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何を聴かせたかったんだろう? 佐村河内守、ピアノソナタ第2番発表会   

2013年6月13日 @ヤマハホール

佐村河内守:ピアノ・ソナタ第2番(抜粋)

ソン・ヨルム(ピアノ)


ひょんなことから、佐村河内さんのピアノ・ソナタ第2番の完成発表会にご招待されて(間違った敬語)聴いてきました。この間、佐村河内さんのことについて調べていたら、日本コロムビアのサイトに告知があって申し込んでみたの、ファンでもないのに。これが、不思議な申し込みだったんだけど、名前とか、このことをどこで知りましたか?とかのアンケートがあって、最後に、これから日本コロムビアからのお知らせを送付して良いですか?はい、いいえ、すでに会員です、の選択肢があって、はいと答えた人はメイル・アドレスを記入して下さい、ということで、そんなお知らせはいらないから、いいえで、送信。するってえと旦那、相手に送信されるわたしの個人情報は名前だけ。えええっ?どうやって当選のお知らせメイルくれるの??送ってしまった以上は後の祭りなので、もう1回、いいえのままメイル・アドレスを入れて送信しました。気づかなかった人は落選したと思ってるんだろうな〜(当選者だけに連絡だったので)。

ヤマハホールは初めて行きます。ヤマハ自体にはちょくちょく来たことがあるのですが。メイルのコピーを見せて席票をもらうと前の方の結構良い席でした。ラッキー。お披露目会ですからたくさんのプレスの方々が招待されていて、あとは音楽ファンの方々でしょうか。前半は、日本コロムビアの方から、交響曲第1番が録音、発売された経緯についてのお話と佐村河内さんから、ピアノ・ソナタ第2番についての簡単な説明がありました。詳しいことはきっと正式に発表されると思うので、大ざっぱにかいつまむと、この曲は、以前書かれた「レクイエム」を拡大して作られた36分ばかりかかる作品だそうです。「レクイエム」は震災のとき出会った少女に書かれた、個人的な思いの詰まった曲だけど、実際に被災地に足を運んで彼が感じた思いを込めた、個人ではなく被災した人々のために書かれたとおっしゃっていました。そして演奏には超絶技巧のいる大変な作品なんだと。
演奏者として、ソン・ヨルムさん(一昨年のチャイコフスキー・コンクールで2位を取った韓国出身のピアニスト。そのときの優勝者は圧倒的な才能を見せつけたダニール・トリフォノフさん♡)を選んだのは彼女の圧倒的なテクニックと人間性に惚れ込んだからだそう。この短いお話の中で、そして演奏の後でも、超絶技巧ということについて強調されてたのにちょっと不安というか違和感を感じました。

そして、なんと!今日ここで弾かれるのは、ソナタの第1楽章ではなく、佐村河内さんが曲を10分くらいにまとめたものだというのを聞いて絶句。オペラの抜粋ならまだ分かる。それでも、それぞれのアリアとかはあまりカットしないと思うけど。交響曲だとかソナタのような論理的な形式が大切な作品を、それぞれの楽章からかいつまんでつなげる(といってもこの曲がいくつの楽章からできているのかは分かりません。リストのように単一楽章かも知れません)って。。。そこから何を聞き取れっていうの?例えば、シューベルトのD960のソナタをかいつまんで10分ほどにまとめられたものを聴かされて何が分かるというのでしょう。美しい旋律、だけだとしたらこの曲の本質は何も伝わっていないことになりますよね。

正直、聴いた音楽のかけらだから、わたしはこの曲がどんな曲なのかはちっとも分かりません。響きはバッハに似たところがあったり(多分オリジナルの「レクイエム」の部分)、一瞬チャイコフスキーの響きが聞こえたりしたけど、全体的にはリストのロ短調のソナタのような曲なのかな。佐村河内さんがおっしゃってた超絶技巧という部分は、フォルテッシモで激しい感情を露出した部分かしら。
佐村河内さんは、感情をそのまま音に出す作品を作っているのでしょうか。それはとても分かりやすい。でも、底が浅くないでしょうか。「本当の悲しみは、頬笑みながら涙を流すことだよ」誰の言葉かは忘れたけど、本当の悲しみの前でわたしたちは泣き叫ぶことができるでしょうか。泣き叫ぶことで悲しみを伝えることができるでしょうか。泣き叫ぶことでカタルシスを得ることはできるかもしれませんが。狂ったようにピアノを叩きまくる叫びは何を伝えようとしているのでしょう。全体が見えていないので、素っ頓狂な感想に過ぎないのだけど。

やっぱり気になったのは、佐村河内さんが何度もおっしゃっていた超絶技巧です。ヨルムさんも、昨日彼の前で弾いたときよりもっと凄いよ、と速く弾いたみたいだけど、そんな、アンコールで弾くヴォロドス編の「トルコ行進曲」じゃあるまいし。リストのソナタを速弾きするのが良い演奏、という考え方なのかな。極限で弾くことで表現できる音楽?? 

ピアノのヨルムさんは、この短いショウピースからは何も感じませんでした。ミス・タッチなしで完璧に弾いて上手い人だとは思うけど今の若い人、みんな上手いし。表情を見てるとのめり込み系かな。銀のハイヒールがステキでした。演奏後お話があって、ステキな「レクイエム」がトランスフォームして複雑になった、というようなことをおっしゃっていましたが、ジョークとも穿った見方をすれば皮肉かなとも思ってしまったり。心が曲がっていてごめんなさい。

最後に違和感を覚えたことをひとつ書きます。それは、コロムビアの方が佐村河内さんのことを敬称なしで呼んでいたこと。反対に、佐村河内さんもコロムビアの方を敬称なしで呼び捨てでした。お互いに身内?コロムビアにとって佐村河内さんは売り物を作る社員?芸術家って、売る人からは独立していないの?わたしが、レコード会社の事情について無知なだけかも知れませんが。音楽を売る現場を見た気がします。

今日は何しに行ったんだろう?後味の悪い思いです。もちろん、プレス発表ってこういうものなのかも知れません。わたしがそれを知らなかっただけ。そんなことで取り乱すくらい、わたしはまだまだnaïve(本来の意味はネガティヴな言葉です)なのですね。
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by zerbinetta | 2013-06-13 23:08 | 室内楽・リサイタル | Comments(30)

佐村河内守さんの交響曲第1番「hiroshima」と現代の音楽って   

最近(というかちょっと前)、そこら中で絶賛されてる、佐村河内さんの交響曲「hiroshima」、テレビで放映されたのを録画して聴きました。ひねくれ者のわたしですから斜に構えて聴いたんですけど。正直言って、わたしにはどうしてこんなにも絶賛されているのかよく分かりませんでした。

