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モーツァルト聴いても頭良くならないよ 飯守、東京シティ・フィル ブルックナー5   

2013年4月19日 @東京オペラシティ コンサート・ホール

モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番
ブルックナー:交響曲第5番

菊池洋子(ピアノ)
飯守泰次郎/東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

最近、このブログ、音楽会日記+αなのにαの部分ばっかりでちょっと肩身が狭くなっちゃってるんだけど、今日は久しぶりに音楽会。シティ・フィルのブルックナーを聴きに出かけてきました。ブルヲタじゃないのに。しかも交響曲第5番、あまり好きではないのに。なんてことでしょう。
ブルックナー1曲だけだと思ってたら、モーツァルトのピアノ協奏曲も演奏されるのでした。

音楽会が始まる前に,指揮者の飯守さんがピアノ演奏を交えてブルックナーの交響曲第5番の解説をして下さいました。モーツァルトのレクイエムとの類似性のお話は面白かったです。でも、曲の解説は、なんだか自分の世界に入ってるみたいで、順を追って主題をピアノで聴かせてくれるだけでちょっとつまらなかったし、プレゼンテイションの仕方にひと工夫必要だなって思いました。この音楽がお好きなのは分かりましたが、没入型の演奏になるのかなぁちょっと心配。

モーツァルト。菊池さんの白と黒の艶やかなコントラストのドレスは好き。落ち着いてるけど華やかな感じで、ハ長調の音楽の祝祭的な雰囲気に合いそう。菊池さんと飯守さんのモーツァルトの協奏曲第21番は、この超有名な音楽(第2楽章の甘美な音楽がよく大学生協の食堂でかかってました)をとってもロマンティックに演奏しました。プロフィールによると菊池さんはフォルテピアノも弾くそうだけど、現代ピアノと弾き分けてるのかな、完全に現代サイドの演奏でした。
わたしはロマンティックなモーツァルトは嫌いではないのだけど(ピリオド楽器でのピアノ協奏曲はほとんど聴いたことないし)、今日の演奏はわたしの好みとは全然違ってました。まず、ピアノの音色がなんだか平板でだめ。それに左手と右手がちぐはぐな気もして、リズムが先走っちゃうところもあったように感じました。それに不用意に音が濁ってしまうのも気になりました。第2楽章は、ロマンティックすぎて、なんだかイージー・リスニングみたいな音楽。モーツァルトってこんなだったっけ?モーツァルトは胎教に良いとか、頭が良くなるとか、なんだかそんな、モーツァルトの音の表面の膜を体現したみたいで、モーツァルトってそんな簡単じゃない、もっと真実に近い、心に強い作用をしてしまう音楽なのにって思った。モーツァルトのピアノ協奏曲は、今まで聴いてきたのがピレシュさんだったり光子さんだったりルプーさんだったりするので、わたしの耳が贅沢になりすぎてるのかも知れません。この曲もエマールさんの神がかった演奏で聴いているし。菊池さんって,モーツァルト音楽コンクールで優勝しているのですね。わたしには、あまり合わないモーツァルトだったけど、本当は良い演奏だったのかなぁ。まっいいや、わたしの気持ちはわたしのものだから。オーケストラも残念ながら、貧弱で,特に弱音での弦楽器の艶のなさが気になりました。マーラーとかタコとかそういうアクロバティックな技術が必要な音楽なら誤魔化しがきくけど、モーツァルトのようなシンプルな音楽はオーケストラの本質的な力が直接に出てしまいますね。モーツァルトとハイドンは下手なオーケストラでは聴きたくない。
菊池さんがアンコールに弾いたクルタークとバッハのカンタータ147番をつなげて。これは始まりがとっても良かったので,彼女は、こういう音楽の方が合ってるのかなっても思いました。

飯守さんのブルックナーの交響曲第5番は、熱演でした。基本のテンポが遅くて,緩急を大きく付けた演奏。第1楽章は、第1主題のテンポをブロックごとにいくつか異なるで振り分けていて,これはちょっとやり過ぎ、基調の速めのテンポでいいのにな、そうすれば第2主題の遅いテンポと対比がより付くのにって思ってしまいました。第1主題のテンポが動くのでちょっとこんがらがっちゃった。でも、中声部の弦楽器が歌うところとか、トレモロがとっても印象的に聞こえました。このトレモロ、もっと聴きたいと思ったんですが,出てくるの第1楽章だけなんですね。残念。
第2楽章はめちゃくちゃゆっくり。弦楽合奏の音が厚く流れていて、それにのる金管楽器や木管楽器も一体となってまとまりのある音楽を作っていました。お終いは振りを間違えたんじゃないかと思うほどのゆっくりテンポで、神秘的な天上の体験には至らなかったけど、充実した音楽でした。このテンポで弾ききったオーケストラもよく付いていったって感心しました。緊張が途切れることありませんでしたしね。
続く第3楽章は,速めのテンポで勢いよく攻めます。ただ音楽がくどいですよね〜。主部だけでトリオを含んでるような感じで、いつまでたっても終わりませんもの。終わったと思ったらほんとのトリオだし。
最後の楽章は、第1楽章みたいにカラフルなテンポ設定で幻惑させるのかなぁと思ったら、そうでもなくて良かった。基本的に第1主題は速め、第2主題とコラールは遅めで、ふたつの主題が重なるところは秘かにアチェレランドして多少テンポを戻していました。途中、指揮者が大きくうなり声を上げて指揮してるなぁと思ってたら、金管楽器のコラールが入るところでトロンボーンがひとりぽつんと先に出ちゃってドキリとしたけど、あれは指揮者が妙な間を開けようとしたからかな。でも、大きなミスはそれくらいで音楽を傷つけるほどではありませんでした。一番音楽を傷つけていたのは,客席で始終がさごと音を立てていたおじいさんでしょう。
飯守さんの指揮は,各主題をブロックごとに丁寧に描き分ける(主にテンポ設定を通して)もので、見通しのはっきりしたブルックナーでした。宗教とか精神性とか四の五の言わずに(指揮者の意図したことではないかも知れませんが)、音たちの洪水を楽しませてくれるものでした。ずいぶんと長大な(演奏時間90分くらい?)演奏で、あれこんな音あったのかってブルックナー自身がカットした楽譜をゴミ箱からかき集めてつなげちゃったのかしら、なんて思いました。もちろんそんなことはなくて、何となく音楽が迷子になっていただけですけど。
オーケストラは、ホルンがんばれ、とかテンポ感ずれてるよ、とかホールを味方に付けろ、っても思ったけど,最後まで息を切らさないスタミナには拍手です。もちろん、ホールの響きがいいので、オーケストラがもう少し上手くて,残響をきれいに残す音のしまい方ができれば、とは思いました。ウィーン・フィルとかはやっぱり上手くて、響きのないロイヤル・フェスティヴァル・ホールにお客さんで来るときでも,最後ふわんと響くブルックナーを演奏できますしね。シティ・フィルもせっかくこのホールを本拠地にしてるので、ホールの響きを味方に付ける演奏をすれば,とっても良くなるに違いないと思います。大事なことだから2度言います。ホルンがんばれ〜〜。

