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それが美しければ美しいほど、幸せであればあるほど   

19.02.2011 @royal festival hall

mozart: sinfonia concertante
maher: das lied von der erde

stefan jackiw (vn), richard yongjae o'neill (va)
sarah connolly (ms), toby spence (tn)
yannick nézet-séguin / lpo


大好きなネゼ=セガンさんのマーラーの大地の歌。期待していた反面、とっても不安だったんです。若い指揮者があの寂寥感を出せるのかって。確かに最近聴いた、ドゥダメルさんやネルソンズさん(こちらは放送)の第9番の美しく肯定的な演奏には、はっと感動させられたけど、歌詞を伴う大地の歌はあのような解釈はなされ得ないだろうと思って。だとしたら、やはり枯淡の境地にならないとこの音楽の感動的な演奏は無理だろうって。で、聴いた結果は。。。

その前に、ふたりの韓国系イケメンソリストを迎えてのモーツァルトのシンフォニア・コンチェルタンテ。韓国系と言っても共にUSで活躍している人で、ジャッキーさんの方は韓国人とドイツ人の両親でUS生まれ。石田衣良さん似。かな? ヨンジェ=オニールさんは、ソロが終わったあといちいちジャッキーさんに向かってどや顔するのが面白かったの〜。
音楽は最初っからびっくり。ネゼ=セガンさん、最初のふたつの音符を弱く、3つ目をフォルテで弾かせるという荒技に出て。ネゼ=セガンさんのアクの強いモーツァルトはモーツァルト的ではないと言ったら言えるけど(表現主義的というか新古典派を通った古典派)、それを面白く聴かせてくれるのは、なんだか感心しちゃった。第2楽章は、お金持ちの邸宅をそのまま使った美術館の匂いがして(思い浮かべたのはニューヨークのフリック・コレクション)、中庭を観ながらそぞろ歩いてるような気がしてステキでした。ソリストのおふたりももちろんステキ。わたしは韓流ドラマというのにちっとも興味がなくて(っていうか日本のも、ドラマって見続けるのめんどくさいのよね)、韓国ブームには疎いんだけど、今日はちょっと韓流もいいなって思いました。ステキな音楽家に次から次へと出逢えてとっても嬉しい。

さて、後半の大地の歌。結果は。最初に答えを言っておくと、最後は涙でぼろぼろでした。まさか、こんなことになるとは。。。
ネゼ=セガンさん、コノリーさんとスペンスさんと一緒に、いつものようににこやかにステージに登場。指揮台に立って、少し間を置いて手を左右に広げて上げたとたん、稲光のように緊張が走る。この空気の転換のあまりの見事さ。光りが走ったようでした。そんな見事な緊張の中始まった音楽は、アグレッシヴ。速めのテンポで、音の輪郭をはっきりさせて、容赦なくテノールの歌に襲いかかるオーケストラ。でも、音は濁らないし、とてもクリアで色彩的な音色。激しい中でも美しい。でも、このときは、わたしの不安が的中したって思ったんですよ。美しいだけじゃなくてもっと、厭世的な暗い気分が必要なんじゃないかって。若いゆえの限界みたいなものを感じてしまったんです。オーケストラは見事にドライヴされていて、オーケストラ音楽として聴く分には良いのですけど。ああ、やっぱり今日は音楽の外にいて眺めているのかなぁて思ったんです。
でも「秋に寂しきもの」を歌い出したコノリーさんの歌を聴いて、心が融けていく。なんて寂しげにこの音楽を歌うんでしょう。コノリーさんは、ロンドンではとてもたくさん歌ってる人で、レパートリーもめちゃ広くて、こんなにいろんなのをしょっちゅう歌って大丈夫っても思うんですけど、聴いていて全く外れがないんですね。とても実力のある方。でも、今日はそれに輪をかけて凄かった。この人の歌、気持ちの入れ方が半端じゃないような気がします。歌詞の世界を創ってる。そんなふうに歌われるとオーケストラだって黙ってはいられません。マーラーの世界にしっかりと沈み込んでいきます。
「青春について」と「美について」はもともと若者を歌った音楽ですから、若い指揮者のアプローチが生きないはずがありません。とっても美しく、夢のように溌剌と。でも、これが今日の演奏の重要なポイントになるんですね。この2曲はターニング・ポイントになる重要な音楽ですし、そして、音楽が美しくなれば美しくなるほど、最後の結論が切なく心に刺さるのです。わたしはずうっとこの世界にいたい。東屋で友達とお酒を飲んでいたい、池のほとりで花を摘んでステキな男の子にナンパされたい、そういう若い時代が永遠に続きますように。
いよいよ後半は、それらへの惜別の音楽です。まずは酒の中に自暴自棄に逃げ込むの歌。今日のテナーはスペンスさんでしたが、この人も声に張りがあってとっても良かったんです。少しお上品な感じもしましたが、でも、美しさを強調する今日の音楽には合ってました。この音楽の中では、まだお酒に溺れるだけで希望はあるんですね。現実を見なくて済むから。一生酔っぱらって暮らせればきっとなんといい人生なんでしょう。
もちろんそれは、深い淵から聞こえてくるような、ホルンやハープ、ドラやコントラバスの低い音色に打ち砕かれます。ここのホルンの低い音、とっても雰囲気のあった音色でした。音楽はゆっくりと進みます。心の淵を覗くように黒く。でも美しく。コノリーさんの歌の孤独感も寒々と冴えわたって世界にひとりで別れを告げる気持ちを聴くのは身につまされる思い。永遠に美しいもの、憧れ、永遠に青春のままの友、にひとり時間の歩みを進めてわかれていく悲しさ。無限なものと有限なものの対比。世界が美しすぎるゆえに音楽が美しすぎるゆえにいっそう心に冷たく沁みます。それにしてもマーラーは最後、なんというとんでもないことそしてくれたんでしょう。美しい世界にさらにマンドリンとチェレスタで光りを与えるなんて。もうずいぶんと前から涙がこぼれていたんですが、これで我慢ができなくなりました。ぼろぼろとこぼれる涙。
こんなにいい演奏なのに、最後しばらく拍手できませんでした。ネゼ=セガンさん、コノリーさん、スペンスさん、ロンドン・フィルのひとりひとりの音楽家たちは本当に素晴らしいものを聴かせてくれました。これを書きながら、思い出し泣きしています。本当にたくさんの心からの感動を経験しているロンドンの音楽生活。この幸せな時から離れるとき、わたしは、今日の大地の歌と同じ思いを味わうのでしょう。でも、失っていく幸せは、それがわたしにとって一瞬のものでも幸せなことに違いはありません。

(照れ隠しに蛇足)
そして今日初めて気がついたんだけど、大地の歌の構成。マーラーの交響曲って真ん中に中心となるスケルツォを挟んだシンメトリックな構造が多いのだけど(典型的なのは交響詩「巨人」や交響曲第5番や第7番。第2番や第9番(ふたつの中間楽章がスケルツォ)、第10番(3つの中間楽章がスケルツォ)も変則的だけど似たような構造ですね)、大地の歌は6楽章なのでしっくり来ない。第1と第2楽章をひとつの対として、第6楽章の間を3つのスケルツォ(のような音楽)で挟むということも言われてて、そうだとも思ってたんですけど、実はそれぞれの歌手の歌う3つの楽章がスケルツォ(のような音楽)を挟んでシンメトリックな構成を取っていることに気がついたんです。テナーが歌う奇数楽章は「大地に郷愁を寄せる酒の歌」「春に酔えるもの」という厭世的な雰囲気のある酔っぱらいの歌に挟まれて「青春について」。アルトもしくはバリトンが歌う偶数楽章は、「秋に寂しきもの」と「告別」という孤独な離別の歌に挟まれて、若き日の仄かな恋を歌った「美について」。形式的にも内容的にも明確な一幅の対をなしているではありませんか。中心にあるのは若き日の美しい思い。そしてそれへの別れ。これは今日の音楽会のおまけみたいなものですけど、今まで気がつかなかったことにびっくりするくらい、わたしには大きな発見でした。
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by zerbinetta | 2011-02-19 03:02 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(2)

ツァラトゥストラつながり(?)   

