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なぜかイギリス インキネン/日フィル   

2016年4月23日 @サントリーホール

ブリテン:ヴァイオリン協奏曲
ホルスト:組曲「惑星」

庄司紗矢香(ヴァイオリン)
東京音楽大学(女声合唱)
ピエタリ・インキネン/日本フィルハーモニー交響楽団


インキネンさん、寂しいことに日フィルの首席客演指揮者として最後の音楽会。若くてステキ、イケメン指揮者なのに~。なんてね。だって来シーズンからは、日フィルの主席指揮者としての嬉しい登場となるんですもの。客演指揮者から主席指揮者への流れは、信頼関係が培われてきた証でオーケストラとしても幸せな結果。次のシーズンからますます楽しみになりそう。そして、インキネンさんは、ご自身のキャリアのために日フィルでは、初めて振る新しい音楽を積極的に採り上げてる風なのもなんかステキ。今日は、イギリスもの。レパートリー的には傍流系?インキネンさん、確かニュージーランドのオーケストラでも仕事しているからそこでイギリスつながり?

ブリテンのヴァイオリン協奏曲は初めて聴きます。本場ロンドンでも聴いたことなかったよ~。いろんな国の音楽がまんべんなく演奏されちゃう東京ならでは。ただ、山椒をちょっぴり効かせるとしたら、自国やアジア(系)の音楽に対してはわりと冷たいね。
音楽は、短いシンプルな音型のオスティナートの上に、ちょっとブリテンらしからぬ(ってブリテンをよく知っているわけでもありませんが)、叙情的な旋律が独奏ヴァイオリンで奏でられて始まって、おや、良い曲って思いました。こんな曲が知らないでまだ残っていたとは。中間部分では激しく盛り上がりつつも旋律は明快で叙情的な気分は保ったまま。紗矢香さんの演奏は、叙情的な旋律をキチンと弾いていくのが良かったんですけど、ちょっとヴィブラートのかけ方が気になりました。もう少し控え目の方が良かったんじゃないかなぁ。技巧的なスケルツォは、見事な余裕。もともとテクニシャンのイメジが紗矢香さんにあったので面目躍如。そのままカデンツァを経てパッサカリアのフィナーレはショスティの鏡像みたい(作曲はブリテンが先)。紗矢香さんのヴァイオリンは、とても集中力が高いものだったけど、前に感じた息の詰まるような感じがなくて、音楽に柔らかさが出てきていたと感じました。ミドリさんと似たタイプかなと思ってたけど、この部分で変わっていくのだろうな。

後半は「惑星」。よく知ってる曲なので、素直に楽しもっ。インキネンさんの演奏も、つべこべ余計なことを考えないで、大仰ではないさらさらとした筆遣いで過不足のない音の絵を描いていく感じ。作曲家が想を得た占星術的なうさんくささはなくて、クリアな音楽。ホルストの音楽も個々の惑星の占星術からイメジされる雰囲気をただ音に描いただけで、それ以上ではなさそうだしね。インキネンさんのアプローチは、浄水がさらさら流れるような金星や水星にアフィニティが高かった反面、土星や天王星に澱みが欲しかったです。戦争の火星は、戦車でもスターウォーズでもなく、サイバー戦争のようなものをなぜか感じてしまいました。破壊的ではない(でも迫力はあった)演奏がヴァーチャル感を煽ったのでしょうか。
最後の海王星も、宇宙の果てに光りの粒が流れていくように仄かに蛍光を発してキラキラと。神秘性というより探査衛星の漂流を思い浮かべたのは、理知的な科学の時代の音楽だから?最後の女声合唱がホールP席の後ろの廊下で歌って、ドアを閉じることで音量を下げていったということらしいんですけど(わたしの席からは見えないのであとから教えてもらいました)、あれ?PA使ってるのかな?と思ったほどホールに声が漂ってきて、サントリーホールってなかなか良いホールだなって、再認識。宇宙船のゆりかごで太陽系の外への果てることのない旅を、地球外生命が見つけてくれることを祈りつつフェイドアウト。


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by zerbinetta | 2016-04-23 01:38 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

時をかけるポリフォニー ノット/東響 リゲティ、パーセル、ツァラトゥストラ   

2016年4月16日 @東京オペラシティ

リゲティ:「アトモスフェール」
パーセル:4声のファンタジア z.742、z.739
リゲティ:「ロンターノ」
パーセル:4声のファンタジア z.737、z.741
リゲティ:「サンフランシスコ・ポリフォニー」
シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」

神戸愉樹美ヴィオラダ・ガンバ合奏団
ジョナサン・ノット/東京交響楽団


今シーズンから定期会員になってみる東響、定期公演デビュウの前にフライング気味にオペラシティ・シリーズの開幕を聴きに来ました。だって、リゲティやるんですもの。それも音楽監督のノットさんで。生ノットさんは初めてなんですが、わたしがノットさんを知ったのは、ベルリン・フィルとのリゲティの作品集のCDなんです。それにとても感動して。それを今度は、オーケストラは違うけど生で聴けるなんて、幸せ。しかもですよ、プログラミングが凝っていて、リゲティは、ポリフォニーつながりで、パーセルのガンバ四重奏曲と組み合わされるのです(リゲティとパーセルの曲を交互に切れ目なく)。プログラミングは、わたしが音楽会で一番重要視しているところなので、こんなステキなプログラムに驚嘆と感嘆を覚えるのです。

ヴィオラダ・ガンバはステージ後ろの合唱席下手側で弾きます(わたしの席からは無念。死角になりました)。リゲティの曲があって、続けて(アタッカではなく、交響曲の楽章のように少し間を置いて)パーセル。300年の時を隔てて、音楽のスタイルも全然違うのに、お互いに溶け合うように交互に響きあう不思議。バロック音楽と現代の音楽の親和性が高いといつも思ってたわたしもこんなにも!ってびっくり。ピリオド・スタイルってアーノンクールさんがおっしゃるように、単に作曲された当時の楽器で当時の演奏法を百科事典的に再現することではなくて、当時の人たちの耳にその音楽がどう新鮮に聞こえたかを今のわたしたちに再現すること。それはまさしくコンテンポラリー(同時代の/現代の)で今の時を指向してる。だからこそ時代を超えた音楽が今の音楽として聞こえるのですね。ポリフォニーつながりで曲を配してそのことを実際の音で聴かせて証明してくれたノットさんの慧眼にブラヴォーです。

リゲティの「アトモスフェール」と「ロンターノ」って一見、似通った音楽に聞こえるのだけど(素人ぶりを暴露)、今日の演奏では、全く別物の音楽に聞こえたのはもうひとつのびっくり。「アトモスフェール」は、原初的でもやもやしていてまだ実態のない感じの、頭によぎったイメジでは、未受精卵の周りにもやもや漂っている無数の精子。それに対して「ロンターノ」は、形をなした(多分、音楽の背後に聞こえてくる聖歌のようなメロディ!がそうさせるのでしょう)、命を得た胎児を内包している子宮。お腹に耳を当てて命の胎動を聞くように、聞き耳を立てて音楽に吸い込まれる快感。目を瞑ったその先にある何か。

