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祝☆交響曲第266番   

他所の国のロイヤル・ベイビーのお誕生も祝さないでわたしの祝はこちらです。
この間(7月2日)のエントリーで、交響曲を1番たくさん書いた人は、USのテイラーという人で265曲、それを追って、セーゲルスタムさんがただ今、交響曲第265番を作曲中と書いたんだけど、今日現在、セーゲルスタムさんは、交響曲第266番を書き終えて、
パンカパーーン♫(って古すぎ?)
最多交響曲の記録更新です!現在267番を作曲中。今年の末にはいったいいくつに記録を伸ばしているか楽しみですねっ。

でも、ほんとにセーゲルスタムさんに番号付き交響曲が300曲近くあるのか?どこかごまかしていないか(モーツァルトだって最初の数曲は違う人の曲だし)って、彼の作品リストを調べてみましたよ(なんたる暇人)。
その結果、水増しなーーーし。交響曲第1番だけが見つからなかったんだけど、多分、1977年から8年にかけて書かれた番号なしの緩徐楽章の交響曲がそれに当たるのでしょう。それから、第X番はホルン協奏曲のような作品のようです。ホルンと言えば、第103番のように4−103本のホルン(なんて大ざっぱな数)を使うのもあったり(ホルンのアレクサンダー103を吹く人のために書かれたの。できたらプレッツェルの形に並んで座るんだって)。とはいえヘンな編成では第111番のとっても大きい合唱(2−3千人までOKだって)を伴うものの他、声のソロを伴う曲がいくつかあるくらいで、ほとんどはピアノを含む普通の編成のオーケストラ。
演奏時間は、第65番以降、5曲くらいを除いて24分。セーゲルスタムさんのアイドル、シベリウスの最後の偉大な交響曲がおよそこのくらいの長さなので、それに準じてるとのことだそうです。

セーゲルスタムさんの膨大な交響曲にはたいてい英語でタイトルが付いていて、しかもそれが何ともユニーク。フィンランド語を交えたような造語もあって意味がよく分からないのも多いのだけど、第104番は「ah, finalmente!…」(あっこれはイタリア語かスペイン語か)、次の105番は「pa-pá, pá-pa-passing…」。これらはハイドン(交響曲を104番まで書いた)に引っかけてるよね。第50番は「before 60」、51番は「after 50」、60番は「before 70」、70番は「before 80」、71番は「after 70」。73番は「1 after 72」、切りがないのでもうよそう。人生を感じさせる第187番「autumnal leif-live-leaves…」、264番「2b-eijing, aaaaa; nononononono::now!!!…」、265番「ei! no!, ei-no lei(f)-no… despite 2x grandiose masses of morte!…(more tea… hahhahh)…」、なぜか日本を引用したのもあって第59番「in a baggage to japan…」とか146番「oh-ja-panese-ger-man…」、244番「musical northlightbeams sending comforting vibrations to the screaming japanese souls caught in their nightmare…」(これは東日本大震災の原発事故のかな)、スドクがお好きなようで、第153番「sudokushes…」、197番「su-doku.9.com/posing12…」。1番長いタイトルは第228番の「Cooling my beard too (2) on "Sval"bard, "Spit"sbergen farewelling (on the "seal"ed waters) the blinding "spittingly" ice- (& eyes) cracking Sun (setstart on 22.8...!) with my Son (J. S.) remembering nostalgically "lace"- (spets-) coverings of (e.g.) Venusmountains as well as all those got... (lays...) - It is very windy on the tops, "the picked peaks for peeking into the ∞s...", "spets"-listening too... 2... 8!」ですね。もちろん、わたしたちに1番親しみのあるのは今年東京で初演された第252番の「surfing on higg's bosons to kepler-22b…」かしら。

驚くべきことに、彼の300曲近くある交響曲の半分くらいは演奏されているんです。ただ自己満足で書き散らされただけじゃないの。しかもいろんな国で。多分ほとんどが、セーゲルスタムさんが客演したオーケストラで演奏してるんだと思うんだけど。日本でも4曲か5曲、東京、大阪、札幌で初演されていますね。短いから音楽会のプログラムに挟みやすいということはあるけど、なかなか凄いです。

セーゲルスタムさんは末永く元気に交響曲を作曲し続けて、誰にも超えられない伝説を作って欲しいです。

セーゲルスタムさん、聴いてみたくなったでしょ。ネットに上がってたのいくつかリンクしますね。

交響曲第151番 前半真ん中後半
交響曲第173番 前半後半
交響曲第212番 前半後半
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by zerbinetta | 2013-07-23 23:18 | 随想 | Comments(0)

生の断片化、もしくは記憶の固着 シルヴェストロフ、交響曲第5番   

お休みの日の夕方、雨が降っている。なんだか物憂いような気怠い午後のまだ夜には遠いたそがれ時。いろいろな過去の、時が凍りついて止まった想い出に心を漂わせてみる。時を止めた廃墟の上に静かに時は流れている。わたしたちの今も、いつか同じように時を止めて、未来から眺められるときがくるのだろう。

シルヴェストロフの音楽は、廃墟を思い起こさせるの。でも、それは過去のものではない、今という時。そこに凍りついた時を未来から眺めているような音楽。時を止めたわたしが、時を越えた先から眺められている。彼を初めて知ったヴァイオリン協奏曲を聴いたときもそう感じた。そして、このCDの交響曲第5番を聴いて、またその追伸といえるポストリュディウムを聴いてその思いを強くしたの。音楽はとても美しい。その響きは不協和音だけど、とげとげしたのではなくて柔らかな響き。そして美しいメロディの断片。そう断片。崩れていく廃墟のように、メロディは断片でしかない。たった2つの音の繰り返しのような。でも、添えられた和音がとても美しいから、音楽が儚いのに美しい。そして、あまりにもロマンティック。ときの彼方に埋もれたロマン主義の廃墟。そしてそれはわたしの今。わたしもその中に埋もれて横たわっている。わたしの体から遊離したわたしの魂がときを越えて音楽と一緒に未来からそれを見つめている。わたしとわたしの生きた時代の廃墟。

音楽が進むともう少しメロディが形をなしてくるのだけど、失われた記憶を手探りで形にするように、その形は、不確かで、曖昧で、柔らかくて、愛おしい。そして静かな闘争が始まるの。失われたものを取り戻すように。時間を戻して記憶の廃墟を、記憶の中にあった世界をわたしのまわりにもう一度取り戻すように。メロディの断片が今度ははっきりとした輪郭を持って奏される。でも。。。メロディは還ってこない。埋もれて目をつぶっているわたしの体はそのまま、目を開けることはない。わたしの魂は行き場所を失って、もう一度ときの中にさまよい出す。ロマンティックな瓦礫はまた砂の中に埋もれるかのように、時を凍らせ眠りにつくの。想い出は決して二度と触れることはできない。

追伸

あなたはもう再びそこには戻れない、でもうんと大切なすてきだった過去の時間を想うとき、どんな気持ちになりますか。想い出が鮮明としてるのに届かないもどかしさ。もやもやして形にできないもどかしさ。甘じょっぱい涙のような気持ち。甘酸っぱい恥ずかしさ。そんないろいろな想いが美しさの向こうにありませんか。交響曲第5番を聴いたあと、体に重みを感じるような、心の中にそんな想い出を見るような感じがしませんか。そして、もう一度だけ、その想い出の中に帰ってみたいという気がしませんか。もしかするとそれは小さな頃読んだ物語の世界に近いのかもしれませんね。美しいピアノの音。儚いメロディ。そのように書かれたのが、ポストリュディウムなのかもしれませんね。

