タグ:ヤニク・ネゼ=セガン ( 13 ) タグの人気記事   

素晴らしい音楽! ネゼ=セガン「ルサルカ」、ロイヤル・オペラ   

14.03.2012 @royal opera house

dvořák: rusalka

jossi wieler, sergio morabito (dir)

camilla nylund (rusalka), bryan hymel (prince),
petra lang (foreign princess), alan held (vodník),
agnes zwierko (ježibaba), ilse eerens (kitchen boy), etc.

yannick nézet-séguin / roc, oroh


c0055376_8493434.jpg

多くの人が、ネゼ=セガンさんの音楽がいい!とオーケストラに関してべた褒めだった 「ルサルカ」、やっと最終日に観れました。オペラはあれだ、と舌の根の乾かぬうちに、オペラっていいよね。その「ルサルカ」、評判どおり、ネゼ=セガンさんの音楽が素晴らしすぎ!それにドヴォルジャークの音楽も、次から次へとステキなメロディが流れて、もううっとり。なんで今まで聴いたことなかったんだろう。チェコ(とスロヴァキア)のオペラって、あまり聴いたことなかったけど、スメタナとかヤナーチェクとか魅力的なオペラ書く人、いっぱいいるのね。もちょっとメジャーになっても良い。
それにしても、ネゼ=セガンさんがボウタイをして指揮していたびっくりはさておいて、今回がロイヤル・オペラ・デビュウとなるこの公演、早速オーケストラを手中にしている手腕にはびっくり。ネゼ=セガンさんはただ者ではないと、ずっと応援していたのだけど、ますますその感を強めたのでした。

オペラを観たのにいきなり指揮者とオーケストラを褒めてしまいましたが、歌手の方もずば抜けて突出した方はいらっしゃらなかったけど、もの凄く高水準。特に耳を惹いたのが、水の精役の久しぶりに聴くアラン・ヘルドさん。張りのあるバスの声でしっかりと舞台を引き締めます。ヴェテランらしい味の深さ。それにしても彼、ずうっと足を引き摺ってというか横になって這うようにして動きながら歌ったり演技してたりしたんですけど、これって、足がなくて歩けない水の精の演出かなって思ったんですけど、足を怪我されていたのですね。カーテンコールで杖をついて出てこられたとき、かなり無理して歩いている様子でしたので、大怪我のようです。歌には全く影響はなかったけど(さすがプロ)、大変だったのでは。早く良くなることを願っています。
タイトル・ロールのニュルンドさんも良かったんですけど、先日聴いたプロハスカさんの「月に寄せる歌」がもうとろけるように良かったのが耳に付いているので、ちょっと不利かなぁ。でも、不満ということはちっともなくとっても満足しました。
さらには、魔女のズウィエルコさんや外国の王女のラングさん、他、まわりを固める歌手たちも高水準で、4人のジェッテ・パーカー若手教育プログラムの若い歌手もしっかりと歌っていました。今日のオペラは音楽に関しては文句の付けようがなくほんと、良いオペラを楽しみました。

ただ、残念だったのが演出。今ひとつ演出の意図が分かりませんでした。セクシャルなこと強調しているようにも思えたけど、なんだかそれもお話とは違う気もして。演出家の考える世界観を抽出して舞台を作るのもいいのだけれども、上手にしないと失われる(切り捨てられる)ものも多いし、敢えて原作の童話の持つ曖昧さ、多義性を残しておく方がいいと思うのですね。今回の演出、お話が平べったくなっちゃったような気がします。

でも、何度も言うようですが、本当にステキなオペラ、演奏でした。ネゼ=セガンさんのますますの活躍を期待しています。(フィラデルフィアに行っちゃったし、きっともうすぐロンドン離れるんだろうなぁ)
[PR]

by zerbinetta | 2012-03-14 08:44 | オペラ | Comments(0)

最高の作り手による若いワイン ブルックナー交響曲第9番 ネゼ=セガン、ロンドン・フィル   

04.02.2012 @royal festival hall

bruckner: christus factus est; symphony no. 9; te deum

christine brewer (sp), mihoko fujimura (ms),
toby spence (tn), franz-josef selig (bs)
yannick nézet-séguin / lp choir, lpo


ブルックナーの未完の大作、交響曲第9番。若手ブルックナー指揮者の第一人者、ネゼ=セガンさんの指揮で。期待するでしょう。だって、ロンドン・フィルとは、交響曲第7番、第8番とモニュメンタルな演奏を聴かせてくれたんですもの。わたしが彼を「発見」したのは第7番、そして、第8番は圧倒的な名演でした。いよいよ第9番です。ブルヲタさんの間では交響曲第8番が圧倒的人気みたいだけど、わたしは第9番が好き。そして今日は、変わった形式。交響曲の前に、合唱のモテット、第3楽章のあとフィナーレとして「テ・デウム」が続けて演奏されるのです。この未完成の交響曲を完成型として聴くのは初めてです。「テ・デウム」は何故か出だしの音楽は良く知ってるのに聴くのは初めて(もしかすると昔ラジオで聴いたことがあるかも)。始まる前に、ネゼ=セガンさんが、今日の音楽会ではこの3曲をひとつの曲として続けて演奏する旨、間に拍手はしないようアナウンスしました。この試みの是非はあとで書くとしてまず音楽。