この曲に関しては、桁外れな次元の違う演奏を聴いたことがあります。でも、今日の飯守さんとシティ・フィルの演奏もとても心に残る演奏でした。
カーテンコールのとき、飯守さんが小さな花束を持って出てこられたので、あれ、花束もらう方なのに袖でもらっちゃったのかな,と思ったら、すたすたと歩いて行って、今月で退団されるオーボエの市川さんに花束を渡されました。最後の定期演奏会、きっと充実したものになったんじゃないかしら。最後にふさわしい音楽と演奏だったもの。
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by zerbinetta | 2013-04-19 15:46 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

温かなぬくもりのホールの音楽 鈴木雅明、東京シティフィル モーツァルト、マーラー   

2013年1月18日 @東京オペラシティ コンサートホール

ヨーゼフ・マルティン・クラウス:交響曲 VB146
モーツァルト:交響曲第25番
マーラー:交響曲第4番

森麻季(ソプラノ)
鈴木雅明/東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団


初めて行くオペラシティ。日本で音楽会聴くのも超久しぶり。ワクワクしないわけありません。同じビルにあるICCでやってる「アノニマス・ライフ」展も観に行って充実。スプツニ子!さんの「菜の花ヒール」観たかったの〜。わたしにはちょっと大きすぎるヒールでした。でも菜の花のアイディアはステキだな〜。

音楽会は東京シティ・フィル。初めて聴くオーケストラです。指揮の鈴木雅昭さんも初めて聴く指揮者。バッハ・コレギウム・ジャパンを結成して海外でもめちゃくちゃ評価の高いバッハのカンタータ全曲を録音している指揮者さん。バッハとか専門と思ったら今日はマーラーも指揮するのでびっくり(とはいえ、古楽の演奏家が古楽専門って訳ではないですものね)。

まず、ホールの印象。木組のぬくもりのある高い天井の美しいホールは、見た目もとってもステキで、音もとってもまろやか。なんか高原の避暑地の教会に来たみたい。ロンドンだったら規模は違うけどキングス・プレイスのホール1が近いと思うけど、こんな贅沢なホールを持ってる東京の人は羨ましい。ひとつ欠点を言えば(これを難癖をつけるというのですね)、音がとても良く響きすぎてお風呂で歌うように、オーケストラが上手く聞こえすぎることかな。あれ、これ欠点とは言えないかぁ。

東京シティ・フィルは舞台上で音出ししていた奏者もいったん袖に引っ込んで、みんなで出てくるスタイル。拍手しようとしたら、お客さんは粛々と出を待っていてちょっとどぎまぎ。拍手しないのがルールなのかなぁと思いつつ、モヤッと気持ちをもてあましてしまいました。なんかとんでもない宗教的な儀式が始まるみたいでびっくりしたよ(パルジファルなんかはこんな雰囲気だものね)。

最初のクラウスは名前も初めて聞く作曲家。モーツァルトと同い年で、スウェーデンのモーツァルトと呼ばれた人なんだって。単一楽章で、フーガに特徴のある音楽は、ホールが響きすぎるせいか、オーケストラの音が豊かなせいか、わたしにはちょっと曖昧に濁ったように聞こえて残念でした。現代楽器では丸くなっちゃうので音を短めに切ればいいのかなと思いました。ピリオド楽器や奏法をすれば良いとは思わないけど、音の作り方に工夫ができるようになればもっといいのにって外野席から勝手に思いました。

モーツァルトのト短調の交響曲は、マッシヴに聞こえてくる弦楽器の速いパッセージの音の掛け合いが、バロックのコンチェルトグロッソみたいに響いてとっても爽快でした。これはいいなぁ。決して重くならない青春の疾風怒濤。小林秀雄が疾走する悲しみと書いたのはこの曲じゃないけど、でもその言葉がぴたりとはまる(元々この言葉を作ったのは小林秀雄じゃないし、そして、元になる言葉を書いたアンリ・ゲオンと小林秀雄がこの言葉を使った曲はふたりで違ってる)。だから、モーツァルトは悲しく疾走するんだ。あなたが思ったその曲で。そう言えば、ツイッターでは、切れ味の良い包丁でキャベツの千切りを切るような爽快感、と書いたけど、わたしにとってはキャベツを切る悲しみ?なんて馬鹿なことを言ってないで、疾走して涙が置いてけぼりを食らうような晴れ上がった悲しみなのよね、この曲も。

休憩の後はマーラーの交響曲第4番。この曲大好きなので楽しみにしてました。それにバッハで名をあげた鈴木さんがどんな音楽を作るのか。無伴奏ヴァイオリン曲みたいな点で対位法を作るので鈴木さんの音楽にますます興味がつのったのです。
鈴木さんはゆっくり目のテンポでとても丁寧に音楽を作っていきます。モーツァルトを聴いてるときからもわもわとオーケストラの上手さに満たされてきたんですが、このマーラーもとっても良い音で弾いていきます。鈴木さんの棒にきちんと反応してひとつの楽器のように音を紡ぐ。美しさ、天国的な平安を全面に押し出した演奏。軋んだり反発したりする音たちをひとつの整った音の絵にまとめる演奏だったのだけど、わたし的にはタイプの演奏ではなかったんですけど(わたしは、軋む音たちからなる対位法を強調した演奏が好きです)、でも、音楽の豊かさ、美しさはこの演奏をとてもステキなものにしていたし、わたしもとても楽しんでいました。
特に第1楽章が良かったです。音の薄い室内楽的なアンサンブルの多い、ちょっとした失敗ですぐ崩壊してしまうような華奢な音楽を流れるように豊かにまとめたのが素晴らしかった。反対に、第2楽章はもう少し、突っ込んだ表現をして欲しかったなと思います。せっかく高く調弦されたヴァイオリンのソロが普通のヴァイオリンの音とあまり変わらなくて、オーケストラの中に入ってしまっていたのが残念です。これはソロイスティックにKYで弾いてもらいたかったです。
第3楽章は、この演奏が一番ぴったりはまるハズなのですが、少し油断したのか、多少の弛緩と停滞がみられてしまいました。もったいない。音楽がわりとストレイトに書かれているので、かえって仕掛けが欲しくなっちゃうのかなぁ。それとも、究極の美を求めちゃうので(MTTとロンドン・シンフォニーで聴いたとき、この楽章をぜひわたしのお葬式にと思った)、少しでも欠けると(なんと贅沢な!)目立っちゃうのかしら。
ソプラノの森麻季さんが入った第4楽章。麻季さんのまっすぐで素直で軽やかな歌は、マーラーの子供の世界のイメジにぴったりでステキ。ただわたしの席のせいか、声がいいときと悪いときの差がはっきり出ちゃったみたい。麻季さんってずいぶん前にワシントン・オペラ(現ワシントン・ナショナル・オペラ)で歌っていたのを聴いたことがあるのだけど、今は日本を中心に活動してらっしゃるのかな。1998年のオペラリアのコンクールで第3位入賞してドミンゴさんのワシントン・オペラに引っ張ってこられたんだと思うのだけど、この年の入賞者って1位にシュロットさん、2位がディドナートさんという錚錚たるメンバー。因みにわたしが初めて彼女を聴いたのは、ネトレプコさんの代役でジルダを歌ったときだけど、そのネトレプコさんと麻季さんとコンクールを競ったシュロットさんが後に結婚するんですね(って全然本題に関係ないワイド・ショウ・ネタでした)。

