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きゃーーイケメンくん はあとはあと   

mozart: piano concerto no.20
mahler: symphony no.5
david fray (pf), leif segerstam / po @royal festival hall


とおっても楽しみにしていた、セーゲルスタムさんのマーラーの交響曲第5番。巷ではじんわりとセーゲルスタムさんのマーラー評判いいですからね。そしてわたしもセーゲルスタムさんにはとっても好感触。あの独特の風貌も森の魔法使いっぽくて大好きなんです。マーラーの作品の中ではあまり魅力を感じていないこの曲をずうっと脳内演奏していたこともこの音楽会への期待の表れかもしれませんね。それに対して、ピアノ協奏曲を弾くフレイさんには全く関心がありませんでした。プログラムの写真を見てもなんだか怖そうでふうんって感じでしたし。なので、始まりはモーツァルトのニ短調の協奏曲なのね、この曲よく聴くなぁ、今回で4度目かなぁ、少人数で弾くんだなぁ、あっ椅子がパイプ椅子だ、なんてぼんやりしながらステージを見てました。そしたら。ちょっと鬱々とした感じで入ってきたフレイさんを観てどきゅん。イケメン系。千秋先輩系。プログラムの写真より全然いいじゃない!目が悪いのでよく見えないのが残ね〜ん。抑えた音で始まった音楽。枯れる寸前まで音量を絞ってきましたね。ピアノはとっても柔らかなステキな響き。でも鬱々した感じは、よく分からないけど和音の響かせ方にあるんじゃないかしら。ペダルを使ってもったりめに和音を響かせてる感じ。内省的で引きこもりがちなモーツァルト。そういえば千秋先輩のバッハも屈折して鬱々としたイメジだったんですね。フレイさんのモーツァルトは屈折しているという感じじゃないけど、鬱々した雰囲気は千秋先輩もこんな感じなのかなぁって思った。長い髪をときどき耳にかける仕草、結構広いおでこ、うふふいいっ! 第2楽章はちょっぴり速めのテンポ。楽章の間でお客さんが律儀にコホコホするのを待たずに静かに弾き始めたのも自分の音楽に浸ってるみたいで吉。第3楽章も同じようにピアノを弾き始めて、速いテンポでオーケストラとの掛け合いがスリリングで面白かった。結構予定調和にならなくてドキリとするように崩してきたり。セーゲルスタムさんも上手に引き立てながらオーケストラをコントロールしていた。なんか、普段聴くモーツァルトとは一線を画したモーツァルト。多分、自分のためのモーツァルト。シューベルトに近い感覚なのかしら。他のソナタをどんなふうに弾くのか聴いてみたい。アンコールに弾いてくれた、ゆっくりした音楽も(曲名は分かりませんでした)、しみじみと美しく深く、とても良かったです。ダヴィッド・フレイ、28歳のフランス人なんですね。英語っぽいスペルのお名前だからイギリス人かと思ってた。ダヴィ・フラみたいな発音できないような発音がほんとなのかもしれませんね(フランス語のRののどの奥をこするような発音、わたしできません)。音楽会のあと、サイン会をしていました。CDは買わないし、プログラムも持っていなかったので(フィルハーモニアのプログラムは季節ごとにまとめて1冊なので前に買って家に置いてありました)、サインはしてもらわなかったけど、ちゃっかりと写真を撮っちゃいました。サイン会の彼は、さっきの鬱々とした表情とは違ってにこやかで人当たりも良さそうです。ひとりひとりのファンと笑顔でおしゃべりしていました。笑顔がまたステキなんです〜。ファンになるぅ〜〜。あっフレイさん、既婚なんですね。しかもパートナーはなんとあのムーティーさんの娘さんだとか。美人です。女優さんです。すごいっ。(って何を感心?)
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休憩の後はいよいよマーラー。この曲は去年初めて聴いて以来、2回目です。ステージにはわらわらと人が乗ります。今日のリーダーは日本人のマヤ・イワブチさん。フィルハーモニアの次席ファースト・ヴァイオリンの人です。魔法使いセーゲルスタムさんがゆっくりと登場していよいよ音楽が始まります。セーゲルスタムさんの指揮棒が動いてトランペットのファンファーレが鳴り出します。ただ縦に直線に下ろした感じのシンプルな動きなのにここまできちんと音が出て、自然に音楽の世界に浸っていく、魔法のようです。この始まり、ものすごく神経を尖らせるところだと思うんだけど。それに続くオーケストラのトゥッティはやっぱり鳴らしますね。セーゲルスタムさんの鳴らし方、潔い感じがして好きです。相変わらずアンドリュー・スミスさんのティンパニは凶暴でわたし好みだし。