最初のモテットですでに涙腺崩壊。5分くらいの短い曲ですが、この合唱だけの音楽が祈りに満たされてとっても良かったんですよ。ブルックナーのモテット、初めて聴きましたがとっても良いです。交響曲書くより宗教曲をもっと書けば良かったのにって思っちゃうくらい。
そしてそのまま続けて、交響曲第9番。大人数の合唱が交響的に書かれているので、全く違和感なく始まったというか、宗教音楽の続き、宗教音楽として交響曲が演奏されているように思えました。まさに、「愛する神に捧げる」音楽。この言葉がここまで真実味を持って聞こえたのは初めてです。だって、今日は前奏としてモテット「キリストはこうあらせられた」を演奏して、交響曲のフィナーレ、結論として「テ・デウム」が演奏されてるんですもの。まさに愛する神に捧げるのが交響曲の主題になってます。

交響曲、ネゼ=セガンさんのブルックナーに特徴的な遅めのテンポ。と思ったんですけど、ブロックごとにテンポを変えてきました。以前に第7交響曲の第4楽章で聴いたのと同じような(あれほど極端ではありませんでしたが)解釈。音楽会のあとのディスカッションでは、ネゼ=セガンさんは、ブルックナーの交響曲を枠から(構造から)捉えて演奏するのではなく、細部にこだわって組み立てていった結果、巨大な構造物ができあがるように演奏するとおっしゃっていました。それぞれの細部を独立にこだわって演奏することで、こういう解釈になるのでしょうか。正直に言うと、第1楽章はわたしの好きなタイプではありませんでした。わたしはもう少しインテンポな演奏が好みです。それに、残念ながらわたしの席では、楽器の音がそれぞれ分離して聞こえてしまって(特にベルがこっちを向いてるフルートとホルンが)、音楽が多少ちぐはぐに聞こえました。なので、わたしにとって最高のブルックナーの演奏ではなかったのですが、でも、最高に共感できる演奏ではありました。

彼の演奏したこの曲のCDを持っているのですが、どういう訳か、音が遠くで聞こえてくるように感じる演奏なのです。でも、同じようなことを今日の演奏でも感じました。どんなに強奏しても。乱暴にならず余裕を持って響かせてる感じ。神に捧げる音楽として、丸く美しい音楽を心がけたのでしょう。その美質は第3楽章に生きました。ネゼ=セガンさんの談では、「皆さんそうは思わないでしょうが、わたしとしては速めのテンポだったんです」。いいえ、十分ゆっくりしたテンポだったですよ。ロンドン・フィルの弦楽セクションは、清廉な響きでとっても上手いので、この祈りの音楽がとってもステキでした。ブルックナーが、自身の死を悟りながら書いた音楽にもかかわらず、最後の最後にブルックナーに交響曲を完成させる時間を与えてくれなかった神をどう思ったかは分からないけれども、不安よりも平安に満ちてる。そして、フィナーレを置くことによって、3楽章の交響曲として演奏したときと違いがあるのかの問いに対しては、「分からない。多分違うのかも知れないけど、違わないかも知れない」とのことだったんですけど、やっぱり、最後はフィナーレを予感させていたのは、続けて「テ・デウム」が演奏されるという期待があったからかしら。

独唱者は、第2楽章と第3楽章の間に入場して(オーケストラの後ろの合唱団の真ん中で歌いました)、交響曲と「テ・デウム」の間に隙間が生まれないように工夫されていました。交響曲と「テ・デウム」の間に若干の間を取ったのは、第3楽章の余韻を大事にするためですね。「テ・デウム」を交響曲のフィナーレに置くことは、ブルックナー自身がが生前、示唆したことがあるそうなんですが、調が合わないとかいろいろ問題があるそうです。でも今日、実際に聴いて、全然問題ないと思いました。調の不整合性は、はちゃめちゃなマーラーの交響曲に慣れた耳にはあまり違和感を感じさせないし、作曲年代が違う(から様式が少し違う)と言っても、すでに本体の交響曲に第7番の引用はたくさんあるし、それも問題ありません。確かにブルックナーがフィナーレを完成させていたら全く違うものにはなったでしょうけど。でも、圧倒的な音楽的な力は、こういうやり方があっても(全てではない)いいな、と感じさせるものでした。

やっぱり合唱がとっても良くて、アマチュア(と言ってもかなり選抜されているんじゃないかしら)の合唱団でもかなり実力があります。オーケストラに負けない迫力はあるし、イギリスって実は合唱が盛んで、底辺が広い分、頂点も高いんですね。それから独唱陣も、この曲のため(たった1回の演奏会)に連れてこられたのに、贅沢すぎるメンバー。全員間違いなくとても良かったんですけど、一番目立っていたテナーのスペンスさんが良かったです。テナーなのに中低音が充実して声が豊か。声とオーケストラが、こぞって神を称える音楽は、愛する神に捧げたこの交響曲のフィナーレに論理的に全くふさわしい。1時間半を超える長大な交響曲として完成して、なんだか時を忘れて、というかまわりの世界が無になって永遠の音楽の中にいたみたい。素晴らしい体験でした。

ネゼ=セガンさんは、10年前、ブルックナーを初めて採り上げたとき、今日と同じように演奏したそうです。本人いわく「ロマン主義的なので」、スケッチを元に別の人が完成させたフィナーレには全く興味がないそうです。彼のそうした信念に裏打ちされた、全くぶれのない解釈の演奏だったと思います。重ねて言うと、わたしにとって最上のブルックナーの演奏ではありませんでしたが、最高に納得できる素晴らしい心に残る演奏でした。30代半ばのネゼ=セガンさん、多分、まだ、作曲家の人生の最後に書かれた音楽を演奏するにはまだ若くて足りないところもあるでしょう。でも、ロマネ・コンティのような最高の作り手による若いワインのような味わいで(といいつつ、ロマネ・コンティってワイン屋さんで空きボトルを見たことがあるだけですけどね、想像想像)、これから上手に熟成させれば最高のワインになる、そんな可能性を秘めた音楽でした。
[PR]

by zerbinetta | 2012-02-04 08:43 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(0)

