miu'z journal *2 -ぼんやり系音楽会日記+α-
2022-03-23T14:51:41+09:00
zerbinetta
ミューズ・ジャーナル* ぼんやり系音楽会日記+α by つるびねった。本文中の人名、団体は実在のものですが著者に関する記述は話半分です。
Excite Blog
新年、音楽会始めを能で寿ぐ 青木涼子「現代音楽 X 能」 vol.9
http://zerbinetta.exblog.jp/32530739/
2022-01-12T01:39:00+09:00
2022-03-23T14:51:41+09:00
2022-03-23T01:48:03+09:00
zerbinetta
室内楽・リサイタル
シルヴィア・ボルゼッリ(宮沢賢治):「旅人」稲森安太己(梁塵秘抄):「舞うもの尽くし二首」ミケル・ウルキーザ(オスカー・ワイルド「幸せな王子」):「小さなツバメ」
青木涼子(能声)上村文乃(チェロ)
新年明けましておめでとうを寿ぐ今年最初の音楽会が期せずして、青木涼子さんの「現代音楽 X 能」になりました。能で年初めを飾るのはなんかお目出度くない?という程度にしか能を認識していない能天気具合。ああこれも能だわ。
新曲委嘱世界初演シリーズも9回目。今回はチェロのソロと能声のために書かれた3人の作曲家の作品。長引く新型コロナの影響で今回も海外の作曲家の方はオンラインでの参加(作品の紹介と質疑応答)。前回の vol.8-2 は配信で観たのだけど、安達真理さんのヴィオラのソロと涼子さんの声がシームレスに溶けあい繋がっててびっくりしたのだけど、チェロだとより楽器的というか、声を支える通奏低音みたいな感じに聞こえて、重ねてびっくりしたのでした。上村さんは、古楽の分野でもご活躍中の方だけど、現代音楽もお手の物みたいな感じで、涼子さんとの音楽の対話も刺激的でした。お二人の線対称的な(対になってる)白黒のデザイン(弦楽器のイメジ?)のドレスもステキでかっこよかったです。
イタリアのボルゼッリさんの「旅人」は、宮沢賢治の2つの詩に基づいた曲。一つ目の詩の前半の短い単語の音を繰り返す打楽器的な音の扱いから、詩の後半の散文的な言葉遣いを経て、叙情的な旅人の詩につながる旋律的な音の扱いが上手かったです。わたしは後半が好きでした。それにしても、詩の選び方のセンスと言ったら。もちろん、提案した人(涼子さん?)がいらっしゃるのでしょうけど、それでも最終的に2つの詩を選んだ作曲家の感受性って凄い。
日本の特殊な伝統文化に全く新しい音楽を作るのは、こうして外国人と日本人の作品が同時に聴き比べられると、いつも思うのだけど、わたしが(感覚が近い)日本人のせいもあるのかもだけど、日本人の作品に一日の長を感じてしまうのね。今日も稲盛さんの「舞うもの尽くし二種」が、古典的な能楽とは全然違うのに一番しっくりきました。西洋の楽器であるチェロの扱いも謡に寄せていくことなく、自由に書きながらも能謡に自然に収まるように感じられるのは、体に染み付いてるものがあるからでしょうか。稲盛さんが使ってみたかった楽器はファゴットっておっしゃって、うわっ!それ聴いてみたかったって思いましたw
今日、最も問題作だったのは、スペインのウルキーザさんの「小さなツバメ」。有名な「幸福の王子」の物語を基にした作品。明確な物語があるけど、日本語のテキストは完全な散文(リズムも自由)。モノオペラ的で(でも能も歌劇ではあるよね)、謡い手は舞台中央のマスクの前に立ったり後ろに立ったり(立ち位置で役柄(王子の像とツバメ)を変えてる)、扇を使ったり(ツバメの羽ばたき)、ワウワウチューブという特殊な打楽器(音がワウワウワ~って揺れる)を使ったり。演劇性を表に出して面白いし意欲的だとは思ったんだけど、わたしの素人意見では、実験的な分、完成度が少し足りなかったかな。でも、それより問題なのは、テキストが日本語だったこと。日本の詩に作曲した訳ではないし、外国語(この場合は英語)のできたら詩文を使って欲しかった。世界に1人しかいない能声楽家が日本人で、日本で演奏されるからなのかもしれないけど(質疑応答で、ウルキーザさんに「どうして日本語にしたんですか?」と聞いてみたかった)。涼子さんが日本で行なっているこのプロジェクト、でも、これからは海外で再演されたり新作が発表されることもあるでしょうし、外国の方が、この音楽をどういう風に感じるのか、興味があります(多分、日本人とは違う感覚でしょう)。能謡が外国語でも謡えるのかとか、ほんといろいろ興味尽きないの。涼子さんはコツコツと種を蒔いてるけど、芽が出てたくさんの花が咲いたらいいな、と思います。たくさんの素敵な作品が生まれて、再演されて、現代音楽の能をうたう人が出てきて、外国人の能声楽家も生まれて。
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青木涼子 「能 X 現代音楽」 Vol.8
http://zerbinetta.exblog.jp/31900571/
2020-10-20T16:08:00+09:00
2020-12-21T22:27:59+09:00
2020-12-19T16:10:54+09:00
zerbinetta
室内楽・リサイタル
青木涼子 新曲委嘱世界初演シリーズ 「能 X 現代音楽」 Vol.8
ロベルト・HP・ブラッツ:「涼子の能」フレデリック・デュリユー:「有ったんだって」ディアナ・ロタル:「般若」
青木涼子(能謡)辺見康孝、亀井庸州(ヴァイオリン)、安田貴裕(ヴィオラ)、北嶋愛季(チェロ)
陰ながら応援している能声楽家の青木涼子さん。と言ってもうっすらと軟弱なファンなので、公演を聴くのは1年ぶり。10年目を迎えた新曲委嘱世界初演シリーズ 「能 X 現代音楽」(能 X 現代音楽シリーズはいくつかあるみたいなので数え方がよくわからないのだけど)Vol.8です。今回は、ドイツからプラッツさん、フランスのデュリユーさん、ルーマニアのロタルさんの作品です。本来は、作曲家の皆さんが会場にいらして自作についてのお話があるんですけど、今回、covid-19の感染拡大のせいで、作曲家は来日できず、ヴィデオによる解説と演奏の後、海外と会場をつないだオンラインでのディスカッションです。司会をするのは音楽ファシリテーターの飯田有抄さん。
プラッツさんの「涼子の能」(なんか漫画のタイトルみたい)は、3首の和歌(拾遺和歌集、新古今、古今和歌集から)を謡った3つの場面からなる動きはあまりないけれども演劇的な(能舞台的な)作品。ただ、一度聴いただけなので、少ない言葉の背景にたくさんの意味が込められている(というか背後の世界がより大事な)和歌が(新古今以外)、どう解釈されているのかは、よく分かりませんでした。もちろんわたしの力不足なんですが。
デュリユーさんの「有ったんだって」は、鮎川信夫の現代口語の詩につけた意欲的な、でももしかすると日本の文化に対して無垢な感覚を持った自然さが、伝統に無意識に縛られたわたしに違和感っぽい先鋭的な感じを抱かせたのかもしれない、わたし的には、今日一番面白かったかな。多分、古典の能には出てこない(?)繰り返し発せられる撥音、促音の「あったんだって」が新鮮なリズムと可愛らしさ(涼子さんの歌い方も)が耳に残ります。質疑応答のとき、どなたか(多分、作曲家の細川さん)が、「あったんだって」はフランス語の語感に似てると感じましたか?というような質問をしてましたね。
ロタルさんの「般若」は、有名な道成寺のお話をルーマニアの神話との対称性をヒントにした、作曲者の言葉を借りれば「バルカン半島風の能の小品」。ルーマニアの神話では、有益な象徴である蛇は人の特性を獲得することで悪意のある類人猿の生き物「ズメウ」になるのに対して、女が人の怨念を持って蛇になる。それがどのように作品に昇華したのかは、やっぱりわたしには1回聴いただけではよく分かりませんでしたが、よく歌われた歌曲っぽささえ感じるのが面白かったです。
謡の伴奏(囃子)って、横笛や鼓などの打楽器なので弦楽四重奏は、能の世界からはもっとも遠い楽器(あとはピアノ)だと思うのだけど、作品を作ったり、演奏したりするのに違和感ないのかな。という日本人っぽい感じを抱いたんだけど、西欧人にはそこはあんまり問題ないのかな。音高が決まってるピアノの方が難しそうかしら。弦楽四重奏は、みなさんこういう音楽に手慣れていらして(何回か涼子さんと共演されているメンバーですよね)、音楽の空間を見事に作り出していました。ロタルさんの作品に最も顕著だったのだけど、今日の作品はどれも歌(謠ではない)が感じられたのが、能謡が西洋の方に少し踏み出したみたいで面白かったです。どの作品にも西洋(と言っても現代のボーダレスの背景に今なお存在する根としての西洋だと思うのですが)が感じられたのです。
今、青木涼子さんは能声楽者として孤高の活動をしていらっしゃって、新しい作品はどれも涼子さんの声を前提にして書かれています。その音楽が未来に引き継がれていくには、再演されたり、これらの作品を演奏する新しい演奏者が出てくることが(もしかすると西欧音楽の歌い手が彼ら彼女らのやり方で歌って作品に新しい息を吹き込むこともあるかもしれない)、どうしても必要だと思うのだけど、でも、楽譜がまだ整備されていなかった昔の音楽だって、演奏者と作曲者の境界が曖昧で当て書きのように自由に音楽が作られていたのが、少しずつ今に繋がって行ったように、わたしたちは今、新しい音楽の誕生を聴いているのかもしれませんね。600年の時と洋の東西を超えて21世紀に生まれた新しい音楽がいつか古典になる世界を想像しながら生まれたての音楽を聴いているのは、なんて幸運なことでしょう。
音楽会の模様はYouTubeで配信されています。ぜひご覧くださいね。
