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時をかけるポリフォニー ノット/東響 リゲティ、パーセル、ツァラトゥストラ   

2016年4月16日 @東京オペラシティ

リゲティ:「アトモスフェール」
パーセル:4声のファンタジア z.742、z.739
リゲティ:「ロンターノ」
パーセル:4声のファンタジア z.737、z.741
リゲティ:「サンフランシスコ・ポリフォニー」
シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」

神戸愉樹美ヴィオラダ・ガンバ合奏団
ジョナサン・ノット/東京交響楽団


今シーズンから定期会員になってみる東響、定期公演デビュウの前にフライング気味にオペラシティ・シリーズの開幕を聴きに来ました。だって、リゲティやるんですもの。それも音楽監督のノットさんで。生ノットさんは初めてなんですが、わたしがノットさんを知ったのは、ベルリン・フィルとのリゲティの作品集のCDなんです。それにとても感動して。それを今度は、オーケストラは違うけど生で聴けるなんて、幸せ。しかもですよ、プログラミングが凝っていて、リゲティは、ポリフォニーつながりで、パーセルのガンバ四重奏曲と組み合わされるのです(リゲティとパーセルの曲を交互に切れ目なく)。プログラミングは、わたしが音楽会で一番重要視しているところなので、こんなステキなプログラムに驚嘆と感嘆を覚えるのです。

ヴィオラダ・ガンバはステージ後ろの合唱席下手側で弾きます(わたしの席からは無念。死角になりました)。リゲティの曲があって、続けて(アタッカではなく、交響曲の楽章のように少し間を置いて)パーセル。300年の時を隔てて、音楽のスタイルも全然違うのに、お互いに溶け合うように交互に響きあう不思議。バロック音楽と現代の音楽の親和性が高いといつも思ってたわたしもこんなにも!ってびっくり。ピリオド・スタイルってアーノンクールさんがおっしゃるように、単に作曲された当時の楽器で当時の演奏法を百科事典的に再現することではなくて、当時の人たちの耳にその音楽がどう新鮮に聞こえたかを今のわたしたちに再現すること。それはまさしくコンテンポラリー(同時代の/現代の)で今の時を指向してる。だからこそ時代を超えた音楽が今の音楽として聞こえるのですね。ポリフォニーつながりで曲を配してそのことを実際の音で聴かせて証明してくれたノットさんの慧眼にブラヴォーです。

リゲティの「アトモスフェール」と「ロンターノ」って一見、似通った音楽に聞こえるのだけど(素人ぶりを暴露)、今日の演奏では、全く別物の音楽に聞こえたのはもうひとつのびっくり。「アトモスフェール」は、原初的でもやもやしていてまだ実態のない感じの、頭によぎったイメジでは、未受精卵の周りにもやもや漂っている無数の精子。それに対して「ロンターノ」は、形をなした(多分、音楽の背後に聞こえてくる聖歌のようなメロディ!がそうさせるのでしょう)、命を得た胎児を内包している子宮。お腹に耳を当てて命の胎動を聞くように、聞き耳を立てて音楽に吸い込まれる快感。目を瞑ったその先にある何か。

と、なんちゃって哲学的な独白をしてみたけれども、後半の「ツァラトゥストラ」は、冒頭の超有名な派手やかさとは対照的な哲学的な演奏。ここで、今日のキーワード、ポリフォニーが断然生きてきます。「学問について」のフーガはもちろん、そこに至る「世界の背徳を説くものについて」からの弦楽器の細かな分奏で’マイクロ・ポリフォニー’!のように扱われる音たちが、リゲティの世界とつながって聞こえるのはステキ。外連味のある「ツァラトゥストラ」を期待すると、細かく丹念に描き出される音の糸の綾で紡がれた音楽に肩すかしを食らわせられるけど、わたしは、この演奏にステキな新しさを感じました。

今年から会員になってみたノットさん率いる東響の定期演奏会、ますます楽しみで待ち遠しくなってきました。


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by zerbinetta | 2016-04-16 14:27 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

爽快な登山の余韻 東京楽友協会第100回演奏会   

2016年4月3日 @すみだトリフォニー

ウォルトン:戴冠式行進曲「宝珠と王杖」
レスピーギ:バレエ組曲「シバの女王ベルキス」
シュトラウス:アルプス交響曲

橘直貴/東京楽友協会交響楽団


首都圏の社会人アマチュア・オーケストラで歴史が古いとこ、どこだか分かりますかー?
多分一番は、OB交響楽団 1937-(定期演奏会の回数189)(学生オーケストラはもっと古くからあるのいくつかあります)で、次に都民交響楽団 1948-(121)、新交響楽団 1956-(233)が続きます。そして、今日聴きに行った、東京楽友協会管弦楽団が1961年創立で、今日が記念すべき100回目の演奏会。長く続けることは目標でも目的でもないけれども、多分たくさんあった困難を乗り越えて長く続いているアマチュア・オーケストラってやっぱりそれだけで凄いと思う。いいえ、それだけではなく、長く続いているのには理由があってそれが音楽にしみ出てくるのがいいの。これらのオーケストラはどこも聴いてみてねって薦められるもの。

楽友協会さんの100回記念はアルプス登山。登山の情景模写のように振る舞って、実はシュトラウスのオーケストラ作品の中で最も哲学的な音楽ではないでしょうか。人生は登山に例えられる、って言うし。記念演奏会にふさわしいでしょ(記念だから選ばれたかどうかは知りませんが)。

前半は、ウォルトンの「宝珠と王杖」の行進曲。おめでたい曲。ステキな行進曲(好き♡)だけど、機会音楽なのであまり演奏されないのが残念。「威風堂々」のように定番になってもいいのに。ジャジーな細かな楽想が賑やかに聞こえて、とても演奏もしずらそう、特にホルンなんか、難しそうな音符を後ろで吹いてるのが、あまり聞こえなくて労多くして報われなさそうで、ちょっとまとめるのに苦労していた感じ。でも、最後のなりふり構わぬ大盛り上がり(に作曲家がした)で、オルガンの人がノリノリで弾いていたのにいいねを劇押し。

「シバの女王ベルキス」は、吹奏楽にも編曲されてよく知られているそう。わたしは初めて聴きます。バンダや軍隊の太鼓も加わる大編成の賑やかな曲。プログラムの解説によるとバレエの初演は、総勢1000人くらいの出演者だったとのこと。そんなバレエ観てみたい。オーケストラで演奏されるのも珍しいみたいだけど、エキゾティックな旋律と過剰なまでの派手やかな商店街を流れる音楽みたいな、ここまでやるか的な色物具合が面白かったです。登山の前に大盛り上がり。山小屋で大宴会しちゃったみたいな。橘さんは、オーケストラを解放して適度に外連があってなかなかでした。チェロのソロがとっても上手かったですね。