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わたしは今思い出そうとしている。ずいぶん昔観て好きだった絵を。作家の名前をもはや思い出せない。幻想的に廃墟のような裸婦を、未来から観た現代の記憶のように描いた絵たち。頭の中のイメジを検索できればいいのに。
でも、そんな手の届かない記憶が、なんて愛しいんだろう。多分、記憶の中にあるからこそ慈しいのかもしれない。そんな風景をこの音楽は思い出させるの。そして。わたしを何もすることができない、金縛りのような、脳の意識の繊維が運動器官から断ち切られた、静かな雨の世界に連れて行く。なにもできない。なにもしない。電池の切れたサイボーグのわたし。
わたしはこの音楽を表す言葉を残念にも持っていないので、虚脱系音楽と呼んでいるのだけど、聴くと、カラータイマーの切れたウルトラマンのように何もできなくなる、そんな音楽がわたしにはいくつかあるんです。
そのひとつで最大のものが、このシルヴェストロフの作品。そして、グラスのヴァイオリン協奏曲の第2楽章とか、ペルトのいくつかの作品、フェルドマンの「マリの宮殿」。。。
音楽って、癒やしを感じることはあるにしてもポジティヴな希望や力を与えてくれるし、悲劇的な作品でさえ、生きる力を与えてくれる。でも、虚脱系音楽って。吸血鬼のように身体からエネルギーを吸い取ってしまうんです。ネガティヴというんじゃないけど、気を奪い取られるというか、そういう音楽って、もしかするとサティーにその兆しはちょっぴりあったかも知れないけど、つい最近まで書かれることはなかった新しい音楽なのかもしれません。

(2002年の4月に書いたCD(シルヴェストロフ:交響曲第5番、ポストリュディウム:ロバートソン/ベルリン・ドイツ交響楽団)評に書き加えました。実演を聴いた無気力系感想はこちら
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by zerbinetta | 2013-06-19 23:06 | 録音 | Comments(0)

何を聴かせたかったんだろう? 佐村河内守、ピアノソナタ第2番発表会   

2013年6月13日 @ヤマハホール

佐村河内守:ピアノ・ソナタ第2番(抜粋)

ソン・ヨルム(ピアノ)


ひょんなことから、佐村河内さんのピアノ・ソナタ第2番の完成発表会にご招待されて(間違った敬語)聴いてきました。この間、佐村河内さんのことについて調べていたら、日本コロムビアのサイトに告知があって申し込んでみたの、ファンでもないのに。これが、不思議な申し込みだったんだけど、名前とか、このことをどこで知りましたか?とかのアンケートがあって、最後に、これから日本コロムビアからのお知らせを送付して良いですか?はい、いいえ、すでに会員です、の選択肢があって、はいと答えた人はメイル・アドレスを記入して下さい、ということで、そんなお知らせはいらないから、いいえで、送信。するってえと旦那、相手に送信されるわたしの個人情報は名前だけ。えええっ?どうやって当選のお知らせメイルくれるの??送ってしまった以上は後の祭りなので、もう1回、いいえのままメイル・アドレスを入れて送信しました。気づかなかった人は落選したと思ってるんだろうな〜(当選者だけに連絡だったので)。

ヤマハホールは初めて行きます。ヤマハ自体にはちょくちょく来たことがあるのですが。メイルのコピーを見せて席票をもらうと前の方の結構良い席でした。ラッキー。お披露目会ですからたくさんのプレスの方々が招待されていて、あとは音楽ファンの方々でしょうか。前半は、日本コロムビアの方から、交響曲第1番が録音、発売された経緯についてのお話と佐村河内さんから、ピアノ・ソナタ第2番についての簡単な説明がありました。詳しいことはきっと正式に発表されると思うので、大ざっぱにかいつまむと、この曲は、以前書かれた「レクイエム」を拡大して作られた36分ばかりかかる作品だそうです。「レクイエム」は震災のとき出会った少女に書かれた、個人的な思いの詰まった曲だけど、実際に被災地に足を運んで彼が感じた思いを込めた、個人ではなく被災した人々のために書かれたとおっしゃっていました。そして演奏には超絶技巧のいる大変な作品なんだと。
演奏者として、ソン・ヨルムさん(一昨年のチャイコフスキー・コンクールで2位を取った韓国出身のピアニスト。そのときの優勝者は圧倒的な才能を見せつけたダニール・トリフォノフさん♡)を選んだのは彼女の圧倒的なテクニックと人間性に惚れ込んだからだそう。この短いお話の中で、そして演奏の後でも、超絶技巧ということについて強調されてたのにちょっと不安というか違和感を感じました。

そして、なんと!今日ここで弾かれるのは、ソナタの第1楽章ではなく、佐村河内さんが曲を10分くらいにまとめたものだというのを聞いて絶句。オペラの抜粋ならまだ分かる。それでも、それぞれのアリアとかはあまりカットしないと思うけど。交響曲だとかソナタのような論理的な形式が大切な作品を、それぞれの楽章からかいつまんでつなげる(といってもこの曲がいくつの楽章からできているのかは分かりません。リストのように単一楽章かも知れません)って。。。そこから何を聞き取れっていうの?例えば、シューベルトのD960のソナタをかいつまんで10分ほどにまとめられたものを聴かされて何が分かるというのでしょう。美しい旋律、だけだとしたらこの曲の本質は何も伝わっていないことになりますよね。

正直、聴いた音楽のかけらだから、わたしはこの曲がどんな曲なのかはちっとも分かりません。響きはバッハに似たところがあったり(多分オリジナルの「レクイエム」の部分)、一瞬チャイコフスキーの響きが聞こえたりしたけど、全体的にはリストのロ短調のソナタのような曲なのかな。佐村河内さんがおっしゃってた超絶技巧という部分は、フォルテッシモで激しい感情を露出した部分かしら。
佐村河内さんは、感情をそのまま音に出す作品を作っているのでしょうか。それはとても分かりやすい。でも、底が浅くないでしょうか。「本当の悲しみは、頬笑みながら涙を流すことだよ」誰の言葉かは忘れたけど、本当の悲しみの前でわたしたちは泣き叫ぶことができるでしょうか。泣き叫ぶことで悲しみを伝えることができるでしょうか。泣き叫ぶことでカタルシスを得ることはできるかもしれませんが。狂ったようにピアノを叩きまくる叫びは何を伝えようとしているのでしょう。全体が見えていないので、素っ頓狂な感想に過ぎないのだけど。

やっぱり気になったのは、佐村河内さんが何度もおっしゃっていた超絶技巧です。ヨルムさんも、昨日彼の前で弾いたときよりもっと凄いよ、と速く弾いたみたいだけど、そんな、アンコールで弾くヴォロドス編の「トルコ行進曲」じゃあるまいし。リストのソナタを速弾きするのが良い演奏、という考え方なのかな。極限で弾くことで表現できる音楽?? 

