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好きです   

30.10.2010 @royal festival hall

brahms: piano concerto no. 2
beethoven / mahler: symphony no. 3
leif ove andsnes (pf),
vladimir jurowski / lpo


ホントにもう好きなんですよ。アンスネスさん。初めて聴いたとき、びびびと来てしまってCDを買ったくらい。かっこいいし、透明でとってもステキなピアノを弾くのです。今日はユロフスキさんとロンドン・フィルとの共演でブラームスの第2協奏曲。ユロフスキさんはつい数日前、ステキな交響曲第3番を振ったばかりだから期待できます。どんなブラームスになるんだろう。
ブラームスのピアノ協奏曲の第2番は、最初ホルンがホンワリとひとりで主題を吹いてそこに、ピアノの分散和音が柔らかく重なるので、なんだかほんわかした音楽だなって錯覚するのだけど、実は結構、さばさばと雄大な音楽であることをわたしはちゃんと知っているのです。前回聴いて学習した。ところが、ユロフスキさんのオーケストラ部分はそれに輪をかけてアグレッシヴ。ざくざくと快速に進んでいきます。おやおやピアノ置いてけぼりか、と思ったけど、どうしてどうして、ピアノもちゃんと音楽に乗っていきます。さすがアンスネスさん。そしてやっぱり男性ですね。体重もあるし、タッチも余裕があって深々。それにしてもアンスネスさんって技術もとっても凄いものをもっていると思うんだけど、それが全く聞こえない。ブラームスの弾くのが難しい音楽もさらりと弾いてしまって難しいのかどうかも分からないくらい。第1楽章はあわあわと終わって、ここであろう事か、遅刻のお客さんを入れたんですよ。ドアを開けるのは曲が終わった拍手のときだけにして欲しいけど、なんでこんなことするんでしょう <ロイヤル・フェスティヴァル・ホール。音楽が途切れたようで実にもったいない。ユロフスキさんも会場を気にして、みんなが席に着くのを待ってたし。でも、幸い、第2楽章も集中が途切れずに第1楽章の緊張を保ったまま、がりがり進んでいきます。ユロフスキさんって古楽からとっても良い面を学んでいますね。名演になる予感。そしてその予感はすぐに確信に。今日の演奏の白眉は、静かな第3楽章でした。これはもう、透き通った抒情を湛えたアンスネスさんの独壇場。なんてきれいなステキな音楽なんでしょう。そしてオーケストラのチェロの独奏とオーボエの対話。しみじみと淡く、でも仄かな明るさのある味わい。幸福感。ずうっとこの世界に浸っていたい。そんなこととっても無理なんですけど、記憶の中にずっととどめていたい。そしてしみじみと思い出したい。そんな演奏です。ブラームスほど、しみじみという言葉が似合う作曲家はいないですよね。そして最後の楽章も仄かな明るさを保ったまま、ステキに音楽を閉じます。やっぱりアンスネスさん好きだ〜〜。音楽会終了後、サイン会があったのだけど、サインもらってお話ししたいと密かに願っていたのに、今日は友達と一緒だったので断念。ちょっと残念。
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今日のメイン(ってブラームスも十分メインだったけど)はベートーヴェンの交響曲第3番。マーラー記念年なのでマーラーの編曲(オーケストレイションの変更)のです。ヨーロッパ初演だそうだけど、わたしは、USで何年か前に聴いています。そのときは、スラトキンさんの解説付きで、歴代指揮者がベートーヴェンのスコアをどう取り扱ってきたか、マーラーがどんな変更を施したのかを演奏付きで示してくれました。この解説が実に良かったんですけど、演奏はやっぱり難しい。当時の日記を引用しますね。

ー引用ー
マーラー版エロイカ(ほんとはベートーヴェンは表題を取ったから交響曲第3番が正しいのだけど、こっちの方が書きやすいので)は、オーケストラの試演付きの解説の後、演奏されました。もちろん、全部の違いをひとつひとつ聴かせてくれるわけではないのだけど、でも、聴くポイントが分かってためになる。わたしの持ってる、スラトキンさんのマーラーの交響曲第10番のCDでも、演奏付きで版の問題を解説してるけど、スラトキンさんって音楽の啓蒙にも力を入れてらっしゃるのがすてきよね。マーラーの改訂は、音に手を加えるというものではなくて、もっとプラクティカルに、ダイナミクスを変更したり、楽器を加えたりして、いろんな旋律が全て聞こえるようにするということに力を入れてるの。そしてその解釈はやっぱりロマン的。演奏する楽譜に手を加えるというと、そんなのとんでもないと思うかも知れないけど、実はそれが普通なのね。今は、昔ほど極端ではなくなったにしろ、個々のオーケストラによってより上手く聞こえるように楽譜に手を加えること(編曲するってことではない)は必要だもの。わたしは、そうやって音楽を作る自由は、演奏者にあると思うのよ。