そして葬送の行進曲は、アウフタクトに独特の大きな間をとって引き摺るようにゆったりと丁寧に、でも普通のと何か違う。なんだろうと思って頭を巡らしながら音楽を追って。セーゲルスタムさんの音楽は、マーラーの音楽をひとつひとつの部品にまで分解してその部品ひとつひとつを丁寧に磨き上げている。だから、それぞれの部品がとってもきれいによく見えるし、マーラーが書いた複雑な音符が全てしっかりと聞こえてくる。でもそういう演奏なら最近多いし、こんなに不思議な気持ちになることはないと思う。何かが違う。そう、組み立て方が違うんだ。っていうか組み立てていないっ。セーゲルスタムさんは部品をそのまま部品の状態で置き放したまま組み立てるのを止めたよう。これがわたしの第一印象でした。戸惑うのも当たり前ですよね。こうして書くとただ即物的に音楽を鳴らしてる、まとまりのない演奏、駄演ということになりかねないんですけど、不思議なバランスで音楽として成り立っているんです。この感覚は第2楽章でも同じ。それぞれの声部がそれぞれ独立に音を創ってく。いろんな音のカセロール。情熱的な音、静かな音、悲痛な叫び、諦観、メランコリー、低俗すれすれの野卑た音、透きとおった清廉な音。ありとあらゆる音がそのままの状態でいろんなところから降りかかってくる。イワブチさんのソロも小節入って。思い出した。あれこそがポリフォニーだ、といろんな音が雑多に混ざるお祭りでマーラーが言ったこと。まさに今そんな音楽が展開されてる。そしてマーラーは続けてこんなふうに言っている。ただ作曲家はそれらの音をともに調和して響き合う全体へと秩序づけ、一体化させるだけなんだ、と。セーゲルスタムさんはどのように秩序づけてるんだろう? その答えは聴き進むうちに見えてきたような気がします。セーゲルスタムさんは音楽の中に秩序を求めないで、音たちの外に世界を作り出してるの。音たちがあちらこちらから飛び込んでくる世界にわたしたちは入り込んだよう。音どおしを関連づけて音楽を創ることを止めて、音を入れる大きな入れ物を創った。そしてそれは閉じずに開いている。世界なのだから。わたしたちはマーラーの音楽を聴くことができない。聴くというのは耳からわたしたちの裡に音楽を取り込むことだから。ここにある音たちはわたしたちと一緒に世界に存在している。音は外にある。
じっくりと間をとって、イワブチさんに合図してチューニングをして(音合わせというより間をとった感じ)、ゆったりと始まった第3楽章も同じ。ここでもたくさんの音が八方からバラバラに飛び込んでくるポリフォニー。楽しい音楽のところでセーゲルスタムさんが巨体をくねくねさせて指揮をする仕草はなんとかわいらしく可笑しいんだろう。音のないくすくすがまわりに広がって一体になる。この頃にはわたしにも世界の仕組みが分かってきて心地良い。
そうなると、興味が出てくるのが最後の2つの楽章。アルマへのラヴレターとして書かれたと言われるアダージエットと最後のロンドは、なんだか当たり前というか、ポリフォニーの作り方が前の3楽章とは全然違うんですもの。それはアダージエットが始まってすぐに思いました(アダージエットはむしろホモフォニックかもね)。ゆっくりと演奏しているんだけど、透明でむしろあっさりとした感じです。北欧の透明感なんて言われちゃうんだろうな。さて問題の最終楽章。確かにフーガになったり対位法を駆使しした音楽は複雑ではあるんだけど、全部枠の中というか予定調和的というか、マーラーさんどうしちゃったの? もしかしてアルマと出逢って頭の中お花畑状態? なんて悪口を言いたくなるくらい音楽が真っ当に書かれちゃってるんですね。最後のファンファーレも確かにある間が批判したように当たり前すぎるというか、第2楽章に出てきたときはうんと効果的だったのに。。。と感じつつも、実はわたしは音楽の凄さにしっかりと捉えられたいたんです。セーゲルスタムさんの創った巨大な世界はずうっと生きていてその中で音楽が進行していたんですもの。世界から見たら音楽のつまらなさなんて些細なもの。それにしてもなんて巨大なマーラーの交響曲第5番だったんだろう。聴き終えたときはぐわんと疲れてしまいました。充実疲れ。割とコンパクトにまとまっているかに見えるこの音楽からこんな大きな世界を生み出すなんてセーゲルスタムさん、ただ者ではない。そして魔法使いの巨人セーゲルスタムさんはイギリスの聴衆からも愛されています。終演後はブラヴォーと指笛の嵐。もちろんわたしも思いっきり拍手です。
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by zerbinetta | 2010-01-21 08:25 | フィルハーモニア | Comments(2)