ピアノのヨルムさんは、この短いショウピースからは何も感じませんでした。ミス・タッチなしで完璧に弾いて上手い人だとは思うけど今の若い人、みんな上手いし。表情を見てるとのめり込み系かな。銀のハイヒールがステキでした。演奏後お話があって、ステキな「レクイエム」がトランスフォームして複雑になった、というようなことをおっしゃっていましたが、ジョークとも穿った見方をすれば皮肉かなとも思ってしまったり。心が曲がっていてごめんなさい。

最後に違和感を覚えたことをひとつ書きます。それは、コロムビアの方が佐村河内さんのことを敬称なしで呼んでいたこと。反対に、佐村河内さんもコロムビアの方を敬称なしで呼び捨てでした。お互いに身内?コロムビアにとって佐村河内さんは売り物を作る社員?芸術家って、売る人からは独立していないの?わたしが、レコード会社の事情について無知なだけかも知れませんが。音楽を売る現場を見た気がします。

今日は何しに行ったんだろう?後味の悪い思いです。もちろん、プレス発表ってこういうものなのかも知れません。わたしがそれを知らなかっただけ。そんなことで取り乱すくらい、わたしはまだまだnaïve(本来の意味はネガティヴな言葉です)なのですね。
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by zerbinetta | 2013-06-13 23:08 | 室内楽・リサイタル | Comments(30)

佐村河内守さんの交響曲第1番「hiroshima」と現代の音楽って   

最近(というかちょっと前)、そこら中で絶賛されてる、佐村河内さんの交響曲「hiroshima」、テレビで放映されたのを録画して聴きました。ひねくれ者のわたしですから斜に構えて聴いたんですけど。正直言って、わたしにはどうしてこんなにも絶賛されているのかよく分かりませんでした。

わたしは音楽を聴くのに、最初、音楽家の出自や境遇には興味がありません。「現代のベートーヴェン、degital age beethoven (time magazine, 15.9.2001)」といううたい文句は、耳が聞こえないつながりからかと思うんだけど、音楽からはベートーヴェンを感じることはあまりありませんでした。曲から受ける印象は、むしろ、現代のマーラーと言った方がいいくらい。もちろんマーラーばかりが聞こえるわけではありませんが、象徴的に。大交響曲だし、最後は彼の交響曲第3番のエコーが聞こえるから。彼自身も、耳が聞こえないことで同情的な見方がされることを嫌っていますから、現代のベートーヴェンをまわりの人が宣伝文句にするのはどうかと思います。

佐村河内さんは、元々、ヴィデオ・ゲームの音楽で評価を勝ち得た作曲家なんですね。プレイステイションのゲームがUS(ヨーロッパまで席巻したのかについてはわたしは知りません)を席巻したとともに、人気(?)ゲーム(そのゲームが人気かどうかもわたしほんとは知りませんが)「鬼武者」の音楽作家として佐村河内さんの名前が知られます。前述のタイム誌の記事は、ゲーム音楽作家としての佐村河内さんの記事です。NHKの番組では、クラシック(芸術)音楽の作曲家として世界の注目を浴びているような感じ(ぼかしてあったけど)に紹介していましたが、タイム誌では、映画、ゲーム音楽の作曲家として、「アラビアのロレンス」の音楽に匹敵するものを作ったということが書かれているだけです。クラシックの作品のことについては触れられていません。ジョン・ウィリアムスの音楽が、ヴォーン・ウィリアムスやジョン・アダムズの音楽と同列で語られることがないように(優劣のことを言ってるのではありません。違う種類の音楽というだけで、優劣はないのですから。実際彼らの音楽が同じ音楽会のステージ(ファミリー向けの音楽会等を除く)で演奏されることないでしょ)、佐村河内さんのクラシックの分野での作品が、ところどころで目にするように、世界の注目を集めているという記事は、残念ながらわたしには見つけられませんでした。どなたかご存知の方がいらしたら教えて下さればとても嬉しいです(記事があるとされている英紙やワシントン・ポストの記事は見つけられませんでした)。

もちろん、世界でどのように注目されてるかなんて、音楽を聴くのに関係はないのです。ただ、世界で注目されている(という、ちっともそうではないのにまことしやかに語られる日本で独特の言い回し。同じような文句に、全米で〇〇もあります。USはほとんど、全米で〇〇という言葉が成り立たないくらい多様)、括弧が長くなったので、最初から繰り返すと、世界で注目されている、という誤解を解きたかったんです。むしろ、これからこの曲が世界のオーケストラのレパートリーとして定着できるかの方が、大事ですよね。この曲を知っているのは、現在ほとんど日本人だけだから、この曲に感銘した指揮者が他のオーケストラでも採り上げるとか、国内ではCDが発売されているので、外国の珍しいCDの蒐集家だけじゃなく一般の音楽ファンに向けた販売に打って出る必要があるでしょう(具体的は外国向けに外国語の解説を付けたCDを外国の販路で販売するとか)。

さて、前置きはこれくらいにして、音楽は重く、鬱々と静かに始まります。主題の手の内を小出しにしつつ音楽を生成させていくさまは、ベートーヴェンの交響曲第9番やブルックナーのいくつかの交響曲みたい。じわりじわりと音楽ができてきて、ほっとするような主題が聞こえたとき、この4つの音が全曲で(変化したりしながら)繰り返し出てきて、音楽を統一しているのですね。
3楽章で70分以上かかる音楽。3つの楽章が、同じように暗く、途中、速い箇所はあるけど、全体の印象としてアダージョな感じ、なのに、聴き手を飽きさせない集中力と技術は素晴らしいものがあると思います。彼の作品は、まだあまり聴いたことがないけど、名曲「吹奏楽のための小品」でも聴かれた、ブラスの鳴らし方がとても上手いし、聴き始めると最後まで聴き通してしまわせる引力が凄いです。ロマン派好きなら、ブルックナーやマーラー同様に魅力ある音楽でしょう。ワーグナーや、ブルックナー、ブラームスやマーラーといった19世紀末のロマン派後期の交響曲の集大成といった感じの音楽になっていると思います。模倣というより、彼はここを目指して音楽を作っているのですね。

わたしは、ロマン派後期の音楽も大好きなので、佐村河内さんの曲に魅力を感じていることを告白しましょう。斜に構えてたくせに。(最初にこの文章を書き始めたときと数週間隔たって、その間に何回か繰り返して聴いたので論調がちょっと変わってますねぇ)
でもね、でもね、素直に感動できたかというとまだ引っかかりがあるのです。
この曲は、わたしの気持ちを反映できているのだろうか、と。言い換えれば、例えば、ベートーヴェンの交響曲第9番を聴いてその理想を自分のものとして完全に共感できるのか?ということなんです。もっと言えば、昔々の青春ドラマみたいに夕日に向かって走って行けば、全て丸く収まっちゃうか、みたいな。子供向けのヒーローものだって、昔みたいに単純に悪の組織をやっつければ済んでいた時代は終わって、正義と悪の境界が曖昧というか何が正義か分かりづらくなってる。もしかしたら現代に純な正義はない。わたしたちは、19世紀末の人よりは、明らかに捻くれて複雑になってるんじゃないかと思うのです。でなければ「ヴォツェック」は生まれ得ないし、タコもあんな皮肉に満ちた交響曲を書かなかったでしょう。ああいう精神性は、ワーグナーもマーラーもまだ持ち得ていなかった。反対に現代を生きてるわたしの感情は、もう後期ロマン派的に語ることができないところにあるんじゃないかと思うんです。もちろん過去の音楽を聴いて感動することはできます。でも今生きている人には、今生きている人の音楽を書くべきではないかと思うのです。それが芸術を創造するということではないかと思うのですよ。

(行ったり来たりしながらゆるゆると続きます)
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by zerbinetta | 2013-06-07 23:43 | 随想 | Comments(9)

審査員になったつもりで作曲賞 2013年度武満徹作曲賞本選演奏会   

2013年5月23日 @オペラシティ・コンサートホール

小林純夫:the lark in snow
神山奈々:"close" to you to "open"
ホワン・リュウ:zwei landschaftsbilder
マルチン・スタンチク:sighs -hommage à frederyk chopin