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タイムカプセル 福間、飯守/日フィル シューベルト、ブラームス
http://zerbinetta.exblog.jp/31756374/
2020-10-10T00:29:00+09:00
2020-11-02T00:34:13+09:00
2020-11-02T00:30:49+09:00
zerbinetta
日本のオーケストラ
シューベルト:交響曲第7番ブラームス:ピアノ協奏曲第1番
福間洸太朗(ピアノ)飯守泰次郎/日本フィルハーモニー交響楽団
本来ならラザレフさんが振る予定、残念ながら指揮者、曲目変更になりました。どうしようもないことだけど、オーケストラの事務局の人は大変。まだまだ夜明けが見えないけれど、どうか無事にこの苦難を乗り越えて、と心から応援。しかできないのが悔しい。
と書きつつ、手のひらを返すように、わたし、泰次郎さん苦手なんだわ。大御所で人気のある人で納得の人選でしょって白いわたしは言うのだけど、黒いわたし(素)は、将来有望な若手を呼んで欲しかったなぁとナナメ目線。「未完成」もブラームスの協奏曲も大好きな曲だし、しばらく聴いていないのでまっいいか(態度悪し)。
「未完成」交響曲が書かれたのは、ベートーヴェンが最後のピアノ・ソナタを書いてた頃、第九交響曲を作曲する前(1822年)。そして、そのまま眠りについて、トリスタンが初演された年(1865年)に起こされた(誰がキスしたんだろう)。生まれ年が二つあるみたいことよね。そして予想通り、泰次郎さんの演奏は、セカンド・バースデイの様式。ワーグナーの楽劇のような、ファーフナーの大蛇が出てくるような雰囲気をときに醸し出すように重厚に演奏したの。多分、最初にこの曲を聴いた人たちは、このような響きでこの音楽を知ったのだと思う。そして何故か、シューベルトのこの音楽は、それに応えるかのようにも演奏できちゃう(正しいこととして)凄さ。だから、わたしは、これもひとつのあり方だとは思うし、納得もするのだけど、やっぱり好きなのは、作曲された時代(ベートーヴェンの最後のピアノ・ソナタ群が書かれた時代)の様式の演奏が好きなのよね。シューベルト25歳の時の作品なので、死の淵に立ってるような音楽ではないと思うのよ。
反対に(かな?)、ブラームスのピアノ協奏曲第1番は、作曲家25歳のときに初演された若書きの作品。だけど、ブラームらしい渋くて(実際まるで晩年の作品みたいな枯れっぷり)、50分を超える大曲には重厚な演奏が好まれるみたい。で、泰次郎さんだしそういう演奏を予想したのだけど、意外や結構テンポ速め。へ~って思ったけど、答えは、一通りオーケストラで盛り上がったあと、涼風がすうっと肌を撫でるように爽やかに入ってきたピアノに驚いたところにありました。なんて軽やかに弾くんだろう。虚を衝かれた。でもこの初めての感覚がいいのよね。だってやっぱりこの曲、若者ブラームスの曲だから。若さゆえの過剰。ピアノの機能(音が減衰してしまう)への挑戦、メロディ・メーカーではないと謙遜しながら、次から次へと新しい旋律が出てくる1楽章。野心的な棘を老獪に枯らしてしまわないで、瑞々しさで柔らかく包み込む。透明でキラキラしたブラームス。2楽章も月夜に光る泉の暗さ。生命力に溢れて健康的な音楽。ピアニストの福間さんは、素敵好青年って感じで、耳でも目でも惚れちゃったよ。この音楽はきっと、泰次郎さんと福間さんが話し合って創ったんでしょうね。オーケストラがコロナ仕様で普通より小さかったのもプラスに働いたよう。泰次郎さんはちょっと不器用にアップアップしたりしながら、能くピアニストをサポートしていました。一瞬、泰次郎さんへの評価が上がりました。(後で冷静に考えたら、最近彼のブラームスに惚れてるフルシャさんだったらもっとステキにコラボレイションができたんじゃないってなった(泰次郎さんには厳しいわたし))アンコールに同じ作曲家の6つの小品から第2番。同じように爽やかな情感にあふれたポストルディウム。胸に温かいものを残して音楽会が静かに閉じられたのでした。
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メシアン好きで良かった サントリー音楽賞受賞記念演奏会 読響
http://zerbinetta.exblog.jp/31750838/
2020-10-06T00:50:00+09:00
2020-11-01T01:30:42+09:00
2020-10-30T00:53:21+09:00
zerbinetta
日本のオーケストラ
メシアン:「峡谷から星たちへ」
児玉桃(ピアノ)日橋辰朗(ホルン)、西久保友広(シロリンバ)、野本洋介(グロッケンシュピール)鈴木優人/読売日本交響楽団
2017年のサントリー音楽賞を授与された読売日本交響楽団の受賞記念演奏会。もちろん、近年の読響の躍進の最大の要因は、首席指揮者のカンブルランさんと彼らの共同作業による一連のメシアン作品の上演であることは間違いないので、彼らのメシアンがプログラムに上がることは、自明の理とも言えることだったんだけど、covid-19の世界的大流行のおり、カンブルランさんの来日は叶わなくなり、オーケストラのクリエイティヴ・パートナーの鈴木優人さんが代わりに指揮、さらにプログラムが合唱付きの大作「我らの主、イェス・キリストの変容」から「峡谷から星たちへ」に変更になりました(後者の変更はチケット販売前に行われたのでわたしは知りませんでした)。「峡谷から星たちへ」は、独奏ピアノ、3管編成の管楽器とたくさんの打楽器を使うんだけど、弦楽器は13人のソロで合計44人(足し算あってるかな?)。人数的には小さなオーケストラと言っていいよね。演奏に1時間40分くらいかかる大曲だけど。
正直に言うと、カンブルランさんが来られなくなったと聞いて、聴きに行くのどうしようかなぁと思ったの。この曲、メシアン好きのわたしにもちょっと彼の作品としては弱いし生半可な演奏ではわけわかんなくなるような気がしてたから。キャリアの中で長年メシアンを採り上げていてメシアンを得意とするカンブルランさんならいざ知らず、まだ若くて、メシアンが好きと言っても実際に指揮したのは「トゥランガリーラ」くらいのメシアンの指揮に関しては初心者の優人さん。でも、もしかすると化けるかもしれない、この曲が演奏されることは滅多にないのでチャンスは逃せないしね(「アッシジ」も「彼方の閃光」も逃しちゃった人)。そして、聴きに行って大正解でした!
読響ってわたしの(数年前の古い)印象だと、トップは上手いけど弦の後ろの方の人はテキトーに弾いてる的なあまり良い感じではなかったんだけど(今はみんなちゃんと弾くのかしら?でも指揮者によって全員真面目に弾くと上手い)、今回は、弦はソロなので心配なし。読響の良いとこばかりが聞こえてきた。皆さん本当に上手かったし、ホルン・ソロの作品「星々のあいだを翔ける叫び声」の日橋さんの演奏、(難しい曲なので)ドキドキしながら聴いてたんだけど拍子抜けするほど完璧でびっくり。児玉さんのピアノ、左手の音が豊かに響いて房状和音がとてもきれい。前のめりにならない端正な演奏でオーケストラと協奏して、ときおりドビュッシーのような響きが聞こえるのも新鮮でした。
わたし、さっきも書いたように、この曲に対する評価はあまり高くなかったの。明け方に窓の外の鳥の声と一緒に聴くのは好きなのだけど。その評価が劇的に変わったわけではないけれども、でもやっぱり生で聴くと違うね。ホールの音(と言っても響きが良いとかそういうのじゃなくて)ホールを満たしている空間のしじまが、宇宙に充満するエーテルのようにこの音楽には不可欠な要素。音楽ってステージの上の楽器だけでは完結しないのね。もちろんそれだけじゃなくてそれぞれ楽器から直接伝わってくる振動とか、奏者の仕草とか、も明らかにこの曲の大事な一部になってるの。それが分かっただけでも大きな成果。あと、特殊奏法が意外と多くてびっくり。メシアンってあんまり特殊奏法求めないでしょ。
優人さんは、丁寧にこの音楽を作っていたし、各楽器をきちんと際立たせて鳴らす明晰な音楽がとても成功していたと思うのだけど、メシアン慣れしているオーケストラに助けられたように思えるところもやっぱりありました。カンブルランさんが振ったらもっと踏み込んだ、刺激的な演奏が聴かれたかもしれないけど、それはそれ、優人さんのマイル・ストーンになる演奏会だったと思います。これから先、優人さんが経験を重ねて、どんな素敵なメシアンを聞かせてくれるのか今から楽しみだし、その時、今日の演奏を思い出せることが幸せに思えます。これからもずっとメシアン好きでいよう。
オーケストラの人たちはみんな、舞台から捌けるときにすぐマスクをしていました。covid-19 の感染リスクは舞台上ではなくて、舞台を降りたところが高いので、読響は危機管理意識が高いなぁと感心しました(ハッと気がついたのでわたしが聴いた他のオーケストラではここまでしていないはず)。この習慣、他のオーケストラにも伝染していって欲しいです。読響、めっちゃ好感度上がりました。
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スタンダード過ぎるくらいにスタンダード 牧阿佐美バレヱ団「眠れる森の美女」
http://zerbinetta.exblog.jp/31737857/
2020-10-03T00:41:00+09:00
2020-10-23T00:45:31+09:00
2020-10-23T00:45:31+09:00
zerbinetta
バレエ
眠れる森の美女
チャイコフスキー(音楽)ウェストモーランド(振付、プティパに基づく)