11.02.2011 @royal opera house

mozart: die zauberflöte

joseph kaiser (tamino), kate royal (pamina),
christopher maltman (papageno),
jessica pratt (queen of the night),
franz-josef selig (sarastro), alasdair elliott (monostatos)

david mcvicar (original director)
david syrus / ro chorus, orchestra of roh


わたし、魔笛が大好きなんです。この音楽を聴くと本当に幸せな気持ちになって涙が出てきます。特にパパゲーノの歌。性格が似てるせいかパパゲーノにほの字です。今日も陽気にほいさっさ、なんて歌われたらもうわたしはついて行っちゃいます。チョコレイトなんかくれたら完璧。そして、今日のロイヤル・オペラ・ハウスの魔笛。わたしが持っているDVD(ロイヤル・オペラ・ハウスの公演)と同じプロダクションなんです。あの舞台を生で観られるなんて。このプロダクション、ずいぶん知的な雰囲気がして好きなもののひとつです。ちなみにもうひとつはファンタジー系の、メトで観たジュリー・テイモアさんの演出のもの。最近、年取ってオペラは長いので苦手〜なんて言っていながら、嬉しくていそいそと出かけました。

今日は、わざわざコリン・デイヴィスさんが指揮する回を取ったんですけど、うきゃ、残念。ご病気のため降板。替わりはデヴィッド・シラスさんです。彼はもともと、サー・コリンと分け合って魔笛を振ることになっていた方なので、突然の出来事とは言え、大丈夫でしょう。実際、最初の方で歌手とオーケストラの気持ちのずれが感じられましたが、そのあとは良くなって、演奏自体は過不足なくなんの不満もありませんでした。

歌手はDVDのよりちょっと小粒でした。ってか、DVDでは大好きなキーンリーサイドさんがパパゲーノを歌ってた、というのもあるんだけど。今日のパパゲーノは、ロンドンではよくお目にかかるマルトマンさん。この人引っ張りだこで、とにかくいろんな役を歌う。最初はちょっと重いかなって思ったんだけど、ややや、ステキなパパゲーノでしたよ。ステキなアリアがいっぱいでこのオペラの影の主役なんではないかと。何もしなくても結局はパパゲーナを得て幸せをつかんでしまうという世渡り上手。タミーノの苦労はなんなのって感じ。もちろんわたしはパパゲーノの生き方が好き。

結構ヘンなカツラの3人の侍女のうち2人はジェッテ・パーカー・ヤング・アーティスト・プログラムからの登用でしたが、それぞれしっかり歌っていました。親びんの夜の女王は、前半は善玉、後半は悪玉で物語の進行にはあんまり係わらない、なんだかよく分からない役ですが、圧倒的な2曲のアリアがあるので存在感はありますね。プラットさんは高音まできちんと出していましたが、あまりに有名なアリアで、録音とかで超絶技巧が聴けちゃうので比べられやすくてちょっとかわいそうです。復讐のアリアはもうちょっと迫力のある復讐心を歌って欲しかったって思いました。でもこれだけ歌えてるので贅沢なというか無い物ねだりですね。

カイザーさんのタミーノは、悪くなかったです。でも真面目な王子様より、いい加減なパパゲーノが好き。って役に文句言ってどうするのって感じですが、しっかり歌っていたので全く言うことありません。パミーナのロイヤルさんはきれいな人でしたよ。なんか楚々としたお嬢様な感じで、歌も良かったし、まだ若いのでこれからもっと伸びていくんでしょうね。ロンドン出身ということで、地元の歌手としてコヴェント・ガーデンでは人気が出るのではないでしょうか。というか世界中で活躍しそう。ネトレプコさんみたいにもうちょっと押しが強いとスターになれるのかなっても思いましたが、考えてみれば声が違いますね。ロイヤルさんは軽い、モーツァルトやバロックで活躍しそう。あとは、宗教曲かな。

で、突然ですが、魔笛のキモはザラストロだと思うんです。ザラストロのあの低い音がきっちりと歌えてると、オペラ全体が引き締まるというか、そういう土台になる大事な声だと思うんですよ。しかもわたしってば、ゾロアスター好き。ゾロアスター教の本も何冊か読んだんですよ。でも、ツァラトゥストラもザラストロも名前を取っただけでゾロアスター教とは関係ないんですけどね。で、今日のザラストロはゼーリヒさん。どこかで見たお顔だと思ったらDVDで出てた人だった。この人のザラストロ、めちゃくちゃいい!低い音もしっかり出てて、貫禄あるし、知的。しっかりオペラを締めていました。もうザラストロにめろめろ。わたしがパミーナならザラストロに恋するのに。

それにしてもやっぱり魔笛はいいな。内容とか思想は、よく分からない道徳観(フリーメイソン?)やらあからさまな男尊女卑やらわたしとは相容れないんですけど、そんなのは笑って許せる感じ。ってか無視。だって音楽は最高なんですもの。
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パパゲーノのマルトマンさん
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夜の女王のプラットさん
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なんたってザラストロのゼーリヒさん
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パミーナ、タミーノのロイヤルさんとカイザーさん
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by zerbinetta | 2011-02-11 08:28 | オペラ | Comments(2)

世界は悲しみで満ちている   

02.02.2011 @barbican hall

mozart: piano concerto no. 16, k451
mahler: symphony no. 6

lars vogt (pf)
jiří bělohlávek / bbcso


今日もとっても期待してたんです。ビエロフラーヴェクさんとBBCシンフォニーのマーラーの交響曲第6番。このコンビのマーラーは一昨年のシーズンに交響曲第5番を、去年の夏にはプロムスの開幕で第8番を聴いて、とっても良い印象を持っていたんです。第5番を聴いたときは、スマートに、流線型にならないごつごつとした手作り感がステキで、でも、第5番なんかはスマートに演った方がかっこいいのかなっても思っていましたが(この間聴いたネゼ=セガンさんのがとおっても良かったので)、第6番は音楽の性格からいって、つるりとスマートにならない方がいいような気がしてたんです。そして、重めで渋いBBCシンフォニーの音はこの曲にぴったりなんじゃないかと。その結果はあとで。

