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くやしーーーベリオめーードローン 井原和子&ハイメ・ゴンザレス デュオリサイタル   

2015年8月23日 @近江楽堂

C.P.E.バッハ:トリオ・ソナタ ニ短調
H.デネリン:フルフトリニエン
G.シェルシ:いきなりのぞく 1楽章
W.F.バッハ:デュエット 変ホ長調
A.ヒナステラ:デュオ フルート、オーボエのための
L.ベリオ:セクエンツァ
G.シェルシ:いきなりのぞく 2楽章
J.S.バッハ:トリオ・ソナタ ト短調

井原和子(フルート)、ハイメ・ゴンザレス(オーボエ)
脇田英里子(チェンバロ)


フルートとオーボエのデュオ。普段ならこんな音楽会、気になっても行か(け)ない(だって、聴きたい音楽会ってものすごくたくさんあるのに身体はひとつ、お財布は軽い)んだけど、チケットをいただいたので(!)聴きに行ってきました。良かったーー。
こんな、と書いたので気を悪くした方ゴメンナサイ。だって、フルートとオーボエの組み合わせにびっくりだったんですもの。同じ楽器のデュオじゃない、木管楽器どおしのデュオ。わたしが知らないだけかもしれないけど、そんなレパートリーあんまりないよね。どんな感じになるのか想像できないのでワクワク。
今日の音楽会の主催はフルートの井原さんで、オーボエのゴンザレスさんは、井原さんのドイツ留学時代、語学学校の校舎で知り合ったそうです。井原さんは、シュトゥックハウゼンがお得意、ゴンザレスさんは、ハインツ・ホリガーさんのお弟子さん。ホリガーさん、今日本にいらしてるはずだから、来ていないかなと見回したけどいませんでした。

会場は、オペラシティの近江楽堂(実は今日まで近衞楽堂だとばかり思ってた)という石造りの教会というかシナゴーグみたいな小さな会場。お隣のタケミツメモリアルと同じように天井が高くて上から採光されています。

始まりは、バッハ・ファミリーのひとりカール・フィリップ・エマヌエルのトリオ・ソナタ。チェンバロ入りです。フルートが(音域が上なので)主役の音楽かと思っていたら、この曲は、オーボエの方が主役で、フルートの方が脇にまわってる感じ。オーボエの方が音色が強いんですね。フルートの優しさは陰で支える感じ(もちろんメロディもたくさん吹くんだけど)。でもそれだけではなくて、井原さんが、一歩下がってゴンザレスさんをたてるように控え目に吹いていたせいもあるのかもしれません。もっと前に出れば、と思いつつ。

2曲目は今日のための新作。フルートのソロです。譜面が長いので譜面台5台置き。多分わたしの見た最高記録。初めて聴く曲なので、感じたことしか言えないけど、高原の露天風呂の側を流れる小川のイメジ。木々を揺らす風の音。実際フルートには息だけの音とか空気が聞こえるような表現も。特殊奏法は出てくるけど控え目で、難しいけど、無理のない演奏して気持ちの良い音楽ではないかしら。最後の方に出てきたキーを叩いて打楽器的というかピチカート的な音が印象的(現代のフルートの奏法としてはよくあるのかもしれませんが、初めて聴いたので)。井原さんの演奏は、流石、現代音楽を吹き慣れてらっしゃるふう。技術的にとても安定していて曖昧なところはないし、何よりも音楽のイマジネイションを共有できたと感じられたのが良かったです。
そういえば、会場に着いたとき、後ろの席にかっこいい若い外国の人が座ってるなって気になっていたら、作曲者の人でした。この人、作曲家として大成していくといいな。かっこいいから。

続いて、ピッコロとオーボエの二重奏。シェルシの「いきなりのぞく」から第1楽章。なぜか数曲はさんで後半に第2楽章もあります。プログラムの前半と後半がシェルシを挟んで緩く対応しているのかな?シェルシという作曲家は、気になっていたのですが、初めて聴きます。いわゆるゲンダイ音楽(かなり変な曲を書いてたみたいなので)と思ったら、拍子抜け。性格の異なるふたつの楽器がおしゃべりするとてもかわいらしい曲。何だか鳥が囀り合うよう。メシアンのヤマナカカデンツァを思い出しちゃった(実際になんかメシアンを彷彿させたので)。後半の2楽章の方は、少しゆったりした感じの曲。歌えるメロディはないけれども、なんか優しい音楽。初シェルシでしたけど、好きになりそう。
ところで、シェルシって佐村河内事件で注目されたゴースト作曲家の大物なんですね。彼もゴースト作曲家を雇っていてシェルシの名前で作品を発表していました。佐村河内さんと違ってシェルシが今でも高く評価されているのは、きっと、彼自身、優れた作曲家であったことや彼の音楽(アイディア)が後の音楽に大きな影響を与えたからではないでしょうか。佐村河内さんと新垣さんは、様式模倣ばかりで創造性がちっともなかったから。シェルシについてはわたしは、まだまだ知らないことばかりなんだけど、秋にも彼の作品を聴く予定なので、それまでに少しでも理解を深められればいいな。

前半の最後は、バッハ・ファミリーの(人だよね?それとも他人?)ひとり、W.F.のデュエット。おっかけっこのような音楽が、ふたつの楽器の音色の違いで際だって、良い感じ。原曲は2本のフルートのデュオかな。でも、こっちの方がいいかも。

後半は、ヒナステラの曲から。この曲もフルートとオーボエのための。ヒナステラは、エスタンシアとかハープ協奏曲を偏愛してるんだけど、このデュエットもヒナステラらしい溌剌と楽しい曲。フルートとオーボエ2本だけで、こんなに世界が広がるんですね。おふたりの演奏も楽しそうでした。

オーボエ独奏のベリオの「セクエンツァ」は。。。鋭いアタックの始まりの音が聞こえた瞬間から、同じ音の持続音が。ちゃんとした音程の音楽的な音だから、あれれ、オーボエソロなのに、まさか持続音を同時に出すテクニック?なんてトンチンカンなことを思ったり。でも曲が進むにつれて、ずうっと続いているその音、機械的な音が、だんだん耳障りになってきて。誰かの携帯とか機械?それともホールの空調か何かの音。早く止めて。ゴンザレスさん頭にきて演奏止めちゃわないかな。なんて心配までして。曲は、オーボエの超絶技巧を使ったもので、それを見事に吹いていたゴンザレスさんが良かったんだけど、音が気になって音楽が頭に入りませんでした。何かの嫌がらせ?4分33秒の対偶?その音は、ゴンザレスさんが最後の音を吹き放ったとき(始まりと同じ音)にピタリと止んで。ステージの後ろから、機械(チューナーのような)を持った脇田さんが現れて種明かし。この曲もともと、ドローン(背景に流れる持続音)が伴うんですね。かーーー完全にしてやられたわ。そしてその音のせいで音楽が楽しめなかったわたし。やられた。次に聴くときはちゃんと聴きたい。(でも、言い訳すると、ドローンは機械音ではなくて楽器の音がいいなぁ。機械の倍音のない単純な音って耳障りなんだもん)