到達点、なのかも   

mozart: violin concerto no.3
mahler: symphony no.9
arabella steinbacher (vn), lorin maazel / po @royal festival hall


わたしはモーツァルトの演奏は古楽器のが好きです。フィルハーモニアはとっても機能的なオーケストラで何でも上手に演奏してしまうオーケストラですが、モーツァルトに関してはわたしの好みと違うのであまり期待してませんでした。でもそこはフィルハーモニア。やっぱり上手いですね〜。オーボエなんかいつもと違ってモーツァルトらしい明るい軽やかな音色。リード変えたのかな。オーケストラ全体も若草色のモーツァルト全開です(モーツァルトはピンク!ってのだめは言ってたけど、わたしはヴァイオリン協奏曲やザルツブルク時代のモーツァルトって草原の緑だと思うんですよね)。そしてロマンティックばりばりのモーツァルト。 きっとマゼールさんの解釈もそうですが、ソリストのシュタインバッハーさんの解釈もそうだと思うんです。第2楽章なんてゆったりと柔らかで極めつきにロマンティックだったもん。ここまで徹底的にやられるとわたしの好みとは違うけど参りましたって思うもん。でも、シュタインバッハーさんの演奏ではロマンティックな協奏曲を聴きたいです。演奏会のあとにサイン会があったんですけど、わたしはプログラムを持っていなかったので(フィルハーモニアのプログラムは秋シーズンをひとまとめに1冊なので既に持っていた(間抜けなことに2冊も))、寄らなかったんだけど、あとで調べたら彼女、母親が日本人なんですね、道理でちょっと東洋的な顔つきかなって思った、もしかして日本語でお話しできたかもしれない機会を逃してちょっと残念。