音楽会はマーラーの前に、モーツァルトのピアノ協奏曲の第16番が演奏されました。今日はラジオの生放送があるので(BBCラジオ3のサイトで現在オンデマンドで聴くことができます)、いつものように、あっ今日は女の人でしたが、司会者が簡単に曲の紹介をして、始まります。ピアニストはラルス・フォークトさん。苦虫を噛み潰したような顔。武士という感じのモーツァルト。今日はピアノの音があまり上手く聞こえない席だったみたいで(それは予想外だったのでちょっとびっくり)、ピアノの響きは良く分かりませんでした。木質のことことした感じの音でモーツァルトを弾くのにウェットな響きを抑えているという感じです。きまじめに書を書いているという感じの演奏だったと思います。
モーツァルトのピアノ協奏曲の中では演奏される機会が少ない作品とのことでしたが、わたしも初めてです(CDでは聴いたことあるはずなのに。。。)。オペラの序曲のような始まりから音楽が快活になってると思っているとふと気がつくと孤独の中にいたり、不思議な感じの音楽。そういうところがちょっと取っつきにくいのでしょうか。でも、じっくり聴いてみたい音楽でした。

休憩の後はいよいよマーラー。モーツァルトとはうって変わって大編成。ヴァイオリンは両翼配置。これは生きますね。ビエロフラーヴェクさんの棒が振り下ろされると、始まりから何かとんでもないことが起こりそうな緊迫した雰囲気。低音弦楽器のアイゼンを付けた靴で固い氷の上を歩くざっざっとした音。その上から覆い被さってくる重い音たち。重い行進。ゆったり目のテンポ。これです。紛れもなくわたしが期待していたもの。というより、精神の緊迫感は予想をはるかに超えている。巨大な第1楽章の端から、こんなに飛ばしてオーケストラは最後まで耐えられるのだろうか? 楽器が壊れてしまわないか? それよりもわたしが耐えられるのかって不安が渦巻く。どうしてこんなに悲しい音楽。次から次へとわたしの中から封印していた悲しみがわき上がってきて涙が止まらない。この曲のタイトルの「悲劇的」というのに正当性があるとしたら、まさにこの演奏のことだろう。人の心を否応なくえぐるとんでもない音楽。ビエロフラーヴェクさんとBBCシンフォニーはそんな音楽を創りあげていきます。それは、数年にわたる主席指揮者とオーケストラの関係が築きあげてきた結晶。ビエロフラーヴェクさんの息づかいがオーケストラのどこを切っても聞こえてくるような、全く全員が同じ音楽を目指している一体感。細かなフレーズの受け渡しや、音色の移ろい、アーティキュレイション、全てに統一が図られていて一糸乱れがない。楽譜を正確にトレースしつつ、さらにその中に巨大な感情を詰め込んでくる。最近のマーラー演奏の流行(?)のスポーティーでかっこいい、流麗な、もしくは未来視点で分析的な演奏とは一線を画した、もっとなりふり構わぬような、かっこわるいけど本当にかっこいい、音楽の背後にある魂にぶつかっていく演奏。第1楽章の重暗い音楽がわたしに覆い被さってきて(まさに音楽が覆い被さってくるような席で聴いていました)、正直、精神の限界まで来ていたように思えます。
第2楽章はアンダンテ。感情を排したかのようなトランクイロで虚を突くように始まった音楽。ちょっとほっとする。でもちょっと不思議な感じなんです。音楽は感情の外で鳴っているので慰めはないんです。でも何故か心地良い。突然別世界に連れて行かれて、幽玄の向こうから音楽が聞こえてくる感じ。慰めというより、心を虚にされた感じといえばいいのでしょうか。でも、第2楽章がスケルツォじゃなくて本当に良かった。第1楽章の続きのような音楽を聴かされたら精神が参ってたから。従来の(マーラー自身はしなかった)スケルツォーアンダンテの順番を好む人の理由に、その方が第1楽章と第2楽章の繋がりがいいからという意見があるけれども、マーラー自身はそれには反対で、第2楽章と第3楽章の順番を悩んでいたのは(とは言え演奏する段になってからは悩んだ形跡はないみたいですけど)、第1楽章とスケルツォの音楽が似すぎているから続けない方がよい、ということだったようです。で、今日それが分かった。マーラーの言うとおり、第1楽章のあとにスケルツォを続けられると音楽に耐えられない。第1楽章のあとは静養が必要だし、第1楽章はそのように演奏されるべきもの、最後はもうこれ以上聴くのは無理、というところまで持って行かなければいけないのではないか、と思ったのです。そんな音楽も、途中から感情のうねりが入ってきて心を揺さぶります。この音楽の設計の仕方、もう抜群につぼ。心の中に風が吹いて、いえ、嵐が吹いて、余分なものを飛ばしていった感じ。
スケルツォは、鬱々とした気分の速めのテンポで始まって、どろどろした暗い部分と、絶え間ない変拍子の無邪気な部分の対比がとってもよく出ていました。ビエロフラーヴェクさんは全体を通して、低音の暗い響きは粘るように演奏させることを徹底していたんだけど、スケルツォではこれがとっても生きて効果的でした。エキセントリックなクラリネットをベルアップさせて吹いたのもマーラーらしいし、わたし、マーラーの演奏は、スマートにまとまってるのよりも、狂気を含んで危うさのあるのが好き。今日のはまさにそんな演奏。
フィナーレは、もうごつごつとのたうちまわるまさに狂わんばかりの音楽。もちろん、パートのバランスやニュアンス、フレージングは丁寧に細かく磨き上げられているのだけど(特にハープの音色や低い音の鐘の音色の選択が抜群でした)、決してきれいな音楽にならずに(音が汚いということではないのです)、音の背後にある精神までえぐり出すような凄まじい音楽。BBCシンフォニーはとっても上手いオーケストラだけど、だからスマートに演奏することもできると思うのだけど、荒れるところは荒れて、マーラーがオーケストラに求めた極限の音をきっちり表現している。
自分の力ではどうすることもできない運命に立ち向かい、もがき苦しみ、倒されていく。なんという悲劇でしょう。この音楽には希望がない。でも、これが近代人の現実なのかもしれない。もはや闘争から勝利の図式は崩壊していて、単純により良い未来を信じられなくなった人間。でもそれが、現代のわたしたちにあっても真実よね。悲劇を克服して希望を抱くというより、新たな悲劇を目の当たりにして過去の悲劇を忘れる。悲劇は解決されずに悲劇のまま終わって忘れられていく。まさに今の現実。マーラーはこれでもかというくらいに徹底的にサディスティックに悲劇を音にしてしまった。ハンマーは(録音では木質の音はとらえきれないと思うけど)ずっしりと重い衝撃でした。疲れ果て運命の殴打に倒される人間。それで終わり? これがこの交響曲の最大の謎なのかもしれませんね。演奏が終わって打ちのめされてるわたし。かろうじて拍手をするものの。。。ビエロフラーヴェクさんも精魂果てた様子。オーケストラを称えて。それにしても、BBCシンフォニーよく最後までもったなぁ。凄すぎ。

今日の音楽会を聴けて幸せだとは思わない。だって幸福な音楽ではないから。悲しみに心を揺さぶるもの、あまりに強い音楽の力を受けた音楽会でした。世界に満ちている悲劇や悲しみを真っ直ぐに見つめる勇気をもらったような気がします。幸せではないけど最高の音楽会でした。
いつものBBCラジオ3でオンデマンドで配信中です。
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by zerbinetta | 2011-02-02 09:47 | BBCシンフォニー | Comments(6)