最後は、チェンバロも加わってバッハのトリオ・ソナタ。もともとはヴィオラ・ダ・ガンバのためのソナタだったのかな、それをフルートとオーボエに編曲したのだと思うけど、それを少しも感じさせない3つの楽器にピッタリはまった音楽。チェンバロはちょっと控え目だけど、フルートとオーボエの音色の違いが音楽に彩りを添えてステキなの。井原さんとゴンザレスさんが、音楽の旅を経て、対等に語り合っているのもステキ。

アンコールには、デュエットから「ジーグ」。すみません作曲者分かりません(バッハだったっけ?)。
たまたま伺った音楽会だけどとってもステキで幸せな気持ちにさせられました。会場にはお友達(楽器の生徒さん関係?)の方が多かったけど、いろんな人に聴いて欲しい音楽会でした。
それにしても、井原さんの笑顔ステキでした。かわいらしくって。
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by zerbinetta | 2015-08-23 16:06 | 室内楽・リサイタル | Comments(0)

癒えることのない幸せの傷 ロト/読響「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」   

2015年7月1日 @サントリーホール

ブーレーズ:「ノタシオン」から第1、7、4、3、2番
ベルク:ヴァイオリン協奏曲
ハイドン:十字架上のキリストの最後の7つの言葉

郷古廉(ヴァイオリン)
フランソワ=グザヴィエ・ロト/読売日本交響楽団


今日は寝不足でとっても眠たかったので、ハイドンのアダージョ7連発は厳しいなぁと思ってたら、ところがどっこい、素晴らしすぎて前のめりで聴いてた(気持ちですよ〜)。まだ、トリスタンや後半聴いてないけど、すでに今年の読響の1番にしたい。

ロトさんを聴くのは初めてです。ロンドン・シンフォニーに客演したとき聴くチャンスはあったのにチケット取らなかったんですよ〜。写真を見ておじさん?って思っちゃったんです。知らない人は若い人中心に聴いているので、でもこの人、若いんですよね。しかもユニークな活躍ぶりはあとで知るところに。痛恨。

初めて聴くロトさんは、噂に違わず凄く良い指揮者。自分の音楽をしっかり持っているし、それをオーケストラに伝えて引き出す力も持っている。そのことは、最初の「ノタシオン」から確信しました。「ノタシオン」はブーレーズの最初期(19歳!)のピアノ曲。とても短い曲の集まりなんですけど、その中から5曲を作曲家本人が選んで、超拡大して大編成のオーケストラ用に編曲しています。小さなピアノ曲とはまるで別物。小さな芋虫が変態して巨大なウワバミになったみたいな。ブーレーズさんには嫌な顔されちゃいそうだけど、メシアンに似てた。それもトランガリーラの頃の。そして音楽から来る音響の快感。色彩感豊かな読響の音もこの快感を後押ししていました。

続くベルクのヴァイオリン協奏曲の独唱者は郷古さん。ごうこすなおさんと読むらしいです。弱冠21歳のイケメン系ヴァイオリニスト、なのかな?イケメンで売り出してるのかは知らないけど(そんなことしてませんように)でもかっこよかった♡ただ音楽は、よく分からなかった、というかどこに焦点を当てていいのか分からなかった感じ。この曲を弾くにはまだ若すぎるのかなぁ。とても上手いんだけどちょっと残念。ロトさんの方も、よく分からないうちに音楽が終わってしまったという感じで、あれ?いつバッハが聞こえた?って虚を突かれてしまいました。ううむ。わたしがぼんやりしてたのかなぁ。

最後のハイドンは。もうこれは言葉を失う名演。1時間近くゆっくりした音楽(最後に激しい地震の音楽が鳴りますが)に吸い込まれるように聴いてしまうとは。眠気なんて微塵も感じさせません。凄い集中力。こんな音楽だったとは。ハイドン凄い。ロトさん凄い。読響凄い。なんか凄い凄いで言葉にも感想にもなってないんだけど、ほんとに言葉にできないような体験。
実は、ハイドンのこの曲を聴くのは初めてなんです。弦楽四重奏版はCDを持ってて何回か聴いたことはあるんですが、オーケストラ版の方は初めて。しかもわたし、弦楽四重奏版がオリジナルでオーケストラ版が編曲とずっと思っていたんですが、反対なんですね。
ロトさんって、言わずと知れたピリオド系もやる人。ご自分が組織したピリオド・オーケストラでセンセイショナルな演奏の録音を出してるみたい(興味津々としつつまだ聴いていません)。でも、モダン・オーケストラの読響にピリオド・スタイルをがちがちに求めるかと思うとそうではなく、ヴィブラートは控え目だけれども読響の(弦の)ふくよかな音色を生かした音楽作り。彩りを添える管楽器もステキ。こういう柔軟さも優れた指揮者の資質なんですね。それにしても、読響からこんなにも緊張感がありつつ和らいだ音のハイドンを聴かせてくれるなんて。読響とは相性の悪いはずのわたしも驚いて聴き入りました。
十字架に磔られて最後を迎えるキリストの音楽だけれども、古典の絵画のような今の(写実主義や表現主義を体験済みの)わたしたちには牧歌的に見える美しさを湛えた音楽。でも、これだけ心に残っているのは、音楽の真実が聖槍のように突き刺さったからでしょう。でも癒えることのないその傷は幸せの痕でもあるのです。

ロトさんの音楽はもっと聴きたい。とても相性の良かったように思える読響さんにもたくさん客演してくれないかしら。
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by zerbinetta | 2015-07-01 12:32 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

神は為し給わず オペラ「沈黙」   

2015年6月29日 @新国立劇場

松村禎三:沈黙

宮田慶子(演出)

小餅谷哲男(ロドリゴ)、黒田博(フェレイラ)
成田博之(ヴァリニャーノ)、星野淳(キチジロー)
吉田浩之(モチキ)、高橋薫子(オハル)、その他
新国立劇場合唱団

下野竜也/東京フィルハーモニー交響楽団


Z券当たって良かったーーって浮かれて、「沈黙」を観に行ったんですけど、作品の強さに圧倒されて、普通にチケットを買っても観るべき作品だったと反省。もしZ券が外れてたと思うと怖ろしい。わたしは無二の機会を逃してしまうところでした。これは、日本のオペラ愛好家なら好き嫌いを問わず、1度は観ておくべき作品でしょう。わたしには幸運の神がいました。ロドリゴに神はいなかったけど。