休憩の後はマーラーの交響曲第9番。マゼールさんは最近のニューヨーク・フィルとの全集がとっても評判いいので期待してました。フィルハーモニアの音ってロンドンの中では一番ニューヨークに感じが近いと思うし。さて、その演奏、マゼールさん超満載。マゼールさん、指揮上手なんですよ(ってわたしが今更言うことないか)。基本的には左右対称で、左手で右手とは別に表情を表現することはないし、指揮棒もシンプルに拍子を刻む感じなんだけど、指揮棒1本で全てを表現できるというか、細かい指示まで的確、オーケストラもマゼールさんの棒に機敏に反応して完全にマゼールさんの弾く楽器になってました。
始まりは普通のテンポかなって思ったんですが、アレグロになっても焦らずゆったり。第1楽章は全体としてかなりゆっくり目のテンポです。そして、金管楽器、特にチューバなんかの低音楽器とティンパニを鳴らす鳴らす。フィルハーモニアのティンパニの人、もともと叩き屋だと思うんですが、それがもうあり得ないくらい凶暴に叩いていました。マゼールさんの耳は全ての音に行き届いていて、どんな音もきちんと聞こえるし、へ〜こんな音あったんだと初めて気づかされる音もあってびっくり。フレーズなんかも曖昧なところがなく完全にコントロールされてます。マゼールさんのこの音楽に対する意志の強さを感じました。
第2楽章はかなり速め。で歯切れ良くリズムを刻んでいきます。ものすごくリズム感の良い演奏。片時の隙もありません。オーケストラの勢いに任せてマゼールさんが指揮の手を休めることがあったり、楽器の出をばんばんと指示したり、マゼールさん熱くなってます。第3楽章も同じ感じ。コーダからテンポが上がっていくところも面白くてマゼールさんの面目躍如。上手いですね、こういう表現。それにフィルハーモニアはもともとアンサンブルの上手いオーケストラだと思うけど、さらに磨きがかかって縦の線がぴったり、リズム切れまくり。
最後の楽章はちょっと間をとってから始まったけど、やはり明哲な意識的な演奏。情に流れずありとあらゆる音が常にしっかりとコントロールされてます。ゆっくり目のテンポだったと思うけど、なんだか短く感じました。マゼールさんって元気な人だって思ったけどさすがに終わったあとは疲れ切った表情でした。
聴き終わってマーラーの音楽を聴いたという感じがしません。マゼールさんの音楽を聴いた感じです。過去への憧れのようなもの、生への執着、諦念、別離、浄化みたいなものはほとんど感じられませんでした。そういう情の部分は大胆に切り捨てられていたように思えます。楽譜に記された音のみがあって、それでもう十分なんです。アブストラクティブな記号のような音楽。バッハの音楽に近いのかもしれません。もしくはもっともっと抽象的な図形楽譜の世界。そういう意味では21世紀の解釈なのかもしれませんね。これがマーラーかと言われると、すぐにはいとは答えられないけど、とても刺激的な知的な興奮を覚えました。情のない冷たい演奏かと言えばそうではなく、マゼールさんの熱い血のたぎった演奏。これがマゼールさんのマーラーの到達点なのかもしれません。明らかに音楽はひとつの極みに達していたと思います。マゼールさんは何をみているのでしょう?
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by zerbinetta | 2009-12-01 02:12 | フィルハーモニア | Comments(2)

真実の音楽   

mozart: symphony no.34, piano concerto no.20
nielsen: symphony no.5
radu lupu (pf), sir colin davis / lso @barbican hall


昨日に続いて始まりはモーツァルト。交響曲第34番。いきなりずしーんと重くてなんだか交響曲という寄りオペラの序曲風。昨日の軽やかなモーツァルトとは大違い。この曲はちょっと苦手かも。サー・コリンさんの演奏もそのずっしり感を強調するように重くって、わたしのモーツァルトの好みからはちょっと遠い。曲自体がそんな感じなんだけど。
ニ短調のピアノ協奏曲はルプーさんのソロ。ピアノの椅子がいつものピアノ用の椅子ではなくて、オーケストラの人が座る背もたれ付きのパイプ椅子。座るとすぐに背もたれに寄りかかって腕組み。神経質なピアニストなら、ピアノの椅子の高さを微調整したり、手を置く位置を確認したり、そういう儀式があるのに、全くいつでもどうぞって感じ。弘法筆を選ばずみたいな。オーケストラで暗い情感を込めた音楽が立ち上がると、すぐにこの音楽の世界に引き込まれます。とても静かで柔らかな暗さ。そしてルプーさんのピアノが入って世界が完成。ルプーさんはとても静かにそしてうんと柔らかい音で弾いていくんです。これ以上弱く弾いたら音楽が崩れるんじゃないかと思うぎりぎりのところ。全く静かに語りかけるの。なのに、音に意味がこもってるのでひとつひとつに心から納得してしまうんです。まるで、偉大な聖者が静かに真実の言葉で語るのを聴いているよう。わたし、今までモーツァルトの音楽って人生の全てが含まれているって言うのを本で読んだ言葉通り受け止めていました。わたしもそう思ったと思っていました。でも、それは頭の中の出来事でしかなかったことが今分かりました。音楽を聴きながらわたしの人生について思い出していました。ほのかに悲しい思い出がたくさん浮かんできました。そして今あることの幸せも。わたしはいつもひとりで音楽会を聴いています。ときには今聴いた音楽について誰かと語り合いたいと思うこともあります。でも、今日は誰とも話したくない。言葉ではなく音楽だけで共感し合いたい。あの音楽の体現は想像を絶するものでした。言葉にできないというのはまさにこのことなんですね。それでも、ここに言葉にしている愚さをお笑いください。