わたしは音楽を聴くのに、最初、音楽家の出自や境遇には興味がありません。「現代のベートーヴェン、degital age beethoven (time magazine, 15.9.2001)」といううたい文句は、耳が聞こえないつながりからかと思うんだけど、音楽からはベートーヴェンを感じることはあまりありませんでした。曲から受ける印象は、むしろ、現代のマーラーと言った方がいいくらい。もちろんマーラーばかりが聞こえるわけではありませんが、象徴的に。大交響曲だし、最後は彼の交響曲第3番のエコーが聞こえるから。彼自身も、耳が聞こえないことで同情的な見方がされることを嫌っていますから、現代のベートーヴェンをまわりの人が宣伝文句にするのはどうかと思います。

佐村河内さんは、元々、ヴィデオ・ゲームの音楽で評価を勝ち得た作曲家なんですね。プレイステイションのゲームがUS(ヨーロッパまで席巻したのかについてはわたしは知りません)を席巻したとともに、人気(?)ゲーム(そのゲームが人気かどうかもわたしほんとは知りませんが)「鬼武者」の音楽作家として佐村河内さんの名前が知られます。前述のタイム誌の記事は、ゲーム音楽作家としての佐村河内さんの記事です。NHKの番組では、クラシック(芸術)音楽の作曲家として世界の注目を浴びているような感じ(ぼかしてあったけど)に紹介していましたが、タイム誌では、映画、ゲーム音楽の作曲家として、「アラビアのロレンス」の音楽に匹敵するものを作ったということが書かれているだけです。クラシックの作品のことについては触れられていません。ジョン・ウィリアムスの音楽が、ヴォーン・ウィリアムスやジョン・アダムズの音楽と同列で語られることがないように(優劣のことを言ってるのではありません。違う種類の音楽というだけで、優劣はないのですから。実際彼らの音楽が同じ音楽会のステージ(ファミリー向けの音楽会等を除く)で演奏されることないでしょ)、佐村河内さんのクラシックの分野での作品が、ところどころで目にするように、世界の注目を集めているという記事は、残念ながらわたしには見つけられませんでした。どなたかご存知の方がいらしたら教えて下さればとても嬉しいです(記事があるとされている英紙やワシントン・ポストの記事は見つけられませんでした)。

もちろん、世界でどのように注目されてるかなんて、音楽を聴くのに関係はないのです。ただ、世界で注目されている(という、ちっともそうではないのにまことしやかに語られる日本で独特の言い回し。同じような文句に、全米で〇〇もあります。USはほとんど、全米で〇〇という言葉が成り立たないくらい多様)、括弧が長くなったので、最初から繰り返すと、世界で注目されている、という誤解を解きたかったんです。むしろ、これからこの曲が世界のオーケストラのレパートリーとして定着できるかの方が、大事ですよね。この曲を知っているのは、現在ほとんど日本人だけだから、この曲に感銘した指揮者が他のオーケストラでも採り上げるとか、国内ではCDが発売されているので、外国の珍しいCDの蒐集家だけじゃなく一般の音楽ファンに向けた販売に打って出る必要があるでしょう(具体的は外国向けに外国語の解説を付けたCDを外国の販路で販売するとか)。

さて、前置きはこれくらいにして、音楽は重く、鬱々と静かに始まります。主題の手の内を小出しにしつつ音楽を生成させていくさまは、ベートーヴェンの交響曲第9番やブルックナーのいくつかの交響曲みたい。じわりじわりと音楽ができてきて、ほっとするような主題が聞こえたとき、この4つの音が全曲で(変化したりしながら)繰り返し出てきて、音楽を統一しているのですね。
3楽章で70分以上かかる音楽。3つの楽章が、同じように暗く、途中、速い箇所はあるけど、全体の印象としてアダージョな感じ、なのに、聴き手を飽きさせない集中力と技術は素晴らしいものがあると思います。彼の作品は、まだあまり聴いたことがないけど、名曲「吹奏楽のための小品」でも聴かれた、ブラスの鳴らし方がとても上手いし、聴き始めると最後まで聴き通してしまわせる引力が凄いです。ロマン派好きなら、ブルックナーやマーラー同様に魅力ある音楽でしょう。ワーグナーや、ブルックナー、ブラームスやマーラーといった19世紀末のロマン派後期の交響曲の集大成といった感じの音楽になっていると思います。模倣というより、彼はここを目指して音楽を作っているのですね。

わたしは、ロマン派後期の音楽も大好きなので、佐村河内さんの曲に魅力を感じていることを告白しましょう。斜に構えてたくせに。(最初にこの文章を書き始めたときと数週間隔たって、その間に何回か繰り返して聴いたので論調がちょっと変わってますねぇ)
でもね、でもね、素直に感動できたかというとまだ引っかかりがあるのです。
この曲は、わたしの気持ちを反映できているのだろうか、と。言い換えれば、例えば、ベートーヴェンの交響曲第9番を聴いてその理想を自分のものとして完全に共感できるのか?ということなんです。もっと言えば、昔々の青春ドラマみたいに夕日に向かって走って行けば、全て丸く収まっちゃうか、みたいな。子供向けのヒーローものだって、昔みたいに単純に悪の組織をやっつければ済んでいた時代は終わって、正義と悪の境界が曖昧というか何が正義か分かりづらくなってる。もしかしたら現代に純な正義はない。わたしたちは、19世紀末の人よりは、明らかに捻くれて複雑になってるんじゃないかと思うのです。でなければ「ヴォツェック」は生まれ得ないし、タコもあんな皮肉に満ちた交響曲を書かなかったでしょう。ああいう精神性は、ワーグナーもマーラーもまだ持ち得ていなかった。反対に現代を生きてるわたしの感情は、もう後期ロマン派的に語ることができないところにあるんじゃないかと思うんです。もちろん過去の音楽を聴いて感動することはできます。でも今生きている人には、今生きている人の音楽を書くべきではないかと思うのです。それが芸術を創造するということではないかと思うのですよ。

(行ったり来たりしながらゆるゆると続きます)
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by zerbinetta | 2013-06-07 23:43 | 随想 | Comments(9)

幻想遊園地 アシュケナージ、フィルハーモニア ショスタコーヴィチ13   

24.05.2012 @royal festival hall

prokofiev: piano concerto no. 3
shostakovich: symphony no. 13

nobuyuki tsujii (pf)
sergei aleksashkin (bs)
vladimir ashkenazy / philharmonia voice, po