工藤俊幸/東京フィルハーモニー交響楽団


今年の武満徹作曲賞の審査員は、この間個展を聴きに行ったサー・ハリソン・バートウィスルさん。今日はその本選の音楽会に行ってきました。4人のファイナリストたちの作品が演奏され、審査員のサー・ハリソンさんが、賞を決めます。最初から最後までひとりの審査員(毎年変わる)が審査する作曲賞。冠になってる武満徹は言わずと知れた日本の作曲界の重鎮だった人。世界的にも作品が演奏されていることに関しては、日本人作曲家の最高峰のひとりでしょう。と紹介しましたが、実は、わたし、武満の良さがあまり分かっていなかったり。。。いい曲もあるけど、たいしたことのない作品も多い印象。何でも書いた人だから。まあでも、それは置いといて、ここオペラシティのコンサートホールは、タケミツ・メモリアルとも言うのですね。天井が木組みでバンガローのように高くて、上を向いて眺めると気持ちがいい。天井の雨戸は開演前は開いてるのね。窓越しに青空が見えました。オーケストラには少し響きすぎる(イギリスの響かないホールに慣れてる人の感想)感じがするけど、居心地のいいホールです。ここで演奏されるなんて幸せ。しかもフル・オーケストラで。工藤さんと東京フィルの演奏は、とっても良かったです。きちんと楽譜にあるものを音にしていたと思います(楽譜にない解釈なりニュアンスを音にしないのはコンクールゆえかしら)。

プログラムは先日行ったコンポージアムのと共通なので、バートウィスルさんの評だけを読んで(作曲家のプロフィールと自分の作品について述べたものは飛ばして)、臨みました。審査員になったつもりで。でもね、わたし、前に、ブザンソン国際指揮者コンクールのセミファイナルだかを聴きに行って、審査して見事に外れた前科者。今回もきっと外すでしょう。でも、バートウィスルさんの評を読むと(スコアを見ての審査です)、書き方から見てどうやらスタンチクさんの曲が一押しらしい。これだけ、力入ってます。

さて、ひとつ目は小林さん(日本)の「雪の中の雲雀」。弦楽合奏と1本のフルートのための音楽です。フルートはソロで活躍するのではなく、静かに弦楽合奏に溶けて音色を変化させます。終始静かな音楽。弦楽器の特殊奏法(とはいえちゃんと弓で弦を弾いてます)で、かすれるような響きの音楽は、ラッヘマンさんみたく楽音より自然の音を出させるのかなと思ったらそうではなく、変わった儚い音色を要求しているゆえみたいです。とらえどころのない音楽と思っていたらなんだか居心地の良い安心感が。陰日向に、メロディが聞こえるんです。和声的できれいな。メロディのちらりズム。特に低弦にメロディが移ったときの安定感。メロディだけは通常の奏法で弾かれてるようです。吉松隆さんの音楽を思い起こさせるような感じの和声的なメロディです。それが、ふわふわと曖昧な特殊奏法の中に隠れていて。聴きやすい曲だったんだけど、ちょっと変化に乏しかったかな。お終いに近いところで、ヴィオラに特殊奏法ではない普通のロングトーンが出てきたときのドキドキ感がもっとあれば良かったのに。外国のトレンドはよく分からないけど、日本人としては武満や吉松さんで近しい部分もあるので、これがどう評価されるのか楽しみでした。

2つ目は、神山さん(日本)の「"close" to you to "open"」。日本語では何というのでしょう?あなたの近くで開いちゃう。あっ冗談ですよ!ヴァイオリンとピアノのソロに先導されて、大編成のオーケストラの賑やかな音楽。これも、無調の音楽と調性のある古典的な(ラヴェル的?)音楽の不協和の混合。調性のある音楽部分の元気溌剌な感じが良くて、やっぱり金管楽器なんかは、音階や倍音に沿った音を吹き鳴らすのが気持ちよいのよね〜なんて気にさせる。そして、今日一番の中国的。中国人のファイナリストいるのにね〜。調性部分は、なんだか、過去の作品のコラージュ(とはいえ何の作品が引用されているのか分からなかったし多分、引用ではなくて創作)みたいな扱いになったり、結構工夫されてた。最初ちょっといまいちかなぁって聴き始めたけれども、聴き終わって一番すかっとした。いまいちかなぁと思ったのはサー・ハリーさんがスコアを見て指摘されてたようなテンポ感。音は細かいんだけど、そこはもう少し先に進まないと(もう少し速度感が欲しい)という部分がちらほら聞こえました。でも、オーケストラを外連味なく開放的に鳴らせる技はたいしたもの。ただ、将来の彼女の作品リストの最初の方にこの曲が入ったとき、何となくスタンド・アローンな感じがしました。こういう方向で音楽を書くのかなって。あと、彼女は、映画音楽や劇場音楽に適正があるようにも思えました(素人意見です)。

3つめは。リュウさん(中国)の「zwei landschaftsbilder」。中国人の画家、呉冠中の2枚の絵に触発されて書いたそうです。呉がどんな絵を描く人なのか分からないので、何を表現しているのかはよく分からなかったです。音楽は、完全に無調のいわゆる現代音楽で、ある意味一番難しかった。とはいえ、大オーケストラを的確に鳴らす技量はたいしたものだと思いました。ただ、わたしにはちょっと変化に乏しいかなぁって感じました。この曲長かったし。でも、サー・ハリーさんは、予期しない方向へ常に流れていく、と書いてるので、聴く人が聴いたら変化があるのでしょう。

最後は、スタンチクさん(ポーランド)の「sighs -hommage à frederyk chopin」。いきなり予期せぬ音でびっくり。声(子音)を使ってる!小さめの編成のオーケストラで(コントラバスは3本(もしかすると4本だったかも)、金管楽器は1本ずつ)、でも、楽器叩いたり、息の音出したり、特殊奏法のオンパレード。でも、それらが雑音のようにならずにオーケストラの楽音としてちゃんと響いてくるのはさすが。この曲も調性のない音楽だけど、てきぱきとテンポ感があって、多彩な音色が楽しくて、金管楽器が場所を変えて吹いたりしてみてても楽しいし、ちょっとブルッときた。この曲が今日の4曲の中で、明らかな差を持ってわたしには一番よく感じられました。柔らかなマレットで一所懸命チューブラベルを叩くのがちっとも聞こえなくて、ちょっと技に走っちゃってるというのも若干感じましたが。経験の差がはっきり現れたような気がします(今日の4人の中で最高齢。他の人たちに比べて10歳くらい年寄り)。

そんなわけで、わたしの審査は、
1位 スタンチクさん
2位、3位 リュウさん、神山さん どちらが上か決めかねる〜。聴いたとたんはリュウさんの方がいいのだけど、神山さんのが心に残ってる感じ。
4位 小林さん

さて、サー・ハリーさんの順位は??
結果、今年の武満徹作曲賞は、
1位 スタンチクさん
2位 小林さん
3位 神山さん、リュウさん

でした。やっぱりスタンチクさんが、頭飛び出てたよね。小林さんの2位は意外。

と、自分も参加するように楽しみました!この4人が、これから活躍していく作曲家になるように願ってます。テクニック的な点では、みんなしっかりしてるし、個人が選ぶ賞なので、審査員の好みが最終的には決め手になってしまいます。だから、1位になれなかったといって劣っているっていうことはないので自信を持って音楽を作っていって欲しいです。
来年は、エトヴェシュさんが審査員。どんな作品が、賞を取るのでしょう。ただだしわたしも応募してみようかしら。と悪い冗談を言いつつ、年齢制限にしっかり引っかかってるのでした。

<追記>
サー・ハリーさんの講評がこちらに出ています。ものすごく的確で納得させられるものです。
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by zerbinetta | 2013-05-26 00:11 | 日本のオーケストラ | Comments(10)