青山季可(オーロラ姫)、清瀧千晴(フロリモンド王子)茂田絵美子(リラの精)、保坂アントン慶(カラボス)米澤真弓(フロリン王女)、山本達史(ブルーバード)、ほか牧阿佐美バレヱ団
冨田実里/東京オーケストラMIRAI
春からずうっとチケットを取っては公演が中止になり払い戻されるという不毛なサイクルの中、久しぶりに公演があるので取ってしまった、牧阿佐美バレヱ団の「眠れる森の美女」。牧バレエ団はあまり観たことがないのでいい機会かな、とも。
振り付けは、プティパの原振り付け(プティパは偉大)を基にロイヤル・バレエ団で活躍してたウェストモーランドの版。時代考証をきちんとやったと言うオーソドックスなものなんだって。わたしの観たことあるロイヤル・バレエのメイスンさんの版やシティ・バレエの安達さんの版、新国立劇場のイーグリング版と比べてもそんなに変わりない、って言うかみんなプティパだもんね。今回この版で特に良いって思ったのは、第2幕のカラボスとリラの精の対決。いつも王子がカラボスを退けてオーロラをキスして起こすところ、ドラマがないねって思っていたの。リラの精に導かれて秘密の森に入って行くとそこに待ち受けてるカラボスをやっつけてオーロラのもとにたどり着くみたいな英雄譚を期待するのだけれども、なんかいつもあっさりすんなり行きすぎていて。ところが今日のは、カラボスがオーロラのベッドの枕元にいて、王子はリラの精とカラボスの間に立たされるの。姫を起こすことを阻みたいカラボスの念と善を導くリラの精の対決、自分で考えて答えを出すことを求められる王子。緊張感の中で正しい答えを見つける王子。滅びるカラボス。力で悪を倒すストーリーより、正しい行いで悪を排する点を明確に示したのがものすごく合点がいきました。多分これがプティパとチャイコフスキーが言いたかったこと。今までわたし、間違ってた。第1幕の序奏と編み物のシーンが削られて、いきなり有名なワルツから始まったのは、あのシーン好きなのでちょっと残念。会場にあった上演予定時間よりもサクサクと進んで少し早く終わったのは、細々としたカットがあったからなのかな(コロナ仕様?)。
青山さんの踊りを観るのはまるっきり初めてというわけではないのだけど(前にサマーミューザでの洗足学園音楽大学のバレエコースの公演でチラッと観た)、全幕でしっかり観られて良かったです。1幕で花を投げなかったのもいいねしたんだけど(これは演出の問題かな)、第3幕が気品と貫禄があってとおっても良かった。あとで知ったのですが、青山さんってヴェテランなんですね。もっと若い人かと思ってました。王子の清瀧さんもとってもステキで、2幕の恋を知らない、恋に恋する物憂げなところから、オーロラを見初めて彼女を得るために答えを見つけるまでの成長ぶり。3幕は王子としての余裕がグラン・パ・ド・ドゥに出ていて青山さんとのバランスのとれたコンビネイションも良かったです。
リラの精の茂田さんは優しい柔らかな感じが良かったんだけど、キリッとした強さが垣間見られるともっと良かったかな。あと、バレエ団全体に言えることなんだけど、マイムでの会話がふわふわした感じで言葉がかみ合っていないように感じました。対する保坂さんのカラボスは、初めて観るタイプ。妖艶で、でもなんか優しげなところがあって悪に徹していないのがわたしには物足りませんでしたというか、頭の中で新しいカラボスを消化できずにオロオロ。もう一度気を落ち着けて観てみたいわ。プロローグの精たちのソロで、腕の動きが幾何学的な感じがしたのは、一人だけじゃなかったので、こういう表現をしてるのかな。それともバレエ団の癖?
でも、今日一番目を惹いたのは、ブルーバードの山本さんとフロリン王女の米澤さん。踊りに勢いがあって観ていて気持ち良かったし、そこだけ空間が違ったように感じられました。華もあるし、将来の看板になれば良いな。
冨田さんは、鳴らすところは開放的に鳴らす指揮者さんですね。音楽にもったいをつけないでサクって感じなので変にもたれないで気持ちが良いの。東京オーケストラMIRAIの演奏は、それに応えてなかなか良かったですよ。バレエ団の伴奏をする日本のオーケストラって、海外の劇場のみたいな手抜きがないのでほんと素晴らしいです。
牧バレエは前に観たときも感じたんだけど、とっても基本に忠実に手堅く踊っている印象があります。それは良いのだけど、それを超えた表現が欲しいと思っちゃうのも現実。素人意見に過ぎないのですが、敢えて汚い表現をしてもぐっと心を揺さぶるプラス・アルファを求めるのは美を追求するバレエ界的には間違いでしょうか。
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ヴァイオリン界の猫娘 尾高、川久保/東響 リャードフ、ショスタコーヴィッチ、バルトーク
http://zerbinetta.exblog.jp/31729784/
2020-09-26T18:03:00+09:00
2020-10-18T18:04:57+09:00
2020-10-18T18:04:57+09:00
zerbinetta
日本のオーケストラ
リャードフ:交響詩「魔法にかけられた湖」ショスタコーヴィッチ:ヴァイオリン協奏曲第1番バルトーク:オーケストラのための協奏曲
川久保賜紀(ヴァイオリン)尾高忠明/東京交響楽団
大好きなヴァイオリニスト、アリーナ(・イブラギモヴァさん)と若き俊英、ブランギエさんをぜひ聴きたくて取っていたチケット。covid-19 の影響でお二人の来日が叶わなくなりパスしようかなとも思ったんだけど、音楽会があるだけでも大変なことだから、と気を取り直して出席。終わってみれば聴いて良かった~と心から思える音楽会でした。
「魔法にかけられた湖」は、尾高さんが選んだ曲。静かな湖の情景。魔法にかけられて眠りについたのでしょうか。神秘性はあまり感じなかったけど、静かな音がとても丁寧に美しく奏でられました。この曲だけで、オーケストラの音へのこだわりとそれをさらりと引き出せる尾高さん、流石だわって思えました。
ショスティのヴァイオリン協奏曲は、今まで最高のソリストとオーケストラで聴いてきて、いつ聴いてもそのとき聴いた演奏が素晴らしかったと印象に残っている曲。今日はどうでしょう。川久保さんは、名前は前から知っていたのだけど、初めて聴くヴァイオリニスト。金色のメタリックなドレスで、プラチナコガネって思ったけど、以前サラ(・チャンさん)がこの曲を弾いたとき(ものすごくインパクトのある演奏でした)、メタリックグリーンのド派手な衣装で、この曲ってそんなイメジの曲かな、って思ったんだけど、やっぱメタリックな感じなのかしらね。川久保さんのは派手ってまでの印象はなかったけど。。。この曲の第1楽章って、なんか暗くて不平不満をぶつくさ呟くようなイメジがあったんだけど、あれ?川久保さんの演奏にはそんな感じがしない。決して明るくはないのだけれどもネガティヴな暗さは感じない。むしろ、なんかちょっぴり艶やかでエロスのようなものさえ感じられる。強い性的なものではなくて、そして天使が降りてきたのを感じたの。ベルクのヴァイオリン協奏曲に感じられる少女の天使、天使の少女(どっちだろう?)。この曲もレクイエムなんだと思った。弦楽四重奏曲第8番のような自分に対するのではなくて、何か大切な少女に対するような。速い音符の飛び跳ねる第2楽章は、なんか表情が目まぐるしく動いて、悪戯っぽい笑みだったり、してやったりの顔だったり、澄ました微笑みだったり、一瞬恐ろしげな妖怪の顔だったり。なんだろうこれ。座敷わらし?そうだ!猫娘だ!そう思うとストンと腑に落ちて、小悪魔的な川久保さんも猫娘に見える。彼女のことヴァイオリン界の猫娘と呼ぼう。ティンパニの強烈な打ち込み(ステキ)に始まるパッサカリアは、凛々と透明なヴァイオリンの音が背筋をひんやりと撫ぜてピンと座り直して聴き入ってしまいそう。でも、冷徹な中にも仄かな温かみが消えることがないのよね。そしてまた、長いカデンツァでは天使が降りてくる。お祭り騒ぎのフィナーレは、魂の全てが弾けて自由になって、同じアホなら踊らにゃ損損。その中でも、川久保さんはどこか澄まして冷静さを失わないのを物足りないと見るのか流石と思うのか。わたし的には前者なので(ハチャメチャ大好き)、ここは、尾高さんに思い切ったアチェレランドをかけるなどしてソリストを追い立てて欲しかったわ。でも、尾高さんすごいのよね。さりげなくこの曲の構造を知覚させてくれて、緻密に計算された構成をレントゲンで見るようにたくさんの音の中から透かしてくれるの。妖怪が跳ね回ったり、少女の天使が降りてくる演奏は、初めてでびっくりもしたけど、今日のも最高。ステキな演奏でした。
休憩の後のオーケストラのための協奏曲、東響の各パートのまとまりの良さを生かした秀い演奏。外連味がなくて紳士的でバランス良く整えられた美容院を出る時の髪みたい。ちょっとまともすぎるきらいもあったけど。スッキリとカラフル、作曲家の苦悩みたいな感情は後退しているけど、純粋にオーケストラのための協奏、競奏、響奏が分かりやすくて楽しかったです。今日の東響、いつもと違って(失礼)、ホルンが良い。それに、尾高さん、東響の良さを残しつつ、さらに先を行く良い音を、締め上げるでもなく、追い立てるでもなく、指揮棒の先から(指揮棒持ってなかったっけ?)自然にオーケストラから紡ぎ出して、ヴェテランの味。それにしても今日は、木管殺しのプログラム。大忙しの大活躍でお疲れさま~~ブラヴォー。
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都響と Noism の冷たくスパークする化学反応 サラダ音楽祭メインコンサート
http://zerbinetta.exblog.jp/31727985/