家族団らんのプロコフィエフ プロコフィエフ 国民的作曲家?最終夜 ネゼ=セガン、ロンドン・フィル   

01.02.2012 @royal festival hall

prokofiev: symphony no. 1; violin concerto no. 2; symphony no. 5

janine jansen (vn)
yannick nézet-séguin / lpo


プロコフィエフ 国民的作曲家?の最終夜は、主席客演指揮者のネゼ=セガンさんを迎えて、有名曲3曲。古典交響曲とヴァイオリン協奏曲の第2番、そして交響曲第5番。メインになる音楽会は6回だったんですが、わたしはそのうちの4回聴いたことになります。交響曲の第2番と第7番を聴きそびれたことは残念ですが、とっても充実したシリーズになりました。プロコフィエフの滅多に演奏されない音楽が聴けたことも嬉しいです。

交響曲第1番の「古典」。今までロシアの指揮者の、古典に見せかけてるんだけど実は結構どろどろの音楽なんですよ〜的な演奏ばかり聴いてきたので、さらりと古典、さりげなくプロコフィエフ・スパイスを効かせた、典雅で粋な演奏を聴きたいなって、音楽会の前に思っていました。と、こう書いたら今夜のネゼ=セガンさんの演奏、そんな古典的な演奏だと思うでしょう。いえいえ、それは音楽会の前にわたしが勝手にこんなんだったらいいなって思っていただけで。でも、ロシアっぽいというか、斜に構えた演奏ではなかったです。颯爽と古典、さりげなくスパイス、とまでは行かなかったけど、わりとさらりとした梅酒。ただ、わたしの座った席のせいか、木管楽器と弦楽器のバランスが悪かったです。というか、木管楽器がちょっときんきんと聞こえた。弦楽器もも少し数を減らして軽やかに弾く方がわたしは好きかな。なにせ古典志向だから。

人気の(というか、今シーズンたくさんロンドンに登場)ヴァイオリニスト、ヤンセンさんを迎えての協奏曲第2番は不思議な感じの演奏でした。「古典」ではさらり、とまでは行かなかったのに、今度は完全にプロコフィエフ臭が抜けてる。もともとの音楽も暖かみのあるプロコフィエフ成分の薄い音楽だと思うんだけど、それがさらに薄まって、なんだか、暖炉の前で家族で団らんしている感じ。プロコフィエフがこんなにのほほんと平和でいいんでしょうか。答えはイエス。いいんですよ。暖炉の火がちろちろ揺れるのを見ながら、幸せを語るのも。それにしても、ヤンセンさんむっちゃ優しく弾くなぁ。彼女には何か独自の音世界音楽世界があるように思えます。無理矢理解釈しているのではなく、とっても自然に。とてもユニークであれっと思うこともあるけど、ああそうかぁって発見に嬉しく思うことも多いし、ステキです。今日のプロコフィエフは、彼女の特徴のレガートが美しく歌って、特に第2楽章なんて至福。くつろいだプロコフィエフもステキ。それにしてもヤンセンさん大きいなぁ。ネゼ=セガンさんがちっちゃいので(しんぱしー!!)、ますます大きく見えるというか指揮台の上にいてもネゼ=セガンさんの方がちっちゃいぞ。

でも、ネゼ=セガンさんはちっちゃな巨人。音楽は大きいのです。音楽は背丈じゃありません!(必死)
ネゼ=セガンさんの交響曲第5番は、どっしりと構えた巨大なものを見上げるような演奏。でも、重々しいのは第1楽章で、最後の楽章は颯爽と馬で駆ける大平原のよう。
始まりの朗らかな木管楽器から!と思ったんですよ。今まで気がつかなかったんだけど、セカンド・フルートが下で音を伸ばしているのですね。それが、朗らかさに抗するように意味ありげで、全体の構成を予感させたんです。うねうねと重厚で粘りけたっぷりの音楽。でも、重層する音の層はしっかりと整理されていて、各パートがクリアに聞こえる。前に聴いた、ロストロポーヴィッチさんの演奏が、重層する音たちを、他のパートよりも大きく弾いて全部聞こえさせちゃえという力業だったのに(これはこれで凄かった)、ネゼ=セガンさんのはスマート。音楽のテクスチュアが透けて見えてくるよう。ゆっくり行くところと速いテンポのところをしっかり対比させて、胃にもたれかけた重りをそれをさらりと流し込むグラニテの絶妙なコンビネイション。
それにしても、プロコフィエフのこの曲って朗らかな感じで始まるのに、常に破滅というかカオスに向かっているなぁ。どの楽章も(特に第1と第4楽章がそうなんですけど)最後は、まとめると言うより、全てを解放してエントロピーを最大にするというか、ごちゃごちゃにしたまま取り残す方向に向かって突き進んでるみたいだし、最後の最後のはちゃめちゃさは、プロコフィエフの面目躍如。ネゼ=セガンさんもやんちゃに煽ってましたしね。この間の交響曲第6番に続いて素晴らしい演奏でした。ブラヴォー
[PR]

by zerbinetta | 2012-02-01 23:05 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(0)

フレッシュ・フルーツ・デザート ネゼ=セガン、ロンドン・フィル ロッシーニ「スタバト・マーテル」   

15.10.2011 @royal festival hall

beethoven: symphony no. 2
rossini: stabat mater

eri nakamura (sp), ruxandra donose (ms),
ji-min park (tn), matthew rose (bs)
yannick nézet-séguin / lp choir, lpo