今日はステキなホールで、ステキなオーケストラ、ステキな音楽を堪能しました。素晴らしい夜。シティ・フィル良いですね〜。ヴィオラにちょっと難点があったけど、これからも聴いていきたいオーケストラでした。
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by zerbinetta | 2013-01-18 21:40 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

大人の、ブルックナー抜きのブルックナー8  ドホナーニ/フィルハーモニア   

18.10.2012 @royal festival hall

mozart: piano concerto no. 27
bruckner: symphony no. 8

martin helmchen (pf)
christoph von dohonányi / po


風邪が、、、抜けん。ごほごほと咳が止まらないまま音楽会へ。今日は咳との闘いだわ。ブルックナー長いし。
まずは、お久しぶり!ヘルムヒェンさんのモーツァルトの変ロ長調のピアノ協奏曲第27番。極限までにシンプルで透明、命を育む水のような音楽。それもとびきりの銘水。
30歳(もしかして31歳?)のヘルムヒェンさんは、数年前に観たときより大人になって、落ち着いた物腰の柔らかな雰囲気の中に風格のようなものが芽生えてきてステキ。ヘルムヒェンさんのピアノは、がんがん叩く系ではなくて、風貌から予想されるように、とっても軽やかに転がるビー玉。もうそれがモーツァルトにピッタリで、余計な装飾のない音楽が、純化した魂をひゅるんと空に解き放ってくれる感じ。音遊びがとっても愉しくって、モーツァルトはもう人の肉体を捨てて、音の世界で子供のように遊んでいるみたい。シンプルで混ざり気のなさが反対に人の感情の全てを含んだ美しさになって聞こえてくる。ドホナーニさんのオーケストラもそんなピアノの音遊びの庭を作るように背景となって蒸溜された音楽の世界を作ってる。心が洗われるようなモーツァルト。良かったぁ。

後半のブルックナー交響曲第8番。この曲は、ネゼ=セガンさんとロンドンフィルとの演奏をここで聴いて、それが圧倒的に心に残っているんだけど、実はわたし、ドホナーニさんの演奏はちっとも期待していませんでした。ドホナーニさんとフィルハーモニアのブルックナーは、ずいぶん前に交響曲第4番を聴いたことがあって、あまりに無機質な演奏に混乱したからなんです。

では、今日はどうだったでしょう。
懐疑的な気持ちで聴き始めたのに、おややと思ううちにずんずん引き込まれてしまいました。まず、オーケストラがめちゃめちゃ上手い。これがいつものフィルハーモニアかと思うような上手さ。いつものように透明だけれども、柔らかく暖かみを持ったクリーミーな音。極上の生クリームをきめ細かく泡立てたような。金管楽器の明るく、突き抜けたような爽やかな音がステキです。前回のフィルハーモニアが、勢いに任せた荒さがあったのにそれは全て影を潜めて、絹のような肌触りの、成熟した大人の音楽。これだけの音を引き出せるドホナーニさんのなんて凄いこと。今までもドホナーニさんとフィルハーモニアの演奏は聴いてきたけど、今日がずば抜けて最良。どうしちゃったんでしょう。神がかってた。

音楽は、いわゆるブルックナー的というのを完全に廃したステキな演奏。流麗で冷めていて、柔らかな液体がすーっと流れていくよう。ブルックナーみたいな構造のぎこちなさがなくて、シームレスに音楽が流れて、ブロックのまとまりが消えて、一筆ですらっと書いた草書のよう。
流れるような音楽は、でも都会的で人工的というのともちょっと違う、優しさ、温かさもあって、以前第4番で感じたような荒涼とした無機質感がないのは、この曲が第4番のような自然を強く感じさせる曲ではないから、という理由だけではなく、もっと本質的なのは、ドホナーニさんの演奏がこの音楽に合っているからではないかと思うのです。テンポは、第2楽章のスケルツォが速めだったことを除けば、ゆっくりしていて、アダージョはじっくりと時間をかけた、でも全然腹にもたれないすっきりした演奏でした。
多分、こんなするすると流れる演奏をブルヲタの皆さんは認めないんだろうな。ブルヲタの彼とデエトして、うっとりと聴いてたわたしは、これは正しいブルックナーじゃないとか、ブルックナーは女には分からない、とか言われて(経験あり)、喧嘩して別れるんだろうな。踏み絵のようなブルックナー。こんな演奏を肯定できる柔らかなブルヲタさんなら仲良くした〜い♡
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by zerbinetta | 2012-10-18 22:52 | フィルハーモニア | Comments(0)

痛恨の微睡、もしくは至福の時 ピレシュ、ハイティンク、ロンドン交響楽団 モーツァルト、ブルックナー   

14.06.2012 @barbican hall

purcell/steven stucky: funeral music for queen mary
mozart: piano concerto no. 23
bruckner: symphony no. 7

maria joão pires (pf)
bernard haitink / lso


本当は今日はフィルハーモニアのチケットを持っていました。でも、ハイティンクさんのブルックナーをどうしても聴きたくなって、チケットをリターンしてこっちに来てしまいました。買うときもずいぶん悩んだんですが。。。
その理由は、ハイティンクさんのブルックナー交響曲第7番は前に、シカゴ・シンフォニーとの演奏を聴いて、あまりよい印象を持たなかったこと、でもロンドン・シンフォニーとの第4番は同曲のわたし一番の演奏になったこと、この間のロイヤル・コンセルトヘボウとの第5番がいまいち焦点が合わなかったことで、ハイティンクさんのブルックナーをどう捉えて良いのか、わたしの中でもやもやしてたからです。今日聴いたからといってもやもやが晴れるとは思わないんだけど、でも晴れたらいいなと、淡い期待もあって。第7番大好きだし。ピレシュさんのモーツァルトなんて至福の時だしね。