お終いは「アルプス交響曲」。いよいよ登山。大好きな曲なのでワクワクしながら聴いていました、とか言いつつ、羊が出てきたら突進して追い払っちゃえ(それドン・キホーテ)とか、雷落ちないかなとか(ほんとに雷落ちたの(サンダーマシーンが叩いた勢いで落っこちた)聴いたことあるの)、ヘンなことばかり。あと、カウベルは何年か前に亡くなったマーラーへの追悼かなとか。ユングフラウだったら電車でてっぺん近くまで行けるのにとか。それにしてもサンダーマシーン、今日はステージの後ろの方左右に2つあったけど、いつもいつ来るかいつ来るかとワクワクしながら見つめてしまうの。嵐が終わる頃、1度しか鳴らないんだけど、もったいないな。もっとがんがん雷鳴らしまくればいいのに、と浅はかな素人。
橘さんは、オーケストラの良さを無理なく引き出して、理路整然とした音楽を作っていました。描写音楽と言うより、音楽自体を大事に捉えた交響曲的寄りなアプローチですね。とてもきっちり、オーケストラをドライヴしている感じで、オーケストラもそれに応えてステキな音楽を奏でていました。ちょっと真面目すぎて、(プロのオーケストラだったら)聞こえない、細かな背景の音(聞こえないけれども靄のように音の雰囲気を作る)まで浮き出て聞こえていたのはご愛敬。オフステージの金管部隊も大きな音で(大好き!)かっこよかったし、素晴らしいアルプス登山でした。楽しくて、その分、哲学的な深みにはあまり触れなかったかな。でもいいの。登山そのものだって楽しいんだから。最後、夕日の奥に沈み込む、心地良い疲れと爽快感の余韻は、音楽の充実の賜物でしょう。

カーテンコールのとき、プログラムにもステキな文章を寄稿されていた、なんと!楽団創立メンバーにして100回の音楽会に皆勤賞で乗っている方が紹介されて、指揮者から花束が贈呈されていました。75歳には見えない若々しさ。これには、わたしも感涙。このオーケストラの背骨の凄みを見る思いがしました。多分それはメンバーみんなが共有している、オーケストラの歴史が作る道筋なのでしょう。
記念すべき登山を無事に終えて、これからもずっとこつこつとステキな音楽会を積み重ねていって欲しいですしそうするのでしょう。末永く聴いていきたいオーケストラです。


♫♫
東京楽友協会交響楽団の次の定期演奏会は、9月18日、すみだトリフォニーホールです。
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by zerbinetta | 2016-04-03 10:39 | アマチュア | Comments(0)

憧れ、悪魔の甘美な誘い ボーダー/読響   

2016年1月14日 @サントリーホール

シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」
リスト:ピアノ協奏曲第2番
ツェムリンスキー:交響詩「人魚姫」

フランチェスコ・ピエモンテージ(ピアノ)
ミヒャエル・ボーダー/読売日本交響楽団


面白いプログラム。関連性がないように見えて、同じような空気の、同じように幻想曲風またはロンド風の緩いソナタ形式の音楽。もしくは、3つの交響詩が並んでます。見事。(リストのピアノ協奏曲は正確には交響詩ではないんだけど、ユロフスキさんの言葉を使えば、ピアノとオーケストラのために書かれた初めての交響詩だそう。わたしも今日は、協奏曲というより交響詩として聴けました。そう言えばユロフスキさんもリストのこの協奏曲とツェムリンスキーを組み合わせたプログラムを指揮していました。「人魚姫」ではなくて叙情交響曲でしたけど)

「ドン・ファン」。勢いよく飛び出した音楽は、フレッシュで爽快。ボーダーさんオーケストラを鳴らすのが上手い。開放的な音はわたしの好み。ただ、なんか落ち着かないというか焦燥感があって、テンポの速さというより、多分、フレーズの終わりとかの音を溜めずにどんどん先に進んでいくからだと思うんだけど、もう少しどっしり構えてよ、と感じました。ゆっくりと叙情的な部分ももう少し色気があったならと。ボーダーさんってオペラ指揮者なんですね。劇場で力を発揮する実務型のマイスターなのかな。良い音を引き出すのは上手な一方、問題をテキパキと捌いて夢を見るタイプの人ではないのかも。

でも、リストの協奏曲では、初めて聴くピエモンテージさんの夢見るようなピアノがとっても良くて、弱音での柔らかなタッチにもう本当にうっとり。強音も十分音が響いていました。もちろん、リストならもっと外連味を発揮して大時代的な演奏を、と感じる人もいると思うけど、わたしはこの曲をソロをひけらかす協奏曲というより、幻想曲か交響詩のように聴いたので、不満はありませんでした。大時代的なところはオーケストラがばんばん補完してくれていたしね。突然の休符で音楽が堰き止められる外連はオーケストラに委ねられていましたから。
でも、交響詩としたらタイトルはなに?何を音楽で描いていたの?わたしは、夢とか憧れだと思うんです。今日の音楽会のテーマ。決して手の届かないもの。それを「ファウスト」のように悪魔が蠱惑的にそそのかして手に入れさせてくれる。でも、何と引き替えに?。。。。
交響詩の創始者、リストの交響詩ってタイトルが文学的というか漠然としていますよね、「前奏曲」とか。だから、この曲もそんなタイトルの漠然とした、タイトル無しでも成り立つ交響詩としてもいいんだと思うんです。わたし、リストの音楽の(特に管弦楽の)大仰な感じが苦手でずっと敬遠してきたんだけど、ディモーニッシュな霧がわたしの中に浸潤してきたよう。禁断の林檎の甘さを知ってしまったのかも知れない。最後には無調にまで行き着いてしまったリストの深い世界に溺れるかも知れない。あなたには聞こえないの?わたしを取り巻いて鳴り渡るこの調べを。この鳴り渡る響きの中に、溺れ、沈み、我を忘れ、この上なき喜び。
ピエモンテージさんは、アンコールに同じリストの巡礼の年、第1年「スイス」から「ヴァレンシュタットの湖で」。ストイックな美しさがピアノから引き出されて、これもステキな演奏でした。ピエモンテージさん、もっと聴きたい人かも。ところで、休憩時間にロビーにアンコール曲名が貼り出されたんだけど、それを見たクラヲタさんたちが係員に詰め寄っていました。優しく指摘していました。巡礼の年、第1年から「スイス」じゃないって。帰るときには正しく直っていました。