印象的な収筆 ハリソン・バートウィスルの音楽   

2013年5月23日 @オペラシティ・コンサートホール

バートウィスル:ある想像の風景(1971)、ヴァイオリン協奏曲(2009−10)、エクソディ'23:59:59'(1997)

ダニエル・ホープ(ヴァイオリン)
ステファン・アズベリー/東京交響楽団


イギリスの作曲家、サー・ハリソン・バートウィスルさん(サー・ハリー)の曲、3曲(全て日本初演)まとめた音楽会、コンポージアム2013の音楽会のひとつ。今年度の武満徹作曲賞の審査員がサー・ハリーさんなので組まれた音楽会かな。武満賞の本選の音楽会は日曜日にあってそこで受賞作が決定します。
バートウィスルさんは,管楽器の凶暴な音使いもするけど、仄かに旋律的だったり調性的だったり(このさじ加減がとってもいい)わりと聴きやすい音楽です。今回の音楽会とこの間聴いたCDとで、1960年代から現代までにわたる彼の代表的な音楽を聴いてみたんですけど、サー・ハリーさんって金太郎飴のようにどこを切ってもハリーさん。もちろん、成熟度には違いはあるんですけど、作風は変えてないのですね。ということは、個展という形でまるまる1音楽会を彼の作品に費やしてしまうより、1つの作品を他の作曲家の作品と並列して採り上げた方が、音楽会に変化が出るかも知れません。よっぽどサー・ハリー・マニアならともかく(ってそんな人ほとんどいない?会場は音楽関係者っぽい人たちとマニアっぽい人たちがいっぱいでした)、一般の音楽ファンにはアピールしづらいものがありますね。今回響きの似た音楽が後ろに2つ並んでたので、小編成の歌モノが真ん中にあれば良かったかも知れません。それにしても、日本ってすごい!会場は満席とはいかないけれども、お客さん入ってたし、あたたかく音楽を受け入れていた様子。オーケストラもきちんと真面目に(こういうところが日本のオーケストラの良いところ)演奏していました。日本の音楽ファンってステキだなって思いました。

最初のある想像の風景は、前半は4群、後半は3群に分けられた金管楽器と、2群の打楽器(それぞれシロフォンとティンパニ)、2群のコントラバスのための音楽です。金管楽器は、トランペット、ホルン、トロンボーン(ところによりチューバ)が組になって4群、途中席替えして(打楽器とコントラバスの音楽は続いてる)、楽器ごとに3群になります。なので、前半は金管楽器のハーモニーよりも、点描的な音の表現、席替えして楽器ごとに分かれた後半は、水平的なハーモニー。それにしても、金管楽器の扱いが上手い。ミュート(カップ・ミュート系?)や音の強弱を駆使して多彩な音色を引き出していました。特に、ミュートしたトランペットの人の声のような音色にびっくり。

2曲目は一昨年初演されたばかりのヴァイオリン協奏曲。テツラフさんが初演を担当しているのですが,今日はホープさんが独奏。ホープさんはずっと前に聴いて印象薄かったので、どうなるのかなぁと思ってました。テツラフさんだったら良かったのにって。この曲、一昨年のプロムスでも演奏されたのですね。あれ?わたしどうして聴きに行かなかったんだろうと訝しんだら、その日は日本に帰っていたのでした。プロムスよりラーメンを選んだんですね。
ヴァイオリン協奏曲。作曲者の言葉を借りれば、ヴァイオリンとオーケストラの対話。オーケストラは合唱のように作曲されているとのこと。ヴァイオリンの独奏とオーケストラが,対等な関係で、でも対立するわけではなく、向き合ってます。力の入った名曲だと思います。ウェブ・サイトでテツラフさんとBBCシンフォニーとのプロムスでの演奏を聴きましたが、テツラフさんのは結構アグレッシヴ。対して、ホープさんは柔らかみがあって、音楽がとげとげしくない感じ。その分、オーケストラにもうちょっと控えた方がいいと思った瞬間もありました(音量で凌駕したと言うより、表現の方向性違い)が、どちらも気合いの入った演奏でした。ホープさん、どうなるかしら、と心配して損した(っていうか、今日はホープさんだから聴きに来ようか迷った失礼なわたし)。この曲、ヴァイオリンにメロディアス(といっても朗々と歌うメロディではなく、短くふと聞こえる隠れた旋律)な部分があったり、技術的には難しいのかも知れないけど、ヴァイオリン弾きにとっては楽しく弾けるのかもね。納得のいく良い曲だと思います。
ここでびっくり、サプライズで、サー・ハリーさんがこの日のために書き下ろした、ヴァイオリン・ソロのための短いアンコールがあるともっと良かったのですが、もちろん、そんなのはなし。あと、ホープさんって友達に似てて、ああ友達が弾いてるってずうっと思ってました。ってか、写真で見るよりずっといいじゃん。おでこそんなに広くないし。もしかしてわたし、ツェートマイアーさんと勘違いしてた?

最後は、エクソディ。タイトルが示唆するとおり、出(しゅつ)何かから。なんだけど、わたしはタイトルのような音楽には感じませんでした。脱出するイメジというより、何かそこに堆積するイメジ。もしくは見えない壁で脱出できないイメジ。全く正反対です。その理由かきっと、ずうっとそうされてる通奏旋律のせい。音楽の背後に、楽器を変え、隠れたりときどき現れたり、低い声部に行ったり高い声部に行ったりする持続的な音符があったからです。あまり動かないパッサカリアのような、というか心の中にずうっと聞こえている音。その上に、いろんな音がスパークする音楽です。ミニマムじゃないアダムスさんの音楽をいうのが頭に閃いたんですけど,何のことだか分かりませんね。
今日の音楽の中で,この曲が圧倒的に良かったし,演奏も良かったんです。
30分にわたる緊張の持続。30分ってモーツァルトやハイドンの最後の方の交響曲と同じくらいの長さだから、長くないように見えて、実は、ひとつの連続する音楽としては、ブルックナーの交響曲第8番のアダージョやマーラーの交響曲第6番のフィナーレの長さなので,かなり長いです。この長さで最後まで聴かせてしまうのですから凄いです。しかも、音楽が対比的というより、漸進的な変化と持続なので、一見コントラストに乏しいんです(だから、もう少し変化を付けてもとは正直思った)。最後の方の、はっちゃけたダンスのようなクライマックスは楽しかったですが。

そして。
音楽の最後、突然(という言葉がぴったり。予期してなかったことなので)、音楽が静かにふわりと終わるんです。何かがすうっと抜けたように。魂が抜けた?ああ、そうか、これがエクソディということなんだ。今までずっと聴いてきたものは、産みの苦しみ。でも、抜けるときはつるりと抜けるんですね。枝豆が鞘からつるりと抜けて口に滑り込むように。そんな、何かからの引力から解放されてふわりと自由に飛び出した瞬間の心地よさ。これなんですね。サー・ハリソンさんの音楽。筆をすうっとはらって最後に筆を、字を解放して書を留める。とてつもない開放感。似たような感覚は、ヴァイオリン協奏曲の最後にも少し感じたので、サー・ハリソンさんの音楽に含む秘蹟はここにあるんだって思いました。
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by zerbinetta | 2013-05-23 22:50 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

バートウィスルさんの音楽を聴いてみる   

今度、勢いでハリソン・バートウィスルさん(サー・ハリーさん,1954年生まれ、イギリス)の音楽会を聴きに行くことになって、慌てて予習。っていつもはそんなことしないのだけど、全く初めてというのもあれだし、CD持ってるし、せっかくだから手元にあるCDを聴いてみることにしました。音楽会で聴く曲とは別の曲です。でもどんな曲を作る人なのか傾向はきっと分かるでしょう。