2020-09-06T19:32:00+09:00
2020-10-17T19:51:53+09:00
2020-10-17T19:37:04+09:00
zerbinetta
日本のオーケストラ
モーツァルト:モテット「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ」ラヴェル:ピアノ協奏曲より第2楽章ペルト:フラトレス ~ヴァイオリン、弦楽と打楽器のためのラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌミヨー:屋根の上の牡牛
Noism Company Niigata白木あい(ソプラノ)、江口玲(ピアノ)、矢部達哉(ヴァイオリン)大野和士/東京都交響楽団
池袋で秋の初めに行われる サラダ音楽祭。全然眼中になかったのだけど(失礼。っていうか情報に疎く忘れてました)、Noism が出演するというので、俄然やる気を出してワクワクしながら行ってきました。音楽祭メインコンサート。池袋ウェストゲートパーク前劇場にて。
プログラムは幕の内弁当。モーツァルトのコンサート・アリアのようなモテットが今日のモットーよね。「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ」。いかなるときでもわたしたちは喜ばなきゃ、歌わなきゃ、踊らなきゃ。それがわたしたちが音楽に対するレスポンソリウムよね。そして今頃気がついたんだけど、SaLaD ってSing and Listen and Dance の略じゃない。まさにその名の通り! covid-19の感染拡大もあるのでおおっぴらには歌えないけど、心の中で大声で。
ステージ後ろのオルガンの前で白木さんが歌うアリアじゃなくってモテットは、彼女が声量で圧倒するタイプじゃなかったので、オーケストラと離れていたことがちょっとマイナスになったんじゃないかって気がしました。普通に指揮者の横でオーケストラと一緒に歌った方が良かったかも。
ラヴェルのピアノ協奏曲は第2楽章のみ。いよいよ Noism との共演。オーケストラの前で井関佐和子さんと山田勇気さんが男女のすれ違いと別れを踊りで紡いでいきます。ステージ後方のスクリーンにはふたりの踊り手の踊りをスナップ・ショットのように蒸着してイメジを固定しつつ、ステージではリアルタイムで踊りが進行して、記憶にアクセントをつけていきます。もともと、ラヴェルのこの曲は透き通って哀しいほどの憧憬があって、でもふたりは別れて、その先には過去に手から滑り落ちてしまった愛が泉のように目から湧き出して。「フラトレス」では、金森穣さんとモノクロームの12人のダンサーが雪を踏む修行僧のようにストイックに静かに踊って、宗教的な儀式を観ているみたいでした。ぞくっとかっこよくって。わたし、こういうダンス、実は苦手だって思って敬遠気味だったんだけど、なんか意味もわからず、涙がボロボロ。すごいよ、Noism。もちろん、演奏もとっても良くって、ピアノ独奏の江口さんのひんやりとした泉のような音、矢部さんのヴァイオリンの武士っぽい、闇の中に現れる水明の音。後者は、Noism の踊りと相互に反応して、言葉を失わせるアウラ。でも、音楽も踊りも言葉を超えているものだから言葉を探す方が難しいし野暮なのでしょう(ってなぜ書いてる、わたし)。今日の大野さん/都響と Noism の共演は、コンサートマスターの矢部さんが熱望して実現したそう。矢部さんグッジョブ!このマリアージュは予想を超えた結果を生み出したし、これからも何かの機会を作って続けて欲しいな。都響がピットに入る Noism 公演、絶対観に行く。
後半はオーケストラのみでの踊り。まずは、前半のメランコリックな雰囲気を引きずって「亡き王女のためのパヴァーヌ」。パヴァーヌがどんな踊りなのかは知らないのだけど、この古めかしい宮廷舞踊は、もう踊る人もいず忘れ去られた感じが、ノスタルジーを誘うのよね。まあ、大野さんと都響だから、割とあっさりとシャープに音付けしていくのだけど、それでもラヴェルのとろけるようなアンニュイ(日本語の意味で)な雰囲気はちゃんと残っていました。節ごとに振り出しに戻るように新しく繰り返す感じがあったのは、舞曲を意識したから?それとも自然に?そして最後に思いっきり対照的に賑やかで明るい「屋根の上の牡牛」。都響らしくきっちりな演奏でうまいし良いんだけど、酔っ払いのようないい加減なスパイスが効くとより楽しめたかも。後半2曲は、踊りなしだったんだけど、贅沢だけどバレエがついてたら嬉しかったなぁって思いました。
ところで、サラダ音楽祭って、このメインコンサートだけじゃなくって色々な催しを池袋周辺で行なっているのだけど、わたしが参加したのはこれだけ。ちょっとさみしかったので次からは時間を作って色々観て、聴いて回りたいな。気まぐれサラダ風にね。
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バレエ団の本気 The Tokyo Ballet Choreographic Project
http://zerbinetta.exblog.jp/31721158/
2020-09-05T06:10:00+09:00
2020-10-14T06:16:44+09:00
2020-10-14T06:16:44+09:00
zerbinetta
バレエ
The Tokyo Ballet Choreographic Project 2020
東京バレエ団のコレオグラフィック・プロジェクト、バレエ団のスタジオでやってるのを目黒バレエ祭りにも登場させるはずだったものが、covid-19の影響でバレエ祭りから9月に移動になったということでよろしいでしょうか。よく分からないけど、日程が変更になってチケット再発売になって好きな席があったのでポチッとして観にきました。実はこういう公演、好きなんです。
バレエ団のダンサーの手によるプレリミナリーな作品なんだけど、過去のスタジオ・パフォーマンスで観客賞を取った作品はどれも流石ねって思わせるものがあるし、今日初演された2作品も力の入ったものでした。稽古場のスタジオではなく、ホールのステージで上演されたのも作品の魅力を引き出す一助になったと思います。プリンシパルのダンサーもこぞって出演して本気度も高いし、covid-19の影響で公演中止が相次ぎ、通常ではありえない久しぶりの本番になって、ダンサーの熱量が上がったことも、って書くといつもは抑えてるのかって言われちゃうかもしれないけど、それでも、特別な気持ちってあるからね~、わたしたち観る方にも。
ホールでやった効果は最初の岡崎さんの「Scramble」から。スタジオではできない照明の効果がバチリ。光の陰影の中でダンサーの踊りがシャープに浮き上がる。木村さんの「RISE」は、男性ひとりと女性ダンサーたちのしみじみとした作品。プログラムに書いてあったシンドラーのリストという単語にわたし自身がちょっと惑わされちゃって、むしろ「ジゼル」の2幕っぽい情景から物語を想像した方が良かったかも。柄本さんの孤独で内証的な表現た素敵でした。上野さんのソロの岡崎さんの「Calling…」は、「瀕死の白鳥」で有名なサンサーンスの「白鳥」を人間の物語に転用。上野さんの表現力が流石で、音楽が終わってから幕が終わるまでの無音の表情に引き込まれました。岡崎さんの3つ目「理由」は、プロコフィエフの「ロミオとジュリエット」の「ジュリエットの死」と別の音楽を組み合わせたものに振りつけられていましたが、ジュリエットには関係なく、でもこの魅力的な音楽をこういう風にも使えるんだなって感心しました。マーラーのアダージエットに振り付けられたアルバレスさんの「Adagietto」は、音楽の叙情性を生かした美しい作品。 もうひとつアルバレスさんの「夜叉」は、わたし的にはちょっと奇異に感じた作品。多分わざと作った違和感が力強い何かインパクトみたいのを心に残しました。最後の岡崎さんの「運命」はシチュドリンの「カルメン」に振り付けられた、カルメンのようなカルメンじゃないような作品で、冬にスタジオで観たときよりも随分と洗練されてきて、これはやっぱり完成版で観ないとって思いました。音楽も物語を語るのに十分な長さがあるので全曲で観たいと思うのですが、そのとき、カルメンになるのか全く別の物語になるのか楽しみです。
Scramble岡崎隼也(振付)エイチ・ゼットリオ(音楽)安西くるみ、工 桃子、相澤 圭、鳥海 創、後藤健太朗、昂師吏功、山下湧吾
RISE -初演-木村和夫(振付)ジョン・ウィリアムズ、ケルティック・ウーマン(音楽)柄本 弾沖香菜子、足立真里亜、上田実歩、榊優美枝、中沢恵理子、菊池彩美、長谷川琴音、木住野真菜美、花形悠月、本村明日香、栗芝みなみ、鈴木香厘、富田翔子、富田紗永
Calling... -初演-岡崎隼也(振付)カミーユ・サン=サーンス(音楽)上野水香
理由岡崎隼也(振付)セルゲイ・プロコフィエフ、ジャズトロニック(音楽)秋山 瑛、涌田美紀、足立真里亜、中沢恵理子
Adagiettoブラウリオ・アルバレス(振付)グスタフ・マーラー(音楽)奈良春夏-秋元康臣、岸本夏未-樋口祐輝、上田実歩-山田眞央、瓜生遥花-岡﨑 司、前川琴音-海田一成
夜叉ブラウリオ・アルバレス(振付)アルトゥーロ・マルケス(音楽)中川美雪-宮川新大榊優美枝-大塚 卓、長谷川琴音-南江祐生、花形悠月-生方隆之介、松永千里-昂師吏功
運命 -抜粋版-岡崎隼也(振付)ロディオン・シチェドリン(音楽)伝田陽美、柄本 弾政本絵美、秋山 瑛秋元康臣、池本祥真沖香菜子、加藤くるみ、樋口祐輝、鳥海 創
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あるべきところに落ち着いていく音楽たち 山田和樹/日フィル