最後は、3楽章からなる交響曲のような(実際、作曲家には4楽章を足して交響曲にする計画があったようです)大きな交響詩「人魚姫」。ツェムリンスキーが聴けるの珍しい~って思ってみたら、よく考えるとわたし、ツェムリンスキー意外とたくさん聴いていたのでした。「人魚姫」も初めてかと思ったら2回目。
ボーダーさんと読響の演奏は、始まりが、もう信じられない位に絶品。弦楽器の暗く思い海。フルートやハープの泡。海の底から光りを求めて浮き上がっていくような。憧れ。まさに、物語の始まりであり物語の全てを語っているよう。でももう少しで手の届きそうだった憧れも、バスクラリネットが旋律を歌い出した瞬間、手からこぼれ落ちてしまう。この音じゃない。この音色じゃない。読響ってものすごく良くできるオーケストラだと思うけど、ときどき不用意な音が混じってしまうのがとっても残念。期待に応えてくれるだけに求めるものが大きくなって、だから、少しの疵が全体を大きく損なってしまうのね。もちろん、この滅多に聴かれない曲でこれだけの音楽(実際に全体的な演奏のイメジは大変良かったのです)を聴けたら満足には違いないんだけど。。。惜しいんだよね。もっと出来るのに。
ボーダーさんは、この曲でも的確に音を捌いて、曖昧なところのない堅実な音楽。それ故、夢や憧れみたいな蜃気楼のような儚さには遠いんだけど。音楽が終わって、余韻をあまりとらずにあっさりと手を下ろしたのもそんなマイスターのプラクティカルな音楽作りの表れじゃないかな。ものすごく良い音楽を聴いたと思う反面、もう少し夢を見ていたかったというもやっとした心残りもありました。
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by zerbinetta | 2016-01-14 19:34 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

妖精さん ファウスト、小泉/都響   

2016年1月12日 @東京文化会館

メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
シュトラウス:家庭交響曲

イザベル・ファウスト(ヴァイオリン)
小泉和裕/東京都交響楽団


都響さんは第800回目の記念すべき定期公演。今年、都響デビュウ40周年で終身名誉指揮者の小泉さんと。お得意の「家庭交響曲」。小泉さん、この曲を都響で採り上げるの今回で4回目であるんだそうですよ。それに最近もどこかでこの曲を振ってる(振る)ハズ。ほんとにお好きなんですね。

でもその前に、ファウストさんと協奏曲。ブラームスの協奏曲だと思っていたら会場でプログラムを開いてメンデルスゾーンと知ってとぽん。でも、メンデルスゾーンも好きだからいいんです。ブラームスより早く帰れるしw
ファウストさんは、言わずもがな、現代最高のヴァイオリニストのひとり。新日フィルとのブラームスでも独り素晴らしい音楽を奏でていらっしゃいました。ただ、わたし的には少しだけウマが合わないんですけど。。。
彼女のメンデルスゾーン、迸るばかりに歌い出すかと思ったら、平穏と静かに(音量が小さかったというわけではなくて表現がです)始まってびっくり。この曲、カピュソンさんやテツラフさん、アリーナの漢っぽい体育会系の演奏を聴き慣れて好みなので、ちょっぴり拍子抜け。今日は迸らないのか~って、思っていたんだけど、テンポを落として叙情的に歌うところは、すうっと音楽の重力に引き込まれる感じで、ステキすぎ。文化系の、でもキリッとしてゲーテなんかを読んでいる感じの思索的で内側の豊かな音楽。それに、ヴァイオリンの音が楽器から聞こえない!ずうっとファウストさんを見つめながら聴いていたんですけど、音はヴァイオリンから聞こえてこないの。ホールを完全に鳴らし切ってる。ファウストさんの音楽っていつも柔らかいのに凜としてるなぁ。生成りのような、衣装は、そう、雰囲気といい色使いといいピレシュさんと通じるものがある。ファウストさんも将来ピレシュさんのような妖精になるのかしら。いえ、きっとなる。今日だって、3楽章の細かく動き回る走狗は、妖精の羽音みたいだったもの。いつか本物の妖精になって自然で飾り気のない、それでいて生きていることの深さを感じさせるような音楽を奏でる人になるんだろうな。小泉さんと都響の伴奏も良かったです。ファウストさんの音楽を汲み取って、味のある伴奏を付けていました。管楽器に少し不用意な音もあったけど、バスのニュアンスなんて思わずいいなって思えたし。欲を言えば、ファウストさんと対等に丁々発止のやりとりをして欲しかったですけど、小泉さんはそういう音楽を嫌ったのかな?
アンコールには、自身の声で紹介して、ハンガリーの作曲家クルタークの「ドロローソ」。タイトルの通り、短い静かな鎮魂歌。音の少ない研ぎ澄まされた音楽を鋭い感覚のヴァイオリンでさっきとは異質の世界に連れ込まれた演奏は、ファウストさんの面目躍如ね。

後半は、家庭交響曲。わたし、人の家を覗き見する趣味はないので、この曲苦手。小泉さんの演奏は、オーケストラを良く鳴らすものの、なにか自由さのゆえに、小泉さんの音楽がピンぼけして、ただでさえ締まりのない曲(だからあまり演奏されないのかな。いえ、ウィキによると難しいから演奏されにくいそう)なのに、何をしたいのかよく分からない結果に終わってしまっていました。何だろう、最後のとってつけたような盛り上がりは。なんかしつこいよね。ショスティ風に(妻に)強制された歓喜?壮大なカリカチュア?小泉さんも自分の家庭を見せるの嫌なのかな。でも、指揮者には自分を出してオーケストラをもっとリードして欲しかった。そうそう、この曲、ソプラノ、アルト、バリトン、バスの4本のサクソフォーンが使われてるんだけど(超珍しい)、奏者が楽器の大きさに見事に比例して背が高くなっていたのには、ちょっと笑っちゃった。そこ、突っ込むところじゃないけどさ。(家庭交響曲の主題が、「サロメ」のヘロデとヘロディアスのモチーフに転用されたら痛快な風刺だなと思いながら聴いてしまってた恥ずかしい自分)
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by zerbinetta | 2016-01-12 12:13 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