音楽は、とても普通に良く書けていると思うんだけど、やっぱり問題は、日本語の特性が西欧の伝統的なリズムに合わないことではないかしら。松村が書いたのは、20世紀前半の様式を発展させた感じの音楽なので、歌は、西欧の音楽に日本語をのせたみたいな感じ。そうすると、必ず母音で終わる日本語とは矛盾しちゃうんですね。あと音節(モーラ?)の等価性とか。20世紀後半の書法とか、謡みたいな日本の伝統音楽の様式を採り入れればもっと自然なものが書けたのに、と偉そうに思ったり。これどうしても気になっちゃうんです、わたし。一方管弦楽や合唱は力強くて、劇的な雰囲気を隈取っていて、オペラを観る充実感があります。

演奏は、とっても素晴らしかったです。下野さんと東京フィルのピットはめちゃくちゃ力入って劇場全体を音で包み込みました。大活躍する合唱(キリシタンの農民たち)もいつものことながら新国立劇場の合唱団が素晴らしかったです。歌手陣もひとりひとり皆が良かったです。何か、日本のオペラの問題作の真価を問うみたいな情熱に溢れた演奏で、文句の付けようもないのです。
新国立劇場の演劇部門の監督でもある宮田さんの演出は、劇場的なこの作品、オペラと言うより演劇を観たような印象、を音楽の邪魔をすることなく表現していて、細かな所作や、光りの使い方にも目が配られていました。

でも、わたしを震撼させたのは、もう今まで書いたことはどうだっていい、この作品の持つテーマです。それが直接突き刺さってきた。
わたしは、一時期クリスチャンだったので(今はいかなる神さまも信じていないけど、洗礼は一生消えない(?)から今でも公にはクリスチャン?よく分からないけど)、遠藤周作の原作は読んでいたはずです。なので、お話はだいたい知っていたはずなのです。ところが、その結論が、全然違う。それで完全に戸惑ってしまいました。ただ、そういう風にはどこにも記されていないみたいなので、わたしの(オペラを観て)感じたことが全然間違い、トンチンカンな可能性もあるのですが。

わたしは、このオペラを観て、救いは感じられなかったんです。神の存在も。そればかりか、神の不在がテーマなんじゃないかとさえ思っています。オリジナルの小説は、最後、神の言葉に促されてロドリゴが踏み絵を踏んで救われたはずです。オペラの台本では多分これは変えていない。でもわたしには、強烈に神の不在のメッセージとして伝わってきました。神は何も答えてくれない。口を閉ざしている。
神にはもう人を救う力がないんです。
ロドリゴは、最後、踏み絵を踏むか、迷います。踏み絵を踏めば拷問に掛けられている村人たちを救うことができる。そして自分も救われる。でも、クリスチャンとして死を前にした人の中には、神を信じて神の国に行く希望を持っている人もいる、すでに信仰のために殺されてしまった人がいる。その人たちのために、自分だけイェスを踏んで神を捨ててもいいのか。究極の選択ですね。どちらに転んでも、人は救われないし救えない。神ですら、どちらかを選択することによって、誰かを裏切ってしまう。光りがあるせいで影ができる。だから、神は黙っていることしかできない。神はもう在ることができない。

もしかしてわたしは、最後重要なテキストを見落としちゃったのかな?
それとも、オペラとして物語をはしょってしまったせいで、奉行やフェレイラが単純にダークサイドに落ちてしまった?
作曲者はここまで神を否定したかった?

わたしも、究極の選択には答えられないまま、呆然と神のいない世界、救いのない世界にはじき出されてしまったのです。

神の(不)在のものすごい深いテーマを持った考えさせられる問題作。ぜひ、日本のオペラとして海外でも上演して欲しい。これだけのテーマをもったオペラってそうそうないもの。
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by zerbinetta | 2015-06-29 01:35 | オペラ | Comments(0)

お能です サーリアホのクラリネット協奏曲 ダウスゴー/都響   

2015年5月29日 @サントリーホール

サーリアホ:クラリネット協奏曲「d'om le vrai sens」
ニールセン:交響曲第3番「広がりの交響曲」

カリ・クリーク(クラリネット)
半田美和子(ソプラノ)、加耒徹(バリトン)
トーマス・ダウスゴー/東京都交響楽団


先日、都響と読響の音楽会が重なってしまったので、振り替えのできた都響の音楽会を今日のに振り替えてみました。ニールセン聴きたかったし。実はニールセンの最初の3つの交響曲を聴いたことがないんですよ。サー・コリンさんがロンドン・シンフォニーとニールセン・サイクルやってたのにもかかわらず。録音でも聴いたことがないのでわたし初演。

一方のサーリアホさんの「d'om le vrai sens」は、日本初演だけれども以前イギリス初演を聴いたことがあります(わたしが聴いたときはクラリネット協奏曲とは言ってなかった)。そのときは解説も読まずにただぼんやりと聴いていたのでいい曲だなぁとのんきに感じただけなんですが、強烈な印象に残っていて、それは、かぶりつきに近い席を取っていたのだけど、座ってみると周りに誰も座ってない。えええっ、どうやらわたしが知らない間にかぶりつきの席の人は後ろの方に移動させられてるみたいなんだけど、誰も何も言わないのでぽつねんと座っていたら、クラリネットのソロの人、客席から楽器を吹きながら入ってきて、わたしの席はそのパフォーマンスをする通路になっていたんですね。クラリネットの人は近くに来るし、何であんなとこに人がというお客さんの視線を感じるし、針のむしろでした。今日はステージの後ろなので大丈夫。ステージ前のお客さんを退避させることもしてませんでした。サントリーホールはステージと客席の間にスペースがあるからですね。