またまたロンドン・フィルハーモニックのマニアック・プログラム。今日は、ベートーヴェンの交響曲第2番とロッシーニの「スタバト・マーテル」です。ベートーヴェンの交響曲は決してマイナーではないけど、第2番はそれを聴きに人が来るプログラムとは言いづらいですよね。凄くいい曲なんですが。

ベートーヴェンの交響曲第2番は、交響曲で初めてベートーヴェンになった曲。溌剌とした若々しさと共に、ベートーヴェンらしいアグレッシヴな激しい感情もあって疾風怒濤。未来に向かって鋭い目線を投げかけてる。そんな音楽をネゼ=セガンさんとロンドン・フィルは意外なほど爽快にきびきびと演奏しました。ブルックナーのときは腰を落ち着けた悠然とした演奏だったのに、ベートーヴェンのこの曲では意外な快速テンポでざーっと風が流れるような演奏で、わたしはとても気に入りました。ネゼ=セガンさん、ベートーヴェンもいい!

後半は、ロッシーニの「スタバト・マーテル」。実は今日のチケットを取ったのは、大好きな応援している指揮者のネゼ=セガンさんを聴きたかったこと(彼の音楽会はなるべく聴くようにしています)と中村恵理さんが歌うからなんです。彼女は、ロイヤル・オペラ・ハウスの若手歌手研修プログラムを修了して昨シーズンからバイエルン国立オペラ・ハウスで歌ってらっしゃるんですね。5月にはロイヤル・オペラに凱旋したのを聴いているのですけど、とってもステキな旬の若手です。
軽妙なオペラ・ブッファの作曲家、ロッシーニのまじめな宗教曲。厳粛な雰囲気で始まるけど、4人の歌手それぞれにステキな歌が用意されているのはオペラ作家ロッシーニの面目躍如。イタリア人の歌に対する感覚ってとっても凄いと思う。歌の力を完全に信じ切って信頼してる。こういう歌、上手く歌えたら本当に気持ちよさそう。
若手の歌手(メゾ・ソプラノのドノセさんはちょっと年上かな)を起用した今回の演奏は、極上のクリームのデザートのようなまろやかでとろけるような感じではなかったけど、フレッシュなフルーツのような感じは、聴いていて爽快でした。それにしても恵理さん、とっても成長しましたね。キャリアに伴う自信に満ちている感じだし、ほんと今、筍のように旬。そして今日はロンドン・フィルの合唱もとっても良かったです。アマチュアだけどしっかり練習してきた感じ。とても好印象。ネゼ=セガンさんの音楽も多分奇をてらわない感じで、オーケストラと合唱をしっかりまとめていました。しみじみと満たされた音楽会でした。大好き♥こういうの。

恵理さんとドノセさん(男声陣はわたしの位置からだとオーケストラに隠れて上手く撮れませんでした)
c0055376_5155545.jpg

[PR]

by zerbinetta | 2011-10-15 05:14 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(2)

listen again LPO   

2月19日に行われた、ヤニック・ネゼ=セガンさんとロンドン・フィル、韓国のイケメン独奏者のおふたりによる音楽会、モーツァルトの協奏交響曲とマーラーの大地の歌が、LPOのサイトで聴けます。録音はちょっと平べったくなってる感じだけど、歌はマイクで直接拾ってるので良く聞こえます。ちょっと聞こえすぎってってくらい。歌付きの音楽会は、会場のどこで聴くかで印象がずいぶん変わりますね〜。3月10日(GMT)まで。ぜひ聴いてみてくださいね。
[PR]

by zerbinetta | 2011-02-24 19:45 | ロイヤル・フィルハーモニック | Comments(2)

それが美しければ美しいほど、幸せであればあるほど   

19.02.2011 @royal festival hall

mozart: sinfonia concertante
maher: das lied von der erde

stefan jackiw (vn), richard yongjae o'neill (va)
sarah connolly (ms), toby spence (tn)
yannick nézet-séguin / lpo


大好きなネゼ=セガンさんのマーラーの大地の歌。期待していた反面、とっても不安だったんです。若い指揮者があの寂寥感を出せるのかって。確かに最近聴いた、ドゥダメルさんやネルソンズさん(こちらは放送)の第9番の美しく肯定的な演奏には、はっと感動させられたけど、歌詞を伴う大地の歌はあのような解釈はなされ得ないだろうと思って。だとしたら、やはり枯淡の境地にならないとこの音楽の感動的な演奏は無理だろうって。で、聴いた結果は。。。

その前に、ふたりの韓国系イケメンソリストを迎えてのモーツァルトのシンフォニア・コンチェルタンテ。韓国系と言っても共にUSで活躍している人で、ジャッキーさんの方は韓国人とドイツ人の両親でUS生まれ。石田衣良さん似。かな? ヨンジェ=オニールさんは、ソロが終わったあといちいちジャッキーさんに向かってどや顔するのが面白かったの〜。
音楽は最初っからびっくり。ネゼ=セガンさん、最初のふたつの音符を弱く、3つ目をフォルテで弾かせるという荒技に出て。ネゼ=セガンさんのアクの強いモーツァルトはモーツァルト的ではないと言ったら言えるけど(表現主義的というか新古典派を通った古典派)、それを面白く聴かせてくれるのは、なんだか感心しちゃった。第2楽章は、お金持ちの邸宅をそのまま使った美術館の匂いがして(思い浮かべたのはニューヨークのフリック・コレクション)、中庭を観ながらそぞろ歩いてるような気がしてステキでした。ソリストのおふたりももちろんステキ。わたしは韓流ドラマというのにちっとも興味がなくて(っていうか日本のも、ドラマって見続けるのめんどくさいのよね)、韓国ブームには疎いんだけど、今日はちょっと韓流もいいなって思いました。ステキな音楽家に次から次へと出逢えてとっても嬉しい。