と、思っていたのに。のに。なんと、モーツァルト、うつらうつらと眠ってしまったんです。痛恨の極みだわ。全く聴いていなかったわけではありません(言い訳)。ただ音楽の心地よさに、心がとろけてしまって、夢とうつつを音楽に乗ってゆらゆらと。演奏者とモーツァルトには悪いけど、でも、こんなステキな生演奏でうっとりと眠るのって至福の贅沢ですよね(恥の上塗り)。ううう、悔しい。最近は音楽会で寝ることがないのでちょっと油断してた。モーツァルトじゃなくてブルックナーで寝るべきだったわ。だって、ちょっとくらい寝ても同じことやってるし。

ピレシュさんのモーツァルトの前には、パーセル、スタッキー編曲の「メアリー王女のための葬送音楽」が演奏されました。管楽器のための音楽です。そういえば、リハーサルで聴いた前回は、パーセルの弦楽合奏のための作品、今日は管楽器と対をなしたプログラムですね。もともとは合唱のための音楽でしょうか。管楽器のコラールがとってもきれい。でも、ジュビリーのおめでたいときにこの音楽はありかってもちらっと思った。

そのブルックナー、霧が晴れるように明快な演奏なんだけど、ハイティンクさんへのもやもや感は消えることはなかった、というか、ハイティンクさんのブルックナーが一筋縄ではいかないことが分かりました。曲によってわたしとの相性がこうも違ってくるのにびっくりしてます。
ハイティンクさんのブルックナーの第7番はとってもストレイトに美しい演奏。ロンドン・シンフォニーの音色の柔らかさも相まってとってもきれい。ではあるのだけど、とろけるようなクリーミーな音楽ではなくて、芯は固いアルデンテのような音楽なんです。大好きなカラヤンの演奏で比較すると、晩年のウィーン・フィルとの録音ではなくて、ベルリン・フィルとの録音の方。カラヤンが自分のやりたい音楽を徹底的に表現した硬質な、でも美しい演奏なんだけど、ハイティンクさんのを聴きながら、なぜかそれを思い出していました。音楽が渓流のようにさらさらと流れて、第1楽章は、息の長い歌の最初の主題こそ、普通に幅広いテンポで歌っていたんだけど、第2主題、ダンスのような第3主題は速めのテンポで、すっと流れてすがすがしい。ブルックナーの音楽を渓流に例えた時点で、頑固なブルヲタさんから見れば、なんたることってなるのでしょうが(例えるなら大河に例えられることが多いような気がする)、わたしは、ありだなって思いました。スマートでかっこいい。

第2楽章は澄み切った青空。暗さが全くなくって、静かな充足感と、速いテンポで弾かれた第2主題の美しさと慰め。重さよりかろさ。ワグナーの死に際して書き進められたワグナーチューバの4重奏から始まるコーダのところも、決して悲しみではなく、安らぎのある表現。悲しみのかけらもない。ブルックナーの音楽に悲しみなんてあり得ないんだと思った。だって、彼は深く神さまを信じているから。すでに神さまに救われている人に欠けとか悲しみなんてないのですね(キリスト教ってそういう信仰でしょ)。ブルックナーはそりゃ俗世で、諍いとか認めてもらえない辛さとかあったと思うけど、神さまの前では全てが解決されてて悲しみなんてなかったと思うし、神さまへの捧げものとして作曲していた音楽にも、悲しみが持ち込まれる余地なんてなかったに違いないって思います。そういうことをハイティンクさんの演奏を聴いて強く感じた。ただ、ハイティンクさんがそんなカトリック的な音楽をしていたからというわけではないんですけどね。多分、ハイティンクさんはより現実的に、楽譜に描かれていることを丁寧に抽出して職人的に音にしていたんだと思う。

後半の第3楽章も第4楽章も、ハイティンクさんのザッハリッヒな演奏は冴えています。余計な感情は捨てて、きわめて丁寧にしつこく、音楽の美しさを追求して引き出してる感じ。だからこそからっとすがすがしい。第4番のときはもうちょっとウェットな演奏だと思ったんですが、音楽の完成度の高い第7番は、楽譜をきちんと音にできれば十分に素晴らしい音楽になるので、小細工は必要ないんですね。確固とした意志を持って、余計な精神論を伴わない純粋な音楽を作っているのだと思います。でも、そんな硬質な解釈なのに、ロンドン・シンフォニーが柔らかな音色で応えるから、もうなんとすっきりと清々しく美しいんでしょう。ハイティンクさんとロンドン・シンフォニーのいいとこ取りをして最良の成果を出した演奏ではないでしょうか。
ただ、それをわたしが好きかどうかは別。納得しつつも、もっと好きな演奏あるかなぁなんて思ったりして。少し感情移入する隙間のある演奏が好きかな。

オーケストラはハイティンクさんを本当に敬愛しているようです。ハイティンクさんを称えるオーケストラ全員の拍手は、たっぷりと心のこもったもので、今日の音楽会で一番感動したのは、このときでした。本当に良い関係なんだ。いつまでもこの友情が続きますように。
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by zerbinetta | 2012-06-14 07:29 | ロンドン交響楽団 | Comments(0)

こんにゃくゼリーには気をつけて ピレシュ、ハイティンク、ロンドン交響楽団リハーサル   

10.06.2012 @barbican hall

(rehearsal)
purcell: chacony in g minor
schubert: symphony no. 9
mozart: piano concerto no. 20

maria joão pires (pf)
bernard haitink / lso


LSOのディスカヴァリー・デー、シューベルトで、午前中、ロンドン・シンフォニーのリハーサルがあったので行ってきました。ほんとは1日のプログラム(午後はLSOセント・リュークスでシューベルトについての講演と「鱒」の演奏)だったんですが、日曜日に早起きしたせいで眠く、よるも音楽会があったので、午後の部はスキップしてしまいました。

さて、朝10時のバービカン・センター、人が閑散としていて、なんだかいつもの場所じゃないみたい。ロンドン・シンフォニーのメンバーも私服で三々五々集まってきます。リハーサルの朝のこんな雰囲気好き。ハイティンクさんも私服でステージに出てきて、指揮台には椅子があったけど指揮するときはほとんど立ったまま指揮していました。元気なおじいさん。