これだけで今日はよかったんだけど、音楽会は続きます。ニールセンの交響曲。珍しいと言いながらも前に一度聴いたことがあります。のだめで千秋先輩が指揮する第4番ではなく第5番。サー・コリンさんは今シーズンと来シーズンに渡ってニールセンを採り上げるようです。これも面白そう。第5番は小太鼓大活躍というかKY(ふふふ、わたしも流行語知ってる)小太鼓にびっくりの曲です。初めてCDで聴いたとき面食らったっけ。この曲ってこの闖入者をどう扱うかが指揮者に課せられた課題だと思います。そしてわたしの好悪というか聴いちゃうポイントはここにあります。今日はステージ上の定位置に1台、ステージを降りた舞台袖(バービカンホールは舞台袖が客席と同じフロアにあるので舞台袖に下がるにはステージを降りるのです)に1台、あとで分かったのですが舞台裏に1台が配置されてます。これだけでわたしはわくわく。この曲、小太鼓を含めて打楽器の扱いが変わってたり、メロディがわりと細切れなので取っつきにくいと思うのだけど、聴いていくうちにだんだん慣れて好きになってくるツンデレな感じ(?)の音楽。有名な第4番「不滅」よりも好きかも。サー・コリンさんの演奏もさすがにシリーズで採り上げるだけあって堂に入ったもの。小太鼓もがんがん鳴らしてわたし好み。わたし、小太鼓が大きな音楽の中でつじつまが合うように叩かせるより、外から思いっきりはちゃめちゃに叩かせるのが好き。特に牧歌的な旋律が徐々に盛り上がっていくアダージョ・ノン・トロッポの部分は。サー・コリンさんの演奏は小太鼓を重めのしっかりした音で叩かせることで見事にわたしの好み。そして初めて気がついたんだけど、オーケストラの方もこの小太鼓に応答して同じようなリズムで牧歌的なメロディを煽っているのね。最後は牧歌的なメロディが感動的に盛り上がって悪の小太鼓に勝つんだけども、なんだか小太鼓が人の生き様を表しているようで、悪の小太鼓の方に共感を持ってしまうわたしは根っからの悪?
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by zerbinetta | 2009-10-04 02:59 | ロンドン交響楽団 | Comments(0)

マッケラスさん大丈夫?   

mozart: symphony no.32
mozart: piano concerto no.20
elgar: symphony no.1
lise de la salle (pf), charles mackerras / po @royal festival hall