今年も凄い 音楽大学オーケストラフェスティバル 2日目   

2015年11月15日 @東京芸術劇場

ファンファーレ
藤川大晃(東京藝術大学):界・響

ストラヴィンスキー:管楽器のためのシンフォニーズ
ペルト:カントゥスーベンジャミン・ブリテンの思い出に
ブリテン:シンフォニア・ダ・レクイエム

下野竜也/上野学園大学管弦楽団

ファンファーレ
三浦良明(上野学園大学):群青

シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」

山下一史/東京藝大シンフォニーオーケストラ


まずは、ファンファーレ対決。何でも対決させたいポケモン世代のわたし(なんのこっちゃ。ポケモンなんて知らないくせに)。まずは、東京藝大の藤川さんの。ちなみに、この間のファンファーレのタイトルは、2つとも英語で付いていたんだけど、今日は2つとも日本語のタイトル。で、藤川さんのは和。神社で使うような鈴が鳴るのが楽器的特徴。華々しいファンファーレではなくて、音楽会への入場がケからハレへの転換であることを神社に参拝するときの俗から聖域への堺になぞらえて、宗教的なというか、内に向かうファンファーレがユニーク。メシアンみたいな響きなのかな、と思ったんですけど、上野学園のストラヴィンスキーを聴いたら、こちらを参照してるのかな。旋法的な上昇音階や効果的なグリッサンドでなかなか凝った作り。お終いの方で、ツァラトゥストラのドソドの動機が出てきて、うん、今日の特別なファンファーレでした。この学校だけ、オルガン席で吹奏されて(他の大学はステージの前の方)、ステージ上の指揮者付き。作曲者と指揮者の人なんか兄弟みたいでした。

上野学園の三浦さんの「群青」は、沖縄の青い海や空をイメジしたファンファーレ。左右、真ん中と3つに振り分けられたトランペットとユーフォニウムを含んでるのが楽器編成の特徴。細かい音が揺れる波のような感じで、さりげなく使われる沖縄音階と相まって、確かに濃い青を思い浮かべました。というかいろんな青のグラディエイションがカラフルなファンファーレでした。

下野さんと上野学園は、去年もステキな演奏をしていたので、今年もとっても期待。正直に言って、上野学園は、技術的には他の音大よりも劣るんですけど、下野さんマジックで音楽がステキなんです。去年は小さな編成だったので、学生が少ないのかなと思ったら、今年は大編成。最初は、管楽器だけでストラヴィンスキー、次に弦楽器と鐘でベルト、そして続けてブリテンつながりでフル・オーケストラの「シンフォニア・ダ・レクイエム」。ペルトのブリテンのための追悼曲とブリテンの作品を続けて演奏するのは、ときどきあるみたいよね。前に「4つの海の間奏曲」と続けて演奏されたのを聴いたことがあるけど、今日の「シンフォニア・ダ・レクイエム」の方がふさわしい。下野さんの凝ったプログラミング。
管楽器のためのシンフォニーズは、音の発声の仕方が丁寧になるあまり揃わなくて、ちょっと残念。みんなが同じように発声するようアンサンブルに磨きを掛ける練習が足りなかったのかな。指揮者なしでもパート練習でもっと合わせて欲しかったです。
弦楽器の「カントゥス」は、弦の響きがちょっと薄いけど、さらさらと流れる感じで、その分、叙情的な感情移入からは遠くなってるのでそこは好みの分かれるところ。下野さんが細かく指揮を振ってらっしゃるのが、聞こえてくる音楽と違う感じがして、でも重なり合っていく楽器群を正確に入れるのにはしょうがなかったのかなと思ってみたり。
ここまでは、去年の下野マジックは感じられなかったんです。これまでかな、と思った矢先、続けて演奏された「シンフォニア・ダ・レクイエム」で爆発。これは素晴らしい!胸を空くようなティンパニの打ち込み!ティンパニストには最大のブラヴォーを捧げたい。オーケストラも熱演。感情の迸る一期一会の演奏でした。やっぱり今年もものすごくいいもの聴けた。下野さんと上野学園恐るべし。それにしても皇紀2600年のお祝いにこんな曲を書き送ったブリテンも凄いな。ところで、中程で出てきたサックスの旋律って「パゴダの王子」にも引用されてる?皇帝つながりで?

山下さんと藝大。うーんやっぱり、藝大さんは飛び抜けて上手いです。もうプロと言ってもいいようなレヴェル(一昔前のプロ並み)というかプロ予備軍だもんね。山下さんの音楽は、濃いというか熱いんだけど、あっさりと軽く後を引かない不思議な感覚。「ツァラトゥストラ」を巧妙な手綱さばきで、オーケストラを歌わせながらさくさくと進めていきます。学生は、なんか魔法にかかったように(薬を飲まされたようにって表現はやばいかな)、ハイになってメーター振り切れで音楽の渦に呑まれている状態。最後は、マラソンを全力疾走してゴールテープを切ったような達成感。山下さんは、前に聴いた新交響楽団との演奏でも感じたのですが、ほんと、オーケストラを気持ち良くのせるのが上手いですね。リミッターを外して学生の持ってるポテンシャルを最大限にというかそれ以上に引きだしていました。オーケストラが良く鳴る演奏は、シュトラウスを聴く醍醐味でもありますね。ヴァイオリンのソロを弾いたコンサートマスターの女の子(若いから女の子でいいですよね)もピチピチと魚が跳ねるような弓使いでステキでした。
さて、山下さん。小さなニューフィル千葉の指揮者への就任が決まってるんですけど、千葉ではどんな音楽を作るのかしら。ワクワクと同時に千葉と合うのかしらと勝手に心配。(むしろシティフィルさんと合いそう)
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by zerbinetta | 2015-11-15 11:57 | アマチュア | Comments(0)

楷書体でロマンティシズム 都民交響楽団第120回定期演奏会   

2015年9月20日 @すみだトリフォニー

シューマン:交響曲第4番
シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」

末廣誠/都民交響楽団

アマチュア・オーケストラの中で、演奏レヴェルも高く最も充実しているののひとつ都民交響楽団。何年かに1度ずつ、団内オーディションを行ってレヴェルを保ってる厳しい団体。でもそこから生まれる真摯な音楽が大好きで通ってます。都内では、新交響楽団と共にコンサートゴーアーさんにオススメできるアマチュアのオーケストラです(もうひとつ、マニアックだけどニッポニカ)。いつもは上野の文化会館での音楽会なんですけど、今年は(改装のためかしら?)、すみだトリフォニーでの音楽会です。指揮はこのオーケストラと関係の深い末廣さん。

前半のシューマンの交響曲が、今日はとても良かったです。最初の音を聴いたとたん、おおっと思ったもの。前回は指揮者がーーーだったけど、今日はいつもの安定の、というより絶好調。ヴァイオリンのヴォリューム感はこの間のニューシティ管より良かったくらい。やっぱり長くこのオーケストラを指揮されてきた末廣さんとの相性は特別なんですね。お互いに手の内を分かって信頼している感じです。末廣さんの音楽も堅実で、ゾクッとくるような特別な瞬間はないんですけど、音楽のフォルムは整っていて隙のない感じ。職人タイプの指揮者なのかしら。シューマンの持つ壊れる寸前のロマンティックさはあまり感じられないけど(この交響曲はもともと堅固な形式感があるからかしら)、立派な演奏で(と書くとわたしこの言葉をときどきシューマンの演奏をネガティヴに評するとき使ってるんですが、今回は言葉通りに)、古典主義的な演奏もいいな、と思えました。わたしの聴く幅が広がったかな。