今年も見事な富士額   

26.11.2010 @royal festival hall

mozart: piano concerto no. 25
bruckner: symphony no. 9

andreas haefliger (pf),
günther herbig / lpo


昨日の事件後まだキズが癒えないまま音楽会へ。週日に4日も連続して音楽会があるときつい。どうしてこんなチケットの取り方しちゃったんでしょう。ばかばかばか。
でも、今日は去年のシーズンに聴いていいなと思った、ギュンター・ヘルビヒさんの指揮。白髪に見事な富士額がいいの〜〜。さて今日はどんな音楽を聴かせてくれるのでしょう。ちゃんと聴けるかしら。

前半はモーツァルトのピアノ協奏曲、K503のハ長調。モーツァルトの音楽は心のリハビリにぴったりですね。人間の感情が全て美しい音楽の中に含まれてる。なんて言いつつ、モーツァルトの音楽を好きになったのは結構後のこと。そして今でもちゃんと聴けてるとはとうてい言えない。いつかモーツァルトの音楽が本当にわかる日が来るのでしょうか。わたしもマーラーみたいに死ぬときモーツァルトと言ってみたい。と余計なことを書いちゃったけど、このハ長調の協奏曲はオーケストラにトランペットもいたりして堂々として絢爛。ステキだなぁ〜と思いながらぼんやりと聴いていました。指揮者もピアニストもオーケストラも突出してない代わりに安心して音楽に身を委ねられる演奏。ピアニストのヘフリガーさんって有名な歌手のヘフリガーさんの息子さんなんですね。わたしの記憶が正しければ、お父様の歌、ではなく語り(グレの歌)を聴いたことあります。あっ何わたし、お父様の思いで語ってる。アンドレアス・ヘーフリガーさんは、モーツァルトを丁寧に弾いて良かったですよ。わたし、モーツァルトを弾くのが一番難しいと思っているので、こうして心にすっと来るモーツァルトを弾く人を高く評価しています。と言いつつ、はっとする瞬間がもっとあったら良かったな。第1楽章のカデンツァは良かったけど。

後半はブルックナーの交響曲第9番。ロンドン・フィルは過去にブルックナーでは交響曲7、8、6番と名演を聴かせてくれているので期待していました。このオーケストラ、マーラーよりもブルックナーの方が得意な感じだしね。ヘルビヒさんのブルックナーは比較的速めのテンポで音楽の流れを作っていくもの。第1楽章なんかはブロック構造が明確というか極端な感じな音楽だけど、ヘルビヒさんのはそこで流れが淀まない。とてもスムーズに音楽が流れていくの。フレーズもレガートでくっつけないで、きちんと一音一音明確に切る部分もあって新鮮。最初はあまり目立たなかったテンポの変化も、少し音楽が進むと大胆になって、速い部分では短いパッセージでもおっ!っと思うくらい速くしたり、これはちょっとオーケストラが戸惑っていたこともあったけど、ブルックナー好きの人に言わせればブルックナーらしくないって言われるかもしれないけど、どうせブルックナー分かるはずない女子(そう言われたことある)のわたしにはとっても良い感じでした。ヘルビヒさんの良さは音をとても開放的に良く鳴らすことです。金管楽器、特にホルンを思いっきり気持ちよく鳴らしていて、テンポの変化と共にブルックナーの音遊びをとても上手に聴かせてくれたと思います。きちんと練った演奏だったと思うけど、テンポを揺らす部分では自由な感じに聞こえて、なんだかオルガンの即興演奏を聴いてるみたい。ブルックナー最後の交響曲、生への別離の音楽、なんてCDの帯に書かれると必要以上に重厚長大になっちゃいそうですが、ヘルビヒさんのは、てらいのないちょうど良い大きさの演奏。わたしはこのくらいのブルックナー、好きだな。ただ、ひとつだけ残念だったのは、会場のロイヤル・フェスティヴァル・ホールの残響が短くて(かなりデッドなホールです)、休止部の余韻がなかったこと。残響の長いホールで聴いていれば教会のオルガンみたいでいいのにな、もったいないなって思いました。
実は、第7番やあの第8番でとんでもない名演を聴かせてくれたネゼ=セガンさんが今シーズンは第9番を演るんじゃないかってシーズン前は期待してたんです。彼はマーラーに回ってブルックナーはなし。でも、ヘルビヒさんのも良かったので満足です。と言いつつ、来シーズンはネゼ=セガンさんでブルックナーの交響曲第5番を期待したいな。ヘルビヒさんはベートーヴェンかブラームスを演ってくれないかな。と、勝手に思ったり。そういえば、ロンドン・フィルってベートーヴェンあんまり演奏しないなぁ。
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by zerbinetta | 2010-11-26 09:07 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(2)

偉大な音楽家の思い出 ある日カエルが頭に落ちてきて   

4.11.2010 @royal festival hall

handel: music for the royal fireworks, 'how beautiful are the feet' from messiah,
'let the bright seraphim' from samson
mhairi lawson (sp),
steven devine (hs) / oae

dvořák: symphony no. 7
mozart: sinfonia concertante
janáček / macherras: suite, the cunning little vixen*
janáček: final scene from the cunning little vixen*
julian rachlin (vn), lawrence power (va),
sir thomas allen (br), sebastian cox (tr),
tomáš netopil, alexander briger* /po


友達がチケットをくれたので音楽会に行ってきました。今日の音楽会は行く予定にはなかったんです。フィルハーモニアの音楽会でマッケラスさんが振る予定だったのですが、亡くなられてしまったので誰がなんの曲を演るのかチケットを売り出した時点では分からなかったので、チケット取らなかったんです。で、友達が行けなくなったのでわたしが行くことになったのだけど、何を演るのかしらと思って、チェックしたら、チャールズ・マッケラスさんの追悼コンサートになっていました。そしていつもの7時半始まりではなく7時始まり。チェックして良かった。今日の仕事は長くかかる予定だったので、朝早くから来てなんとか片付けました。

なんと今日の音楽会は、ふたつのオーケストラの音楽会だったのです。始めはOAE。OAEもマッケラスさんとは深い関係にあったんですね。今日のプレゼンターのアンソニー・アンドリューズさんが、今日の音楽会のこと、チャールズのことなど、少し話してメモリアル・コンサートが始まったのです。今日はそんな特別な音楽会だからか、オーケストラの人たちから、会場からなんだかあたたかな雰囲気が感じられました。ヘンデルはチャールズ(わたしも故人に親しみを込めてこう呼びます)の大好きな音楽だったそうです。わたしがチャールズを知ったのは、モーツァルトのCD(か多分、ラジオで聴いて凄く良くてCDを買ったんだと思います)。記憶が曖昧なのですが、プラハ室内オーケストラを振った演奏は、現代オーケストラに古楽器スタイルの良いところを採り入れた、とっても溌剌としてステキな演奏。実演ではロンドンに来てから、オペラとコンサートで2回ずつ聴いてます。ずいぶんとおじいちゃんだったけど、笑顔がとってもステキで、音楽は若々しく溌剌としていて、老熟した音楽なのにちっとも老いを感じさせないものでした。そんなことなどが心に浮かび上がってきて始めからちょっぴり目が潤んじゃった。