ただ問題は、今回の演奏、ベートーヴェンの楽譜にマーラーの解釈、マーラーによる改訂ってまさにマーラーの解釈そのものだから、をスラトキンさんが音にしたもの。つまり、スラトキンさんの解釈を加えられない不自由さがある。もちろん、スラトキンさんは、マーラーの見たベートーヴェンをなるべく公正に再現しようとしてたのだけど、実際に音にする上で、スラトキンさん自身の解釈を抜きにするのは無理。だから、部分的に、マーラーの解釈とスラトキンさんさんの解釈が齟齬を生じて音楽の説得力を失ってると感じるところがありました。音楽を知る上ですごく興味深い試みだったけど、同時に(これは仕方のないこと)ベートーヴェンの音楽ってもっともっと力強いものなのにって思えて残念でした。
ー引用終わり 2002年2月の日記ー

マーラーが施した編曲版を演奏することって二重の解釈をすることになる。それはとっても難しいと思うのね。指揮者はベートーヴェンの楽譜から読んだ自分の解釈をすでに持っているだろうし、それはマーラーがベートーヴェンを解釈して施した変更と矛盾することになるから。マーラーの解釈はマーラーの時代のものであるし、指揮者はマーラーの身になって解釈して演奏しなければいけない。特に、古楽器の演奏の影響を受けてるユロフスキさんは、マーラーのロマンティック・エラの解釈を上手にそして、自分のものとして(ただ楽譜を演奏するだけじゃなく)演奏できるかとっても不安でした。でもそれを見事にやってのけたんです!
演奏は”ユロフスキさんらしからぬ”ゆっくりしたもの。第1楽章は1小節をきっかり3拍子で作っていました(最近の解釈は1小節1拍でしょ)。マーラーの解釈がそうなってるから。でも流石、ユロフスキさん。アクセントの付け方を上手にして雄大な音楽を作ろうとしていました。爆演になるのかな〜って思ったけど(オーケストラ大きいし)、トランペットなんかは控え目にして、ちょっと物足りない感覚です。でも4管編成の木管や6本のホルン、マーラーの好きな小クラリネットがステキな音楽の厚みを作っていました。ただ、第1楽章は、マーラーの音楽とユロフスキさんの音楽にちょっと齟齬があるかなぁって感じました。ユロフスキさんの音楽は違うところにあるし。速いパッセージで素のユロフスキさんがちょっぴり顔を出しそうな気がしました。
でも、第2楽章からはマーラーがユロフスキさんに乗り移ったようです。第2楽章は思いっきり遅いテンポ。わたしが根拠なくイメジする19世紀の音楽そのものです。ユロフスキさんの良いところは、遅いのにもったりしない、きちんと音楽が流れてることです。壮大な葬送行進曲。そして第3楽章のスケルツォ。トリオの6本のホルンはかっこよかった。各パート複数で吹くので音に厚みが出て、実はこれかえっていいじゃんって思ったりもしました。こんなベートーヴェンもありです。マーラーはきちんとベートーヴェンの心をくみ取って音楽を変更していると感じます。いつか改めて書いてみたいですが、音楽を作曲者の楽譜通り演奏しないことは、ちっとも悪いことではないんですね。と言うか、作曲者の意志は絶対、演奏は楽譜通りって、つい最近の考え方です。確かにひとつの考え方だけど、じゃあ演奏家ってなに? 芸術家として作曲家より下? そうではないでしょって反論したくなります。あっすいません、書き出すと長くなるので本当にあとで改めて。
第3楽章のあとはそのまますぐ、嵐のような第4楽章の始まり。そして思いっきりテンポを落として変奏曲の主題が始まりました。そして徐々にテンポを上げて。ユロフスキさん絶対フルトヴェングラーを勉強したに違いありません。フルトヴェングラーの書いたもの(講演の記録)にこの部分はそう解釈すべしとあります。壮大でロマンティック。こういうベートーヴェンもありですね。でも、マーラーだってむやみに楽器を重ねてるわけではありません。最後の盛り上がる部分ではホルンは3人だけで、他の3人は休ませています。わたしなんて全員で大々的に吹いちゃえばいいのにって思うんだけど。いやあ、いいもの聴いた。ユロフスキさんは拍手に応えて、マーラー版のスコアを高く挙げていました。真っ赤なスコア。

今日の音楽会もBBC iPlayerで視聴できます。ぜひ聴いてみてくださいね。

by zerbinetta | 2010-10-30 07:58 | ロンドン・フィルハーモニック

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