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お能です サーリアホのクラリネット協奏曲 ダウスゴー/都響   

2015年5月29日 @サントリーホール

サーリアホ:クラリネット協奏曲「d'om le vrai sens」
ニールセン:交響曲第3番「広がりの交響曲」

カリ・クリーク(クラリネット)
半田美和子(ソプラノ)、加耒徹(バリトン)
トーマス・ダウスゴー/東京都交響楽団


先日、都響と読響の音楽会が重なってしまったので、振り替えのできた都響の音楽会を今日のに振り替えてみました。ニールセン聴きたかったし。実はニールセンの最初の3つの交響曲を聴いたことがないんですよ。サー・コリンさんがロンドン・シンフォニーとニールセン・サイクルやってたのにもかかわらず。録音でも聴いたことがないのでわたし初演。

一方のサーリアホさんの「d'om le vrai sens」は、日本初演だけれども以前イギリス初演を聴いたことがあります(わたしが聴いたときはクラリネット協奏曲とは言ってなかった)。そのときは解説も読まずにただぼんやりと聴いていたのでいい曲だなぁとのんきに感じただけなんですが、強烈な印象に残っていて、それは、かぶりつきに近い席を取っていたのだけど、座ってみると周りに誰も座ってない。えええっ、どうやらわたしが知らない間にかぶりつきの席の人は後ろの方に移動させられてるみたいなんだけど、誰も何も言わないのでぽつねんと座っていたら、クラリネットのソロの人、客席から楽器を吹きながら入ってきて、わたしの席はそのパフォーマンスをする通路になっていたんですね。クラリネットの人は近くに来るし、何であんなとこに人がというお客さんの視線を感じるし、針のむしろでした。今日はステージの後ろなので大丈夫。ステージ前のお客さんを退避させることもしてませんでした。サントリーホールはステージと客席の間にスペースがあるからですね。

「d'om le vrai sens」は、フランスの有名なタペストリー「貴婦人と一角獣」(去年かな、日本にも来ました)に想を得て作曲された作品です。タイトルの意味、「人の真なる感覚」は、タペストリーの6枚目、この曲の第6楽章「我が唯一の望みに(a mon seul désir)」のアナグラムです。謎めいた言葉が、謎めいた絵、謎めいた音楽に余韻を残します。
今回、作曲家本人を招いてのプレコンサート・トークとこの曲の解説を読んでみて、クラリネットが一角獣を表現していることに納得。クラリネットの雄叫びが、一角獣の鳴き声なんですね(一角獣がどういう風に鳴くのかは想像の範囲だけど)。そして、クラリネット奏者の動きもきっと一角獣の動きを表すのでしょう。音と視覚に訴える演劇的な、オペラのような作品。いえ、これはオペラではありません。むしろ、能。音楽のどちらかというと静的な感じ、ソリストの制限された体の動き、ソリストが踊り(演じ)謡う(演奏する)のはまさに能につながる様式。そう感じたら、むしろ、(サーリアホさんのコンセプトを壊すことになるけど)、能楽師をステージで演じさせた方がより表現の幅が出るんじゃないかなぁって思ってしまいました。そして、このタペストリーで描かれているのは、人の五感、とそれを止揚した第6の感覚。だとすると、音と視覚だけではなくて、味や手触りや匂いまでも感じられればとも妄想。カトリックのミサで香を焚くように。あとは一斉に会場で配られる飴をなめるとかwそれは冗談だけど、この曲は音楽以上の総合芸術的。こういう劇場的なコンサート・ピースもこれから増えてこないかしら。始めからセミステージドで演奏されることを前提に書かれた擬オペラみたいな。
演奏は、流石、クリークさん。相変わらず完璧なテクニックで、無音からフォルテッシモまで、低い音から高い音までシームレスに音を出してしまう凄さ。初演者だけあって(世界各地ですでに何回も演奏されています)、音楽を完璧に捉えて自分のものにしているのが窺えます。今日、前に聴いたときよりも良く分かった気になったのは、解説読んだり2度目ということもあるけど、演奏もさらにクリークさんの手の内に落ちてることもあるに違いありません。都響のサポートもとても良くて、素晴らしかったです。音楽の理解度がいつも凄いなって感じます。とてもシンプルに書かれていて(スコアを見たらとっても整理整頓されていて、この譜面にしてこの音ありです)、最後のチェレスタの永遠へと続く音の反復が印象的でした。

実は、前半でお隣に座ったおじさん(きちんとした格好の方だったのですが)の臭いが気になってしまったので、後半では席を移りました。向こう隣の人も後半いなくなっていたのでやっぱり逃げたのかな。気を取り直して。
ニールセンは、もうダウスゴーさんの自家薬籠中の音楽を完璧に知り尽くした演奏。ダウスゴーさんは、拍子を伝えるのではなく、身体で音楽の表情をオーケストラに伝えていました。ひとつひとつのフレーズ、音に、その音がなぜ今そこにそういう形であるのか全ての出自を分かっていてそれが実際に伝わってくるのです。わたしにさえ、それが分かるのだから、一緒にリハーサルを重ねてきた都響の皆さんも弾き慣れていないと思われるニールセンの音楽に迷いが見られません。都響って、ひとりひとりの奏者の上手さは、読響とか他のオーケストラの後塵を拝するところもあるけれども、アンサンブルのまとまりは群を抜いていますね。それと音楽の理解力。指揮者の音楽をちゃんと音にできるところがステキです。今日もダウスゴーさんにしっかり付いて行って、それは素晴らしい演奏でした。リスク・テイキングなところも厭わずに攻めて行ってたのもとってもスカッとしました。ダウスゴーさんもびっくりの(だってオーケストラがあまり演奏したことのない作曲家の音楽を音にするのって難しいもの(バーンスタインも昔、ウィーン・フィルのマーラーに手を焼いていましたね))会心の出来ではなかったでしょうか。少なくともわたしはそう思いました。
ダウスゴーさんにはぜひまた、都響を振りに来て欲しいです。ニールセン・サイクルとかやってくれないかなぁ。

by zerbinetta | 2015-05-29 00:31 | 日本のオーケストラ

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