音楽の消費   

以前、CDをたくさん買っていたときがあった。ひと月に3、4枚。多いときにはもっと。まだ日本に住んでる頃で、地方の町なので音楽会にはあまり行かなかった、というかあまり音楽会がなかった。なので音楽を聴くのはCDかFMラジオ。CDをたくさん買いながら思ったんだけど、わたし本当にこれでいいのか、なんか次から次へ新しい音楽が入ってきて、ちゃんとしっかり消化できないままに、音楽を消費しちゃってるんじゃないかって。音楽って消費するものじゃない。きちんと向き合ってじっくりと聞き込んでいく、ゆっくり考えを熟成していくことが本当は大事なのに。って思った。ひとつの音楽がある程度分かるまでには、きっと時間がかかる。と想像するんです。だって、まだ、ベートーヴェンだってモーツァルトだってちゃんと聴けている自信はないし、いつも新しい発見がある。もっともっと大事に真剣に音楽に向き合っていかなきゃ、わたしが上辺だけの薄っぺらい人間になっちゃうに違いない。

今の状況もそうかもしれないと、ときどきドキリとする。安くたくさんの音楽を聴ける環境にあるので、今を活かしてたくさん音楽を聴きたいって思うわたしがある一方で、こんなに次から次へ音楽を聴いていくのは、本当はするべきことじゃないんじゃないかって心苦しくなる。例えば、この間の展覧会の絵も、マーラーの交響曲第3番も、トリスタンとイゾルデもまだちゃんと聴けていない。もちろんもう耳にすることはできないんだけど(録音で記憶をなぞる可能性はあっても)、わたしがもう聴いたと言えるまでにわたしの中で受け止められていないような気がするんです。良い演奏になればなるほど、音楽がわたしの中に蒸着するのに時間がかかるような気がします。それなのに、新しく音楽を入れていたら、音楽が熟成できなくなってしまうのでは、という苦しさがぐるぐると渦巻く。でも、また音楽を聴きたい。我が侭だって分かってるけどやっぱりそう思ってしまう。

音楽を消費しないように、でもたくさんの音楽を聴いていくことはできないかしら。そんな能力をわたしは欲しい。
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by zerbinetta | 2010-09-28 06:56 | 随想

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