「d'om le vrai sens」は、フランスの有名なタペストリー「貴婦人と一角獣」(去年かな、日本にも来ました)に想を得て作曲された作品です。タイトルの意味、「人の真なる感覚」は、タペストリーの6枚目、この曲の第6楽章「我が唯一の望みに(a mon seul désir)」のアナグラムです。謎めいた言葉が、謎めいた絵、謎めいた音楽に余韻を残します。
今回、作曲家本人を招いてのプレコンサート・トークとこの曲の解説を読んでみて、クラリネットが一角獣を表現していることに納得。クラリネットの雄叫びが、一角獣の鳴き声なんですね(一角獣がどういう風に鳴くのかは想像の範囲だけど)。そして、クラリネット奏者の動きもきっと一角獣の動きを表すのでしょう。音と視覚に訴える演劇的な、オペラのような作品。いえ、これはオペラではありません。むしろ、能。音楽のどちらかというと静的な感じ、ソリストの制限された体の動き、ソリストが踊り(演じ)謡う(演奏する)のはまさに能につながる様式。そう感じたら、むしろ、(サーリアホさんのコンセプトを壊すことになるけど)、能楽師をステージで演じさせた方がより表現の幅が出るんじゃないかなぁって思ってしまいました。そして、このタペストリーで描かれているのは、人の五感、とそれを止揚した第6の感覚。だとすると、音と視覚だけではなくて、味や手触りや匂いまでも感じられればとも妄想。カトリックのミサで香を焚くように。あとは一斉に会場で配られる飴をなめるとかwそれは冗談だけど、この曲は音楽以上の総合芸術的。こういう劇場的なコンサート・ピースもこれから増えてこないかしら。始めからセミステージドで演奏されることを前提に書かれた擬オペラみたいな。
演奏は、流石、クリークさん。相変わらず完璧なテクニックで、無音からフォルテッシモまで、低い音から高い音までシームレスに音を出してしまう凄さ。初演者だけあって(世界各地ですでに何回も演奏されています)、音楽を完璧に捉えて自分のものにしているのが窺えます。今日、前に聴いたときよりも良く分かった気になったのは、解説読んだり2度目ということもあるけど、演奏もさらにクリークさんの手の内に落ちてることもあるに違いありません。都響のサポートもとても良くて、素晴らしかったです。音楽の理解度がいつも凄いなって感じます。とてもシンプルに書かれていて(スコアを見たらとっても整理整頓されていて、この譜面にしてこの音ありです)、最後のチェレスタの永遠へと続く音の反復が印象的でした。

実は、前半でお隣に座ったおじさん(きちんとした格好の方だったのですが)の臭いが気になってしまったので、後半では席を移りました。向こう隣の人も後半いなくなっていたのでやっぱり逃げたのかな。気を取り直して。
ニールセンは、もうダウスゴーさんの自家薬籠中の音楽を完璧に知り尽くした演奏。ダウスゴーさんは、拍子を伝えるのではなく、身体で音楽の表情をオーケストラに伝えていました。ひとつひとつのフレーズ、音に、その音がなぜ今そこにそういう形であるのか全ての出自を分かっていてそれが実際に伝わってくるのです。わたしにさえ、それが分かるのだから、一緒にリハーサルを重ねてきた都響の皆さんも弾き慣れていないと思われるニールセンの音楽に迷いが見られません。都響って、ひとりひとりの奏者の上手さは、読響とか他のオーケストラの後塵を拝するところもあるけれども、アンサンブルのまとまりは群を抜いていますね。それと音楽の理解力。指揮者の音楽をちゃんと音にできるところがステキです。今日もダウスゴーさんにしっかり付いて行って、それは素晴らしい演奏でした。リスク・テイキングなところも厭わずに攻めて行ってたのもとってもスカッとしました。ダウスゴーさんもびっくりの(だってオーケストラがあまり演奏したことのない作曲家の音楽を音にするのって難しいもの(バーンスタインも昔、ウィーン・フィルのマーラーに手を焼いていましたね))会心の出来ではなかったでしょうか。少なくともわたしはそう思いました。
ダウスゴーさんにはぜひまた、都響を振りに来て欲しいです。ニールセン・サイクルとかやってくれないかなぁ。
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by zerbinetta | 2015-05-29 00:31 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

見た!ブルックナー・トイレ! カンブルラン/読響 ブルックナー7   

2015年4月10日 @サントリーホール

リーム:厳粛な歌 ー歌曲付き
ブルックナー:交響曲第7番

小森輝彦(バリトン)
シルヴァン・カンブルラン/読売日本交響楽団


どうやらわたし、読響とはとても相性悪いかも。と思いました。結構たくさんの人がこのオーケストラはいいとおっしゃるのだけど、わたしにはどうもそんなに上手いようには思えなくて。コンサートマスターが日下さんのときはわたしもいい感じとは思ったんだけど。。。今日は弦楽器とホルン、ワーグナーチューバはとても良かったのにね。
と、珍しくオーケストラ評から書いてみました。

今日はブルックナー。カンブルランさんのブルックナーってなんか想像できないんだけど。ってね。カンブルランさんは1度しか聴いたことなくて、それも「トゥランガリーラ」だったので勝手にゲンダイ音楽系の指揮者だと思っていました。実は彼のことちっとも知らないんですよ。

サントリーホールは、結構空席が目立ちました。ちょっとびっくり。「トリスタン」の安い席を確保するために会員になったのにこれなら1回券で良かったかなーなんてセコイことを。でも、シーズン通してちゃんと聴けるからいいよね。ブルックナーだからお客さん少ないのかな、とわたしは思ったんだけどどうやら前半のリームのせいでお客さんが少なかったらしい。同時代の音楽が苦手というか拒否する人が多いのね?もったいない。音楽会って音楽文化の創造の場だからむしろどしどし新しい音楽を演奏すべきなのにね。どこかの国のように、助成金を得るには(日本は助成金出してないんだっけ?)、音楽会の何割かは自国の(新しい)作品を含めるとかすればいいのに。

でも、リームさんの曲ってそんなに聴きづらい音楽ではないです。普通に暮らしていれば普段耳にすることもある程度の音楽。映画やテレビで流れてる音楽だってずいぶん前衛的な音楽あるからね。わたしたちはすでに知らずにそういう音楽に耳馴染んでる。
オーケストラは、ヴァイオリンが除かれていて、いつものヴァイオリンの席にはクラリネットやその後ろにファゴット。管楽器も高い音のフルートやオーボエ、トランペットが使われてないのね。オーケストラの低い音の楽器による響きが、ちょっとワーグナーチックな重暗い雰囲気を湛えます。何か懐かしさを感じるのは、音楽が、元が分からないくらいのとても短い引用の断片でできてるからでしょうか。でもその響きに聞き覚えを感じたんです。あっ、ラヴェルっぽいとか。歌付き、ということなんですが、歌が出てきたのは最後の方の曲。バリトンの小森さんがとっても素晴らしかった。初めて聴く曲なので、演奏の良し悪しは分からないんだけど、少し中弛みをした部分もあったように思えるけど、わたし的には、響きの紡ぎ出し方の良いステキな演奏に聞こえました。この曲聴けて良かったもの、と思えたから(実は遅刻しかけてた)。

休憩時間に外に出ると、おおお!男子トイレに長蛇の列!これが噂のブルックナートイレかぁ。でも、交響曲第7番はそんなに長くないし、前半も短めだったので、トイレに行くこともないと思うんだけど。もしかすると交響曲第8番のときはもっと長い列になるのかな。見てみたいなぁ。(ちなみに、ブルックナーをやると男たちが集まるのは日本特異の現象みたいです)