後半は、「英雄の生涯」。これもさくさくと古典的、といっても小さくまとまってる訳ではないのですが、この曲には、世紀末の熟れきった香りがわたしは欲しいな。結果、青年シュトラウスの真っ直ぐな一面が図らずも見えてくるのだけど、でも、同時にこの曲って(浪漫主義的な意味で)死を彷彿させる音楽でもあるし、若いシュトラウスの遺書でもあると思うんですね。事実、シュトラウスはこの曲を最後に交響詩の分野から引退して(交響詩的な作品はその後、交響曲の名前に)、本格のオペラ作曲家へと転身してるし、そういう意味で、馥郁とした死(ロマン派の人にとって死は憧れに似た情景を思い出させますね)を感じたいのです。でも、一方で、若者の意思を感じさせるストレイトな演奏、純粋にオーケストラの勢いを感じさせる演奏には好感を持ちました。内助の功というより、シュトラウスを支える妻、というかオーケストラを支えリードするヴァイオリンのソロも魅力的でした。ひとつ、残念に思ったのは、オフステージのトランペット(戦闘の合図)をオンステージで吹いていたこと。普通は、オーケストラの中の人がいったんステージを降りて吹奏するのだけど、会場がいつものところじゃないので勝手が違っていたのかなぁ。それともそれほど音楽的に重要ではないと判断したのかしら。でも、いきなりステージから直接音がしたのでは、その後の展開への道筋が直線的すぎて、わたし的には疑問でした。でも、それを含めて、がしがしと進む勢いのある演奏だったのですけどね。

がっしりしたフォルムでまとめた2つの演奏、オーケストラの力量も相まって、聴き応えのある演奏でした。ブラームスとかなんならブルックナーとかも聴いてみたいです。


♪♪
都民交響楽団の次の演奏会は、2015年特別演奏会(有料)が12月23日、すみだトリフォニーです。去年に引き続いて年末第九。





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by zerbinetta | 2015-09-20 11:51 | アマチュア | Comments(0)

ばらの騎士の夢、未来への離別 新国立オペラ「ばらの騎士」   

2015年6月4日 @新国立劇場

シュトラウス:ばらの騎士

ジョナサン・ミラー(演出)

アンネ・シュヴァーネヴィルムス(元帥夫人)、ユルゲン・リン(オックス男爵)
ステファニー・アタナソフ(オクタヴィアン)、クレメンス・ウンターライナー(ファーニナル)
アンケ・ブリーゲル(ゾフィー)、大野光彦(ヴァルツァッキ)
水口聡(テノール歌手)、その他
新国立劇場合唱団、TOKYO FM少年合唱団
シュテファン・ショルテス/東京フィルハーモニー交響楽団


シュトラウスの音楽って、だめになる寸前のじゅくじゅくに熟れた果物のよう。もしくは、腐る寸前のお肉。でもその一瞬が一番おいしいことをわたしは知っている。そしてそれは、存在するのに儚い夢。いいえ、存在と不存在のとろけたはざま。「ばらの騎士」は夢の音楽。大好きなオペラです。

新国立劇場の「ばらの騎士」。観るのを諦めていたんだけど、Z券の抽選に当たって!行ってきました(申し込んだ日を勘違いしてて焦ったけど)。オペラは、ステージに近い良い席で観たいと思わないので、一番上の階がZ券で安く出るのが嬉しい。オペラ・ハウスって上の方の席の方がバランス良く音が上がってくるので音楽は聴きやすいと思うんですよ。

最近、あまりオペラを観ていないので、というか、なんか永遠のオペラ初心者だな、上手にオペラ観られるか分からない(オペラって音楽と劇で情報量がむちゃくちゃ多くて、知れば知るほど楽しめるんです)、というか始めからそれは諦めて、椅子に座って素直に楽しもうと思いました。ミラーさんの演出は、テキストの物語に沿ったオーソドックスなものであるけれども、スタイリッシュな今の感覚にも通じていて、変にこねくり回して考えることなくシュトラウスとホフマンスタールの描き出した夢の世界に浸れたのがステキ。
ところが、最後、小姓がハンカチを拾わなかったんです。というか、ゾフィーがハンカチを落とさなかったんです。このハンカチの意味ってすご〜く大切だと思うんだけど。。。その代わり、小姓は部屋にあったお菓子をつまみ食い。不倫の愛なんて、お菓子のつまみ食いみたいものですよってことなのかな。こともなげにそれが繰り返されていく。今は新しい愛の喜びの中にいるオクタヴィアンとゾフィーの未来にも。そしてお話は繰り返される?それとも単なるわたしの見落としかなぁ。こういうときってもう一度繰り返し観られないのが悔しいい。

歌手の皆さんは、とても良く歌っていました。高水準。主要な役を外国人歌手で固めていましたが、脇の日本人歌手も決して引けをとらなかったです。オックス男爵のリンさんは、嫌〜な男の男爵に仕上げてきて、嫌いだけどステキ。オックス男爵が中途半端だとつまらないものね。大好きなテノール歌手は水口さんだったけど、わたしとしてはこの役に超スーパースターを配して欲しいといういつもの願望。だって、好きすぎるし、全くの端役の歌手に一番の歌手を使っちゃうなんてパロディが聴いてていいなじゃい。パヴァロッティさんとか、今だったらカウフマンさんとか。現実には彼らは歌わないでしょうが。という勝手な思いをハタキで叩いて、水口さんは好演でした。

ショルテスさんの音楽は、ミラーさんのスタイリッシュな演出に合わせているのか、日本のオーケストラのゆえか、甘さ控えめ。舞台に合っていたと言えばそうなんですが、訛りもなくて、わたしには少し物足りなかったです。甘いものはちゃんと甘くして欲しいの。わたしたちの口に合わなくても。甘さ控えめ好きな日本人からすると、フランスのお菓子はうんと甘いけど、でもそれこそがあのお菓子の魅力だから。儚い永遠の夢は、本当に甘いんだもの。甘いものはちゃんと甘くなくちゃ。

