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向こう側からの語りかけ 内田光子、シューベルト最後の3つのソナタ   

13.10.2011 @the concert hall, reading

schubert: piano sonata d958, d959, d960

mitsuko uchida (pf)


内田光子さんは今どうしても聴いておきたいピアニストのひとりです。ミシュランの星で言ったら、出かけてでも聴きたい3つ星。ロンドンで最も尊敬されているピアニストのひとりです。しかもシューベルト。そんなわけで隣町のリディングまでのこのこ聴きに行ってきました。ロンドン市内の地下鉄の駅から電車によるけど30分ほど。でも実は、聴きに行くの心配だったんです。迷子になるからじゃないですよ。一度来たことあるし。シューベルトの最後の3つのソナタ、この世の音楽じゃないんですもの。彼の世から聞こえてくる誰そ彼どきの音楽。万が一、向こうに引き込まれちゃったらどうしよう。そういう心配があったんです。

プログラムはD958から順番。休憩を挟んでD960です。光子さん、いつものように颯爽とステージに登場。もうそのときから音楽が始まってます。ピアノに向かったとたん、ばーんとフォルテシモの和音が叩かれて。D958は、崖の縁に立っているけれども、まだこちら側に足がついている音楽。光子さんの演奏は、予想に反して、まだまだこちら側で生きている音楽として聞こえたのです。第1楽章が力強く立派な感じで、生命の灯りががしっかり灯ってる。ときどき向こう側に行きかける瞬間がふわりと表れるけどすぐにこちら側に引き戻される。そんな感じを光子さんのピアノから聴きました。第2楽章の歌もとってもきれいで、しみじみと慈しむように歌われます。でも、もしかして別れの歌。続く第3楽章と第4楽章はあちら側とこちら側の曖昧な場所でゆらゆらと踊ってる。ちょっと押せば向こう側に落ちてしまうし、ふと我に返ってこちら側に引き戻される。足はこちら側を踏んでるんだけど。最後はこの世界に足をしっかり下ろすような強い和音で終結。ほっと我に返る。

D959では、最初、一見健康的な感じで、こちら側に戻ってきた感じ。ふっと安心する。シューベルトは前曲の最後のふたつの和音で生命を取り戻したのでしょうか。でも、シューベルトはこの頃から向こうの世界に、足音の聞こえない世界のとりこまれてしまっているような気がするのです。元気な音楽の中にも油断するとふうっと魂が抜けていってしまって幽玄の世界を彷徨うような。最後の分散和音で魂はいよいよ体から自由になってしまう。第2楽章に入るといよいよ命が明滅し始めます。そしてついに向こう側への扉が開かれてしまう。力強く弾かれる分散和音と共にあちらの光りが差し込んで来るみたいに。シューベルトの魂は飛んでしまったのでしょうか。音楽が修飾されていくのはもう再び元の世界には戻れないことを刻印するよう。スケルツォの幻想的な煌めき(宮沢賢治の詩の光りを感じます)に次いで大好きな大好きなフィナーレ。一見明るい音楽なのにとっても哀しい。すぐ口ずさみたくなるメロディなのにこの世の音楽ではない、どこかに引き込まれそうになる逢魔が時の音楽。シューベルトの音楽の中で最も不思議な音楽ではないかしら。

いよいよ、最後のソナタ、D960。別の世界に入ります。音楽は彼の世から聞こえてきます。もうそれは始めから。光子さんは弱音はそれはもう幽かに聞こえなくなることをいとわず静寂の世界に引き込むように弾きました。シューベルトの音楽は、とてもインティメイト、個人的で親密。初期の頃の作品はまるでお話しするかのように音楽が書かれてるけど、今はまるで向こう側の世界の人とお話しするよう。光子さんはまるでシューベルトとお話してるみたい。光子さんは決して何かを主張せず静かに話を聞いている。そしてわたしとシューベルトの世界を混じりけなしに橋渡ししてくれるの。そこにあるのは純粋にシューベルトの世界。光子さんは巫女。
なんか、シューベルトの音楽の解説のようになってしまって、光子さんの演奏についてはほとんど触れていないように思われたかも知れないけど、違うんです。光子さんの演奏からはシューベルトの音楽しか聞こえないんです。そしてそれは、こちらの世界と彼の世界を行き来する、不思議な世界なんです。多分この音楽をこのように演奏する人はあまりいないのではないかしら。聴いていると音楽の外見がとってもよく見える演奏はあるけど、音の後ろにある世界にまで気がつかされる演奏ってあまりないように思うんです。
そう光子さんがシューベルトの音楽を深く愛していらっしゃるのが分かる。それは、光子さんが自分が表現したいものがそこにあるからではなくて、シューベルトの語りを静かに心に受け入れて、それをそのまま表現しているから感じられるの。そしてわたしは、光子さんを通して、わたしの大事なものとしてシューベルトの音楽を愛す。この音楽のなんと奥深く美しいことでしょう。生と死の世界を自由に行き来してしまったシューベルトの見せてくれる彼の世界。まるで臨死体験したみたいな感覚にさせられる恐ろしい音楽。
光子さんはわたしにもの凄く恐ろしいものを見せてくれたのかも知れない。でもそれはそのままシューベルトの世界なのです。来年の春に、この3曲をもう一度光子さんのピアノで聴きます。そのときはどんな風に感じられるでしょうか。それは楽しみでもあり怖くもあります。渡っては行けない川を渡ってしまいそうで。死ぬときはこの曲を聴いていたい。。。

by zerbinetta | 2011-10-13 10:47 | 室内楽・リサイタル

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