今日の音楽会、もうずうっと待ち望んでいました!タコ、交響曲第13番、通称「バビ・ヤール」。わたしの最も大好きなタコの交響曲。そして滅多に演奏される機会のない音楽。これを聴かずして、今シーズン何を聴くかってくらいです。実はワクワクしすぎて2月頃から、今日の音楽会だったかしら、なんてプログラムを見たりしてたのでした(2月か3月の音楽会だと思ってた)。

でも、世間的には辻井伸行さんのピアノなんですね。タコで舞い上がってるわたしには、彼のピアノは眼中になかったんだけど(なんて失礼な!)、でも、聴いたら、凄い!素晴らしい!彼、とっても人気みたいなんだけど有名な人だったのかしら。もちろん、日本では有名なのは分かるのだけど、こちらの人にも人気みたい。経歴を見ると、ヴァン・クライバーン・コンクールで優勝しているんですね。23歳、むちゃ若い。
辻井さんって目が見えない人だったんですね。アシュケナージさんのサポートでステージに出てきた彼は、小柄で丸顔。アシュケナージさんにピアノの位置を示してもらって着席。音楽が始まる瞬間ってドキドキしますね。特に初めて聴く若い音楽家さんだと。

辻井さんの音楽は、わぁびっくり!わたしの予想に反して、ロマンのひとかけらもない音楽。曖昧なもの、感覚的なものを一切排して、全ての音が物質的な質量を持って実存している。全ての音の存在理由を説明できる音楽。しかもそれを徹底して容赦なく音にしている。彼の中にはどんな音が、どんな音楽が響いているのだろう。彼は視覚を失っているけれども、それは大多数の目の見える人に合わせて作られた社会では不便なことも多いと思うけど、決して世界は彼の中で狭まっていない。多分彼は目が見えない代わりにそれを凌駕する、多分わたしたちの知らない感覚を研ぎ澄ませている。それはわたしたちが目が見えるという感覚と同じように自然に当たり前のこととして。わたしは、目が見えるし、耳も聞こえ、匂いもかげる。でも、わたしの世界は、浅く、音楽の感覚において辻井さんの足元にも及ばないと感じました。ぼんやりと見て、聴いて、世界の遠くが見えていない。それにしても、音楽の全てを耳で、体で感じるのってどういう世界なんだろう。わたしなんて見えないと、音楽が全ては聞こえないと感じているのに。幾何学模様のような楽譜の美しさも全て音に還元してしまうのだろうか。なんだか、果てしない未知の世界へ誘われるようで、これからも辻井さんの音楽を通してその世界へ冒険してみたいと思いました。彼の、ラフマニノフも聴いてみたいなぁ。ロマンティシズムを拒絶したラフマニノフ、どういう風に響くのだろう?それともいくらかロマンティックに弾くのかしら?

と考えていたら、アンコールにもラフマニノフの前奏曲。ふふふ、やっぱりロマンのかけらもない。音楽がロマンティックに書かれているので、それ風には聞こえるのだけど、彼はそういうところに立っていないです。これはますます、彼のラフマニノフの大作、聴いてみたくなりました。
人柄ですかね。アシュケナージさんが、ずっと辻井さんのことをあたたかく見守っていたのが印象的でした。そして、お茶目な彼は、指揮棒を横向きに口に咥えて、ずっと拍手していました。いや、そこまで笑わかせてくれなくても♪

前半だけでうっかり十分満足しちゃったけど、わたしのメインは後半。タコ13。実はアシュケナージさんのタコの交響曲、1枚か2枚CDを持っていて、意外に好きなのです。世評は高くないんですけどね。
演奏は素晴らしかったの一言。初めて聴くし、これから先2度と再び聴くことができるかあやしい曲なので超興奮してるんだけど、それを差し引いても(上手く差し引けてるかは自信ないけど)、素晴らしい演奏。まず、オーケストラが上手い。特にチューバは神がかってた。それにバスの独唱のアレクサシュキンさん。鬱々とした歌で、タコの世界を表出。文句なしです。男声合唱は少数精鋭だけど、意外と低音が良くてフィルハーモニア・ヴォイス、やるじゃないって思いました。
この音楽、始まりから終わりまでものすごく鬱々しています。聴く方もかなり気持ちの強さが必要で、でないと鬱々の底なし沼に足を取られてしまいます。わたしがもうこんな気持ちなのに、これを練習してきたオーケストラの人たちは、沈んだ気持ちにならないのでしょうか。練習している間に世を捨ててみたくなっちゃったり。そんな圧倒的な力を持つ音楽だけど、アシュケナージさんは、かさかさと乾いた感じじゃなく、艶やかな潤いを持って音楽を奏でていました。すべすべとしたタコ。これはCDで聴いた彼の他のタコの交響曲と同じ感じです。それがわたしには好ましい。といっても決して甘い音楽ではなく、胃の腑に鉛を飲み込んだような重暗い気持ちになります。
だからこそお終いの方でフルートの旋律が聞こえてきたときは涙。遊園地の音楽。子供の頃の夢。ショスタコーヴィチは、子供時代の無条件で安らぎのある夢の中に、特に後期の交響曲作品において退行する傾向があるのではないかと思います。何かそこに安住の地を求めるような希求がときどき音に聞こえて。最後の交響曲の第1楽章とか最後の部分なんてまさにそれですよね。でも、その気持ちにはとっても共感できる。わたしも、子供の頃の幻の遊園地で遊びたい。それがわたしにとっての永遠の憧れだから。絶対に届かない憧れ。最後の部分で涙が止めどもなく溢れるのは、わたしもそれを強く強く求めているからでしょう。そしてその幻が音楽の中に聞こえるから。でも、音楽の中の遊園地はどうしてか雨が降ってる。そして、ひとりわたしがぽつり。ひとりぼっちの孤独が憧れの裏側にへばりついてる。幻は共有できないのかな。ショスタコーヴィチはわたしにそれを見せてくれたけど、彼はもうそこにはいないんだ。この気持ちはしばらく後に引きそうです。
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by zerbinetta | 2012-05-24 09:01 | フィルハーモニア | Comments(4)