「ばらの騎士」は、定番だけど、最後の3重唱のところでどうしても泣いてしまう。あの諦めと希望といろんな感情が交じり合ってひとつの音楽となった最高に美しい瞬間。でも、今日は、その前、元帥夫人が「全ては終わった」と歌ったところで涙腺崩壊。涙がさらさらと流れていきます。でも、あの3重唱まで来ると静かに涙が醒めてきて。あれれ、どうして?
何だかわたしの魂が音楽から幽体離脱してふわふわと音楽を眺めている感じ。冷静に。外から。この部分、ゾフィーとオクタヴィアンと元帥夫人がそれぞれの想いを同時に歌うんだけど、それぞれの歌が混じり合わずに聞こえてしまったんです。お互い別々のことを想いながら、言葉と音楽が溶けてひとつになるハズなのに、イチゴとクリームとスポンジがそれぞれ主張し合ってまとまらないショートケーキのように。多分、わざとそうしているのではないと思うんですよね。音楽が清流のように流れちゃって濁らない、という言い方は変なんだけど、濁れる田沼に豊潤な生があるのに。

シュトラウスって、このオペラで、未来に手を振って別れを告げてるみたい。一連の交響詩やそのあとの「サロメ」や「エレクトラ」で時代の最先端を走っていたのに、ここにきて理想の夢がある過去に憧れる。決して手の届かないものに。同時代のライヴァルであり友人のマーラーは、最後の作品で過去に別れを告げて未来へ向かった。でも、その未来を見ないうちに亡くなった。きっとマーラーにとってはそれが幸いだったような気がする。音楽は(マーラー自身も分からないと告白したような道に進んでいたし)、時代も大戦の時代、さらにヒトラーの時代に進む中にマーラーが生きていたらと思うと、その悲劇に恐怖する。長く生き延びたシュトラウスは、対照的に暗い時代に温かく甘い世界を夢見ることができた。それって退行?シュトラウスは時代に遅れた作曲家だったのかしら?いいえ。永遠の美しい夢に儚く憧れるのは、憧れることができるのは、かの時代の先端を生きているゆえではないでしょうか。決して戻ることのできない、本当は存在さえしない、胎内のゆりかごの甘美な夢を見ることができるのは、一粒のチョコレイトに幸福を感じることができるわたしたちの時代の真実ではないかしら。誰も聞いたことのない美しい夢を刹那に見せてくれる音楽を書き続けたシュトラウスを時代遅れの作曲家と言えるでしょうか。
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by zerbinetta | 2015-06-04 11:22 | オペラ | Comments(3)

スルメと若者 第5回音楽大学オーケストラフェスティバル 4日目   

2014年12月7日 @東京芸術劇場

ファンファーレ
服部伶香:suppression ~child town fanfare~
東京音楽大学

島崎智徳:quiet lights
東邦音楽大学

ブラームス:交響曲第4番

田中良和/東邦音楽大学管弦楽団

シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」

川瀬賢太郎/東京音楽大学シンフォニーオーケストラ


さあ、いよいよ音楽大学オーケストラバトル最終日。これで準決勝に進む4校が決まるわけです(ウソ)。
今日のファンファーレは、ユニーク系のタイトル。服部さんの思わせぶりな解説の「子供の街」が面白かったけど、表したい内容にはちょっと足りてないかな。音楽の中に謎(暗喩)を喚起する要素が少なかった、というか、難しいこと考えないで音だけそのままでいいんじゃないかなぁ。ガチャガチャして楽しい作品だったけど。

今日のプログラムも重量。最初が、東邦音楽大学でブラームス。桐朋学園とは漢字違いですね。東邦音大は、女性のコンサートマスターをコンサートミストレスなんて変な英語で表記してなかったのでポイント高いです。
田中さんは初めて聴くんだけど、お名前は前から知っていました。それがどうしてかよく分からないんだけど、もしかして、日本の合唱曲たくさん指揮して録音してましたっけ?
そんな田中さんの指揮、始まってみるとあれれれ?って感じでした。何と言うか力が抜けていて、やる気みたいなものが感じられない。僕しらないもん、ってオーケストラに勝手にやらせてると感じたのです。この間聴いた、尾高さんの、思いっきりやれー、俺が責任とる!、とは正反対。責任逃れって、ちょっとむかつきながら聴いてました。ところが、音楽が進むにつれて、また、あれれれ?どうしてか分からないけど、音楽がいい。音楽に自然と引き込まれていくんです。田中さんはその中心には、いない。と言うか見えない。自分を消して音楽だけがある。でも確かに、オーケストラは見えない田中さんの重力の下、演奏してるんですね。ブラックホール?それが田中マジックなのかな。田中さんの音楽をオーケストラは奏でているんだけど、でもそれは、オーケストラの音楽と一緒。オーケストラ自身が有機体となって自律的に演奏してるみたい。噛めば噛むほど後を引くスルメのような音楽でした。後に引く演奏だったので、休憩のあともう1曲聴くなんて大変。ブラームスの精神的な密度って尋常じゃないもん。

大取は、東京音大で「英雄の生涯」。指揮は、ぜひ一度聴いてみたかった30歳(多分)、若手のホープ、川瀬さん。現在、神奈川フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者でもあります。舞台に出てきた川瀬さんは、シャツのボタンを外してるような(実際そうしていたわけではありませんが)ちょっと昔の不良っぽい(ツッパリ、死語だけど)ところがあって、古色蒼然なクラシック音楽会に風穴を開けちゃる、みたいなナナメに世の中を見ている、若さゆえの自信に溢れていてちょっといい感じ。と、音楽に関係ないことばかり書いてきたけど、音楽もまさしくそれ。川瀬さん、田中さんとは対照的にぐいぐいと引っ張る。先頭切って学生オーケストラと走りまくり。若い音楽。若さゆえの過剰。若者たちが火花を散らして、一緒になって音楽をがんがん鳴らしてる。若者ってときとしてとんでもないことを成し遂げてしまうけど、そんな一期一会の音楽。あとで興奮して俺凄かったぜーと言い合ってることでしょう。指揮者もオーケストラも今しかできない音楽。最後には引退までしちゃう自著伝のような音楽だけど、この曲を書いたシュトラウスは弱冠34歳。若者の熱は正しい!