http://zerbinetta.exblog.jp/31711562/
2020-09-04T23:18:00+09:00
2020-10-08T23:23:41+09:00
2020-10-08T23:23:41+09:00
zerbinetta
日本のオーケストラ
ガーシュウィン:「アイ・ガット・リズム」変奏曲ルグラン:チェロ協奏曲五十嵐琴未:「櫻暁」 for Japan Philharmonic Orchestraラヴェル:バレエ音楽「マ・メール・ロア」
横坂源(チェロ)、沼沢淑音(ピアノ)山田和樹/日本フィルハーモニー交響楽団
日フィルのシーズン開幕!(日フィルは9月始まり)。但し、席は半分に間引いてです。例年通り、開幕は正指揮者(ちょっとこの称号の意味がよくわからないんですけど)のヤマカズさん。ヤマカズさん本人によるプレコンサート・トークがいつもの通りあって、開口一番、「(サントリーホールに)戻ってきました!」と。日フィルのサントリーホール公演は7月からぼちぼち始まってるんだけど、ヤマカズさんのサントリーは2月以来。通常通りでは無いけれども、どうにか新シーズンの定期公演に漕ぎ着けました。まだ、大編成のオーケストラは難しいということで、予定されていた後半の水野修孝さんの交響曲第4番は、なんとヤマカズさんがこの機会にと五十嵐さんに委嘱した新作(ここポイント)と「マ・メール・ロア」になりました。
オーケストラの入場は拍手を伴って。東京のホールで在来のオーケストラのときはあまりされてなかったのですが、コロナ禍の中のこれが新しい習慣になって残っていくと嬉しいな(ミューザ川崎の東響やオペラシティのBCJのときはあります)。プログラムの前半は、最初の予定どおり、ガーシュウィンの小粋な「アイ・ガット・リズム」変奏曲とルグランのチェロ協奏曲というヤマカズさんらしい攻めたプログラム。ガーシュウィンの短い曲のためにピアニストまで準備して、と思ったらチェロ協奏曲でも独奏ピアノが大切な役割を担ってるんですね。「アイ・ガット・リズム」は、わたし的にはちょびっと不満。正しく一所懸命らしく演奏しているのだろうけど、もっさりしたクラシックのリズムっぽくてちょっと手こずったというか慣れていない感じ。
さて、今日の目玉と言っていい(ほんと?)、ルグランのチェロ協奏曲、日本初演。30分を超える大作。で、ルグラン。ある意味知らない人だったんだけど、「シェルブールの雨傘」の音楽と言ったら(ちょっと古いかな。わたし的には一番有名なんだけど)、聞いたことのない人はいないくらいの人。わたしも今日知った。映画音楽の人だけど、歳をとってからクラシックの音楽を書き始めたそう(ウィキペディアで調べても日本語版も英語版もクラシック音楽の作曲のことは書いておらず、地元のフランス語版でやっと一言触れてる程度)で、チェロ協奏曲も80歳を超えてからの作品。これがわたし的にはとても良かったのよね。難しい音楽とわかりやすい音楽の絶妙な配合具合。聴いていてなんか癒される(という言葉を安易に使うのは嫌いなんだけど)というか心が落ち着く感じの。芸術音楽の最先端や逆にそれのアンチテーゼみたいなポリシーのない齢80を超えてのこだわりのない自由闊達な境地で音楽を書いている潔さが心に届くの。横坂さんのチェロは、この曲には彼だろうとヤマカズさんがお願いしたとおっしゃってた通り、さりげない微温的なロマンティシズムとふさわしい木目の耳触りの音色が音楽にピタリと寄り添っていて極上。真ん中のピアノを伴うカデンツァ楽章もお二人の音楽が重なって奏でられるモノローグ。良い音楽を聴いたわ~。アンコールはもちろんお二人で、フォーレの「夢のあとに」。極上のデザートね。
休憩のあとは、五十嵐さんの「櫻暁」。今日の公演のチラシができた頃は、「桜に寄せて」管弦楽のためのスケッチと題されていたのだけど、最終的に造語の「櫻暁」に決まったとのこと。漢字の姿からイメジが膨らんで良い感じ。弦楽器を主体にした(管楽器のハーブを散らして)音楽は、ちょっぴり武満的な感じもしないではないけれども、なんだろう、この収まるところに収まりゆく安定さは。途中、トリスタンっぽい(第1幕の前奏曲の始まりの部分)音の動きがあるんだけど、トリスタンみたいに和声を彷徨わずちゃんとあるべきところにきちんと着地する安心感。ルグランが老境の果てに到達した鷹揚を20代の若気の至りで、無意識に巡りついている。老人と若者が一周回って同じところに、なんか凄いな。演奏については、初演だったのでこの曲をとてもステキに感じられた、くらいしか言えないのだけど、最後、ヴァイオリンのソロの高音で終わるところ、音のアタックがたまたまそうなってしまったのか、それともわざとどきりと断ち切られるような解釈なのか、この演奏だけからは分からない疑問が残りました。明日の2日目も聴ければ良いのですけどね~。
そして偶然にも、この曲が、ルグランと次のラヴェルを結びつけるブリッジになっていたのです。
ラヴェルって、ドビュッシーの印象派の作曲家に分類されちゃうけど、実は、全然違う、とっても保守的な作曲家だと感じるのよね(ボレロのような革新的な音楽を作ってるにしても)。それが、類稀なセンスによって新しい響きになっちゃう。「マ・メール・ロア」も童話の世界を絵本の読み聞かせを聞くように、カラフルなオーケストラの音色で暖かく音楽にして大好き。ラヴェルの音楽にも、あるべきところにちゃんと収まってる安心感がありますものね。だから、心が弱ってるときに聴きたくなるんだわ。日フィルの音は、おしゃれなラヴェルの音楽にはちょっぴり重めだったけど、わたしのホーム・オーケストラの聴きなれた音なのでこれもありかな、決して最高に美味しいというわけではないけれども、無性に食べたくなる近所の定食屋さんのような安心の音は、好ましく保守的なラヴェルの音楽にわたしが想いを馳せるのにぴったりなのでした。
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想像を超える創造 大和シティーバレエ summer concert 2020
http://zerbinetta.exblog.jp/31702140/
2020-08-14T01:32:00+09:00
2020-10-04T01:36:54+09:00
2020-10-04T01:36:54+09:00
zerbinetta
バレエ
ここ数年、わたしの夏の楽しみになってるバレエ公演、Bright Step と大和シティーバレエだけど、海外で活躍する日本人ダンサーたちの自主公演である前者は残念ながら公演中止、大和シティーバレエは、予定していた(そしてわたしもすご~く楽しみにしていた)海外からの日本人ダンサーなしで、お客さんを半分に減らしての公演になりました。で~も、その結果、新国立バレエ団濃度が高くなって、わたし的にはプラス・マイナス・ゼロ。もちろんワクワクして出かけましたとも。主宰の佐々木美夏さんの舞台への執念のなせる技という噂を伝え聞いて、なんて素敵なんだろうと思いました。舞台と客席って最高の共同体だよね。
《 contacto 》「NYX」よりルナティック中原麻里(振付)、F.ショパン(音楽)五月女遥、渡邊峻郁大滝俊(ピアノ)
Contact木下嘉人(振付)、E.ボッソ(音楽)米沢唯、木下嘉人相原舞、古尾谷莉奈、林田翔平、森田維央
第1部はネオクラシックな2作。最初の「ルナティック」は、海外からのダンサーが来られなくなって差し替えられた演目。でも、その結果、本家新国では見られない(これからはありかな?)、大好きな五月女さんと峻郁さんのペア。ステージの端で弾かれるショパンのノクターンに合わせて、男女のすれ違いをメランコリックに踊る作品。むちゃくちゃ踊りの上手い五月女さんと表現力がずば抜けてる峻郁さんの描きだす風景が微妙にずれている気がしたのは、性格の違うおふたりにもう少し熟成の時間があればってことかな。ふたりの化学反応は素敵に作用すること間違い無しと思うので、もっとたくさん踊る機会があればいいのに。わたし的には大好きなおふたりの珍しいパ・ド・ドゥだったので、今日は最初っからクライマックス。ただ、この作品、短~い。もっともっと長く観ていたかった。ショパンのノクターン全部踊って~。
「Contact」は、唯さんと木下さんを中心に男女3ペアによる未知との遭遇。男女の人と人とのすれ違いと触れ合いの身体的表現が心象風景に昇華して、さわさわと胸に沁みてくるの。それにしてもやっぱり唯さんのコンテンポラリーすごくいい。一昨年、去年もここで唯さんのコンテンポラリーを観て凄いと思ったのよね。五月女さんと唯さんって直線的な踊りのキレがそういう作品に向いてるといつも思うの。もちろん古典の緩やかな身体の使い方も素敵なんだけど。
《 日本の怪談4部作 》耳なし芳一熊谷拓明(振付)小出顕太郎(芳一)、望月寛斗(和尚)、熊谷拓明、他小林太郎(和太鼓)、鎌田薫水(琵琶)
雪女中原麻里(振付)、P.グラス(音楽)小野絢子(雪女)、福田圭吾(巳之吉)、他
死神福田紘也(振付)、P.グラス(音楽)本島美和、福岡雄大、五月女遥、福田紘也
牡丹灯篭池上直子(振付)米沢唯(お露)、渡邊拓郎(和尚)、宝満直也(新三郎)、八幡顕光(伴蔵)、他大和シティーバレエ
第1部があっさり短く終わったので、今日の公演は早く終わるんだろうなと思っていたら(怪談4部作、短い作品のオムニバスだろうと思ってた)、それだけでお腹いっぱいになるくらい充実してた第2部。ひとつずつ観せて行くのかなと思ったら、一気に4作品をつなげて、ジェットコースターのようにグイグイと加速度をつけて盛り上がって行く舞台構成の妙。プロデューサーの佐々木さんの面目躍如。言葉を失くす。手放しに素晴らしい!