と、なんちゃって哲学的な独白をしてみたけれども、後半の「ツァラトゥストラ」は、冒頭の超有名な派手やかさとは対照的な哲学的な演奏。ここで、今日のキーワード、ポリフォニーが断然生きてきます。「学問について」のフーガはもちろん、そこに至る「世界の背徳を説くものについて」からの弦楽器の細かな分奏で’マイクロ・ポリフォニー’!のように扱われる音たちが、リゲティの世界とつながって聞こえるのはステキ。外連味のある「ツァラトゥストラ」を期待すると、細かく丹念に描き出される音の糸の綾で紡がれた音楽に肩すかしを食らわせられるけど、わたしは、この演奏にステキな新しさを感じました。

今年から会員になってみたノットさん率いる東響の定期演奏会、ますます楽しみで待ち遠しくなってきました。


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by zerbinetta | 2016-04-16 14:27 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

爽快な登山の余韻 東京楽友協会第100回演奏会   

2016年4月3日 @すみだトリフォニー

ウォルトン:戴冠式行進曲「宝珠と王杖」
レスピーギ:バレエ組曲「シバの女王ベルキス」
シュトラウス:アルプス交響曲

橘直貴/東京楽友協会交響楽団


首都圏の社会人アマチュア・オーケストラで歴史が古いとこ、どこだか分かりますかー?
多分一番は、OB交響楽団 1937-(定期演奏会の回数189)(学生オーケストラはもっと古くからあるのいくつかあります)で、次に都民交響楽団 1948-(121)、新交響楽団 1956-(233)が続きます。そして、今日聴きに行った、東京楽友協会管弦楽団が1961年創立で、今日が記念すべき100回目の演奏会。長く続けることは目標でも目的でもないけれども、多分たくさんあった困難を乗り越えて長く続いているアマチュア・オーケストラってやっぱりそれだけで凄いと思う。いいえ、それだけではなく、長く続いているのには理由があってそれが音楽にしみ出てくるのがいいの。これらのオーケストラはどこも聴いてみてねって薦められるもの。

楽友協会さんの100回記念はアルプス登山。登山の情景模写のように振る舞って、実はシュトラウスのオーケストラ作品の中で最も哲学的な音楽ではないでしょうか。人生は登山に例えられる、って言うし。記念演奏会にふさわしいでしょ(記念だから選ばれたかどうかは知りませんが)。

前半は、ウォルトンの「宝珠と王杖」の行進曲。おめでたい曲。ステキな行進曲(好き♡)だけど、機会音楽なのであまり演奏されないのが残念。「威風堂々」のように定番になってもいいのに。ジャジーな細かな楽想が賑やかに聞こえて、とても演奏もしずらそう、特にホルンなんか、難しそうな音符を後ろで吹いてるのが、あまり聞こえなくて労多くして報われなさそうで、ちょっとまとめるのに苦労していた感じ。でも、最後のなりふり構わぬ大盛り上がり(に作曲家がした)で、オルガンの人がノリノリで弾いていたのにいいねを劇押し。

「シバの女王ベルキス」は、吹奏楽にも編曲されてよく知られているそう。わたしは初めて聴きます。バンダや軍隊の太鼓も加わる大編成の賑やかな曲。プログラムの解説によるとバレエの初演は、総勢1000人くらいの出演者だったとのこと。そんなバレエ観てみたい。オーケストラで演奏されるのも珍しいみたいだけど、エキゾティックな旋律と過剰なまでの派手やかな商店街を流れる音楽みたいな、ここまでやるか的な色物具合が面白かったです。登山の前に大盛り上がり。山小屋で大宴会しちゃったみたいな。橘さんは、オーケストラを解放して適度に外連があってなかなかでした。チェロのソロがとっても上手かったですね。

お終いは「アルプス交響曲」。いよいよ登山。大好きな曲なのでワクワクしながら聴いていました、とか言いつつ、羊が出てきたら突進して追い払っちゃえ(それドン・キホーテ)とか、雷落ちないかなとか(ほんとに雷落ちたの(サンダーマシーンが叩いた勢いで落っこちた)聴いたことあるの)、ヘンなことばかり。あと、カウベルは何年か前に亡くなったマーラーへの追悼かなとか。ユングフラウだったら電車でてっぺん近くまで行けるのにとか。それにしてもサンダーマシーン、今日はステージの後ろの方左右に2つあったけど、いつもいつ来るかいつ来るかとワクワクしながら見つめてしまうの。嵐が終わる頃、1度しか鳴らないんだけど、もったいないな。もっとがんがん雷鳴らしまくればいいのに、と浅はかな素人。
橘さんは、オーケストラの良さを無理なく引き出して、理路整然とした音楽を作っていました。描写音楽と言うより、音楽自体を大事に捉えた交響曲的寄りなアプローチですね。とてもきっちり、オーケストラをドライヴしている感じで、オーケストラもそれに応えてステキな音楽を奏でていました。ちょっと真面目すぎて、(プロのオーケストラだったら)聞こえない、細かな背景の音(聞こえないけれども靄のように音の雰囲気を作る)まで浮き出て聞こえていたのはご愛敬。オフステージの金管部隊も大きな音で(大好き!)かっこよかったし、素晴らしいアルプス登山でした。楽しくて、その分、哲学的な深みにはあまり触れなかったかな。でもいいの。登山そのものだって楽しいんだから。最後、夕日の奥に沈み込む、心地良い疲れと爽快感の余韻は、音楽の充実の賜物でしょう。

カーテンコールのとき、プログラムにもステキな文章を寄稿されていた、なんと!楽団創立メンバーにして100回の音楽会に皆勤賞で乗っている方が紹介されて、指揮者から花束が贈呈されていました。75歳には見えない若々しさ。これには、わたしも感涙。このオーケストラの背骨の凄みを見る思いがしました。多分それはメンバーみんなが共有している、オーケストラの歴史が作る道筋なのでしょう。
記念すべき登山を無事に終えて、これからもずっとこつこつとステキな音楽会を積み重ねていって欲しいですしそうするのでしょう。末永く聴いていきたいオーケストラです。


♫♫
東京楽友協会交響楽団の次の定期演奏会は、9月18日、すみだトリフォニーホールです。
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by zerbinetta | 2016-04-03 10:39 | アマチュア | Comments(0)

出逢いそして別れ ツァグロゼク/読響   

2016年3月17日 @サントリーホール

ベンジャミン:「ダンス・フィギュアズ」
コダーイ:組曲「ハーリ・ヤーノシュ」
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」