1曲目のパーセルのシャコンヌは弦楽合奏のとってもきれいな曲。それにしても、当たり前ですが、ロンドン・シンフォニーはリハーサルでもロンドン・シンフォニー。もう上手い。上手すぎる。とろけるように音色がきれいで、もうこれ以上何を望むとこあるのって思うくらいだし、ゲネプロだからもうほとんど出来ているんだけど、ハイティンクさんは、途中止めて気になるところを繰り返させてました。オーケストラの方からもリーダーのシモヴィックさんをはじめとして何人かから意見が出て、お互いに納得のいく音楽作りをしていました。この曲を聴いただけでも今日来た甲斐があります。

2曲目は本番と順番が違ってシューベルトの交響曲第9番(とプログラムに書いてあるのでそう書きます。もちろんハ長調の大交響曲)。ホルンのユニゾンが始まった瞬間、えっ!っと思ったとたんこんにゃくゼリーを飲み込んで喉に詰まらせてうぐうぐびっくりした感じ。テンポが速くてレガートで、わたしの好みとは全然違った。ハイティンクさんはこの曲は、部分部分しかリハーサルしなかったので、全体の音楽がどうなってるのか分からないので、何とも言えませんが、どうなんだろう?序奏ではなく主部の一部(第3主題的に)としての扱い?ううむ。全体を聴いてみたくなりました(残念ながら本番は聴きに行かないのです)。
それにしても、ロンドン・シンフォニーのリハーサル、遅刻してくる人が何人かいて、ロンドンらしくてゆるいなぁって思いました(ロンドンは地下鉄がよく止まるので目的地に時間どおりに着けない、というのをどうやら普通のこととして思ってるフシがあるのですよ)。
そうそう、今日のオーボエの人、めちゃくちゃ上手くて、わたしは、シスモンディさんをロンドン・シンフォニーに呼ぶ会(CLYK)会長なんだけど、今日の人も正直、ロンドン・シンフォニーのスタイルに合ってるし、この人でもいいなか、と悔しいけど思いました。で、あとで調べてみると、なあんだ、フィルハーモニアの主席のコーウィーさんでした。それならロンドン・シンフォニーに横滑りはないかな。安心して(?)CLYKを続けることが出来ますね。

休憩があって最後は、ピレシュさんとモーツァルトのピアノ協奏曲第20番。これは通しで演奏されました。これがもう至福。ピレシュさんのピアノが聞こえたとたんに心がメロメロ。ピレシュさんのピアノは端正で、音楽しか感じさせない。感情も情景も音符の中に、出てくる音の丸い粒の中にビー玉の模様のように閉じこめられていて、音だけが心の上に撥ねるの。本物の音楽を弾くピアニストのひとり。あんなに小さくて手も小さいだろうからハンディもあると思うんだけど、全くそんなことを感じさせない、ナチュラル系のお洋服のように飾らない自然な音楽。ロンドン・シンフォニーも柔らかな上質の音でピレシュさんをサポート。リハーサルでこれだけのものを聴かせてくれるんだから、本番ではさぞかし幸せなときが流れるんだろうな。

PS 本番を聴かれたMiklosさんのブログはこちら

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by zerbinetta | 2012-06-10 00:25 | ロンドン交響楽団 | Comments(4)

異次元の歌 MTT、ロンドン交響楽団 マーラー交響曲第5番   

03.06.2012 @barbican hall

mozart: violin concerto no. 5
mahler: symphony no. 5

gil shaham (vn)
michel tilson thomas / lso


MTTとロンドン・シンフォニーによるマーラーのシリーズ、第3回にして最終回は交響曲第5番です。前2回が良かったので自然と期待が膨らみます。今日は、シャハムさんのソロでモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番と。

シャハムさんって良い感じにおじさんになりましたね。前に聴いたのは(この間のをのぞいて)、10年くらい前で、まだ若くてかっこよかったんだけど、今はにこやかおじさん。でもそれが人柄が滲み出てるみたいでいいんです。ステージの上でとても楽しそう!
モーツァルトの協奏曲はこの間ズーカーマンさんのソロで聴いたばかり。聞き比べになりました。
MTTとシャハムさんのモーツァルトは爽やかロマン。ちょっぴり甘いけど、まだ開いていない、うぶさを秘めたプラトニックな恋のよう。というより、まだ手をつないだばかりの人と、草原にピクニックに来たような爽やかさ。爽快に風が吹く。青空が高い。おじさんふたりが若者のモーツァルト。っていうかこのおふたり若いよね。老獪な感じがなくって音楽がストレイト。柔らかな現代楽器の音楽だけど、べたべたとならずに寒天のようにさくっと切れる。かといって下手な古楽器演奏のように音が真っ直ぐになりすぎないのがいいの。この頃はふたりでおしゃべりするだけでも楽しいのよね。手をつないで駈けるのも。ふたりは見つめ合い、そして音楽は謎かけの微笑みを残してすうっと消える。そのあと何があったか、なんて言うのも野暮。

休憩のあとは、マーラーの交響曲第5番。この曲もつい先日、ガッティさんとフィルハーモニアで素晴らしい演奏を聴いたばかりなのでした。そして今日またここに素晴らしい演奏が。
MTTは交響曲第4番や第1番で聴かせてくれたとおり、マーラーの音楽を自家薬籠中にしりつくしていてもう盤石な音楽作り。今日は、旋律の歌い方というか音楽の伸び縮みが前にも増して自由で、よく聴くとかなりデフォルメされているんだけど、それが実に自然でちっともわざとらしくなく、さりげないふうを装ってるのでもうそこからしてMTTマジックにはめられる。同じことをマゼールさんがやると変態なのに、MTTがやると仕掛けてるようには聞こえない。そんな、MTTの音楽をロンドン・シンフォニーが最高の精度でフォロー。上手いのなんのって。特にトランペットのコッブさんのソロは完璧。ああどうして、MTTはサンフランシスコではなくロンドンで録音してくれなかっただろうって言うのは、サンフランシスコには失礼?
MTTの良さは、俗なところが取り繕うことなくしっかり俗っぽいのに、それがまた歌心に溢れていてとってもきれいなところ。マーラーの音楽は、特にこの交響曲第5番は高尚な部分と俗っぽい部分がごちゃ混ぜにしてるっぽい感があって、深い悲しみに包まれてると思ったら、突然メランコリックに大泣きしてみたり、起伏が激しくて急にどこに連れて行かれるか分からないんです。交響曲第1番の第3楽章の気分を拡大した感じ。その対比の扱いがMTTはとっても上手くて、音楽の美しさという大きな器の中に入れ込むのだけど、ちゃんと器からはみ出ている部分を作るし、まああほんとにもうわたしのツボ。