音楽会のプログラム。フィルハーモニアはチケットとは別売なんです。ロンドンシンフォニーはただ。ロンドンフィルハーモニーも別売です。で、フィルハーモニアはなんと350円(3.5ポンド、わたしはポンドでお給料をもらって生活してるので1ポンドだいたい100円感覚です)もするんです。他のは250円とか300円なので高いんです。といわけで、このブログを始めた目的のひとつはプログラムを買わなくても記憶に残るからっていうせこせこな理由もあったんです。いったい、フィルハーモニアの音楽会はいつも600円くらいの席で聴いてるんですけど、そんなこんなで前回、高いと思って買わなかったんだけど、今回はソリストのことが知りたくて買ってみました。そしたらなんと、このプログラム、季節版で冬のシーズンは11回の音楽会のプログラムがまとめてあるんです。お買い得。なぁんだ、安いじゃん。
今日の指揮者、マッケラスさんはだいぶ前にモーツァルトの初期の交響曲のCDが出たときラジオで聴いてとおってもステキだと思っていたのです。期待期待。さて、マッケラスさんは思ったよりもお年寄り。手が震えてスコアをめくるのにも苦労してたりして。大丈夫かなぁって思ったんですけど、音楽は全然。溌剌としてました。やっぱりマッケラスさんのモーツァルトはステキです。でも、びっくりしたのは2曲目のピアノ協奏曲。仄暗い音で始まった音楽はわたしの心臓をどくんと打ち、不安な気持ちを揺さぶります。わたしの気持ちの深い奥の暗闇を揺すぶります。これからどんな音楽が続くのでしょう。モーツァルトのこの短調の協奏曲ってこんなに深い情感を持っていたのね。普段CDでいい加減にしか聴いていないことがばればれです。ピアノはいたずらに劇的に流れることなく、むしろ静かな情感を湛えて弾かれたのはオーケストラとバランスが取れてステキ。若いきれいな人、そしてフランス人、最近フランスびいきなわたし、ふふふ、いいねっ。ってまだ二十歳そこそこ?うわん。末恐ろしい。
エルガーの交響曲はどうかなってちらりと心配だったんです。だって、マッケラスさんおじいさんだら。でも、さすが、この大曲を雄大に鳴らしました。さすが自分の国の音楽だけあって、会場も熱い。音楽を前に矍鑠として。プロですね。わたしも歳をとってもかっこいい人でいたいです。縁側でのんきな茶飲み生活なんかを夢想してる場合じゃないっ。
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by zerbinetta | 2009-02-12 08:58 | フィルハーモニア | Comments(0)

イギリスって音楽的に空洞地帯だった?   

mozart symphony no.36
bruckner symphony no.4
mariss jansons / bavarian radio so @royal festival hall


またもブルックナーの交響曲第4番です。前回は音楽の弱さを見せつけられてしまった感じだったので、全然期待してません。でも、ヤンソンスさんとバイエルン放送交響楽団は聴いてみたかったの。お仕事が長引いたので、サウスバンクセンターに着いたのはぎりぎり。駆け込みで席に着きました。最初の曲はモーツァルトの交響曲、リンツ。明るくてチャーミングで実は大好きな曲です。実演で聴くのは初めて。古典派以前の音楽が古楽器で演奏されるのが市民権を得て、スペシャリストの人たちが演奏するようになって、従来のオーケストラの演奏はねっとりとしてカロリー高すぎって思うようになると、現代のオーケストラで聴くのが不安になるのよね。もちろん、現代のオーケストラ側の演奏も古楽器の奏法を取り入れるなんかしてずいぶんとすっきり演奏するようにもなってるし、その分、両方の良いところをうまく引き出す演奏をする人も増えて来てるから不安ばかりが先行するのも変だけど。それにモーツァルトの後期の交響曲は現代楽器の方がふくよかで柔らかい表現ができるし、ロマンティックに聞こえるのもステキだし。だけど、わたしとしてはモーツァルトは演奏者を選ぶと思ってるので、やっぱり不安。ヤンソンスさんとモーツァルトってイメジ重ならないので。と、前置きばかりが長くなっちゃったけど、でもこのモーツァルトの爽やかなアレグロはステキ。石田衣良さんだっけ、小説の中でこのアレグロの疾走感について言及したのは。ヤンソンスさんの演奏は心配の霧が晴れるくらいちゃんとモーツァルトしてましたよ。しっとりしすぎなく乾きすぎることもなく中庸でステキなモーツァルトでした。安心して聞けるという感じかな。
そして因縁のブルックナー。これが前回のドホナーニさんのブルックナーと全然違うの。見えてる風景が違うというか。まずオーケストラの音色からして違う。大陸とイギリスとでは風景が全然違うように、バイエルンって牧歌的な明るい山並みだものね、ブルックナーの見ていた景色ってバイエルンの景色に近いものがあるから、そこからして親和度が違うんでしょうか。わたしもこの間まで住んでいた大陸の景色が懐かしくなりました。そしてその風景の中で奏でられるブルックナーの音楽は、自然の豊かさに包まれたものでした。前に思ったブルックナーって自然が嫌い、だなんて大間違い。むしろ自然と共にいるような。そして前に感じた音楽の弱さも全然感じない。音が自然に流れてすすんでいくの。ヤンソンスさんは、オーケストラにゆだねるようにオーケストラをさりげなくコントロールしながら音楽を創っていきます。わたしはこの曲はあまり作り込まない方が好きって思ってるので、ヤンソンスさんの演奏はぴったりはまります。ドホナーニさんの場合は音楽の欠点をのぞくべく作為的にしすぎてかえって欠点をさらけ出してしまったっていう感じなのかな。ただ、それにしてもオーケストラにある空気はいかんともしがたいものがあるのかもしれません。大陸の持つ大陸の空気がこんなに大事だなんて思ってもみなかった。残念ながらイギリスは、独自の音楽を発展させてこなかった。もちろんパーセルとか近代ではエルガーとかヴォーンウィリアムスとか偉大な作曲家はいるにはいるんだけど、むしろ音楽においては大陸からの輸入国でしかなかった。ヘンデルを呼んだりハイドンを呼んだり。フランスもバロック時代はイタリアやドイツから音楽家を呼び寄せてフランス音楽を発展させているんだけど、それをきっかけに独自の音楽を創ってきた。イギリスは残念ながら音楽においてはそれをしなかったのね。科学においてはずうっと世界をリードしてるから、イギリス人の短所と言うより気質よね。国土の狭い島国だから、外からいろんなものを輸入する方が豊かになるのは確かなんだけど、それがちょっと残念。これって、わたしたちの日本にも通じるところがあるよね。日本の状況も音楽は常に輸入だし。独自に発展させてるのは電化製品とマンガ。特にマンガはすごいよ〜。閑話休題。イギリスのオーケストラはどんな音楽にも対応できる柔軟さを持ってるけど、独自の空気がないのがちょっと寂しい。といいつつ、わたしも独自の空気を持たないから生きていけるのだけど。。。
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by zerbinetta | 2008-11-29 19:56 | 海外オーケストラ | Comments(0)