さて、後半の大地の歌。結果は。最初に答えを言っておくと、最後は涙でぼろぼろでした。まさか、こんなことになるとは。。。
ネゼ=セガンさん、コノリーさんとスペンスさんと一緒に、いつものようににこやかにステージに登場。指揮台に立って、少し間を置いて手を左右に広げて上げたとたん、稲光のように緊張が走る。この空気の転換のあまりの見事さ。光りが走ったようでした。そんな見事な緊張の中始まった音楽は、アグレッシヴ。速めのテンポで、音の輪郭をはっきりさせて、容赦なくテノールの歌に襲いかかるオーケストラ。でも、音は濁らないし、とてもクリアで色彩的な音色。激しい中でも美しい。でも、このときは、わたしの不安が的中したって思ったんですよ。美しいだけじゃなくてもっと、厭世的な暗い気分が必要なんじゃないかって。若いゆえの限界みたいなものを感じてしまったんです。オーケストラは見事にドライヴされていて、オーケストラ音楽として聴く分には良いのですけど。ああ、やっぱり今日は音楽の外にいて眺めているのかなぁて思ったんです。
でも「秋に寂しきもの」を歌い出したコノリーさんの歌を聴いて、心が融けていく。なんて寂しげにこの音楽を歌うんでしょう。コノリーさんは、ロンドンではとてもたくさん歌ってる人で、レパートリーもめちゃ広くて、こんなにいろんなのをしょっちゅう歌って大丈夫っても思うんですけど、聴いていて全く外れがないんですね。とても実力のある方。でも、今日はそれに輪をかけて凄かった。この人の歌、気持ちの入れ方が半端じゃないような気がします。歌詞の世界を創ってる。そんなふうに歌われるとオーケストラだって黙ってはいられません。マーラーの世界にしっかりと沈み込んでいきます。
「青春について」と「美について」はもともと若者を歌った音楽ですから、若い指揮者のアプローチが生きないはずがありません。とっても美しく、夢のように溌剌と。でも、これが今日の演奏の重要なポイントになるんですね。この2曲はターニング・ポイントになる重要な音楽ですし、そして、音楽が美しくなれば美しくなるほど、最後の結論が切なく心に刺さるのです。わたしはずうっとこの世界にいたい。東屋で友達とお酒を飲んでいたい、池のほとりで花を摘んでステキな男の子にナンパされたい、そういう若い時代が永遠に続きますように。
いよいよ後半は、それらへの惜別の音楽です。まずは酒の中に自暴自棄に逃げ込むの歌。今日のテナーはスペンスさんでしたが、この人も声に張りがあってとっても良かったんです。少しお上品な感じもしましたが、でも、美しさを強調する今日の音楽には合ってました。この音楽の中では、まだお酒に溺れるだけで希望はあるんですね。現実を見なくて済むから。一生酔っぱらって暮らせればきっとなんといい人生なんでしょう。
もちろんそれは、深い淵から聞こえてくるような、ホルンやハープ、ドラやコントラバスの低い音色に打ち砕かれます。ここのホルンの低い音、とっても雰囲気のあった音色でした。音楽はゆっくりと進みます。心の淵を覗くように黒く。でも美しく。コノリーさんの歌の孤独感も寒々と冴えわたって世界にひとりで別れを告げる気持ちを聴くのは身につまされる思い。永遠に美しいもの、憧れ、永遠に青春のままの友、にひとり時間の歩みを進めてわかれていく悲しさ。無限なものと有限なものの対比。世界が美しすぎるゆえに音楽が美しすぎるゆえにいっそう心に冷たく沁みます。それにしてもマーラーは最後、なんというとんでもないことそしてくれたんでしょう。美しい世界にさらにマンドリンとチェレスタで光りを与えるなんて。もうずいぶんと前から涙がこぼれていたんですが、これで我慢ができなくなりました。ぼろぼろとこぼれる涙。
こんなにいい演奏なのに、最後しばらく拍手できませんでした。ネゼ=セガンさん、コノリーさん、スペンスさん、ロンドン・フィルのひとりひとりの音楽家たちは本当に素晴らしいものを聴かせてくれました。これを書きながら、思い出し泣きしています。本当にたくさんの心からの感動を経験しているロンドンの音楽生活。この幸せな時から離れるとき、わたしは、今日の大地の歌と同じ思いを味わうのでしょう。でも、失っていく幸せは、それがわたしにとって一瞬のものでも幸せなことに違いはありません。

(照れ隠しに蛇足)
そして今日初めて気がついたんだけど、大地の歌の構成。マーラーの交響曲って真ん中に中心となるスケルツォを挟んだシンメトリックな構造が多いのだけど(典型的なのは交響詩「巨人」や交響曲第5番や第7番。第2番や第9番(ふたつの中間楽章がスケルツォ)、第10番(3つの中間楽章がスケルツォ)も変則的だけど似たような構造ですね)、大地の歌は6楽章なのでしっくり来ない。第1と第2楽章をひとつの対として、第6楽章の間を3つのスケルツォ(のような音楽)で挟むということも言われてて、そうだとも思ってたんですけど、実はそれぞれの歌手の歌う3つの楽章がスケルツォ(のような音楽)を挟んでシンメトリックな構成を取っていることに気がついたんです。テナーが歌う奇数楽章は「大地に郷愁を寄せる酒の歌」「春に酔えるもの」という厭世的な雰囲気のある酔っぱらいの歌に挟まれて「青春について」。アルトもしくはバリトンが歌う偶数楽章は、「秋に寂しきもの」と「告別」という孤独な離別の歌に挟まれて、若き日の仄かな恋を歌った「美について」。形式的にも内容的にも明確な一幅の対をなしているではありませんか。中心にあるのは若き日の美しい思い。そしてそれへの別れ。これは今日の音楽会のおまけみたいなものですけど、今まで気がつかなかったことにびっくりするくらい、わたしには大きな発見でした。
[PR]

by zerbinetta | 2011-02-19 03:02 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(2)