積み木崩しのシベリウス ヴェデルニコフ、BBC交響楽団   

10.05.2012 @barbican hall

shostakovich: the bolt, suite
kalevi aho: trombone concerto
sibelius: symphony no. 1

jörgen van rijen (tb)
alexander vedernikov / bbcso


BBCシンフォニーのシベリウス交響曲全曲演奏シリーズ、今日が最終回。第1番です。指揮者は何故かウマが合うヴェデルニコフさん(ゾンビ)。楽しみ〜〜。

タコのボルトの組曲は管楽器のソロが大活躍する音楽。ポルカやタンゴなんて楽しげな音楽も混じっていて、この組曲版は、もともとのバレエの物語など関係なく、音楽としてあっけらかんと楽しめるのがいい。それにしても、BBCシンフォニーの管楽器の皆さんほんとに上手かった。アクロバティックなソロを難なく吹いて、スリリングな音楽を楽しませてくれます。オーケストラの質量のある音色がぽんぽん跳ねるのも愉しい。拍手のとき、フルートのムカイさんが立たされたけど、この曲は彼女がソロを吹いていたんですかね。とても良かった。

アホさんのトロンボーン協奏曲は去年の作品でイギリス初演。トロンボーンはロイヤル・コンセルトヘボウの主席、フォン・ライエンさん。アホさんってこの間、打楽器協奏曲の新作を聴いたばかりだから、最近アホさんづいてるんですかね〜。ついうっかりアホやねん、と言ってしまいそうです。アホさんは、ずいぶん前に交響曲第9番という実質トロンボーン協奏曲を聴いたことがあるのだけど、正直言って今日のトロンボーン協奏曲は、それに比べてつまらなかった。重音なんかの技巧的な要求も高いのだけど(しかも高音をかぶせていた)、トロンボーンらしい、グリッサンドやスラーや各種ミュートや、そういうものを引き出してるとは言えなかったし。前の交響曲第9番の方がトロンボーンらしさを上手く引きだしていた感じ。今日の音楽はわたしには退屈でした。トロンボーンのフォン・ライエンさんは、完璧に吹きこなしていました。ちょっとかっこいい。プチ・ヴィジュアル系。

シベリウスの交響曲は、なんかちょっと変な感じ。ヴェデルニコフさんはいつもわたしのツボなのになぁと戸惑いながらおろおろ聴き始めました。何かが違う?なんだろう?
シベリウスの音楽って、息の長い旋律が歌われるよりも、小さな積み木のような音がたくさん組み合わさって出来てると思うんです。それは、後期の音楽になるほど顕著だけれども、この初期の作品(チャイコフスキーっぽいとも言われます)からもその萌芽を聞き取ることが出来ます。ところが、ヴェルデニコフさん、その積み木を上手く組み上げることが出来ずに、積み木と積み木の間に小さな隙間を作ってしまったので(決して音と音の間に隙間を空けて演奏しているというわけではありません。もっと感覚的なもの)、積み木が大きな構造にならないのです。その分、細かな構造が見えてきて面白いのですが、最初のうちは戸惑いました。でも、もともとわたしとヴェデルニコフさんの相性はいいので、そしてそれはえこひいきにもつながるのですが、慣れてくるとこれも面白いな、と。BBCシンフォニーは質感のある落ち着いて輝く銅色の金属のような色彩の音で、シベリウスのどこか明るいのに薄暗いひんやりとしてるのに情熱の熱さが迸る音で弾いてるし、わたしは、いいねボタンを押しました。わたしの評価甘過ぎかなぁ。でもいいの。わたしは楽しんでるから。

そうそう、今日はチェロに見慣れない日本人が。あとで調べたらロイヤル・フィルハーモニックで弾いてらっしゃるハナオカさん。ただの客演かしら?それとも入団へのトライアル?
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by zerbinetta | 2012-05-10 09:07 | BBCシンフォニー | Comments(0)

幽玄の魔境の音たち 内田光子 シューベルトの最後の3つのピアノ・ソナタ   

23.04.2012 @royal festival hall

schubert: piano sonatas d.958, 959, 960

mitsuko uchida (pf)

内田光子さんの、シューベルト最後の3つのソナタ。同じ演目を去年の秋に聴いているので、ちょっとお疲れ気味のわたしは、今日はさぼっちゃおうかななんてことをちらりと考えたのですが、聴いて良かった、あまりにいろんなものを超越したシューベルトでした。そして、それが光子さんの音楽の完成型ではない、まださらなる高みに向かってもがいている音楽でした。基本的な設計は変わらないのだけど、音楽がさらに深みに、彼の国に近づいている印象です。最後の一線を越えるのは臨死体験になっちゃうのか、それとも、シューベルトと一緒に向こうに行っちゃうのか。聴くのも命がけ。シューベルトも凄い、光子さんも凄い。

光子さんはロンドンでは大人気。日本人だからということもなく、会場に日本人が溢れることはなくそれ以上に地元の人が多いです。そして、今日はロイヤル・フェスティヴァル・ホールが満員、ステージの後ろ側にパイプ椅子を出してお客さんを座らせていました。ここまで人を呼べるピアニストはロンドンでは光子さんの他にはキーシンさんくらい?

そう、秋に聴いたときは、D958のソナタなんて、まだこっち側に足をしっかり残してたと思うんですよ。でも今日は、この間と同じように、椅子に座るなり勢いよく弾き始めたのだけど(生命が迸ってる)、ふうっと力が抜けて命の灯火がゆらりと揺れる瞬間があるの。ぞっとしちゃった。弱音の表現はほんと消え入りそうで、足元からすうっと向こうの世界に連れ込まれる感じ。特に、虚無的な半音階の速いパッセージが聴かれるところなんて、向こうから足を捕まれて引っ張り込まれそうで。そして最後は、なんだかやけになって死に神と踊るよう。D958のソナタってもう少し健康的だと思ったのに、こんな風に演奏されてびっくり。正直、光子さんがシューベルトの最後のソナタにはまっていく世界観が怖くなりました。わたしは、まだあの世界をのぞき見したくない。もう少し、健やかに生きていたいから。

続けて演奏された、D959は対照的に、むしろこの世的。もちろんふらりとあちら側の世界も顔を出すのですが、まだ、生きる喜びが残っています。
ところで、今日の光子さんの演奏、音楽に没入しまくってて、外から冷静に音楽を観察する目がないみたい。それ故に、とんでもない世界が繰り広げられてる反面、ミスタッチも多く、ときどき荒れている感じもしました。これ、録音されて放送された演奏を聴くと顕著なんですが、でも、その録音、会場で聴いていた印象とは全然違って、会場では、ミスタッチはほとんど気にならず、むしろ、音楽の凄さに惹かれていった感じです。あとで、友達と凄いもの聴いてしまったと頷き合ったほど。なにしろ踏み越えてはいけない世界を覗いてしまったのですから。