最初の「耳なし芳一」は、和太鼓と琵琶のステージ上での生演奏(これが背景として舞台装置として機能してる)、そして語りが入るの。直接的に物語を語られる声が入るのは、バレエには禁じ手だわとわたしは思ったし、わたし的には少し残念だったけど、多分、語りがあるのが良かったと思う人もいらっしゃるよね。ただ、具象的な語りと、ある意味物語に囚われない抽象的な振り付けの踊りがもう少し、仲良くなれれば良かったかも。物語のすじはさて置いて(っていいのか?!)、この作品は、チンピラと茶髪少年のBLのお話でした。
で、そのまま続いて、「雪女」。この途切れない自然な舞台転換(そのあとの作品間もだけど)が舞台への求心力を高める大事な要因。一昨年、絢子さんは「雪娘」という作品も踊っていて、あれ?再演かなと勘違いしてたんだけど、全く違う作品でした。絢子さん、冷たい女系に縁づいてる。でも、動きを抑えた静の踊り、絢子さんにぴったりというか、ものすごくステキ、極小の動きでの表現の豊かさ。今日のお話は、冷酷な雪女ではなくて、巳之吉を純粋に愛する、でも幽界に住む者と現の者の成就できなかった悲しい愛を絢子さんと福田さんが夢と現を行き交うように演じられて、しみじみと感動。前半のこの世のものではない冷たさと後半の空蝉の幽けし温かさを表現し分けた、そして最後、温かみを残して冷たい彼岸に戻っていく絢子さん、素晴らしかった。雪の群舞もステキ。
「死神」は、舞台が現代になって、ハイスピードのナラティヴ・コンテンポラリー。まず、死神の美和さんが怖かった。。。死神メイク似合いすぎって言ったら失礼かもしれないけど、美人系なので鋭く映えるのよね。小さなお子様が観たらトラウマになりそう。手下の死神ーずの女の人が美和さんに負けず劣らずキレッキレだな~って思ったら五月女さんだったの。ほんと死神ーずの3人の踊りのキレていたこと。こんな人、もとい神(?)に取り憑かれたらもう死ぬしかないわ。で、その死ぬ役がサラリーマン風の福岡さんなんだけど、この人、こういう普通の人(むしろうだつの上がらない人)の役がとっても良い。いつもの王子よりも良い。型にはめられずある程度自由に踊れるので生き生きしてるし(死ぬけど)。4人の目まぐるしい踊りに目と心を奪われて、わたしの蝋燭の炎も嵐の中、風前の灯火。
興奮冷めやらぬまま、ぽつりぽつりゆらゆらと儚げな提灯の光を携えたお女中たちの群舞が物語の景色を創っていく。お話は言わずと知れた、亡霊となったお露と新三郎の悲恋。お札を貼って亡霊から新三郎を守ろうとする和尚。お金に目が眩んで(というかただのお調子者?)お札を剥がして悲劇を生む伴蔵。ちょっと複雑な物語が説明なしにいきなり始まったように見えたのは、ちょっと不親切かなと思ったんだけど(わたしの理解が足りなかったせいかもしれない)、幕見のように切り取られてるのが、額縁に入った絵を観ているようでかえってステキだったかも。亡霊の唯さんの新三郎を愛すも表情を排した演技、身を滅ぼしていく新三郎さんの宝満さん、一人凛として新三郎を救おうとする和尚の拓郎さんもみんな良かったんだけど、卑しく剽軽さのある伴蔵の八幡さんが役に意外な光を与えたみたいでびっくりしました。静かな語り口の演目で、メインの後のデザートで余韻のように終わると思いきや、心の中は感動の渦がますます高まって、一気に充実した公演が終わったのでした。ふうう。
これは、もう一度観たい、絶対観たいって終演後すぐおかわりを求めたい気持ち。1回だけでは見落としてたところもずいぶんたくさんあるはずだし(だってこんなとんちんかんな感想しか書けなかったし)、何よりも、もう一度、いえ、一度と言わず何度でも観たい舞台でした。本当に素晴らしかった!!この公演を創造したダンサーさんたち、スタッフの皆さん全員にありがとうを伝えたい。
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最強のベートーヴェン指揮者 久石譲/新日フィル ベートーヴェン
http://zerbinetta.exblog.jp/31679184/
2020-08-04T17:17:00+09:00
2020-09-22T17:19:17+09:00
2020-09-22T17:19:17+09:00
zerbinetta
日本のオーケストラ
久石譲:Encounter for String Orchestraベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲、交響曲第7番
豊嶋泰嗣(ヴァイオリン)久石譲/新日本フィルハーモニー交響楽団
久石譲さんと言ったら、わたしにとってもジブリの人。ジブリの映画のステキな音楽をたくさん書いてる素晴らしい作曲家。多分、このことに異論のある人はいないハズ。ところが最近、久石さんがオーケストラを指揮してベートーヴェンの交響曲を録音しているのを知って、ふふふ、色物ねって斜め上から聴いてみたらびっくり仰天!これが素晴らしいのなんのって、最近聴いたベートーヴェンの交響曲の録音の中でも間違いなく出色の出来。これは実際に聴いてみないわけにはいかないでしょう。というわけで、ワクワクしながらフェスタ・サマー・ミューザにやって来ました。
サマー・ミューザでは、本公演の前にリハーサルが聴けたり、室内楽のプレ・コンサート・パフォーマンス(わたしは絶対にプレコンサートなんて恥ずかしいこと言わないよ)があったりもするのだけど、今日は新日フィルのメンバーによる弦楽四重奏のパフォーマンス。(辛口なことを遠慮なしに言わせてもらうとわたし、プレ・コンサート・パフォーマンスにあまりよろしくないイメジを持っていて、というのは、普段室内楽を組んでない人たちがちょっとだけ練習して弾きました、みたいないい加減な演奏にときどき当たるから。クァルテットは1日にして鳴らずよ)。ところが、曲目を見てびっくり。ショスティの弦楽四重奏曲第8番って!ショスタコーヴィッチの最高傑作のひとつ、難渋な作品を音楽会の前のおまけに持ってくるなんて。こっちだって真剣になるよ。ハードル上げまくるわよ。ドミトリ(例のDEsCH音型をドミトリって歌詞つけちゃうのよね)がもうしつこいばかりに出てくるこの四重奏曲は、「ファシズムと戦争の犠牲者の想い出に」捧げるという作曲者の言葉よりも、自分へのレクイエムっていう感じ。新日フィルのメンバーの弦楽四重奏は、(普段から一緒に室内楽やってるメンバーなのかしら?)そんな音楽をとても真摯に演奏してくださって、上から目線だったわたしも襟を正して音楽に飲まれた。わたしはこの曲をあまりよく知らないし、生で聴くのは初めてだったけど、なんかショスティが言いたかったことがビシビシ伝わってくる感じ。いいもの聴いた。参りました。本ステージが始まる前に元とってしまったわ。
本番、最初は、久石さんの「Encounter for String Orchestra(弦楽オーケストラのための邂逅)」。解説によると、久石さんって、ミニマリズムに感化された作曲家でその方面で作品を書いていたんですって(映画音楽ではちっともそんなそぶりを見せていないのに)。で、この曲は、ミニマリズムというよりもミニマリストではないと言っていたアダムズさんの音楽に似た感じのポスト・モダニズムな音楽。カラフルで調性的でシンコペイションのリズムがかっこいい。つかみはOK。
そのあとはベートーヴェン2曲。なのに、ステージには2組のティンパニ、18世紀の作品の演奏に最近よく見るようになった小さなティンパニと現代オーケストラで使われる普通の(大きな)ティンパニ。わたしは不安になったよ。なんで2組って。録音で聴いてた久石さんの傾向からいうと小さなティンパニを使う派だと思うのに、大きいのいる?って。で、大きい方が使われたのが、ヴァイオリン協奏曲。ソリストは楽団のコンサートマスター、豊嶋さん。この曲、冒頭のソロからティンパニ大活躍。わたし的には硬いクリアカットな音を期待したいところだけど。それ以外は、期待どおり、フレーズの終わりをささっとまとめて前へ前へ進む久石さんの音楽。いいよ、ワクワク。でもね、ヴァイオリンのソロが違ったんだ。彼の音楽は、ロマンティック寄り。音を膨らませてちょっとモッタリ。その分、わたし的には魅力の久石さんの音楽の良さが中和されちゃうのよね。夢見心地な緩徐楽章は良いなと思ったのだけど。。。もちろん、ソリストが勝手に音楽を作ったということではなくて、指揮者と相談し合ってティンパニを含めてこの結果になったのだと思うんだけど、わたしにはちょっと残念。あっでも聴きどころは、第1楽章のカデンツァ。この曲のピアノ協奏曲への編曲版のカデンツァ(ベートーヴェンはオリジナルのヴァイオリン協奏曲にはカデンツァを書いていないのに編曲版の方には書いた)を久石さんが新しくヴァイオリン用に編曲したもの。カットなしのオリジナルな長さ(結構長い)でティンパニやチェロ(←new)のソロとの掛け合いもあって面白かったです。
休憩の後の、交響曲第7番は、久石さんワールド。会場でもらった解説には、ミニマル・ミュージック的解釈のベートーヴェンとなんのこっちゃよく分からないことが書いてあったけど、それはともかく、リズムをさりげなく強調して(強拍をしっかりと弾いて)音楽の推進力にあふれた演奏が、舞踏の聖化(by ワーグナー)と呼ばれた音楽に全編全くふさわしく、久石さんの面目躍如。左右に振り分けられたヴァイオリンから聞こえる立体的な音の対話。ベートーヴェンは絶対こんな音空間を思い描いていたと確信できる効果。どこを切ってもキレッキレのリズムで、ロックのよう。そう、これが聴きたかったの。久石さんは、今日本で一番面白いベートーヴェンを聴かせてくれるマエストロ。彼のベートーヴェンもっと聴きたい。最近はブラームスに取り組んでるそうだけど、ブラームスも聴きたい。ミニマリストで映画音楽の作曲家で、意外にも(と言ったら失礼かな?)交響楽のど真ん中ばかりを最強の説得力を持って振る指揮者って、型破りで良いわ~。
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前代未聞! リモート指揮者 ストラヴィンスキー、ベートーヴェン 東響
http://zerbinetta.exblog.jp/31669662/
2020-07-25T23:43:00+09:00
2020-09-18T09:24:41+09:00