ローター・ツァグロゼク/読売日本交響楽団


あとで気がついたら、今日がわたしの読響さんのシーズン最後の音楽会になってしまいました。来シーズンはサブスクライブしないので、読響さんとはお別れです(お客さんとしていくつかの公演はシングル・チケットで聴きに行きますよ)。指揮者のツァグロゼクさんは、全然知らない人。なので、ヘンに期待もせず、平常心で聴きに行きました。

始まりはイギリスの存命の作曲家、ジョージ・ベンジャミンさんの「ダンス・フィギュアズ」(2004)。で、今日の収穫その1は、ベンジャミンさんを知ったこと。
と、初めて聴く人のように書いてしまいましたが、あとで調べたら、わたし、この人のオペラ聴いているんですね。すっかり忘れてました(というか誰が書いていたか意識してなかった)。バレエのための音楽ということで、どんな踊りになるのか妄想しながら聴いたら楽しかった。とは言え、どんな踊りになるかあまり想像できなかったんですけど。わたしは物語バレエの人なので、まず物語を想像するんだけど、ちょっとそれが難しかったな。初めて聴く曲だし。でも、これ、とってもステキな音楽でした。響きがとってもきれいなんですよ。その響きを作るための楽器の選択がとっても色彩的でいいの。

「ハーリ・ヤーノシュ」は、今日の最後の「英雄」とナポレオンつながり。ほら吹きヤーノシュがナポレオンを打ち負かした話が、第4曲なんですね。この曲は、前にも聴いたことあるのだけど、ツィンバロムをちゃんと見たのは初めて(前に聴いたときはかぶりつきだったので楽器がよく見えなかった。今は亡きマズアさんがしきだいから落っこちたのを鮮明に覚えてる)。打楽器だとは知りませんでした(正確には打弦楽器と言うんだそうです。ピアノの弦のようなものをばちで叩くの。
ツァグロゼクさんの演奏は、即物的。物語性や絵画性を強調することはあまりしないで、音をあるがままに音にした感じ。ドライでわたしは好きな演奏でした。ただオーケストラにはもちょっとがんばって欲しかったな。特に金管楽器。弱音と強音での音の力に差がありすぎて、弱音では音に芯がないというか、ただ小さい音で吹いたという感じで響きが薄かったです。あと、トップ奏者はまだしも、セカンド、サードの人たちが少し力不足でした。

ベートーヴェンの「英雄」は、「ハーリ・ヤーノシュ」の演奏から予想されたように、やっぱりさくさくとドライなある意味ピリオド・スタイルに近い演奏でした。ティンパニも固いマレット使っていたし、鋭く付けたアクセントとか、もったりしないテンポとか、甘いケーキ系ではなくておせんべい系な感じ。この間の、広上さんのベートーヴェンが時代遅れ(そういうロマンティックな表現も音楽に説得力があればいいのですけど、昔聴いた巨匠の演奏をなぞってみました的な演奏ではダメです)だったので、今日のツァグロゼクさんの演奏で溜飲を下げました。第2楽章のお終いでティンパニのマレットを柔らかなものに代えていたのも心憎いです。あっでも、ホルンにはもっとがんばって欲しかった。

ツァグロゼクさん、好みのタイプのイケメンおじいちゃんだったわ。音楽が老いぼれてなく尖っていたのもステキ。
読響さんとはこれでお別れ(定期会員として)だけど、上手いっぽいのに物足りなさを感じることが多かったのは、多分、トップ奏者と後ろの方の人たちの音楽の力に差があるからだと思います。読響がもう一段のレヴェルアップを図るには、後ろの人がその他大勢ではなくひとりひとりがオーケストラの音楽に前の人と同じように参画するようにならなければいけませんね。全員がひとつの音楽を奏でられるように。良いオーケストラなのでそうなって欲しいです。
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by zerbinetta | 2016-03-17 00:07 | 日本のオーケストラ | Comments(3)

イギリス田園風景 尾高/日フィル   

2015年12月12日 @サントリーホール

フィンジ:クラリネットと弦楽のための協奏曲
ヴォーン・ウィリアムズ:バス・テューバと管弦楽のための協奏曲
シューベルト:交響曲第8番

伊藤寛隆(クラリネット)
柳生和大(テューバ)
尾高忠明/日本フィルハーモニー交響楽団


金曜日の公演を土曜日に振り替えての日フィル。土曜日のお客さんは(マナーが)良くないと言われていたので戦々恐々としていたのだけど、今日はそんな感じでもなかったです。わたしが鈍感で気にしないだけかも知れないのだけど。
前半は、尾高さんお得意のイギリスもの(尾高さんはウェールズの劇場で活躍しておられた)。後半にシューベルトのハ長調の大交響曲。それにしても、前半の2曲、初めて聴く曲。ロンドンでも聴いたことなかった(1曲目は作曲家の名前さえも初耳)。

フィンジのクラリネット協奏曲は、戦後書かれた音楽だけど、イギリスの田園風景を彷彿させるような、さりげなくロマンティックで分かりやすい曲。柔らかな光りの彩度を落とした風景画のような世界。クラリネットが優しいメロディを奏でていくところに、弦楽合奏が空気のように世界を満たしていく。懐かしいような田舎の風景の映像の裏に流れていくような音楽。読響の主席の伊藤さんのクラリネットもオーケストラもその風景に溶け込んでいて、でもただそれだけ、なんだよね~。そつなくきれいなんだけど存在感の薄い人みたいな。

RVW(ヴォーン・ウィリアムズをイニシャルをとってこう略すんです)のテューバ協奏曲は、テューバ吹きには有名な曲(と言うのはテューバ吹きの友達に聞いて知っていました)。テューバの協奏曲なんて珍しいですしね。テューバの良さ、低音の重さに加えて軽やかさもあるんですね、を生かし切ったマニアックではあるけど名曲だと思いました。自在に吹く読響の柳生さんもここぞとばかり楽しそうで。チューバの音楽を存分に楽しませてくれました。不満があるとしたら、曲が15分ばかしで短かったこと。あっという間に終わってしまいました。
それにしても、この2曲で日フィルのソリストの魅力の一端が分かったし、尾高さんとイギリス音楽の相性の良さが確認されたのでした。

休憩のあとは打って変わってシューベルト。始まりのホルンのユニゾンは、魅力的な音で魅力的なテンポだったんだけど、流れるような流線型の音楽が、シューベルト特有の翳の部分を隠してしまった感じがしてちょっと物足りなかったです。同じ田園風景も感じさせる音楽だけど、イギリスの音楽とシューベルトの音楽の風景って違うと思うんですよ。陽光の気持ちの良いお散歩なのに、歩くことに夢中になってしまって、足元の小さな花や虫の死骸、木の陰に潜む鳥を見逃してしまって、豊かな語彙が感じられませんでした。ちょっと雑だったし、オーケストラの音にももう少し潤いが欲しかったです。日フィルってどちらかと言うとドライな音のするオーケストラだと思うけど、せっかく積極的な奏者が集まっているんだから、丸味のある音も身につければもっと良くなるのに惜しいなぁ。
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by zerbinetta | 2015-12-12 12:28 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