阿片でラリってるから   

16.02.2011 @royal festival hall

ravel: suite, ma mère l'oye
berlioz: la mort de cléopâtre, symphonie fantastique

anna caterina antonacci (sp)
yannick nézet-séguin / lpo


大好きな指揮者、ヤニック・ネゼ=セガンさんの音楽会となれば万難(ないけど)を排して聴きに行かなければ。
というわけで聴いてきましたとも。お得意のフランスもののプログラム。始まりがマ・メール・ロアで、あとベルリオーズのクレオパトラの死と幻想交響曲。

まずラヴェル。繊細な光に満ちた美しさで恍惚。ネゼ=セガンさんは指揮棒を使わずに柔らかく音を作っていきます。わたし、ラヴェルはどちらかというと苦手なんですが、今日はとってもいいと思った。ロンドン・フィルの重心の高さ(コントラバスの低音があまり響いてこない)もこの音楽にプラスの作用をしていたと思います。音楽が終わったとき後ろの席から、ビューティフルの声が。わたしもそう思いました。うっとりとするマ・メール・ロア。

ベルリオーズのクレオパトラの死は多分初めて聴く曲。最初はなんだかベルリオーズらしく大仰で散漫だなって思ってたけど、聴き進んでいくと、ベルリオーズらしくドラマティックで奔放だなって。と、同じことをネガティヴな言葉とポジティブな言葉で書いてみたんだけど、ほんとにそんな感じ。ベルリオーズの語法にちょっと慣れると音楽がとたんに面白くなる。オペラティックで、週日の午後の愛憎たっぷりのテレビ・ドラマの世界観。歌ったアントナッチさんもステキでした。きれいで色気があって。あっ歌うた。歌手の背中を見ながらの位置だったので、ちゃんと評価できるか疑問だけど、たっぷり声も出ていたし感情表現もとっても良かったです。プログラムのバイオグラフィーによると、将来、ロイヤル・オペラでトロイ人を歌う予定だそうなので、これは聴きに行かなくちゃ。来シーズンだといいなぁ。

そして、幻想交響曲。ろうそくの光りがゆらゆらするような点滅する木管楽器で始まる音楽。ヴァイオリンはヴィブラート控え目で、グラマラスにならないのがステキ。そしてラヴェルから引き継いで色彩的な音色感。でも、なんだかちょっと変わってる。なんだろうと思って注意深く聴いてると、強弱の振幅を大きくとってる。特に主部に入る寸前は目一杯。うんうん。ベルリオーズだもんね。破天荒だもん。で、主部にはいるとますます快調というか変。わざとリズムを曖昧にした感じで、シンコペーションがきっちり合ってるのか合ってないのか。音楽が壊れるぎりぎりのところで勝負してくる。これはもうラリってる音楽。縦の線をキチリと合わせてしまうとここまで面白くならない。ってかふらふらしてますよ、音楽。これで、コントラバスがもっと目立ってくれるとどろどろ感が出て良いのだけどな。重心からぐらぐら揺れるともっと面白くなりそう。
第2楽章はおとなしく美しく。場末感満載のオブリガード・コルネットもなし。これは残念。第3楽章も普通。ってわたし変な音楽を期待してない?でもだって。とは言え、良い演奏には違いはないのです。イングリッシュ・ホルンとオーボエの応答はオーボエを上の方のボックス席で吹かせて遠近感を出したり、ライヴはやっぱり楽しいし。ぐいぐい進んで第4楽章もまたわりかし普通。ここはもうちょっと厭々感というか断頭台に向かう引き摺った音楽にして欲しいかなとも思うのですが(でも音楽が輝かしく書かれてしまっているので輝かしい演奏もあるんですが)、最後の最後で小クラリネットが恋人の生首がひょろろんと浮かび上がってくる感じで吹いてくれたので面目躍如。
なんか最初がものすごく良くて、尻すぼみに終わっていくと思った幻想。そうなんです。わたしの求める幻想はもう、ものすごくいかれた音楽。本当に阿片を飲んでへろりんとなってしまった夢。ああそれはわたしの夢で終わるのかと思ったらやってくれましたよ。羽目を外した第5楽章。うん。こうでなきゃ。ネゼ=セガンさんは、えい、こうやったらオーケストラはどう反応するだろうかってオーケストラをいじって楽しんでる。オーケストラもよれよれになりつつ楽しんでる。これがもっと上手なオーケストラだと、指揮者のやりたいことを先回りして、オーケストラが音楽をまとめちゃうんだけど、ロンドン・フィルにはまだそんな力はない。自分たちの力で音楽を丸め込むより、自分のパートを必死で演奏するので手一杯。だからこそ、音楽が生きることがあるんです。だって、もうこの音楽はヤクでラリってはちゃめちゃになったところで成り立ってるんだもの。まとまってるよりばらける寸前でふらふらしていた方が断然面白い。ネゼ=セガンさんの表情もラリってるし。それに、音楽の音色付けは、しっかり繊細で、怒りの日のメロディの後半、トロンボーンとホルンで旋律を繰り返すところなんて柔らかくて教会のコラールのように響くの。この対比が見事。最後は予想外のところから加速して、大盛り上がりのまま音楽は終わりました。いや〜〜面白かったぁ。これ、冷静に録音なんかで聴くと、自分が酔っぱらってたとき撮られたヴィデオを見せられたように白けそうな気がするけど、会場で一緒にラリってるわたしにとっては最強。だから、音楽会って楽しい!
[PR]

by zerbinetta | 2011-02-16 10:28 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(2)