第1楽章は、悲しみに包まれてるけど、美しく柔らかく音楽が流れていく。ゆっくり目のテンポで旋律の扱いはものすごく丁寧。そしてそれに絡んでくる対旋律も見事に浮き上がらせて、複雑な音楽なのに聴いた感じは透明で淀まない。短いフレーズの中での緩急の差が大きめにとられていて、時間の感覚が曖昧になってくる。歩みのある葬送行進曲というより、気持ちの揺れる心象的な葬送曲。そして常に柔らかな慰めがあるので深刻になりすぎないの。
続く第2楽章は、第1楽章を発展させてさらに複雑にした音楽だけど、やっぱりここでもMTTの音楽は明確で濁らない。表現の幅は大きくて、かなり大胆に演奏しているのに、聞こえてくる音はスマートで、良い意味で中庸に聞こえちゃうのがMTTの凄いところ。真ん中でチェロのパートソロで出てくる独白は、思いっきり音を抑えて、ドキリとするような表現。

スケルツォは、MTT節全開だったな。ホルンのソロのティモシー・ジョーンズさんは、深い音で朗々と。この間のフィルハーモニアのケイティさんが柔らかで女性的な音だとすると、ジョーンズさんは、ワイルドで男性的。どちらも上手いんだけど、この曲にはジョーンズさんの音の方が合うかな。そしてこの楽章の、フォーク・ダンスのような俗っぽい踊りの音楽はまるでMTTを待っていたような、彼によって音楽の底にあったものが目を覚ましたかのよう。音楽が品位を失う一歩手前で表現を止めて、感情に直接訴えてくる流行歌のような音楽でも見事に芸術的。ピチカートでワルツが奏でられるところのリズムの自由さは凄かったな。あんなところでも完璧に合わせられるオーケストラも凄いけど。

アダージエットは、うっとりとするような世界。この間のガッティさんの演奏が風がさあっと吹き抜けるような演奏だったのに対して、MTTはもったりしないけど遅めのテンポで夢の世界を作ってく。なんて美しい、満たされた世界。時が止まったよう。それはホルンの合図に朝が来ても同じでした。目が覚めても時間の感覚がない。今どこにいるのか、今どの辺の時間にいるのか、分からなくなっていつまでも音楽が続いていく錯覚に襲われました。そしてそれは希望。この音楽がいつまでも鳴り続けていればいいのに。終わってしまうなんて嫌。それがどんなに勝利のファンファーレでも現実世界に戻るより音楽の中に住んでいたいと思ったのでした。最高の音楽。MTTのマーラーはどれも良かったけど、そして交響曲第5番は、ガッティさんやマゼールさん、ネゼ=セガンさんの素晴らしい演奏を聴いてきたけど、今日のマーラーはわたしのマーラー体験の中でも最も完璧だったもののひとつになったのでした。

MTTさんありがとう。充実した表情ですね
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by zerbinetta | 2012-06-03 17:02 | ロンドン交響楽団 | Comments(0)

赤いハリネズミでシューベルティアーデ キアロスクーロ・カルテット   

26.05.2012 @the red hedgehog in highgate, london

mozart: adagio and fugue, k.546 quartet, k.428
schubert: quartet 'rosamunde', d.804

chiaroscuro quartet
alina ibragimova, pablo hernán benedi (vn)
emilie hörnlund (vl), claire thirion (vc)


赤いハリネズミをご存じだろうか?(なんだか偉そうな口調) ブラームスが通っていたというウィーンにあった居酒屋レストラン。同じ名前のサロンがロンドンにもあるのです。アリーナのウェブサイトをぼんやり覗いて、コンサート情報を見ていたら、なんと!ロンドンでキアロスクーロ・カルテットの音楽会が!場所は、赤いハリネズミ。調べてみるとどうやら家の近く。これは行かなければ。で、持っていたバレエのチケットはリターンに出して、チケット買ったのです。でも、不安は、赤いハリネズミの正体がちっとも分からなかったこと。最初は教会か何かだと思ったんです。教会での音楽会はよくあるから。でも違うっぽいしライヴハウスか何かかなと。若者ばっかりでどうしようとか、不良に絡まれて手籠めにされたらどうしようとか、そんな妄想を膨らませて出かけました。

ロンドンの赤いハリネズミ、外見は小劇場風。おずおずと入り口の扉を開けて入ってみると、うわわっ!なんと受付のところにアリーナ!彼女が受付をしてたわけじゃないんですけど、なにやら準備をしてたみたいです。いきなりヨロコビの大爆発。
会場は、普通の家のリビングのような部屋。椅子の他にもソファがあって、40人くらいでいっぱいになります。なんていう贅沢な空間。来ている人は近所の音楽好きと、カルテットのメンバーのお友達。とっても親密な雰囲気。主催者の人に聞くと、個人的にサロン・コンサートとかを催してるそう。100年200年前はみんなこんな風だったと。シューベルティアーデもきっとこんな感じだったんでしょうね、とわたし。そんなステキな雰囲気の中、大好きなアリーナのカルテットが聴ける最高の贅沢。お客さんが三々五々集まると同時にカルテットのメンバーも楽器を背負ってやってきます。皆さん私服。アリーナが一番早く来て準備してたってことはやっぱりこのカルテット、アリーナがリーダーなのかな。

着替えるのかなと思ったら、私服のまま演奏。こんなこともなんだかステキ。服装にも個性が出て、アリーナは黒の襟なしブラウスに黒のロング・スカート。紅一点じゃなかった白一点(?)のパブロさんはジーンズにシャツ。チェロのクレアさんが一番フォーマルっぽくて黒のパンツ・スーツ。不思議ちゃんなのが、ヴィオラのエミリーさんで、アースカラーの提灯みたいなスカート(ちょっと奇抜)、かワンピースに長いストール。森ガール系。

主宰のマダムの短いイントロがあっていよいよ音楽。アリーナが曲目を紹介して、初めはモーツァルトの「アダージョとフーガ」。今日の前半はモーツァルト2曲で、CDに入っている曲とは違うのがラッキー。CDの演奏でも感じたんだけど、キアロスクーロ・カルテットのモーツァルトはアグレッシヴ。わたし的にはもう少し柔らかさ、大人の余裕、みたいなのが欲しいんだけど、若気の至りみたいな青さが今のカルテットの魅力でもあるのかもしれませんね。でも、変に大人びて丸くなるより今は尖っていた方がずうっとステキになると、彼女らよりもずいぶん長生きしているわたしは思います。「アダージョとフーガ」はフーガの入りをがっつりとアクセントを付けて弾き出すのが激しく、おお、ここまでやるかって思いました。