いびつな真珠の極み レ・ポレアード+SPAC 「妖精の女王」   

2015年12月11日 @北とぴあ

パーセル:「妖精の女王」

エマ・カークビー、広瀬奈緒(ソプラノ)、波多野睦美、中嶋俊晴(アルト)
ケヴィン・スケルトン(テナー)、大山大輔(バリトン)
寺神戸亮/レ・ポレアード
宮城聰(演出)/SPAC


去年聴きに行って楽しかった北とぴあ音楽祭。もちろん今年もデス。バロック音楽に重心を置いて、今年は、パーセルのオペラ「妖精の女王」。古楽界の永遠のアイドル、エマ・カークビーさんが歌うのが目玉です。そして、こんなステキな音楽会が格安で聴けるのです。万難排します(日フィルの定期を振り替え)。

北とぴあは王子。去年来てるから余裕よねと、自信を持って駅を降りたら見たこともないところ。駅間違えた?いえいえ、出口が違っていたのですね。きょろきょろして信号につっかえつっかえなんとか会場に着いて、開演前のロビー・コンサートに滑り込み。上野学園大学古楽アンサンブル(プロではなくサークル活動みたいなのかしら?)による、「もうひとつの妖精の女王」ーヴァージナルの響きと共にーと題された演奏会。バッハの親戚のヨハン・ベルンハルト・バッハの「妖精の女王」のテーマによるシャコンヌ(オルガン独奏)やヴィオラ・ダ・ガンバやリコーダー、ヴァージナルのソロのための作品。全員の合奏でパーセルの(ブリテンの「青少年のための管弦楽入門」の元になった曲を含む)「アブデラザール」が演奏されました。近くで見るヴァージナルの装飾もきれいで(フェルメールにヴァージナルが出てくる絵が何点かありますね)、昔の楽器って美術工芸品としてもステキで、総合芸術的ですね。今度は、野暮なロビーじゃなくてお屋敷の間で聴きたいですね。雰囲気も楽しみながら。

36歳で若くして亡くなったイギリス・バロックを代表する(というかイギリスを代表する)大作曲家ヘンリ・パーセルのオペラ「妖精の女王」。シェークスピアの「夏の夜の夢」を元にしたオペラなんですね。わたしの知識はたったここまで。あと、古楽界の妖精、カークビーさんを初めて聴く楽しみ。ロンドンでは彼女を聴く機会に恵まれなかったんですよね。小さなところで歌っていたようでアンテナに引っかからなかったの。

音合わせが終わって、指揮の寺神戸さんがまさに、指揮棒をおろさんとした瞬間、会場のどこかから大声が。えー誰だよーサイアクーと思ったら、お芝居が始まったのでした。演出に一杯食わされた。一本取られてしまいましたよ。そうなんです。あとで知ったんだけど、パーセルの「妖精の女王」はオペラと言うより劇付随音楽に近い形。セミオペラと言うんだそう。音楽とは別に劇が上演されるんです。完全に歌と音楽が支配するオペラの脇に、こんな、劇と音楽の融合があったんですね。その後も「アルルの女」とか「ペールギュント」とか劇付随音楽は書かれているけど、廃れてしまった感じがあります。音楽と劇を同時に上演することに難しさがあるのでしょうが(例えば、音楽向きの会場と劇向きの会場は違うとか)、今日、「妖精の女王」を観てとっても面白くて、わたしは、むしろこの形式に今のオペラを活性化するヒントがあるような気がしました。そんな難しいことは言わなくても、だってほんと面白かったんだもん。もっとこういうの観たいって素直に思った。「アルルの女」とか「ペールギュント」とかどこかでやらないかしら。バレエ版でもいいのだけど。

宮城さん演出のSPACの劇については、わたし、演劇はあまり観てこなかったので、良い悪いは分からないのだけど、ヒトコト、面白かったぁ〜〜。劇だからこそ、シェイクスピアの戯曲にかなり忠実で(錯綜している作品なのでオペラ(ブリテン)やバレエ(メンデルスゾーン/アシュトン)のは物語をかなり刈り込んでます)、言葉の速さや役者のスポーティーな動き(テナーの人も側転とかしてた!)が全体の運動を作っていて、基本的に妖精界を彩る音楽のゆったりとした空気(音楽のテンポの速い遅いではなくて、歌になった言葉の長さという意味で)とステキな対照をなしていて秀逸。妖精界(に迷い込んだ人間も含めて)を舞台に立てられた梯子や棒の上で地に足を付けずに表現するアイディアも素晴らしいの。

それに加えて、これでもかというくらい、小ネタやら音楽の飾りでもうお腹いっぱい楽しかった〜〜。バロック音楽って、バックグラウンドミュージック的なヴィヴァルディの「四季」の演奏(ちゃんとした演奏なら凄く刺激的なのに!)やアルビノーニの「アダージョ」やらパッペンベルの「カノン」やらのイージーリスニング的なものが染みついちゃって、バロック=いびつな真珠というのが、いまいちピンとこなかったんだけど、今日のオペラを観て、バロックってまさにいびつ、とんでもないくらいいびつでごつごつして、刺激的で、古典派やロマン派の音楽よりはるかに現代的というか同時代的に聞こえました。何でもあり感が凄いんです。

初めて聴くカークビーさんは、声が小さくて(と言っても全然聞こえないって言うわけではありませんが)、こんなもんかな、って最初思っていたんです。他の歌手の人たちもみんな良くて、カンパニーとしてまとまりがあるから、演技的にも直前に合流したと思われる、それにお客さん扱いのところも見られた、カークビーさんが浮き気味で。でも、それを逆手に取った演出(出演者と記念撮影したりサインを求められたり)も上手い。そして、「嘆きの歌」。結婚式のあとに挿入される悲しみの歌。。。それがバロック。カークビーさんのこの歌は、今日の公演のある意味音楽的頂点だったかも知れません。歌うというより、言葉を語る。その強さ、悲しさ。音楽を伴って言葉がこんなに強く鋭く突き刺さってくるとは。メロディを従えたシュプレッヒゲザング!
そしてまさかの、カークビーさんの和装!!やるなぁ。こんなものまで見せられるとは。カークビーさんも楽しそうにしてらしたし、良いもの観た。

寺神戸さんとレ・ポレアードのオーケストラもとっても垢抜けていて、去年よりもひとまわりもふたまわりも大きくなっていた感じ(多分、劇がオーケストラを刺激したのでしょう)。パーセルの書いた音楽も刺激的で、派手なティンパニの乱れ打ち(?)にはニンマリ。やっぱりバロックって凄いよぉ。ルールがまだ緩やかだった分、もう何でもありだもの。

