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マーラーの9番聴き比べ? 匂い立つ   

25.02.2011 @royal festival hall

maher: lieder eines fahrenden gesellen
maher: symphony no. 9

christopher maltman (br)
christoph eschenbach / lpo


ラトルさんとベルリン・フィルの途轍もない音楽を聴いたばかりなので、音楽がちゃんと聴けるか心配だった音楽会。しかも1日空いているものの、前回の5夜連続が響いてお疲れ気味。今日はきっとダメだろうな、寝てしまうだろうなと、弱気になって会場入り。でも、わたしとしてはベルリン・フィルがどんなに凄くても、地元至上主義だから、地元の団体の音楽会は聴きたいのです。オーケストラだって上手さ加減は二の次。実際ロンドンでは、一番上手いロンドン・シンフォニーよりも今日のロンドン・フィルを押してるしね。ものすごい完璧な美人よりも、そんなに美人じゃなくてもちょっとおっちょこちょいなのがかわいくて好きっていう人もいるよね、ねっ、ねっ(切実)。そんな感じ。

エッシェンバッハさんは好きなので、期待はしていたんです。去年のブルックナーも良かったし、指揮をしないボレロも最高に良かった。マーラーは音楽会では聴いたことないんですけど、ニューヨーク・フィルのリハーサルで第6交響曲を部分的に聴いていて、本番を聴けないのがうんと残念だな〜って思ったのでした。彼の音楽の素晴らしいところは、彼は彼の裡に絶対的な静寂を持っていてそれを音楽で表現できること。トランクイロの音楽がうんと凄いんです。

始まりの「さすらう若人の歌」はマルトマンさんのソロ。この間、パパゲーノを聴いたばかりだし、この人もロンドンではいろんな役を歌っていて、いつもステキな歌を聴かせてくれる。今日の歌もとっても良かったです。声が重暗い感じは、鬱々とした、というか大人になれば些細なことでしかないようなことにもいちいち重く考えてしまう青年の恋する人生の歌にとても良く合っていていい感じでした。前にコノリーさんが歌うのを聴きましたが、この曲は、バリトンが歌うのが好きだな。オーケストラの方は先日のベルリン・フィルのが耳に付いてるせいか残念なことに荒さが目立ちました。でも、マーラーの匂いはより強く感じるんですね。オーケストラ自体に稀代のマーラー指揮者テンシュテットの伝統を感じるんです(多分楽譜もテンシュテットも使っていた楽譜を使ってるでしょう)。ベルリン・フィルもアバドさん時代からはマーラーも盛んに採り上げるようになっていますが、アバドさんもラトルさんも古いタイプのマーラー臭のするマーラーを演奏する人ではないのでなおさらそう感じたのでしょう。どちらが良いかは好みもあるし、わたしなんかはどっちも好きなんですけどっ。

でも、このままオーケストラが荒かったら、上手いオーケストラを聴いたばかりなので、ちょっと残念だなって思っていたら、交響曲第9番では見違えるような緻密な演奏が展開されました。こちらを重点的にリハーサルしてきたのかしら。
第1楽章はものすごくゆっくりとした演奏です。そしてとても静か。と言っても音が小さいわけではありません。フォルテッシモはちゃんとフォルテッシモだし、最高の力を持って死の動機が再現されるところのティンパニの打ち込みは強烈で凄かったし、音楽が激しくないわけでもありません。それなのに音楽が静寂を表現してるんです。達観しているというか、解脱した境地にあるというか。第1楽章なんかはもの狂おしいくらいの青春への愛惜の音楽だと思うのですが、その渦中に入り込まないで遠くから見ている感じ。かといって客観的な演奏でも、分析的でもなく、感情を抑えているわけでもなく、不思議な感じ。解脱してしまうともう精神は揺れないということでしょうか。でも、何かが心に染み込むのです。
第2楽章は、具体的に舞曲のリズムを持った音楽なので、もう少し、肉を伴ってる感じ。溌剌としたリズム感もあるし、アチェレランドで仕掛けてきたり(オーケストラはちょっとついて行ってなかったけど)、第1楽章で聴いた特異さは目立ちません。とは言え、どこかいっちゃってるんですね。エッシェンバッハさんは、音楽全体を通して、あっちに行っちゃってるというか、狂気に走っているみたいなところもあって、実はそれってマーラーの演奏でわたしが大切に思ってることのひとつなんですけど、狂気がしっかりと表現されていて(なんだか、解脱しているのと矛盾があるみたいだけど、現実の世界から観ると解脱って一種の狂気ではないでしょうか)、わたしの好きな演奏です。
第3楽章で狂気はさらに加速して始まりから速いテンポ。高い音の木管楽器は、上手い具合にいっちゃってるし、金管楽器も打楽器も狂気の音楽を後押ししています。落ち尽きなく流され続ける魂。そして天上の救いのようなトランペットのソロ。トランペット主席のベニストンさんの音色とってもきれいだった。彼こんなに上手かったっけ?今日は彼と、ホルンの主席のリアンさんが抜群に調子良かったです。あと、リーダーのショーマンさん。ショーマンさん派手なソロを弾くわけではないけれども、音楽にぴったりと寄り添うものすごく音楽的なソロでした。惚れ直しました。
そしてフィナーレ。第1楽章から推測してものすごく良くなるって予想していましたがまさにその通り。ゆっくりとゆっくりと涅槃の境地に流れていきます。弦楽合奏のすばらしいこと。さらにヴァイオリンやヴィオラ、チェロのソロ(今日のヴィオラとチェロは客演主席の方でした。ロンドン・フィルのチェロの主席のおふたりもものすごく上手いんですけどね)が、良かったです。最後はなんだか宗教的な儀式が執り行われているよう。消えていく者の魂がひとすじの煙となって空に昇り高みに消えていく、そんな感じ。静かに静かに消えていきます。悲しくもない、嬉しくもない完璧な死。誰も悲しまず、誰も喜ばず、すうっと無になる。心に透明な穴は空くけど、それもすぐに満たされていく。わたしもこんなふうに失われたい。最近若い、ドゥダメルさんやネルソンズさん(放送)で、肯定的なあたたかなこの音楽の最後を聴いて目から鱗が落ちるように感動したけれども、エッシェンバッハさんはマーラーが本来書いたような感動を与えてくれました。比べること自体が全く意味がないことだけど、ラトルさんとベルリン・フィルのマーラーを聴いた耳にも全く遜色がない素晴らしい演奏でした。わたしの、マーラーの交響曲第9番経験の中でも間違いなく上位にくるものです。来週のゲルギーとロンドン・シンフォニーの演奏が楽しみ、でもあり不安。果たしてどうなるでしょう。ドキドキ

by zerbinetta | 2011-02-25 03:02 | ロンドン・フィルハーモニック

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