2020-09-18T09:24:41+09:00
zerbinetta
日本のオーケストラ
ストラヴィンスキー:ハ調の交響曲ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
ジョナサン・ノット(映像出演)/東京交響楽団
17年ぶりに突如、新宿に復活した自由が丘にあった伝説の紅茶屋さん MURA でまったりとカレーとチャイをいただいて(これがうんと美味しいんだな)、六本木に移動。東響の定期。話題は、来日叶わないノットさんのリモート指揮。2つのプログラム(オペラシティ・シリーズと東京定期)で前者は1週間前に、そしてわたしが聴きに来たのは東京定期の2回目(なんと普段は1回の公演を同日マチネとソワレの2回に!)。このプログラム、おとといフェスタ・サマー・ミューザの開幕公演もやっているのでオーケストラとしては3回目(最終回)ということに。前代未聞のリモート指揮ということで、どんな風になるのか情報をなるべく見ないようにしてワクワク重視。
始まりは、ストラヴィンスキーのハ調の交響曲。なんと指揮者なし、コンサートマスターのグレブ・ニキティンさんの弾き振り。一体誰がこの曲を選んだのでしょう。もともと予定されていたのではなく、(指揮者なしの)この公演のために選ばれたのだけど、よくもまぁこんな複雑な曲を。チャレンジャーだわ、東響。ドキドキハラハラしながら聴き出したものの、自発的にそこここで発生するアンサンブルがツボにはまって、緩急自在、クサビのような強打も躊躇なく正確に放たれて、素晴らしい。東響って団員の皆さんが仲良しな雰囲気を持ったオーケストラなんだけど、それが良い方に跳ね上がって、ひとつの音楽の果実を見事に実らせるの。カラフルに飛び回る音たちの生き生きとした生命。まいりました。もちろん、こんな曲(新古典の時代のだけど、変拍子やら気まぐれ満載)だから指揮者がいると、よりスリリングなスパイスの効いた演奏もできるでしょうけど、仲間の音や息づかい細やかな動き、耳と目の感覚のプローブを全方向に張り巡らせて自分たちの音を発する、これって カ イ カ ン。
ヴィデオ・モニターを4台、指揮者の位置に置いて(1台は客席向き)、3台のモニターに映る指揮者を観ての、リモート指揮による「英雄」。4方向から指揮者を映した映像をそれぞれのモニターに出すのかなと思ったら、全部同じ正面からの指揮姿。全員が同じ指揮者の姿を見ることに。「英雄」は、数年前にもノットさんが東響で振っていて、その時の斬新な演奏は耳に残っているのだけど、基本的には、同じような快速テンポでアクセントをつけた刺激的な演奏。なのだけど、、、モニターに映る指揮姿に、合わせようとしちゃう感じがして、ちょっと消極的かも。ストラヴィンスキーで聴かせた耳を弾くようなはつらつさが若干薄い。もちろん、このコンビですでにやったことのある安定感はあって悪い演奏ではないのだけど、ノットさんがいつも仕掛けてくるような予定不調和的なスリルはなくて、この形式での演奏も3回目とあって慣れが出てしまったかな。それでも、フィナーレでノットさんはテンポを大きく動かして面目躍如、ここで少しオーケストラにもめまぐるしくヴェクトルを変化する加速度への争いを感じれれて最後はすっきり。第1ヴァイオリンが8人の小編成でも、不足を感じさせないのも流石。むしろ各パートがクリアに聞こえてきて良かった感。
実は今日一番心に沁みたのは、プログラム冊子に書かれていた、この音楽会をやるに至った顛末。ノットさんの執念と振り回される事務局の苦悩(?)が赤裸々に綴られているのだけど(ここで読めます。リンク切れになっていたらごめんなさい)、正直めちゃ感動しました。ノットさんステキ、東響らぶ。Never let a good crisis go to waste. コロナ禍で困難な中、一番攻めてるのは東響かも。禍が明けたとき進化したオーケストラとノットさんの新しい時代が始まるんじゃないかしら。
通信技術がもっと進んで、リアルタイム双方向画像が送れるようになれば、リモート指揮者はオーケストラの表情を見、音を聴きながら指揮できるようになるかな。そうなれば、指揮者が世界を飛び回ることなく、自宅にいながらいろんなところのオーケストラと演奏することができるようになるかも。そうなったらゲルギーなんて世界中で年に1000回くらい音楽会するぞ。現場に指揮者がいなければ本当の音楽なんて、なんて眉をひそめる人もいるだろうけど、目を瞑って音楽を聴く人も沢山いるし、指揮者も奏者もすぐに慣れて普通に演奏できるようになる気がする。っていうか、モニターに映った指揮者を見て演奏するのってすでにオフステージのバンダや指揮者に視線をやれない歌劇場ではすでに当たり前にやってるのもね。楽しみ~~ではあるかも?(あえて疑問形)
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季(とき)を環(め)ぐるシンメトリー 新国バレエ 「竜宮」
http://zerbinetta.exblog.jp/31668989/
2020-07-25T21:53:00+09:00
2020-09-17T21:56:20+09:00
2020-09-17T21:54:53+09:00
zerbinetta
バレエ
「竜宮 りゅうぐう」
森山開次(演出、振付、美術、衣装デザイン)松本淳一(音楽)
池田理沙子(亀の姫)、奥村康祐(浦島太郎)、中島駿野(時の案内人)細田千晶(タイ女将)、寺田亜沙子(竜田姫)、ほか新国立劇場バレエ団
昨日に引き続き「竜宮」の2回目。バレエって1回じゃ満足できないし(みたいとこがいっぱい同時にあるから)、キャスト違いでも観たいもの。でやっぱり、人が変わるとそれぞれの人物造形は違ってくるし、舞台から受ける印象やひいては受け取るメッセージまで変わってくるのよね。それがほんとに面白くてステキなところ。
今日の理沙子さんと奥村さんのペア、昨日の神々しい神話ペアとは対照的に浦島太郎の絵本から飛び出してきたような温かみのある役作り。奥村さんの太郎は、本物の太郎お兄さんが目の前にいて、近所で起こった物語に誘ってくれる。誰もが知っているお話は、わたしたちの経験と同じフォルダーに思い出として収められているのよね。超絶はまり役。(わたし的には、ついたての後ろでお着替えして鶴に変身するところで、ついたての横からチラリとそのシーンが覗き見できて(もちろんタイツ履いてたんだけど)、セクスィーすぎてドキリ。心臓が飛び出るかと思ったよ(一瞬裸に見えた)。理沙子さんも良い意味で、会いに行けるアイドル的な感じで(お会いしたことはないのですけどね。それと他の方が怖いということでもありませんw)、人を拒むオーラがないので、おとぎ話の世界にぴったり。なんて可愛らしい亀の姫。ただひとつお小言を言うとわたしが好きな腕をひらひらさせながら亀の船を曳くシーンでも腕の動きが手持ち無沙汰感があったこと。亀の気持ちで手を動かさなきゃいけないから難しいよね。でも、太郎に恋する姫の気持ちは初恋のよう。ウブさが愛おしい。
時の案内人の中島さんは、メイクは控えめで、歌舞伎寄せではなくバレエの人寄り。役に個性が出る(出せる)ところが、この作品の、バレエ団の強み。細田さんのタイ女将も、昨日のタイ女将から転身した寺田さんの竜田姫ももちろん言うことなし。眼福。始まりの子供達から、兎、イカす3兄弟、サメ用心棒、エイポン(エイ・ポンチョw)、フグ接待魚、タツノオトシ吾郎、金魚舞妓、アジ面コ(アジの被り物はちょっと踊りづらそうだったけど)、サザエ、ウニ、マンボウ、クラゲ、タコ八、天女、織姫と彦星、お祭り男、どんぐり、雪の花嫁花婿、その全てにカラフルで心楽しくなる衣装があって、ぴったりの踊りが付き添っていて(森山さんお得意のダンスの動きや、ダンサーとともに作り上げてきたバレエのパ。森山さんがものすごくバレエを研究してきたのが分かるくらい)。可愛らしさ、かっこよさ、心をくすぐる。そして今日は、わたしが観るのが2回目でわたしの見方に余裕というか変化があったからかもしれないけれど、今日の皆さんはこの舞台をとても親しみやすく創り出してくれて、まるで作品が天からわたしのそばに降りてきた感じ。めちゃくちゃステキ。
2回観て確信したんだけど、この舞台、第1幕と第2幕でシンメトリーになっていて、ただ物語をなぞって作っているのではなく、形式的な構造にまで目を配ってるの。始まりと終わりの波のシーン。鶴の夢と鶴への変身。魚たちの宴と四季の宴。それからタイ女将と竜田姫。亀をいじめる子供たちの踊りとどんぐりの踊り。様々なものが1幕と2幕で対をなして現れるのね。そういう構造の持つ安定感が流れる時間の中で迷わない安心をもたらしているし、シンメトリーは季(とき)の環を意識させる。永遠の時は小さな季(とき)の循環。その中で生きてるわたしたちは、儚くもあり消えては生まれる生命の永遠の一部でもあり。それを見つめる鶴と亀の神は幸せの象徴。わたしたちの命は幸せに包まれてる。
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やった!!玉手箱開いた! 新国バレエ 「竜宮」 初演
http://zerbinetta.exblog.jp/31665463/
2020-07-24T00:34:00+09:00
2020-09-16T00:40:06+09:00
2020-09-16T00:37:11+09:00
zerbinetta
バレエ
「竜宮 りゅうぐう」 ~亀の姫と季(とき)の庭
森山開次(演出、振付、美術、衣装デザイン)松本淳一(音楽)
米沢唯(亀の姫)、井澤駿(浦島太郎)、貝川鐵夫(時の案内人)寺田亜沙子(タイ女将)、本島美和(竜田姫)、ほか新国立劇場バレエ団
普段なら初日の公演に好んで出かける人ではないのだけど(回を重ねて良くなると思うから)、今回は特別。新作バレエの初演。それに加えて covid-19 の感染拡大で新国立劇場の公演中止が続く中、ついに再開されるのだから。その第1日目は特別な公演。それは絶対目撃したい。感染が再拡大する中、また中止にならないかって(チケット一旦チャラになって仕切り直し(席数減らして)再発売されたくらいだから)、ドキドキしながら、朝も確認して劇場へ。