フィルハーモニアの方は、チェコの若い指揮者、トマーシュ・ネトピルさんがドヴォルジャークの交響曲第7番とモーツァルトのシンフォニア・コンチェルタンテ。モーツァルトの方は、もともとチャールズが振る予定だった今日の音楽会の曲目。そして、ドヴォルジャークは、若き日のチャールズがロンドンのカフェでスコアを勉強していたら、ドヴォルジャークを勉強するならチェコのターリヒに学ぶといいと言われて、チェコに行くきっかけになった、そしてその後チェコの音楽の大家といわれるきっかけになった記念すべき曲。ドヴォルジャークの演奏は正直始めあまりよく分かりませんでした。ぼーっとしてた。でも、第3楽章以降は、はっとして、ううむ、これが若手の有望株のひとりといわれる所以かって思えた。でも、もっと良かったのがモーツァルト。ソリストのおふたりが出てきたとき、うわっ、今日は濃そう、ピンクのモーツァルトがいいのになって思っちゃったけど、あに図らんやもの凄くもの凄くステキだったんです。ルックスは濃いめの兄ちゃんたちのソロも確かに音楽も濃いめだったかもしれないけどうんと良くて、ふたりの掛け合いがモーツァルトが意図したように対話していて愉しかったんですが、ネトピルさんのオーケストラもこれがもううっとりするほどモーツァルト。この人のモーツァルトはいいっ。若手ナンバー・ワンモーツァルト指揮者の称号を勝手に与えたいっ。

音楽会のお終いは、チャールズがもっとも愛した音楽、ヤナーチェクのオペラ、利口な女狐。マッケラスさんがアレンジしたオーケストラの組曲版と最後のシーン。指揮をするのは、チャールズの甥の指揮者、アレクサンダー・ブリガーさん。わたしは幸せなことに、この春、チャールズの指揮で利口な女狐を観てるんです。もうこれがとっても感動するオペラで、そのときの思いがよみがえってきて、オーケストラの音楽だけでも感動できました。そして、最後の場面の前にブリガーさんからコメントが。パブ(だったかな?)でふたりでワインを飲んだとき、チャールズは自分が死んだときはこの曲を演奏して欲しいと言ったそう。作曲したヤナーチェクも同じことを言ってますね。生まれてから死に向かう短い直線のような人の生、それに対して生まれて死んでまた再生して循環していく自然。限られた時を思い出のうちに語る老人。夢には自分が捕まえたビストロウシュカの子供たち。そして額に落ちたカエル。本当にこの最後の場面では自然の中の人間の生を考えさせられます。そして人もいつか自然の循環の中に還っていく。チャールズが望んだ、チャールズのメモリアル・コンサートに最もふさわしい音楽でした。

でも、音楽会はここで終わらなかったのです。アンコールに曲名は分からないのだけど、賑やかなポルカみたいな音楽。なんだか、チャールズのあの笑顔が思い出されてステキでした。今日のチャールズの思い出満載のプログラムの冊子もとってもステキなものでした。チャールズの笑顔はあたたかく心に刻まれるでしょう。
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by zerbinetta | 2010-11-04 08:39 | フィルハーモニア | Comments(0)

伯爵の愛人になりたい   

mozart: le nozze di figaro
eri nakamura (susanna), erwin schrott (figaro),
annette daxch (countess), mariusz kwiecien (count),
jurgita adamonyte (cherubino), robert lloyd (bartolo),
marie mclaughlin (marcellina), peter hoare (don basilio)
colin davis / royal opera house @covent garden


ロンドンで初めて行った音楽会がフィガロの結婚だったんです。ってあれ?昨日はヂャンさんとロンドン・シンフォニーって言ってなかった? 実はロンドンに住み始める前、面接のため一度ロンドンに来てるんです。そのとき、ロイヤル・オペラ・ハウスの立ち見の切符を取って観たんです。なのでこの演出(マクヴィカー版)を観るのは2度目。とってもステキな舞台だと思います。何しろ主役はお掃除おばさん。というのは半分冗談で、でも始まりの序曲の間のお掃除のシーンとフィナーレのあとを閉めるという(この演出にしか観られない)大切な役を担ってるので、多分きっと何か演出の肝があるんでしょうね。ソープ・オペラ的な家政婦は見てたみたいな。でもそれ以外は多分とってもオーソドックス。18世紀と17世紀の衣装の違いも舞台を観てここがスペインなのかオーストリアなのかも分からないわたしが言うのもなんですけど。でも、そんなの関係ないですよね。楽しめれば。だって、根っからの日本人のくせに時代劇の衣装を見てそれが綱吉の頃なのか吉宗の頃なのかちっとも分からないんですもの。ましてや外国のことなんか。
そう。もう序曲が始まったとたんから楽しくてわくわく。わたしはオペラに序曲はいらない派なんですが、この序曲(とロッシーニやワグナーのいくつか)は例外。こんなにうきうきさせてくれる音楽って滅多にない。コリン・デイヴィスさんが指揮するオーケストラもオーソドックスでとおっても上手い。同じ公演でも一昨年聴いたときは、マッケラスさんの指揮で古楽っぽい奏法で演奏されたんですけど、それも良かったけど、今日の現代オーケストラの正攻法の演奏もとってもステキ。それに今日はレシタティーヴォの伴奏のチェンバロもなんだかとっても良かったです。
歌手の人たちもとってもステキでした。2番目に印象に残ったのはマルチェリーナを歌ったマクラウリンさんなんですけど、アラベラのDVDで控え目なズデンカを歌ってる方ですが、今日はずいぶん手練手管を身につけたようで、結構アクの強い(役柄の)マルチェリーナでした。男声陣もおしなべて良かったんですが、タイトルロールのシュロットさんより、伯爵のクヴィーチェンさんにセクシーな魅力を感じました。理髪師ではあんなにウブだったのに。わたしを愛人にしてくれないかなぁ。伯爵家で一生優雅に暮らしたい。
フィガロの結婚はわたしが一番たくさん観ているオペラだと思います。音楽学校の友達が歌った学園祭の公演から、メトやワシントン・オペラ、アマト・オペラなど。スザンナもいろんな人で聴きました。バルトリさんやネトレブコさん、レッシュマンさん。でも、その中にもうひとり日本人のナカムラ・エリさんを加えることができてとっても嬉しいです。まだ若手の(ロイヤル・オペラ・ハウスの若手育成プログラムの最終年ですよね、確か)これから伸びていくであろうソプラノですが、この大役をとっても見事におきゃんにこなしていました。ほんとにステキなかわいらしいスザンナだった。来シーズンは、ロンドンを離れて大陸で歌うみたいですが、ぜひ、ステキな歌い手になって欲しいです。そしていつかまた彼女の歌を(できればオペラで)聴きたいです。

シュロットさん、エリさん、サー・コリンさん
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by zerbinetta | 2010-06-17 07:50 | オペラ | Comments(0)

生まれては消える刹那な旋律   

charlotte bray: beyond a fallen tree
mozart: piano concerto no. 21, k467
suk: symphony no. 2 asrael
pierre-laurent aimard (pf), daniel harding / lso @barbican hall