で、いよいよブルックナー。弦のトレモロが始まって、うう、美しいトレモロ。今日のブルックナー、弦楽器、特にトレモロが良かったんですよ。そしてチェロとホルンの歌い出しの息の長い旋律にカンブルランさんの音楽の捉え方を聴いた気がしました。フレーズを2つ単位でとるというか、4/4(4つ振り)ではなくて2/2(2つ振り)で感じる振り方、弾き方。もちろん実際に指揮者が2つ振りにしているわけではないけど、フレーズのまとまり方がそういう風に聞こえたの。流れを重視してるんだと思うのだけど、わたし的には、つるつると流れ過ぎちゃって喉ごし爽やかだけど味にコクがないな〜なんてビールの宣伝のように感じました。でも、音楽はスタイリッシュで、澄んでいるけど重さもあってカンブルランさんの考えているとおり。木管楽器にちょっと色不足が感じられたり、全体的にオーケストラの弱さが出てしまったけど、読響は誠意を持ってカンブルランさんの音楽を音にしていたと思います。そういう意味では、カンブルランさんのやりたい音楽がよく分かった良い演奏でした。わたしの好きなタイプのブルックナーじゃないけどやりたいことの伝わる演奏って好き。第1楽章の最後のアチェレランドなど、それにしてもブルヲタさんの神経を逆撫でするような演奏でしたね〜。ブルヲタさんは来てないかもしれないけど。。。

あとで人づてに聞いたら、この演奏だいぶテンポが速かったみたいですね(1時間を切ったの?)。わたしは速めのテンポだな(特に第2楽章)とは感じたけど、速すぎるとは思いませんでした。むしろそんなに速かったのかとびっくりしたくらい。わたしはテンポのことよりも、全体的な構成が音楽をひとつの枠、フォルムのある交響曲として枠の中にあるものと捉えられていることが気になりました。もちろん、ブルックナーの交響曲ってブラームスのような絶対音楽で決してロマンティックじゃない構造的な音楽だとは思うんだけど、と、同時に(矛盾してるけど)宇宙に向かって解放されてると思うんです。閉じてないものを閉じてるように捉えているのが、わたしとは別の道かな、と。

一番良かったのは、この雄大な音楽の中にあって短いし、軽いと言われてるフィナーレ。3つの性格の異なる主題をテキパキと上手くまとめて愉しい音楽にしていました。金管楽器の開放的な響き(ちょっと音が汚かったこともあるけど)もステキ。ブルックナーの遊び心が素直に表現されていてこれはいいねを押したくなりました。

わたしの好みの演奏ではなかったけど、とっても面白かったので満足。面白いは正義!
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by zerbinetta | 2015-04-10 00:16 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

これがご近所さんだったらなぁ 神奈川フィル音楽堂シリーズ   

2015年2月14日 @神奈川県立音楽堂

リゲティ:ミステリー・オヴ・ザ・マカブル
ハイドン:チェロ協奏曲第1番
ハイドン:交響曲第60番「うかつ者」

半田美和子(ソプラノ)
門脇大樹(チェロ)
川瀬賢太郎/神奈川フィルハーモニー管弦楽団


前から一度聴いてみたかった、川瀬さんと神奈川フィル、ヴァレンタインの日にハイドンのシリーズがあるというので何も考えずにチケット取ってました。「マカブル」もやるし、県立音楽堂って良いホールそうだから行ってみたかったし。でも、家からずいぶん遠かった〜〜。しかも駅からも遠かったし、道不安だったし。でも、お天気良かったから良かった〜。帰りには中華街にも寄ってきたし。やっぱり食い気。

楽しい音楽会。1番良かったのは、半田さんが歌った「ミステリー・オヴ・ザ・マカブル」。半田さんは初めて聴いたけど、とてもステキ。荒唐無稽でナンセンスな歌を自在にそして(とてもポジティヴな意味で)まるでリートのように歌ってやっぱりちゃんと歌なんだって思えたのが収穫。超高音とかウルトラCパッセージとか人を超えたヴォーカロイドチックな声の扱いも多い曲なのに何だか人肌の温もりを感じました。指揮者との掛け合いやコミカルな小芝居も楽しくて、日本語でのやりとりも吉。半田さんのゲポポでオペラ全曲観たくなりました。どこかでやってくれないかなぁ。神奈川フィルの小さなアンサンブルもなかなかステキ。あとで聴くハイドンのときは、まだオーケストラに深みがないというか少しボロが出た感じなんですけど、技術的には難しくても、感覚的に無理なく理解できる同じ時代の言語による音楽の方が演奏しやすいんじゃないかと思いました。

ハイドンは、神奈川フィルの首席奏者の門脇さんをソリストにしたチェロ協奏曲。中の人だけに、競奏曲ではなくて気の置けない感じの協奏曲になっていました。基本的に、ホールのこぢんまりさやハイドンってこともあるのかもしれないけど、オーケストラとお客さんがアットホームな雰囲気がありました。

うかつ者、なんてわたしにぴったりの交響曲も正直、表現や音色が単調でまだまだだと思いました。愉しいんだけど、ほんとはもっと愉しいんだ。ハイドンが仕掛けた冗談は愉しいんだけど、ハイドンの音楽ってもっとそこここに愉しさがあるはず。ハイドンの音楽をまだ全部知り尽くしてないような、楽譜の表だけじゃなく裏も読まなきゃって思いました。わたしたちとはもう言葉も違う古典なので、音符の言葉を丁寧に読まなければいけないんですね。音符を音にするだけでは足りなくて、音符にはできないニュアンスを表現しなければいけないんだけど、そのニュアンスの付け方が少し一本調子なように感じました。でもでも〜〜なんかステキなオーケストラ。帰り際もオーケストラのメンバーさんたちがホールの入り口に来てくれたり、ホールのカフェ?というかお茶コーナーが近所の婦人会のお手伝いっぽかったり、とても素朴なでも心温まるおもてなし。うちが近所だったら絶対ホームオーケストラにするっ!横浜は遠いのでめったに聴きに行けないのが残念。でも、遠くから応援します。そしてたまには聴きに行くよ〜〜。
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by zerbinetta | 2015-02-14 20:43 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