天国へ   

22.01.2011 @royal festival hall

franck: symphony
fauré: requiem

sally matthews (sp), gerald finley (br),
yannik nézet-séguin / lpc & lpo


実はこの間のマーラーより期待していたのが、今日のネゼ=セガンさんのフランクとフォーレのプログラム。どちらの曲もとっても大好きなのにまだ、生では聴いたことなかったんですもの。しかもフランスもの得意なネゼ=セガンさんだし。

本来なら、音楽会の後半に持ってきて然るべきなフランクの交響曲がいきなり前半。まとわりつくようにとってもゆっくりと始まった音楽。でも、全然重くならずに羽衣のような感じ。なんか不思議。そしてこの音楽って不思議なんですね。CDで聴いていたときはちっとも気がつかなかったんだけど、ブロックごとのつなぎの部分のつなぎ方がとっても独特。オーケストレイションの仕方がとっても独特で、この感じは、全休符を多用したブルックナーとはやり方が違うけど、似てる。っていうか、ネゼ=セガンさん、得意のブルックナーの音楽のようにこの曲演奏してない? でも、フランクとブルックナーの不思議な相似が分かって面白かった。

フォーレのレクイエムの方は、言葉を重ねれば重ねるだけ野暮が増しますね。こんな美しい音楽に、何か言葉を足す必要があるでしょうか。オーケストラはとっても美しく演奏していたし(今日は弦楽器がとってもきれいでした)、あまり出番は多くないものの独唱のおふたりもとっても良かったのですが、なんと言っても讃辞を贈りたいのが合唱。ロンドン・フィルハーモニックの合唱団はアマチュア。なので、他のプロの合唱団に比べると、一歩引けをとることが多いのですが、今日は暖かく心を込めた歌を歌っていたと思います。もちろん、モンテベルディ合唱団のような超一流の合唱団と比較するのは酷だけど、わたしは今日のフォーレを聴いてとっても穏やかな幸せな気持ちになりました。こうして天国に行けたらどんなにかステキだろう。夢のような時間でした。
[PR]

by zerbinetta | 2011-01-22 09:39 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(5)

恋するっ   

19.01.2011 @royal festival hall

beethoven: piano concerto no. 5
mahler: symphony no. 5

nicholas angelich (pf),
yannik nézet-séguin / lpo


若手の中でピカイチの実力を持ち、最高のブルックナーを奏でてくれる指揮者、ネゼ=セガンさん。残念ながら今シーズンはブルックナーはないのだけど、マーラーはどんなことになるかとっても楽しみにしていました。小さな胸が期待ではち切れそう♪

でもその前に、前半は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番。今日は5番どおし、ヘヴィー・プログラムです。ピアニストはアンゲリッチさん。初めて聴く人です。出てくるおふたりをみて、ちょっと可笑しかった。縮尺が狂ってるぅ。だって、ネゼ=セガンさんは小柄、アンゲリッチさんは大きいんだもん。ネゼ=セガンさんが指揮台に立ってもアンゲリッチさんの方がまだ背が高いの。それから、ネゼ=セガンさん、髪の毛を短く刈ってなんだか若返ったみたいって若いんですけど、35歳。でもその音楽は、若々しさと共に風格すら感じるんですよね〜。
ベートーヴェンも堂々とした大きな器の音楽っだったのです。第1楽章のアクセントなんかは鋭く付けてはいたのですが、ゆったり目のテンポでのグランド・スタイルに近い感じ。特に第2楽章は、ゆったりと静謐。ロマンティックかというと、べたべたにはならずに結構さらりとした梅酒みたいな。ぐいぐいと押す、オーケストラだけでも立派な音楽。ただひとつ残念だったのは、最後の楽章にもうちょっと躍動感が欲しかったな。
アンゲリッチさんのピアノは、もうこれがステキステキ。堂々とした体躯から生み出される、余裕のある輪郭のはっきりした美音。いろんな色のフルーツ・シャーベットの固く凍ったキューブみたいに、透明感があって冷たいのに甘い。ひとつひとつの音が混じり合わずはじけるような響き。このピアニストいい。
アンコールには多分バッハの2声のインヴェンション(わたしバッハの曲はよく知らないので、確信はないんだけど、バッハぽかったし、2声だったし)。これがもうとんでもなくステキで、右手とバスの左手の音色をくっきりと弾き分けて、ピアノで同時にこんなに違う音色が出せるのかと、びっくりしちゃいました。右手はきらきらしてるのに、左手はフェルトで押さえたよう。ピアノの他に通奏低音が一緒に演奏しているんじゃないかと聞き間違えるくらいでした。その左手のメロディがとってもステキで音楽的。心臓の鼓動のように音楽の底で静かにでも絶え間なく鳴っているんですね。ものすごく心地良くって、あの左手に愛撫されたいって妄想。。。