それにしても音楽大学オーケストラフェスティバル、それぞれの大学のオーケストラや、指揮者の音楽が堪能できて本当にステキな体験でした。プログラムの解説も各大学の先生や学生さんが書いていて、それも個性があって面白かったです。バトルと思っていたけど、全員に一等賞を差し上げたい。現実には、この中から将来演奏家として活躍できる人はごく一部でしょう。でも、一瞬でも輝いた時があって音楽でつながっているなんて、なんてステキな大きな財産なんでしょう。音楽って素晴らしい。そして、音楽とは違う世界にいたわたしにはかなり羨ましい!皆さんに幸あれ!!
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by zerbinetta | 2014-12-07 23:28 | アマチュア | Comments(0)

「復活」ってこういう曲ですよね 水星交響楽団第50回記念定期演奏会   

2014年5月5日 @すみだトリフォニー

シュトラウス:祝典序曲
マーラー:交響曲第2番「復活」

山田英津子(ソプラノ)、小川明子(アルト)
齊藤栄一/ソニー・フィルハーモニック合唱団、水星交響楽団


昨日に引き続き、今日もトリフォニー。大オーケストラに合唱付き。わたし派手好きかも。マーラーの交響曲第2番は、ポジティヴな音楽的メッセージが強いせいか、大編成の割によく演奏される曲。オーケストラの50回目の定期演奏会の記念を祝うのにもふさわしい音楽。水星交響楽団(一橋大学のオーケストラのOB、OGが中心になって作られたオーケストラ)は、30年の歴史の中で、この曲をすでに2回採り上げているのですね(大編成の作品を意欲的に採り上げるオーケストラのようです)。

その前に、シュトラウスの「祝典序曲」。わたし、ずっと勘違いしてたんだけど、紀元2600年のではないのですね。「祝典序曲」がふたつもあるとは知らなかった。この曲はとにかく派手。絢爛。これでもかというくらいにバター・クリーム(生クリームではない)を塗ったこてこてのケーキみたい。それを大人数のオーケストラでべたべたに演るんですからたまったもんじゃありません。最後はステージの後ろのオルガン席に金管楽器まで登場して、まあもうげっぷげっぷ。この曲はそんな曲なのか(多分そう)、演奏が厚塗りなのか(その傾向はあり)、正直わたしはもういいや。

後半のマーラー。これは、50回記念にふさわしい演奏。最初の低弦の速い音符の揃いからびっくりしたけど、ものすごくよく練習してきたというのが手に取るように分かる演奏です。弾き込まれていたし、3回目とあって何回か弾いたことのある人もいるのでしょう、気合いの入り方も違いました。ヴァイオリンなんか後ろの人まできちんと弾いていて、というか後ろの方にも上手い人座っていた?こういうのって絶対演奏していても気持ちいいでしょう。もちろん聴いてるわたしも気持ちよく聴くことができました。ソニー・フィルハーモニックの合唱もとても上手くて、最後の最後まで(オルガンの入るところまで)立たせなかったのは、そこまでしなくてもとは思ったけど、声量も十分で聴き応えがありました。
独唱の小川さんも山田さんも十分以上。山田さんって、あの元祖ヤマカズさんの娘さんなんですね。マーラー指揮者としても一時代を築いた(千人の交響曲の日本初演は彼がしているのですね)お父様の血をどういう風に引いているのかは歌を聴いただけでは分かりませんが、プログラムにはお父様の思い出について興味深いインタヴュウが載っていました。
指揮の齊藤さんの音楽は、基本的にはさくさくと進む系(テンポが速いというわけではありません)。見得を切るときは切るんですけど、最後の方はもう少し粘っこくしてもいいかなとは思いました。あれよあれよといううちに音楽が進んでしまって(しつこいようですけどテンポが速いということではありません)、あっ?あそこはどうだったっけ?もう過ぎちゃった?と思うところが何カ所かありました。ぼんやり聞いているわたしが悪いと言えばそうなんですが。あっそうだ、最後の鐘の音が軽くてちょっと安っぽかったのが玉に瑕かな。ずっしりした音の鐘が良かった。
それにしても、指揮者、オーケストラ、独唱、合唱の粒の揃ってまとまりのある充実した演奏でした。ひとりひとりが懸命に音楽を作っていました。演奏後のステージの人たちの充実した表情をわたしも同じ気持ちで見ていました。「復活」ってこういう音楽ですよね。


♪♪
水星交響楽団の次の音楽会は、創立30周年記念特別演奏会が8月16日、たましんRISURUホールです。曲目は、マーラー:交響曲第9番、伊福部昭:オーケストラとマリンバのための「ラウダ・コンチェルタータ」です。
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by zerbinetta | 2014-05-05 15:24 | アマチュア | Comments(0)

わたしの名前はつるびねった 「ナクソス島のアリアドネ」新国立劇場オペラ研修所   

2014年2月28日 @新国立劇場中劇場

シュトラウス:ナクソス島のアリアドネ

三浦安浩(演出)
鈴木俊朗(美術)、稲葉直人(照明)、伊藤範子(振付)

林よう子(プリマドンナ/アリアドネ)、伊達達人(テナー/バッカス)
天羽明恵(ツェルビネッタ)、今野沙知惠(作曲家)
駒田敏章(音楽教師)、ヨズア・バールチュ(執事長)、大塚博章(下僕)
菅野敦(士官)、日浦眞矩(舞踏教師)、小林啓倫(かつら師)
村松恒矢(ハルレキン)、岸浪愛学(スカラムッチョ)
松中哲平(トゥルファルディン)、小堀勇介(プリゲッラ)
種谷典子(ナヤーデ)、藤井麻美(ドリアーデ)、原璃菜子(エコー)

高橋直史/ポロニア・チェンバーオーケストラ


「わたしの名前はつるびねった。コメディア・デラルテの踊り子でおちゃらけもの」という口上でわたしはウェブ・デビュウしたの。前世紀のことだからずいぶん前ね。恥ずかしいけど告白しちゃった。以来、つるびねった(ひらがな)は、わたしのハンドルネーム。もちろんこれは、大好きなオペラ「ナクソス島のアリアドネ」から採っています。ツェルビネッタに憧れて。でもわたしの性格はむしろ融通の利かない作曲家かな。

久しぶりの「ナクソス島」。最後に観たのはもう10年くらい前のメト。あのときは、ツェルビネッタのデッセイさんとアリアドネのヴォイトさんの火花を散らす丁々発止がすごかった。今日は、新国立劇場オペラの本公演ではなくて、小さな中劇場でのオペラ研修所の公演。オペラ歌手の卵たちの舞台です。ただ、今日は日本屈指のツェルビネッタ歌いと評判の天羽さんが歌うのでお得感あり。安い席料と中劇場という観やすい舞台、もちろん本公演に比べるとお金もかかっていませんが、結論を言いましょう。これはいい。ぜったいいい。来年も演目によらずぜひ観に来たいです。今回も天羽さんではなく研修生が歌うツェルビネッタも聴いてみたい(2日目の公演)と思ったもの。