ほんと、今日は、演劇と歌とオーケストラが、バラバラにそれぞれ突き抜けた、いびつな巨人を見たような素晴らしい体験でした。バラバラでまとまるって凄いよね。
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by zerbinetta | 2015-12-11 23:44 | オペラ | Comments(0)

今年も凄い 音楽大学オーケストラフェスティバル 2日目   

2015年11月15日 @東京芸術劇場

ファンファーレ
藤川大晃(東京藝術大学):界・響

ストラヴィンスキー:管楽器のためのシンフォニーズ
ペルト:カントゥスーベンジャミン・ブリテンの思い出に
ブリテン:シンフォニア・ダ・レクイエム

下野竜也/上野学園大学管弦楽団

ファンファーレ
三浦良明(上野学園大学):群青

シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」

山下一史/東京藝大シンフォニーオーケストラ


まずは、ファンファーレ対決。何でも対決させたいポケモン世代のわたし(なんのこっちゃ。ポケモンなんて知らないくせに)。まずは、東京藝大の藤川さんの。ちなみに、この間のファンファーレのタイトルは、2つとも英語で付いていたんだけど、今日は2つとも日本語のタイトル。で、藤川さんのは和。神社で使うような鈴が鳴るのが楽器的特徴。華々しいファンファーレではなくて、音楽会への入場がケからハレへの転換であることを神社に参拝するときの俗から聖域への堺になぞらえて、宗教的なというか、内に向かうファンファーレがユニーク。メシアンみたいな響きなのかな、と思ったんですけど、上野学園のストラヴィンスキーを聴いたら、こちらを参照してるのかな。旋法的な上昇音階や効果的なグリッサンドでなかなか凝った作り。お終いの方で、ツァラトゥストラのドソドの動機が出てきて、うん、今日の特別なファンファーレでした。この学校だけ、オルガン席で吹奏されて(他の大学はステージの前の方)、ステージ上の指揮者付き。作曲者と指揮者の人なんか兄弟みたいでした。

上野学園の三浦さんの「群青」は、沖縄の青い海や空をイメジしたファンファーレ。左右、真ん中と3つに振り分けられたトランペットとユーフォニウムを含んでるのが楽器編成の特徴。細かい音が揺れる波のような感じで、さりげなく使われる沖縄音階と相まって、確かに濃い青を思い浮かべました。というかいろんな青のグラディエイションがカラフルなファンファーレでした。

下野さんと上野学園は、去年もステキな演奏をしていたので、今年もとっても期待。正直に言って、上野学園は、技術的には他の音大よりも劣るんですけど、下野さんマジックで音楽がステキなんです。去年は小さな編成だったので、学生が少ないのかなと思ったら、今年は大編成。最初は、管楽器だけでストラヴィンスキー、次に弦楽器と鐘でベルト、そして続けてブリテンつながりでフル・オーケストラの「シンフォニア・ダ・レクイエム」。ペルトのブリテンのための追悼曲とブリテンの作品を続けて演奏するのは、ときどきあるみたいよね。前に「4つの海の間奏曲」と続けて演奏されたのを聴いたことがあるけど、今日の「シンフォニア・ダ・レクイエム」の方がふさわしい。下野さんの凝ったプログラミング。
管楽器のためのシンフォニーズは、音の発声の仕方が丁寧になるあまり揃わなくて、ちょっと残念。みんなが同じように発声するようアンサンブルに磨きを掛ける練習が足りなかったのかな。指揮者なしでもパート練習でもっと合わせて欲しかったです。
弦楽器の「カントゥス」は、弦の響きがちょっと薄いけど、さらさらと流れる感じで、その分、叙情的な感情移入からは遠くなってるのでそこは好みの分かれるところ。下野さんが細かく指揮を振ってらっしゃるのが、聞こえてくる音楽と違う感じがして、でも重なり合っていく楽器群を正確に入れるのにはしょうがなかったのかなと思ってみたり。
ここまでは、去年の下野マジックは感じられなかったんです。これまでかな、と思った矢先、続けて演奏された「シンフォニア・ダ・レクイエム」で爆発。これは素晴らしい!胸を空くようなティンパニの打ち込み!ティンパニストには最大のブラヴォーを捧げたい。オーケストラも熱演。感情の迸る一期一会の演奏でした。やっぱり今年もものすごくいいもの聴けた。下野さんと上野学園恐るべし。それにしても皇紀2600年のお祝いにこんな曲を書き送ったブリテンも凄いな。ところで、中程で出てきたサックスの旋律って「パゴダの王子」にも引用されてる?皇帝つながりで?

山下さんと藝大。うーんやっぱり、藝大さんは飛び抜けて上手いです。もうプロと言ってもいいようなレヴェル(一昔前のプロ並み)というかプロ予備軍だもんね。山下さんの音楽は、濃いというか熱いんだけど、あっさりと軽く後を引かない不思議な感覚。「ツァラトゥストラ」を巧妙な手綱さばきで、オーケストラを歌わせながらさくさくと進めていきます。学生は、なんか魔法にかかったように(薬を飲まされたようにって表現はやばいかな)、ハイになってメーター振り切れで音楽の渦に呑まれている状態。最後は、マラソンを全力疾走してゴールテープを切ったような達成感。山下さんは、前に聴いた新交響楽団との演奏でも感じたのですが、ほんと、オーケストラを気持ち良くのせるのが上手いですね。リミッターを外して学生の持ってるポテンシャルを最大限にというかそれ以上に引きだしていました。オーケストラが良く鳴る演奏は、シュトラウスを聴く醍醐味でもありますね。ヴァイオリンのソロを弾いたコンサートマスターの女の子(若いから女の子でいいですよね)もピチピチと魚が跳ねるような弓使いでステキでした。
さて、山下さん。小さなニューフィル千葉の指揮者への就任が決まってるんですけど、千葉ではどんな音楽を作るのかしら。ワクワクと同時に千葉と合うのかしらと勝手に心配。(むしろシティフィルさんと合いそう)
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by zerbinetta | 2015-11-15 11:57 | アマチュア | Comments(0)

