマチュアとはいえ多分、多くはプロを目指していると思われる、かなり上手いオーケストラでした。ペトレンコさんはやっぱりステキ〜〜。指揮者界の王子様だわ。背が高くってきれいな金髪でノーブルな感じ。そしてアマチュア・フットボーラーでもあるのです。

最初のウィアーさんのわたしたちは影は、合唱、少年合唱を含む大編成の曲。オーケストラも大人数で、これはパートが多いというより、たくさんの若者にプレイするチャンスを与えたい、または、アマチュアゆえの音量不足をカバーしたいという意図があるのでしょうか(実際プロのオーケストラでも超一流のオーケストラは音量が大きいです)。
ウィアーさんの曲は初めてなんだけど、新しさはないけどとても良くできた曲だと思いました。大人数の合奏向きで、今日の演奏者にぴったりな感じ。分かりやすさも、若い人が共感しやすいのではないでしょうか。少年少女合唱の前列右から2番目の男の子がかわゆらしかったぁ〜。まだ小学校に上がる前かなぁ。年下だけど、お友達になりたい〜。

なんて馬鹿なこと言ってないで、というかあと目を付けた男の子は、第2ヴァイオリンのトップの子。OAEのリーダーのひとりに似てる。親子という歳じゃないので兄弟かしら。若い子見ると胸がときめいちゃうのよねっ。
マーラー/クックの交響曲第10番は、実はこの選曲ありかなぁって思ったのです。というのは、偏見だけど、マーラーの後期の音楽って、若者が理解したって言ってはいけない音楽だと思うからです。それにかなり難しそうだし。マーラーで演るのならば、交響曲第1番とか、若々しい音楽の方が合うんじゃないかなって。まさに青春時代の人が演奏する青春の音楽ってぜひ、聴いてみたいじゃないですか。交響曲第10番は、第9番や大地の歌と違って未来に向いているからいいのかもしれないし、この間のドゥダメルさんの第9番の演奏のように全く新しい音楽を見せてくれる可能性もあるので、やっぱり偏見なんですけどね。
アマチュアのオーケストラなので演奏の評は控えますが(といいつつ、とっても良い演奏でした。アンサンブルも良かったし、思いっきり練習して弾き込んでるのがよく分かる、慣れや手抜きの一切ない演奏でした)、ペトレンコさんの音楽は、緩急をはっきりさせた分かりやすい音楽で、ときどき面白いテンポの変化があって、この人のマーラーの演奏をもっと聴いてみたいなって思いました。ゆっくり歌った最終楽章のカンタービレの音楽は感動的でした。最後、ペトレンコさん力を出し切った感じで、演奏の本気度が凄かったです。ペトレンコさんにとってもオーケストラにとっても、もちろんわたしにとっても、一期一会の演奏に違いありません。
今日のお客さんは、オーケストラや合唱の人の家族や関係者が多かったです。でも、いつものお客さんよりとてもきちんと音楽を聴いていました。イースターの日の午後のステキな音楽会でした。
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by zerbinetta | 2011-04-24 06:45 | イギリスのオーケストラ | Comments(2)