今日はとおってもすいてました。いつもの3階席は閉めるということなので、2階の一番良い席に換えてくれました(もちろんただです)。こういうこと年に何回かあるんですよ。今日はモーツァルトの協奏曲が入ってるとは言え、メインはスークのアスラエル交響曲。あまりにマイナーなのでお客さんの入りも悪いんですね。ハーディングさんとロンドン・シンフォニーという組み合わせなのにもったいないというか、ロンドンっ子には珍しくもないか。
始まりは、なんと!わたしより一回りも年下の20代のロンドン在住の作曲家、シャルロッテ・ブレイさんの「倒木の向こうへ」という曲。とってもきれいなステキな曲でした。最近流行の大衆に媚びるような分かりやすい音楽ではなくて、オーケストラの楽器には普通に音を出させているのでものすごく前衛という訳でもなく、上手い具合にバランスの取れた音楽。とても力のある作曲家だと思います。実際、いろいろ委嘱されていて、来シーズンはヴァイオリン協奏曲が初演されるみたいです。聴きにいけるかな。ちょっと残念だったのは、今日のお客さんが現代曲慣れしていなくて淡泊だったこと。メシアンのときのお客さんだったらもっとたくさん拍手したんだろうけど、カーテンコールはなしでした。ってか微妙なところで、ハーディングさんがステージに出てこようかなってしたときにちょうど拍手が鳴りやんでしまったのね。舞台の袖で出てこようとしたハーディングさんがくるっときびすを返して引き返したのを目撃。

まだ少女のあどけなさが残るようなブレイさん
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今日の音楽会で一番印象的だったのがこのモーツァルトだったんです。ピアノは現代物を弾かせたら右に出るものはいないっていうのが大袈裟じゃない、ピエール=ロラン・エマールさん。ロンドンで聴くのは2度目、っていうか前回は酔っぱらって熟睡してて、エマールさんが出てきたのも覚えてないのでした。あはは。エマールさんと言ったら、暗譜で弾いたトゥランガリーラが一番印象に残ってるんだけど、古典も弾くのね。前にベートーヴェンのソナタを弾いたのを聴いたことがあります。モーツァルトだってメシアンが最大級の讃辞を贈っていた作曲家だものね。弟子(?)のエマールさんが弾くのも不思議ではない。で、そのモーツァルトがほんとに凄かったんです。
まずオーケストラ。この始まりを聴くとなぜかいつもドン・ジョバンニを思い出してしまうんですけど、第1楽章はオペラ・チックですよね。ハーディングさんとロンドン・シンフォニーは柔らかな音色でとってもステキに音楽を始めました。エマールさんのピアノも柔らかくて丸くてあたたか。で、こんなにも不思議な音楽かってびっくりしちゃった。だって、次から次へと新しい旋律が出てきたり突然短調になったりして、幻想曲風に形式感が崩れてるんですもの。というような演奏だったんです。いつも新鮮に新しい発想のメロディがわき出てくるようなそんな演奏。過去の日記を紐解いてみたら、エマールさんが弾くベートーヴェンのソナタを「一つ一つの音が今初めて生み出されたように弾かれて」って評してる。ベートーヴェンの音楽だったので「そのために全体から演繹される構成感が弱かったように思った」なんて書いてるんだけど(2001年12月)、モーツァルトはこのやり方がとても生きていて、どこに行く付くか分からない不思議な楽しい彷徨いのときが過ごせました。ひとつひとつの旋律がとってもステキなのであっちに行ってもこちらに来てもやっぱりステキなんですね。
圧巻は第2楽章でした。ゆっくり目のテンポで柔らかなオーケストラ。それでは一歩間違えるとムード音楽になってしまう(実際にムード音楽に編曲されてますよね)甘美な旋律が、とっても控え目に過度なニュアンスを差し挟まないように自制されていて、静かに静かにときを歩んでいきます。このうちに引き込まれるような表現がとってもステキで、耳をそばだてて聴いてしまう、静寂で哲学的って表現したくなるような音楽。こんなモーツァルトを弾けるエマールさんもハーディングさんもただ者ではない。ハーディングさんとはときどき波長が合わなかったりしてたけれども、こんな音楽を聴いてしまうとやっぱり彼は凄いんだなぁと素直に感心してしまいます。ハーディングさんの振る古典もっと聴きたいです。

にこやかハーディングさんとエマールさん
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最後はアスラエル交響曲。前にユロフスキさんとロンドン・フィルで聴いてステキな音楽だったので今日のチケット取ったんだった。でも、この曲とっても重くて長いんです。聴き通すにはかなり精神力が必要。ほとんど悲しみのため息で構成されてる音楽ですし。実は最近とっても忙しくて、気持ちが不安定になってたりして、夜上手く寝られなかったりしてるので、最後まで聴くのはしんどかった。。。最後の最後に祈りというか慰めがあるんですけど。ハーディングさんとロンドン・シンフォニーの演奏は、外面的な効果を切り捨てて、深い悲しみを音楽にした、地味だけれども真摯な演奏でした。わたしがもうちょっと元気だったら、もっとちゃんと聴けたのに。
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by zerbinetta | 2010-05-23 08:57 | ロンドン交響楽団 | Comments(0)

光子さん、かわいらしいっ   

haydn: symphony no. 97
mozart: piano concerto no. 17, k453
nielsen: symphony no. 4
mitsuko uchida (pf), sir colin davis / lso @ barbican hall


昨日はチューブで寝過ごしてしくじっちゃったので、今日はちょっと早めに家を出た。わたしの日頃の行いってほっんといいんですね。これがラッキー。家からバービカンに行く電車(1本でいけます)なんと、途中駅で人身事故があって止まっちゃったんです。なので、バービカンの方に行かない路線で先まで行って戻ってくるという(反対方向は動いているので)コースをとりました(うちのチューブ、途中で二手に分かれてまた合流するのです(ひとつはバービカン・センター、もう片方はコヴェント・ガーデンやサウスバンク・センターの最寄り駅を通ります)。遠回りになるので時間がかかるんだけど、ショートカットできる線は週末で止まってるかも知れないし、急がば回れでしょ。早めに出てきた甲斐あって(偶然だけど)、なんとかぎりぎり間に合いました。

ハイドンの交響曲は第97番。ハイドンは好きと言いながらもハイドンの交響曲はニックネームが付いてないとどれがどれだか分からないよね〜なんて言ってる似非ハイドニスト。第97番も初めて聴くように新鮮。こういう古典ものはやっぱりロンドン・シンフォニーが一番しっくり来るかなぁ。ロンドンのオーケストラの中では一番大陸の香りがするものね。コリン・デイヴィスさん(サー・コリン)の演奏は現代楽器のふくよかな音色を生かしたスタイル。あっひとつだけ、わたしの好みではティンパニはもちょっと皮張り系の音が好きかな。皮ゆるめ系のくぐもったどっしりした音で叩いていたので。