新しい時代の到来の予感 パーヴォ/N響 マーラー1   

2015年2月7日 @NHKホール

エルガー:チェロ協奏曲
マーラー:交響曲第1番

アリサ・ワイラースタイン(チェロ)
パーヴォ・ヤルヴィ/NHK交響楽団


兄ビーことパーヴォ・ヤルヴィさんが、来シーズンからN響の音楽監督になられるという発表には驚かされたけど、今日は一足早く、その兄ビーがN響に客演。プレお披露目コンサート?期待期待。
でも、実は、わたし、兄ビーとはあまり馬が合わなくて、、ついでに今日のソリストのワイラースタインさんとも馬が合わなくて、、、しかもN響はあまり好きじゃなくて、、、、さらに渋谷は電車を降りたとたんにうんざりで。つらい。。。と、へなへなと出かけてきたんだけど、帰りは渋谷の坂をスキップで下りたい心境。いやぁ楽しかった。面白さ抜群。超充実の音楽会でした。結論を先に言うと、熱く感動した演奏ではありません。感動はしたんだけど、もっと知的な興奮で、例えて言えば、深遠な問題が E=mc^2 のようなシンプルきわまりない数式で解決する美しさに感動したみたいな。それをマーラーの最初の交響曲で聴けるなんて。そしてN響の変貌ぶりに大拍手。

プログラムの前半は、ワイラースタインさんのソロでエルガーのチェロ協奏曲。ワイラースタインさんは最近、人気急上昇の若手チェリスト。とても魅力的な音の持ち主です。わたしもそれはすごく同感なんだけど、どうしても音楽がすれ違っちゃうんです。エルガーもちょっと素直な感じですうっと抜けてる、広々とした感じが、何だかイギリスの冬のどんより感と合わなくて(あっ。イギリスでもお天気の日はうんと気持ちがいいんですよ。たまにしかないから尚更)。わたしの好みは、もっとスモーキーで口に残る渋さのある演奏。それが彼女には足りないというか、彼女の良さは別のところにあるというか。ほんと音はきれいで、最弱音でも大きなNHKホールを響かせちゃう(最弱音のまま痩せずに最上階の席に届く)音のコントロールはすごいと思うもの。
アンコールには、バッハ無伴奏チェロ組曲第3番から「サラバンド」。ハミングするような静かなバッハでした。彼女はバッハをどう弾くのかしら?全曲を通して聴いてみたいです。

後半は、マーラーの交響曲第1番。プログラムには、前島さんがこの曲の成立史を書かれていて、最終的な交響曲第1番には「巨人」というタイトルは付いていないと書かれているのに、曲目には敢えて「巨人」と付いていたのが反目してるようでちょっと可笑しかった。わたし的には、最近たまに演奏されるようになった交響曲の前身の5楽章版の「巨人」と区別する意味で、交響曲は単に第1番と呼んでるけど、まあ細かいことを言わなければどっちでもいい。「巨人」といって元になった小説を読んだことのある人はいないだろうし、まさか「進撃の巨人」や野球のチームを思い浮かべる人もいるまい(ちょっとかっこつけてまい)。抽象的すぎてもはや単なる記号のようなものだろうし、ニックネームがある方が親しみやすく覚えやすいという人もいるだろうからそんなに目くじら立てなくてもって感じ。それに、第3楽章についてた表題、「カロ風の行進曲」は、(カロではなくて)シュヴィントの絵を思い浮かべるととても感じがつかめるし。と、長々と書いてしまった。あっちなみに、わたしは、「巨人」のタイトルの付く前の一番最初のヴァージョンが大好きです♥

兄ビーとN響のマーラー、始まりの静かなラの音から張り詰めた引き込まれるような空気を醸し出していました。ゆっくりとしたテンポで楽器の音色やバランスに細心の注意が払われていて、春の始まりの夜明け前というより、革命前夜の緊張感。お散歩するような旋律が出てきてほっとするのもつかの間、なかなか気持ちが晴れない音楽。リピートで2回目を1回目とは違う表情を付けたり、ほんと細かいところにまで目を配ってるのだけど、決してわたしたちを寛がせない音楽。まるで世界を歪んだ鏡で見ているように、いろんな音がデフォルメされたり隠れているものが見えてきたり、歪んでいるけどひとつひとつは異様にクリア。
兄ビーはわざと焦らして、エネルギーを解放させない。一直線に盛り上がるんじゃないかと思うと引っ込めちゃったり、音楽を止めたり、手練手管で焦らしまくるから、わたしの中に行き場のない快感がどろんと淀んできて、もうこのまま春は来ないんじゃないかと思ったとたん最後の最後に音を解放して終わるという、見事な作戦。わたし的には、第1楽章はもっと素直に春、でいいんじゃないかって思うのだけど。。。

第2楽章は、最初ゆっくり初めてアチェレランド。このやり方は前に聴いたことあるんだけど、今日、兄ビーので謎が解けた。トリオを挟んで2回目はアチェレランド無しだから、このアチェレランドの部分(4小節?)は、序奏なのね。この楽章も、木管楽器が色彩的で(今日の木管楽器、ときにオーボエはブラヴォ)素敵。ホルンのゲシュトップでのベルアップもトップの人、あり得ないベルアップして、視覚的にも楽しいの。1楽章を聴いた後なので、わりと普通かなと思ったら、ホルンの消えていく独り言のような合図の後のトリオは、とてもゆっくりと春の日の中であくびをするように、の〜〜〜んびりとした音楽。兄ビーさんのフレーズの最後をすううっと抜いて音楽を止めて、またやり直すのは一瞬危険だけどはっとさせられる。

第3楽章の始まりのコントラバスはソロで。今日の白眉は、闖入者。動物たちの葬送の歩みに闖入してくる陽気な楽隊。その大太鼓の音色にものすごくこだわりがあって雰囲気に合っていて最高。こんなの初めて聴いた!それにしても、突然の闖入者のコントラスト、これがもう唐突で、でもマーラーが描いた世界ってこういうのよね。以前にオランダの街を夕暮れ時に歩いていて、路地を折れたら急に手回しオルガンが目の前に聞こえてきた驚き。もしくは、下北沢の商店街を歩いていたら突然賑やかなちんどん屋さんと邂逅した、時を遡った郷愁。菩提樹の下、雪のように舞う花びらの中で夢を見ていた。

突然のシンバルの強打、この音色が今日の2番目のびっくり。それにしても、兄ビーの打楽器への音色のこだわりハンパない。何と言う色彩的な打楽器群。今日はほんと、打楽器と木管楽器が素晴らしかった。相変わらずの音楽を止めるかのようなフレージングが炸裂して、巨木が倒れるようなつなぎの部分とか、叙情的な第2主題で効果を発揮。面白いったらありゃしない。もう脳細胞をつつきまくられて知恵熱が出るような興奮。最後は、トロンボーンやトランペットの助けを借りずに、譜面通り立たせたホルンでしっかり盛り上がって(と言ってもわたしの理想は、バンダのホルン10本くらいを客席から演奏させて大盛り上がりなんだけど)フィニッシュ。納得の演奏。ではあるんだけど、熱く感動したかというとそうではなくて、面白くって知的興奮の方がはるかに大きな演奏でした。情より知が勝る演奏。もっとストレイトに青い若さで情に訴える部分があればすごい名演になったんだけどな。兄ビーさんはそんな青臭さを出すにはもう老獪すぎる?この曲大好きなのに、心の底からのめり込んで感動したという演奏にはまだ出会えずにいるのよね。多分、わたしの脳内理想音楽がヘンテコな方にいってるからだと思うのだけど。とは言え、記憶に残る間違いなく素晴らしい演奏でした。客席も熱を持って盛り上がり。

それにしても今日のN響、いつもの上手いけどもやもやを感じさせるN響じゃなくて嬉しいびっくり。来シーズンからの兄ビーとN響の結婚、素晴らしいものになるんじゃないかと予感。N響、変われるんじゃないだろうか。全ては、N響が変化することを躊躇わない一歩を踏み出せるかどうか、お客さんが新しい音楽の地平を受け入れられるかどうかにかかっているのですけど。わたしは、楽しみにします。兄ビー、思いきりやってくれーー。
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by zerbinetta | 2015-02-07 23:11 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

ピチピチ! プティ・ヴィオロン誕生!   