やっぱり圧巻は、最後のD960。静かに始まるこの曲は、ステージに座っていたお客さんが落ち着くのを待って始められました。なんていう弱音のこの世のものならぬ(言葉どおりに)美しさ。そして、左手に染み出てくる虚無的な絶望。D958でも半音階の無機質なパッセージにそれを感じたのですが、この曲ではさらに黒いものがもくもくと広がって、命に覆い被さろうとするのです。
第2楽章には、諦観というかもうここには別離の音楽しかない。そして生への憧れ。光子さんは楽譜から本当に自由で、しみじみと語るように、シューベルトが楽譜に写し取ろうとした前の音を紡いでいく。個人的で普遍的な告白。涙が落ちて止まらない。
後半の2つの楽章は、踊るような音楽だけれども、ついに魂が肉体を離れて自由に踊っている感じ。魂ってほんとは自由でいたかったんだなぁ。肉体から解放して空に返してあげることは、わたしたちに最後に与えられた大切な仕事なんだなって思った。わたしも、まだまだ先だけど、いつかそのときが来たら、そのときまで大事にしてきた魂をつつがなく静かに解き放してあげよう。そうしてわたしは完成するのですね。
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by zerbinetta | 2012-04-23 09:03 | 室内楽・リサイタル | Comments(0)

ベートーヴェン。。。 サロネン、フィルハーモニア   

01.03.2012 @royal festival hall

brahms: variations on a theme by joseph haydn
schoenberg: piano concerto
beethoven symphony no. 7

mitsuko uchida (pf)
esa-pekka salonen / po

ベートーヴェンって今では演奏するのがとっても難しい音楽になっていると思います。もういろいろやられ尽くされてきている上に、さらには最新の研究成果や新解釈を取り入れて、目新しいものを聴かせないと面白くない、という雰囲気があるし、かといってオーソドックスな演奏は、もう巨匠たちのを聴き飽きたので魅力を感じないとか。まあ、自分勝手な意見ですけどね。(音楽評論家的には、オーソドックスな演奏をすると、それはフルトヴェングラーがしたとか、カラヤンのがもっと徹底していていいとか、今この演奏を世に問う価値があるのかって書かれそうですけど。。。)もちろん、奇をてらう必要なんてさらさらないし、面白くなくても良い演奏、感動する演奏だったらそれで良しなハズなんですけど。と分かっていながら、面白いことやってもらいたいと思ってしまうわたしの馬鹿。サロネンさんとフィルハーモニアは突如(?)ベートーヴェンの交響曲をシリーズで採り上げることになったんですけど、どんな演奏を聴かせてくれるのでしょう。

とか言いつつ、仕事が終わらなかったのーーー。確か今日のプログラムは、ハイドン変奏曲、光子さんのピアノでシェーンベルグの協奏曲、それからベートーヴェンの交響曲第7番だったはずだけど、あああ、光子さんのシェーンベルグ聴きたかったな。っていうかベートーヴェン1曲のために行こうか行くまいか。。。へろへろに疲れてるしーーー
でも何故かチューブに乗ってしまいました。蛾が光りにふらふらと寄っていくように、、、飛んで火に入る夏の虫、ですね。

会場に着いたら案の定ドアは閉まってました。でも、モニターから音合わせの音が聞こえて来るではないですか! 入っていいですかって係の人に聞いて、近くの空いてる席に取り敢えず座りました(持ってたチケットより良い席!)。
そして心の準備のないまま、光子さんとサロネンさんが出てきて、シェーンベルグ。分かるわけありません。音楽会の予習なんてしないわたしでも(初演のような新鮮な音楽を味わいたいから)、心の準備は必要。駆けつけシェーンベルグはきつかった。しかも疲れてたし。ただ音楽は心地良く響いて、光子さんとサロネンさんの信頼関係を窺わせるものがありました。フィルハーモニアも上手いし、均整のとれたとてもチャーミングなシェーンベルグでした。
光子さんは相変わらず元気でカーテンコールのときの駆け足や、深々としたお辞儀などいつもの光子さんスタイルで盛大な拍手を浴びてらっしゃいました。

休憩のあとはベートーヴェン。オーソドックスなスタイルで来るんだろうなって思っていたら、なんと!トランペットに無弁の楽器を使って、古今折衷。ティンパニのマレットは固いもの、ホルンは普通のホルンでした。トランペットとティンパニはアクセントを付けるときの音色重視ですね。古楽を意識した演奏ではなく、このふたつの楽器に鋭い音色が欲しかったんでしょうね。ホルンの扱いなんかは、柔らかい音でオーケストラに厚みを付ける感じで、第1楽章の元気な音楽や最後の楽章の高い音も前に出て吼えまくる感じではなくて、柔らかい音で陰から支える感じで、わたしとしてはちょっと物足りなかったです(あそこはがんばって割れた音でがしがし吹いて欲しい)。
サロネンさんのベートーヴェンは全く奇をてらうところのない、普通のベートーヴェン。ひとつだけ、第2楽章の最後の部分をゆっくり弾かせたのが印象的だったけど、あとはきわめて普通。普通って何を持って普通というのかあれですけど(と誤魔化してみる)、ヘンな音を強調させてみたり、テンポが予想外だったり、アクセントの付け方がユニークだったり、そういうおや!と思うところがない角の取れたといったらヘンですけど、ただこれがつまらなかったかというと、全然違って、リズムの切れ、特に第2楽章と第4楽章、はサロネンさんらしかったし、大変にリズミカルな演奏でした。基本的に、サロネンさん、ベートーヴェンはまさに正攻法で攻めてくるんだと思います。これからの演奏も凄く楽しみです。
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by zerbinetta | 2012-03-01 18:41 | フィルハーモニア | Comments(0)

無邪気にショウリョウバッタの首を抜く残酷さ アリス=サラ・オット リサイタル   

22.11.2011 @queen elisabeth hall

mozart: variations on a minuet by duport, k573
beethoven: sonata no. 3
chopin: three walzes op. 34, three walzes op 64 nos 1 & 2
liszt: études d'exécution transcendante s139
no. 11 'harmonies du soir', no. 12 'chasse-neige'
concert paraphrase on verdi's rigoletto s434

alice sara ott (pf)


アリス=サラさんは言うまでもなく人気のピアニストです。彼女のピアノ、今までに3回、オーケストラとの共演で聴きましたが、いつも彼女のピアノは大ホールより小さなホールが似合うのではないかって感じてました。で、今日ついにそれが実現しました。サウスバンク・センターの席数1000弱の中くらいのホール。ピアノのリサイタルがよく行われます。