2曲目のk.546のカルテットもモーツァルトにしては、ちょっぴり殺伐。それが彼らのスタイルだと思うけど、ぴーんと張り詰めた細い音で、かなり大胆に音楽に切り込んでいく感じ。もう少し(いい意味で)緩さがあるといいんだけどな。ピアノ(ピアニッシモ)の表現が、ぎりぎりのところまで音を絞っていて、今日の会場が小さいのでさらに弱音を意識したせいかもしれないけど、音にもう少し力が欲しいと思うときもありました。わたしは、モーツァルトは大好きだけど彼のカルテットは苦手で(というか、弦楽四重奏曲自体が苦手分野で、好きなのはハイドンとメンデルスゾーンのくらい。あとはマニアックなシマノフスキとかゴレツキとか)、そのせいもあるのかもしれないけど、ちょっとピンと来ないところもありました。わたしの好きなハイドンとか弾いて欲しいなぁ(メンバー・チェンジ前にハイドンを聴いているし、録音もされていたハズなんだけどメンバーが替わってお蔵入りになったのかな)。

今日、特にステキだったのは、休憩のあとの「ロザムンデ」カルテット。CDで発売されているから完成度も高いし、というかそれよりもわたしがシューベルト大好きだから!そして何よりもこの雰囲気。お家のリビングで30人あまりの寛いだお客さんと聴くシューベルトってまさにシューベルティアーデじゃないですか!しかも大好きなアリーナ。なんという至福。音楽を聴くというと、つい演奏ばかりに耳が行ってしまうけど、音楽を取り囲む全てのものが、音楽を作っているんだと思う。まわりの人は、今日初めて会う人で、一言二言会話した人ばかりだけど、お友達の家に招かれている音楽仲間という雰囲気があって、そして、シューベルトの音楽もそういうところで演奏されていたということも多分音楽の底の方にちゃんと潜んでいて。にっこりと弾くアリーナも可愛らしくって、シューベルトにも聴かせてあげたいなって思いました。今のキアロスクーロ・カルテットにはシューベルトが似合っているなって感じます。少し、ロマンティックよりな表現が、音楽を丸くして、鋭さと柔らかさがどちらかに傾きすぎることなく上手な案配に配合できるような気がするんです。

キアロスクーロ・カルテット、アリーナ中心のカルテットだけれども、音楽を支えているのはチェロのクレアさんだと思いました。彼女の弾き方はとっても安定していて、上の声部の人たちが自由に歌っても音楽が崩れることがなく、安心して自在に演奏することが出来るんだと思います。服装と同じように演奏もひとりひとりが個性的で、カルテットのまとまりよりもひとりひとりの自由な音楽を生かすような音楽作りがされてると思うのだけど、それをクレアさんが上手にさりげなくまとめているんだと思います。
休憩中、譜面台にのっていた楽譜を眺めたんだけど、アリーナの楽譜には鉛筆で○や●のしるしや音符や表情記号を囲んであったり書き込みがしてあったんだけど、クレアさんの楽譜はまっさら。性格もあるんだろうけど、クレアさんは楽譜に書かれたことを淡々と音にする雰囲気(ただ楽譜どおりに弾いているということではないけれども、無茶はしないというか)があって、面白いなって思いました。

本当にステキな音楽会でした。主宰のマダムさんにも感謝の気持ちを伝えて、まだ明かりの残る夕方の街に歩き出しました。もっとずっとロンドンにいられたら通っちゃうんだろうな。普段はそんな有名な人が来る音楽会ではないかもしれないけど、音楽を楽しむ雰囲気はとってもステキだし、今日のような「掘り出し物」の音楽会もあるしね。一見さんとしてではなく、仲間として参加したい集いです。
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by zerbinetta | 2012-05-26 23:20 | 室内楽・リサイタル | Comments(4)

餅屋さんにな〜れ ズーカーマン、ロイヤル・フィル ショスタコーヴィチ交響曲第10番   

23.05.2012 @royal festival hall

mozart: the marriage of figaro, overture; violin concerto no. 5
shostakovich: symphony no. 10

pinchas zukerman (vn) / rpo


カレンダーを観てたら1日音楽会のない日が空いてたんですよ。ふむふむ、と思って調べたら、音楽会があるではないですか。最近好印象のロイヤル・フィルハーモニックの。しかもタコ10。指揮はヴァイオリニストのズーカーマンさんなのが不安だけど(だからチケット買ってなかった)、タコだし聴こうかと思って行ってきました。ばか。

わたしは、ときどき書いてるように、餅は餅屋の人なのでヴァイオリニストのズーカーマンさんの指揮はあまり興味ないのだけど、前に1回聴いたとき以外と好印象だったので、まっいいか、と思ったんです。そして始まった、「フィガロの結婚」序曲。これがまあ、めちゃくちゃ良かった。スザンナのように可愛らしくて溌剌として機転が利いて。音楽会の始まりをワクワクさせるような演奏。まさかここで掴まれるとは。やるじゃん、ズーカーマンさん、ロイヤル・フィル。

2曲目は、ズーカーマンの弾き振りで、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」。ズーカーマンさんって美音系の一昔前のスタイルのヴァイオリニスト。ジュリアード系と括れちゃうくらい特徴あるよね(もちろん個々の奏者にはそれぞれ個性があるけど、何となく同じ向きを向いてる)。そんな彼のヴァイオリンだから、今は珍しいロマンティック・モーツァルト。わたしにはちょっとべたべたしてたかな。そして1番の問題は、ズーカーマンさんのテクニックの衰え。もちろん、大きな瑕はないのだけれども、今の若い人は、テクニックがあるのが当たり前だから、そういうのに比べるとちょっとテクニックが危ういし、前はもっと上手かったと思うのね。指揮者と2足わらじのせいかしらと何となく思ってみたり。

ロイヤル・フィルの音楽会、何故かお客さんの質が低い。後ろに座ってた人、演奏中もぺちゃくちゃしゃべってたので、思わず休憩後席を移りました。

最後のタコの交響曲第10番。オーケストラはとても良く鳴ってたし、音的には文句はないのだけど、そして音浴びは楽しかったんだけど、音楽が終わったとたん、ぽっかりと音楽がわたしの中から消えました。何だろう、このキッパリ感。確かに立派な音になってるのに(オーケストラはとてもステキに演奏してくれました)、何も心の中に残らない不思議。ズーカーマンさんは何を言いたかったのだろうって思いました。確かに最近の傾向は、ショスタコーヴィチから、政治とか社会とかもろもろの垢を取り除いて純粋に音楽を演奏するというものだけど、それにしても何もない音楽って。ズーカーマンさんは何を表現したかったんだろう?最後までわたしには分かりませんでした。2足のわらじはどちらにも中途半端になってしまうような気がします。どちらかを捨てる覚悟が必要なんじゃないか、と他人事ながら僭越に思いました。餅屋さんにな〜れ。
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by zerbinetta | 2012-05-23 08:28 | ロイヤル・フィルハーモニック | Comments(0)

輝く若手 ヴァルチュハ、フィルハーモニア   

19.05.2012 @royal festival hall

mozart: don giovanni, overture
dvořák: cello concerto
tchaikovsky: symphony no. 5

alisa weilerstein (vc)
juraj valčuha / po


先日のフルシャさんに続くチェコの若手指揮者シリーズ(?)、今日はユライ・ヴァルチュハさん。35歳くらいなので実はフルシャさんよりも年上なんですね。そしてチェコの指揮者なんて紹介しちゃいましたが、違います、スロヴァキア出身の指揮者さんでした。今日初めて聴きます。

始まりのモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」の序曲は溌剌とした感じで良い!なんだかオペラの幕が開いてオペラを観たくなる感じ。今日はオペラの幕は開きませんでしたが、ステキな音楽会の幕は開きました。この短い序曲で、ヴァルチュハはわたしのハートを鷲掴み。この指揮者、良さそう!