会場に着くと舞台の縁は大きな円盤で天辺から右回りに子、丑、寅、、、の文字(円の下側は舞台の下に隠れる形なので見えない文字が2つ(3つかも)。昔の時計の文字盤。そして舞台の真ん中に玉手箱。この舞台の空気、観客席の空気にワクワクしてくる。これを待ち望んでいたんだよ。幕が開いたら感極まって泣いちゃうかなと思っていたのに、いざ始まったら意外と冷静。というかきっと色々感情が沸騰しすぎてフリーズしちゃったんだな。それにバレエが楽しくて楽しくて。子供のためのバレエ公演なので、分かりやすいんだけど、この質の高さと深さは大人でも存分に楽しめる。昔話の「浦島太郎」の物語が大胆に翻案されて、おめでたいもの満載、鶴と亀の大団円。森山さん天才。その天才っぷりは、もうそこかしこに溢れていて、多分全員が目を奪われるのは、めっちゃカワイイくてカラフルな衣装とそれを超生かす照明やプロジェクション・マッピングの素晴らしさ。海に潜って竜宮城に行くシーンはとても素敵で、水族館、お魚好きの日本人の血が騒ぐの。やっぱり日本人って水族館とかお魚好きよね。それに加えて、あえて意識したと思われる日本(の伝統)的なものへのこだわり。歌舞伎メイクと仕草をバレエの中に取り込んだ、狂言回し役の「時の案内人」。わたし的には、黒い着物の衣装の背中に描いてある時計の図案が高級車のロゴみたいに見えて密かにメルセデスくんと呼んでいたのだけど、少し大げさに表現していた貝川さんの演技が、舞台とわたしをしっかり繋いでくれました。去年、ここで上演された「ふしぎの国のアリスの冒険」の白兎を思い出したの、わたしだけかな。そこここに日本っぽさ(しかも所謂ザ・ニッポンみたいな典型的、伝統的なものばかりじゃなくて現代の日本っぽさも)がちりばめられていたのだけど、わたしがものすごく感心したのは、第2幕に出てきた天女の羽衣の色使い。踊りながら、色違いの薄布を重ねたりするのだけど、これって襲色目じゃない!平安時代の十二単の技。もうそういうところに嬉しくなっちゃうのよね。細かすぎるけど。
井澤駿さんの浦島太郎は、正統派王子キャラが素朴な若者の中に残っていて、偶像化された人物造形を宿していたのは吉なのか凶なのか。それにしても唯さんの亀の姫の気品のある美しさ。わたしが大好きなのは、腕をひらひらさせて亀の船をゆっくりゆっくり牽いていくシーンの高貴な無頓着。兎と競争になっても我関せずのマイペース。それがものすごく尊いことのように思えて、わたし子供の頃、何事にもうすらぼんやりととろんとしてて運動も全然ダメで、グズでノロマな亀って言われてたから、あの時の自分にこんな姫の超然とした気品を教えてあげたい。唯さんの亀の姫がこの世のものとは思われない婉然とした造形だったので、井澤さんの役作りは、釣り合いが取れていて吉だったのではないのかな。最後、鶴と亀のふたりが結ばれるのはまさに神話の世界に昇華されて、御伽草子というよりも古事記を読んだ感じ。人の物語ではないもの。
舞台に華を添える、前半のタイ女将の寺田さんと後半の竜田姫の本島さん、陽と陰的な対をなしてる感じだけど、それぞれお二人のキャラクターに合っていてスパイス効いてた。さすがにこのお二人上手いよね。特に本島さんの竜田姫には悲恋の物語があって、そこだけでひとつの独立したエピソードとして重みのある見せ場になっていました。それだけではなく、出てくる子供達、イカやサメ、ウニなどの海の幸、金魚、お祭り男、雪の花嫁花婿など、全てのキャラクターにふさわしい踊りが用意されていて、それぞれ個性的で一人も十把一絡げになっていない目配りの良さ。それを新国立劇場のダンサーが本当に楽しそうに踊ることで(初日の硬さも若干あったけれども)一層キャラが立って相乗効果。本当に全員参加のステキな舞台。
舞台のカラフルさに呼応するように音楽もカラフルで魅力的。交響楽やらポップミュージック、室内楽的など和風洋風いろんな音楽が、めまぐるしく交錯して、節操のなさがくす玉が割られたように楽しくて、ウキウキと舞台を盛り上げてく。せっかくオーケストラ・ピットがある劇場なのに、生の楽器で聞けないのは残念だな、と思ったり、でもこれを生のオーケストラ用に作り上げちゃうと、せっかくの音楽の多様性の魅力が失われちゃわないか、と思ったり、余計な妄想までしちゃった。そういえば、「むかし~むかし~浦島は~~」のメロディが2回くらいさりげなく使われていたけど、あえてライト・モチーフ的な使われ方じゃなく、こんなところに闖入させてみました的な潔さも面白です。
2時間(休憩の25分を含む)はあっという間でかつとても長い時が流れたみたいで、ほんと良いものを観たわ。早速、再演とレパートリー化を希望!子供が観ても大人が観ても楽しめる良質なエンターテイメント。寄せては返す波のようなフィナーレの閉じ方は、大団円の盛り上がりとしみじみと残る余韻の不思議な共存。
カーテンコールでは、客席で観ていた森山さんも出ていらして(初日の特典)、幕が降りてお客さんが席を立った頃、舞台から拍手が聞こえて、ダンサーさんたちみんながこの公演を讃えてるんだ、ほんと良い舞台だったんだわ、と嬉しくなりました。ただ、たった一つだけ、とっても悔しく残念に思えたのは、この公演を導いた最高責任者で退任するバレエ団の芸術監督の大原さんが会場に来られていなかったこと。海外にいらしてて、covid-19 の渡航制限がかかって日本に帰って来られなかったから。この成功を一番喜んでいる筈の方なのに、関係者じゃないわたしまで悔しい。再演して是非、この素晴らしい作品を彼女に見せて欲しい。っていうかわたしがまた観たい。何度も観たい。
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始まりは1番から ベートーヴェンとプロコフィエフ 大野/都響
http://zerbinetta.exblog.jp/31502185/
2020-07-12T14:46:00+09:00
2020-07-18T14:48:46+09:00
2020-07-18T14:48:46+09:00
zerbinetta
日本のオーケストラ
コープランド:市民のためのファンファーレベートーヴェン:交響曲第1番デュカス:舞踏詩「ラ・ペリ」からファンファーレプロコフィエフ:交響曲第1番「古典」
大野和士/東京都交響楽団
都響を日本のフラグシップ・オーケストラと言って言い過ぎではないと思うんだよね。演奏の質、客演者の顔ぶれ、楽団員のお給料は日本のトップ・クラスだし。海外の音楽家にあまり開かれていないように見えるのが弱点かもだけど(外国人のメンバーがいない)。covid-19 感染対策もそう。それぞれのオーケストラで出来る最善を尽くしていると思うけど、感染症対策等の専門家も入れて実証実験も行なっているのは、こことN響(間違ってたらごめんなさい。あと対策としてメンバーのPCR検査をしたのが新日フィルと墨田区、これは継続的にやって欲しい)。オーケストラによって経済的な余裕が違うから一絡げにすることはできないけど、都響やN響のデータが他のオーケストラにも共有されて、安心に音楽会ができる環境を作って欲しいです。
都響は、思い切って、今年いっぱいの定期公演を全て中止していて、音楽会は状況を見て随時開かれる予定とのこと。楽しみにしていた音楽会がなくなるのは悲しいけど、できることをより自由度を持ってできるので良い方法でしょうね。
音楽監督の大野さんと都響が再開にあたって持って来たプログラムは、ファンファーレが2曲とベートーヴェンとプロコフィエフの最初の交響曲。始まりへの期待のメッセージ。それに、マーラーが「完成された最高のハイドン」と評したベートーヴェンの第1番とハイドンを意識して書かれたプロコフィエフの「古典」のハイドンつながり。小型(12型)のオーケストラで、しかもこの2曲、それぞれ作曲家の毒もしっかり仕込んであって。。。この組み合わせは粋。いよいよ音楽会開始の合図、打楽器の強打に導かれて金管楽器が呼び覚ますコープランドの誇り高き「市民のためのファンファーレ」。音楽会の最初にこんなかっこいいことするなんてさすがイケメンの大野さん。都響の金管メンバーも応えてシュッとして青空に突き抜けるよう。わたしの音楽会の名シーンとして生涯記憶されるでしょう。心に突き刺さるよこの音楽は。
そして、オーケストラを拍手で迎え入れてベートーヴェン。オーケストラが揃うまで着席せずに、揃ったところで全員でお辞儀。こちらこそまたよろしくお願いします。ベートーヴェンって未来が今より良くなることを一番強く信じられた時代の人だから、音楽のポジティブみの強さといったら、この1番も例外ではなく、さらに若者特有のフレッシュな希望と(まだ耳の病気の前だし)野心が溢れんばかり。ベートーヴェンはティンパニを聴け、のわたしだけど、もうこの1番から面白いわ。大野さんと都響の演奏も、活力に満ちていて明るくて、今音楽を奏でることの喜びと未来を感じさせる。ティンパニもバシバシ叩いてわたしのツボ。これから面白いことが必ず始まらんとする吉兆。
休憩なしの後半は、前半の対でデュカスの「ラ・ペリ」からファンファーレ(金管合奏)と「古典」交響曲。コープランドのストレイトフォワードなファンファーレに対して、フランスのデュカスのは、(元々バレエの始まりの合図だし)オシャレっぽいエスプリの効いたの。おしまいのトランペットのタラタランって細かい音がニヤリとするスパイス。プロコフィエフの現代(と言っても1910年代だけど)のエッセンスが、古典派交響曲の中に生きてるので、さらりと古典的に演奏もできるし、アヴァンギャルドもあり。大野さんはというと、意外とフォルムの整った古典的な演奏を基調にちょっぴりひねりを効かせた、でもあまり毒はなくてイロニーってほどではない、むしろユーモア(フモール)を感じるような。大野さんって基本的に太陽の人(わたしの個人的な印象)なので、この曲も雲と光の銀色のシャープな際のようなコントラストの高い明るさを感じさせるの(都響の音色と相まって)。そこが意見の分かれるところだと思うんだけど、すごく良い演奏なのに、ロシア・アヴァンギャルドな演奏を知ってるわたしは少し物足りなく感じるんだな。それはちょっと捻くれた好みなのですけどね。
オーケストラの退場まで名残惜しい拍手で見送って、感謝と応援の気持ちを伝えたのでした。これからも強く、わたし達、音楽とともにあるように。コロナに負けるな。
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