ステージににこにこしながら小走りに出てきたアリスさんは、真っ白い衣装、そしていつものように裸足。ピアノの前に座って、いつものようにせかせかとつまみをくるくる回して椅子の高さを調節します。これ、癖なんでしょうね。だって普通、始まる前に高さ合わせてあるよね。それから少し間を置いて弾き始めました。わたしはさっきプログラムをちらっと見ていたので、ベートーヴェンのソナタ第3番であることをちゃんと知ってます。ってあれ?ベートーヴェンってやっぱ若い頃はかなりモーツァルトっぽい。スタートラインはモーツァルトなのね。ってあれ?変奏曲だ。ソナタなのに、いきなり変奏曲で始めるなんて、さすがベートーヴェン。とか思いつつもいやにモーツァルトっぽいなぁと不安に思って隣の人のプログラムをちら見したら、なあんだ、1曲目はモーツァルトだ。解決解決。
アリスさんの音は、ゴムのように弾力性があってぴたりと吸い付くような響きで、それがバスの動きに合ってて面白かったです。でも、なんだかとっても楽しそうに弾いていて、プロの演奏家というよりも(もちろん演奏のレヴェルはプロなんですけど)、ピアノを習っているお嬢さんが楽しそうにピアノを弾いている感じ。それがサラさんにとってのモーツァルトなんじゃないかって思います。

2曲目のベートーヴェンは、もちょっと真面目に、でもやっぱりうっとりとピアノの中に没入してる。音色は少し変わって弾むような重さもあってこれはベートーヴェンっぽい。ベートーヴェンってモーツァルトに比べると重心の低い音楽ですものね。アリスさんのピアノは無理なく、普段弾かれてるように弾いてるように聞こえました。やっぱりアリスさんはがしがしとオーケストラと対抗しないで、自分の裡にこもりながら弾くのが、彼女の良さが出て良いように思えます。

休憩のあとはショパンとリスト。ショパンは作品34の3つのワルツと作品64から2つのワルツ(1番と2番)。そうそう、作品64の1って「1分のワルツ」っていう表題が付いてましたが、これ、「子犬のワルツ」ですね。
ステージに小走りで出てきて、ピアノに向かって座ったかと思うと今度は間髪入れずに弾き始めました。ショパンのワルツは、彼女のCDのヴィデオ・クリップにあった湿り気のあるメランコリックな演奏になるかと思いきや、結構ドライでリアリスティックな演奏になりました。予想外。正直、わたしは、例えば、望郷の物語を彼の音楽の後ろに見えたり、何か物語を感じる演奏の方が好きなので、今日の演奏はちょっとあっさりしすぎてるように思えました。
続いてリストの超絶技巧練習曲から「夕べの調べ」と「雪嵐」。これがとっても良かったのです。わたしはピアノが弾けないので、この曲がどんなに難しいのか(もしくはわりと簡単なのか)分からないんですけど、アリスさんは無理なく弾いていて、難しいようにはちっとも聞こえない。そしてなんだか雄大で、深い深い海に呑まれるかのような感じをいだきました。それがちょっと怖かったです。落っこちたらもう2度と浮かび上がれないような気がして。そういう風に感じる演奏って滅多にないので、凄い演奏なんだと思います。
お終いの「リゴレットの主題による演奏会用パラフレーズ」はエピローグ。これはもう、ピアノの音楽を楽しむばかりの曲で、技巧的な音楽を楽しむしかありません。さらりと弾いてしまうところ、アリスさんって技術的にとっても上手い人なのかも知れません(そうは感じない、というか気がつかないんですけど)。

大きな拍手でアンコールは、「エリーゼのために」と「ラ・カンパネルラ」。実は、プロのピアニストの方が弾かれる「エリーゼのために」は初めて聴きましたが、優しく美しい曲ですね。いつも途中でつっかえたりするのを聴いていたので、ちょっと新鮮です。

今日はさすがに日本人多めですけど、アリスさん、ロンドンでも人気です。拍手も絶大で、サイン会にもいつも以上に人だかりができていました。なんかすごいです。

ただわたしは、まだ不思議な思いを抱いたままです。何かをちょっと怖れてる。
彼女はとっても音楽に没入して演奏するタイプの人だと思います。それはとっても純粋で、でもそれ故に、まだそいういことを自分自身で知覚していないのではとも感じるのです。まだまだ無垢の部分が多い。例えば、わたしの好きな若手のピアニスト、ユジャやブニアティシヴィリさんは、自分たちの持ち味、音楽を自覚して作ってる、弾いていると感じるのだけど、アリスさんからはそれをあまり感じないんです。まるで、幼子が、キラキラと輝いた目で、ショウリョウバッタの首を引っ張って抜くみたいな。大人から見るとそれは残酷で悪いことという判断ができるのだけど、子供にとってはまだ、それは遊びで、善し悪しもないし悲しいことでもない。なんだか禁じられた遊びの世界。そういう風な感じを彼女の演奏から受けたのです。なんだか純粋に楽しそうに無垢なまま音楽を演奏していてる。それはとっても素晴らしいのだけれども、子供から大人になっていろんなことが意識の中に自覚されるようになったらどんな風に変わっていくのか、楽しみでもあり危ういものも同時に感じてしまうのです。これから彼女がどのように成長していくのか、しばらく見つめていきたいと思います。
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by zerbinetta | 2011-11-22 23:54 | 室内楽・リサイタル | Comments(0)

フレッシュ・フルーツ・デザート ネゼ=セガン、ロンドン・フィル ロッシーニ「スタバト・マーテル」   

15.10.2011 @royal festival hall

beethoven: symphony no. 2
rossini: stabat mater

eri nakamura (sp), ruxandra donose (ms),
ji-min park (tn), matthew rose (bs)
yannick nézet-séguin / lp choir, lpo


またまたロンドン・フィルハーモニックのマニアック・プログラム。今日は、ベートーヴェンの交響曲第2番とロッシーニの「スタバト・マーテル」です。ベートーヴェンの交響曲は決してマイナーではないけど、第2番はそれを聴きに人が来るプログラムとは言いづらいですよね。凄くいい曲なんですが。

ベートーヴェンの交響曲第2番は、交響曲で初めてベートーヴェンになった曲。溌剌とした若々しさと共に、ベートーヴェンらしいアグレッシヴな激しい感情もあって疾風怒濤。未来に向かって鋭い目線を投げかけてる。そんな音楽をネゼ=セガンさんとロンドン・フィルは意外なほど爽快にきびきびと演奏しました。ブルックナーのときは腰を落ち着けた悠然とした演奏だったのに、ベートーヴェンのこの曲では意外な快速テンポでざーっと風が流れるような演奏で、わたしはとても気に入りました。ネゼ=セガンさん、ベートーヴェンもいい!