学校って好きかも 東京藝術大学奏楽堂モーニング・コンサート第12回   

2014年11月27日 @東京藝術大学奏楽堂

ドルマン:フローズン・イン・タイム
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲

石若駿(打楽器)
三輪莉子(ヴァイオリン)
ダグラス・ボストック/藝大フィルハーモニア


この間聴いた、藝大シンフォニーオーケストラがとっても良かったので前から気になっていた、東京藝大の公開学内コンサート、モーニング・コンサートに都合を付けて行ってきました。朝11からの音楽会。主に学生のソリストをフィーチャーして行う協奏曲の音楽会です。第12回ですが、これは今年の。また新学期から第1回と数え直しです。実は、今日演奏する藝大フィルハーモニアって、名前がこの間と違ってるんだけど、それには気がつかないで、学生のオーケストラだと思っていました。そしたら違う。芸大の教師や研究員からなるプロのオーケストラです。それをバックに、学生に協奏曲のソロを弾かせる機会を与える音楽会、と言えそうです。先生の伴奏で弾く学生。結構緊張しそう。
今日は、打楽器のソロとヴァイオリンのソロ。プログラムの楽曲解説はご本人たちが書いています。

「フローズン・イン・タイム」は、1975年生まれのドルマンさんの作品(打楽器協奏曲にはそもそも古い作品はないですね)。3つの楽章それぞれに「インドアフリカ」「ユーラシア」「南北アメリカ」と大陸の名前が付いています。そのイメジ?
わたし、打楽器フェチとか言ってるくせに、オーケストラの中で音楽をリードする打楽器が上手というのは何となく分かるんだけど、たくさんの打楽器に囲まれて名人芸をする打楽器ストの上手さって、ただ唖然と見てる(聴いてる)だけでよく分からないんです。なので、凄いなぁと言う感想だけで、この演奏が素晴らしいのかどうかはよく分からないという体たらく。いや凄いなぁというのは素直な感想なんですけど。ただ、たくさんの打楽器が同じように演奏されて、個々の違う楽器の個性のカドがもっと際立っていたら良かったな、って思いました。
演奏後は指揮のボストックさんが、石若さんを讃えて、オーケストラの人たちの顔も優秀な学生を見る先生の顔、というのが普段の音楽会にない面白かったことです。

ブラームスのヴァイオリン協奏曲は、三輪さん。とても音程の良いきれいな音で弾く人でした。上手いと思いました。コンクールなんかに出れば、特に欠点がないので審査員に良い点を付けられて高順位にいく感じ。でもね。何か物足りないのよ。楽譜を丁寧に音にしてるんだけど、音になる前の、楽譜に音符が書き込まれる前の作曲家の魂への探求みたいな、ちょっと抽象的ですけど、そういう何かを掴むような格闘みたいな。なのかすでに答えのあるもの、答えを与えられたもの、を弾いている感じで、じゃあ、あなたのブラームスは?楽譜から何を読み取ってあなたはどう弾くの?という部分が弱いように感じました。減点式の審査なら高得点付けるけど、最終審査では上位にいかない、音楽にとって最も大事なプラス・アルファの魅力が足りないのがもったいないと思ったんです。彼女はとても良く考えていると思います。ただまだそれを表に出していくのができていないんだろうというのが素直な感想です。あとほんのちょっぴり。勇気を出して、殻を破って。

ホールを出ると、おじさんが若い人たちに小さな紙を配っていました。何かな?って一瞬思って、!!、そうか!出席票?聴くことは音楽大学の授業の一環だったのね。いいな〜。わたしも音楽大学で音楽の勉強してみたかった(なあんにもできないんですけど)。
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by zerbinetta | 2014-11-27 23:25 | 日本のオーケストラ | Comments(7)

まったりと睡眠の時間 小泉/都響 ブルックナー2   

2014年9月19日 @東京芸術劇場

エロード:ヴィオラ協奏曲
ブルックナー;交響曲第2番

鈴木学(ヴィオラ)
小泉和裕/東京都交響楽団


三浦さんのあとは、都響です。ブルックナーの交響曲第2番。ブルックナーの交響曲は、0番や00番はほっといて、今まで2番以外は全部聴いたので、ついに今日、わたしのブルックナー・サイクルが完成です。初稿はまだだよ、なんてブルヲタさんたちに言われなきゃですが。。。

最初にエロードさんのヴィオラ協奏曲。エロードさんって、バレエ・ファンにはお馴染みの「リーズの結婚」の作曲者かと思ったら、1936年ブダペスト生まれでウィーンで活躍している作曲家でした。独奏は都響のトップ、鈴木さんです。鈴木さんって何となく外国の人に見えますね。遠くから見ているからかしら(しかも目が悪い)。
エロードさんのヴィオラ協奏曲は最近の作品。ですが、調性的で3和音が響く仄かにロマンティックな曲。とても聴きやすくてきれいな音楽。ヴィオラとオーケストラの協奏曲ってヴァイオリンに比べて少ないし、普通に聴きやすい曲があまりないので、空白を埋める曲として良いのではないかしらんと思いました。日陰者のヴィオリスト(びよりすと)さんたちには、音楽会に普通にかけられるレパートリーが増えて良いことだし。せっかく、優秀なヴィオリストってたくさんいるのに、オーケストラの協奏が、ヴァイオリンの人とのモーツァルトやヴィオラよりオーケストラが目立つ「イタリアのハロルド」だけじゃ悲しいものね。かといって、優秀なヴィオリストの台頭により最近書かれるようになった前衛的な作品だと、「そんな曲は特別な音楽会でやってブラームスの交響曲と一緒に定期でやるな」って言われかねないしね(実際にそういうこと言う人いるらしいんですよ〜〜嫌ね〜〜)。エロードさんの曲は、ヴィオリストとお客さんのどちらも幸せにする曲ではないかと思います。たくさんのヴィオリストに弾かれて重要なレパートリーのひとつに定着すればいいな。
でも、こういう美しい音楽で、初めて聴く、まだ聴き慣れない音楽は、眠気を誘うのも事実みたいです。協奏曲と言ってもヴァイオリンのみたいに派手でなくやっぱりヴィオラですから。わたしの周りの人みんな寝てましたw鈴木さんの演奏とても良かったし、良い曲だったのにもったいな〜い。

ブルックナーの交響曲は、実は正直なんだかよく分かりませんでした。わたしは、ブルックナーに対して強い思い入れはないし、CDでもこの曲はほとんど聴いていなかったので(わたしのブルックナーは交響曲第4番からです)、この曲への愛も理解も足りないせいだと思うのだけど、未熟な筆致で書かれた素人作家の小説みたいで、話があっち行ったりこっちに来たり、わたし、今どこ?みたいな。オーケストラは誠実に演奏してたと思うんです。小泉さんも、なにも足さず何も引かず、楽譜をあるがままに。多分そこがいけなかったんじゃないかな。後期の作品ならまだしも、構成がゆるいと思われるこの曲は、何か仕掛けた方が良いのでは、と。まあ、わたしにブルックナーは語れませんが。。。多分合ってると思う。小泉さん、初めて聴くのにごめんなさい。
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by zerbinetta | 2014-09-19 23:58 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