って、CD持ってるなら初めてってことはないでしょう、とおっしゃった方,鋭い。音楽会日記の中にも彼の名前が出てきたハズと気づいた方、それはちょっとストーカー気味よ。自分でも忘れてたんだから。と言うわけで、初めてではありません。CDの方は持ってるだけで、なぜか、わたしが持ってたCDプレイヤーで認識してくれず(今家にあるのは大丈夫です)。

持っているCDはブーレーズさん指揮のアンサンブル・インテルコンタンポラン、ソプラノのクリスティーン・ホイットルジーさんの演奏で、言葉の意味が分からないので原題で書くと「tragoedia (1965)」「five distances (1992)」「three setting of celan (1989-94)」「secret theatre (1984)」が入っています。のっけから,なんだか能管のようなフルートで、キーンとする耳に鋭い響きが続くと思いきや、メロディっぽいのがあったり,和声的であったり、上手に過去の様式を取り入れていて、意外に上手い具合に親しみやすい音楽だったりして、心地の良い音楽。そして、大事なことは、音楽に力があるので、聴いてとっても面白いんです。何回も聴いてみたくなる、聴くに耐えうる音楽。

芸術音楽って現代音楽に限らず、最初、聴き慣れないととっつきにくいというか,分からないというか、難しく感じちゃって構えちゃうよね。わたしも、クラシック音楽を聴き始めた頃は,ベートーヴェンもモーツァルトもすぐには分からず、退屈でした。マーラーやショスタコーヴィチに至ってはがんがんと音が鳴るだけでちっとも分からず。でも、何回も聴いてるうちに身体になじんできて、今でもよく分かってるとは言えないけど、楽しんで聴けるようになってきました。音楽ってツンデレなの。ツンとされても聴き始めなきゃ仲良くなれないの。
多分、聴き慣れていない音楽を最初に聴くにはコツみたいなのがいるのかも知れません。それはいろんな音楽の経験で培われていくのでしょうけど、なんて言わないで、何でも聴いてやろう,かかってきなさい、じゃなくて、ぽわんと素直に聴いちゃえばいいんじゃないかなぁ。現代音楽ってムズカシイって言うけど,それってほぼウソで(きっとアンチゲンダイ音楽組織の陰謀キャンペーンの成果)、普段なにげに耳に入ってくる音楽って、今の音楽だから音の世界は意外と耳なじんでると思うんです。テレビや映画の背景にかかってる音楽だって、よく聴いてみると結構イケテル音楽かかってるし。それにサー・ハリーさんの音楽そんなに難しくないよ。

サー・ハリーさんの音楽は、劇場的な音楽なので、頭の中で何かドラマの場面を思い浮かべて聴くのも良いかも知れませんね。って言うとそれは間違いって怒る人もいるかも知れないけど、聴き方は自由であっていい。聴いて楽しんじゃったもの勝ち。ショスタコーヴィチやベルクまで聴いてる人は、きっと楽勝に聴けると思うし、今の音楽を楽しむ入り口にはぴったりな感じの音楽なんですよ。新しいものをぜひ聴いてみましょうよ。聞かず嫌いは止めてさ。と、1000円で聴ける学生さんにはぜひ言いたい。うらやましいぞ。


サー・ハリーさんについては、わたしの長閑なブログを読むより、以下のステキなペイジを読まれるのがよっぽど良いでしょう。

サー・ハリーさんのお弟子さんのなかにしあかねさんの文章

ツイ友の音楽ライター、後藤菜穂子さんの文章

今回、日本初演が行われるヴァイオリン協奏曲。2011年のプロムスでの演奏(イギリス初演)がここからダウンロードして聴けます。
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by zerbinetta | 2013-05-21 00:19 | 随想 | Comments(0)

メシアンへの愛と遙かなる青春の染み priem wind ensemble   

2013年2月3日 @かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホール

バッハ/シェーンベルク/隠岐徹:前奏曲とフーガ(BWV552)よりフーガ
一柳慧:poem rhythmic for wind ensemble
メシアン:異国の鳥たち
寺井尚行:thread for wind orchestra
ドビュッシー/佐藤正人:海ー管弦楽のための3つの交響的素描

近藤麻美(ピアノ)
隠岐徹/priem wind ensemble


吹奏楽の音楽会に行ってきました。アマチュアの団体なのでここに載せるのはどうしようかなと思ったのだけど、素晴らしかったし、無料の音楽会ではないので書くことにしました。

吹奏楽の音楽会に行ってきました。聴き始めたとたん涙が出たのは、高校の吹奏楽部の音楽会に好きだったホルン吹きの人を観に行って以来という、忘れていた酸っぱさをうっかり思い出してしまったからかなぁ。わが青春の染み。吹奏楽にはオーケストラにはない独特の音色があるのですね。それがじーんときてしまった。最初のフーガを聴いたときには、それほど上手い団体だとは思わなかったんだけどね。なんか恐る恐る音を出しているところもあったような感じで、上手く吹かなきゃっていう音が聞こえました。
一柳慧さん(オノヨーコさんと一時結婚してらしたのね)の曲は、もっと現代音楽っぽいのを予想してたら、分かりやすい音楽だったのでちょっと肩すかし。吹奏楽の曲って、最近書かれ続けてる音楽でも,分かりやすい音楽が多いですね。演奏団体がアマチュアが多いからかしら。そこがちょっと、クラヲタ、プチ・コンテンポラリー音楽好きのわたしには不満なところ。オーケストラや弦楽アンサンブルの音楽と肩を並べる作品が少ないように思えるんですね。クラヲタさんと吹奏楽ファンの間には飛び越えられない溝がありそうだし。管楽合奏を弦楽合奏が中心になるオーケストラのように扱ってしまうのが良くないのかしらね〜。クラシック作曲家の中にもモーツァルトやシュトラウスとか管楽合奏のための曲を書いた人はいるけど、あまり吹奏楽の音楽会では採り上げられないし。あっホルストはわりとよく演奏されるのかな。

という、もやもやを晴らすようにメシアンの「異国の鳥たち」。そう言えば,メシアンにも管打アンサンブルの曲いくつかありますね。ピアノは近藤麻美さん。わたしもメシアン大好きですけど、このアンサンブルのメシアン大好きっぷりも半端ない。ウェブ・サイトには、特集ペイジまであって、なんと!出てくる鳥の姿と鳴き声が見聞きできる!(外部リンク) この曲をやろうという意気込みが感じられます。演奏も、技術的に難しい曲だと思うけど、かなり練習したのでしょう、音にする以上のものが聞こえてきました。もちろんアマチュアだから完璧とまでは言えないものの、メシアン愛を楽しめました♡最後が3拍子になっていたのがちょっともったいなかったけどね(ぐびっ。細かい。メシアン愛ライヴァル意識丸出し)

休憩の後は、寺井尚行さんの「thread」という曲です。今日は何故か日本人作曲家の作品名が英語で、外国の作曲家の作品が日本語訳で曲名が付いていたのが面白いです。調性がないようであって,メロディがないようであって、リズミックで,とっつきにくそうに見えて分かりやすいツンデレタイプの曲。すぽんと終わってしまって余韻が残る。小太鼓かっこいいよね。