後半は、ロッシーニの「スタバト・マーテル」。実は今日のチケットを取ったのは、大好きな応援している指揮者のネゼ=セガンさんを聴きたかったこと(彼の音楽会はなるべく聴くようにしています)と中村恵理さんが歌うからなんです。彼女は、ロイヤル・オペラ・ハウスの若手歌手研修プログラムを修了して昨シーズンからバイエルン国立オペラ・ハウスで歌ってらっしゃるんですね。5月にはロイヤル・オペラに凱旋したのを聴いているのですけど、とってもステキな旬の若手です。
軽妙なオペラ・ブッファの作曲家、ロッシーニのまじめな宗教曲。厳粛な雰囲気で始まるけど、4人の歌手それぞれにステキな歌が用意されているのはオペラ作家ロッシーニの面目躍如。イタリア人の歌に対する感覚ってとっても凄いと思う。歌の力を完全に信じ切って信頼してる。こういう歌、上手く歌えたら本当に気持ちよさそう。
若手の歌手(メゾ・ソプラノのドノセさんはちょっと年上かな)を起用した今回の演奏は、極上のクリームのデザートのようなまろやかでとろけるような感じではなかったけど、フレッシュなフルーツのような感じは、聴いていて爽快でした。それにしても恵理さん、とっても成長しましたね。キャリアに伴う自信に満ちている感じだし、ほんと今、筍のように旬。そして今日はロンドン・フィルの合唱もとっても良かったです。アマチュアだけどしっかり練習してきた感じ。とても好印象。ネゼ=セガンさんの音楽も多分奇をてらわない感じで、オーケストラと合唱をしっかりまとめていました。しみじみと満たされた音楽会でした。大好き♥こういうの。

恵理さんとドノセさん(男声陣はわたしの位置からだとオーケストラに隠れて上手く撮れませんでした)
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by zerbinetta | 2011-10-15 05:14 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(2)

向こう側からの語りかけ 内田光子、シューベルト最後の3つのソナタ   

13.10.2011 @the concert hall, reading

schubert: piano sonata d958, d959, d960

mitsuko uchida (pf)


内田光子さんは今どうしても聴いておきたいピアニストのひとりです。ミシュランの星で言ったら、出かけてでも聴きたい3つ星。ロンドンで最も尊敬されているピアニストのひとりです。しかもシューベルト。そんなわけで隣町のリディングまでのこのこ聴きに行ってきました。ロンドン市内の地下鉄の駅から電車によるけど30分ほど。でも実は、聴きに行くの心配だったんです。迷子になるからじゃないですよ。一度来たことあるし。シューベルトの最後の3つのソナタ、この世の音楽じゃないんですもの。彼の世から聞こえてくる誰そ彼どきの音楽。万が一、向こうに引き込まれちゃったらどうしよう。そういう心配があったんです。

プログラムはD958から順番。休憩を挟んでD960です。光子さん、いつものように颯爽とステージに登場。もうそのときから音楽が始まってます。ピアノに向かったとたん、ばーんとフォルテシモの和音が叩かれて。D958は、崖の縁に立っているけれども、まだこちら側に足がついている音楽。光子さんの演奏は、予想に反して、まだまだこちら側で生きている音楽として聞こえたのです。第1楽章が力強く立派な感じで、生命の灯りががしっかり灯ってる。ときどき向こう側に行きかける瞬間がふわりと表れるけどすぐにこちら側に引き戻される。そんな感じを光子さんのピアノから聴きました。第2楽章の歌もとってもきれいで、しみじみと慈しむように歌われます。でも、もしかして別れの歌。続く第3楽章と第4楽章はあちら側とこちら側の曖昧な場所でゆらゆらと踊ってる。ちょっと押せば向こう側に落ちてしまうし、ふと我に返ってこちら側に引き戻される。足はこちら側を踏んでるんだけど。最後はこの世界に足をしっかり下ろすような強い和音で終結。ほっと我に返る。

D959では、最初、一見健康的な感じで、こちら側に戻ってきた感じ。ふっと安心する。シューベルトは前曲の最後のふたつの和音で生命を取り戻したのでしょうか。でも、シューベルトはこの頃から向こうの世界に、足音の聞こえない世界のとりこまれてしまっているような気がするのです。元気な音楽の中にも油断するとふうっと魂が抜けていってしまって幽玄の世界を彷徨うような。最後の分散和音で魂はいよいよ体から自由になってしまう。第2楽章に入るといよいよ命が明滅し始めます。そしてついに向こう側への扉が開かれてしまう。力強く弾かれる分散和音と共にあちらの光りが差し込んで来るみたいに。シューベルトの魂は飛んでしまったのでしょうか。音楽が修飾されていくのはもう再び元の世界には戻れないことを刻印するよう。スケルツォの幻想的な煌めき(宮沢賢治の詩の光りを感じます)に次いで大好きな大好きなフィナーレ。一見明るい音楽なのにとっても哀しい。すぐ口ずさみたくなるメロディなのにこの世の音楽ではない、どこかに引き込まれそうになる逢魔が時の音楽。シューベルトの音楽の中で最も不思議な音楽ではないかしら。

いよいよ、最後のソナタ、D960。別の世界に入ります。音楽は彼の世から聞こえてきます。もうそれは始めから。光子さんは弱音はそれはもう幽かに聞こえなくなることをいとわず静寂の世界に引き込むように弾きました。シューベルトの音楽は、とてもインティメイト、個人的で親密。初期の頃の作品はまるでお話しするかのように音楽が書かれてるけど、今はまるで向こう側の世界の人とお話しするよう。光子さんはまるでシューベルトとお話してるみたい。光子さんは決して何かを主張せず静かに話を聞いている。そしてわたしとシューベルトの世界を混じりけなしに橋渡ししてくれるの。そこにあるのは純粋にシューベルトの世界。光子さんは巫女。
なんか、シューベルトの音楽の解説のようになってしまって、光子さんの演奏についてはほとんど触れていないように思われたかも知れないけど、違うんです。光子さんの演奏からはシューベルトの音楽しか聞こえないんです。そしてそれは、こちらの世界と彼の世界を行き来する、不思議な世界なんです。多分この音楽をこのように演奏する人はあまりいないのではないかしら。聴いていると音楽の外見がとってもよく見える演奏はあるけど、音の後ろにある世界にまで気がつかされる演奏ってあまりないように思うんです。
そう光子さんがシューベルトの音楽を深く愛していらっしゃるのが分かる。それは、光子さんが自分が表現したいものがそこにあるからではなくて、シューベルトの語りを静かに心に受け入れて、それをそのまま表現しているから感じられるの。そしてわたしは、光子さんを通して、わたしの大事なものとしてシューベルトの音楽を愛す。この音楽のなんと奥深く美しいことでしょう。生と死の世界を自由に行き来してしまったシューベルトの見せてくれる彼の世界。まるで臨死体験したみたいな感覚にさせられる恐ろしい音楽。
光子さんはわたしにもの凄く恐ろしいものを見せてくれたのかも知れない。でもそれはそのままシューベルトの世界なのです。来年の春に、この3曲をもう一度光子さんのピアノで聴きます。そのときはどんな風に感じられるでしょうか。それは楽しみでもあり怖くもあります。渡っては行けない川を渡ってしまいそうで。死ぬときはこの曲を聴いていたい。。。
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by zerbinetta | 2011-10-13 10:47 | 室内楽・リサイタル | Comments(0)