2014年11月18日 @大田区民プラザ 小ホール

パーセル:ダイドーとエネアス

鈴木麻由(ダイドー)、平澤巧(エネアス)
清水理沙(ベリンダ、第一の魔女)、福島千尋(魔女)
岡崎陽香(第二の侍女、第二の魔女)、品村紗佑里(精霊)、野村京右(水夫)

佐藤駿太/プティ・ヴィオロン


古楽ブームがあって古楽が広く聴かれるようになっている昨今だけど、アマチュアで古楽器を操る人はまだまだ少ないようです。リコーダーを吹く人はいるような気がするけど、アマチュアの古楽器アンサンブルは、まだほとんどないようだし(オーケストラ・オン・ピリオド・トウキョウが2003年創立、日本で初の本格的アマチュア古楽オーケストラみたいです)。そんな中、新しくピチピチの古楽アンサンブルが誕生!アマチュアと言っても、指揮者を含めて全員音楽大学の学生さんで、音楽家の卵たち。セミプロと言っていいですね。

「ダイドーとエネアス」。イギリスの生んだ大音楽家。ロンドンに住んで初めてロイヤル・オペラ・ハウスで観たオペラがこれだったんだけど、バロック・オペラってなかなか観る機会がないから貴重。東京なんて、バロック・オペラ向きの中くらいのホール多いし、セミ・ステージドでやるのも素敵だからもっとたくさんいろんなのが上演されて欲しいんだけど、まだまだ古楽の裾野は狭いのが残念。

大田区民プラザは電車だと下丸子。昔の目蒲線っていうか目蒲線じゃなくなってたのでびっくり。初めて行きます。会場の大田区民プラザの小ホールは、ホールと言うよりステージのある宴会場と言った感じで、客席はパイプ椅子。オーケストラはもちろんピットではなくて、ステージに向かって右手の客席のスペースを仕切ってありました。こんな会場だけど、何だか熱気があって、若者達が準備している中、少し早めに着いていたのでプログラムを読んでいたんですが、これも想いが溢れていてピチピチ跳ねてる感じ。(多分)中心メンバーのひとり、上田朝子さん(アマチュアと言ってもすでにプロの中でも音楽活動をされている方なので名前を出しています)の書かれた解説+個々のメンバーの好きなシーンの紹介が、熱というか愛に溢れていて、しかも聴き所を的確に教えてくれて(聴いててとても役立ちました)優れもの。

音楽会の始まりを知らせる合図が生演奏というのも素敵。プチ贅沢。
「ダイドーとエネアス」。1時間強の短いオペラだけど、有名なアリアもあるし、物語も音楽もテキパキとまとまっていて飽きさせないというかむしろスリリング。そしてそれを見事に聴かせてくれる演奏。ステージも衣装もとてもシンプルでオペラを観る非日常な豪華さはないけれども、でも十分に目で見る物語と音楽の調和がありました。何よりも全員、変に擦れたところがなくて音楽に対して新鮮な喜びが感じられるの。一期一会の会心の音楽会じゃなかったのかと思います。音楽会を終えたときの満足感と言ったら。終わってホールの外で見送ってくれた出演者の満ち足りた顔も素敵だったけど、むしろわたし自身がめちゃ熱くなってた。

全員のアンサンブルのなせる業だと思うので、個々の人を挙げるのは少し気が引けるのだけど、最後、自分の胸で息を引き取っていくダイドーを見守るベリンダ、大粒の涙で泣いていたのがとっても印象的でした。もらい泣き。完全に世界に引き込まれました。
オーケストラもさすが古楽器を勉強している人たち。安心して音楽に身を任せられます。この人達が、学校を巣立って留学とかして、プロの古楽器奏者になっていくなら、古楽器界の未来は明るい。古楽って古い音楽じゃなくて、全身でワクワクドキドキする新しい音楽でもあるの。ひっちゃかめっちゃかで楽しくてアグレッシヴ。古楽のっていうか、古楽って言うの嫌だわ、楽器の形が整う前のカンブリア紀の生き物のようなアヴァンギャルドな楽器を使った、ルール無用の音楽をロックに演奏する人がたくさん増えて欲しい。古楽はおじいちゃんの盆栽じゃないよ。ってわたしまで熱くなってしまったわ。ちなみに全然関係ないけど、チェンバロを弾いてた方の横顔がユジャ・ワンさんに似てました。

ああ、このアンサンブル、これっきりだったらもったいないなぁと思っていたら、次回の音楽会のお知らせが。やったーー!次回は2015年2月27日、杉並公会堂小ホールです。ダンス付き!フランス。「太陽王の愛した舞踏と音楽」です。絶対、行かなくちゃーーー。

追伸
ぐぐぐぐ。その日、衝動で買ってた別の音楽会があったんだ〜。もちろん、これもものすごく楽しみにしてるんだけど。あああ、体がもうひとつ欲しい。プティ・ヴィオロンさん、3回目あるよね。楽しみにしてまーーーす。
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by zerbinetta | 2014-11-18 21:12 | アマチュア | Comments(0)

ビントレーさんの最終公演 新国バレエ「パゴダの王子」   

2014年6月15日 @新国立劇場

パゴダの王子

ベンジャミン・ブリテン(音楽)
デヴィッド・ビントレー(振付)
レイ・スミス(衣装・装置)

小野絢子(さくら姫)、福岡雄大(王子)
湯川麻美子(皇后エピーヌ)、山本隆之(皇帝)
八幡顕光(北の王)、古川和則(東の王)
マイレン・トレウバエフ(西の王)、貝川鐵夫(南の王)
福田圭吾(道化)、他
新国立劇場バレエ団