最後のドビュッシーはほんとびっくりした。こんな繊細な曲、吹奏楽に編曲したらどうなるんだって思ったら、めちゃくちゃいいじゃない。これはとても良い編曲。オーケストラとは音色が変わってるけど、海の景色はちゃんとそのまま。ちゃんと、ドビュッシーの香り。さいごはもうちょっと、はっちゃけて欲しかったけど、ここまで緻密な演奏を成し遂げた演奏者たちに大拍手。学校のクラブでもない、プロを目指すアマチュアでもない、社会人のアマチュアのサークルでここまでできるとは。ひとりひとりが音楽が好きで,練習が好きで、目標がはっきりしていて,優れた指導者にも恵まれているのでしょう。なんだかとっても羨ましくなっちゃった。わたしも楽器ができれば、こんな仲間と音楽したかったな。

priem wind ensembleの演奏、ウェブ・サイト(youtubeへリンク)から聴くことができます。次の音楽会の情報はまだないのだけど、ぜひまた聴きに行ってみたいです。
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by zerbinetta | 2013-02-03 22:22 | 吹奏楽 | Comments(2)

サンタクロースがヒッグス粒子に乗ってやって来た セーゲルスタム、読響   

2013年1月26日 @東京芸術劇場コンサートホール

シュトラウス:交響詩「死と変容」
セーゲルスタム:交響曲第252番「ヒッグス粒子に乗って惑星ケプラー22bへ」
シベリウス:交響曲第2番

レイフ・セーゲルスタム/読売日本交響楽団


ヒッグス粒子に乗って惑星ケプラー22bへ向かっていたサンタクロースが道を間違えて、季節外れの日本にやって来たようです。ので聴いてきました。だってセーゲルスタムさん大好きだし、サンタさんだからプレゼントくれるかなって。読響の評判もいいので聴いてみたかったんです。読響、聴くのは初めて♪
東京芸術劇場は遙か昔に来たような気がします(記憶力に難ありなのでがあやふや)。IWPにもよく出てくる名所(?)ですしね。前は長いエスカレーターがあったと思うんだけど、記憶違いかな。それにしても日本のホールってビルの上の方にあるのが多い気がするんだけど、気のせいかしら。

セーゲルスタムさんと読響の音楽会は2つのプログラムがあったのだけど、人気のありそうなマーラーの交響曲第5番をメインにした方ではなくこちらをチョイス。セーゲルスタムさんのマーラーはフィルハーモニアで聴いたことがあるので、どんな音楽になるのか予想はついていたし、それはとってもユニークでステキな演奏だったのだけど、自作の交響曲第252番の方により強い引力を感じてしまったんです。話の種に聴いておかなきゃって。

最初は、シュトラウスの「死と変容」。どんな音楽になるのでしょう?わくわく。サンタさんが巨体を揺るがして登場。静かに音楽が始まります。ん?あれ?れれれ?戸惑い。なんだか音楽がばらばら。どうしたことか。でも、この方向は。はたと思い出した。以前にマーラーの交響曲第5番の演奏でもやっていたこと(1週間前の読響との演奏でもそうだったのかは分かりませんが)。そのときの日記を引用してみるね。
***
セーゲルスタムさんの音楽は、マーラーの音楽をひとつひとつの部品にまで分解してその部品ひとつひとつを丁寧に磨き上げている。だから、それぞれの部品がとってもきれいによく見えるし、マーラーが書いた複雑な音符が全てしっかりと聞こえてくる。でもそういう演奏なら最近多いし、こんなに不思議な気持ちになることはないと思う。何かが違う。そう、組み立て方が違うんだ。っていうか組み立てていないっ。セーゲルスタムさんは部品をそのまま部品の状態で置き放したまま組み立てるのを止めたよう。
***
そのときと同じようなことをこの音楽でもやってる。でも決定的な違いはそのあと。
***
セーゲルスタムさんはどのように秩序づけてるんだろう? その答えは聴き進むうちに見えてきたような気がします。セーゲルスタムさんは音楽の中に秩序を求めないで、音たちの外に世界を作り出してるの。音たちがあちらこちらから飛び込んでくる世界にわたしたちは入り込んだよう。音どおしを関連づけて音楽を創ることを止めて、音を入れる大きな入れ物を創った。そしてそれは閉じずに開いている。世界なのだから。・・・ここにある音たちはわたしたちと一緒に世界に存在している。音は外にある。
***
この、音を入れる世界を作ることが読響にはできていなかったように思えるの。だから磨き抜かれた部品がそこここにあるだけで、ひとつの世界にならなかったんだと思うんです。わたしは、上手いオーケストラって、演奏者ひとりひとりがとても良く音楽を知っているオーケストラだと思います。読響はまだそのレヴェルには達してないんだな。指揮者に応えて弾くことはできていても、音の背後にあるものを表現することがまだできていないように感じました。ずいぶんと変わったシュトラウスへのアプローチなので、それを消化することができなかったんだと思います。セーゲルスタムさんの「死と変容」はウィーン世紀末の爛熟した時代の交響詩と言うより、北欧伝説の交響詩のようでした。セーゲルスタムさんのやりたいことははっきりしていたのに、読響がそこまでついて行けていないように思えたのがちょっと残念でした(オーケストラの音色は透明でがんばっていたのだけど)。
セーゲルスタムさんがロンドン・シンフォニーを振って「死と変容」を演ったときの感想はこちら。http://zerbinetta.exblog.jp/11065146/

さて、いよいよ、交響曲第252番。セーゲルスタムさんの作品を聴くのは2回目。前は交響曲第189番でした。それにしても、なんというか、交響曲を300曲近く書くなんて。。。(現在261曲。順調にいけばあと5年で300曲)。本人はひとつひとつ覚えているのかな。わたしは、第235番と237番の違い分かるのだろうか?
セーゲルスタムさんはシベリウスの交響曲第7番をとても高く評価しているので、彼の交響曲は初期の数曲を除いて全て単一楽章。第63番以降はほとんどの曲で演奏時間が24分となってます(その前のもほぼ20分台)。もうひとつの特徴は、多くの曲で偶然性、自主性を採り入れているので指揮者なし。今日の「ヒッグス粒子・・・」も指揮者なしです。音楽をリードするパートがその都度、合図します。セーゲルスタムさんは隅で楽しそうにピアノを弾いていました。
音楽は予想に反して、ということは実はなく、前に聴いたときそのままのセーゲルスタムさんの音楽。響きが透明できらきらしてる。ハンマーを派手に打ち鳴らしたり(マーラーのもそうだけど、ハンマーって来るぞ来るぞって見てるだけでワクワクするね)、マッシヴな音の大音響でも音が濁ることなく透き通って見えるのでとっても聴きやすいの。ヒッグス粒子云々については、何のことかちんぷんかんぷんだったけどね。宇宙をちっちゃな粒子に乗ってサーフィンしてるイメジで聴いたらいいのかな。でも、彼の曲多すぎてどれが代表作なんだろう。もし、彼の交響曲全集が将来出るとしたらCD100枚組とかになるのでしょう。でも、そんなの聴くの大変だから、傑作を1枚か2枚くらいにまとめて欲しいな。なんて言ったら、ひとつひとつ大切に作曲しているセーゲルスタムさんには失礼ね。ごめんなさい。

最後は、お国もの、シベリウスの交響曲第2番。シベリウスこそ、特に後期は、音楽が音の小さな細胞からできています。だから、セーゲルスタムさんがシュトラウスでやった細かな部品を磨きに磨くアプローチが生きるかな、でも組み立てはどうするのかな、と思って聴き始めたら、そんなアプローチを捨てて、しっかりと音楽をまとめてきました。速くはないけれど、すうっと動くようなテンポで、音と音の間にしっかりと糊がつまってる。しかも暖色系の音色。おおお、シュトラウスとは正反対のアプローチ。これをシベリウスでやるとは。奇をてらわず王道を行くようなシベリウスなので安心して聴いていられます。オーケストラも普段の通り安心して弾いてる感じ。わたし的には、背伸びしても地平が見えないほどの雄大な演奏を期待していたのだけど、しっかりとまとめてきたこの演奏も地に足のついたステキな演奏だったと思います。
季節外れのサンタクロース。しっかり大きなプレゼントをいただきました。
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by zerbinetta | 2013-01-26 21:13 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