シベリウス ー現代音楽へのもうひとつの源流 サントリーホール国際作曲家委嘱シリーズ   

2014年8月21日 @サントリーホール

クリストフ・ベルトラン:マナ
パスカル・デュサパン:弦楽四重奏曲第6番「ヒンターランド」
シベリウス:交響詩「タピオラ」
パスカル・デュサパン:風に耳をすませば

ナターシャ・ベトリンスキー(メゾソプラノ)
アルディッティ弦楽四重奏団
アレクサンダー・リープライヒ/東京交響楽団


去年も抽選で当たったサントリー芸術財団のサマーフェスティバル。今年も応募したらまた当たりました!そして何と!去年と同じ席!ここはわたしの指定席?来年は3匹目のドジョウが同じ席でわたしを待っていてくれてるのかしら。
今年は、木戸敏郎さんがプロデュースで、テーマ作曲家(監修は細川俊夫さん)はパスカル・デュサパンさん。くじのあった音楽会は、デュサパンさんの管弦楽の回。しくじったのは、シュトックハウゼンの「暦年」、雅楽版と管弦楽版が演奏されたのを聴き逃したこと。シュトックハウゼンってちょっとハードルが高いのね(ピアノ曲Xは好きです)。及び腰になっちゃった。くやしいぃ。

現代音楽の音楽会というと、外国では髪を立てたりまっ赤に染めたお兄さんお姉さんが付きものだけど、日本ではいつもの音楽会とあまり雰囲気変わらないのね。とんがった若者よ、もっとアンテナ敏感にして!ハイソ(ってw)なホールでのクラシック音楽会だってほんの一部の特別なのを除いては誰でも入れるんだから。

プレコンサート・トークがあるのをすっかり忘れていて、途中から慌てて入ったのですが、そこでは細川さんとデュサパンさんの会話が佳境を迎えたところでした。うううう

最初の81年生まれのベルトランの「マナ」という曲は、彼が24歳の時、初めて書いたオーケストラのための作品ということです。マナというのは、空から降ってくる食べ物のことではなく、ガメラに出てくる古代オセアニアの超自然のエネルギー(?)のことです。これがすごく良かった。初めてオーケストラ曲を書いた人の作品とは思えぬ色彩感と、建築物のような構造感。2群に分けられたオーケストラの間を音が駆け巡り、さらに重層する小さな構造の組み細工がステキなの。真の天才だわ。これからの彼の作品、どうなるんでしょう、もっと聴きたいと思ったけど、痛恨、ベルトランは数年前、30歳の誕生日を待たずに亡くなっていたのでした。ショック

2曲目は、デュサパンさんの弦楽四重奏曲第6番。弦楽四重奏曲なのにオーケストラ付き。不思議な組み合わせだけど、弦楽四重奏のための協奏曲?いいえ、弦楽四重奏を伴ったオーケストラ曲?いいえ。オーケストラを伴った弦楽四重奏曲でした。弦楽四重奏とオーケストラは対峙するのではなく、オーケストラは弦楽四重奏を補うように書かれていて、弦楽四重奏にできないことを、痒いところに手が届く孫の手のようにオーケストラが補完します。それ自体の発想はとてもユニークで、音楽は、いわゆるメロディのない調性もない現代音楽なんだけれども、雰囲気は良くて、耳障りではなく、分かったかと聞かれれば1回聴いただけではよく分からなかったんだけど、惹かれる音楽でした。そして音楽の解き明かしに、休憩のあとで邂逅したのでした。アルディッティ弦楽四重奏団の演奏は、流石。彼らを想定して書かれた曲だし、長い間作曲家との共同作業をしてきているので自家薬籠中。全く隙がない、スタイルを確立した演奏は、作曲者も幸せではないかしら。

休憩のあとは、シベリウスの「タピオラ」。シベリウスの最後の大きな作品。ちん入者のようにここに置かれた作品は、単に作曲家が好きだからという理由以上に音楽のつながりを感じたのでした。リープライヒさんと東京交響楽団の演奏は、えええっっ!シベリウスってこんな曲だったっけ?というシベリウスの演奏としては違和感ありありで、むしろトンデモ演奏であったような気がします。シベリウスの持つ叙情性が欠けていて、骨組みだけが残ったみたいな。まるで現代音楽。でも、そのためにかえって、今日演奏された他の曲とのつながりが見えてきて、今まで気がつかなかったシベリウスの前衛性がさらけ出されたと思います。シベリウスのみではXだけど音楽会全体としては○、みたいな。違和感なくピッタリと正しい場所にはまっていた感じ。
シベリウスの音楽の前衛性は、一言で言うと、その特異な構造(形式?)にあるような気がします。短い細胞に細分化されて積み重ねられる音。点描的だけどウェーベルンのとは違って構造そのものが点描。そういう構造の組み細工が、今日演奏された他の曲とよく似ているの。シェーンベルクが調性を無力化したように、ストラヴィンスキーがリズムを解き放ったように、シベリウスは構造(テクスチュア)を分割して現代の音楽への道筋を作ったと言ったら言い過ぎでしょうか。多分そうでしょう。シベリウスの音楽の後世への影響ってあからさまではないし。でも、多層の構造の音楽ってミニマリズムに通じるところもあるし、何よりもベルトランさんやデュサパンさんの音楽とも意識的に共通性があると思うの。

目から鱗のシベリウスの次に最後に演奏されたのは、「風に耳をすませば」。なんか爽やかアニメ系のタイトルみたい。サントリーホールの委嘱作品で今日が初演。来年、初演される予定のオペラ「ペンデジレーア」(オペラの原作のタイトルが「風に耳をすませば」という悲劇)をメゾソプラノとオーケストラのための組曲に再構成したもの。オペラの中の3つの異なる声の役をひとりの声に集約しているので、音程の幅が広く、ちょっと大変そう。
わたし、(口ずさめるような)歌が否定された前衛音楽ではオペラはもう難しいといつも思ってて、変に妥協した作品にはうんざりなんだけど、「風に耳をすませば」を聴いて、オペラもまだ可能性はあるのかもって思えました。基本的にメロディはないんだけど、声の扱いが自然でオペラとして聴いても楽しめそうだと思えたんです。始まりと終わりにある(オペラの中ではライトモチーフのように使われるそうですけど)静かな子守歌のメロディ(唯一聞こえる口ずさめるメロディ)がとっても印象的でモノクロームの映画を観るようで。
演奏も良かったです。東京交響楽団は安定していたし、ペトリンスキーさんは、性格の違う音域の広い大変な歌を大らかに歌ってくれました。最後の歌は母性でしょうか。