今日のお目当てその1は内田光子さんのピアノ。ロンドンで最も尊敬されてる日本人のひとりですね。光子さんはわたしも好きで、彼女のモーツァルトのソナタと協奏曲の全集のCD家にあったり(今も日本にあります)。それに音楽会でちょくちょく見かけるので、親近感大。モーツァルトのピアノ協奏曲第17番、おうちに全集があるくらいだから聴いたことあるハズなのにこれも全く忘れてる。
光子さんってステージの上では、こんな風に言うの、還暦を過ぎた偉大な芸術家に失礼かも知れないけど、とってもかわいらしい。なんだか無邪気な子供のよう。ほんとに純粋な方なのね。こんな感じは、アルゲリッチさんにも感じたことがあります。
オーケストラの音楽が始まったとき、光子さんはなにやら客席の方を見て、指をさす感じで子供にするようにダメダメをしていました。何があったんでしょうね。演奏中なのに写真を撮ろうとしてたとかかしら。おやおや音楽に集中しないのかしらなんて心配してたら、音楽が進むにつれてちゃんとしっかり音楽の中に入っていました。そして光子さんの奏でるモーツァルトったら。モーツァルトを弾く人は誰でも同じように言うと思うんだけど、モーツァルトって譜面づらはとっての易しいのに、譜面通り弾いただけじゃ音楽にならないから難しいと。もちろん、楽譜に音を足したり、強弱を変えたりとかしなきゃいけない、んじゃなくって、リズムの取り方とか息の仕方とか、言葉にできない魔法を振りかけることが必要なんですね。そしてその魔法が使えるのは、限られた人。光子さんもそのひとり。そして今日もとっておきのステキな魔法をかけてくれました。
光子さんのピアノはとっても柔らかな音色。とっても抑えめで、前に出ることなく絶妙のバランスでオーケストラと協奏するの。オーケストラが完全に光子さんの世界に融け合ってくる。そして、今日の一番のステキな魔法は、休符。この間の取り方が絶妙というか、ドキリとするような、一瞬心臓が止まっちゃうような、特に第2楽章は、まるでそこに新しい世界がぽっかりと開いたように初めて聴くモーツァルトの音楽。音はないのになんとステキな音楽がそこにあるのでしょう。こんなモーツァルトを聴けたなんて、わたしなんて幸せなんでしょう。モーツァルトの音楽も、長調になったり短調になったり、気まぐれなふしぎな魅力に満ちています。うんとステキな音楽でした。
演奏後は会場から溢れんばかりの暖かい拍手です。光子さんがロンドンの聴衆からとても愛されているのを感じました。
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お目当てその2は、ニールセンの交響曲第4番「消し難きもの」。サー・コリンはロンドン・シンフォニーとニールセンのチクルスを演っているのよね。今日の演奏は録音されていずれCDになるようです。そのニールセン、正直わたしは戸惑いました。第1楽章が速いっ。なんか速すぎて、せかせかした感じがして、いろんな情報が失われてるんじゃないかって思ったの。オーケストラはよく付いていったと思うけど。もう少し堂々としていてもいいんじゃないかって思いました。もちろんそうして拠り所のない不安感を煽った表現をした、とも言えるのかも知れませんが。わたしとしては音楽への拠り所が欲しかったです。2楽章からは普通に楽しめたんですけど。そして、ステージの左右に振り分けられた2対のティンパニの競奏は、やっぱりいいですね〜。これは絶対生でないと味わえないだろうな。それにしてもこれだけ派手に盛り上がって、サー・コリンってもう80歳過ぎてるなんて信じられない若々しい指揮ぶりです。それにしても最近の80代って若いなぁ。マゼールさんも、ドホナーニさんもマズアさんも椅子なしで元気に指揮してるものね。すごいすごい。
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by zerbinetta | 2010-05-09 07:51 | ロンドン交響楽団 | Comments(4)

びよら大活躍   

mozart: symphony no. 39
bruckner: symphony no. 4
kurt mazur / po @royal festival hall


またまた懐かしい顔。クルト・マズアさん。わたしのUS時代、ニューヨーク・フィルの音楽監督でした。ニューヨークでは何回か彼の演奏を聴いていますし、彼がニューヨークを離れる年、ワシントンDCでも聴きました。マズアさんって「来るとまず合わん」とかって言われてるんですね。確かにまず合わんかった演奏を聴いたことあるのですが。。。でも、なんか不思議な味のある指揮者なんです。見かけによらず長身だし、見かけによらず高齢だし。指揮台から落ちてみたり。でも、お元気そうで安心しました。もう80歳を過ぎてるのに、椅子を使わず、2曲とも暗譜。凄い凄い。

最初はモーツァルト。わたしの大好きのひとつ交響曲第39番。これがまた不思議な演奏だったんですよ。とってもソフトで。最初のトゥッティからなんか音を抑えた感じ。そして、今日はフィルハーモニアのティンパニの人がいつものアンドリュー・スミスさんじゃなかったんですよ。そしたらティンパニ弱め。オーケストラの中に入って音を支えてるような叩き方。スミスさんだったらばしっとオーケストラに楔を刺すように叩くのに。それは今日のマズアさんの音楽とは違うのですが。わたしとしてはちょっと残念です。ティンパニひとつでオーケストラの印象が、音楽の印象がだいぶ変わってしまうのは面白いですよね。でも、スミスさんがこの音楽でどういう風に叩くのかもききくらべてみたかったな。もちろん無理な相談なんだけど。
ゆっくりと柔らかに立ち上がる第1主題。経過句はちょっぴり活発。わたしはコープマンさんの溌剌とした演奏やアーノンクールさんのアグレッシヴな演奏のCDで聴き慣れてるので、ちょっと戸惑い。それにしても何という演奏スタイルなのかな。一昔前のタイプ? でもそれはそれでのんびり優雅に聴く感じで、ふわふわと音楽は染み込んでくるのです。ぎりぎりのところでイージー・リスニングから画してるのも微妙なバランス。そしてそれに応えてフィルハーモニアの音も柔らかくて綿飴のよう。

そして、休憩後はブルックナー。マズアさんのブルックナーは初めて聴くと思ったのですが、日記をひっくり返してみると2002年にロンドン・フィルと来米したときの公演を聴いてるんですね。そのときの日記のタイトルが、「ブルックナーが。。。」。ふふふ、びっくりしたというか面白かったというか。今日の第4番ではなく第7番の演奏なんですけど、手前味噌ながらそのときの日記を引用してみましょう。

ー引用ここからー
さぁ、問題はブルックナーなの。マズアさんはわたしの記憶ではニューヨークフィルでこの曲や第4交響曲をたびたび採り上げてたので、この曲好きなんだなって思ってたの。だからすてきな演奏になるのに違いないって。そして、弦楽器のトレモロの霧のむこうに聞こえてきた音楽は、あっ?!と心の中で叫んだようなびっくり。遅いの。なんだか旋律が崩れちゃうくらいに。ううむ。第2主題や第3主題は普通のテンポなんだけど、第1主題だけがゆっくり。それから、全部の音は聞こえているのに、対旋律が浮かび上がってこないの。前に、スクロワツェウスキーさんが振ったナショナル・シンフォニーで同じ曲を聴いたときは、対旋律がよく聞こえてきてセカンド・ヴァイオリンを弾いたら楽しそうだなって思ったのだけど、今日は一所懸命耳をこらしてみたのだけど、音がかたまって聞こえて横の線には聞こえないのね。ふぅん、演奏によってこんなにも違うものかって改めて思っちゃった。わたし的にはちょっとタイプじゃないわっても思ったの。それにしても金管楽器が結構鋭い抜けるような音で、あっこれってニューヨークフィルみたい。もしかして、こういう強靱なはっきりした音がマズアさんの目指す音なのかなって思っちゃった。そういわれてみると、思い当たるふしがたくさんあるけれども、なんだかマズアさんの穏やかそうで剽軽な面影とはちょっと違うな。イメジ変えなきゃ。ブルックナーの方は第2楽章に進んだのだけど、奇跡はここで起こったの。演奏は、シンバルや打楽器の入らない版、わたしは版のことは詳しくないのだけどノヴァーク版?わたしとしては、シンバルもトライアングルも入れて盛り上がって欲しいと思うのだけど。音楽の重心をここに持ってきて欲しいから。で、う~ん、盛り上がらないなぁって思ってたの。ところがマズアさんの設計は重心をこのあとに移していたのね。コーダの部分はブルックナーがワグナーの死を聞いて書いた追悼の音楽なのだけど、マズアさんはここに全曲の重心を持ってきたの。ワグナーチューバとホルンが慟哭の叫びのように、荒いけど悲痛な心の痛みを伴う音で鳴ったの。ここで音楽は変わったわ。いままで、何だかよく分かんないブルックナーだわって思っていたのに、ここから真摯な音楽になったの。マズアさんの雰囲気も変わったしオーケストラの音も明らかに違うの。そこからはわたしは音楽に飲み込まれっぱなし。第3楽章のスケルツォは、もうすごくかっこ良くてリズムが切れまくって、今まで聴いた中で一番って思ったくらい。第4楽章も。金管楽器の荒々しい主題が悲しみの叫びに聞こえるの。わたしは、正直に言うとこの解釈はかなりへんてこなことになってると思うけど、わたしのブルックナーではないけど、マズアさんの演奏はとても面白かった(interesting)。すごいものを聞いたって得した気になっちゃった。
ー引用ここまで(zerbinetta complex oct. 2002)ー