ブリテン・シンフォニアお誕生日コンサート アリーナも出るよ   

27.10.2012 @barbican hall

purcell: hear my prayer, o load
nico muhly: looking forward
bach: concerto for two violins in d minor
britten: les illuminaties
james macmillan: one
prokofiev: symphony no. 1
pekka kuusisto: omg hbd
bach: keyboard concerto no. 5
moondog / macgregor: sidewalk dances

bitten sinfonia, britten sinfonia voices with many guests


ブリテン・シンフォニアの二十歳のお誕生日音楽会。オーケストラに関係の深いゲストの人たちをたくさん迎えて盛りだくさんの音楽会。アリーナやクラシック、ジャズ・ヴァイオリニストのクーシストさん、テナーのパドモアさん、作曲家のニコ・マーリーさん、ピアノのマグレガーさんなどなど。幅広い音楽性のゲストが集まったところは、ブリテン・シンフォニアの面目躍如。

ブリテン・シンフォニア・ヴォイシスの合唱でパーセルの「主よ、わたしの祈りを聞いてください」から始まって、あれれ楽器が入ってるよって思ったら、そのまま重なってマーリーさんの「looking forward」期待とか希望って感じの意味でしょうか。シームレスにそのままパーセルの音楽につながって、ロイヤル・バレエで初演された「マシーナ」でもそうだったけど、バロック音楽との相性の良さを感じました。美しい曲。マーリーさん、オーケストラでチェンバロ弾いてました。髪型で浮いてたけど。

その次はわたしのお目あてのアリーナの弾くバッハの2つのヴァイオリンのための協奏曲。もちろんアリーナひとりで2挺のヴァイオリンをアクロバット弾きするのではなく、もうひとりはクーシストさんが担当。アリーナが弾き振りです。といいつつ、アリーナが弾き振りすると、去年のAAM(アカデミー・オヴ・エンシェント・ミュージック)のときもそうだったのだけど、どこか引っ込み思案で、前に出てぐいぐいと音楽を引っ張る感じじゃなくて、遠慮気味にアインザッツを揃える感じになるんです。というわけで、音楽はどちらかというと(前面に出てるわけではないけど)手練手管の鬼才、クーシストさんが若干リードする感じになりました。アリーナはまだ、オーケストラをリードするよりも、指揮者のいるオーケストラと競奏する方が持ち味が出るんじゃないかなって思いました。でも、控えめながらも肩肘の張らないステキなバッハでしたよ。(あとでプログラムを見たら、アリーナの弾き振りではなくて、振りなしでした。確か事前アナウンスでは弾き振りになってたんだけど。。。うっかりしてました)

というわけで、アリーナを聴きに来たわたしにとってはあとは付録のつもりだったんだけど、わたし的には今日はパドモアさんが歌った、ブリテンの「レ・イルミナティ」が圧巻でした。パドモアさんはほんとにもう大好きな歌歌いだし、ブリテンの音楽がとってもシンプルで素晴らしいの。短い歌曲が9曲続くのだけど、どれも詩情があって、それにパドモアさんの声がのってきて、見事な夕焼け色の世界。これを聴いただけでも十分幸せだな〜。この曲のとき、アリーナは一番前の隅っこの方の席で聴いてました。パドモアさんの出番が終わった次の曲では、アリーナの隣にパドモアさんが入らして、一言二言言葉を交わして音楽を聴いていました。そうそう、全然関係ないけど、この間のアリーナのソロ音楽会に引き続いて、チアロスキュロス・カルテットのセカンド・ヴァイオリンの男の子が聴きに来ていました。彼もアリーナの追っかけ?

マクミランさんの音楽は、何回か聴いたけど、スコットランドのローカル作曲家のイメジです。ローカルだけど国際的だから流行のグローカルだと思ってググってみたら、グローカルって国際的だけどローカルな活動のことなんですね。マクミランさんは反対。ローカルなものを強く根に持ちながら、国際的な普遍的なセンスを持ち合わせている。静かでシンプルな音楽はいつもそう。

さらに(今日は盛りだくさん)、プロコフィエフの古典交響曲。古典と言いつつこの曲ちっとも古典じゃないと思うんですね。結構プロコフィエフらしいとげがいっぱい刺さってる。指揮者のいない、ブリテン・シンフォニーの演奏は、指揮者のリードする個性がないゆえ中立的で、プロコフィエフのとげが丸くなってしまった感じがしました。古典的な演奏も以前はいいと思ったけど今日はシャープな現代的な演奏を聴きたいと思ってしまったのでちょっと物足りなかったです。意外とOAEなんかが昔の楽器、昔のアーティキュレイションで演ったら面白いかなぁ。20世紀の作品だけど。ここでやっと休憩。

休憩後はいきなり雰囲気変わって(何が始まるのかと思ったよ)、クーシストさんのソロで、なんて言うのでしょう、現代音楽とポピュラー音楽のクロス・オーヴァー。エレクトリック・ヴァイオリンを足下にあるたくさんのペダルで音を加工しながら(多分半分即興で)音楽を作っていくんだけど、正直あんまりよく分かりませんでした。結構長かったぁ。

そして、いよいよマグレガーさん登場。マグレガーさんは音楽会シリーズを持ってたくらいブリテン・シンフォニアと親密な関係。この人もクラシックとポピュラーの間を自由に飛び回る音楽家。超かっこいい女性。最初は弾き振りでバッハの協奏曲BWV1056。彼女のバッハ、評判いいので楽しみでした。そして楽しみ通り。バッハの持つかちかちとした矩形が角が取れて丸みが帯びた感じで、幾何学的なピアノの音がとんとんと心を打つ。智と情のとっても絶妙のバランス。

最後は、ムーンドッグ。アメリカのジャズの音楽をマグレガーさんが編曲したそうですけど、ジャズに疎いので原曲はちっとも知らず。でも最初っから親しみやすいのでとっても楽しめました。マグレガーさんはここでは弾き振りと、ピアノが入らない曲では指揮台に立って指揮をしました。黒のパンツスーツ姿のマグレガーさんがかっこよくて超ステキ。指揮姿のマグレガーさんもっと観たいと思いました。ドラムスとか、サックスとかゲストの音楽家がたくさん入って賑やかにお誕生日をお祝い。それにしても今日の玉手箱をひっくり返したような音楽会。ブリテン・シンフォニアの柔軟性をしっかり堪能できたわ。

ブリテン・シンフォニアのお誕生日なのに肝心のブリテン・シンフォニアについて書かなかったので最後に。このオーケストラ、多分全然有名じゃないけど無茶上手いです。古楽から(古楽器を積極的に使うオーケストラじゃないけど)、現代物、さらにはクラシックの外側の音楽まで、幅広い適応性で、どれでも一流のレヴェルでこなすし、指揮者を立てない団体なので自律的なアンサンブルも完璧。全体がひとつの生命のように演奏します。レパートリーもユニークだし、もっと知られてもいいなぁ(と言いつつわたしも聴いたの2回目)。
何はともあれお誕生日おめでとうございます。これからのさらなる発展を願って。30年後、50周年のお誕生日でお会いしましょう(ってわたし、いくつになってるんだ)。
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by zerbinetta | 2012-10-27 22:54 | イギリスのオーケストラ | Comments(2)