さあどこからいきましょうか。やっぱりまずは音楽。褒め称えるべきは歌手の皆さんです。皆さんとっても良かった。今日は初日だったので修正点もあるかと思いましたが、フレッシュで清々しい歌いっぷりがステキでした。中劇場だったので歌いやすいということも手伝ったでしょうが、オペラを楽しく観るのには十分以上。もちろん、中に入っていたシニアの方々、下僕の大塚さん、音楽教師の駒田さん、そして天羽さんは格の違いを見せつけていました。歌だけではなく立ち居振る舞い、若い人たちは同じ舞台に立ってものすごく勉強になったんじゃないかな。
前半の主役、今野さんは、初心で絶対童貞の作曲家をとても素直に歌っていましたが、ズボン役なのでもう少し声に重みがあればいいなと思いました。後半の主役、アリアドネの林さんは、とても良く声が出ていたけれども一本調子なのが気になりました。歌に合わせてもう少し表情が付けられるようになると表現が幅広くなってきっと良くなる。バッカスの伊達さんも堂々としたものでした。ツェルビネッタに絡むハルレキンの村松さんには、ツェルビネッタの色気に対抗できるだけのナルシストなはったりが欲しかったです。主役の方たちは、研修3年目の人たちだったんですけど、研修所の所長さんが将来を見据えて声に合う役を与えているとおっしゃるとおり、適役な感じでした。これからいよいよプロとしてスタートする未来が輝かしいものでありますように。

さて、天羽さんのツェルビネッタ。プロローグではまだ声が出ていないかなぁと思ったんですが、プロとしての貫禄は、ツェルビネッタのように若い人たちを手玉にとるのに十分でした。オペラの方のアリアはとても良くて、息をするのも忘れて聴き入ってしまいました。観る前は、天羽さん聴きたさにチケット取ったんですけど(観たあとは天羽さんがいらっしゃらなくても聴くに値する公演だったと思いました)、大正解でしたね。天羽さんが若い歌手たちを見る眼差しにも暖かなものがあったような気がしました。

オーケストラは、都内のオーケストラからの選抜メンバー。この曲のオーケストラは小さいので、室内楽的な繊細さとにもかかわらず大オーケストラのような豊穣な音が要求される難しさもあるのだけど、後者の部分でもう少しグラマラスな音があったらなって思いました。特に最後は、これがオペラのパロディだとしても徹底的にグランド・オペラ風の音を出した方が面白いと思うのね。今日の場合はそういう問題ではないのかも知れないけど。あと、いつも一緒にやっているメンバーではないので、アンサンブルの精度(音の混ぜ方とか)にも物足りない部分もちょっとだけ。とはいえ、それは玉に瑕程度で、音楽を十分堪能しました。

舞台。このオペラ、舞台がとっても大事な作品だと思うんですよ。オペラの前の舞台裏(楽屋ネタ)のプロローグと、実際のオペラをどうつなぐか。プロローグのドタバタぶりや、オペラに挿入されたコメディアデラルテのはちゃめちゃぶり。それにその底にあるパロディ精神や芸術論。演出のしがいがあるというものです。今回は、オペラの途中で舞台を回して舞台裏をちらっと見せたり、最後、オペラを観ているお客さんを出したり、ツェルビネッタが作曲家とくっついたり、意識的にプロローグとオペラをつないでいて分かりやすくて良かったんだけど、ただ、どれも一度は観たことのある演出で新規性はなかったと言えばなかったですね。でも楽しかったからわたしはいい。それに、ヘンな風にこねくり回してしまった想像を絶するような演出ではなかったので、安心して観ていられました。オペラは、デザート・アイランドのビーチなので、コメディアデラルテの面々も海に遊びに来た風なんだけど、プロローグで、ジョルダン氏が「つまらないので余興にはセクシー要素を入れること」なんて無理難題を言って、後半のオペラでコメディアデラルテの面々はセクシー衣装で登場なんていうのがあってもいいかも、実際、ツェルビネッタがビキニで出てくる舞台もあったし、ってふと思っちゃった。「こうもり」とかじゃないからアドリブはないんだけど、アドリブありの演出ってありかな。

プロローグはほんとっ楽しくて、わたしなんてクスクス笑っちゃうんだけど、みんな真剣に観てるのね。意識的なものなのかわたしが勝手に感じちゃったのか、いろんなオペラのパロディ的な要素もタップリだし、後半のオペラから取ったライト・モチーフ満載で、ワーグナーのオペラの実践的なドリルみたいに使えるなって思っちゃった(ワーグナーのオペラでやればと言われたらそれまでだけど、ワーグナーのって入り組んでて明示的じゃなかったりして難しい。それに比べて「ナクソス島」はパロディなのでこれ見よがしで難易度低い)。ただ、作曲家が新しいメロディを思いついて恍惚的に歌う美しい旋律がオペラには出てこないのが残念(初版では、プロローグの部分でたっぷり歌われるんだけど)。
今日のは、意図したわけではないと思うけれども、ヴェテランの天羽さんが手練手管のツェルビネッタで、研修生の今野さんが童貞作曲家(いや、童貞かどうか分からないんだけど、今日の舞台を観て作曲家は絶対童貞!って思ったの)なのが、役の上でもリアルでもその通りになっていつも以上に面白かった。それにしても、ツェルビネッタにすっかり懐柔されて、芸術論を高らかに歌ってしまう作曲家の初心なこと。ホフマンスタールとシュトラウスは、芸術に対しても辛辣な目線を失っていません。彼らにとって真の芸術って何なんでしょう。ドタバタコメディの中でこんな問題まで突きつけてくる彼らの芸術家魂って凄いよね。

休憩後のオペラは、やっぱり主役を天羽さんに持って行かれた感じ。最後のバッカスとアリアドネの2重唱は、十分に歌っていたけれども、ここは圧倒的な歌になって初めて生きると思うので、それには足りていなかったかも。コメディアデラルテのらんちき騒ぎは、もっとはっちゃけていいと思うし、ツェルビネッタを巡る恋の駆け引きが、もっと生めいた方が面白いと思いました。3人の精は、若い研修生だけにまだ蕾ねって感じる部分もあったけど、3人でハモるところはきれいでみんな音程がいいんだなって思いました。
小さな舞台で予算も限られているでしょうし、豪勢なセットではないけれども、回り舞台を使ったり工夫されていて面白く観れました。グランド・オペラとして華々しく終わるのではなく、パロディに終わる演出だったけど、最後オペラを観ているという設定で舞台に現れた観客の中に、実際の舞台に関わった演出や振付の人たち(カーテンコールで出てこられた)も座っていれば良かったのにって思いました。作曲家はどんな思いで、ひっちゃかめっちゃかになった自分のオペラを観ていたのか、うつむいてる様子に見えたんだけど、前に立っていたバッカスとアリアドネに遮られて、たまたまわたしの席からはよく見えなかったのがちょっと残念。作品のキーとなるところだからね。そして最後に花火がなったら、、、なんてちょっとだけ期待した。

それにしても、大好きな「ナクソス島」、やっぱり好き〜〜〜。そして、オペラ研修生たちのフレッシュな舞台すてき〜〜。値段も手頃だし、絶対観る価値あり。来年も期待してます。
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by zerbinetta | 2014-02-28 23:57 | オペラ | Comments(0)