ポール・マーフィー/東京フィルハーモニー交響楽団


今シーズンの新国バレエの千秋楽です。と同時に、芸術監督のビントレーさんの最後の公演と言うことになります。わたしは、新国バレエを観はじめてからまだ日が浅くて、ビントレー監督時代しか知らないし、しかもそれもほんの1年ちょっとしか知りません。それでも、まわりのバレエ・ファンの方たちがビントレーさんになってバレエ団が良くなったって言う声をたくさん聞いたし(反対にビントレーさんが新しい演目を増やしてつまらなくなったという声があるのは知っていますが、わたしの周りでは聞かれませんでした)、わたし自身もビントレーさんの「シルヴィア」や「ペンギン・カフェ」「カルミナ・ブラーナ」、(どれもビントレーさんの代表作と言って間違いないでしょう)等を観れたことはとっても良かったし、そして今回の「パゴダの王子」はビントレーさんからの新国立劇場バレエ団への最高のプレゼントです。バレエ団にも良い方に変わっていく雰囲気を感じることができました。1年ちょっとの新参者ですけど、わたしにもお別れの気持ちを表せる仲間に加えて下さい。

いつものように道化の前振り、福田さんは昨日と少し変えてきましたね、で楽しくバレエが始まります。
最近のわたしは唯さん推しで、さくら姫のキャラクターは唯さんが合いそうだって思っていたので、絢子さんは、実はそれほど期待していませんでした。と思って観はじめたら、絢子さん失礼なこと言ってごめんなさい。レヴェルが違いました。最近の絢子さん、少し影が薄いなって心配していたら、今日の圧倒的自信に満ちた踊り。完全に物語の世界観を彼女の中に熟成して揺るがないの。曖昧なところがなく、さくら姫に同化してる。だから、踊りも仕草も内面から必然的に溢れて力があるというか、感情がずんずんと心に突き刺さってくるの。踊りがきれいとか正確とかの一線を越えた踊り。同じことは、王子の雄大さんにも言えて、あっそうか!おふたり、バーミンガムで客演してきたのね。異国の地で目の肥えたお客さんの前で踊った経験は、確かに自信と踊りの力になっているのだわ。
エピーヌの湯川さんも、こういうきつそうな役お似合いよね、さくら姫をびんたするところはちゃんと(?)びんたしてたし、手を抜かないw怖ろしい継母をきっかり演じて良かったです。湯川さんはお姫様タイプではないので、古典の主役はなかなかつかないような気がするけど、エピーヌやこの間の運命の女神とかクールで強い役で舞台に圧倒的な存在感を発揮するので(「眠りの森の美女」の魔女も良さそう)、そういう役をどしどし踊って欲しいし、そんな演目をこれからもやっていって欲しいと思います。

彼女たちはとっても良かった、心にずしりとくるところがあったのに、でも、わたしには具体的に何が良かったかって書けない。アラベスクがきれいだったとかジュテがどうのとかピルエットが云々だとか(バレエ用語、意味が分からないのでテキトーに書いてます)、そういう技術的なことが分からないのですね。技術的な上手さ、凄さが芸術的な表現につながるのは論を待たないのだけど、その部分をわたしは多分、見落としてる。でも、またでもだけど、同時に彼女らの踊りは、技術云々を言葉にすることを寄せ付けない本質的な表現があったとも思うのです。だって、観てて上手い(確かに上手い)とかきれい(確かにきれい)とか、そんなの思う間もなく「パゴダ」の物語の中にわたしもいたんですもの。ただただ、心の共振を受け入れるだけ。だからわたしは、ちゃんとした批評は本物の評論家さんたちに任せておいて、心のままにバレエを受け入れる。このブログを全否定するようだけど、言葉にならない、できない部分がわたしにとって一番大事なところなのかもしれない。
もちろん、冷静に観れば不足の部分もあります。一握りのスター・ダンサーが持っている眩いばかりに放射される息を飲む圧倒的なオーラはまだ彼女たちにはありません。まだ若いし、経験を積んでこれからの伸びしろの部分でしょう。でもそんなことは、今日のビントレーさんの最後、という特別な公演の疵にはならない。特別な想いが舞台にも客席にも満ちていたから。

幕が下りたあと、ビントレーさんが舞台に呼び出されて、ささやかなお別れカーテンコール。派手な花束贈呈やスピーチやそういったものはないけれども、今日お休みだった団員さんたちも舞台に上がってのセレモニー。会場は大きな暖かい拍手に包まれて、ビントレーさんって本当に愛されていたんだ、ありがとうという思いが一体となって感動的でした。ビントレーさんの客席を見つめる姿がとても印象的でした。「パゴダの王子」の一連の公演のあと、ビントレーさんのインタヴュウを含む短い特別映像が放映されてたんだけど、半分以上が来期の宣伝でがっかりしてたところだったんだけど、このセレモニーで不満を払えました。わたしもありがとうの言葉をたくさん拍手に乗せていました。目は洪水。

新国立劇場バレエ団がビントレーさんを失ったことは、わたしは残念に思います。確かに、イギリスのバレエ団の監督との掛け持ちで、シーズンを通してずっといられないことはマイナスだったでしょう。ほんとは、バレエ団の公演のときには必ずいらっしゃるロイヤル・バレエの前監督、モニカさんのような姿が良いのかもしれません(モニカさんはちょっと極端でしたが)。でも、今回、絢子さんと雄大さんがバーミンガムに客演したように、お互いのバレエ団の(他のバレエ団との)交流の可能性が失われたかもしれないことは大きな損失であると思えます。ダンサーは世界に飛び出して成長すると思うので(特に日本はアウェイだし)。日本のバレエ団が海外から優れたダンサーを呼ぶことは茶飯事だけど、反対に日本のバレエ団に所属するダンサーが海外で客演する機会はまだまだ少ないと思うのですね。日本のダンサーのレヴェルは高いのにもったいないです。バーミンガムと東京が姉妹バレエ団のような関係になってダンサーの行き来(そしてお互いのカンパニーの引っ越し公演)ができればいいのにって妄想していたので残念です。でも、これでビントレーさんとのつながりが切れると言うことではないと思うので、素晴らしい作品を次々に生み出しているひとりの類い稀な芸術家としてお付き合いを続けていって欲しいです。彼の作品、ほんとに新国バレエ団向きのものがたくさんあるので、続けて上演されていって欲しいなと思います。わたし、大好きだもの。

来シーズンからは大原さんが芸術監督になられます。大原さんには、ビントレーさん路線を継ぐとは言わず、日本のバレエ界のしがらみに縛られず、彼女のやり方でバレエ団を良くしていって欲しいと願います。「眠りの森の美女」の現代的焼き直しである「パゴダの王子」でひとつの時代の幕が下り、「眠りの森の美女」で新しい時代の幕が開くことは何か象徴的です。古典への回帰と言われてるみたいだけど、好き嫌いではなく、バレエ団とバレエの観衆の成長のために何が大事で何をなすべきか、きちんと考えて答えを出していって欲しいと、バレエ・ファンのひとりとして(偉そうにと怒られちゃうけど)思うのです。
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by zerbinetta | 2014-06-15 12:15 | バレエ | Comments(0)