休憩の後は、さあ、いよいよ小さな胸一杯のマーラーの交響曲第5番。先週は同じオーケストラで第6番の名演を聴いているので、どうなるのかどきどき。そして、この曲、実はわたし、マーラーの作品の中では苦手な部類。上手く共感できるかしら。
トランペットの灰色のファンファーレから始まって、最初の盛り上がりから、ネゼ=セガンさんの意志がなみなみと注がれていました。トゥッティの3連符の音が重いけれども鋭く切れのあるリズムで打ち込まれると世界は、灰色の広々とした記憶の澱。葬送の行進が、引き摺るように重く続いている。悲しみに泣く者、皮肉に笑う者、叫び声を上げる者、虚無に沈む者、仕切る者、ただみている者、たくさんの人たちが、灰色の薄いカーテンの後ろでモノトーンで行進している。わたしはイメジを視覚に広げすぎ? でも、ストーリー性のあるドラマではないけど、音楽から情景が浮かんだの。ネゼ=セガンさんは、運動選手のような激しい身振りで的確に音楽を紡ぎ出していきます。緩急をものすごく上手く付けて、時間の長さを引き延ばしたり縮めたり。このテンポ感は絶妙で、すべからくわたしのツボ。葬送行進曲のゆっくりとした歩み、第2楽章のファンファーレでのアチェレランド。第3楽章の伸縮自在ワルツ。分析的ではないロマンティックな解釈。それでいて聞こえる全ての絡み合う音。第4楽章は、ゆっくりと思い入れたっぷりに弾かれると思ったら、絶妙なアダージエットのテンポ。やっぱりさらりとした梅酒だわ〜。ロンド・フィナーレの幸福感っていったらどうでしょう。ネゼ=セガンさんが音たちに口づけするような仕草。本当に音楽を愛してしまってるのでしょう。スキップしたくなるような楽しさ。そして最後の最後のファンファーレに至るたたみかけるようなアチェレランドとアレグロで突入したファンファーレ。2度目にファンファーレが戻ってくるときには思いっきり引き延ばして。ああ、この音楽がこんなに歓びに満ちたものだったなんて。終わった瞬間、うわ〜って叫んでしまった。
オーケストラもとても良く鳴って、そして、こんなにもというくらい歌いまくり。主旋律だけじゃなくてそれに絡みつく短い音符もしっかり歌っていました。今日のMVPはチェロだと勝手に決めたけど、そう、それはチェロが最も歌う楽器だから。ティンパニも粒立ちの良いいい音で叩いていましたね。要所要所で出てくる凶暴なまでのクレッシェンドもステキ。
惚れ惚れするようなマーラーでした。ネゼ=セガンさんったら。ますます好きになってしまうではないですか。わたしと背丈の釣り合いも取れそうなのでどうですか、わたしたち。振り向いてくれなくても一方的に恋しちゃうから。
[PR]

by zerbinetta | 2011-01-19 02:08 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(0)

かっこいい涙   

ravel: le tombeau de couperin, pavane pour une infante défunte
debussy: nocturenes
fauré: pavane
poulenc: stabat mater
claire booth (sp), yannick nézet-séguin / lp choir, lpo @royal festival hall


ネゼ=セガンさんとロンドン・フィルハーモニックによるフランス音楽の夕べ第2夜。まずはラヴェルの「クープランの墓」から始まりました。この曲、この間BBCシンフォニーで聴いたばかり。どんな違いが出るでしょう。ロンドン・フィルの音色はクリアで重くならないのでラヴェルの音楽には好ましいのですが、わたしにはまだ、オーケストラが暖まってないなって感じがして少しもの足りませんでした。続く2曲目の「なき王女のためのパヴァーヌ」は大大大好きな曲なんですけど、舞曲らしい少し速めのテンポで優雅なんだけど、全体的な統一があまり取れていない感じがしました。各節ごとのテンポが微妙に統一されていないというかかくかくと引っかかっちゃう感じ。
この間はドビュッシーよりラヴェルの方がいいなと思ったんですが、今日は反対にドビュッシーの方がいいなって感じました。「ノクチュルヌ」はステキな演奏でした。音もシャープになって、ドビュッシーの書いた淡い曇り空のような色彩感が生きていました。ただ、合唱が少し弱かったかな。ロンドン・フィルハーモニック合唱団はアマチュアの団体なので比較するのは酷だけど、この間、モンテヴェルディ合唱団聴いたばかりだからなぁ。各パートでも個々の声が統一されていないので(音程が悪いとかリズム、発音が悪いという技術的なものではなくて声質が)、荒く聞こえてしまいます。

でも、今日のメインはドビュッシーの「ノクチュルヌ」でもなく、静かに柔らかな雰囲気で演奏されたフォーレの「パヴァーヌ」でもなく、なんといってもプーランクの「スタバト・マーテル」でしょう。曲自体が力のある音楽だし、わたしもプーランクは大好きなんだけど、それを差し引いても感動的な演奏でした。深刻な部分は深刻だし、プーランク特有のおしゃれな表現もとっても決まってたと思います。最初っから尋常な雰囲気じゃない感じで始まって、悲しいんだけどかっこいい。かっこいい悲しみ方ってあると思うんですね。マリアの悲しみがそれ。彼女の息子は神の御子なんだから。彼女の涙は人類の涙でもあるのです。公の涙。かっこよくなければならないんです。
ソプラノを歌ったのはクレア・ブースさん。リサ・ミルネさんが予定されていてプログラムにも彼女が印刷されていたのですが、急遽代役。2004年のキャスリン・フェリア・コンクールのファイナリストだった若い人。ブーレーズさんのもとでピエロ・リュネールを歌ってるんですね。声で圧倒するタイプではないけれども(キャリアを見ると古典と近現代曲が多い)、表情のある丁寧な歌い方でとっても良かったです。かわいらしい感じの人でしたよ。若い人は好きなので、心に留めて応援していきましょう。
c0055376_1022947.jpg
c0055376_1025629.jpg

[PR]

by zerbinetta | 2010-02-13 10:01 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(2)