曲目が違うので一概には言えないと思うのだけど、今日のブルックナーの第4交響曲「ロマンティック」は、やっぱりわたしにとって不思議な味わいのあるものでした。違う違う〜と思いながら妙に納得できるというか。まず始まりは、弦楽器のトレモロがちょっと弱いなって思ったけど、ホルンはなかなかステキな雰囲気でした。ところが旋律を木管楽器が引き継いでから、素っ気ないというか冷たいというか。前にマズアさんのとおっても無機的で異様なマーラーの交響曲第1番の始まりを聴いたことがあるので、今日の演奏もそうなっちゃうのかなって思ったら、楽器が増えてきてからは普通の感じに戻りました。もしかして上手くいかなかったの?っても思ったけど、再現部の方で同じような進行の部分も同じように演奏していたのでこれがマズアさんの表現なんでしょう。テンポは第1楽章では振り回すことはなかったけど、でも場面場面で微妙にテンポを変えて、スマートな演奏。イン・テンポで押し切る朴訥なタイプではないんですね。第2楽章の行進曲風のところなんかはゆっくりと逍遥するような感じでとても爽やか。結構いい感じでしょ。
そして、以前に聴いたのよりも印象が大きく変わってる部分があります。それは内声の扱い。今日は内声がとっても良く聞こえてきました。それも強調した風でなく自然に。特にヴィオラがステキでした。まず感動したのが、第1楽章の真ん中で金管楽器が朗々と盛り上がってるところに、絡んでくるヴィオラ。トップの人が体を揺するようにして大きく弾いているのをみんなが熱く追いかけて、今日はここが一番じんわりと感動しました。それにしても、この曲ってヴィオラが大活躍なんですね。そこここでヴィオラが一番大事なパートを弾いてます。びよりすと大喜び。びよらって普段日が当たらないですからねぇ〜。びよら・じょーくがあるくらい。でもここでは大活躍。もうみんな嬉々として弾いてる様子でしたよ。ふふふ、それは穿った見方かもしれないけどね。でもトップの人はとにかく熱く、みんなをぐいぐい引っ張ってた。こういうの大好き。演奏のあと、マズアさんはヴィオラだけ立たせてみたり。ヴィオラを立たせるのは珍しいでしょ。
第3楽章のスケルツォはぼんやり聴いてたらあっさり終わってしまったのでびっくり。ダカーポのあとはリピート省いてたのね。律儀に主部をダカーポするブルックナーの書き方はときにくどく感じるのでこういうのもアリかな。だって長いもん。
マズアさんのブルックナーで一番面白かったのは最終楽章。ここではテンポを大きく動かして、聴いたことのない感じのブルックナーに仕上げてました。でも、最初に書いたようにことごとく納得できるんです。それはきっとただテンポをいじっただけではなくて、そのテンポに合った弾かせ方、音作りをきちんとしてたからだと思います。マズアさんって結構狸オヤジ。飄々とした顔をして、指揮棒を使わずに最小限の手の動きしかしないのに、思いも寄らないユニークな音楽を奏でてくれる。わたし、もしかして彼のこと好きかも。いつまでも元気で、まだまだステキな音楽を聴かせてください。
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マズアさん。振り返ってるのはヴィオラのトップの人。今日はゲスト・プリンシパルのジリアクス(ylvali zilliacus)さんでした。彼女、ソロや室内楽でも活躍してるのね。
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by zerbinetta | 2010-02-18 10:27 | フィルハーモニア | Comments(2)

200年前のソープ・オペラ   

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mozart: cosi fan tutte
sally matthews (fiordiligi), nino surguladze (dorabella),
charles castronovo (ferrando), troy cook (guglielmo)
helene schneiderman (despina), william shimell (don alfonso),
jonathan miller (dir)
julia jones / roh @covent garden


モーツァルトのコジ・ファン・トゥッティ。お話的に不道徳だとか、くだらないとか昔からいろいろ批判があるけれども、音楽はやっぱりステキだし、面白いし、楽しんだもの勝ちっ。結構好きです。ジョナサン・ミラーさんのオリジナル演出(今回の再演はダニエル・ドゥーナー(daniel dooner)さんが監督してます)のです。ダ・ポンテのお話を見事に現代に置き換えて、ソープオペラに仕立てています。コジは過去に何回かオーソドックスな演出で観たことがあるんですけど、今回のが圧倒的に面白かったし分かりやすかったです。歌詞に対しても音楽に対しても違和感がないのも凄いです。200年以上も前に書かれたお話が、今に生き生きとよみがえってきます。男性陣の最初はスーツ、次に軍服、そしてロックンローラーのコスプレ、もちろん、デスピーナのコスプレ、女性陣がロックンローラーと結婚することになって感化された服装、などコスプレ・ファンにはたまりません(ちがう?)。携帯電話などの小道具も使い方も上手い。キー・アイテムはステージの奥に置かれた姿見ですね。内と外、本音と建て前を見事に象徴しています。演出家の勝利ですね。
歌手陣は残念ながら最上とは言えませんでした。でもそれがなんでしょう。このオペラは6人のそれぞれの配役をほぼ同等に扱っているので、突出した歌手はいらないと思います。むしろアンサンブル重視の方がいい感じ。なのでわたしはほとんど不満はありませんでした。とにかくこういうオペラはつべこべ言わずに笑って楽しむ。これに限りますね。
指揮者のジュリア・ジョーンズさんはまだ珍しい女性指揮者。なんて早く死語にならないかしら。全く引け目を感じさせることなく良い演奏でした。さやさやと音を抑えて演奏していたのが、会話で劇が進行する(アリアでさえも真っ直ぐ劇の進行に役立ってますしね)このオペラにはぴったりだったんではないでしょうか。コンティニュオがピアノフォルテだったのもちょっぴり現代的な響きで良かった。
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by zerbinetta | 2010-01-29 06:43 | オペラ | Comments(2)