孤独、ブルックナーって自然が嫌い?   

mozart symphonia concertante, k364
bruckner symphony no.4
benjamin schmid (vn), rachel roberts (va),
christoph von dohnanyi / philharmonia o @royal festival hall


初めて聴くフィルハーモニア・オーケストラ。指揮者は前に弦の切れた若いソリストを上手にサポートして好印象のドホナーニさん。そして1回聴いてみたかったブルックナーのロマンティック。実はこの日記は1ヶ月以上おいて書いてるので(ブログを書こうと思い立ったのが最近なので)、強く印象に残ったところだけを書きますね。本当ならば大好きなモーツァルトにも一言触れるべきなんでしょうが。
ブルックナーの交響曲、弦のトレモロの上に裸のホルンで始まります。このトレモロ、ピアニッシモだし何となく淡い雰囲気って思いこみがあったのですが(もしかして大好きな7番の印象が強くて?)、結構力強いんですね。コントラバスが入ってるから。で、ホルンのソロが聞こえたとたん戸惑うわたし。孤独?こんなに孤独だったっけ?この曲。確かにホルンが一人で単純な旋律を吹いていきます。でも、夜明けの太陽が森に射していくような光の暖かみがあったような気がするけど。音楽が進んでも孤独感が消えることがありませんでした。ソロの多用がそう感じさせるのかな。この曲ってこんな曲?こんなイメジでCDを聴いたことがありません。わたしに見えてくるのは孤独感と、ブルックナーが苦心したであろう曲の構成感、各楽章の関連性をとっても意識して作られてるのを聞き取ることができました、そして、自然と神(教会)との融合の失敗。ブルックナーは本質的に自然が嫌いだったのでは。そうでなければ(自然からの)こんな孤独な疎外感を感じさせるはずがありませんもの。ドホナーニさんはとても繊細に丁寧に音楽を作ってました。ブルックナーはこの曲ではまだ自分を表現する技術を持たなかったのか、ずいぶんと考えることとなりました。
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by zerbinetta | 2008-10-30 05:12 | フィルハーモニア | Comments(0)