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物語力 マリアネラ・ヌニェス 「大地の歌」   

05.03.2012 @royal opera house

今シーズン、マリアネラさんが「大地の歌」デビュウしました。2月にデビュウしてるんですけど、わたしが取ったのは2回目になる3月の今日のです。「大地の歌」を続けて観るのはちょっとしんどいと思ったので、1度だけ3月にある今日の公演にしたのです。そして、会場でもらったキャスト表には、マリアネラさんが今日の公演を亡くなった彼女の元先生であるアニャ・エヴァンス・ジョーンズさんに捧げたいとプリントしてありました。今日の公演は特別なものになるでしょう。

the dream

mendelssohn/john lanchbery (music)
frederick ashton (choreography)

roberta marquez (titania), steven mcrae (oberon),
paul kay (puck), bennet gartside (bottom), etc.
barry wordsworth / london oratory junior choir, oroh


シェークスピア/メンデルスゾーンの「夏の夜の夢」にもとづく「夢」を観るのは3度目。ますますこのバレエが好きになりました。このお話、劇で演るよりも絶対バレエ向きよね(いろんな部分、バレエではカットしてるけど、かえって話がすっきりしていい感じ)。妖精の世界というのが何よりもバレエ向きなのであります。その妖精の中でもうひとりの主役と言っていい、おちゃらけ者がパックです。このパックにアシュトンはたくさんのいろんな形のジャンプを振り付けて魅せます。ずっとぴょんぴょん跳んでいるので大変そう。ケイさんはジャンプのきれいな人というイメジがありましたが、今日はいつもよりちょっと重そうだったな。休み明けはやっぱり大変なのかしら。
マルケスさん、マクレーさんはお似合い。マルケスさんって結構ヴェテランなのに、幼いというかむちゃかわいい。なんかほんとに妖精よね。おふたりとも尻上がりに良くなってクライマックスのパ・ド・ドゥはステキでした。今日はもう、3回目ですから、理屈とか細かいこととか抜きに素直に思いっきり楽しみました。やっぱり好きです、このバレエ。

メリッサさん平野さんカップル(美男美女系)とマッカロックさんホワイトヘッドさんカップル(コミカル系)
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ケイさんとガートサイドさん
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マルケスさんとマクレーさん
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song of the earth

mahler (music)
kenneth macmillan (choreography)

carlos acosta (the messenger of death)
nehemiah kish, marianela nuñez, sarah lamb, lauren cuthbertson, etc.

katherine goeldner (ms), tom randle (tn)

マリアネラさんファンとしては絶対に観たかった「大地の歌」、2月のロール・デビュウは日程の都合でダメで、2回目の今日(そして最後)、観ました! そして今日初めて、「大地の歌」がすっと入ってきて分かった、と言えました。もちろん、全部分かったわけでも完璧に分かったわけでもなく、分かったという気持ちになれただけです。作品を見続けていくことでもっともっと奥の深いところまで行くのでしょう。でも、今までよく分からなかった作品がようやく心にすうっと入ってきた感じなのです。これはひとえに物語の主人公、マリアネラさんの物語力の強さだと思う。この抽象的な作品を彼女は明確なイメジを持って語ってくれたんです。もちろん作品の本質は、普遍的な抽象性にあるという意見もあると思うし、多分それが正しいのだと思う。でも、マーラーの音楽は、詩によってかなり具体的なイメジがあるし、物語性を作品に持ち込むのも間違いではないと思うんですね。そして、マリアネラさんは全く自分の言葉で作品を語った。そこには、死を諦観したマーラーの作品(この曲がマーラーの中で一番死と隣り合ってると思います)とは離れて、マリアネラさんはまだ、死と折り合いを付けていない。悲しみや恐怖や諦めきれない気持ちが出てしまうのは、若さゆえだと思う。マーラーとは(そして多分マクミランが描いた世界とは)かけ離れていても、共感して、それを受け止めてしまうのは、わたしの中にもマリアネラさんと同じ思いがあるからだと思うんです。まだ、死にたくない。
タマちゃんやベンジャミンさんは、きっちりと抽象的に作品世界を作り上げていたと思う。それに比べるとマリアネラさんは読み取り方が浅いという批判もあると思う。でも、わたしにピタリと来たのはマリアネラさんの方なんです。マリアネラさんもこの作品のことは頭の中で分かっていると思うんです。でも、正直に自分の気持ちで表現することを選んだ、というかそうとしか踊れなかったんだと思います。最後、長いオーケストラの間奏が始まって、死に諍うことができなくなったときの、マリアネラさんの悲しみの表情に心を揺さぶられてしまいました。そして最後は泣いていた。それはこの作品への思いでもあるでしょうし、それに重ねられた彼女の恩師の死への悲しみでもあるのでしょう。ある意味非常に個人的な作品になっているのだけど、その個人はわたし個人にも重なったのです。