このオーケストラ好きっ   

08.08.2011 @royal albert hall

sibelius: symphony no. 6
grieg: piano concerto
nielsen: symphony no. 4 'inextinguishable'

alice sara ott (pf)
sakari oramo / royal stockholm philharmonic orchestra


シベ超というかシベリウスの交響曲第6番、超大スキなんです。そして、2台ティンパニの乱れ打ちが超かっこいいニールセンの交響曲第4番がカップリングされてるとあれば、誰でも聴きに行きますよねっ。というわけで、夜はロイヤル・アルバート・ホールに出かけてきました。巷では暴動が始まった日ですね。全然知らなかったけど。(警察の要請である地下鉄の駅が閉鎖されているというアナウンスはありました)

いきなり冒頭からシベリウス。大好きの始まりです。振り返ってみるとわたし、あまり北欧のオーケストラを生で聴いたことがないのでした。スウェーデンのオーケストラはずうっと前にも聴いたことがあるハズなのですが、それがどこのオーケストラだったのか覚えていなくて、ヤンソンスさんの指揮でクレーメルさんとのグラスのヴァイオリン協奏曲がやたらかっこよかったとか、マーラーの交響曲第1番でピッコロ最強とか、そんなことしか覚えていないのです。ってか調べてみたら、これ、オスロ・フィルハーモニーでした。お隣のノルウェーですね。スカンディナヴィア3国が分かっていないわたし。恥だけど、消すのめんどくさいのでそのままにしておこう。ニルスはどこを旅したんだっけ?

ベタなステレオタイプの感想だけど、このスウェーデンのオーケストラ、北の国の澄んだ空気のような音がします。ヴィブラート控えめで、響きがシンプルで清廉。指揮者のオラモさんが弱音を強調したせいか、ところどころ最弱音で音が枯れることがあったけど、鏡のような湖の面のような透明な音。まさにわたしの大好きなシベリウス。森と湖と星と夜の音楽。そこでは生命さえも不純物を含まない。わたしはこの曲を聴くと、銀河鉄道の夜を思い出すのだけど、確か作曲家の吉松隆さんも同じことをおっしゃってるのを目にしてびっくりしたことがある。あの物語の透明感がシベリウスの音楽に流れていると思うんです。ハープの音色がガラスみたいでこれにもびっくり。オーケストラ全体でシベリウスの音色を作っています。わたし自身も透明な炭酸水になってしまう感じ。

2曲目はグリーグのピアノ協奏曲。ピアニストは裸足のピアニスト、アリス・サラ・オットさん。実は、これ、とっても心配してたんですね〜。わたしが前に2回、彼女のピアノを聴いた感じでは、彼女、大きな協奏曲向きじゃない印象なんです。パワーが足りない。今日の会場は、響きはいいけど大きなロイヤル・アルバート・ホールだし、グリーグのピアノ協奏曲といえば出だしからピアノが大見得を切る音楽。CDではチャイコフスキーの協奏曲も出しているようだけど、実際に会場と録音で聴くのでは聞こえ方が違うし、どうなるんだろうと。そして、その心配は見事に当たっちゃいました。アリスさん、ずいぶんがんばって弾いていたんです。でも、音量はあっても音にパワーがない。特に左手の速い動きは消えてしまう。
アリスさんは、若いし、とても良い音楽を持ってる人だと思うんですよ。ただ、大きな音楽向きではない。協奏曲では、彼女の良さが消えちゃうと思うんです。小さなホールでのリサイタルや室内楽こそが彼女の持っている繊細な美を表現できるのではないでしょうか。CDセールスのことを考えないで、彼女のまわりの人が、彼女の音楽の方向をちゃんと考えて欲しいです。バックのオーケストラは相変わらず良い音出していました。オラモさんもなんと!協奏曲なのに暗譜(普段暗譜の指揮者でも協奏曲は楽譜を見る人が多いんです)。アンコールには、リストのラ・カンパネルラ。これも会場の大きさを意識し過ぎちゃっていたかもしれません。ああ、でもアリスさんのクリームがとろけるような笑顔、今日もステキでした。

休憩のあとはニールセンの交響曲「消し難きもの」。2台のティンパニの乱れ打ちがもうゾクゾクする一見派手やかな音楽だけど、オラモさんとオーケストラはストイックに演奏していました。わたし的には一番目立っていたのが、第2ヴァイオリンのトップの人。この人がパートをぐいぐい引っ張っていたので、音楽が立体的で面白くなっていました。このオーケストラ、実は超一流というにはまだまだという感じではあるのです。十分に上手いのだけどまだそこまでではない。中堅どころという感じ。でも、自分たちの音を良く知っていて、その特徴を生かして誠実に堅実に音楽しているという感じで、とっても好感が持てました。正直、このオーケストラ好きって思いました。指揮者のオラモさんの音楽の方向ともぴたりと一致しているし、今日演奏した北欧の音楽もまさに音楽がそのものであるようにとても気持ちよく聴けました。シベリウスもニールセンもとっても印象深い名演でした。

と、ふと気がついたのですが、今日演奏された3曲はどれもスカンディナヴィアの音楽だけど、自分たちの国、スウェーデンの音楽が入ってない!というようなことをオラモさんがおっしゃってアンコールにはアルフヴェーンの「山の王」から「羊飼いの娘の踊り」。スケルツォ風の音楽で、なんだかオーケストラの人たちも自分の家に帰ってきたかのように弾いていました。トリオの前に盛大な拍手が起こりましたが、わたしも終わったと思っちゃった。それもご愛敬。とっても良い音楽会でした。

アリスさんのとろけるような笑顔
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オラモさんとオーケストラ、指揮者の右手に見える頭の禿げた人がパワフル第2ヴァイオリンのリーダー
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by zerbinetta | 2011-08-08 20:33 | 海外オーケストラ | Comments(0)