毎年面白そうな企画で楽しませてくれる、サントリー芸術財団のサマーフェスティバル、来年はもっとしっかり参加しようと思います。くじも当てて同じ席取るぞーー。
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by zerbinetta | 2014-08-21 02:07 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

同窓会! 麻布学園管弦楽部OBオーケストラ設立記念演奏会   

2014年8月10日 @練馬文化センター こぶしホール

黒田崇宏:multi processing II
ドヴォルジャーク:チェロ協奏曲
チャイコフスキー:交響曲第5番

秋津瑞貴(チェロ)
鈴木優人/麻布学園管弦楽部OBオーケストラ


今年はいろんなタイプ(コンセプト)のアマチュア・オーケストラを聴くのをゆるやかな目標にしてるんだけど、今日は、新しくできたオーケストラの創立公演。というのと、BCJでの鍵盤や横浜シンフォニエッタでの指揮者としても活躍中の鈴木さん一家の息子さん、優人さんの指揮を聴きたいというのもその理由でした。麻布学園管弦楽部のOBのオーケストラ。麻布学園はよく知らないんだけど高校?卒業生関係や父兄さんと思われる方も多くいたみたい。優人さんもこの学校の卒業生なんですね。父兄さんもいらしてました。
優人さんのお話によると麻布学園は男子校だそう。でも、ステージの上には女子も。ということで、純粋卒業生だけではなくてそのつながりの人もいるそう。最初、学校の卒業生で結成されたオーケストラでも時がたつにつれて友達とか卒業生以外の人たちも参加するオーケストラも多いので、華を求めたわけではないと思うけど最初からいろんな人が混じっているのが、これからこのオーケストラがどんなコンセプトになっていくのか興味深いところだし(麻布学園色を維持するのか、普通の社会人オーケストラ的にするのか、とか)、アマチュア・オーケストラの運営を長く続けていく上で難しいところなのでしょうね。

音楽会は、このオーケストラが委嘱した新曲の初演から。作曲の黒田さんは、麻布学園のOBで現在は東京藝術大学の大学院生。曲は、ギターのピックで弦をはじく弦楽器の刻みの上に不規則な音の線が抽象画のように引かれるみたいな感じで、チャイコフスキーの曲がチラリと聞こえたり、でも、わりとありがちな感じで、頭で書かれてはいるけど、まだちょっと足らない満たされない気持ち。ドライになりすぎて友達になれないみたいな。いわゆる、初対面はツン。正直、よく分かりませんでした。演奏する方も、いきなりこれでは合わせるのがやっと、必死に数えてるヴァイオリンの女の子、ときどき落ちたりしてました。これは挑戦ですよね。ロマン派の曲なんかは、たくさん聴くし、歌えるから分かる(音楽を分かるってどういうことだろう?難しく考えないで)というか弾けると思うけど、現代曲はみんながそれほど聴いていないだろうし、そこに至るまでの音楽を消化していないととりつく島がないと思うんです。楽譜通りに合わせることができても、音楽にできるかどうかはかなり難しいんじゃないかって思います。だから、この新しい曲の評価は、今日の演奏だけからは避けるとしても、別の見方をすれば、初演がこのアマチュアのオーケストラに委ねられてるとすれば、このオーケストラが演奏して効果が得られる音楽を作った方が良かったんじゃないかと思ったんです。自分の芸術のために信念を曲げない、というのもありのようでいて、昔の大作曲家さんたちも、依頼主や演奏される音楽家の顔に向いて音楽を生み出してきたんだし、作曲は独り仕事だけど、音楽ってそれを演奏する人とのコミュニケイションが他の芸術にはない枷であるし、魅力だと思うんですね。ちょっぴり場違いかなと感じたし、お互いにもったいないと思うのです。

2曲目は、やっぱり麻布学園のOBの秋津さんをソロに迎えてのドヴォルザークのチェロ協奏曲。この方は、東京藝大の大学院を去年卒業された方。オレがオレがのタイプじゃなさそうで、はったり半分の迫力はないけど、丁寧な歌い回しで良かったです。わたしは、ドヴォルザークはもう少し、ねっとりと幅広く歌うのが好みなのだけど、さらりと端正なのは、ちょっと学生っぽくて、ご本人のフレッシュな風貌とぴったりで納得。爽やか系ドヴォルザーク。この人はオーケストラをバックじゃなくて、室内楽に向いていそう。
アンコールには、バッハの無伴奏組曲の第6番から。わたしはチェロは弾けないけど、見た感じ独特な指使いで、ちょっとユニークな感じのバッハでした。あとでプログラムを見たら、彼、バッハの無伴奏の指運で論文書いていらっしゃるのね。これも納得。無伴奏、全部聴いてみたいと思いました。

最後は、チャイコフスキーの交響曲第5番。この間も聴きましたね〜。優人さんの演奏は、若いオーケストラから彼らの音楽を引き出すように、押しつけがましくなくドライヴして、みんなで音楽を作っていこうってことに重きを置いた感じ。優人さんの個性が光ると言うより、みんなの音楽。ちょっと気がついたことと言えば、第1楽章の伴奏の音をわりと短く刈り込んで行進曲風なのを強調したことかな。1曲目の曲で落ちてたヴァイオリンの子、ものすごく楽しそうに弾いてて、音楽をするってこういうことよね(いいえ、もちろん、難しい曲に挑戦して必死に弾くのも楽しい音楽ですが)、と、気持ちよかった。このオーケストラ、まだまだどのようになっていくのか分からないですけど、今日の初心(今日が初心よね)を忘れずに、いつまでも楽しく音楽でつながっている同じ釜の飯オーケストラでいてと願っています。楽しい音楽の時間は、続けなきゃ。

アンコールには、優人さんの挨拶があって、「校歌」!会場の父兄さんたちも歌うのだけど、ごめんなさい、わたしはこういうの苦手。USにいたときもシーズン・オープニング・コンサートか何かでUS国歌歌えなかったし(歌詞を知らない)、プロムスでもみんなで歌う英国国歌とか歌えなかったし、唯一歌える日本の国歌は、歌わない主義なので歌わないし、というかそんな機会もない、ダメなんですよ、みんなで歌うシリーズ。もちろんわたしがいけないんだし、今日はわたしの方がちん入者なんですけどね。ちょっと学校行事のノリ。いや〜〜、優人さんにこにこと楽しげでした。高校時代に(みんな)帰ったんでしょうね。
そして本当の最後は、ラデッキー行進曲。うわ〜〜これいいい。なんかウィーンのニュウ・イヤー・コンサートみたい。ぎこちなくも手拍子打って(しょうがないよね、慣れてないもん)楽しく音楽会は終わったのでした。
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by zerbinetta | 2014-08-10 01:45 | アマチュア | Comments(0)