それに対比される男性の主役は、今日はキッシュさん。キッシュさんの存在はマリアネラさんにとって大きいと思うのよ。背の高いキッシュさんは大柄なマリアネラさんとのパートナーリングにはぴったりだし、ロイヤル・バレエって小さい人が多いから大きな人は貴重です。実際、秋のマノンのおふたりはとおっても良かったし。でも今日はあまりふたりで踊ることは多くないから、あれなんですけど。男性の方は最初っから自暴自棄で酒飲んで酔っぱらってるし、死への諦め感は、ほとんど抵抗ないみたい。むしろ受動的に死を受け入れる感じ。飄々と淡々に。感情を抑えた踊りは、キッシュさんもこの間のペネファーザーさんも上手い。このおふたりもしかしたら似たタイプ?
そして死の使者のアコスタさんは、いつ観ても踊りの美しさでは群を抜いてると思う。わたしなら死の使いに来て欲しいタイプ。腕に抱かれて死にたい。いやまだ死にたくないけど。だから腕枕で。。。寝てみたい。なんて書いたら、たくさんのアコスタさんファンの人に怒られそうだけど、彼の死の使いは、冷徹な死への誘いびと、であるよりも目に寂しさが漂っていて、宿命に従って死の使者を使わされた感じ。彼もまだ体温が感じられるの。

マクミランさんの素晴らしいところは、男女交互に歌われる歌と、男女の踊りを一緒にしていないところ。第3曲(男声)と第4曲(女声)を間奏曲扱いにして、過去(若き日)への郷愁(もしくは憧れ)の断片として、主人公ではない女性を中心に置いていること。最後の第6曲で全てはつながるんだけど、マリアネラさんはこのつながりに気づかせてくれたんです。これがわたしがこの作品を分かったと感じた理由なんです。作品がひとつになった。
その若き日の女性を踊ったのは、ラムさんとカスバートソンさん。主役の3人は今回トリプル・キャストだけど、このおふたりは全てに出ています。おふたりともコンテンポラリーが上手いので、安心して観ていられるのですけど、ラムさんにあるかなり難しそうなリフト(男性に任されているのでラムさんは何もできないというか身体は静止したまま)、もの凄く怖いと思うのだけど、まったく静止を保ったまま回転させられるのはやっぱり凄いと思いました。このおふたりの対比も妙で、冷然とした感じのラムさんは第3曲の陶の東屋の作り物的な景色にぴったりだったし、カスバートソンさんは、荒馬に乗って現れる少年への仄かな憧れがステキでした。

そして全てが昇華される第6曲。マリアネラさんの物語の中に引き込まれます。最後のキッシュさん、マリアネラさん、アコスタさんの死への旅立ちが、とても悲しいものに思えます。死は浄化され諦観されるものではなく、悲しい別れ以外の何者でもありません。親しい人との別れ、あるいは自分自身との別れ。分かったように、死と折り合いを付ける振りをするより、悲しみの実態を持った手に取る重さのあるもの、というのはわたしにとっても本物でした。涙の温かさも本物でした。泣きながら「大地の歌」聴き終えることができて幸せでした。

指揮のワーズワースさん、マリアネラさんは泣き顔
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死へ旅立った3人
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レディ・ガガ・メイク(目が)のアコスタさん
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by zerbinetta | 2012-03-05 02:32 | バレエ

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