ドヴォルジャークのチェロ協奏曲はドボコンとして有名な曲。チェリストはワイラースタインさん。若いUSのチェリスト。チェロの音色は大好きだけど、この曲を聴き始めて、わたし、チェロについてちっとも知らないって思ってしまいました。彼女が上手いのか普通なのかよく分からないの。多分、はっとされられるとても凄いものがなかったからなんだとは思うのだけど、音楽に不満があったと言えばそんなことないと言い切れるし。技術はしっかり安定していて、音楽も過不足ないんだけどな。そのまとまりの良さがかえって、安定しすぎてわたしはプラス・アルファがないと感じちゃったのかしら。白いご飯がおいしくてもおかずに目を奪われて、そのおいしさを忘れてしまうように。だとしたら聴き方間違ってるよね。
バックのヴァルチュハさんのオーケストラはとっても良かったです。ほら、おかずに目が行っちゃってる。あっほんとは協奏曲なのでオーケストラがご飯で、チェロがおかずなんですが。。。

チャイコフスキーの交響曲第5番がこれがもうステキな演奏でときめいた。チャイコフスキーの甘美な音楽なのにそんなことには目をくれず、速めのテンポでざくざくと切り進んでいく。要所要所盛り上がるところを、リタルダンドしないで、反対にアチェレランド気味にクライマックスを作っていたのも新鮮で素晴らしい!ある意味カラヤンみたいに格好良い演奏だけど、カラヤンのレガートとまるで反対に音符はマルカート気味だし、もうなんだかとっても意表を突く斬新さ。わたし的には納得の最高のチャイコフスキー。今日もホルンはケイティさんで、ソロは素晴らしかったし、オーケストラも開放感たっぷりにすかっと鳴って気持ちがいいの。ユロフスキさんやネゼ=セガンさん、ハーディングさんなんかと同世代。この世代、きら星のごとく未来の巨匠の原石が多いけど、ヴァルチュハさんも間違いなくそのひとり。どこか一流のオーケストラの主席指揮者に迎えられないかしら。若い音楽家が多いバイエルンなんてどうかしらね。ヤンソンスさんはコンセルトヘボウに専念して。それか、日本のオーケストラもこういう活きのいい若い指揮者を主席に呼べばいいのに。我が札響なんてどうかしら。遠い異国の日本は難しいのかな。

内容には関係ないけど今日のフィオナちゃん
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ヴァルチュハさん、イケメン♡
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by zerbinetta | 2012-05-19 23:28 | フィルハーモニア | Comments(0)

看板に偽りあり! と一瞬思った「見て!指揮者いない!」 啓蒙時代のオーケストラ   

03.05.2012 @queen elisabeth hall

haydn: symphony no. 104
mozart: violin concerto no. 3
beethoven: triple concerto

robert levin (fp)
isabelle faust (vn)
steven isserlis (vc)
oae


音楽会のタイトルは「look! no conductor! (見て!指揮者いない!)」デス。でも会場に行ったら、指揮台はあったし譜面台が立ってて椅子が置いてあったの。えええっ?看板に偽りあり?最初のは交響曲だから、これだけ指揮者ありでやるのかな。と思ったら底に座ったのはチェロのイッサーリスさん。なんとチェロの弾き振りです。もちろん弾くのはオーケストラのチェロパート。ふわふわの髪を揺らして弾き振りです。イッサーリスさんの後ろ姿もなんだかユーモアのある感じで、愉しい。
ロンドンで聴く「ロンドン」。出だしは重くゆっくり。そして軽快な音楽に続いて、ピリオド楽器で弾くとまったりしないで、さばさばと音楽が流れてステキ。もちろん、ハイドンの後期の交響曲は現代楽器でビロードのような柔らかな肌触りの演奏も極上のシュークリームを食べるようで大好きなんですけどね。それにしてもチェロの弾き振りって初めて見た!貴重な体験?

モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番はファウストさんの弾き振り。これはこの間、ロンドン・フィルでリサの弾き振りで聴いたばかりですね。ファウストさんを聴くのは2度目だけど、モーツァルトも端正な感じでいいなぁ。余剰な飾りのない、実にまっすぐで庭に咲いてるきれいに品種改良された花ではなく、野原にぽつりぽつりと咲いてる華美ではないけど生を謳歌している力強さのある花のような音楽。わたしのイメジではこの曲は緑の草原(くさはら)なんですけど、その中に咲く野生の花みたい。ファウストさんの弾き振りは、前に出る独奏者というよりは、小さなオーケストラと一緒に音楽を作っていく感じ。そこから絶妙なバランスでソロが浮かび上がってくる。協奏曲的な華やかさはないけど、ミント味の炭酸水(menthe à l'eau)のような爽やかな感じはとっても好き。

最後のベートーヴェンの3重協奏曲は、フォルテピアノのレヴィンさんが弾き振り。このベートーヴェンはわたしにはちょっと慎ましやかすぎたかな。この曲って、あのベートーヴェンの苦虫をかみつぶした顔がなくって、3人の名人と共に素直に華やかに音楽を楽しむって雰囲気があると思うので、音楽的には正しいけど、音が地味めな古楽器では、現代楽器で派手にやられた演奏と較べられると面白味に欠けるんだよね。豪華な料理は豪華に食べたいじゃない。蕎麦道とか言ってざるにこだわるのもいいけど(しかもつゆはちょっとしか付けないしわさびはのせない)、大きな海老がのってる天ぷら蕎麦が食べたいときもある。ベートーヴェンのこの曲は天ぷら蕎麦だと思うんです。とか言いつつ、でもやっぱり、このソリスト人は豪勢ですね。最高のお蕎麦に何文句言ってるのって感じかも。しみじみと豪勢な音楽に満たされて、家路についたのでした。
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by zerbinetta | 2012-05-03 02:31 | 啓蒙時代管弦楽団 | Comments(0)